第 6 章 中国とアフリカ諸国との教育分野での協力と

第6章
中国とアフリカ諸国との教育分野での協力と交流
本章では中国が進める人材養成分野の国際協力の具体的実例として、アフリカでの事例
を取り上げる。近年、中国はアフリカに急接近し、経済協力を大々的に実施している。た
だ、文献資料には制限があり、特に人材養成分野で公開された資料は極めて少ない。不十
分 で あ る が 、『 中 国 と ア フ リ カ の 教 育 協 力 と 交 流 』( 北 京 大 学 出 版 社 、 原 文 中 国 語 ) を は じ
めとする数少ない関係資料と現地北京でのヒアリングを基に以下紹介する。
1.教 育 分 野の発展の歴史
1.1
1950 年代から 1980 年代
独立した当時の中国、並びにアフリカ諸国とも経済的に貧しく、科学技術の基礎も脆弱
であった。その意味で教育交流は人材育成が焦眉の急であった。また、新生独立国家であ
る中国とアフリカ諸国は、主権の独立、自主的な外交をベースに政治、経済、文化分野の
交 流 を 推 進 し た 。 新 中 国 が 成 立 し て か ら 1950 年 代 は 、 エ ジ プ ト 、 カ メ ル ー ン 、 ケ ニ ア 、
ウ ガ ン ダ 、 マ ラ ウ イ 等 か ら 24 名 の 留 学 生 が 中 国 に き た 。 中 国 も 少 数 の 人 文 科 学 分 野 の 留
学生と研修生をエジプト、モロッコ等に派遣した。
1960 年 代 に な る と 、ア フ リ カ 諸 国 が 多 数 独 立 し 、中 国 政 府 は 毛 沢 東 、周 恩 来 の 指 導 の 下 、
民 族 解 放 運 動 の リ ー ダ ー を 大 事 に し た 。 1960 年 代 に は 、 ア フ リ カ の 14 カ 国 、 164 名 の 留
学生を受け入れた。また、主として理数分野と語学の教師をアフリカ諸国に派遣した。一
方で大学、高等中学の学科創設に協力した。
1970 年 代 で は 、 ア フ リ カ 諸 国 の 支 援 の 下 、 1971 年 に 中 国 は 国 連 に 復 帰 し た 。 こ の 時 期
に中国とアフリカ諸国の教育協力と交流の基礎が固まった。
改 革 ・開 放 以 降 、1980 年 代 末 ま で に 43 カ 国 、累 計 で 2,245 名 の ア フ リ カ 諸 国 の 留 学 生
を 受 け 入 れ た 。中 国 も 250 名 余 り の 教 師 と 留 学 生 を ア フ リ カ に 派 遣 し た 。人 的 交 流 の み な
らず、教育資材、学校建設などの物的協力も急増した。
1.2
1990 年代
中国とアフリカ諸国の外交関係が飛躍的に発展し、江沢民、朱鎔基、胡錦濤がアフリカ
を 訪 問 し 、ア フ リ カ の 指 導 者 も 多 数 中 国 を 訪 問 し た 。1996 年 江 沢 民 主 席 が ア フ リ カ 訪 問 に
際 し て 、21 世 紀 に 向 け た 中 国・ア フ リ カ 関 係 の「 長 期 安 定・全 面 協 力 」を 構 築 す る 5 つ の
柱 を 提 議 し た 。そ れ は 、
「 誠 実 友 好・平 等 接 遇・団 結 協 力・共 同 発 展・未 来 志 向 」と い う も
のである。国家指導者のみならず、中国政府の国家教育委員会の主任・副主任級の最高幹
部 、 教 育 部 部 長 ( 大 臣 ) 等 が 相 次 い で 20 カ 国 近 い ア フ リ カ 諸 国 を 訪 問 し た 。 ア フ リ カ か
ら の 留 学 生 は 43 カ 国 5,669 名 、中 国 か ら の 交 換 奨 学 生 は ア フ リ カ 10 カ 国 100 名 に 上 っ た 。
さ ら に ア フ リ カ 支 援 教 師 は 、 30 カ 国 余 り 238 名 に な っ た 。
アフリカからの留学生も高学歴に応じて大学本科生は相対的に減少し、博士、修士の研
34
究 生 の 人 数 が 増 加 し た 。 ま た 、 2003 年 ま で に ア フ リ カ 21 カ 国 に 43 回 高 等 教 育 プ ロ ジ ェ
ク ト を 実 施 し 、生 物 、微 生 物 、コ ン ピ ュ ー タ ー 、物 理 、分 析 化 学 、食 品 加 工 、材 料 、園 芸 、
土 木 、 測 量 、 中 国 語 分 野 の 学 科 を 開 設 し 、 21 の 関 連 す る 実 験 室 を 贈 呈 し た 。
1.3
2000 年第 1 回中国・アフ リカ協力フォーラム以降
2000 年 10 月 、
「 中 国・ア フ リ カ 協 力 フ ォ ー ラ ム - 北 京 2000 年 大 臣 級 会 議 」が 北 京 で 盛
大 に 開 催 さ れ た 。 こ れ は 21 世 紀 に 向 け 、 中 国 と ア フ リ カ 諸 国 の 友 好 協 力 が 新 た な 段 階 に
進 展 し た こ と を 意 味 す る 。2003 年 12 月 に 第 2 回 中 国・ア フ リ カ 協 力 フ ォ ー ラ ム が 開 催 さ
れ、中国とアフリカ諸国の関係強化における全方位の戦略的意義と具体的方策が明確にな
っ た 。 こ の フ ォ ー ラ ム で は 「 ア ジ ス ア ベ バ 行 動 計 画 ( 2004 年 - 2006 年 )」 が 採 択 さ れ た 。
中国はここで「アフリカ人力資源開発基金」の設立を提議し、中国とアフリカ諸国の人的
資源開発を本格的に実行する決意を表明した。これを受けて、中国教育部は「走出去・請
進 来 」( 対 外 進 出 ・ 国 内 招 聘 )」 の 方 式 を 軸 に 、 専 門 研 修 グ ル ー プ 、 優 秀 な 教 師 、 高 級 教 育
人材のアフリカへの派遣を拡大し、協力プロジェクトの発展を促進することになった。
2005 年 、ア フ リ カ 研 修 生 の 人 数 は 3,868 名 で 貿 易 、投 資 、経 済 管 理 、イ ン タ ー ネ ッ ト 通
信 、農 業 ハ イ テ ク と い っ た 分 野 も 加 え ら れ 、政 府 の 官 員 、技 術 者 も 増 加 し た 。2006 年 で は
教 育 部 と 商 務 部 は 共 同 で 9 つ の 人 材 養 成 プ ロ ジ ェ ク ト と 17 の 短 期 研 修 班 、3 つ の 研 究 班 を
実施した。
2006 年 11 月 の 第 3 回 中 国 ・ ア フ リ カ 協 力 フ ォ ー ラ ム の 首 脳 会 議 で は 、「 北 京 サ ミ ッ ト
宣 言 」と「 北 京 行 動 計 画( 2007 年 - 2009 年 )」が 採 択 さ れ た 。首 脳 会 議 に は 中 国 と 国 交 を
持 つ ア フ リ カ 48 カ 国 の 国 家 元 首 ら が 参 加 し 、 中 国 と ア フ リ カ が こ れ ま で 以 上 に 緊 密 な 関
係を展開していくことが強調された。この会議では、特に中国は、農業分野のインフラ建
設や農業機械、農産物加工の分野に力を入れるとともに、農業に関する実用技術と人的資
源 開 発 の 分 野 で 協 力 を 進 め る こ と が 注 目 さ れ た 。な お 、中 国 が 示 し た ア フ リ カ 支 援 の 8 プ
ロジェクトは、次のとおり:
① 対 ア フ リ カ 援 助 を 2009 年 の 援 助 規 模 を 2006 年 比 で 2 倍
② 今 後 3 年 間 に 30 億 ド ル の 優 遇 借 款 と 20 億 ド ル の 優 遇 バ イ ヤ ー ズ ク レ ジ ッ ト を 供 与
③ 50 億 ド ル 規 模 の 「 中 国 ・ ア フ リ カ 発 展 基 金 」 設 立
④ ア フ リ カ 連 合 ( AU) 会 議 セ ン タ ー 建 設 を 支 援
⑤ 重 債 務 国 ・ 最 貧 国 に 対 し て 2005 年 に 返 済 期 限 を 迎 え た 政 府 無 利 子 借 款 の 債 務 を 免 除
⑥ 最 貧 国 の 対 中 輸 出 商 品 に 対 す る ゼ ロ 関 税 品 目 を 190 か ら 440 余 り へ 拡 大
⑦ 今 後 3 年 間 に ア フ リ カ に 315 カ 所 の 海 外 経 済 貿 易 協 力 区 を 設 立
⑧ 今後 3 年間に 15,000 名の各種分野の人材養成をはじめ、農業・医療・教育分野を援助
35
2.中 国 ・ アフリカの教育協力における主要な成果
2.1
高 等 教育指導部の相互訪問
(1) 中 国 ・ ア フ リ カ の 国 家 指 導 者 に よ る 教 育 協 力 と 交 流 へ の 支 援
2000 年 第 1 回 中 国 ・ ア フ リ カ 協 力 フ ォ ー ラ ム に お い て 中 国 と ア フ リ カ 諸 国 は 、 科 学 技
術と文化の後進性、並びに人材の欠如が多くのアフリカ諸国の発展を阻害している重大な
要 因 と 指 摘 し た 。 古 く は 、 1963 年 12 月 か ら 1964 年 2 月 に か け て 、 周 恩 来 総 理 は ア フ リ
カ 10 カ 国 を 訪 問 し 、 国 家 間 の 友 好 増 進 、 特 に 教 育 の 協 力 を 強 調 し た 。 そ の 精 神 は 、 1990
年代以降も多くの国家指導者がアフリカを訪問するたびに強調し、引き継がれた。
また、一部のアフリカ諸国の指導者も訪中し、中国の有名な大学などで重要な講演を行
っ た 。 1999 年 4 月 、 エ ジ プ ト の ム バ ラ ク 大 統 領 は 北 京 大 学 で 講 演 し 、 名 誉 博 士 号 を 授 与
さ れ た 。 カ メ ル ー ン 大 統 領 も 北 京 大 学 の 名 誉 博 士 号 を 授 与 さ れ た 。 1999 年 5 月 に は 、 南
アフリカのマンデラ大統領が北京大学で講演した。同じく南アフリカのムバイ大統領も
2001 年 12 月 に 清 華 大 学 で 講 演 し た 。
(2) 教 育 部 門 の 代 表 団 交 流 の 活 発 化
教 育 分 野 の 代 表 団 の 相 互 訪 問 は 1950 年 代 に 始 ま り 、 1964 年 と 1966 年 に は 教 育 部 部 長
(大臣)並びに副部長(副大臣)が、エジプト、アルジェリア、ギニア、タンザニア、中
央アフリカを正式訪問し、エジプト、モロッコ、マリ、ギニア、タンザニア、中央アフリ
カ か ら も 正 式 代 表 団 が 中 国 を 訪 問 し た 。1971 年 の 中 国 の 国 連 復 帰 後 は 、ス ー ダ ン 、ソ マ リ
ア、タンザニア、アルジェリア、ベナン、ザイール、ウガンダ、ザンビア、エチオピア、
コンゴ、ギニアの国々が、前後して中国に教育代表団を派遣した。
改 革・開 放 以 降 は 1978 年 か ら 1989 年 に か け て 、国 家 教 育 委 員 会 主 任・李 鉄 映 の ミ ッ シ
ョ ン を は じ め 、20 数 カ 国 の ア フ リ カ 諸 国 に 40 も の 代 表 団 を 派 遣 し た 。ア フ リ カ か ら も 20
カ 国 27 の 教 育 代 表 団 が 訪 中 し た 。1990 年 代 に も 教 育 委 員 会 の 高 級 ミ ッ シ ョ ン が 50 余 り 、
20 カ 国 を 訪 問 し た 。 ア フ リ カ か ら は 40 代 表 団 で 、 そ の う ち 16 が 大 臣 級 で あ っ た 。
1950 年 代 か ら 1990 年 代 に か け て 、中 国 が 派 遣 し た 教 育 代 表 団 は 100 以 上 、ア フ リ カ か
ら は 90 以 上 の ミ ッ シ ョ ン が 中 国 を 訪 問 し た 。
36
図 表 6-1
中 国・ ア フ リ カ教 育 代 表 団相 互 訪 問 (1950~90 年代 )
50
派遣
受入
40
40
27
11
3
3
50年代
5
5
60年代
4
70年代
80年代
90年代
( 出 所 )『 中 国 と ア フ リ カ の 教 育 協 力 と 交 流 』 北 京 大 学 出 版 社 、 p.11.
(3) 教 育 分 野 の 二 国 間 、 並 び に 多 国 間 の 相 互 協 議 シ ス テ ム
二 国 間 で は 、 1996 年 以 来 毎 年 、 北 京 と カ イ ロ で 「 21 世 紀 に 向 か う 中 国 ・ エ ジ プ ト 高 級
教育シンポジウム」を開催している。双方のトップは、中国側は教育委員会副主任、教育
部 長 ( 大 臣 )、 エ ジ プ ト 側 は 教 育 部 長 ( 大 臣 ) で あ る 。
多 国 間 の 会 議 で は 、前 述 の 中 国・ア フ リ カ 協 力 フ ォ ー ラ ム の 大 臣 級 会 議 が 3 年 に 一 度 開
催されており、画期的なことである。
2.2
留 学 生の相互訪問
(1) ア フ リ カ 留 学 生 の 受 け 入 れ の 歴 史 と 現 状
中 国 は 1950 年 代 に ア フ リ カ か ら 24 名 の 留 学 生 と 研 修 生 を 受 け 入 れ た 。 1960 年 9 月 か
らは、中国アフリカ団結委員会、中国アフリカ友好協会、全国総工会(労働組合)が受け
入 れ 機 関 と な っ て 、カ メ ル ー ン 人 民 連 盟 、ザ ン ジ バ ル 民 族 主 義 党( タ ン ザ ニ ア )、ソ マ リ ア
民族連盟、ガーナ労働組合が留学生を派遣してきた。具体的には、中国人民対外友好協会
を 中 心 と す る 各 種 団 体 が 、 ソ マ リ ア 民 族 連 盟 に 60 名 分 、 カ メ ル ー ン 人 民 連 盟 に 100 名 分
の 留 学 奨 励 金 を 提 供 し た 。1966 年 ま で に 14 カ 国 か ら 164 名 、1978 年 ま で に は 25 カ 国 か
ら 648 名 の 留 学 生 を 受 け 入 れ た 。 た だ し 、 文 化 大 革 命 の 期 間 は 中 断 し た 。
1980 年 代 は 43 カ 国 か ら 2,245 名 、1990 年 代 に は 50 余 り の 国 か ら 5,569 名 を 受 け 入 れ
た 。2001 年 の 中 国 政 府 に よ る ア フ リ カ か ら の 対 外 留 学 生 奨 学 生 は 1,224 名 で 、ア フ リ カ か
ら の 奨 学 生 は 、 中 国 全 体 の 24.73%を 占 め た 。 2002 年 末 ま で の ア フ リ カ 諸 国 か ら の 留 学 生
受 け 入 れ 延 べ 人 数 は 、15,333 名 、そ の う ち 奨 学 金 を 受 領 し て い る の は 、12,384 名 で あ る 。
こ れ ま で 中 国 は 6,000 名 以 上 の ア フ リ カ か ら の 留 学 生 を 受 け 入 れ て き た (
。 図 表 6- 2 参 照 )
37
2002 年 に 中 国 政 府 の 奨 学 金 を 受 け て 留 学 生 を 派 遣 し た 国 は 50 カ 国 で あ る 。ま た 、自 費
の 留 学 生 も 1989 年 に 2 名 受 け 入 れ 、そ の 後 急 速 に 増 加 し た 。1990 年 か ら の 10 年 間 で は 、
ア フ リ カ 42 カ 国 、 1,580 名 が 自 費 留 学 生 で 、 2002 年 だ け で 390 名 に 上 っ た 。
80 年 代 末 か ら は 、 高 等 教 育 ( 博 士 課 程 や 修 士 課 程 ) に も 力 を い れ て き た 。 2002 年 の 例
で は 、ア フ リ カ の 留 学 生 1,646 名 中 、本 科 生 は 525 名 、修 士 研 究 生 は 539 名 、博 士 研 究 生
は 223 名 、 専 門 家 2 名 、 そ の 他 短 大 な ど は 357 名 で あ る 。
留学生問題の主要な課題は経費投入である。また、その経費を管理することも課題であ
る。中国政府はアフリカの教育の実情を調査し、アフリカ諸国に中国の教育改革の発展を
アピールしている。
(2) ア フ リ カ 留 学 生 の 学 習 と 生 活
ア フ リ カ か ら 来 る 留 学 生 は 、 中 国 24 省 ・ 直 轄 市 の 100 余 り の 大 学 に 学 ん で い る 。 主 な
学習の分野は、農学、動植物学、応用化学、生物化学、コンピューター、食品エンジニア
リ ン グ 、 建 築 学 、 IT、 水 利 工 程 、 鉱 業 、 地 質 学 、 工 程 測 量 、 機 械 製 造 、 医 学 、 国 際 政 治 、
経済学、中国語などである。
中国政府は留学生が中国の伝統的な文化や生活習慣を学べるよう努力している。また、
中国国内の観光、雑技、京劇鑑賞なども行っている。また、アフリカの文化紹介などの活
動も活発に行っている。
図 表 6-2
中 国政 府 に よ るア フ リ カ 留学 生 の 受 け入 れ (1950~90 年 代)
(単 位 :人 )
5,569
2,245
648
24
50年代
164
60年代
70年代
80年代
90年代
( 出 所 )『 中 国 と ア フ リ カ の 教 育 協 力 と 交 流 』 北 京 大 学 出 版 社 、 p.15.
38
(3) 帰 国 後 の ア フ リ カ 留 学 生
これまで多くのアフリカ留学生が帰国した。完全な統計ではないが、これまで帰国留学
生のうち、8 人が本国の大臣級の職務に就き、3 人が中国との友好を促進する協会の秘書
長、さらに多くの留学生が外交官になっている。中国とアフリカの架け橋の役割を担って
いる。
著 名 な と こ ろ で は 、 エ チ オ ピ ア 連 邦 会 議 院 の 議 長 、 Mulatu Teshome 氏 。 彼 は 中 国 に 3
回 留 学 し 、北 京 大 学 で 博 士 号 を 取 得 し た 。次 に 赤 道 ギ ニ ア に 民 主 党 国 際 部 主 任 、Mauricio
Mauro Eku Obama 氏 は 、 1994~ 99 年 ま で 復 旦 大 学 で 国 際 関 係 修 士 号 を 取 得 し た 。 ザ ン
ビ ア の Charles D Phiri 氏 は 1972~ 74 年 ま で 北 京 交 通 大 学 で 工 学 を 学 び 、 中 国 支 援 の タ
ン ザ ニ ア・ザ ン ビ ア 鉄 道 の 責 任 者 に な っ た 。現 在 270 名 以 上 の 留 学 生 が 、タ ン ザ ニ ア・ザ
ン ビ ア 鉄 道 の 指 導 的 地 位 で 従 事 し て い る 。 ケ ニ ア で は 2003 年 4 月 に 帰 国 し た 留 学 生 が 集
まって「ケニア中国同学会」が結成された。
(4) 中 国 の ア フ リ カ 派 遣 留 学 生
1950 年 代 、中 国 で は ア フ リ カ の 言 葉 や 文 化 に 精 通 し た 人 材 は 少 な か っ た 。そ こ で 、1955
年に初めて 7 名の留学生をカイロに派遣し、アラビアの言語、文化、歴史を学習させた。
1978 年 の 改 革 ・ 開 放 以 降 は 、 ア フ リ カ に 派 遣 す る 国 費 留 学 生 が 増 加 し た 。 2002 年 ま で に
エジプト、ケニア、モロッコ、南アフリカ、ナイジェリア、セネガル、タンザニア、チュ
ニ ジ ア に 270 名 の 留 学 生 を 派 遣 し た 。近 年 で は 自 費 で ア フ リ カ 留 学 を め ざ す 留 学 生 も 増 加
している。
39
2.3
ア フ リカ支援教師の派遣
(1) ア フ リ カ 支 援 教 師 派 遣 の 歴 史 と 現 状
ア フ リ カ の 高 等 教 育 と 基 礎 教 育 を 支 援 す る た め 、1954 年 に 中 国 は カ イ ロ 大 学 に 初 め て 教
師を派遣した。以降、アフリカへ派遣する教師の数は年々増加してきた。教える範囲は、
中国語、数学、物理、化学、生物などである。改革開放以前は、中国政府が支援、斡旋し
て い た が 、80 年 代 に 入 る と 、中 国 の 各 高 等 教 育 機 関・学 校 が 独 自 に ア フ リ カ の 高 等 教 育 機
関と直接連絡をとり、派遣をする人数も増加した。
図 表 6-3
ア フリ カ 支 援 教師 派 遣 の 推移
(人)
250
238
200
150
115
123
100
50
0
3
50年代
14
60年代
70年代
80年代
90年代
( 出 所 )『 中 国 と ア フ リ カ の 教 育 協 力 と 交 流 』 北 京 大 学 出 版 社 、 p.23.
2003 年 ま で に 35 カ 国 へ 523 名 の 教 師 が 派 遣 さ れ 、そ の う ち 160 名 は 1990 年 代 以 来 の
派遣教師で、コンピューター、バイオ、物理、化学、生物、食品加工、測量、土木、中国
語 な ど 分 野 で 関 連 す る 実 験 室 を 20 余 り 建 設 し た 。( 図 表 6- 4
40
国別受け入れ)
図 表 6-4
中 国ア フ リ カ 支援 教 師 の 派遣 数 (1995~2002 年)
国
家
期
アルジェリア
エジプト
エチオピア
ベニン
間
人数
1972~ 92
18
1954~ 2002
57
2001~ 02
37
1996~ 2002
3
ボツアナ
1992~ 96
16
ブルンジ
1994~ 98
7
トーゴ
1976
1
コンゴ
1970~ 97
90
ギニア
1965~ 71
5
ガーナ
1997~ 2002
6
ガボン
1986~ 97
15
ジンバブエ
1995~ 98
6
カメルーン
1991~ 2002
17
コートジボワール
1996~ 2001
8
ケニア
1995~ 2002
6
レソト
2000~ 01
2
リビア
1984
1
マダガスカル
1985
2
マリ
1965~ 2001
113
モーリシャス
1979~ 95
モーリタニア
1987~ 2002
15
ナミビア
1996~ 2001
9
1996~ 97
3
1993
2
セーシェル
1991~ 2001
7
スーダン
1982~ 2001
7
ソマリア
1971
1
ナイジェリア
セネガル
7
タンザニア
1976~ 2001
11
チュニジア
1977~ 2002
27
ザンビア
1988~ 2000
20
コンゴ民主共和国
1996
4
チャド
1996
2
中央アフリカ
1990
5
( 出 所 )『 中 国 と ア フ リ カ の 教 育 協 力 と 交 流 』 北 京 大 学 出 版 社 、 p.24
41
(2) ア フ リ カ 支 援 教 師 派 遣 の 意 義
アフリカに派遣された中国の教師の評価は高く、献身的な態度と精神に感銘を与えてき
た 。例 え ば 、カ メ ル ー ン で は 人 材 育 成 の 研 修 を 実 施 し 、10 余 り の 科 学 研 究 プ ロ ジ ェ ク ト を
完 成 さ せ た 。2002 年 に は カ メ ル ー ン 高 等 教 育 部 長( 大 臣 )Jean Arie 氏 は 訪 中 の 際 に 、
「カ
メルーン大統領騎士勲章」を 4 名の教師に授与した。
また、派遣教師自身も自分の専門的な技術と知識を教えるだけでなく、現地アフリカの
言語、文化などを学び、中国とアフリカの友好協力に貢献した。派遣教師の帰国後もなお
続くアフリカ人民に対する暖かい感情が、中国人民のアフリカに対する感情を良くしてい
った。
2.4
高 等 教育と科学研究協力プロジェクト
(1) 高 等 教 育 と 科 学 研 究 協 力 プ ロ ジ ェ ク ト 実 施 の 背 景
中 国 と ア フ リ カ 諸 国 の 教 育 上 の 協 力 は 、 1980 年 代 に 入 る と 新 し い 形 式 に 変 わ っ て き た 。
それはより一層高度な教育と科学技術に重点を置く方向になってきた。その背景はいくつ
か挙げられる。
①アフリカ諸国も独立以来、数十年が経ち、高等教育の重視と大学レベルの本科生は本
国で研修するというニーズに変わってきたことである。しかし、アフリカの現場では
まだまだ教学体制、設備、図書館などが充実しておらず、高等教育の制度的要望は高
い。
②アフリカ諸国が実施する人材育成計画もかなり広範、専門的になってきたので、中国
側もそのニーズに合致するよう変えていかなければならなくなった。中国に招聘する
方法からアフリカ諸国の現地で研修を実施するほうが効果的だからである。
③ 1990 年 代 以 来 、世 界 は グ ロ ー バ ル 化 が 進 み 、発 展 途 上 国 も 今 ま で 経 験 し た こ と が な い
問題に直面するようになった。そのためには、発展途上国と西側先進国との格差が大
きくならないように、教育の深化が求められてきた。
(2) 高 等 教 育 と 科 学 研 究 協 力 プ ロ ジ ェ ク ト の 主 な 内 容
中 国 で は 1995 年 か ら 高 等 教 育 と 科 学 研 究 協 力 プ ロ ジ ェ ク ト を 実 施 す る た め 、毎 年 1,000
万 元 の 予 算 を 計 上 し て い る 。そ の う ち 60~ 70%は 人 件 費 で あ り 、30~ 40%が 教 学 設 備 で あ
る。
①アフリカ支援教師派遣
数学、物理、化学の基礎科目のみならず、エンジニアリング、土木、道路、建築など
の 技 術 学 科 、農 業 、機 械 、食 品 開 発 、コ ン ピ ュ ー タ ー な ど の 応 用 学 科 を 展 開 し て い る 。
②教学の機器設備の贈呈
これはアフリカ諸国の要望が強く、高等教育支援として設備、機器の提供と実験室の
建設を急いでいる。
42
③人材研修と人力資源開発
アフリカ諸国の若い教師、科学研究に従事する研究者、技術者に人材研修と人力資源
開発ができる人材の養成を実施している。目下、中国の高等学校では、英語、フラン
ス語で直接授業ができるクラスを設け、アフリカからの研修生を受け入れている。
④科学研究の協力
中国とアフリカ諸国は共同でいくつかの科学研究の協力のプロジェクトを立ち上げ、
そ の 過 程 で 人 材 養 成 、プ ロ ジ ェ ク ト の 完 成 を 目 指 し て い る 。2003 年 ま で に は ア フ リ カ
21 カ 国 で 43 の 高 等 教 育 と 科 学 研 究 協 力 プ ロ ジ ェ ク ト を 実 施 し た 。 具 体 的 な 国 名 は 、
カメルーン、マリ、コンゴ、チャド、コートジボワール、ブルンジ、セネガル、エジ
プト、スーダン、タンザニア、ザンビア、ガーナ、ジンバブエ、ケニア、ナミビア、
モ ー リ シ ャ ス 、 ニ ジ ェ ー ル な ど で あ る 。 ま た 、 21 カ 所 に 先 進 的 な 実 験 室 を 建 設 し た 。
エジプト、チュニジア、カメルーン、ケニア、モーリシャスでは高等学校で中国語と
中国文化課程の学科を新設した。
(3) 高 等 教 育 と 科 学 研 究 協 力 プ ロ ジ ェ ク ト の 主 な 成 果
図 表 6-5
対象国
カメルーン
タンザニア
マリ
セネガル
中 国ア フ リ カ 高等 教 育 ・ 科学 研 究 協 力一 覧
プ ロ ジェ ク ト
中国の協力学校
ヤウンデ第一大学微生物実験室
浙江大学
ヤウンデ第二大学中国語研修センター
浙江師範大学
ダニエルサラーム技術学院材料実験室
ダニエルサラーム技術学院コンピューター実験室
長安大学
マリ高等師範学院生物実験室
華東師範大学
マリ大学生物・数学教学プロジェクト
蘭州大学
セネガル大学理学院コンピューター応用実験室
セネガル大学人文学院言語実験室
華東師範大学
ブルンジ
ブルンジ大学農学院食品加工専業
江南大学
スーダン
チチラ大学紡織化学実験室
華東大学
ハルツーム大学文学院言語実験室
南京大学
アイン・シャムス大学翻訳協力プロジェクト
北京語言大学
カイロ大学協力研究プロジェクト
北京大学
エジプト
ジンバブエ
ケニア
ハラレ技術学院測量実験室
ハラレ技術学院コンピューター実験室
エカートン大学生物技術実験室
エカートン大学園芸技術協力センター
武漢大学
南京農業大学
ザンビア
ザンビア大学工程学院土木実験室
東南大学
モーリシャス
カンチ大学言語実験室
華南師範大学
43
対象国
プ ロ ジェ ク ト
中国の協力学校
コンゴ人民共和国
キンシャサ大学コンピューター実験室
浙江大学
コートジボワール
ポワニ大学食品加工・鮮度保持研究センター
中国農業大学
ナミビア
チャド
ガーナ
ナミビア大学物理実験室
東南大学
ナミビア大学化学実験室
エンカメナ大学生物実験室
武漢大学
ガーナ科学技術大学コンピューター実験室
河海大学
ガーナ大学コンピューター実験室
天津科学技術大学
天津師範大学
ナイジェリア
ヤパ理工学院コンピューター実験室
北京交通大学
レソト
レソト国立大学コンピューター実験室
南京大学
ウガンダ
ウガンダ大学コンピューター実験室
中国教育部贈与
( 出 所 )『 中 国 と ア フ リ カ の 教 育 協 力 と 交 流 』 北 京 大 学 出 版 社 、 p.29
以下にいくつかの具体的プロジェクトの内容を紹介する。
①カメルーン・ヤウンデ第一大学微生物実験室
1989 年 10 月 中 国 政 府 が 批 准 、 1990 年 5 月 に 両 国 の 交 換 文 書 、 1991 年 10 月 中 国 政
府の投資実施。4 期にわたる協力プロジェクトを完成したあと、中国側教師は 2000 年 9 月
に帰国。中国では浙江農業大学が担当。アルコール抽出、メチルアルコール発酵、醸造
な ど の 技 術 で 成 果 を 挙 げ た 。 こ の 間 、 カ メ ル ー ン 側 で は 33 名 の 修 士 、 12 名 の 博 士 が 誕
生 し 、 40 人 余 り の 研 究 生 を 動 員 し て 10 項 目 以 上 の 科 学 研 究 プ ロ ジ ェ ク ト を 展 開 し た 。
最近は薬用植物の開発を行っている。
②タンザニア・ダニエルサラーム技術学院材料実験室
1989 年 10 月 中 国 政 府 が 批 准 、 1990 年 5 月 に 両 国 の 交 換 文 書 、 1991 年 10 月 中 国 政
府 の 投 資 実 施 。長 安 大 学 が 担 当 し 、4 名 の 教 員 が 派 遣 さ れ る 。1993 年 実 験 室 完 成 。中 国
側教員は「実験指導書」を編纂し、「建築材料実験室研修班」を設立。中国側教師は 8 つ
の 教 学 課 程 を 担 当 し 、 共 同 で 「 道 路 材 料 実 験 研 修 班 」 を 立 ち 上 げ た 。 1996 年 3 月 に 任
務を終了して中国側は実験室をタンザニア側に移籍した。
③ケニア・アイカトン大学生物技術実験室、園芸生産技術協力センター
1994 年 3 月 中 国 政 府 が 批 准 、同 年 7 月 に 両 国 の 交 換 文 書 、1995 年 6 月 中 国 政 府 の 投
資 実 施 。 南 京 農 業 大 学 が 2 名 の 教 師 を 派 遣 。 1997 年 5 月 に 中 国 教 育 部 副 部 長 が 訪 問 の
際 に 、 第 2 期 協 力 協 議 に 署 名 。 1999 年 に は 第 3 期 協 議 を 締 結 。 中 国 側 教 師 は 「 ト マ ト
栽培学」「直物栽培学」「植物組織培養」「温室建造と管理」といった科目を提供し、300 名
以 上 の 本 科 生 、12 名 の 修 士 を 養 成 し た 。ま た 、園 芸 生 産 技 術 協 力 セ ン タ ー は 約 1 ヘ ク タ
ー ル の 敷 地 を 持 ち 、 50 ㎥ の 池 、 4,000 ㎡ の プ ラ ス チ ッ ク 温 室 、 さ ら に 育 苗 園 、 灌 漑 区 、
44
中 型 ト ラ ク タ ー 、 ポ ン プ な ど を 持 っ て い る 。 1998 年 か ら は 毎 年 8 月 に 技 術 研 修 班 を 組
織して、隣国のウガンダ、タンザニアの農業技術員を研修している。このセンターでは
「 教 学 - 科 学 研 究 - モ デ ル 化 - 普 及 」の モ デ ル と な っ て い る 。1998 年 に は ケ ニ ア 大 統 領
も訪問し、中国側に対する感謝と賞賛を示した。
④コートジボワール・ポワニ大学食品加工・鮮度保持研究センター
1993 年 3 月 中 国 政 府 が 批 准 、1994 年 10 月 に 両 国 の 交 換 文 書 。こ の セ ン タ ー は 教 学 、
科 学 研 究 、学 生 実 習 、商 品 開 発 、生 産 の 総 合 的 な 機 能 を 集 め 、21 世 紀 に 向 か う 中 国 と ア
フリカの協力プロジェクトの模範的な取り組みと見なされている。中国の教師は「乳品
加工学」
「野菜加工学」
「 食 品 分 析 実 験 」な ど の 教 材 を 編 纂 し 、10 余 り の 専 門 科 目 を 開 設
し た 。 乳 品 加 工 技 術 に お い て は 、 12 の 科 学 研 究 活 動 を 実 施 し 素 晴 ら し い 成 果 を 挙 げ た 。
1999 年 5 月 19 日 の プ ロ ジ ェ ク ト 引 継 ぎ 式 典 に は コ ー ト ジ ボ ワ ー ル 政 府 の 総 理 自 ら 出 席
し、テープカットを行った。このセンターは多くの国から注目されており、マリ、ニジ
ェール、ギニア、ガーナ、ブルキナファソ、ナイジェリア、ガボン、日本、フランスか
らの学術視察団を受け入れた。
⑤ジンバブエ・ハラレ技術学院測量実験室、コンピューター実験室
1989 年 10 月 中 国 政 府 が 批 准 、1993 年 2 月 に 両 国 の 交 換 文 書 、1995 年 4 月 武 漢 大学
が測量実験機器の提供と 3 名の専門家を派遣した。また、測量実験室を準備した。1996 年
には中国教育部はさらにコンピューター実験室を準備し、3 名の教師を派遣した。
⑥マリ高等師範学院
1991 年 11 月 中 国 政 府 が 批 准 、 1992 年 11 月 に 両 国 の 交 換 文 書 、 華 東 師 範 大 学 が 実 施
を 担 当 。 1993 年 8 月 に マ リ 高 等 師 範 学 院 生 物 学 科 実 験 室 に 分 析 機 器 設 備 を 提 供 し 、 同
年 9 月 に は 地 質 と 生 物 の 教 師 を 派 遣 し た 。 1995 年 8 月 に プ ロ ジ ェ ク ト 項 目 を 延 期 し 、
1997 年 7 月 に 終 了 し た 。 さ ら に 1999 年 に は 蘭 州 大 学 の 教 師 を 1 名 派 遣 し た 。
⑦セネガル大学言語実験室、コンピューター応用実験室
1992 年 11 月 に 両 国 で 協 議 文 書 に 調 印 。 華 東 師 範 大 学 が 実 施 を 担 当 し 、 セ ネ ガ ル 大 学
人文学院に言語実験設備を、理学院にはコンピューター応用実験室を贈呈した。
⑧ザンビア大学土木実験室
1992 年 両 国 で 協 議 文 書 交 換 、東 南 大 学 が 担 当 。1993 年 11 月 、ザ ン ビ ア 大 学 工 程 学 院
民 用 工 程 学 科 に 実 験 設 備 を 搬 入 、 1995 年 に は 4 名 の 中 国 人 教 師 が 赴 任 。 ザ ン ビ ア 側 は
さ ら に 教 師 の 派 遣 を 要 請 し 、 1997 年 6 月 に 東 南 大 学 代 表 団 が ザ ン ビ ア を 訪 問 。 1998 年
3 月、教師派遣と事業継続の協力協議に調印。
45
⑨ブルンジ食品加工実験室
1993 年 両 国 で 協 議 文 書 交 換 、江 南 大 学( 旧 無 錫 軽 工 業 大 学 )が 担 当 。1993 年 11 月 に
関 係 機 器 設 備 を 搬 入 し 、 1994 年 と 1996 年 に 2 度 に わ た り 中 国 人 教 師 を 派 遣 。
⑩スーダン紡織設備と言語文化センター
1992 年 3 月 中 国 政 府 が 批 准 、 1993 年 7 月 に 両 国 の 交 換 文 書 。 東 華 大 学 ( 旧 中 国 紡 織
大 学 )が 、1994 年 5 月 に ス ー ダ ン の チ チ ラ 大 学 紡 織 学 科 に 基 礎 化 学 実 験 機 器 を 提 供 し 、
化 学 実 験 室 を 立 ち 上 げ る 。 南 京 大 学 は ハ ル ツ ー ム 大 学 に 1994 年 3 月 に 言 語 実 験 装 置 と
中国語図書を贈呈し、3 名の教師を派遣。
⑪エジプト言語文化協力研究プロジェクト
1994 年 5 月 に 両 国 が 調 印 。 北 京 語 言 大 学 ( 旧 北 京 語 言 学 院 ) は ア イ ン ・ シ ャ ム ス 大
学言語学院に教学事務設備を提供し、1 名の教師を派遣。北京大学アジア・アフリカ研
究所はカイロ大学政治経済学院にコンピューター、複写機、図書を贈呈し、2 名の教師
を 派 遣 し た 。北 京 大 学 と カ イ ロ 大 学 は 、1998 年 8 月 北 京 で 12 の ア フ リ カ 諸 国 を 招 聘 し
て「中国・アフリカ友好関係発展国際シンポジウム」を行い、成功させた。
⑫ナミビア大学物理実験室・化学実験室
1994 年 3 月 に 両 国 が 調 印 。 東 南 大 学 が 担 当 。 1996 年 3 月 に ナ ミ ビ ア 大 学 理 学 院 物 理
学 科 に 教 学 機 器 を 贈 呈 し 、3 名 の 教 師 を 派 遣 。1998 年 に 継 続 し て 2 名 の 教 師 を 派 遣 す る
とともに化学実験室を完備させ、3 名の化学の教師を派遣した。
⑬モーリシャス中国語教学プロジェクト
1993 年 3 月 に 両 国 が 調 印 。 華 南 師 範 大 学 は 1995 年 12 月 に モ ー リ シ ャ ス 大 学 言 語 学
院 に 24 の 言 語 実 験 設 備 と 図 書 を 提 供 し 、2 名 の 教 師 を 派 遣 し た 。華 南 師 範 大 学 は カ ン チ
大学との協議に基づき、中国語教師を派遣している。
⑭チャド生物実験室
1995 年 12 月 に 両 国 が 調 印 。1996 年 11 月 に チ ャ ド ・エ ン カ メ ナ 大 学 に 生 物 実 験 室 を
提供し、武漢大学から 2 名の教師を派遣した。
⑮ガーナ科学技術大学とガーナ大学コンピューター実験室
1993 年 に 両 国 が調 印 。河 海 大 学が ガ ーナ 科 学技 術 大 学に パ ソコ ン 実験 室 を 提供 し 3 名
の 教 師 を 派 遣 。 1997 年 4 月 に 2 名 の 教 師 を 引 き 続 き 派 遣 。 そ の 後 、 コ ン ピ ュ ー タ ー 実
験室の提供に伴い、天津科学技術大学と天津師範大学からも教師を派遣。
⑯ナイジェリア・ヤパ理工学院コンピューター実験室
1992 年 、 中 国 教 育 部 が 決 定 。 1997 年 3 月 に 北 京 交 通 大 学 ( 旧 北 方 交 通 大 学 ) は 教 育
部の依頼を受けて、ナイジェリア・ヤパ理工学院にコンピューター実験室を建設し、3 名
の 教 師 を 派 遣 。 1999 年 9 月 に 任 務 を 完 了 し 、 帰 国 。
46
⑰コンゴ援助項目
1996 年 8 月 浙 江 大 学 ( 旧 杭 州 大 学 ) は キ ン シ ャ サ 大 学 に コ ン ピ ュ ー タ ー 設 備 を 贈 呈
し 、数 学 、 コ ン ピ ュ ー タ ー 、 物 理 、中 国 語 の 教 師 4 名 を 派 遣 し た 。 1999 年 11 月 に 任 務
を完了し、帰国。
⑱ナイジェリア、その他の国々の教育行政官研修プロジェクト
1997 年 5 月 に 中 国 教 育 部 と ナ イ ジ ェ リ ア 教 育 部 の 間 で 協 力 協 議 に 調 印 。1998 年 5 月
に中国教育部と国連文教委員会はフランス語圏職業教育研修班を立ち上げた。ナイジェ
リ ア か ら 10 名 の ほ か 、ア フ リ カ 10 カ 国 、ア ジ ア 3 カ 国 の 教 育 行 政 官 が 参 加 し 、経 費 は
中 国 と 国 連 が 負 担 し た 。 研 修 の 内 容 は 「 中 小 企 業 職 業 教 育 発 展 方 向 」「 職 業 訓 練 に お け
る 教 師 資 格 研 修 」「 発 展 途 上 国 中 小 企 業 研 修 教 材 と 小 冊 子 の 編 集 」 な ど で あ る 。 参 加 者
は北京、河北、青島、上海などを視察した。
⑲カメルーン・ヤウンデ第 2 大学中国語研修センター
1994 年にカメルーン側が中国教育部に中国語研修センター設立の意思を伝え、1995 年
12 月 に 両 国 の 協 議 に 署 名 し た 。浙 江 師 範 大 学 が 担 当 し 、言 語 実 験 室 を 作 り 、2 名 の 教 師
と 1 名 の 整 備 員 が 派 遣 さ れ た 。1996 年 10 月 に 第 1 期 学 生 を 応 募 、1998 年 第 2 期 協 力 、
2000 年 に 第 3 期 協 力 に 入 っ た 。
(4) 高 等 教 育 と 科 学 研 究 協 力 プ ロ ジ ェ ク ト の 意 義
①アフリカ諸国の教育水準と実際のニーズにあった科学技術、教育研修を展開し、喜ん
で受け入れられた。
② ア フ リ カ 諸 国 の 高 等 教 育 の レ ベ ル を 引 き 上 げ た 。大 学 の 本 科 生 と 研 究 生( 修 士 、博 士 )
の養成に貢献した。同時にエンジニアなどの各方面の技術者を養成した。
③「産・学・研究」の結合による発展モデルを形成し、経済発展、社会生活の向上に貢
献した。
④アフリカにおける中国語学習者並びに中国文化を理解する人々が増加した。
(5) ア フ リ カ 諸 国 に 対 す る 小 額 教 育 物 資 援 助
1980 年 代 に 入 り 、 ア フ リ カ 諸 国 に 対 す る 教 育 関 係 の 物 資 提 供 を 拡 大 し た 。 1980 年 代 か
ら 今 日 ま で 中 国 は ア フ リ カ 24 カ 国 に 文 具 用 品 、 体 育 用 品 、 実 験 機 器 、 コ ン ピ ュ ー タ ー な
ど の 教 育 物 資 を 大 量 に 贈 呈 し た 。( 図 表 6- 6
47
参照)
図 表 6-6
中 国の ア フ リ カ諸 国 へ の 教育 物 資 支 援
1983 年
アルジェリア:図書
1993 年
サントメ・プリンシペ:学用品
1986 年
モーリシャス:学用品
1996 年
アンゴラ:学用品
1987 年
ベニン:体育用品
マリ:学用品
ブルンジ:学用品
モーリタニア:コンピューター機器
1988 年
ルワンダ:学用品
1997 年
ナイジェリア:実験器具
マリ:図書、学用品
1998 年
ナイジェリア:教育資材
モーリタニア:図書
2000 年
ナイジェリア:実験時具
モーリタニア:学用品
2001 年
トーゴ:コンピューター
チャド:教育資材
ガボン:コンピューター
中央アフリカ:学用品
カメルーン:教育資材
1989 年
コンゴ:学用品
モザンビーク:運動服・体育用品
1990 年
ブルンジ:学用品
セーシェル:学用品
コンゴ:教育資材
2004 年
マリ:コンピューター
ザンビア:学用品
1991 年
コートジボワール:学用品・実験器具
マリ:教学機器
ナイジェリア:教学機器
セネガル:教学機器
(以上はヒアリングにより整理)
2.5
各 種 専門研修班
(1) 各 種 専 門 研 修 班 派 遣 の 背 景
① 1990 年 代 に 入 り 、 世 界 の 情 報 化 、 経 済 の グ ロ ー バ ル 化 の な か で 、 経 済 、 文 化 、 科 学 技
術、教育などの分野では競争が激化した。そのことによって、発展途上国と先進国の
経済格差は拡大し、隔たりが大きくなった。そこで「南南協力」が必要となり、中国
とアフリカ諸国との人的資源開発と教育分野の協力が重要視されてきた。
② 90 年 代 か ら 中 国 は ア フ リ カ の 発 展 を 一 層 重 視 し 始 め た 。1996 年 5 月 に 江 沢 民 は ア フ リ
カ 6 カ国を訪問し、アジスアベバで重要な演説を行い、中国はアフリカの経済発展を
支 持 し 、政 治 的 条 件 の つ か な い 政 府 援 助 、あ ら ゆ る 形 式 の 援 助 を 行 う こ と を 表 明 し た 。
③ ア フ リ カ の 経 済 発 展 に は 人 材 育 成 が 不 可 欠 と の 認 識 の 下 、高 等 教 育 機 関 の 教 育 者 、政 府
機関の教育行政官、高等教育の学生、研究生、科学研究のエンジニアなどを研修、養
成してきた。
48
(2) 各 種 専 門 研 修 班 の 主 な 状 況
中 国 は 1998 年 か ら 教 育 研 修 プ ロ ジ ェ ク ト と 研 究 プ ロ ジ ェ ク ト を 実 施 し て き た 。 教 育 研
修 プ ロ ジ ェ ク ト の 内 容 は 、基 礎 教 育 管 理 、高 等 教 育 管 理 、現 代 長 期 教 育 、職 業 教 育 。ま た 、
研究プロジェクトの内容は、農産品加工、コンピューター応用技術、薬用植物研究などで
あ る 。2003 年 末 ま で に 14 の 高 等 研 究 院 と 研 究 所 が 18 の 研 修 班 を 組 織 し 、ア フ リ カ 42 カ
国 297 名 の 高 級 研 修 員 を 受 け 入 れ た 。( 図 表 6- 7 参 照 )
図 表 6-7
プロジェクト名
中 国教 育 部 の アフ リ カ 人 材養 成 プ ロ ジェ ク ト (1998~2003 年)
引 き受 け大 学
時期
人
招聘国
数
教育部国際合作局・
職業教育研修班
交流局
中国国連文教委員会
1998 年 5 月
25
2000 年 10 月
11
ナイジェリア、トーゴ、ガボン、ベニン、
コートジボワール、ブルンジなど 11 カ国
事務局
普通教育管理幹部研修班
農産品加工研修班
北京師範大学
中国農業大学
西南農業大学
コートジボワール、ブルンジ、ベニン、マリ、
2001 年 7~8 月
20
東南大学
2001 年 7~8 月
20
薬用植物研修班
天津中医学院
2001 年 9~10 月
12
上海外国語大学
2002 年 7~8 月
6
中国語教師研修班
高 級 コンピューター人 員 研 修
班
エジプト幼 児 師 範 教 師 研 修
ナイジェリア、中 央 アフリカ、モロッコ、
アルジェリア、ニジェール、コンゴなど
高 級 コンピューター研 修 班
エジプト・アイン・シャムス大 学
ナイジェリア、ベニン、モーリシャス
ジンバブエ、ナミビア、タンザニア、ザンビア、
レソト、ケニア、ウガンダなど 10 カ国
ガボン、ナイジェリア、カメルーン、トーゴ、
チュニジア、コモロ、マダガスカル、セーシェル
エジプト
ジンバブエ、ナミビア、タンザニア、ザンビア、
東南大学
2002 年 8 月
20
レソト、ケニア、ウガンダ、ガーナ、ボツワナ、
スーダン、ルワンダ、ギニアビサウなど 16 カ国
華東師範大学
2002 年 9~10 月
10
エジプト
ナイジェリア、ナミビア、カメルーン、スーダン、
現代長期教育研修班
吉林大学
2002 年 9~10 月
20
セーシェル、マダガスカル、ジンバブエ、
ケニア、ボツワナ、エチオピアなど 13 カ国
モーリタニア、ルワンダ、スーダン、ナイジェリア、
教育行政官員研修班
東北師範大学
2002 年 10 月
27
ガーナ、ナミビア、タンザニア、シエラレオネ、
ジンバブエ、レソト、ガボン、カメルーンなど
26 カ国
49
プロジェクト名
引 き受 け大 学
時期
人
招聘国
数
教 育 部 職 業 教 育 センタ ー
エチオピア職 業 教 育 研 修 班
湖 北 工 学 院 、武 漢 職 業
2002 年 10~11 月
20
2002 年 8~9 月
10
エチオピア
技術学院
基礎教育管理研修班
アフリカ高 級 コンピューター
管理研修班
浙江師範大学
ナイジェリア、カメルーン、モーリシャス、ガボン、
モーリタニア、赤 道 ギニア、ルワンダ、ジブチ
ボツワナ、エチオピア、ルワンダ、ケニア、
東南大学
2003 年 8 月
20
レソト、モザンビーク、ナミビア、スーダン、
シエアラレオネ、南 アフリカなど14カ国
コートジボワール、ブルンジ、ベニン、マリ、
アフリカ高 等 教 育 管 理 研 修 班
浙江師範大学
2003 年 9 月
18
ナイジェリア、中 央 アフリカ、モロッコ、コンゴ、
アルジェリア、ニジェール、ガボンなど 18 カ国
アフリカ長 期 教 育 ・
インターネット通 信 研 修 班
南 アフリカ、ガーナ、カメルーン、ジンバブエ、
吉林大学
2003 年 9 月
20
タンザニア、ナミビア、スーダン、ボツワナ、
レソト、ナイジェリア
ガーナ、ジンバブエ、ケニア、レソト、スーダン、
アフリカ高 等 教 育 官 員 研 修 班
東北師範大学
2003 年 9 月
18
モーリシャス、ナミビア、南 アフリカ、ザンビア、
モザンビーク、エリトリア、ウガンダなど19カ国
エチオピア職 業 技 術 学 校 長
研修班
ギニア経 済 管 理 研 修 班
天津職業技術師範学院
2003 年 10 月
20
エチオピア
南昌大学
2003 年 10 月
40
ギニア
( 出 所 )「 中 国 と ア フ リ カ の 教 育 協 力 と 交 流 」( 北 京 大 学 出 版 社 )、 p.45
以下は主な研修班の状況である。
①吉林大学アフリカ現代長期教育研修班
2000 年 9 月 27 日 か ら 10 月 27 日 ま で 吉 林 大 学 が 実 施 。エ ジ プ ト 、カ メ ル ー ン 、ナ イ ジ
ェ リ ア 、 ナ ミ ビ ア な ど 13 カ 国 の 教 育 行 政 官 が 集 中 研 修 に 参 加 。 中 国 側 は 5 名 の 教 師 が 英
語で講義を担当。研修ではマスメディアの役割もあり、吉林テレビ、吉林日報などのマス
コミも参観した。
②中国農業大学と西南農業大学による「農産品加工研修班」
2001 年 7 月 15 日 か ら 8 月 5 日 ま で 中 国 農 業 大 学 と 西 南 農 業 大 学 は 、「 農 産 品 加 工 研 修
班 」を 実 施 し 、ブ ル ン ジ 、ベ ナ ン 、マ リ 、モ ロ ッ コ な ど 11 カ 国 か ら 20 名 の 専 門 家 が 参 加
した。中国農業大学は農業加工分野の著名な専門家や教授、また『中国いも大王』の称号
をもつ四川光友薯業有限公司の社長を招聘したり、製麺工場、牛乳工場、果汁工場、食物
冷蔵庫、貯蔵企業などの参観を研修内容に加えた。
50
③天津中医学院薬用植物研修班
2001 年 9 月 か ら 10 月 ま で 天 津 中 医 学 院 は 、第 1 回 ア フ リ カ 薬 用 植 物 研 修 班 を 受 け 入 れ 、
ガ ボ ン 、マ ダ ガ ス カ ル な ど 8 カ 国 、12 名 の 薬 学 専 門 家 を 招 聘 し た 。学 院 で の 教 材 編 集 や 実
験のみならず、付属の漢方医薬局、制約室の参観、また、天津現代化漢方医薬工場、北京
薬用植物園、杭州胡慶余堂の視察などを実施した。
2.6
職 業 教育協力
(1) 職 業 教 育 協 力 の 基 礎
中国の職業教育学校は初等、中等、高等の職業学校があり、農林、交通運輸、資源・環
境、情報技術、機械製造、エネルギー、医薬衛生、服飾、外国語、芸術、体育、土木、商
業 貿 易 、 観 光 、 財 務 経 済 等 に 分 か れ る 。 2001 年 で 、 初 等 職 業 学 校 は 1,065 校 、 83 万 人 、
中 等 職 業 学 校 は 17,770 校 、 1,164 万 人 、 さ ら に 高 等 職 業 学 校 は 386 校 、 72 万 人 で あ る 。
中国では職業教育の基礎が広く、国際交流の大きな分野でもある。中国にとっては、職業
教育はアフリカの教育発展を支援する戦略的重点でもある。
(2) 職 業 教 育 協 力 の 主 要 な 形 式 と 内 容
① 中 国 で 実 施 す る 職 業 教 育 研 修 班 に は 、ア フ リ カ 諸 国 の 教 育 行 政 官 や 教 師 を 招 聘 す る も の
で あ る 。 1998 年 か ら 2001 年 ま で に 2 度 実 施 し 、 ギ ニ ア 、 ニ ジ ェ ー ル 、 ト ー ゴ 、 ガ ボ
ン 、コ ー ト ジ ボ ワ ー ル 、カ メ ル ー ン 、ベ ナ ン 、ブ ル ン ジ 、エ チ オ ピ ア な ど 45 カ 国 の 教
育行政官や教師が参加した。
② 中 国 の 職 業 教 育 教 師 の 派 遣 の 好 例 は 1997 年 に 実 施 さ れ た エ ジ プ ト の ベ ニ・ス フ 職 業 訓
練センター建設である。天津工程師範学院(旧天津職業技術学院)が教師を派遣し、
エジプト側の教師を訓練した。
③ 2001 年 か ら 中 国 と エ チ オ ピ ア は 職 業 教 育 分 野 の 協 力 を 実 施 し 、 2002 年 ま で に 37 名 の
職 業 技 術 教 師 が 派 遣 さ れ 、 現 在 27 名 が 残 っ て い る 。 ア ジ ス ア ベ バ 地 区 を は じ め 18 の
職業技術学校で、紡織、機械加工、自動車修理、道路・橋梁建設、測量・製図、民間
住宅、服飾デザイナーなどの技術を教えた。
④ 中 国 と ア フ リ カ 諸 国 と の 職 業 教 育 協 力 を 強 化 す る た め に 、 2003 年 中 国 教 育 部 は 天 津 工
程師範学院(旧天津職業技術学院)に最初の「中国アフリカ教育支援基地」を創設し
た。学科はエンジニア学科と教育管理学科で、機械、自動化、電子、自動車、コンピ
ューター、職業教育管理、数理・情報科学、外国語の 8 つの研究部門を持ち、国際的
に み て レ ベ ル の 高 い 実 験 室 を 備 え て い る 。 在 校 生 は 12,000 人 で 、 ア フ リ カ の 30 余 り
の国が参加している。
51
2.7
高 等教育分野における学校間協力と交流
(1) 学 校 間 連 携 の 樹 立
2003 年 ま で に 中 国 の 19 大 学 と ア フ リ カ 諸 国 の 29 の 大 学 が 学 校 間 連 携 の 協 力 と 交 流 を
樹立した。主な内容は、次のとおりである。
1) 奨 学 金 を 受 け た 学 生 の 相 互 交 流 と 人 材 の 養 成
2) 学 者 の 相 互 訪 問 と 相 互 学 習
3) 科 学 研 究 の 相 互 交 流 と 関 係 図 書 の 交 換
4) 双 方 に 関 心 あ る 分 野 で の 共 同 協 力 研 究
5) 教 学 分 野 の 支 援 を す る た め の 教 師 の 相 互 派 遣
6) 著 名 な 学 者 専 門 家 、 ま た 名 誉 博 士 、 名 誉 教 授 、 客 員 教 授 の 招 聘
具 体 的 な 成 果 は 、 北 京 語 言 大 学 が エ ジ プ ト ・ ア イ ン ・ シ ャ ム ス 大 学 と 1992 年 に 協 力 協
定 を 結 び 、1994 年 か ら 97 年 に か け て 翻 訳 作 業 を 行 い 、文 化 交 流 面 で 大 き な 役 割 を 果 た し
た 。浙 江 大 学( 旧 浙 江 農 業 大 学 )は 1991 年 10 月 に カ メ ル ー ン・ヤ ウ ン デ 第 一 大 学 と 科 学
研 究 プ ロ ジ ェ ク ト を 実 施 し 、 教 師 の 相 互 訪 問 な ど の 協 議 に 署 名 し た 。( 図 表 6- 8 参 照 )
図 表 6-8
中 国ア フ リ カ 高等 教 育 学 校間 交 流 一 覧
中 国 の大 学
アフリカの大 学
協議書締結日
ジンバブエ大 学
1990 年 6 月
ケニア・モイ大 学
1990 年 6 月
タンザニア・ダルエスサラーム大 学
1990 年 5 月
ナミビア大 学
1993 年 8 月
北京語言大学
エジプト・アイン・シャムス大 学
1992 年 11 月
河海大学
コンゴ・エンクワビ大 学
1991 年 6 月
ベニン国 立 大 学
1990 年 6 月
ニジェール・ニアメ大 学
1986 年 8 月
ガーナ大 学
1990 年 6 月
セネガル・チェス高 等 大 学
1991 年 7 月
マダガスカル・カナナリフ大 学
1991 年 6 月
カメルーン・ヤウンデ第 一 大 学
1994 年 5 月
スーダン・ハルツーム大 学
1991 年 1 月
コートジボワール国 立 大 学
1992 年 12 月
モーリタニア・ヌアクショット大 学
1993 年 10 月
エジプト・アイン・シャムス大 学
1992 年 11 月
エジプト・カイロ大 学
1991 年 11 月
カイロ大 学 政 治 経 済 学 院
1992 年 11 月
タンザニア・ダルエスサラーム大 学
1993 年 9 月
東南大学
華東師範大学
浙江大学
南京大学
北京語言大学
北京大学
長安大学
52
中 国 の大 学
アフリカの大 学
協議書締結日
東華大学
エジプト・ヘルワン大 学
1993 年 1 月
華南師範大学
モーリシャス・カンチ大 学
1994 年 3 月
中国農業大学
コートジボワール・ポワニ大 学
1994 年 10 月
南京農業大学
ケニア・エカートン大 学
1995 年 6 月
中国体育大学
コンゴ・ブラザビル大 学
2000 年 7 月
武漢大学
ジンバブエ・ハラレ大 学
1997 年 5 月
( 出 所 )『 中 国 と ア フ リ カ の 教 育 協 力 と 交 流 』 北 京 大 学 出 版 社 、 p.56
(2) 教 育 考 察 団 の 相 互 派 遣
1980 年 代 以 来 、 中 国 の 30 余 り の 大 学 が ア フ リ カ を 訪 問 し 、 ア フ リ カ 諸 国 の 20 余 り
の大学が中国を訪問した。相互訪問は教育協力に積極的な役割を果たした。
2.8
ア フ リカにおける中国語教育
(1) ア フ リ カ に お け る 中 国 語 教 育 の 発 展 の 歴 史 と 現 状
2003 年 ま で に ア フ リ カ で は 60 以 上 の 学 校 で 中 国 語 講 座 が 開 設 さ れ た 。中 国 語 を 学 ぶ 人
数 は 6,500 人 に 達 し 、 200 名 近 い 教 師 が い る 。 そ の 中 で も 、 エ ジ プ ト 、 チ ュ ニ ジ ア 、 ア ル
ジェリア、コンゴ、モーリタニア、ベナン、モーリシャス、カメルーン、マダガスカル、
南アフリカなどは中国語教育の素晴らしい基礎を持っている。
1954 年 に 中 国 は エ ジ プ ト に 最 初 の 中 国 語 教 師 を 派 遣 し て 以 来 、 2002 年 末 ま で に エ ジ プ
ト、ベナン、コンゴ、コンゴ民主共和国、コートジボワール、ケニア、マダガスカル、マ
リ、チュニジア、スーダン、モーリシャス、カメルーン、ザンビア、南アフリカ、アルジ
ェ リ ア に 150 余 名 の 中 国 語 教 師 を 派 遣 し た 。
(2) ア フ リ カ に お け る 中 国 語 教 育 の 成 果
①エジプトの中国語教育と研究
カ イ ロ 高 等 言 語 学 院 は 1956 年 に 中 国 班 を 設 け 、1958 年 に 中 国 語 専 門 学 科 が 正 式 に 設 立 。
そ の 後 、 1973 年 に カ イ ロ 高 等 言 語 学 院 は ア イ ン ・ シ ャ ム ス 大 学 ( 1950 年 設 立 ) に 吸 収 さ
れ 、 1977 年 に 中 国 語 学 科 が で き る 。 2000 年 ま で に 271 名 の 本 科 生 と 40 名 の 修 士 、 30 名
の 博 士 を 養 成 し た 。 現 在 は 600 名 近 い 学 生 が お り 、 そ の う ち 32 名 は 博 士 課 程 の 学 生 で あ
る 。 教 師 は 30 数 名 い る 。
アイン・シャムス大学はエジプトにおける中国語学と研究の中心で、中国学研究センタ
ー を 持 ち 、 1988 年 か ら 毎 年 、「 中 国 文 化 ウ ィ ー ク 」 を 実 施 し 、 中 国 文 化 、 伝 統 芸 術 の 紹 介
に 努 め て い る 。1996 年 に は 、中 国・エ ジ プ ト 国 交 40 周 年 と し て 第 1 回 の 学 術 シ ン ポ ジ ウ
ム を 開 催 し た ほ か 、1999 年 の ア フ リ カ 中 国 語 弁 論 大 会 で は ア イ ン・シ ャ ム ス 大 学 の 学 生 が
最高賞を獲得した。
中 国 は 1954 年 か ら こ れ ま で ア イ ン ・ シ ャ ム ス 大 学 に 50 名 以 上 の 中 国 語 教 師 を 派 遣 し 、
53
97 年 か ら 2001 年 に か け て 中 国 の 図 書 1,000 冊 以 上 を 贈 呈 し た 。 ま た 、 1999 年 に は 在 エ
ジプト中国大使館は衛星通信アンテナを寄贈し、中国の中央テレビ放送が受信できるよう
にした。アイン・シャムス大学以外では、カイロ大学、ヤリサン大学、チャカチカ大学、
メニヤ大学なども中国語研究は熱心である。
大学以外にエジプト中国友好協会は 1996 年 11 月から中国語短期研修班を開講し、週 2 回、
各 2 時 間 の 授 業 を 行 っ て い る 。1999 年 9 月 に は 在 エ ジ プ ト 中 国 大 使 館 は パ ソ コ ン 24 台 を
寄贈した。
②チュニジアの中国語教育
1976 年 に プ ル チ パ 言 語 学 院 で 中 国 語 講 座 を 開 設 し 、発 展 し て 1998 年 に チ ュ ニ ス 高 等 言
語 学 院 と な り 、 4 年 生 本 科 の 中 国 学 科 が で き る 。 1977 年 以 来 、 中 国 は 29 名 の 中 国 語 教 師
を派遣し、また、中国教育部は毎年、5 名の中国語専攻の留学生の受け入れ枠を設定して
いる。
③カメルーンの中国語教育
中 国 政 府 は カ メ ル ー ン の 首 都 、ヤ ウ ン デ に ヤ ウ ン デ 第 2 大 学 国 際 関 係 学 院 の 中 に 中 国 語
研 修 セ ン タ ー を 設 立 す る の を 支 援 し た 。 1996 年 か ら 第 1 期 生 を カ メ ル ー ン と そ の 周 辺 国
から募集した。今日までにカメルーン、ナイジェリア、中央アフリカ、チャド、ベナン、
コ ン ゴ 、 コ ー ト ジ ボ ワ ー ル な ど 25 カ 国 300 名 が こ こ で 研 修 し た 。
2.9
中 国 のアフリカ研究と人材養成
(1) 中 国 に お け る ア フ リ カ 学 発 展 の 歴 史
中 国 の 学 者 は 1950 年 代 か ら ア フ リ カ 学 の 研 究 を 開 始 し た 。 北 京 大 学 、 南 開 大 学 、 湘 潭
大学、雲南大学、華東師範大学、上海師範大学、浙江師範大学、南昌大学、天津工程師範
学 院 な ど に ア フ リ カ 研 究 機 構 が 設 立 さ れ た 。北 京 大 学 、北 京 外 国 語 大 学 、北 京 放 送 大 学( 現
在 は 中 国 メ デ ィ ア 大 学 )、北 京 語 言 大 学 で は ア フ リ カ 語 の 研 究 と ア ラ ビ ア 語 、ス ワ ヒ リ 語 な
どの人材養成に努めた。
1980 年 以 前 は ア フ リ カ の 植 民 地 解 放 に 関 す る 研 究 が 多 か っ た が 、 1980 年 代 以 降 、 ア フ
リカ諸国が発展するにつれて、政治、経済、文化、安全と多方面にわたるようになってき
た。また、英語、フランス語での論文も増加した。
(2) 北 京 大 学 ア フ リ カ 研 究 セ ン タ ー
北 京 大 学 は 中 国 に お い て ア フ リ カ 研 究 の 中 心 で あ り 、1950 年 代 か ら ア フ リ カ の 歴 史 、文
学 、言 語 、民 族 、地 理 な ど の 分 野 で 研 究 を 始 め て い た 。1960 年 代 以 降 は 、ア フ リ カ 諸 国 の
独 立 に と も な い 、経 済 、政 治 、社 会 発 展 問 題 に 関 心 が 高 ま っ て き た 。1963 年 に ア ジ ア・ア
フリカ研究所が設立され、1998 年には学際的な研究、学術組織であるアフリカ研究センター
が 誕 生 し た 。現 在 教 授 、助 教 授 合 わ せ て 40 名 で 、国 内 外 の 著 名 な 研 究 者 を 招 聘 し て い る 。
本センターの任務は、次のとおりである。
1) 北 京 大 学 全 校 の ア フ リ カ 研 究 の 調 整 ・ 発 展
54
2) 報 告 会 、 シ ン ポ ジ ウ ム を 通 じ て の 修 士 、 博 士 研 究 者 の 養 成
3) 本 校 以 外 か ら の コ ン サ ル タ ン ト と 人 材 研 修 の 受 け 入 れ
4) 本 校 以 外 、 あ る い は 海 外 か ら の 研 究 機 関 と の 交 流 、 研 修 生 養 成
5)「 ア フ リ カ 研 究 叢 書 」 の 編 集 ・ 発 行
6) ア フ リ カ 関 係 図 書 ・ 資 料 の 収 集
これまでの主な活動は、次のとおりである。
1)1999 年 4 月 17 日:中 国・南 ア フ リ カ 友 好 日 活 動 で マ ン デ ラ 大 統 領 を 招 聘 し 、「 中
国・南アフリカ友好関係発展シンポジウム」を開催。
2) 2000 年 8 月 20 日 ~ 22 日 :「 中 国 ・ ア フ リ カ 友 好 関 係 発 展 国 際 シ ン ポ ジ ウ ム 」 を
主催し、エジプト、南アフリカ、タンザニア、モザンビーク、ナイジェリア、モ
ロ ッ コ 、カ メ ル ー ン 、コ ン ゴ 、ウ ガ ン ダ 、ケ ニ ア 、チ ャ ド 、ア ン ゴ ラ か ら 50 名 の
学者を招聘した。
3)2000 年 5 月 ~ 7 月 と 7 月 ~9 月 に 中 国 商 務 部 の 委 託 で 経 済 貿 易 官 僚 研 修 班 を 実 施 。
アラビア語とフランス語を使用。
4) 2000 年 と 2002 年 に 「 中 国 と ア フ リ カ 」「 ア フ リ カ : 変 革 と 発 展 」 を 発 行 。
5) 2000 年 と 2003 年 の 中 国 ・ ア フ リ カ 協 力 フ ォ ー ラ ム の 準 備 活 動 に 協 力 。
(3) 浙 江 師 範 大 学 ア フ リ カ 教 育 研 究 セ ン タ ー
1996 年 に カ メ ル ー ン で 中 国 語 研 修 セ ン タ ー を 建 設 し 7 名 の 教 師 を 派 遣 し て 以 来 、 ア フ
リ カ 研 究 に 力 を 入 れ て い る 。2002 年 に「 ア フ リ カ 基 礎 教 育 研 修 班 」、2003 年 に は「 ア フ リ
カ 高 等 教 育 管 理 研 修 班 」を 立 ち 上 げ た 。2002 年 12 月 に 中 国 ア フ リ カ 史 研 究 会 の 学 術 シ ン
ポ ジ ウ ム を 開 催 し た 。 ま た 、 2003 年 4 月 に ア フ リ カ 教 育 研 究 セ ン タ ー を 設 立 。 中 国 で は
アフリカ研究のマクロの事柄は良く知られているが、ミクロの事柄が弱く、その意味で浙
江師範大学アフリカ教育研究センターはミクロの教学分野を補う中心的役割を担おうとし
ている。
3.中 国 ・ アフリカの教育協力と交流の展望
3.1
教 育 協力と交流の基本的経験
1) 中 国 と ア フ リ カ 諸 国 の 友 好 協 力 関 係 が 教 育 分 野 に お け る 協 力 と 交 流 の 前 提 で あ り 基
礎 で あ る 。 中 国 は 50 年 に わ た り ア フ リ カ を 重 視 し 、 交 流 の 拡 大 を 図 っ て き た 。 21
世 紀 に 入 り 、「 誠 実 友 好 ・ 平 等 接 遇 ・ 団 結 協 力 ・ 共 同 発 展 ・ 未 来 志 向 」 の 原 則 が 打 ち
立てられた。
中国外交における対アフリカ政策の特色は、①首脳外交重視、②お互いに発展途上
国 と い う こ と で“ 平 等 観 念 ”を 強 調 、③ 経 済 協 力 で は 交 互 に 実 益 が で る 方 策 を 実 施 、
④中国・アフリカ協力フォーラムのようなモデルを設定し、それに向けて協力を実
施するやり方である。
2)中 国 と ア フ リ カ と の 協 力 に は お 互 い に 政 府 機 関 と 教 育 機 関 が 積 極 的 に 主 導 し て き た 。
55
特に高等教育の学校が熱心でさまざまな交流形式を発展させてきた。
3) 国 情 が 違 う の で 、 プ ロ ジ ェ ク ト の 実 施 課 程 で の チ ェ ッ ク 体 制 と プ ロ ジ ェ ク ト 遂 行 後
の成果に対する評価システムを効果ある形にしていった。
4)人材養成にとって重要なのは、養成を支援する側のレベルも高めなければならない、
と中国側は考えている。中国ではアフリカの人材支援を専門とする教員組織を育て
てきた。
3.2
今 後 の展望
1)「 走 出 去 」( 対 外 進 出 ) と「 請 進 来 」( 国 内 招 致 )を 組 み 合 わ せ る 。人 材 育 成 に お い て
は、中国から教師をアフリカに派遣して、現地で指導するのみならず、アフリカか
ら教師や技術者をもっと中国に招聘して、中国国内での人材育成プログラムを充実
させる方向である。
2) 社 会 的 効 果 と 経 済 的 効 果 の 両 面 を 配 慮 す る と う た わ れ て い る 。 人 材 育 成 も そ れ だ け
に と ど ま ら ず 、「 産 ・ 学 ・ 研 究 」 の 結 合 に よ る 波 及 効 果 を 拡 大 さ せ る 。
3) 実 用 性 と 応 用 性 の あ る 人 材 の 育 成 を め ざ す 。 農 業 や 衛 生 に み ら れ る よ う に 、 基 礎 的
知識や技術の習得のみならず、実際の諸問題を解決できる能力とさらに応用できる
能力の向上を目指そうとしている。
4) 官 民 協 力 の 推 進 。 こ れ ま で 一 貫 し て 中 国 の 対 ア フ リ カ 人 材 支 援 は 政 府 が 主 導 で あ っ
たが、近年中国の民間企業が発展するにつれて、民間部門の支援も増加してきた。
今後この方向は拡大すると思われる。
5) 科 学 的 方 策 と 安 定 し た 政 策 を 続 行 。 人 材 育 成 は 長 期 に わ た る 事 業 な の で 、 科 学 的 な
方策を基礎に安定した政策の継続が求められている。
6) 中 国 ・ ア フ リ カ 諸 国 の 二 国 間 協 力 だ け で な く 、 多 国 間 協 力 も 積 極 的 に 実 施 。 中 国 は
アフリカ支援をする場合、アフリカの一国と協力するのみならず、複数の国との協
力事業を推進してきた。一つの都市で研修を行う場合、周辺のアフリカ諸国の参加
を 呼 び かけ 実 施す る 方策 で あ る。 こ の方 式 はこ れ か らも 積 極的 に 行わ れ る と見 ら れる 。
56
7) 高 等 教 育 に お け る 学 位 授 与 を 推 進 す る 。 修 士 、 博 士 と い っ た 高 等 学 府 の 称 号 を 与 え
ることによって、その国の専門分野のリーダーを養成しようとしている。学位授与
は増加すると思われる。
8) 対 外 援 助 人 材 を 養 成 す る 。 中 国 の 対 外 援 助 は 歴 史 が あ る が 、 紆 余 曲 折 を 経 て き た の
で、専門家がまだまだ少ない。対外援助に精通した専門家の要請が急務である。
9) 中 国 教 育 部 に ア フ リ カ 援 助 専 門 グ ル ー プ を 設 立 す る 。 過 去 3 回 に わ た る 「 中 国 ・ ア
フリカ協力フォーラム」の成果を踏まえて、教育人材養成を専門とするグループを
設立する計画がある。人材養成は教育部が担当なので、省内にアフリカ支援を専門
とするグループができる予定である。
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