「古代ウイグル語国際ワークショップ」参加報告

龍谷大学アジア仏教文化研究センター ワーキングペーパー
No. 11-07(2012 年 1 月 31 日)
「古代ウイグル語国際ワークショップ」参加報告
橘堂 晃一
(アジア仏教文化研究センター博士研究員)
【キーワード】:ウイグル語仏典,シンコ・シェリ・トゥトゥング,トルコ言語協会
トルコ共和国の首都アンカラにおいて「古代ウイグル語国際ワークショップ ~ベシュ
バリク出身シンコ・シェリ・トゥトゥングを記念して~」"BEŞBALIKLI ŞİNGKO ŞELİ
TUTUNG ANISINA ULUSLARASI ESKİ UYGURCA ARAŞTIRMALARI ÇALIŞTAYI"とい
うテーマで国際ワークショップが,2011 年 6 月 4 日から 6 日にかけて開催された。報告者
はトルコ言語協会(Türk Dil Kurumu:http://www.tdk.gov.tr/)の招待を受け,参加させてい
ただく機会をいただいた。その内容について簡単に報告する。
主催者のトルコ言語協会は,1932 年にケマル・アタテュルクの提唱によって設立され,
言語改革の一翼を担ってきた。現在は辞書の編纂,文法,言語学,語彙論,口承,史料の
部門に分かれて活動している。
今回のワークショップのテーマとして掲げられているのは「古代ウイグル語」である。
一口に古代ウイグル語といっても,その内容は多岐多様である。突厥に代わって漠北に覇
を唱えていたころのウイグルは,もっぱら突厥文字(ルーニック文字 Runic Script)を用い
て,碑文を刻んだ。シネ・ウス碑文やカラ・バルガスン碑文はその代表である。これはウ
イグル可汗の功績を記した,叙事的な歴史史料である。9 世紀にキルギスに故地を追われ,
天山山脈東麓に移住した一派は西ウイグル国(天山ウイグル王国)を建国する。トルファ
ン盆地や敦煌から出土するウイグル語資料には,仏教文献の他,仏教改宗以前に信奉して
いたマニ教文献,社会経済文献,歴史文献も含まれている。
ワークショップの副題に挙げられているシンコ・シェリ・トトゥング(ŞİNGKO ŞELİ
TUTUNG)とは,西ウイグル国で仏典の翻訳に従事した仏僧の名である。彼が翻訳した仏
典として,これまでに『金光明最勝王経(Altun Yaruk sudur atlγ nom bitig)
』
(以下「金光明
経」
)や『千眼千手観世音菩薩陀羅尼経』のほか,玄奘の伝記である『大唐大慈恩寺三蔵法
師伝』
(以下「慈恩伝」
)
,そして「観心論」と呼ばれる典拠不明の著述が知られている。特
に「金光明経」と「慈恩伝」とは,現在まとまって残っているウイグル文としては破格の
分量を保存し,ウイグル語研究の基礎資料として利用されてきた。当然,テキストの研究
と並行してシンコ・シェリ・トトゥングその人についても分析が進められてきた。これま
でにシンコ・シェリ・トトゥングは,勝光闍梨都統の音写形であること,ベシュバリク(北
庭)を出自とし,10 世紀後半から 11 世紀に活動していたことなどが指摘されている。ウ
イグル仏教史を解き明かす鍵となる重要な人物である。そのウイグル仏僧がテーマとなっ
ているのだから,トルコではめずらしく仏教に関わる発表が多くみられるワークショップ
となった。
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伝統的にトルコではウイグル語仏典よりもむしろ碑文資料に専らの関心が注がれている。
それは,突厥を自らの遠祖とみる歴史観と密接に関わっており,1930 年代,国家プロジェ
クトとして突厥碑文やカラハン朝の文学,マフムード・カーシュガリー(Mahmud Kaşgarlı)
の『トルコ語総覧 Divanü Lügati't-Türk』やユースフ・ハス・ハージップ(Yusūf Khāṣṣ Ḥājib)
の『クタドゥグ・ビリグ Kutadgu Bilig』の研究を推進してきたのもトルコ言語協会であっ
た。また近年、モンゴルの遺跡調査や文化財保護の活動に積極的に取り組んでおり,トル
コでは突厥碑文に関連したワークショップが、毎年のように開催されている。
その一方でトルコの研究者は,ウイグル語仏典の方面でも大きな貢献を果たしてきた。
アラト氏(Rahmeti Arat)が精力的に集めたウイグル文頭韻詩の集成(Eski Türk Şiiri, 1936,
Ankara)は,そのままウイグル仏教詩資料としての性格を持つものである。庄垣内正弘氏
や故百濟康義氏は,アラト氏のテキストをもとに,モンゴル時代に官僚として活躍してい
た安蔵(Antsang)が作成した「普賢行願賛」頭韻詩を見出している。またテキン氏(S.Tekin)
は『彌勒との邂逅 Maitrisimit』やモンゴル時代の草書体ウイグル文字で書写された仏典資
料をあつかった研究を発表している。また今回のワークショップでも労を取られていたセ
ルトカヤ氏(Osman Fikri Sertkaya)も,百濟氏との共同研究を推進してこられた経緯をも
つ。ウイグル文「金光明経」の校訂テキスト(Altun Yaruk Sudur, Metin, Dizin )を出版され
たカヤ氏(Ceval KAYA)の功績も忘れてはならないだろう。比較的若い世代では,オルメ
ズ氏(Mehmet ÖLMEZ)がウイグル語仏典研究を積極的に進めており,トルコにおける斯
学を牽引している。今回発表されたエルマリ氏(Murat ELMALI)とシェン氏(Serkan ŞEN)
も次代のウイグル語仏典研究を担う新進の研究者である。とはいえ一昔前に比べると,仏
典を扱う研究者は減少している感があり,仏典をテーマとするワークショップがトルコで
開催されることの意義は大きいと考える。
さて,
ワークショップの参加者の内訳をみると,
トルコに次いで多いのがドイツであり,
その他中国,日本から約 40 人が参加した。ドイツは豊富な資料と蓄積された研究成果を基
礎とした厳密なテキスト研究を伝統としており,今回の発表でも『彌勒との邂逅』
,
『十業
,
『天地八陽神呪経 Säkiz Yukmäk Yaruk』の
道の比喩譚の花輪 Daśakarmapathāvadānamālā』
テキスト研究プロジェクトが紹介されたことが印象的であった。中国はやはり近年陸続と
発見される写本や碑銘を扱った研究が中心をなしており,研究内容にもそれぞれ国の特徴
が反映されており,いずれの発表も興味ぶかく拝聴した。
ワークショップは 6 月 4 日と 5 日は,ヒルトンホテルで,6 日はトルコ言語協会の本部
-2-
に会場を移して行われた。ワークショップの詳細は遠からず論文集として出版されると聞
き及んでいる。ここではワークショップにおいて発表された研究のうち,シンコ・シェリ・
トゥトゥングもしくはウイグル語仏典に関するタイトルだけを列挙し,以て報告としてお
きたい。
Osman Fikri SERTKAYA
ウイグル文字作品に関するトルコにおける研究とその出版
Uygur Harfli Eserlerin Türkiye'deki Araştırma ve Yayımlanma Tarihinden
Peter ZIEME
シンコ・シェリ・トトゥングは誰か?
Şingko Şäli Tutung Kimdir?
Klaus RÖHRBORN
古代ウイグル語『慈恩伝』における翻訳の特徴について
Xuanzang Biyografisindeki Bazı Çeviri Özellikileri Üzerine
Jens Peter LAUT
ゲッティンゲン大学「マイトリシミット」プロジェクト
Zum Maitrisimit-Project an der Universität Göttingen
Simone-Christianne RASCHMANN
古代ウイグル語『天地八陽神咒経』カタログ化からの新知見
New Results from the Cataloguing Work on Säkiz Yukmäk Yaruk
Jens WILKENS
古代ウイグル語 Daśakarmapathāvadanamālā のテキスト化について
On Editing the Daśakarmapathāvadanamālā in Old Uygur
Abdurishid YAKUP
古代ウイグル語『華厳経』新断片について
Eski Uygurca Avataṃsaka'nun Yeni Parçaları Üzerine
Koichi KITSUDO
古代ウイグル語教義書の再構成
Reconstruction of the Lehrtext
Mehmet ÖLMEZ
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ウイグル語『華厳経』の用語に関して
Uygurca Avataṃsakasūtra'nun Dili Hakkında
Yukiyo KASAI
ブラーフミー文字を伴う古代トルコ語断片
The Old Turkish fragments with Brāhmī Elements
Mirkamal AYDAR
敦煌出土アビダルマ文献 2 件
Two Abhidharma Fragments from Dunhuang
Özlem Civelek AYAZLI
シンコ・シェリ・トトゥングと古代ウイグル語訳『金光明最勝王経』
(Altun Yaruk )
について
Şingko Şeli Tutung ve Altun Yaruk Çevirisi Üzerine
Fuxue Yang
敦煌莫高窟 464 窟 Altun Yaruk(
『金光明最勝王経』
)を引用した古代ウイグル語銘
文
2点
Two Uighur Inscriptions Quoted from Altun Yaruq Sudur in Dunhuang Mogao Caves 464
Murat ELMALI
Daśakarmapathāvadānamālā (DKPM)の構造研究と直面するいくつかの問題点
Daśakarmapathāvadānamālā (DKPM) Üzerine Yapılan Çalışmalar ve Bu Çalışmalarda
Karşılaşılan Güçlükler
Hakan AYDEMIR
古代チュルク語『慈恩伝』の漢文原典に関する新知見
Eski Türkçe Xuanzang Biyografisi'ne Kaynaklık Eden Çince Metin Hakkında Yeni Biligler
Semet ABLET
古代ウイグル語「säkiz kutrulmak (Pali. Attha Vimokkha)八解脱」について
Eski Uygurca säkiz kutrulmak (Pali. Attha Vimokkha) Üzerine
Maitireyimu SHAYITI
シンコ・シェリの『金光明最勝王経(Altun Yaruk)
』にみる翻訳方法
Sıngku Seli'nin Altun Yaruk'ta İzlediği Çeviri Yöntemi
Erkin AWGALI
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シンコ・シェリの翻訳における対句表現
Şıngqu Salıy'ın Çevirilerindeki Eş Anlamlı Sözler
Tieshan ZHANG
ウイグル文字『阿毘達磨倶舎論実義疏』断片の研究
A Study of One Fragmental Leave of the Abhidharmakośabhāṣya-tīkā Tattvārtha in Uighur
Script
Dilara ISRAPIR
古代ウイグル語 Mahāpraṇidāna の研究
A Study on the Colophon of Old Uyghur Mahāpraṇidāna
Mağfiret Kemel YUNUSOĞLU
シンコ・シェリ・トトゥングの翻訳スタイルについて
Şingku Şeli Tutung'un Terçüme Üslubu Üzerine
Serkan ŞEN
古代ウイグル語「四人のバラモンの物語」一断片
Eski Uygurca Dört Brahman Öyküsünden Bir Parça
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