ラテンアメリカにおけるカトリック教会と政治・社会 - So-net

FIAL 第 41 回フォーラム
2013 年 12 月 19 日
発表者 松井 清治
ラテンアメリカにおけるカトリック教会と政治・社会
はじめに
ラテンアメリカにおけるカトリック教徒は、2010 年の統計によると 4 億 2500 万人で、
世界の信者 10 億 9 千万人の 39%を占めて、欧州の 24%を大きく上回っている。然し、
ラテンアメリカ人口比で見ると、1910 年の 90%から 2010 年には 72%に減少している。
主な原因は、プロテスタントへの改宗によるもので、今や 15%を超えたと言われる。
そこで、植民地時代から今日までのカトリック教会の政治・社会的役割の歴史的変遷を
概観して、プロテスタント信者が何故増えているのか、考察する資料の一端としたい。
1 . 征 服 ・ 植 民 地 時 代 ( 1492 年 ‐ 1810 年 )
・スペインとポルトガル王国は、1494 年のトルデシリャス 条約に基づき世界を二分割
して、先住民を武力だけでなくキリスト教への強制的改宗による精神的征服を行った。
・そして「宗教保護権」(注)に基づき、カトリック教会の特権と地位を保障。教会は、
大土地所有、金融・社会福祉・教育事業を独占した。
(注)ローマ教皇庁から、両王国がカトリック教会に経済的支援を行う見返りに、領土内
の司教任命権、教会の運営に関する権限を移譲されたもの。
・カトリック教会の聖職者は、行政官僚としての実務能力を備えて植民地支配に政治的・
社会的役割を果たし、また王権支配が及ばない辺境での布教開拓、征服と植民地統治
機構の一翼を担った。
・祝日祭礼は教会の典礼に因み、政治・社会的な式典に司祭の祈祷とミサが欠かせない。
また、学校・病院運営に及び、住民の誕生から死まで人生の実質的関与者となった。
2 . 独 立 運 動 時 代 か ら 第 二 次 世 界 大 戦 ま で ( 1810 年 ‐ 1945 年 )
・メキシコでは、カトリック司祭が独立運動の指導的役割を果たしたが、19 世紀半ばの
レフォルマ(改革)及び 1917 年の革命憲法は厳しい反教権主義条項を規定。そのた
め、他国では見られない国家とカトリック教会の激しい対立が続いた。(第 5 項詳述)
・コロンビアは、1887 年政府とローマ教皇庁との条約で法律上特別の地位と政教分離を
決め、ブラジルの教会は 1891 年共和制憲法により政教分離が規定された。
・20 世紀初頭、アルゼンチン・ウルグアイ・チリを中心に、カトリック社会教義と民主
主義の原則を結び付けるキリスト教民主主義思想が広まる。
(注)カトリック社会思想は、資本主義・社会主義いずれも人間の尊厳を冒すものとして、
第三の道としての共同体主義 ― 混合経済を基礎として福祉国家の実現を目指す。→ 資産国有化へ積極的姿勢(チリの銅山国有化 ベネズエラの石油資源国有化)
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3 . 現 代 の カ ト リ ッ ク 教 会 ( 1945 年 以 降 )
・ソ連・東欧諸国における東方(ロシア)正教会に対する抑圧、社会主義勢力による政
権獲得への警戒心 → 反共政策と改革主義的ポピュリズム政権との協調。
・社会変革に対応するためラテンアメリカ諸国の司教間の対話が生まれ、1955 年「ラテ
ンアメリカ司教会議」(CELAM-Consejo Episcopal Latinoamericano)設立。第一回
リオデジャネイロ総会開催。
・1968 年、第二回 CELAM 会議(コロンビア・メデジン開催)では、ラテンアメリカ
の多くの住民が貧困状況にあること、救済は精神的側面に限られるべきでないこと、
教会は貧しい人々とともに働くことが決議された。 ⇒ 「メデジン文書」
・60‐70 年代、社会問題へ関心を深めていた改革派は<新従属論>(注)の影響を受け
て、キリスト教は貧しい人々の解放のための宗教であると考える「解放の神学」
(Teología de la Liberación) が生まれた。
(注)プビッシュの従属論に対し、ドイツのマルクス経済学者アンドレ・フランクが提唱。
世界資本主義体制は、先進国を発展させると同時に、搾取される周辺途上国に低開発を
齎すため、これを脱却するために社会主義革命を目指す。1970 年、ペルーのグスタボ・
グティエレス神父の体系的理論書「解放の神学―見通し」を出版。
・1979 年ニカラグアでサンディニスタ民族解放戦線(FSLN)の政権成立。解放の神学の
流れをくむ 4 名の聖職者が入閣。ローマ教皇庁はこれを批判、その後司祭職を停止。
1984 年、教理聖省の批判文書「解放の神学のある側面に関する指針」出版。
4.軍事政権とカトリック教会
・1960 年代半ばから約 20 年間、多くの国で軍事政権が支配。カトリック教会は、唯一
の野党的勢力として人権侵害や経済政策を批判して民主化への移行に貢献。
・教会は強力な全国的ネットワークと国際的連帯を活かした情報交換や人権擁護運動な
ど草の根の政治動員により、内外の反軍政世論を強めた。
・
「解放の神学」の影響を受けた貧しい農民やスラム住民などが土地闘争や反体制運動に
積極的に参加。米国は権益を損なわれることを危惧(1981 年ワシントンに「宗教およ
び民主主義研究所」設立)。
・ソ連東欧の社会主義体制消滅とラテンアメリカの民主主義の定着に伴い、
「解放の神学」
は政治活動から撤退した。
1)ブラジルでは、71 年サンパウロ大司教が人権擁護への意志表示を通じて軍政批判。人
権問題だけでなく権威主義的政治体制と経済政策も批判。信徒主導型の「キリスト教基
礎共同体(CEB)」は、「土地なし農民運動」を戦略的に支援した。
2)チリの軍事政権は、左翼勢力弾圧政策とキリスト教民主党の非合法化。教会が反体制
の役割と組織的人権擁護活動‐中産階級・労働者・女性が教会の活動に参加。
伝統的カトリックグループ復活 → プロテスタントの軍部布教許可と信者増加。
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・1987 年 4 月教皇ヨハネ・パウロ二世訪問、和解と民主化を説いた → 反体制勢力
統合の気運。1990 年 パトリシオ・エイルウィン大統領のキリスト教民主党政権誕生。
3) ベネズエラではカトリック社会教義の実践、左右の政治勢力の対立が激化した 1960
年代、注目を集めたのが第三の政治勢力としてキリスト教民主党政権の登場。
4) キューバ革命政府とカトリック教会は当初友好的関係だったが、1961 年のピッグス湾
侵攻事件以後教会への弾圧。キューバ司教が革命を事実として受け入れ、1969 年政府
との対話を求め、活動の自由は制限されたが生き残った。
1994 年枢機卿復活、1998 年 8 月ヨハネ・パウロ二世キューバ訪問、キューバが多元
的社会になること及び米国政府の経済制裁解除を訴えた。
5.メキシコにおける国家とカトリック教会の対立
・1854-76 年の自由主義革命を目指した「レフォルマ」改革期に、1857 年憲法で「信教
の自由」、そして聖職者の特権廃止、教会資産国有化などの改革諸法を制定、1859 年
8 月にはヴァチカンとの国交関係を断絶した。
・メキシコ革命の 1917 年憲法は更に厳しい反教権主義条項を制定。1926 年 6 月反教権
条項に違反した場合の罰則を規定した大統領令制定に対し、教会はミサを中止。
1927 年 1 月信徒が武装蜂起して全国的内乱に発展。(1929 年 6 月和平協定成立まで
の 3 年間犠牲者 3 万人近くの「クリステーロの反乱」)
・1978 年 1 月 ローマ教皇ヨハネ・パウロ二世がプエブラで開催する CELAM 総会に出
席希望表明。メキシコ政府は受け入れ正式発表まで、外交関係復活と憲法との抵触問
題を巡って対立する見解で混乱。
・1988 年 12 月 1 日 カルロス・サリナス大統領は就任演説で、
「教会と新聞社を含めて
あらゆる政治組織及び社会組織と、国家の関係を
近代化
する」と発言。
・1990 年 5 月ヨハネ・パウロ二世メキシコ再訪は、憲法改変を一歩進める契機となる。
1991 年 7‐8 月、サリナス大統領欧州数カ国歴訪後、ヴァチカンで教皇と会見。
・1992 年 1 月、制度的革命党(PRI)が憲法の反教権主義条項の改正案を提出して成立。
同年 7 月には施行細則「宗教団体及び国民の信仰に関する法律」を公布。」⇒教会と
聖職者の資格と活動に関する制限と規制を大幅に緩和。ヴァチカンと外交関係回復。
・憲法修正の背景と要因:1982 年からの経済危機と政治混乱、PRI の政治体制の危機、
旧社会主義圏の宗教復興、カトリック教会の影響力再認識。
6.ラテンアメリカにおけるプロテスタント
1)プロテスタントの布教
・19 世紀後半、プロテスタントの欧州移民の移住地が南米南部各地に設けられ、布教
組織が布教団を派遣し始める。
・19 世紀末から 20 世紀にかけて、米国からの伝道を中心とする福音派が潤沢な資金
と人材の投入により、中米諸国で多くの信者を獲得。
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・20 世紀に入り、工業化・都市化、世俗化の波とともに、プロテスタントが欧米の近
代的技術・文化を帯同する宗教として、巾広く浸透していった。
(注)ラ米では、プロテスタントを
evangelical
と総称することがある。
・1960 年代以降、政治・社会変動を背景に、農村部や貧困層社会で人々の精神的拠り
所となり急速に増加。
・ブラジルでは、1990 年代半ば以降ペンテコステ(聖霊降臨)派の教義が、低中流層
に急速に普及、2010 年のプロテスタント 22.2%の中 19%を占めると言われる。
2)ラテンアメリカ・プロテスタンティズムの論理
・勤勉・節約、厳しい労働倫理、合理主義と近代化の担い手、中産階級の生活様式。
教会は、信者たちの物質的・心理的安全を保障する互助組織でもある。
・女性の信者が多く、役割も大きい。マチスモが抑制され、家庭が再構築される。
庶民の生活とかけ離れた権威主義的カトリック教会聖職者の官僚組織がない。
3)宗教国家米国の影
・米国政府の政治的意図の下、保守的布教団がラ米のプロテスタント化を推進。
( 米国の人類学者ストール「ラテンアメリカはプロテスタントになるか?‐福音派
成長の政治学」。) ・アメリカは、1791 年憲法で政教分離と信教の自由を明記した国であるが、特定の宗 教教団と国家の結びつきを禁止することで、政治と宗教を分離するものではない。
・宗教は、多様な民俗・文化の移民国家アメリカを統合する役割。2001 年の 9.11 国
家的危機では、星条旗と神の下に結集、国歌 “God, Bless America” を流し続けた。
・ラ米のカトリック教会の弱体化を望む米国政府の支援。グアテマラで 1982 年福音
派のリオス・モント将軍のクーデター、1991 年ホルヘ・セラーノ大統領が誕生。
以上
第41 回フォーラム コメント
小林利郎
松井スピーカーの説明にコメントというよりはブラジルでの経験をお話して補完したい。
(1) カトリック教会の変遷
元来ブラジルでは、多くのラテンアメリカ諸国でもそうであったと想像するが、カトリ
ック教会は各地に莫大な資産を有し、神父は社会的に高い地位をしめていた。上流階級は
ポルトガル、スペイン、イタリア等ヨーロッパのカトリック国からの伝統を引き継いで、
信仰厚く、休息日は必ず教会に行き、教会の主催する社会活動に参加する等敬虔な信者と
して教会と密接な関係を維持した。大家族の家庭では誰か一人聖職に入れば誇りであり幸
福であった。”Voce e muito catolico” というのは『あなたは良い人だ』ということだった。
従って教会は保守的で、1961 年の Joao Goulart の左翼政権とは相容れず、軍事革命を支
持していた。
しかし軍事政権(1964‐1985)が継続してゆくにつれて軍事政権による人権抑
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圧に反対し、労働者や農民といった低所得階級保護の方向に進んだ。一部の教会では説教
が左翼の反政府アジ演説に近い神父も現れた。1968 年の Mededin 会議で声を挙げた「解
放」思想はブラジルでも広まっていた。Leonaldo Boff 神父は過激な「解放の神学」を提
唱し、バチカンから破門された。若い思想家ばかりでなく、高位のブラジル司教会(CNBB)
も貧困階級の人権擁護、特に農地改革を支持し、土地無き民の運動(MST)を支援した。
日本のセラード開発計画には「2 千万人の日本人がブラジル人の土地を奪いにくる」と激
越な反対運動を展開した。ブラジル・カトリック教会は「民衆の立場に立つ」という勢力
となり、上流階級とのつながりは以前のようではなくなった。
(2) プロテスタントの発展
カトリック教会の大衆化が進展するよりもプロテスタント教会の勢力の伸張が目覚しい。
プロテスタント諸派は貧困層の多い地域に、バロック建築の荘厳なカトリック教会とは比
較にならない、粗末な集会場を簡便な教会とし、日常生活の中での信仰の重要さを雄弁な
宣教師が易しい言葉で説いて下層階級の信者を増やして行った。数万人を入れるサッカー
場での大会を TV で見たことがあるが、宣教師の説教に狂喜し、涙をながし、先を争って
献金している様子は統一教会等新興宗教の狂信的大会を見るようであった。プロテスタン
ト各派は経済的にも強大となり、TV チャンネルを持ち、国会へ多くの議員を送り込み、
一大勢力に成長している。(2013 年 12 月 19 日)
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