九十九島(西海国立公園)

九十九島 (西海国立公園)
北松浦半島から佐世保湾口まで約 25 ㎞にわたり分布
するリアス式海岸の島々です。
「九十九島」は江戸時代中期からの呼び名で、その由
来を語る伝説に、「月のきれいな夜に、百の島々が佐世
保湾で酒盛りをした。一里島は、酔って寝込んでしまい
湾内に残ってしまった。それ以来百あった島は九十九島
と呼ばれるようになった。」という「一里島伝説」があ
ります。
しかし、
「九十九島」とは「沢山の島々」という意味で、
実際の島の数は 99 よりずっと多くあります。ところが、満
潮時に別々の島に見えても干潮時には一つになる島も多い
ため、1999 年に市民ボランティア「九十九島の数調査研究
会」が発足して、
「満潮の時に水面から出ていること」
「陸の
植物が生えていること」という条件を満たすものを島として
認定すると定めました。その基準に従って数えたところ、208
の島があることが確認されました(*)。黒島、高島、前島、
鼕泊島は有人島ですが、98%(204 島)は無人島です。
*佐世保市等による「九十九島の数調査研究会」の調査による。島の定
義により異説もある
これらの島々はかつては陸地で、何百万年もの間に風雨に
浸食されて山地になっていた部分だけが、氷河期が終わり海
面が上昇して島として残ったのです。
九十九島の密度は日本一といわれており(右図参照)、
また、
島が多いにかかわらず外洋に面しており、日本で唯一の外洋
性多島海と言われます。
そして、佐世保湾が 19 世紀後半に軍港となり、九十九島
一帯も長い間要塞区域として人の出入りなどが制限され、
美
しい自然が保たれました。
戦後、その美しさが認められ、1955
年に全域が西海国立公園(*)に指定されました。
*指定区域は九十九島地域、平戸・生月地域、五島列島地域の 3 つが
ある。リアス式海岸と、九十九島を含めた大小 400 に及ぶ島々が繰り
広げる外洋性多島海景観が特徴
九十九島の風景は、まるで天然の絵画のような美しさを
持ち、東北の松島を凌ぐと高く評価され、「日本百景」や
「日本観光地百選」に選ばれてきました。
佐々川河口を境に、南北で「南九十九島」
「北九十九島」
と呼ばれ、平戸に近い北九十九島は岩肌が厳しく男性的な
島が多く、佐世保に近い南九十九島は優美で女性的な趣が
あり、夕景は特に美しく感動的です。
佐世保市は 1999 年より 9 月 19 日を「九十九島の日」と
しており、この日前後に西海パールシーリゾートで「九十
九島の祭典」を開催しています。また、カキの生産地(天
然・養殖とも)でもあり、冬場には地元漁協によるイベン
トも行われています。
北九十九島の主な島々
[出典:ウェブサイト「日本の島へ行こう」 ]
Ⓒ佐世保市
南九十九島の主な島々
出[典:ウェブサイト「日本の島へ行こう」
]
●夕陽の名所 九十九島
九十九島の夕焼けの美しさは日本一と言われ、日没後の島々のシルエットも絶景とされている。夕陽の眺めは、太陽の
位置の関係で、春~夏は展海峰、秋~冬は石岳展望台が特にすばらしいとも言われる。
●西海国立公園指定までの動き
1949(昭和 24)年当時市長だった中田正輔により、国立公園指定へ向けた動きが始まった。戦前までは特に九十九
島地域において、軍港に近いために写真撮影が禁止されるなど、種々の制限があったことから、観光地としてはあま
り知られていない地域であったため、実現を疑問視する声は大きかった。
しかし、中田市長の熱意のもと県や周囲の町村を動かして、一市五十三町村からなる「西海国立公園指定期成会」
を 1950(昭和 25)年に設立した。1951(昭和 26)年には、西海国立公園の実現を公約に掲げた西岡竹次郎知事が誕
生。市は東京大学、京都大学、長崎大学に周辺の地理や歴史、風俗などの調査を依頼し、また厚生省に幾度も陳情
し、同省の官僚や国立公園審議会の委員を招いた。県でも国立公園指定の請願書を、衆・参両議院へ提出した。ま
た、当時毎日新聞社が行った「日本観光地百選」に、九十九島は海岸の部で 3 位に入賞するという動きもあった。
そうした努力と真価が認められ、1954(昭和 29)年 8 月の国立公園審議会で満場一致で国立公園に決定、翌
1955(昭和 30)年 3 月に政府が公式発表を行い、西海国立公園が誕生した。
●九十九島豆知識
・ 「九十九島」を愛称とする準急列車・急行列車が、博多駅-長崎駅(筑肥線・松浦線・大村線経由)間に運転されていた
(1963 年~1968 年)。
・ 高速バス「九十九島号」が、西鉄高速バス・西肥バスにより北九州(砂津)-佐世保(佐世保駅前)間に運行されていた
(1991 年~2008 年)。
市内でも知らない人は多かったと思いますが、ハリウッド映画の『ラストサムライ』(トム・クルー
ズ主演)の物語は冒頭部分約 10 秒が佐世保の九十九島のロケーションによる映像から始まりました。
九十九島の映像だけで、佐世保も九十九島もドラマにはー言も出ませんが、同映画の大事な冒頭部に
九十九島の映像が活用され、世界中の映画館で映されたことは将に市民の栄誉です。
なぜ近所の九十九島が、世界のハリウッドで用いられたのでしょうか?
これは大変有難い事で、佐世保側からは何もアプローチはしなかった
のですが、ハリウッドの製作サイドが日本の風景の本をみて選び、
「ここ
が一番日本の風景みたいだ!!」と佐世保を選んでくれたそうてす。
これは当時の西海パールシー(現・海きらら)社員の山ロ絹代氏から
の証言で、山ロ氏は当時アメリカの製作会社からパールシーヘの依頼に
より、車を出し撮影の協力をした際、その時の撮影スタッフから直接聞い
たとの事でした。(K)
注:右の写真と映画シーンは関係ありません