妊娠と抗てんかん薬 抗てんかん薬を服用している妊娠希望 疾患別説明書: Preg-82 女性、出産希望女性への説明書 2002.8 船橋市立医療センター脳神経外科では、抗てんかん薬(抗けいれ ん剤)を服用している女性が妊娠を希望する場合、本説明書の内容 を説明することにしています。本書は心配している患者さんおよび家 族の方の質問に答えるべく、「てんかん発作のこと、胎児の催奇形 性の問題、そして当脳神経外科における投薬方針」について記して います。 今までの医学の歴史で明らかになったことをわかりやすくまとめま したが、現時点でまだ結論のでていない医学的な問題も多くありま す。最終的に妊娠を希望するかどうか、出産するかどうかはもちろ ん患者さんが決めることです。よく読んでかかりつけの産婦人科の 医師とも相談してください。また、「妊婦が睡眠不足にならないように、 疲労しないように」など配偶者および家族の協力が大切です。特に 配偶者には十分に理解してもらうことが重要ですので、本書を必ず 読んでもらってください。 船橋市立医療センター 脳神経外科 Ⅰ. てんかん発作を有する女性の結婚率および妊娠 有効な抗てんかん薬がなかった時代には、てんかん発作を有する患者さん はその発作が頻発することにより生活に支障をきたすことが多くありました。 しかし現在は、薬物療法の進歩により適切な薬物治療を受ければ日常生活 および通常の社会生活をおくることが可能となっています。下の表にてんか ん女性患者の結婚率を示しましたが、多くの女性患者さんが結婚生活を送っ ています。 てんかん女性患者さんの結婚率 (福島裕:てんかんの精神医学的研究、てんかん者の結婚について、 臨床精神医学,5;101-107,1976) てんかん女性が計画的にまたは非計画的に妊娠した場合、出産を決意す る割合はどのくらいでしょうか。もちろんケ−スバイケ−スですが、次のよ うな統計があります。日本の多施設共同研究によると、妊娠初期に抗てんか ん薬を服用していた女性における妊娠のその後の結果は、中絶が13%、流 産および死産の率は14%、生産の率は73%でした。 妊娠初期に抗てんかん薬を服 用していた女性の妊娠経過 (Nakane Y et al.: Multi-institutional study on the teratogenecity and fetal toxitity of antiepileptic drugs: A report of a collabolative study group in Japan. Epilepsia, 21; 663- 680,1980.) <1> Ⅱ. てんかんの発生頻度 下の表のように、一般人口におけるてんかんの発生頻度は約1%ですが、 てんかんの女性から生まれる子供ではてんかんの発生頻度は8∼9%と高 くなります。しかしこの数字は見方を変えれば、てんかん発作がない子供 の頻度は約90%ということです。 20歳までの一般人口におけるてんかんの頻度 約1% 20歳以降も含めた一般人口におけるてんかんの頻度は3∼5% 父親がてんかんの場合、その子供におけるてんかんの頻度は2∼3% 母親がてんかんの場合、その子供におけるてんかんの頻度は8∼9% (兼子直:てんかんと妊娠、治療75:270-273,1993 ) Ⅲ. てんかんの女性が妊娠した場合、発作回数は変化するかどうか てんかんの女性が妊娠したときの発作回数の変化を下に示します。発作 回数が増加する割合は16%ですが、増加した原因は不規則な服薬、服用を 怠ったこと、睡眠不足などが考えられます。抗てんかん薬は医師の指示ど おり規則的に服用してください。また、妊婦が睡眠不足にならないように 夫および家族の協力が大切です。 妊娠中の発作回数 妊娠前と変わらない 80% 増えた 16% 減った 4% (Otani K: Risk factors for the increased seizure frequency during pregnancy and puerperium. Folia Psychiat Neurol Jpn 39:33-41,1985) <2> Ⅳ. てんかん発作は妊娠に影響するかどうか ヒトの場合、妊婦がけいれん発作を起こしたために児の奇形発現率が増加 するという明らかな関連性は確認されていません。しかし、妊婦のけいれん 発作により胎児は低酸素状態となり、切迫流産や切迫早産になる可能性はあ ります。実際にけいれんが生じた場合、それにより流産する頻度は約1%と 報告されています。 (兼子直:難治性てんかん患者と妊娠、精神科治療学 8:909-918, 1993) Ⅴ. いわゆる「淘汰」について ヒトも他の生物と同様に受精から出生までの過程で生命維持が不可能とな ると、不妊・流産・死産・死亡という形で淘汰されてしまいます。 ① 受精までの精子の淘汰 数億個の精子のうち1つだけが受精する。その他は淘汰される。 ② 着床しない淘汰 着床しない、すなわち不妊となる。 ③ 自然流産としての淘汰 自然流産して淘汰される。 自然流産胎児の65%に染色体異常が認められる。 自然流産胎児の90%には何らかの異常が存在したと考えられる。 ④ 妊娠中期以降の淘汰(子宮内胎児死亡) ダウン症の胎児の約半数はこの時期に死亡してしまう。 ⑤ 出生してからの淘汰 無脳児などは出生してまもなく死亡してしまう。 (佐藤孝道、加野弘道:妊娠と薬、3-28,1992 、薬事時報社) <3> Ⅵ. 薬剤投与により男性が受ける影響 理論的には、薬剤により精子が影響を受けた場合は受精の際に淘汰を受け てしまい、その精子は受精には関与しないと考えられます。 Ⅶ. 薬剤投与により女性が受ける影響 生殖可能な年齢(17歳∼45歳)の女性は、薬剤投与により何らかの影 響を受ける可能性があります。妊娠の時期により影響は異なります。まず妊 娠週数を以下のように数え、それぞれの時期により薬剤の影響はどうなるの かを確認しておく必要があります。 最終月経の開始日を0週0日とする 0週0日∼ 0週6日 1週0日∼ 1週6日 2週0日∼ 2週6日 3週0日∼ 3週6日 (ここまでが妊娠1ヵ月) 7週0日∼ 7週6日 (ここまでが妊娠2ヵ月) 11週0日∼11週6日 (ここまでが妊娠3ヵ月) 15週0日∼15週6日 (ここまでが妊娠4ヵ月) 21週0日∼21週6日 (1992年の定義では妊娠22週未満の妊娠中絶を流産) 22週0日∼22週6日 (妊娠22週∼ 36週0日∼36週6日 36週までを早期) 37週0日∼37週6日 (妊娠37週∼ 41週0日∼41週6日 41週までを正期) 42週0日∼42週6日 (妊娠42週以後を過期) <4> 妊婦が薬剤投与により受ける影響は、時期により異ります ① 受精前∼妊娠3週末までの薬剤による影響 “all or none” の法則: ほとんど受精しないか受精しても流産してしまう。 または、薬剤から受けた変化は完全に修復されて健児を出産する。 ② 妊娠4週∼7週末まで(妊娠2ヵ月)の薬剤による影響 この時期に胎児の中枢神経・心臓・消化器・四肢などの重要臓器が発生分 化する。したがって、この時期は催奇形性という意味では絶対過敏期であ る。具体的事例としては、サリドマイド奇形はすべてこの時期に投与され たものであった。この時期の薬剤投与は十分に慎重にすべきである。しか し、妊婦はこの時期にはまだ妊娠したことに気がついていないことが多く、 この過敏期にすでに何らかの薬剤を内服してしまっていることがある。 ③ 妊娠8週∼15週末まで(妊娠3∼4ヵ月)の薬剤による影響 この時期は胎児の重要臓器の形成は終わっているが、性器の分化や口蓋の 閉鎖などの変化はまだ続いている。催奇形性のある薬剤の投与はこの時期 にも引き続き慎重にすべきである。 ④ 妊娠16週(妊娠5ヵ月目)∼分娩までの薬剤による影響 この時期には臓器はすでに分化してしまっているので、薬剤を服用しても 催奇形という問題は生じない。しかし、薬剤投与は機能的発育に影響を与 える可能性がある。 ⑤ 授乳期における薬剤による影響 生後1週間以内の新生児はまだ薬物を代謝する能力をもっていないし、脳血 管関門も完成されていない。半減期の長い薬剤を母親が服用していると、 授乳により薬剤が新生児に移行し影響をおよぼす可能性もある。 <5> Ⅷ. 抗てんかん薬服用による胎児の奇形発現率 疾患そのものまたは妊婦が服用した薬剤の影響により、胎児に先天奇形ま たは発達遅延が生じる場合があります。 先天奇形の種類としては、髄膜脊髄瘤(二分脊椎を含む)などの中枢神経 系の奇形、心室中隔欠損などの心臓血管奇形、口唇口蓋裂などの顔面奇形、 泌尿生殖器系の奇形などがあげられます。 一般人における先天奇形の発現率は報告によって異なりますが、約2∼ 4.8%です。下記のごとく、抗てんかん薬服用により胎児の奇形発現率は2 ∼3倍高くなります(奇形のない健常児を出産する確率は約90%というこ とです)。 抗てんかん薬を服用しなければ母親のけいれん発作回数は増加するし、発 作により流産することもあります。したがって、奇形発現率をできる限り少 なくする薬剤の種類と服薬方法の選択が必要となります。 妊娠・出産における胎児の奇形発現率 一般人 抗てんかん薬を服用せず 妊娠第1期に抗てんかん薬 を服用して出産した場合 に妊娠・出産した場合 (Kaneko S.: Antiepileptic drug therapy and reproductive consequences: functional and morphologic effects. Reproductive Toxicol.,5;179-198,1991) <6> Ⅸ. 抗てんかん薬の種類と投与方法による奇形発現率 昔は、どのような薬剤投与により奇形発現率が高くなるのかよくわかって いませんでした。 1978∼1984年の全国共同研究(研究1)を行ったところ、この時期 のてんかん妊婦からの子供における奇形発現率は13.5%でした。 この研究により、「抗てんかん薬の投与量を減らすこと、多剤投与をで きるだけ単剤投与にすること、バルプロ酸(デパケン)とカルバマゼピン (テグレト−ル)の併用をさけること」により奇形発現率を減少させるこ とができるのではないかということが示唆されました。 そこで1985∼1989年の全国共同研究(研究2)において、このよう な方針で投与したところ奇形発現率は6.2%に減少しました。 抗てんかん薬の投与方法による奇形発現率の変化 1978∼1984年の共同研究 13.5% 1985∼1989年の共同研究 6.2% (兼子直、他:抗てんかん薬服用妊婦における先天性奇形‐その防止に関する研究‐ 精神 薬療研究基金年報:23;89-95,1992 ) (Kaneko S,et al.:Malformation in infants of mothers with epilepsy receiving antiepileptic drugs.Neurology, 42:68-74,1992) 現在までに判明しているてんかん妊婦における抗てんかん薬の投与方法別 の催奇形率は次項のとおりです。 <7> 抗てんかん薬多剤服用時の催奇形率 薬剤別の催奇形率 (単剤投与の場合) 奇形の中でも二分脊椎の発生率は、バルプロ酸(デパケン)内服群では1 ∼2%、カルバマゼピン(テグレト−ル)内服群では0.9%であり、比較 的多く発生しています。また、併用により催奇形率が増加するため、併用すべ きでない組合せは以下のごとくです。 ・デパケン + テグレト‐ル ・アレビアチン + バルビツ‐ル剤(フェノバ‐ル、マイソリン) ・テグレト‐ル + バルビツ‐ル剤(フェノバ‐ル、マイソリン) 注)ヒダント‐ルFはアレビアチンとフェノバ‐ルの合剤 (Kaneko S: Antiepileptic drug therapy and reproductive consequences: functional and morphologic effects. Reproductive Toxicol.5:179-198,1991) (Gaily E: Minor anomalies in children of mothers with epilepsy. Neurology 42: 128-131,1992) (兼子直、Heinz Nau バルプロ酸の臨床薬理、146-155,1996、ライフサイエンス) <8> Ⅹ. 葉酸について 葉酸はDNAなど核酸の合成に必要なビタミンBの一種で、ホウレン草 などの緑黄色野菜や豆類に多く含まれているものです。 抗てんかん薬の服用によって体内の葉酸が減少し、奇形発現のリスクが 増加するともいわれています。てんかんの女性が妊娠を希望している場合 および妊娠中は、定期的に葉酸の血中濃度を測定してもらい、必要なら補 充してもらう必要があるともいわれています。 (福島裕、兼子直:てんかんと妊娠・出産:岩崎学術出版社:317-341,1992) <9> XI. 当脳神経外科における投薬方針 抗てんかん薬を服用している女性が妊娠を希望される場合、 当脳神経外科では以下のような方針で投薬します ☆彡 妊娠を希望する女性患者だけでなく配偶者に対しても、まず「妊娠 とてんかん発作のこと、胎児の催奇形性の問題、抗てんかん薬の投薬方 法」などについて十分に説明する。次いで女性患者と配偶者に対して「妊 娠希望の意志」を確認する。そして妊娠前からかかりつけの産婦人科医と 連絡をとる。産婦人科的な検査はもちろん産婦人科医に全面的にお願いす る。 ☆彡 多剤を服用している場合は、できるだけ単剤にする(催奇形率の低 い薬剤、大奇形率の低い薬剤)。 ☆彡 できれば単剤をフェノバルビタ−ル(フェノバール)にし、服用量 を必要最小限にする(可能ならば 150mg/day 以下)。フェノバルビタ− ルでけいれんがコントロールできない場合は、フェニトイン(アレビアチ ン、ヒダントール)の単剤投与とする(できれば 200mg/day 以下)。 ☆彡 バルプロ酸(デパケン)がどうしても必要な患者の場合には、高血 中濃度にならないような投与方法にする(1日3∼4回に投薬を分ける)。 投与量をできれば 1,000mg/day 以下にする。 ☆彡 カルバマゼピン(テグレトール)がどうしても必要な患者の場合に は、投与量をできれば 400mg/day 以下にする。 ☆彡 以上の方針で内服し、もし全身けいれんが生じるような場合は増量 する。 <10> ☆彡 外来で必要に応じ(毎月1回)、貧血の有無、電解質異常の有無、 抗てんかん薬の血中濃度、血清葉酸値をチェックする。産婦人科で葉酸 を投与していない場合には、妊娠の4週間前から妊娠後12週間までの 間、1日量0.4mgの葉酸を投与する。 葉酸製剤を総合ビタミン剤(パンビタン1g中に葉酸は0.5mg含まれて いる)にするか葉酸のみの薬剤(フォリアミン1錠中に葉酸は5mg含ま れている)にするかは、産婦人科医とよく相談する。血清葉酸値が4µg/l 以下の場合には、葉酸の投与量を増やす(1∼2mg/day)。 ☆彡 このような説明を説明書としてまとめたものを患者に2部渡し、 1部はかかりつけの産婦人科医に届けてもらう。 ☆彡 一般的には「生後1週間は母乳のみでなく人工栄養(ミルク)を併 用し、その後は母乳のみでよい。」と言われています。 しかし産婦人科医の診断によっては母乳を止めることもありますので、 かかりつけの産婦人科医とよく相談してください。 <11>
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