フランス文学研究 IIb (2010 年度春学期) コレットの『牝猫』にみる「新しい女」(ガルソンヌ) 早瀬 沙織 1.作家紹介 シドニー=ガブリエル・コレットは、多くの作品で「新しい女性」を描いているが、彼 女の人生をみると、彼女こそ時代の先頭を走り抜けた「新しい女性」 (ガルソンヌ)である と言える。アンドレ・ジッドは彼女に対して「私があなたの本の中で特に好きなのは、余 計なものを全て取り去り、いわば着物を脱いで、裸身をさらしていることです1」と述べて いるが、ジッドの表現は的確で、コレットは自らの全てを、女性としての精神も肉体も、 文字どおり包み隠すことなくされけだし、「女性の解放」を実践した。 コレットは、1873 年にブルゴーニュ地方に生まれる。父は退役軍人であったが、文学趣 味の持ち主で、コレットの作家としての基礎は父の影響と言われる。特に少女時代は父の 所有していた多くの図書に魅せられていた。特にメリメ、ユーゴー、デュマ、バルザック なども、すでに7,8歳頃からから読みふけっていた。 93 年には、15 歳年上でバイセクシャルの詩人アンリ・ゴーティエ=ヴィラール(通称 ウィリー)と結婚した。彼はコレットの文学的才能をいち早く見出し、彼女が書いた『学 校のクロディーヌ』(1900)をウィリーの名前で出版する。この作品の成功がきっかけで 『パリのクロディーヌ』(1901)、 『家庭のクロディーヌ』(1902)などの「クロディーヌもの」 が次々と出版され評判となる。しかし、ウィリーの女癖が悪いことから、06 年に離婚し、 その後は生活のためにパリのミュージックホールで、パントマイムやベリーダンサーとし て働く。この頃、ミッシーという名前の公爵夫人が彼女の愛人であり、彼女とも舞台で共 演している。同時に執筆も続けており、 『動物の対話』(1904) 、 『ぶどうの蔓』(1908)、 『さ すらいの女』(1910)などを次々と出版して、彼女の作家としての名声も高まった。 1912 年には、アンリ・ド・ジュヴェネル男爵と結婚し、娘をもうける。その娘が『動物 の平和』(1916)の中のベル=ガズー(同名)である。コレットはこの頃から新聞雑誌に 寄稿を始め、1914 年に対戦が勃発すると、戦地へ赴き、ジャーナリストとして戦争のルポ タージュを書いたり、篤志看護婦として戦傷者の手当をしたりもした。 戦争が終結した 1920 年から、彼女の作家としての「偉大なる創作時代」を迎える。こ のとき書かれた『シェリ』は、ジッドによって「すばらしい知性、見事な筆力と、肉体の 最も秘められた事柄についての深い洞察をもっている」と大絶賛された。工藤は、 「成熟し た女のたくましさ、その健康な感性のみずみずしさは、新しい時代がはじまったという事 1 工藤康子『プルーストからコレットへ―いかにして風俗小説を読むか』中公新書、1999 年、p.174 1 実を、人々に印象づけたにちがいなかった。『シェリ』はたしかに、1920 年代の幕開けに ふさわしい小説だった」2と、コレットの小説が時代に非常に敏感だったことを指摘してい る。この成功に気をよくし、『青い麦』(1923)、『シェリの最後』(1926)、『シド』(1929)、 『第二の女』(1929) などの傑作が発表され、作家としての名声をゆるぎないものとした。 1924 年には、ジュヴェネルの連れ子ベルトランとの関係が問題となり、離婚に至る。この コレットと年下のベルトランとの関係にヒントを得て書かれたのが『青い麦』(1923)で ある。1926 年には、オペラ・コミック座で夢幻劇オペラ『子供と魔法使いたち』をラヴェ ルの作曲で上演した。1933 年には『牝猫』、1935 年には 17 歳年下のモーリス・グドゲと 3 回目の結婚をする。1945 年には傑作『ジジ』を発表する。 コレットは存命中からその名声が認められ、レジオン・ドヌール・シュバリエ賞、ベル ギー王室アカデミー、アカデミー・ゴンクール総裁、グランド・オフィサーなど数々の名 誉を受け、1954 年に死亡した際は国葬が行われた。女性でこうした国家的尊敬を受けたの は彼女が初めてであった。 2.作品のあらすじ 1933 年に発表された『牝猫』(La Chatte)は、コレット 60 歳の円熟期の作品である。 コレットの作品の多くは自伝的であるが、この作品は、彼女の実際の人生とは直接かかわ りあいはない。 主人公は、若い新婚カップルで、カミーユという若い女性とその夫アランである。アラ ンの家はアンパラ商会という会社の成功で財を成して、今でもすばらしい庭のある大邸宅 に住んでいるが、現在は事業があまりうまくいっておらず、衰退の一途である。しかし、 彼は周りからは未だに「アラン坊ちゃま」と呼ばれ、彼の意識も常にお金持ちの坊ちゃん のままである。それと対照的に、カミーユの一家は、マルメール脱水機が当たり繁栄しつ つあり、彼女自身も新興ブルジョアの出身らしく、やや粗野ではあるが、活発で自己をし っかりもった新しいタイプの女性である。二人は幼なじみで、若くして結婚する。新婚の 二人は、アランの大邸宅ではなく二人だけで住むことを決め、コンクリートで固められた 近代的なつくりのマンションで新婚生活をスタートさせる。 一見普通の若い新婚カップルであるが、夫アランはサアという名前の牝猫をこよなく愛 していて、サアのことを「ぼくの可愛いピューマー、大好きな猫ちゃん!地上最高の生き 物!はなればなれになったら、おまえ生きていけるかな?いっそのこといっしょに修道院 にでもはいっちまおうか」3というように、その愛し方は異常である。その結果、この牝猫 がアランとカミーユの間に入って奇妙な「三角関係」を形成する。 アランのサアに対する愛情は、かなり異常である。例えば、ある時、アランはカミーユ 2工藤康子、前掲書、p.172 3 コレット『牝猫』工藤康子訳、岩波文庫、1988 年、p.33-34 2 がベッドに寝そべっている姿を見てサアを思い浮かべ、いつもサアに対して行っているよ うに、「爪をたててお腹を引掻いて」しまい、カミーユに変態扱いされてしまう。 彼女[カミーユ]は、胸や脚をもの憂げにおりまげ、手をかるくにぎるようなかっこ うで、彼のかたわらに休んでいたが、そこにはじめて、猫の風情があった。 《サアは どこにいるんだろう・・・・》 彼は、無意識に《サアのため》の愛撫をカミーユにやりかけ、そっと爪を立てて腹 を引っ掻いた・・・・。 彼女はぎょっとして叫び声をあげ、両脚を硬直させ、一 方の手でアランの頬をしたたかにひっぱたいた・・・4 妻と猫を混同するように、アランは牝猫のサアに対し異常とも言える愛を注いでいる。 この「三角関係」は、サアが二人の新居に同居することになって、目に見えるようにな り、次第に亀裂が大きくなっていく。カミーユは毎日の生活の中で、アランのサアに対す る異常なほどの愛情を感じ、カミーユはサアに対し強い嫉妬を覚え、次第にサアを邪魔な 存在と感じるようになる。カミーユはサアのことを、「このにくったらしい汚いけだもの め! 死んじまえばいいのよ、まったく!」5と罵るようになる。そして、その思いは募り、 とうとうある晩アランの帰宅前に、サアを 10 階のベランダから放り投げてしまう。 サアは幸い一命をとりとめたが、アランは猫がカミーユを異様に避ける態度から、彼女 に放り投げられたことを知る。カミーユは自分のやった行為を認めアランに謝るが、彼は 「なんの罪もないちっちゃな生き物、最高に夢みたいに青っぽい、ちっちゃな魂・・・忠 実で、自分がえらんだものが遠くへ行ってしまえば、ひっそりと死んでゆくことも辞さな いんだ・・・きみはそいつをつかまえて、虚空にさし出し、そうして手をひらいた・・・ きみは人でなしだ・・・ぼくは人でなしとは暮らせないよ・・・」6と言って、絶対に許せ ないと、サアとともに実家へ返って行く。 一方、カミーユは、 「たかが動物じゃないの!一匹の動物のためにあたしを犠牲にするの ね! それにしても、あたし、あんたの奥さんでしょ! 動物のために、あたしをすてる なんて!・・・・」7と、アランの選択が理解できない。彼女は自分のやった行為を反省は するが、決して間違っていなかったと自分の気持ちをアランにぶつける。 「残念ながら、ど うしてそうなのかうまく説明できないけど。でもぜったいに、あたしまちがっていない。 あたしは、サアがいなくあればいいと思いました。それはいいことじゃないわ。でもね、 邪魔なもの、自分を苦しめるものを殺そうとするのは、女にとってはあたりまえの思いつ 4 5 6 7 コレット、前掲書、p.51 同上、p.102 同上、p.175 同上、p.176 3 きだわ。とくに嫉妬する女にとってはね・・・・ それは、正常なことよ。」8 二人の進む世界は、まったく反対の方向へ向かう。アランは、生身の人間の女性を愛す ることができず、牝猫との二人きりの世界へ戻って行くのに対し、カミーユは自分にとっ て邪魔なものは、はっきりと主張し、自らの行為で排除して、前へ進んでいく。物語のエ ンディングは、その二人の行く末を象徴的に描いている。 ひとりっきりになった彼は、肘掛け椅子のなかにくずおれた。彼のすぐそばの柳 のテーブルのうえに、奇跡のように牝猫が現れた。 小径がカーブを描き、葉叢がすけたところがあったので、カミーユはもう一度と おくから、牝猫といっしょのアランを見ることになった。彼女はつと立ちどまり、 いま来た道をするかのように身をひるがえした。だが一瞬まよっただけで、彼女は いっそう足早に遠ざかった。9 アランは牝猫との間で自らが描いた「純粋で」非現実の世界の住人になるのに対し、カミ ーユは現実の中でしっかりと自己を持ち、後ろを振り向くことなく前を向いて生きていく のである。 3.シャネルのスーツを着た「新しい女」の登場 第一次世界大戦終結後の 1922 年にヴィクトル・マルグリットの『ラ・ガルソンヌ』と いう小説がベストセラーになった。この物語の主人公は卑劣な男性社会と決別して、結婚 もせずに子供を産み、自らの手で育てようと決意する 19 歳の娘である。フランスでも当時 は保守的な考えが根強く残っており、この小説に対する抗議は激しかった。しかし、この 主人公の娘のような生き方に共感する動きは徐々に高まり、彼女のようなニューヒロイン が様々な分野で見られるようになっていく。 コレット自身もそのような新しい女の典型であり、自らの体験を生かして新しいタイプ の女性を多くの小説で登場させていった。中でも今回取り上げた『牝猫』のヒロインであ るカミーユは、さまざまな面から見て近代的な女性の典型であり、まさしく「ガルソンヌ」 と言えるヒロインである。 彼女の「新しい」点は、しっかりと自己をもっていることである。これまでの男性中心 の社会では、妻は夫の付属物のような存在であったが、カミーユはそのような古臭い考え などまったく持ち合わせていない。カミーユは、男性に盲目的についていく古いタイプの 女性ではなく、自己の個性と考えを明確に持った「新しい女性」である。それに対し、ア ランは古くからの金持ちの家で育ったため、古典的な倫理観にとらわれている男性の典型 8 9 コレット、前掲書、p.177 同上、p.180 4 である。この二人の関係は、牝猫の存在によって破綻が明らかになったが、このように、 この二人はもともと価値観も生き方も全く違った世界の人間であり、結婚したのも全くの 成り行きで、決してお互いを愛し合っているわけではない。従って、アランは結婚してま もなく、カミーユに対しいろいろと不満を募らせていく。例えば、彼女が常に自分よりも 出しゃばってくる態度が気に入らず、 「こんな若い女が・・・いったいどうして、こんなふ うにぼくの先をこすようになっちまったんだろう?10」と感じるようになる。また、思っ たことははっきりと言葉に出して訴える彼女に、 「まったく。せめて、黙っていることぐら いできないのかね。エミールも言っていたよな、若奥さまは、言いたいことはちゃんとお っしゃいますよって・・・11」と、不快感をつのらせる。さらに、裸で部屋中を歩き回る ふしだらさを見て、 「あれは上流階級の背中じゃない・・・・なんてずうずうしいんだ! ・・・ あいつにとっては、素っ裸で歩きまわるのがあたりまえなのかしら。いや、こんなことい つまでもさせておかないぞ!12」と、腹立たしく思う。 カミーユという名前も、男女どちらでも使用されるということを考えれば、男性のよう な独立心をもった女性という位置づけがされているのかもしれない。その結果、アランが 考える「女性のイメージ」に、カミーユがことごとく反しているので、彼は戸惑いや不快 感を感じ、むしろ、次のアランの台詞が示すように、彼女が自分の世界に入り込んでくる のを拒む態度を取る。アランは、 「カミーユが、ぼくの家に住まないようにするには、どう したらよいだろう?13 」とすら、考えるようになる。アランは結局、生身の人間であるカ ミーユとの関係を受け入れることができず、牝猫サアとの非現実世界の住人になることを 選ぶのである。この小説は、小野ゆり子が「失墜していく男性登場人物の過去の栄光は、 男性が男性であることが尊重されてきた古い家父長私的な伝統に結び付けられているので ある」14と指摘するように、古い伝統から抜け出せない男性の不安を表している。 カミーユの考えの新しさは、そのファッションに鮮やかに示されている。20 年代から、 女性のファッションは根本的に変化を見せた。女性は、男性による古典的で道徳的な価値 観でお人形のようにごてごてと着飾るのを放棄し始める。窮屈なコルセットを放棄し、ス カートは短くなり、古い女性の典型とされた長い髪を断髪した。機能的な服装になり、タ バコやお酒も公然と人前で飲むようになる。ワイザーは、『祝祭と狂乱の日々―1920 年代 のパリ』の中で、この動きをつきのように説明する。 20 年代のはじめ、・・・ファッションも解放と若返りと実験の精神を反映しよう としていた。新しい女性のためのデザインとして考慮すべきもっとも肝心な点は、 10 11 12 13 14 コレット『牝猫』工藤康子訳、岩波文庫、1988 年、p.73 同上、p.80 同上、p.43 同上、p.93 同上、p.150 5 自由に動けることだった15 そして、ワイザーは、そのようなファッションのリーダーとして、ココ・シャネルを上げ る。 新しいヒロインになったのは、ダフ・トウィスデン卿夫人やナンシー・キュナー ドのように、痩せてひもじそうな社会的アウトローたち、あるいはゼルダ・フィ ッツジェラルドに代表されるジャズエイジの《アイドントケア・ガール》 (無頓着 な娘たち)だった。小説の登場人物のモデルになったのも、20 年代の女性が、生 き方でも服装でも真似たいと思ったのも彼女たちだった。女性が家庭から飛び出 し、独立と可能性に満ちたより広い世界に飛び込んだことを、ココ・シャネルほ どはっきりと見てとった人はいなかった。16 シャネルの新しさは、 「自由で活発な女性のためのシンプルなエレガントさ17」を目指し、 アクティブな女性のための機能的な服装を提案した点であった。カミーユのファッション は、まさにシャネル・ファッションのモデルのようである。実際に、海野はシャネルの友 人の一人として、まず第一にコレットを取り上げ、二人とも田舎からパリへ出てきて、同 じように女性的な感性を全面に出して女性の解放を大胆に試みたと論じている18。コレッ トとシャネルは「生涯の友人19」だったようで、お互い刺激し合っていたと考えられ、コ レットの女性登場人物がシャネルファションを身にまとっていても当然である。 カミーユは、次の描写が示すように、短髪で、白のスーツ、赤いスカーフ、赤いルージ ュで登場する。 白い服を着た彼女は、きちんと切りそろえた黒髪をこめかみに一房たらし、小さ な赤いスカーフを首にまき、唇に同じ色のルージュを刺していた。20 まさしくモダンでアクティブな女性にふさわしいファッションである。髪を短く切るのは、 当時「新しい女性」の間ではやり、 「彼女は髪をカットしてもらった21」という題のシャン 15 ワイザー、ウィリアム『祝祭と狂乱の日々―1920 年代パリ』岩崎力訳、河出書房新社、1986 年、 p.118 16 同上、p.119 17 斉藤孝『シャネル』大和書房、2006 年、p.30 18 海野弘『ココ・シャネルの星座』中央公論社、1989 年、pp.9-24 19 斉藤孝、前掲書、p.108 20 コレット、前掲書、p.40 21 エリザベート・ヴィアイスマン『ココ・シャネル―時代に挑戦した炎の女』深味純子訳、班阪急コミ ュニケーションズ、2009 年、p.186 6 ソンも生まれたほどだ。20 年代のパリで活躍した画家タマラ・ド・レンピッカも当時の流 行に触発され、短い髪の女性を数多く描いている22。カミーユの体型も当時のほかのヒロ インと同様、ほっそりとしていて、「未熟で小さな胸」、そして女性らしいふくよかさはな く、少年のようにほっそりとしたシルエットである。この点もシャネルのモデルと同じで ある。また別の場面では、 「バラの香水23」をつけ、 「ニットのベレー帽24」をかぶり、颯爽 とロードスターを自ら運転する。しかも、 「ちょっとスピードを出しすぎるし、腕もよすぎ るぐらいだが、あちこちに視線をはしらせる彼女の生き生きとした口もとには、タクシー の運転手どもに投げつけるひどい悪態が出かかっている。25」もともと彼女の言葉遣いは 「下品」だと見なされている。 「ヌウ(われわれ)のかわりにオン(こっち)をつかう」こ とを「下品な話し方26」とアランに注意される。もっとも、カミーユは一向に直そうとす る気配もない。レストランでも「ワインでほろ酔いかげんの彼女は、楽天的な気分にひた りきって、両脚をくみ脇腹をテーブルにもたせかけながら、まるで自分ひとりしかいない ように、晴れ晴れとした顔で、煙草をくゆらせしゃべりまくっていた。27」周りがどう見 ようと一向に構わないのである。しかも、彼女好む音楽はジャズである。20 年代をアメリ カでは「ジャズエイジ」と呼ぶほどに、ジャズはこの時代の狂乱と喧騒を表す音楽である。 カミーユは、 「それよりジャズを聞きたいわ28」と、マンドリンやギターによるセレナーデ より、金管楽器によるジャズ演奏の「ラブ・イン・ザ・ナイト」が聞きたいと思う。 彼女のファッション、生活態度、言葉遣い、体型、これら「新しい女性」としての条件 の全てが、古典的価値観から抜け出せないアランを不愉快にする。工藤は、20 年代からの ファッションの変化について、この時代ほど「女性の衣裳が、大きく変化したことはなか った」と指摘し、同時に「その間に、男のファションはほとんど変わらなかった」と述べ ているが、この時代に女性が考え方も、生活態度も、そしてファッションも、全ての面で 「新しく」変化を遂げたのに、男性は古い考えのままだった。この作品はそのような時代 背景を見事に描いていると考えられる。コレットは、自らが時代の寵児として、新しい女 性の生き方を模索し、自らの生き方を作品で世に問い続け、時代を引っ張っていった。コ レットの描いた多くのモダンなヒロインの中でもカミーユは、アランという古い社会の代 表的男性を、すっかり翻弄しまうほどの強烈な個性とファッションを身にまとった、この 時代を象徴する新しい女性として、きらめいている。 22 23 24 25 26 27 28 エリザベート・ヴィアイスマン、前掲書、p.89 コレット、前掲書、p.91 同上、p.102 同上、p.8 同上、p.13 同上、p.109 同上、p.140 7 参考文献 コレットの作品 『牝猫』工藤康子訳、岩波文庫、1988 年 『シェリ』工藤康子訳、岩波文庫、1994 年 研究図書 エリザベート・ヴィアイスマン『ココ・シャネル―時代に挑戦した炎の女』深味純子訳、 阪急コミュニケーションズ、2009 年 海野弘『ココ・シャネルの星座』中央公論社、1989 年 小野ゆり子『娘と女の間―コレットにおける母娘関係と男女関係の交差』中央大学出版部、 1998 年 工藤康子『プルーストからコレットへ―いかにして風俗小説を読むか』中公新書、1999 年 斉藤孝『シャネル』大和書房、2006 年 ウィリアム・ワイザー『祝祭と狂乱の日々―1920 年代パリ』岩崎力訳、河出書房新社、1986 年 参考資料 (1)「ショートカットのコレット」1902 年 『プルーストからコレットへ』の 8 p.193 の写真 (2)「1920 年代に流行したシャネルのファッション」 『プルーストからコレットへ』の p.193 の写真 (3)レンピッカ作「緑色のブガッティに乗るタマラ」 この作品はギャルソンヌの権化といわれた。 (ショートカットのヘアースタイルで、真 っ赤な口紅をつけ、颯爽と高級車を運転する姿は、カミーユに似ている。) 9 (4)「マリー・デュバ」 カミーユに似ているといわれる、20 年代に活躍したシャンソン歌手、マリー・デュバの 写真。 (5) 「シャネル 2009 年春夏アクセサリーコレクションのカタログ・キャンペーンフォト: 『シェリ』の中の娼婦をイメージしている」 2009 年 4 月 2 日に発表。コレットの作品『シェリ』の主人公の娼婦をイメージしたポ スター。コレットの描く女性は、シャネルファションのイメージとぴったりだと、今で も考えられている。 10
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