知恵と工夫の地域活力

**市町村アカデミー「副市町村長特別セミナー講演」**
知恵と工夫の地域活力
日本から村が消える?
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一橋大学大学院商学研究科教授 関 満博
幾つか理由があがってきました。
まず第1は、新庄村は人口1,000人に対して役
2000年ごろに約3,250を超えた市町村が、現在
場の職員が30人ぐらいいる。合併をすると役場は
では約1,700ちょっとぐらいに減少しています。
支所になっていずれ職員も5人になってしまうだ
中でも村の減少がすごくて、約600ぐらいあった
ろうと。そうすると、村のことを真剣に考えてく
と思いますが、今は180ぐらいになっています。
れる人がいなくなってしまいます。これが一番の
ある人に言わせると、「いずれ日本から村が消え
問題であるということが挙げられました。
るかもしれない」と、こんなことも言われており
また、「ああなるほど」とわかったことがあり
ます。この減少によって見えてきたことは、村が
ました。それは、4月末に時期を指定されまして、
3種類に分かれてきたことです。
ぜひこの時期に来てくださいと言われたことです。
1つは自立ということを非常に強く意識した村
ここは出雲街道の宿場町ですね。町には古い町並
です。もう1つは、周囲の自治体から合併を誘わ
みが残っています。本陣もちゃんと残っています。
れない村。そしてもう1つは合併によって飲み込
江戸期の建物群がたくさん残っているというとこ
まれてしまう村です。本日は自立に向かってがん
ろはあまりないのです。そして桜がきれいに咲い
ばっている村の実例をお話したいと思います。
ていました。ここでは桜祭りのことを平仮名で
岡山県に新庄村というところがあります。隣に
「がいせん桜」と言います。何だろうと思ったら、
は真庭郡の9町村が合併してできた真庭市があり
この桜並木は日露戦争の戦勝を記念して植えたも
ます。新庄村は単独で行くということで村のまま
のだそうです。つまり100年を超えている桜とい
残りました。
うことになります。これが見事に桜並木として
私は1990年代の初めから約20年間にわたって岡
残っていました。シーズンの土日は約3万人が訪
山県内の隅々まで歩いてきました。というのは、
れます。我々も桜の名所だということを初めて知
岡山のものづくり型の産業を支援するという仕事
りまして見に行きました。
をずっとやってきました。しかし10年歩いても、
確かに観光客が多数来ていました。そのときに、
そのころは新庄村に行くことはなかったのです。
あれっ変だなと思ったことがありました。という
それは新庄村にはものづくり系の話がなかったか
のは、この並木にずらっと屋台が出ているのです
らですね。その後、いろいろデータを見ていたら、
が何かちょっと雰囲気が違うんです。「何ですか」
新庄村という名前が村として残っていることを知
と聞きますと、この屋台は全部住民がやっている
りました。調べてみると財政状況もいいんです。
屋台だということです。プロデュースです。例え
それで実際に行ってみることになりました。そし
ば輪を使って輪投げをやっていますが、もうプロ
て2007年の春先に行きました。現地ではまず、
級です。1日3万人も来るようなところだと、プ
「何で合併しなかったんですか」と尋ねますと、
ロの露天商さんも来たくなると思うのですが彼ら
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関 満博(せき・みつひろ)
【略 歴】
1971年成城大学経済学部卒業。76年同大学院経済学研究科博士課程修了。
東京都商工指導所勤務を経て、89年東京情報大学専任講師、93年助教授、
95年からは専修大学商学部助教授。98年より一橋大学商学部教授となり、
2000年から一橋大学大学院商学研究科教授(現職)
。主な著作:
『現場主
義の知的生産法』
(ちくま新書)
、
『世界の工場/中国華南と日本企業』
(新
評論)
、
『地域産業の未来』
(有斐閣)など多数。
はメインストリートではなくてちょっと離れたと
俵だけ60キロのもち米をプレゼントしたそうです。
ころに空き地があって、そこで店を広げるらしい
1年目は60キロでした。現在はこの仕事が6ト
のです。メインストリートは全部住民がやってい
ン半です。ここまで来ると当然設備が必要になり
る屋台で編成しているということです。この方式
ますから、現場にはもちつき機などいろいろ揃っ
は25年ぐらい前から行われているということでし
ています。1人60万円出して設備を整えたそうで
た。
「なかなかプロっぽいですね」って言ったら、
す。
「実は年間10回ぐらいやっているんです」と。こ
作るのはさほど難しくないかもしれないけど問
れは手慣れたものです。ラーメン屋さん、そば屋
題は、売る方でしょうと疑問をぶつけますと、出
さん、それからお好み焼き屋さん、狭いところに
口が2つあるということでした。1つはいわゆる
屋台がずらりと並ぶという何とも不思議な光景で
ゆうパックです。宅配便で送る方法です。特別村
ありました。
民を募集しているんです。“ひめのもち”のほか
きっかけは“ひめのもち”
にいろいろな加工品を加えて定価1万円で送るそ
うです。もう1つは道の駅です。この2つの出口
事の起こりは1985年ごろに当時の村長が、やっ
が重要だったのです。私はこれまで道の駅をずい
ぱり人口が減るということで「何とかせないかん。
ぶん見てきました。しかし、新庄村の道の駅を初
このままでは村が消えてしまう」と考えまして、
めて見たときは驚きました。かなり小さい規模の
うちの村では何があるのかと考えると、“ひめの
道の駅なんです。道の駅というのは、高速道路に
もち”というもち米がある。しかも村の田んぼの
はサービスエリアにトイレがあるけど一般道はト
約半分は“ひめのもち”を作っている。だから多
イレがないので、必要だろうということで20年ほ
分、
“ひめのもち”の栽培条件がいいんだろう。
ど前にできたのが始まりです。
それにこの村にはこれしかないが、やりかたに
したがって、道の駅というのはトイレが一番重
よってはうまくいくかもしれないと村長は思った
要なのです。次に情報センター。あとはレストラ
んですね。それまでは、“ひめのもち”を米で
ンです。それとおみやげ屋です。要するにサービ
売ってたんですが、もちにしてゆうパックで送る
スエリアの一般道版的な理由でスタートしたとい
ようなことができないかと話を周りに投げたので
うことです。今はこれに農産物の直売所がつくの
すが、男性はだめですね。だれも出たがらない。
が一般的なスタイルになっています。
結局4人のおばあちゃんが、
「私たちがやるわ」っ
ところで、新庄村の道の駅に行って驚いたのは
ていうことで、1人6万円ずつお金を出し合って、
何かというと、この直売所は、物販ではほとんど
“ひめのもち”のもちをつくという作業に入って
地元の加工品だけで勝負をしている点です。実は
いったのです。そのときに村長は、「じゃあ頑
こんなところは初めて見ました。新庄村には加工
張ってね」っていうことで、ポケットマネーで1
所は3つあるんです。その加工所を訪ねてみたの
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ですが、たまたまそのときに1人のおばあちゃん
ある一面でしかないということが最近痛切に感じ
がいたので年齢を聞いたら80歳でした。「おばあ
られます。
ちゃん、何やっているの」と聞いたら、「山から
どういうことかと申しますと、産業には3つの
採ってきた蕗をここで煮て、そして直売所に出す
種類があります。私がやってきた産業というのは
のよ。孫のお小遣いぐらい稼げるのよ。これが私
経産省が把握してる産業です。経産省が把握して
の生きがいなの」という感じでして、そんな形で
いる産業というと自動車産業、電気産業、繊維産
小さな加工をだれでもができるという仕組みに
業、IT 産業、こういった領域の産業であります。
なっているのです。それを直売所、要するに道の
2番目が農水省が把握している産業です。農林水
駅に出して、収入を得ているのです。こういうこ
産、畜産などです。そして3つ目が国交省が把握
とが行われているということで、もう皆言ってま
している産業ですね。これは町づくりや観光です。
した。
「忙しくてね、病院に行く暇がないのよ」。
問題は、この3つが全く交流してないという点
働いていれば健康とよく言いますけど、まさにこ
です。どういうことかといいますと、お互いに仕
ういう意識が広まっていて、皆が何かを少しずつ
事について語り合うことがないのです。先日たま
やっていき、うれしそうに、楽しそうに生きてい
たま、これからはこの3つが一緒にやらなければ
るという姿が、あたかも桃源郷のような感じがし
いけないということで、ある県の農林部長と商工
ました。
部長と、地域振興部長、この3人の部長を初めて
ふき
合併しなかったから祭りができる!
形で話をしたんですが、こんなことは初めてだと
村長と一緒に桜を眺めていたときに村長がしみ
いうことでした。そのぐらい別世界なんです。で
じみと語った言葉がすごく印象に残っています。
すから、全く話し合いをしたことはない。という
何と言ったかというと、「いやー、合併しなくて
のが実はこの世界であります。我々は今それを掘
よかった」と言ったんです。「祭りができてるで
り起こしているところなのです。そこの周辺に新
しょう。周りの町村は祭りさえできなくなってま
しい可能性を見て、関連する人たちにどう勇気を
すよ」と言ってました。「これだけの祭りをやる
与えるかという仕事をしていく必要があるという
には、役場とかいろんなところが全部寄ってた
ふうに考えていまして、今一生懸命掘り起しを進
かってやらないとできません。どっちがいいのか
めています。
ね」と、こういうことを彼が語っていたことがす
ごく印象に残りました。しかし、下水などインフ
農家の女性が地域経済を救う
ラの問題には悩みが多いようです。でも村民がい
世の中には朝市があります。生産者が採れた物
きいきと生きているという意味では、ある意味で
を朝持ってきて交換する。当初は多分物々交換
地域の自立というものを象徴するような取り組み
だったと思います。ですから、これは人類が交換
が行われているということではないでしょうか。
経済を始めたときからある仕組みです。今でも世
住民が生きがいを感じられるような丁寧な村づく
界中で続けられています。しかし、60年前に様相
り、町づくりということを頭に入れておく重要性
が変わりました。何が起こったかというと、100
を我々は考えているんですが、その1つの典型が
円ショップが出現したのです。いわゆる無人販売
新庄村に見られると私には思えます。
所です。形が悪い物、数が揃わない物、それを置
日本に存在する「3つの産業」
一緒にテーブルにつけて、私が司会をするような
いて、それで100円で買ってくださいという、い
わゆる無人販売所というのが戦後間もなく生まれ
私は長く産業を研究してきた産業の専門家であ
ました。そして無人販売所を経験したおばさんた
ります。ことに、ものづくり系の世界では日本で
ちが80年代の中ごろから、もう少し系統的にやり
も指折りの専門家であると勝手に思っているんで
たいということで開始したのが、いわゆる農産物
すね。しかし、私がやっている産業というのは、
の直売所です。この直売所の意義っていろいろあ
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ると思いますが、大きく分けて私は2つあると考
グであれば、その日とれた野菜でメニューを変え
えています。1つ目は、この直売所によって初め
ることができます。
て農家の女性たちが銀行口座を持ったということ
しかし、おもしろいのは、カレーライスは必ず
です。これまで彼女たちが銀行口座を持てるのは、
あるんです。それにも理由があります。大人はバ
世帯主の夫が死んだときだけだったのです。とこ
イキングで田舎料理が食べたいからいいのですが、
ろが、この事業は女性が中心となって行っている
子どもは嫌いですね。家族連れを引き込むために
事業ですから、日本の農業史上初めて農家の女性
はカレーライスがないとだめなんですよ。でもカ
が銀行口座を持ち、自分の働きが返ってくるとい
レーライスの中の材料はその日の野菜でいいわけ
う画期的なできごとでした。彼女たちにすればや
です。そんなわけで年配者も家族連れにも喜ばれ
る気が出ますね。だから元気が出ます。これが1
るという仕組みになっているということです。そ
つの意義です。2つ目はレジに立つことです。最
して、価格の設定が大体、大人は1,000円~1,200
初のころは「私は嫌よ」とか言う人がいるんです
円で子供は500円。こういう設定で人気を呼んで
が、5回立つと楽しくなるようです。
いるというのが、西日本路線です。
また、直売所をやりますと売れ残りが出ます。
一方、北海道はまた違うんですね。北海道はど
この売れ残りをどうするかというと、そこが2つ
ちらかというと生活様式は洋風ですので、洋食の
の方向に分かれますね。1つは漬物にしましょう、
創作料理が多い。つまり置かれている地域条件に
惣菜にしましょう、加工しましょうというような
よって向かう方向が違うということが確認できる
ことですね。もう1つは、それを食べさせましょ
ということになります。
うというレストランが生まれてきたんですね。農
村レストランとか、農家レストランといいますが、
若い自治体職員にかかる期待
そういうものが生まれてきます。この農村レスト
私はこの仕事をしていてしみじみ感じることが
ラン、農家レストラン、言い方はまだ固定してま
幾つかあります。それはかつては地域をまとめる
せんので、いろいろな言われ方をしていますが、
役割を担っていたのが、郵便局長とか校長先生と
大きく形態は3つぐらいに分かれます。
か駅長さんなどでした。しかし、残念ながら彼ら
1つはIターンなんかで、個人がこだわりの食
はもう地域のリーダーとはなりえていません。
を提供するというのがあります。レベルが非常に
じゃあ、今から先のリーダーはだれだというと、
高い。山の中にいて忽然と出てきて、非常にレベ
町役場の職員なんです。特に若い人なんですね。
ルの高い自慢の野菜を使った食事を提供するレス
もう、元気な自治体ではそういう人が前面に出て
トランが今は各地にあります。2番目は、集落と
活躍しています。プラス地元の中小企業の若い経
か地区の人々が共同で、地域の活性化を願って地
営者です。彼らが今、地域のリーダーとなりつつ
元の野菜を使っていい食を提供するというレスト
あります。そういう人たちがうまく志を高めて地
ランがあります。3番目は道の駅とか、あるいは
域の資源を見直して、一歩を踏み出した事業をし
温泉施設に入ります。こういった温泉施設をつ
ていくと、いろいろな可能性が出てくると思いま
くったので、そこにレストランをつくりたい。そ
す。
れでどうしようかなというと、1つは業者に任せ
本日は区、市、町、村の首長さんたち、地域に
るというスタイル、もう1つはおばさんたちに任
責任を持ってる方たちのお集まりだと聞いており
せるという形があるわけです。私は、地元の人に
ます。まず若い人たちにどう志を高めて意識をつ
任せる方式に注目しています。
けていくかということが大きな課題だと思います。
この農村レストラン、農家レストランが一番多
ぜひ、そういう新しい可能性が見えてくる時代と
いのが栃木県で70店ほどあります。そしてこれの
いうことで、一歩踏み込んだ取り組みを皆さんの
80%がそば屋です。西日本ではバイキングなんで
指導力の中で、進めていって欲しいと思っている
す。これは少し意外な感じがしますが、バイキン
ところであります。
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