ブラジルの都市問題―貧困と格差を越えて

ラテンアメリカ・カリブ研究
ウォルマートの新興市場参入について、メキシ
コと中米諸国についてさらに深掘りすると同時
に、さらに対象範囲を拡大して研究していきた
いと考えている。
特に、今回取り扱った中南米 市場の他に、
ウォルマートが現時点で進出済みである、.);'
の一角で近年注目を集める概念である .*(ベー
ス・オブ・ザ・ピラミッド)市場の規模が相対的
に大きいブラジルと ,;#8 の一角であるアル
ゼンチン、卸売での進出が既になされているイ
ンド、今後進出が有力視されているロシアにつ
いては、調査に向けた取り組みを開始している。
これらの諸国の事情に詳しい方や、今後この地
域の企業研究を行っていこうと考えている方で、
本書などを通じてこの分野の研究に関心をもた
れた方は連絡を頂ければと考えている(1(
アドレス:"=[$E D)
。今回紹介した小
さな幸運のような出会いを期待しております。
に数年後にポルトガルを訪れ、それらの歴史都
□
■
市の景観は、リスボンやコインブラではなく、
大西洋に浮かぶアソーレス諸島にあると知った
『ブラジルの都市問題―貧困と格差を越えて』
(住
とき、目から鱗が落ちる思いであった。要する
田育法監修、萩原八郎・田所清克・山崎圭一編、
に、新世界ブラジルには大航海時代以降、本国
春風社、 年) 京都外国語大学・住田育法
の特定の地域の単一の建築技術が伝わり、きわ
日本で桜の咲く時期、ブラジルでは復活祭を
めて類似した植民地都市が各地に複数、誕生し
迎える。今から 数年前、リオデジャネイロ
たのである。
(以下、リオと略す)に筆者が留学していると
ではなぜ、リオの景観はオーロプレットと異
き、復活祭の休暇を利用して下宿の隣人の故郷
なっているのか。それは、 世紀初頭にフラン
オーロプレットを訪問したことがある。夜行バ
スの町並みを模した近代化が進められたからで
スを降りて夜明けの古都に立つと、歴史の匂い
ある。つまり、徹底した古い町並みの破壊とモ
が漂う石畳の街路は、祭りの花びらで美しく飾
ダンな景観の創造がなされたのである。同時に
られていた。リオとは違う素朴な風景の印象は
この過程で、富者と貧者の住み分けが進み、や
強烈であった。やがて 年後に、学生では叶
がて、本書の表紙に利用している、巨大なスラ
わぬちょっと贅沢なブラジル各地の観光旅行を
ムの誕生となった。
して驚いたのは、サンルイスやオリンダ、ベレ
さて、本書執筆にいたる、研究会の経緯につ
ン、サルヴァドールなどの町並みも、オーロプ
いて振りかえっておこう。 年
レットによく似ているということだった。さら
ラテンアメリカ学会第 回定期大会で、筆者
月に日本
著者自身による新刊書紹介
がコーディネーターとなって、同年1月の労働
に注目して「ブラジルの都市形成と土地占有の
者党(*)ルーラ大統領誕生という政治変動を
歴史」を執筆した。新首都ブラジリアについて
基底に、ブラジル新旧首都ブラジリアとリオの
は、ブラジリアでフィールドワークを進める奥
都市問題を取りあげ、
「現代ブラジルにおける政
田の推薦で招いた、人類学者のグスターヴォ・
治と都市問題」を共通論題に、本書の執筆者で
リンス・リベイロ(ブラジリア大学)がその誕
ある田所(京都外国語大学)
、山崎(横浜国立大
生の歴史を、
「ある都市の考古学」と題して報告
学)
、奥田(大阪大学大学院/現神田外語大学)
、
した。ポルトガル語の報告は奥田が和訳した。
谷口(筑波大学大学院/独立行政法人国際協力
第2部の現代編では、リオやサンパウロのよ
機構)らと議論を交わしたことから研究の輪が
うな大都会のスラムの現状や土地所有問題の本
広まった。同年 月に大阪でおこなわれたラテ
質に迫った。
「リオの都市問題」については、ア
ンアメリカ・カリブ海研究国際連盟(9;08')
ジア経済研究所の近田亮平研究員の紹介で研究
第 回大会には新たに萩原(四国大学)が加
会に参加した、カイゾー・ベルトラン(ブラジ
わって、同じテーマでパネルを組織し、研究発
ル地理統計院)が、統計調査に基づく研究報告
表に参加した。この 名に、ブラジル在住の をおこなった。京都での研究報告の後、同氏は、
名を加えた京都の研究会を基盤に、計 名で
リオ在住の研究仲間ソノエ・スガワラ(応用経
本書の執筆を進めた。
済学調査研究所)と共著で、過去のカーニバル
学会活動以外、この同じメンバーで、 年
で陽気な音楽とともに繰り返された「昼間の断
∼ 年度の 年間、科学研究費補助金による
水、夜間の停電」というフレーズを論題に選び
「現代ブラジルにおける都市問題と政治の役割」
投稿した。これについて2人は、統計データか
についての研究会を京都で開催した。ブラジル
ら知ることのできない、当時のインフラの質を
人を交えた、複数の学問領域にまたがる「混成
歌っている、と評している。和訳は奥田が担当
部隊」ならではの自由な雰囲気が、研究の質を
した。さらに奥田自身、「ブラジリアの都市下
高めたと思っている。
層と不法問題」と題して現地調査の成果を発表
本書の第1部の歴史編では、ブラジル全土、
古都リオ、新首都ブラジリアという3つの次元
してくれた。
谷口は、ブラジリアとリオの「住宅政策」に
から新世界における都市の誕生と形成を論じた。
ついて、都市住環境開発と公共政策の面から論
ニレウ・カヴァルカンティ(フルミネンセ連邦
じた。 数年前、サンパウロ大学に留学してい
大学建築都市学部)が、都市工学の観点から「ブ
た萩原は、サンパウロの「都市問題に対する州
ラジル ・ 世紀における都市化について」と
と市の役割分担」について述べている。ブラジ
題して、ポルトガル語で発表した。彼は、ヨー
ルと日本で研究活動を続ける根川幸男(ブラジ
ロッパの近代的な都市計画をモデルに誕生した
リア大学)は、「多文化都市サンパウロにおけ
ブラジルの都市は、美しい街路や建造物を誇り
る「日本文化」の表象の形成―東洋街における
としているが、解放された元黒人奴隷のような、
新伝統行事を中心に」と題して、日系人社会の
低所得者層への配慮が欠けていた、と指摘する。
視点から都市問題を考察した。
原稿は萩原が和訳して本書に掲載した。筆者は、
本書第3部の現代編では、貧困と格差を越え
リオの都市問題について、格差の典型、スラム
るための新しい展開を紹介した。まず田所が、
ラテンアメリカ・カリブ研究
「ブラジルに観る貧困の逆説」と題して、飢餓と
「ブラジルの土地所有問題とその解決策として
貧困の「新政治地理学」の提案をおこなった。
の土地無し農民運動(%#)の意義」について
続いて山崎が、地方自治の新手法「参加型予算」
報告し、本書に対しては、
「より良い社会を構築
の動向を示し、さらに近藤エジソン(筑波大学
するための戦略―ブラジルの土地なし農村労働
/現ブラジリア・カトリック大学)が「土地無
者運動の教訓」と題して投稿してくれた。
し農民運動」の意義を主張した。
を数えるブラジル
タパラ市初代市議会議員・元市議会議長をブラ
の行政単位ムニシピオについて、ブラジル地理
ジルから招いて、
「サンパウロのムニシピオ」の
統計院や応用経済研究所では、あらゆる事象が
現状を報告してもらい、その現地報告「ムニシ
数値化されて計量分析がなされているが、
ピオ・グァタパラとともに生きて」を本書の最
年度の研究会を終えて、地方自治の新手法「参
後に載せることができた。
年 月時点で
この年には、萩原の紹介により、近藤四郎グァ
:
加型予算」の動向を執筆した、山崎は次のよう
今回の出版はこのように、学会や京都の研究
に述懐している。「従来日本では十分に確認さ
会の活動に参加いただいた皆様を中心に進めた
れてこなかった制度の微細な点が招聘した複数
のである。
の研究者との議論を通じて確認されたことも、
本書の編集後記でも書いたが、ラテンアメリ
大きな成果であった。たとえばブラジルは住民
カのなかで南米は、ここ数年、非常に注目度が高
票も戸籍もないが、どのようにして毎年の各都
まっている。とくに政治動向に対するもので、
市住民数を割り出しているのか、あるいは「都
次々とグローバル化や経済自由化に異を唱える
市人口」の定義はどのようになされているのか、
政権が誕生しつつある。これら新政権は、反米
といった基礎的事項について、各報告者に何度
政権でもあり、キューバに対する親近感を表明し
も確認した。従来、おおまかな国際制度比較が
ている。ブラジルもそうだが、ベネズエラ(チャ
なされてきたが、こうした微細な点に立ち入っ
ベス大統領)
、チリ(バチェレ大統領)
、ボリビ
た厳格な比較検討は、必ずしも十分にはなされ
ア(モラーレス大統領)
、ウルグアイ(バスケス
ていなかった。重要なことは、こうした細かい
大統領)
、エクアドル(コレア大統領)
、アルゼ
制度上の特徴に、ブラジルの歴史が陰を落とし
ンチン(フェルナンデス・デ・キルチネル大統
ていることである。針の穴からブラジル社会全
領)と、反米の連鎖である。国際政治における
体の本質に迫ることができるという意味で、記
米国の行動をかなり傲慢だったと見る人々は、
録にとどめるべき成果である。
」と。
そうした状況を歓迎するであろう。
翌 年の日本ラテンアメリカ学会第 回
しかし、この政治の動きを、都市というメゾ・
定期大会で「ブラジルの都市間題―ムニシピオ
レベルにまで降りて冷静に観察してみると、ど
の形成と都市行政の展開」と題してパネルを組
うであろうか。都市は多様な問題をかかえてお
織し、今日の農村地区における土地なし農民運
り、このたびの政治の動きは、積極面も有すると
動や市街地のファヴェーラの形成における土地
は思われるが、都市の課題の解決につながると
占拠、さらには都市暴力に関わる問題を考察し、
の楽観は許されない。「行き過ぎた経済自由化
学際研究の立場から貴重な情報交換ができた。
の中で拡大した貧富格差の是正をめざした、望
京都の研究会でも、とくに近藤エジソン謙二が、
ましい動き」だとして、手放しで肯定してよい
著者自身による新刊書紹介
であろうか。中南米での経済自由化が貧富の格
差を拡大させたことは確かであろう。しかし、
現在の政治の指向性の変化が、具体的対案に結
実して都市の貧困の解消に資するとは、簡単に
はいえないであろう。都市は複雑である。本研
究会の成果のひとつは、われわれ1人ひとりに、
今「熱い」南米を冷静にみつめなおす姿勢を与
えてくれたことかもしれない。本書が、格差克
服を目指すメゾ・レベルの社会モデルを考える
ための一助になればうれしい。
□
■
『コスタリカの保健医療政策形成 公共部門に
おける人的資源管理の市場主義的改革』(専修
大学出版局、 年) 石巻専修大学・丸岡泰
本書は、コスタリカの保健医療部門において
市場主義的改革が政策形成に影響する過程の研
究である。 年に私が上智大学から授与さ
えられる。たしかに、地方で尋ねても保健医療
れた博士(国際関係論)学位の論文に基づく出
サービスは届いており、この点は他の途上国と
版物である。本稿執筆時点で 年 月の出
は大いに異なると思われる。
版から 年あまりが経過している。以下、その
この成果にかかわらず、経済危機以降の「市
内容と読者からの反応および調査中の体験談を
場主義的改革期」に、この部門の改革が試みられ
紹介したい。
た。本書の目的は、保健医療政策の形成に影響
まずは、本書の主題についてである。周知の
する要因の明確化と市場主義思想の具体策「経
通り、コスタリカの福祉国家的国づくりの成果
営契約」の評価である。コスタリカの保健医療
は顕著である。とりわけ、先進国並みの出生時
政策への市場主義の影響という本書の視点の研
平均余命は、保健医療政策研究の必要性を示唆
究は、管見の限りまだない。本書出版意義の多
する。その一方、経済開発面ではかつての輸入
くはこの点に依拠している。
代替工業化戦略から、 年代に、;%9・世界
本書の焦点は、市場主義的改革期の同部門の
銀行路線へ転換した。保健医療部門の改革はこ
人的資源管理、つまり、専門家たちの働き方の
の「市場主義」の延長上にある。
管理方法にある。伝統的に、同部門の専門家が
コスタリカでは 年代初めまでの「政策
構成員となる多数の労働組合が政策形成に影響
普遍化期」に国民の約 %以上を受益者とし、
してきた。本書では、公共部門の労働組合と社
サービスの供給と財源が公共部門に属する健康
会保険公庫の関係および医師の人事・労務管理
保険制度が出来上がっており、これが高い出生
などを包括的に扱う語として、
「人的資源管理」
時平均余命など健康面での成果に貢献したと考
を使用している。