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Report
才能教育最前線
−子どもの能力の多様性を認めた教育を求めて
アメリカ視察レポート
●
訪問先
ジョンズ・ホプキンス大学 CTY[Center for Talented Youth]
コネチカット大学才能教育センター
いわなが まさや
マンスフィールド中学[レンズーリモデル実践校]
●
●
東京大学大学院教育学研究科博士課程修了。
アドバイス
岩永雅也[放送大学教授]
レポート
星千枝|木下悦子|粕谷保子
[Benesse 教育研究開発センター研究員] 放送大学教授。
専攻は教育社会学・社会調査法。
著書に『創造的才能教育』
(共編 玉川大学出版部)、
『変貌する高等教育』
(共著 岩波書店)、
『生涯学習論』
(放送大学教育振興会)
など多数。
日
本社会の多様化に伴い、子ども一人ひとりの個性に対応した教育が
求められるようになっている。しかし、その実現には様々な課題が山積している。
アメリカ合衆国は多様な民族で構成された国であり、こうした面での取り組みについて
日本が学べることは多い。Benesse 教育研究開発センターでは、
能力の評価、指導や育成について、研究のための知見を得ることを目的に
アメリカの先行事例の視察を行った。視察に当たって、岩永雅也教授(放送大学)に
訪問先のアドバイスをいただき、視察にも同行いただいた。
今回、アメリカの才能教育における代表的な二つの研究機関を訪問し、
これからの日本の教育を考えるための示唆を得ることができたので、その報告をしたい。
アメリカ才能教育の概要
潮流の基になった二つの理念「促進(acceleration)」と「拡充(enrichment)」
52
他の多くの教育分野でそうであるよ
存在したからである。アメリカ社会が
ものではないし、無為に接していても
うに、アメリカは才能教育の領域でも
持つそうした本来的な才能重視の傾向は、
効果的に育つものではないと考えられ
常に世界の先進的モデルを提供してきた。
まず何よりも前提条件として頭に入れ
ているからである。アメリカでは現在、
そこにはアメリカ社会がとりわけ個人
ておかなければならないだろう。
大学等の教育機関で個別に実施されて
の能力というものを意識的に重視して
ところで、広義の才能教育には、大
いるものも含めると恐らく数千の才能
きたという背景がある。よって立つべ
きく見て才能の探索及び認定という局
教育プログラムが実施されていると思
き集団的伝統も身分秩序もなかった新
面と才能者の指導という局面とがある。
われるが、その大半が才能の探索とそ
生の移民国家であったアメリカには、
その二者は車の両輪であって、実際の
の指導という要素を意識的に備えてい
個人個人の能力の最適な組み合わせに
才能教育には欠くことのできない必須
るといえる。そうしたプログラムは、
よって社会全体のパフォーマンスを高
のプロセスである。才能は何の手段も
また、才能教育に関わる大きな二つの理
めなければならないという課題が常に
講じることなくして適切に発見できる
念のいずれか、もしくは両方の影響を受
対し、拡充では暦年齢を維持するとい
と「拡充(enrichment)」である。
ったように、探索の局面でも指導の局
前者は、才能ある子どもには余計な
面でも両者は大きく異なっている。
回り道をさせずに暦年齢よりも進んだ
二つの理念は 1970 年代初め頃までに
学年の内容を先取りして学ばせるべき
それぞれ独自に体系化され、今日まで
だという理念、後者は、才能ある子ど
アメリカにおける才能教育の二大潮流
もには一般の子どもより深く体系的な
をなしてきた。その二つの理念は今ど
内容を学習させるべきだという理念で
のような状況にあるのだろうか。今回
ある。実際の違いを見ると、促進的な
の視察では、それぞれを代表する CTY
プログラムでは同一年齢層の 1 ∼ 3%
とコネチカット大学才能教育センター
程度を選ぶのに対し、拡充的なプログ
という二つの機関を中心に、アメリカ
ラムでは 20%以上の子どもが選ばれる。
における才能教育の現状を具体的かつ
また、促進の指導は飛び級を伴うのに
体系的に把握することを目指した。
(岩永)
訪問したマンスフィールド中学の授業の様子。
2005
けている。それは「促進(acceleration)
」
NO.01
レポートは 58ページ
53
才能教育最前線
Report
訪問先
1
ジョン ズ ・ ホ プ キ ン ス 大 学
CTY[Center for Talented Youth]
C
TY は、1979 年にジョンズ・ホプキンス大学内に開設され、
同一年齢層トップ 3%(今年度から 5%)までを対象とした
才能児のための米国屈指の教育研究機関である。創始者は
同大学心理学名誉教授のジュリアン・スタンレー(Julian Stanley)博士。
リア・ワイバラ(Lea Ybarra)博士をはじめとする CTY のスタッフに、
「促進」の理念が 基にある才能教育がいかに進められているかを聞いた。
Q
CTY の教育を受けるには、
ことも可能です。また、こうした能力
どうしたらよいのでしょうか?
テストの他、オプションとして STB(空
Q
トップ層の子どもを対象にした
プログラムについて
お聞かせください
間認識力を測るテスト)を受けること
「Talent Search(TS:才能発掘)
」が、
もできます。TS には年間、約 12,000
CTY へのゲートウェイです。
「In-level
校から約 8 万人の生徒が応募し、創立
SET(Study of Exceptional Talent)
Testing(到達度テスト)」で 97%以上
以来、120 万人の子どもたちを受け入
プログラムは、CTY の中でもトップ中
のスコアを持つ生徒に学校長が CTY の
れてきました。
のトップといわれる生徒のためのプロ
申請書を渡しますので、CTY 受講を希
望した生徒にはテスト資料を送り、後日、
「Above-level Testing(能力テスト)」
グラムです(全国学年別集団のトップ
Q
どのような教育プログラムを
0.01%弱に相当)。こうした生徒には、
されているのでしょうか?
特に、個人に応じたプログラムが必要
を受けていただきます。2 ∼ 4 年生は
になってきますので、適切な教育機会
SCAT(*1)、5 ∼ 6 年生は PLUS、7 年
提携大学を会場に、3 週間の「拡充」
が得られるよう、カウンセリングを行
生以上は SATI のテストを受けます。
を強調したサマープログラムや世界 50
ったり、また、先輩や同じ境遇の生徒
PSAT や ACT を SATI の代わりに受ける
か国以上をネットワークした遠隔教育
同士を紹介して、お互いに励まし合っ
を 展 開 し て い ま す 。遠 隔 教 育 で は 、
たり、良い刺激を受け合ったりできる
CD-ROM 教材や、ホワイトボードシス
ようにもしています。
テムを使い、オンライン上で先生と交
流できるのが、子どもたちにとっては
楽しいようです。また、いろいろな主
Q
コンサルテーション
(個々に応じた学習支援)にも
題をテーマに世界の各所を家族で訪ね
力を入れていると
るという体験型学習プログラムもたい
お聞きしましたが?
へん人気です。今年はコスタリカ、タ
54
ンザニアなどでのプログラムを予定し
Psycho-educational evaluation と
ています。
いうもので、
「才能はあるのに、どうも
学校での成績が振るわない」という生
徒に様々な心理テスト、教育テスト、
Q
実際の指導を担当されている
先生から一言お願いします
知能検査などを施し、どういう所が強
いのか・弱いのかなど、一人当たり 10
遠隔教育で数学を担当している教師
∼ 15 ページの診断レポートを書いて
です。
「学校の勉強に不満足そうだった
ご両親に送ります。また、ご家族の希
うちの子が、こんなに楽しく学習して
望によっては学校にも結果を送り、ど
いる姿を初めて見ました」といった保
のように教室で指導すべきかなどの提
護者の声や、
「先生ありがとう。このま
案を示すことで、学校や家庭でより適切
まずっと先生と勉強できたらいいのに」
な指導や対応ができるようにもしてい
という生徒の写真やメッセージカード
ます。また、Academic
Career
をよく頂きます。遠隔に学ぶ子どもた
Guidance も行っていて、MBTI(Myers-
ちがこんなにも近くに感じられるプロ
Briggs Type Indicator)などでのデー
グラムは非常に画期的だと思いますし、
タを通じて生徒の適性を調べ、将来ど
こうした心温まる交流ができることは
んな学問の方向性やキャリアが合って
本当に嬉しいことです。 (粕谷)
and
いるか、選ぶきっかけとしてもらうこ
とも行っています。その他、ウェブや
「ImaGiNe」
(季刊誌)などで情報を送り、
Lea Ybarra Ph.D.
●
CTYのエグゼクティブ・ディレクター。
経済的に恵まれない層における
才能児のための就学チャンスなどを
広げる努力もしている。
* 1 SCAT(School and College Ability Test)
は、本来 17 歳以上を対象とした SAT を、子ども用
のテストとして開発。また、STB(Spatial
Test
Battery)は CTY が開発している。
学校外での学習機会にも十分触れられ
るようにしています。
CTY の主なプログラムとサービス
1 |タレントサーチ
様々な能力テストによる、才能児のための才能発掘。
2 | サマープログラム
全米 23 サイトを会場に展開している「拡充」を強調したプログラム。
3 | 遠隔教育
オンラインや CD-ROM教材などを利用し、ライティング・数学・
コンピュータサイエンス・物理などを学習する通年開講の促進プログラム。
4 | ファミリー・アカデミック・カンファレンス
世界の名所を家族で訪ねる体験型学習プログラム。
13 歳未満で、数学、あるいは、言語分野のどちらかで
SATスコア 700 以上をとるような超才能児のためのプログラム。
6 | 診断&カウンセリング
主に何らかの学習障害や注意欠陥多動障害を持っている才能児を対象とし
CTY の HP
http://www.cty.jhu.edu/
NO.01
2005
5 | SET プログラム
た、心理・教育アセスメントやカウンセリング 7 | リサーチ
才能児に関わる数多くの研究実績。
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才能教育最前線
Report
訪問先
2
コ ネ チ カ ット 大 学 才 能 教 育 セ ン タ ー
国
立英才・才能教育研究所[NRC/GT]の本部でもある
コネチカット大学才能教育センターは、才能教育に関する世界的な研究・教育拠点である。
才能教育担当教師の育成(修士・博士課程)や、生徒への教育プログラム提供、
保護者向け情報発信も積極的に行っており、
「理論」と「実践」が有機的に結び付いている。
学校全体の教育活動の向上を目指す
本人の採った方法や作成した成果は実
専門教員の養成
際にその課題解決に有効かどうかが重
レンズーリ(Renzulli)所長らが提唱
視される。これらは構成主義的理論で
前述のような「拡充」の学習・指導の
する「SEM(Schoolwide Enrichment
の(教師主導で教え込む「演繹的モデル」
推進に当たっては、学校の普通カリキ
Model:全校拡充モデル)」の最大の特
に対する)
「帰納的モデル」によるもの
ュラム全体を俯瞰しつつ「拡充」の推
徴は、
「一部の才能児への特別な指導」
である。
進も行える専門性の高い教員の存在が
不可欠である。
にとどまらず、そこで得られた教育実
践の良質なエッセンスを「すべての生
全才能ポートフォリオの有効性
教員が才能教育に関する専門性を高めや
徒の優れた点を伸長する学習・指導」
56
コネチカット大学大学院では、現職の
に拡張することを重視している点である。
一人ひとりの生徒がどのような領域
すいように、夏休みにキャンパスで集中的
それは、生徒本人の興味・関心や強み
で優れた学習成果を発揮しているのか、
に行われるサマープログラムやインター
を伸ばすため、よりやりがいのある探
また本人が能力を発揮しやすい学習ス
ネットを活用したオンラインコースなど
求的な課題に取り組めるようカリキュ
タイルはどのようなものかを記録する
を設置している。この両者を組み合わせて、
ラムの工夫を行うことと、その結果と
ために開発されたのが「全才能ポート
修士号などの取得も可能である。 (木下)
して普通カリキュラムそのものの内容
フォリオ(Total Talent
や教授法にも影響を与えることを目指
Portfolio)」である。本
している。その中心になる構成要素が「拡
人の次なる挑戦課題や
充」の学習・指導である。
習得すべき課題解決ス
「拡充」の学習では「“本物”
(real-
キルなどについて教師
world, authentic)の課題」について自
が形成的なアドバイス
ら探求することが重視されている。一
を行うのに役立つ。ま
人ひとりの生徒が自分にとって重要と
た進級時に教師間で生
思える課題を探求して、実生活(社会)
徒の特徴を共有しやす
の課題解決過程で学ぶのと同じように
く、生徒にとっては指
体験から学習する。評価も例えば専門
導の連続性が保たれる
家にプレゼンテーションするなどして、
メリットがある。
図表 全才能ポートフォリオ
能力
興味
最高の遂行・表現の指標
興味の分野 授業スタイル
学習環境
思考スタイル
表現スタイル
テスト
美術
暗記・ドリル
対人的 / 内省的
分析的
文書発表
標準化された
工芸
友達同士の教え合い
自己志向
(勉強ができる)
口頭発表
教師作成の
文学
講義
友達志向
創造的
工作
学科成績
歴史
講義と討論
大人志向
(創造・発明的)
討論
教師による評定
数学・論理
討論
混合
実際的
展示
成果の評価
物理
指定された独立学習 *
(日常知恵が働く)
演劇
文書発表
生命科学
指定されない独立学習 *
物理的
口頭発表
政治・法律
学習・興味センター[コーナー]
音
立案型
視覚(絵画・映像)
スポーツ
模擬・役割演技・演劇・指導による空想
熱
[新しいことを考える] 販売
音楽演奏・作曲
販売・経営
学習ゲーム
光
順守型
制作
演劇・ダンス
模倣的レポートやプロジェクト *
デザイン
[決まった手順に従う]
音楽演奏
探求的レポートやプロジェクト *
可動性
評価型
ちがいに注意)
作曲
実習 *
時刻
[批判的に考える]
学習活動参加の水準
写真
見習い *
食物摂取
他人との相互作用の程度
映画・ビデオ
(課題と自主的成果の
スタイルの好み
(* は個人指導者がいる場合と
コンピュータ
美術
図示
奉仕活動
座席
いない場合がある)
その他(記入)
出典:J.S.レンズーリ著『個性と才能をみつける総合学習モデル』
(松村暢隆訳、玉川大学出版部、2001 年)
レンズーリ所長に聞く
アメリカの才能教育には、二つの対極的な考え方があります。一
ためにそのような文化が形成されてきたのかについて十分に顧み
つは知能検査などの認知テストの点数を基準にごく少数の才能児
なければアメリカは危機に陥ることでしょう。創造性こそが社会
を認定し、教育活動を行うタイプのもの。それに対して私たちが推
を良い方向に変革できる源ですし、それは子ども時代に優れてい
進してきたのは、より幅広い観点で幅広い対象から柔軟に才能教
る資質です。教育の中でそれをいかに良い方向に伸ばせるのかが
育の対象者を認定する方法です(全体の 2 割程度を認定すること
最も重要な課題だと考えています。
が多い)。
具体的には、テストの点数に加えて、特定の教科や領域で特筆す
べき学習成果を上げつつある生徒も積極的に対象に加えます。また、
アメリカが抱える生徒の多様性に配慮し、家庭環境や経済力、母語
の違いなどが不利に働かないような配慮にも苦心してきました。
これらの要素に柔軟に対応するためにも、すべての才能児認定は
各地域や学校で決定されるべき(locally determined)と考えてい
ます。各学校の教師が生徒の情報を的確に把握し判断できること
教育に当たる教員は、私を含め全員が学校で実際に教えた経験を
持っています。これは学校の事情を押さえ実践的な教師教育を行
Joseph S.Renzulli
●
う上で不可欠なことだと考えています。
コネチカット大学才能教育センター所長兼
最近のアメリカの教育政策では、統一テストでの結果が非常に
国立英才・才能教育研究所所長。
重んじられる一方、生徒の創造性の伸長はどちらかというと軽視
されやすい傾向がありますが、大切なのは、国の将来像を見据えた
NO.01
ニュアル類は多くの学校で活用されています。当大学院で教師の
2005
が非常に重要になるわけですが、そのために開発したツールやマ
教育学博士(教育心理)。
アメリカ才能教育の分野で
30年以上の実績を持つ権威。
バランスです。アメリカ文化は「創意工夫(inventiveness)」の点
同センターの研究成果はヨーロッパや
で特に優れていると考えられますが、我々の教育の何が他と違う
アジアの多くの国で翻訳出版されている。
57
才能教育最前線
Report
訪問先
3
レ ン ズ ーリモ デ ル の 実 践 に 取り組 む
マ ン ス フ ィー ルド 中 学
マ
ンスフィールド中学では、子どもの能力を
最大限に引き出すためにレンズーリ理論を実践している。
トレンブリー(Wayne Trembly)先生と
クライアン(Jeffrey L. Crayan)校長先生
マンスフィールド中学では、一般の
流試合する「マスカウント」、ケーブル
授業にも一部組み入れる形で学年、教
TV 会社協賛の歴史探求発表コンテス
科ごとに課内・課外のエンリッチメン
ト「歴史の日」などがある。
ト(拡充)プログラムが用意され、興味
その実践を支えるのは、特別な研修
関心に応じて卒業までに全校生徒の大
と単位を取得したエンリッチメント・
半が参加する。主な狙いは、教師の目で、
ティーチャーである。キャリア 10 年の
子どもの才能の芽を見つけ、それを伸
トレンブリー(Trembly)先生もその一人。
ばすことにある。
同校以外に他校の授業支援コンサルタ
課内の授業では、コンピュータや書籍
ントやコネチカット大学院生向け遠隔
などリソースが整備された教室で、数学、
教育でエンリッチメント教育の普及に
への熱意や探究心のある人材を慎重に
言語、歴史などを自学自習する。先生や
努めている。
選抜する。結果的に 87%の教師が修士
大学院生が目配りし、必要に応じて指
校長は、質の高い教師を採用するた
号取得者。地域の父母や大人も学校に
導する。課外活動では、科学研究発表の
めに、最低でも総計15時間の面接を行い、
深く関わり、積極的にボランティアで
「科学エキスポ」や、数学的思考力を他
現場教師や生徒の意見も入れて、教育
活動をしている。 (星)
マンスフィールド中学は、
全米でも平均所得の高いコネチカット州、
マンスフィールド地区(人口約 11,000 人)、
コネチカット付近に位置する。
マンスフィールド地区は 4・4・4 制で、この学校では
小 5 から中 2 までの生徒 670 人が学ぶ。
個に応じたオープンエンドなカリキュラムで、
生徒の自律心(self-discipline)の養成が教育方針。
プロジェクト M3 [Mentoring Mathematical Minds]
1988 年制定のジェイコブ・K ・ジャビッツ法(*2)に基づき、ア
の興味を引く現実社会の中にある算数を素材として、オープンエ
メリカ連邦政府は、中等教育において子どもの才能を発見し、育成
ンドな課題に対して自分の考えや解法の理由を文章や言葉で適切
するための科学的な研究に基づく革新的なプログラムを選抜し助
に表現する学習が組み込まれている。指導マニュアル作成、夏期 2
成している。プロジェクト M3 は 2002 年のプライオリティ 1 のプ
週間の研修会を行っている。また、授業では子どもの多様な考えに
ログラムで、100 以上の応募の中から選ばれた 10 のうちの一つ。
応じて教師が対応できるよう、ヒントカードなど、プログラム実践
レンズーリ理論を算数教育実践に適用し、小 3 から小 5 対象の算
の工夫が施されている。
数プログラムの開発、実施、効果検証を行うものである。
効果検証には、既存の TIMSS ( IEA 主催の国際学力テスト)や
コネチカット大学のキャシー・ギャビン準教授を中心に、ボスト
NAEP (全米学力テスト)の中から問題を抽出し、必要に応じて改
ン大学、ノーザンケンタッキー大学の研究者と企画され、 10 校、
題した問題、及び国の標準テスト(アイオワ標準テスト)を出題し
800 人の生徒、40 人の小学校教師の協力を得て、推進されている。
て、 M3 プログラムで学んだ子どもと学んでいない子どもの比較
算数に興味を持ち、自ら学びを探求する(self-discipline)子どもの
を実施。2005 年 3 月現在、小学 3 年生のカリキュラム実践前後の
養成を目的としている。
効果検証が行われ、算数の思考・表現力の向上が見られた、との結
カリキュラムは、レンズーリ理論と、日本の数学学習指導要領に
果を得ている。
ほぼ匹敵する NCTM (全米数学教師協会)スタンダードを反映し、
算数の学力、思考・表現力、及び趣味・関心・態度の向上を主眼と
している。小学 3 年から順次、カリキュラムとその指導方法の開発・
実践を行い、各学年 2 年目は 1 年目の反省を踏まえて修正。子ども
58
* 2 ジャビッツ法は、子どもの才能伸長を目的とし、特に経済的に恵まれ
ない子どもやマイノリティの子どもの才能を見いだすことに重点が置かれて
いる。助成プログラムには、最大 5 年、年間$600,000 給付のプライオリティ
1 と、最大 3 年、年間$300,000 給付のプライオリティ 2 の 2 種類がある。
結論
日
本がアメリカ才能教育から学べること、
それは、子どもの能力の多様性を尊重し、
一つの理念にこだわらない柔軟な姿勢が、
教育現場を巻き込んだ効果的な取り組みを生み出しているという事実である。
今回の視察では、知的能力に限定し
大臣が政策の過ちを詫びたというニュ
という、各人の能力とニーズに合った
てごく少数(∼ 3%程度)の才能者を認
ースが流れた。全くのハプニングとは
柔軟な対応を目指すべきであろう。そ
定し、彼らに高価で質の高い教育機会
思えないものの、
「ゆとり教育は失敗」
のために我々がアメリカから学ぶこと
を提供するプログラムと、多様な基準
という教育言説の広まりと、文部科学
は少なくない。例えば、能力と才能の
で比較的多数(20%程度)の才能者を
省がそれを認めてゆとり教育からの撤
探索と認定の多様な方法や、誰もがそ
認定し、彼らに公的な資源を利用した
退を表明した、という事実の重さは痛
れに挑戦できる間口の広さがそうである。
安価な教育機会を提供するプログラム
いほど伝わってきた。
「どうせ失敗作」
才能を効果的に伸ばしていく魅力的な
という、いわば対極にある二つの実践
という取り返しのつかない自意識を持
教育内容や教授法の工夫、そしてそれ
を見た。
たされた子どもたちの将来は案ずるに
を担う十分な数の教師の育成も重要で
しかし、それらは、我々が当初想定
余りある。
「ゆとり」にしろ「ゆとりへ
ある。指導にも効果測定にも有効とさ
していたような「促進」と「拡充」の明
の反省」にしろ、一面的な学力を平均
れる才能ポートフォリオの導入も注目
確な対照関係にはなかった。前者の中
点で評価し、その結果から画一的に方
されてよい。しかし、何にもまして学
にも同一テーマをより深める活動があり、
針を決めたり変更したりするという教
ぶべきは、子どもたちの才能の多様性
後者であっても必要ならば飛び級もあ
育現場無視の柔軟性のなさこそ、子ど
を認め、平均点を上げることよりも個々
り得た。
「促進」か「拡充」かという二
もたちにとって災厄そのものである。
の才能を更に多様に伸ばしていくこと
者択一ではなく、対象となる子どもと
今回の視察で得られた最大の教訓は、
に価値を置く姿勢そのものである。今
その親のニーズに対して効果的に応え
いかに有力な理念であろうとも、実際
こそ、日本が画一的なパフォーマンス
ていくための最適な手段を両者から採
の教育現場では主人公である子どもた
の上昇ばかりを目指す「成長指向」の社
用していくという現実的で柔軟な態度が、
ちのニーズにまさるものでは決してな
会から、多様な在り方の調和を目指す「成
何より印象的であった。
いということである。能力の在り方は
熟指向」の社会へと確実に移行しつつ
日本では、
「ゆとり教育世代なので将
画一的ではない。一人ひとりの能力を
あることを、我々はしっかりと認識す
来が心配」と訴えた中学生に文部科学
的確に把握し、効果的に伸ばしていく
べきなのではないだろうか。
NO.01
2005
(岩永)
59