68 『MBA たちの中米変革―国際学術協力による地 域経済統合』(風響社

68
ラテンアメリカ・カリブ研究
『MBA たちの中米変革―国際学術協力による地
域経済統合』(風響社、2014 年)- 慶應義塾
大学他非常勤講師・笛田千容
はじめに
本書は、米国が NAFTA を皮切りに中南米を
も含む自由貿易圏を成立させようとする 1990
年∼2000 年代を中心に、
「グローバル化の中間
プロセスとしての地域統合」という文脈の中で、
中米の企業社会がどのような変革を迫られたの
かについて考察したものである。内戦終結後、
継続して堅調な復興が見られるなか、まだ萌芽
的だった商工業はどのように国際展開をはかっ
たのか。擬制的経済同盟としての血縁・姻縁の
ネットワークがはりめぐらされた企業社会にお
いて、新旧勢力の交代はなぜ生じたのか。本書
ステップアップ助成として松下正治記念学術賞
が注目するのは、変革の担い手となるエリート
が設けられ、博士論文レベルの厚みと内容を想
の育成である。米国政府およびその要請をうけ
定した著書の出版助成がスタートしている。こ
た同国の学界が設立を支援した経営大学院や政
のように、同スカラシップは帰国後のフォロー
策シンクタンクを中心に、国際競争や産業再編
アップも非常に手厚いのが特徴であり、またそ
の波に対応できる新しいタイプの企業家と、彼ら
うしたなかで、新旧奨学生の研究対象地域を超
による地域経済統合への貢献の仕方を説明する。
えた交流も生まれている。
ブックレット・シリーズのタイトルは「アジ
出版の経緯
アを学ぼう」となっているが、これは同スカラ
筆者は、松下幸之助記念財団が松下幸之助国
シップがもともとアジア地域のみを対象として
際スカラシップ(旧松下国際スカラシップ、パナ
いたためである。対象地域が拡大されてからは
ソニック・アジアスカラシップ)の 2009 年度奨
アフリカ・中東・中南米などの地域に留学した
学生として、2010 年から 2011 年にかけて約 1
スカラシップ終了生も執筆応募が可能であり、
年間、グアテマラに研究留学する機会に恵まれ
これらの地域に関するブックレットは「アジア
た。同スカラシップの関連事業として、終了生
を学ぼう 別巻」として刊行されている。本書
の成果発表を中心とする「松下幸之助国際スカ
はその第 6 巻目にあたる。
ラシップ・フォーラム」が毎年秋に開催される
9 月末に執筆者の募集と選考、10 月半ばに執
ほか、そこでの発表者やディスカッサントを執
筆要綱が送られてきて、翌年 2 月に財団関係者列
筆者の主力とするブックレット・シリーズ「ア
席のもと同期の執筆者が集まっての中間報告会、
ジアを学ぼう」が、東京の風響社より刊行されて
3 月末日に初校入稿というタイトなスケジュー
いる。さらに 2014 年度以降は海外留学研究の
ルで、400 字× 80∼120 枚の原稿を仕上げるに
著者自身による新刊書紹介
69
はそれなりの覚悟と工夫がいる。筆者を含む第
リーズが巻数を重ねるにつれ市場や学界での存
8 期ブックレット執筆者 6 名は「全員遅れず、き
在感を増すことを祈るばかりである。
ちんと刊行!」のスローガンのもと、グーグル
のスプレッドシートにそれぞれの進捗状況を書
研究の背景
き込み、お互いのスケジュールを把握しながら
筆者が国際学術協力や政策形成支援といった
執筆を進めた。なかでもタイムキーパーを引き
ソフト面での援助需要に注目したきっかけは、
受けて下さった田中有紀さんにはお世話になっ
在エルサルバドル日本大使館に専門調査員とし
た。連帯感をともなった作業管理は執筆の励み
て勤務した 2002 年∼2004 年に遡る。
になったが、その分、自分一人が遅れたときの
エルサルバドル政府に対する一般文化無償資
焦燥感や挫折感も大きかった。筆者は終盤に失
金協力の一環として、大使館を通じて同国の国
速し、最後は半ベソでパソコンに向かうも結局
営文化・教育テレビ局に放送機材が供与された
間に合わず、一日遅れでデータ原稿を入稿して、
ときのことである。当時民間出身の特命全権大
紙原稿は JR 駒込駅近辺にある風響社の郵便受
使として着任されたばかりの細野昭雄先生は、
けに直接投函しに行った情けない思い出がある。
執筆にあたって、学術的・専門的なテーマや
「機材だけでなく、コンテンツと併せて提供する
ことに意味がある」という問題提起をされた。
内容を含んでいることは構わないが、基本的に
これをうけ、2003 年 10 月より、スペイン語に
は「一般読者」を想定することが求められた。風
翻訳された「NHK プロジェクト X」39 話のほ
響社の石井氏には、
「あとがきは他の地域への呼
か、国際交流基金などが作成した各種の映像ソ
びかけにもなるような、もっと引いた目線から」
フトを用いて、毎週日曜日夜 8 時の時間帯(水
といった気づきのアドバイスを色々といただい
曜夜 9 時 30 分再放送)に、日本の産業技術や文
た。また、筆者にはとても思いつかなかったで
化などを紹介する番組が放送された。先生は大
あろうキャッチーなタイトルをつけていただい
使としての激務の傍ら、自ら番組の台本を書き、
た。財団の助成は出版費用全額をカバーするも
ほぼ毎週解説者として出演し、放送内容に関係
のではないため、本が売れないと採算はとれな
するエルサルバドル人のゲストを招くなど、日
い。なかには売れ行きのよい巻もあるため、全
本を身近に感じてもらえるための工夫をこらし
体としては各期とも刊行数年で採算ラインに到
た。番組で紹介される日本人の仕事にかける情
達すると聞いているが、そうしたなか、日本で
熱や責任感、難題に挑み努力し続ける粘り強い
は「辺境」
、
「内戦」
、
「暴力」のイメージが強い
姿は同国内で大きな反響を呼んだ。筆者は同国
中米の、特権的少数者である一部の企業家に焦
の実業界やシンクタンク、政府関係者など、行
点を当てた研究を紹介する機会を与えて貰った
く先々で「細野大使の番組見てるよ」と声をか
ことは感謝に堪えない。学生にはニカラグアや
けられ、
「我々(エルサルバドル人)に必要なの
ホンジュラスの国名を「はじめて聞いた」と困
はまさにこうした情報提供と、教育・啓蒙活動
惑され、ビジネスマンには「そもそも中米に企
に対する支援なのだよ」という感謝と称賛の言
業社会と呼べるものがあるのか」と訝しがられ、
葉をかけてもらった。こうした経験から、いわ
何より筆者の力不足が災いして「闇に叫べども
ゆるソフト・パワーとの関係で教育および関連
木霊すら聞こえず」だが、同ブックレット・シ
分野に対する経済協力のありかたについて考え
70
ラテンアメリカ・カリブ研究
るようになった。
を追求するための共通概念を作り出した。その
教育分野に対する経済協力のアプローチは国
ことが、地域経済統合や米国との自由貿易協定
によって異なる。日本政府が得意とするのは、
の締結に有利な土壌を提供した。すなわち教育
ユネスコの「万人のための教育」の理念に通じ
支援と政策形成支援、そして地域の外交・貿易
る初等教育の普及と質の向上である。エルサル
関係が密接に結びついた形で展開していたので
バドルでは草の根無償資金などを活用して各地
ある。
に小学校の校舎が建設されていたほか、複数国
にまたがる広域プロジェクトとして、JICA の
「算数指導力向上プロジェクト」が進んでいた。
今後の課題
「出版の経緯」のなかでも触れたが、本書の
同プロジェクトは中米・カリブ地域の国際学力
執筆は時間的制約とのたたかいでもあった。既
比較調査で算数の成績が最下位だったホンジュ
にある程度書き溜めておいた文章を再構成した
ラスを皮切りに、指導のよりどころとなる教師
部分が多く、グアテマラ留学中に中米各国の経
用の指導書と学童用のワークブックを作成し、
済団体などを訪問しておこなった聞き取り調査
これらの教材を活用した教員研修を実施するも
や文献・資料調査の成果を十分に反映させるこ
のであった。
とができなかった。そのため、各国の財界にお
こうした日本政府の支援と対照的に映ったの
ける新旧勢力の交代と政治変動の分析に十分な
が、本書でとりあげた米国政府による支援であ
紙幅を割くことができなかった。これらを含め
る。地域プロジェクトとしてハーバード・ビジ
た分析のまとめを今後の課題としたい。
□
■
ネススクールの提携校を設立し、中米各国の実
業界から有力ファミリービジネスの所有経営者
『南米につながる子どもたちと教育―複数文化
や次期後継者を中心とする「ベスト・アンド・
を「力」に変えていくために』(牛田千鶴編、行
ブライテスト」を集めて、専門経営者教育を施
路社、2014 年)- 南山大学・牛田千鶴
した。なお、中米ではファミリービジネスの所
有と経営の分離は進んでいない。企業の大部分
文部科学省の調査によると、日本における公
はファミリービジネスのままで、企業家の多く
立の小・中学校、高等学校等に在籍する外国人児
は相続人(企業の支配権または新企業の創設に
童・生徒は全国で 7 万人を超え、うち日本語指導
充当する富や人脈を相続)である。しかし中米
が必要な児童・生徒は 2 万 7,000 人に上ってい
における経営大学院の貢献は、専門経営者自体
る。母語別では、ポルトガル語話者が 32.8%で
というよりも、専門経営者という観念を普及さ
最も多く、次いで中国語が 20.4 %、フィリピノ
せたところにある。各国では、専門経営者教育
語が 16.6%、スペイン語が 12.9 %で、これら
を受けた新しいタイプの企業家が運営に参加す
4 言語話者が日本語指導の必要な児童・生徒の
るシンクタンクを設立して、政策研究を普及さ
82.7%を占めている(いずれも本書編集時に最新
せた。これらの支援の受け手となった企業家を
とされた 2012 年 5 月 1 日現在のデータより)。
中心に、ファミリービジネスの経営改革と商工
ポルトガル語話者とスペイン語話者を合わせ
業の国際展開が進んだ。また、政府および企業
ると 45.7%でほぼ半数に達しているが、そのほ
社会が一体となって中長期的な成長・開発目標
とんどが、1990 年代以降に南米から日本へやっ