技術ノート (No.38) 特集:多摩川 平成 17 年 11 月 社団法人 東京都地質調査業協会 〒 101-0047 東京都千代田区内神田 2-6-8 TEL (03)3252-2963 FAX (03)3252-2971 ホームページアドレス http://www.tokyo-geo.or.jp/ 発刊にあたって 内閣府中央防災会議による首都直下地震の被害想定では、最大死者11,000人、 経済被害112兆円が想定され、地震災害や地球温暖化の影響と言われる100mm/ 時に迫る集中豪雨による風水害など、都市の安全と安心に危機感を持たざるを 得ない状況にあります。 社団法人東京都地質調査業協会は、都市再生・インフラ整備をはじめとする 建設工事や地震災害、風水害、斜面災害などにおける地質調査の重要性の広報 活動や、その技術の向上を通じて都民生活の安全と安心をお届けするよう努め ております。 会員企業各位の積極的な活動による防災講演や防災展示会などを開催する社 会貢献活動は、東京都の行政機関から大きな信頼を頂いております。これらの 活動を支える会員企業が一定の評価を受けインセンティブが与えられるよう期 待したいと思います。 今回の技術ノートでは「多摩川」をテーマとして、多摩川流域の地質・周辺 の自然環境・多摩川と人との関わり等について、多岐にわたり紹介いたしまし た。 団塊の世代といわれる50代の方々は小河内ダムに遠足に行ったこと、多摩川 での魚釣りや水遊び、多摩川の花火大会など懐かしい思い出がよみがえってく る水辺だと思います。 本ノートを一読し、多摩川の自然とその恵みに触れて、これからもその自然 を育んで頂ければ幸に思います。 平成 17年 11月 社団法人東京都地質調査業協会 会 長 大 越 良 裕 目 次 発刊にあたって 技術トピックス「多摩川」 1.はじめに・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 1 1−1 多摩川の概要・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 1 1−2 多摩川の源流・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 3 1−3 東京の台地 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 4 2.多摩川周辺の自然環境 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 7 2−1 多摩川が生んだ湧水地・自然公園 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 7 2−2 湧水がもたらす恩恵と保全 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 14 3.河原の小石 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 15 3−1 河川による運搬と堆積 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 15 3−2 河原の小石のでき方 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 17 3−3 河原の小石を構成する岩石 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 18 3−4 小石のふるさと ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 21 4.多摩川と人々の関わり ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 23 4−1 玉川上水 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 23 4−2 小河内ダム ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 26 4−3 水源と環境保全 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 28 5.まとめ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 31 5−1 多摩川の文化・親水施設 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 31 5−2 多摩川の防災 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 33 5−3 これからの多摩川 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 36 参考文献 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 37 技術ノートのあゆみ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 38 1.はじめに 東京都と神奈川県との境を南東に流下する多摩川は、かつて青梅から広がる広大な武 蔵野台地という扇状地* を作り上げ、現在の首都圏の土台を形成した河川であるととも に、遠い昔から人々に恵みと潤いを与えてきた。一方、扇状地とは洪水や氾濫の異名で あり、自然災害の歴史を持つ河川でもある。 今回の技術ノートは、市民に憩いの場として親しまれている多摩川をテーマに取り上 げ、その成り立ちや自然環境、河原に下りると目にする小石、水資源としての多摩川の 人々との関わりの歴史、多摩川で目にする親水施設や防災施設、将来像などについて紹 介する。 1−1 多摩川の概要 多摩川は山梨県の標高1,953mの笠取山を水源に、途中多くの支流をあわせ、東京湾 に注ぐ幹川流路延長138kmの一級河川である。上流は山岳渓谷美に富んだ清流、中流 では瀬・淵や中洲がみられ、下流では大きく蛇行する緩やかな流れとなっている。河川 流域の地形は68%が山地、32%が平地で構成されている。年間の降水量は約1,400mmで、 6月から9月にかけて流量が豊富に、冬季には少なくなる。 1) 流域面積は1,240km 2 で、流域市町村は30(東京都26区市町村、神奈川県1市、山梨県 3市村)、流域内の人口は約4,250,000人(1995年)に及んでいる。 2) 図1に多摩川の流域図を示す。多摩川には15の支川があり、野川や平瀬川、浅川と いった河川が流路も長く代表格である。 山梨県 東京都 神奈川県 図 1 多 摩 川 流 域 図 2) *扇状地: 河川が狭い谷あいから広い平野へと川の流域が変化するところ(例えば多摩川の場合青梅市)で、 下流に扇状に開いた堆積地形が形成されることから、その形状を模して扇状地と呼ばれる。 −1− 図2に示す主な河川の河床勾配に見られるように、日本の河川は水源から河口までの 距離が比較的短く、勾配が急であることが特徴である。中でも多摩川は信濃川や荒川よ りもさらに急な勾配となっている。 河川の地形・地質的な作用として、浸食、運搬、堆積作用の3つの作用がある。上流 の山地は浸食により土砂が発生し、土砂は下流部に運ばれ、低地で三角州平野が形成さ れる。かつて氷河期には、海水面低下に伴い河川勾配が急になったため、浸食作用が盛 んとなった。この浸食作用により、多摩川は山地を削り、多量の土砂を運搬し、勾配が 緩くなる青梅や秋川を扇頂として、これらの土砂を堆積して扇状地が形成された。中流 域に発達する台地は、このような多摩川の河川作用で形成されたものである。 図2 主な河川の河床勾配 2) 山地 丘 陵 台地 低 地 図3 多摩川の縦断面図 2) (「多摩川の縦断面模式図」(水辺を歩こう多摩川ガイド&ハンドブック 2004)に加筆) −2− 1−2 多摩川の源流 多摩川の源流を訪ねてみると、多摩川の始まりである笠取山(写真1)、多摩川のス タート地点の水干(写真3)、多摩川、富士川、荒川を分かつ分水嶺(写真2)に出会う。 ここでは、「水辺を歩こう多摩川ガイド&ハンドブック2004」 2) より紹介する。 (1) 笠 取 山 笠取山は東西に3つのこぶがあり、埼玉県側 と山梨県側に2つの頂をもち、多摩川の源流で ある「水干」がある。笠取山の名前は、笠を被 ったような形だからという説や、甲州と武州の 見回りをしていた役人が、お互い笠を脱いで挨 拶したからという説などがある。 写 真 1 笠 取 山 2) (2) 分 水 嶺 分水嶺とは、水系が峠や山脈を境にして2 つ以上に分れる場所をさす。笠取小屋から笠 取山へ登る広々とした尾根に立つ三角柱の石 標は、多摩川、富士川、荒川の分水嶺を示し た も の で、 こ の 分 水 嶺 の あ る 尾 根 の 東 側 に 降った雨は荒川を、南側に降った雨は多摩川 を、西側に降った雨は富士川を流下するとい う具合に、川の起点と言える。 写真2 分水嶺 2) (3) 水 干 ( み ず ひ ) 水 干 は 沢 の 行 き 止 ま り と い う 意 味 で、 多 摩 川 の 最 初 の一滴は水神社の岩壁からしみ出し、ここから138 km も の 多 摩 川 が ス タ ー ト す る。 し み 出 し た 水 滴 は、 い っ た ん 登 山 道 を も ぐ っ て 約60メ ー ト ル 下 方 で 湧 き 出 し、 沢 と な っ て 下 り な が ら 左 右 か ら 次 々 と 水 を 集 め、 次 第 に 大 き な 流 れ と な っ て い く。 こ の 水 干 の 場 所 は1878年 (明治11年)水源調査で訪れた東京府官吏の山城祐之が 地元の猟師に案内された場所である。 写 真 3 水 干 2) −3− 1−3 東京の台地 図4は東京湾の羽田上空から首都圏を見た図である。高さが誇張され、関東山地が壁 のようになっているが、手前に広がる平野部には多摩丘陵や狭山丘陵の高まりが見ら れ、全体的には東京湾に向かって標高が低下している様子がわかる。 関東山地 五日市 青梅 狭山丘陵 多摩丘陵 荒川 武蔵野台地 多摩川 皇居 羽田 東京湾 図4 衛星写真で見た首都圏 (SiPSEにより作成:教育用衛星画像システム=鹿児島大学ホームページよりアクセス可能) 3) 図6の鳥瞰図で見ると、青梅を扇頂とした扇状地(武蔵野台地)が広がっている様 子がよくわかる。また、多摩川の左岸側には多摩川が形成した段丘崖が直線状に延びて いることや段丘面も3∼4段に区分されることが見て取れる。 現在の多摩川は、この扇状地の南側を流れているが、かつては台地の北や中央を流 れ(図5参照)、流量も多く、隆起する関東山地から大量の土砂(砂礫)を供給し、広 大な武蔵野台地を形成したと考えられている。現在の武蔵野台地上には、多くの河川が 流れているが、図7に見るように武蔵野面及び立 川面上を流れる河川と下末吉面(淀橋台及び荏原 台)を流れる河川では、その平面的形状に違いが 見られる。武蔵野面及び立川面上を流れる河川は、 蛇行が小さく、流量は少ない。このため、同河川 は 段 丘 礫 を 運 び 去 る ほ ど の 運 搬 力 は な く、 多 摩 川の旧低水路を流れる「名残川」と考えられてい る。 5) −4− 図5 6万年まえの武蔵野台地 4) 関東山地 青梅 狭山丘陵 加住丘陵 武蔵野台地 多摩丘陵 段丘崖 多摩川 淀橋台・目黒台 東京低地 目黒川 図6 地形で見る多摩川と武蔵野台地 (国土地理院発行数値地図250mメッシュ(標高)から作成) これに対し淀橋台と荏原台に発 達する谷パターンは鹿の角状を呈 し、谷頭浸食によって形成された と考えられている。 これらの台地は形成された時代 や 台 地 を 構 成 す る 地 質 が 異 な る。 淀橋台と荏原台は最終間氷期(約 12.5万年前)の海成段丘(東京層) を基盤とし、多摩川の堆積物(武 蔵野礫層)が分布しないことから、 旧多摩川の削り残しと考えられて いる。 武蔵野面と立川面は淀橋台・荏 原 台 が 形 作 ら れ た 後( 約10万 ∼ 1.7万 年 前 )、 多 摩 川 の 扇 状 地 と し 図7 武蔵野台地東部の地形区分と谷地形 5) −5− て形成された。 台地の様子を地質断面図で見ると(図 8、 図 9 参 照 )、 古 い 段 丘 面 ほ ど 厚 い 関 東ローム層に覆われ、多くの谷が刻まれ ている。A−B断面で見るように、武蔵 野台地の地形は段丘面と段丘面が、崖(段 丘崖)によって境される新旧いくつかの 平坦面に区分され、これにより各段丘面 の区分がなされている。 武蔵野台地に見られる段丘崖のうち台 地の南縁を画する国分寺崖線は、その段 差が目立つ段丘崖の1つで、立川の北東 にはじまり、中央線を国立駅の東で横切 り、国分寺、東京天文台、深大寺を通り、 図8 武蔵野台地東部の地形区分と谷地形5) 成城学園をへて二子玉川へとつづく高さ10∼20mの崖である。武蔵野段丘(M1)より 一段低い段丘は立川段丘(Tc)で、崖線沿いに野川が流れている。野川は崖に露出す る武蔵野礫層から湧き出す湧水に源を発する川で、立川段丘を浅く掘りこんでいる。 このほか、多摩川と入間川・荒川にはさまれた丘陵・段丘は、淀橋台と荏原台を除い て多摩川の扇状地に起源を持っていることが知られており、多摩川は武蔵野台地のみな らず、もっと広域にわたって、地形・地質に影響を与えてきたと考えられる。 Tc:立川ローム ML;武蔵野ローム SL:下末吉ローム TL:多摩ローム Hk-TP:箱根東京テフラ KMT:貝塩上宝テフラ (60∼70万年前) テフラ:火山灰層 図9 武蔵野台地東部の地形区分と谷地形 5) 次章では多摩川に発達する湧水について見てみよう。 −6− 2.多摩川周辺の自然環境 東京西部に位置する武蔵野台地は、東側を下町の沖積低地、南側を多摩川、北側を 荒川と入間川の低地で仕切られる東西約50km、南北20kmにわたる大きな台地である。 この台地は青梅付近を頂点として、東西に細長く延びた扇状に広がっており、その標高 も青梅付近の180mからはじまって、東の下町低地に至る付近では約20mにゆるやかに 変化している。 昔の多摩川は奥 多摩の古い山地を 国分寺崖線 抜け出て、青梅付 野川 近を頂点にしてそ 府中崖線 の下流の武蔵野台 地に砂や礫を堆積 多摩川 し、何度も流路を 変えながら広い範 囲に砂礫層を形成 図10 武蔵野台地の崖線と湧水分布 6) し、その後この砂 ● 湧 水 ● 東京の名湧水57選 ― 崖 線 礫層を削りとることにより、多くの河岸段丘と崖線を創り出してきたと考えられている (図10参照)。したがって、この武蔵野台地における段丘(段丘崖)と多摩川の形成は 深く関わっていると言える。本章では、多摩川が生んだ段丘崖から湧き出る湧水機構や この湧水を生かした自然公園について述べる。 2−1 多摩川が生んだ湧水地・自然公園 (1)湧水の成り立ち 武蔵野台地の南部を流れる多摩川に面した段丘は“はけ”と呼ばれる段丘崖が形成さ れ、その崖からの豊富な湧水の周辺には、大昔から多くの人が住みついてきた。このこ とは、多摩川支流の野川周辺に発見された多くの古代遺跡からも明らかになっている。 この段丘崖は“崖線”と呼ばれ、多摩川が武蔵野台地の北側から現在の南側に流路を変 える過程で、大きく台地をけずりとった名残である。やがて堆積した砂礫層が崖の表面 に現れ、その砂礫層を流れる地下水が崖から流出している箇所が湧水群として多く残さ れている(図10参照)。これらの湧水は崖から湧き出ることから崖線タイプと呼ばれ、 図11に示す湧水機構により豊富な湧き水を提供している。次に、多摩川が形成した代 表的な崖線を紹介する。 <国分寺崖線> 国分寺崖線は、立川市砂川付近より国立駅東側を横切り、国分寺、東京天文台、深大 寺から小田急線の喜多見付近へ続く崖線で、崖線の北側は武蔵野段丘面と呼ばれる台地 −7− が広がっている。崖線の下の立川段丘面には野川が崖線に沿うように流れている。代表 的な湧水地として「真姿の池湧水群(国分寺市)」、「野川公園(三鷹市、小金井市、調 布市)」、「深大寺(調布市)」、「喜多見不動(世田谷区)」等が挙げられる。 図11 武蔵野台地の野川を代表する国分寺崖線の湧水機構 7) <府中崖線> 府中崖線は、立川市西南部の奥多摩街道沿いから府中を通り、小田急線の狛江付近ま で続く崖線であり、南部は青柳段丘面に代表される多摩川沖積面と呼ばれる地層が表面 に現れている。代表的な湧水群として「矢川緑地(立川市)」、 「 ママ下湧水群(国立市)」 がある。 どちらの崖線にも多くの湧水があり、市民の憩いの場所として貴重な自然環境を創り 出している。 (2)湧水マップ 東京都環境局では、東京の湧水について3∼5年ごとに調査を行っており、近年では 平成15年度に調査が実施されている。その調査結果によると、都内全域で707箇所の湧 水が確認されており、東京23区で280箇所、多摩地区で424箇所、島しょで3箇所となっ ている。この内、多摩川水系に関わる湧水地は450箇所と全湧水地の64%を占めており、 このことからも多摩川は都内の自然財産の宝庫であることが伺える。多摩川水系の湧水 地の内、武蔵野段丘(野川(仙川含む)、矢沢川、丸子川)における湧水地が136箇所あり、 多摩川水系の湧水地の30%を占めている。東京都ではこれらの湧水の中から、市区町 村や都民の方々から推薦を受けて、「東京の名湧水57選」を選定し、パンフレット等に より都民の関心を高め、保全するための活動を推進している。 (3)湧水地、自然公園めぐり ここでは、都内の代表的な湧水地、自然公園を紹介する。 −8− <喜多見不動 8) > 小田急線の成城学園前と喜多見駅の間の線路際 に小さな不動堂がある。ここは、喜多見不動と呼 ばれ、喜多見慶元寺の境外仏堂であり、明治9年 に近隣の有力者が願主となり、有志の寄進を得て 建立したものである。かつては信者が水行の場と したといわれている不動滝は国分寺崖線から湧き 出ており、枯れた事がなく涼をとりに訪れる人が 多いことで知られている。 所在地:世田谷区成城4−22(写真4参照) <真姿の池 8) > 東京の市街地にある湧水としては、唯一環境省 指定の「名水百選」に選ばれている。水質・水量 ともに都内では最高レベルの清泉であり、一日の 写真4 喜多見不動 湧水量は1000m 3 にも達し、清流となって、野川へ流れ込んでいる。「真姿の池」の名は、 “一世の美人であった玉造小町が病に苦しんでいたとき、池の水で顔を洗ったところ、 病が癒え、もとの姿にもどった”という伝説に由来している。江戸時代には将軍家の「御 鷹狩り場」であったことから「お鷹の道」と呼ばれ親しまれている。所在地:国分寺市 東元町3-19-9(写真5参照) <黒川清流公園 8) > 中央線豊田駅の北口を出て、東京方面に戻る と「東豊田緑地」のうっそうたる緑が目前に現 写真5 真姿の池湧水群 写真6 黒川清流公園 −9− れてくる。その多くは、日野台地の崖上のコラナやクヌギの林であり、都の保全地域に 指定されている範囲だけでも約60haと広大な面積を有している。崖下には豊富な湧水 があり、「黒川清流公園」は、その一部を造成したもので、湧水を利用した親水公園と して市民の憩いの場所として親しまれている。 所在地:日野市東豊田3-16-1(写真6参照) (4)散歩コースの紹介 湧水地をめぐるおすすめ散策コースを紹介する。“ハケ”から湧き出る水に手を浸し、 自然の恵みにふれ“心”と“体”をリフレッシュしてみてはいかがでしょうか。 <∼青柳段丘から矢川・城山公園を訪ねる∼> 南武線谷保駅(5分)→①谷保天満宮(3分)→②常磐の清水(15分)→③城山公園(15 分)→④くにたち郷 土文化館(15分)→ ⑤ママ下湧水(青柳 段 丘 )(15分 ) → 南 武線矢川駅(全行程 約4km、68分) ①谷保天満宮 谷保駅南口を出て まっすぐ進むと甲州 街道沿いの谷保天満 宮に突き当たる。こ 図12 散策コース案内図(矢川・城山公園) 9) こ は、 菅 原 道 真 公・ 道武公を奉っていることから、学問にゆかりの地とし て名高く、合格祈願の絵馬が多数奉納されている。春 には約300本の梅が美しく咲くことで有名である。 ②常磐の清水 谷保天満宮のまわりに流れる浅瀬の源、常磐の清水 は 延 宝 年 間(1673∼81) に 筑 紫 の 僧 が こ の 地 で「 と みず がき ことはに湧ける泉のいやさやに神の宮居の瑞 垣 となせ り」と詠んだことからその名がついたという(写真7 参照)。 ③城山公園 “ ハ ケ ” を 利 用 し た 植 物 公 園 で、 元 々 は 鎌 倉 時 代 初 − 10 − 写真7 常磐の清水 期に豪族三田氏が城館を築いたもので、現在では雑木 林が城跡を包むように繁っている。公園の南側には、 国立市指定文化財として古民家である旧柳沢家住宅が 復元されている。付近の川沿いでは、カルガモ等の鳥 の姿が間近に見られる。 ④くにたち郷土文化館 ハケ道を進むと、くにたち郷土文化館が見えてくる。 館内には国立の歴史や暮らしをしのばせる「下谷保遺 跡」等の出土品が多く展示されている。 ⑤ママ下湧水(青柳段丘) 昔“ハケ”のことをこのあたりでは「ママ」と呼ん でいた。この一帯は、昭和初期まで“わさび田”があり、 写真8 ママ下湧水 今でもホトケドジョウやザリガニなどが見られ、豊富 な湧き水が流れを創っている(写真8参照)。ママ下湧水から甲州街道をわたり、矢川 沿いを矢川緑地まで足を延ばせば、さらにすばらしい水辺散策ができる。 <∼野川公園から湧水豊富な深大寺を訪ねる∼> 中央線武蔵小金井駅(バス10分)→二枚橋(5分)→①野川公園(10分)→②自然 観察園(25分)→③龍源寺(5分)→④ほたるの里(20分)→⑤八幡橋(30分)→⑥ 深大寺(全行程約6km、105分) ①野川公園 武蔵小金井駅北口 から三鷹行きまたは 調布行きのバスに乗 り二枚橋で下車。都 立「野川公園」には 野川沿いにバードサ ンクチュアリーや自 然観察園がある。自 図13 散策コース案内図(野川公園∼深大寺) 9) 然観察園内(②)に は“あか池”、“ほたる池”、“かがみ池”があり、湧水地に生息する動植物が観察でき るようになっている。公園内を流れる野川は、市民の憩いの場として親しまれている(写 真9参照)。 ③龍源寺 野川公園正門を出て人見街道を東に歩くと、道沿いに幕末の新選組隊長として活躍し − 11 − た近藤勇の墓がある龍源寺がある。寺の前には 近藤勇の銅像が建ち、墓は本堂の裏側にある。 付近には、近藤勇の生家や土方歳三と修行した 撥雲館が残っている。 ④ほたるの里 野川をさらに下流に進むと、川のすぐわきに ほたるの里、湿生花園があり、ほたるが生息し ている。木道を進むとわさび田が見られる。 ⑤八幡橋 野 川 に 沿 っ て 下 流 に 進 む と、「 し ん ぐ る ま 」 という水車に出会う。付近には、東京天文台、 調布飛行場や古八幡社がある。 ⑥深大寺 さらに下流の御塔坂橋から左に曲がり、武蔵 写真9 野川公園内の野川 境通りに入り、深大寺入口信号を右折すると深 大寺に至る。深大寺は、天平5年(733) 満功上人の開創と伝えられる関東では指 折の古刹として有名である。寺号のおこ りは湧水地にまつられた深抄大王とい う水神に関わるものと言われている。桃 山時代に造られた山門を入ると本堂があ り、五大尊池の奥(一般の立ち入りは禁 止)には水が流れ落ちているのが見える。 境内で飲むことの出来る湧水は、本堂前 の手水のみであるが、この苔生えた大井 写真10 深大寺の手水 戸は一見の価値がある(写真10参照)。 (5)湧水が生んだうまいもの紹介 湧水に関わる代表的な美味しい食材として「そば」が思い浮かぶ。ここでは、武蔵野 台地が生んだ豊富な地下水を使って「旨いそば」を食べさせてくれる老舗を紹介する。 ぜひ一度湧き水の恵みを訪ねながら舌鼓を打ってみてはいかがでしょうか。 <深大寺そば> 深大寺そばは、元禄年間より寺坊で作った蕎麦を広く諸大名に献上したことから、有 名になったといわれている。深大寺の門前の「元祖嶋田家」(写真11参照)では、文久 − 12 − 年間(1851)に創業し、現在は5代目の店主となっており、武蔵野台地より湧出する 地下水で蕎麦をさらし、そばの芯を一段と締まらせている。ここでは、近くの畑で採れ た“純深大寺産”のそば粉を用いている。なお、嶋田家ではせいろ一枚650円である(写 真12参照)。 写真11 深大寺門前のそばや 元祖嶋田家 写真12 元祖嶋田家のもりそば <高尾山のそば> 祈願の道場である高尾山薬王院は、年間を通じて多くの参拝者があり、大変賑わいを 見せている。京王線高尾山口駅から南浅川の支川の清流に沿って、高尾ケーブルカー清 滝駅に向かう参道の一角に「高橋家」という蕎麦屋がある(写真13参照)。ここでは、 樹齢150年の柿の木が店内の中央部に根をおろしており、店は風格ある佇まいをしてい る。蕎麦は高尾山の湧水でさらし、とろろは大和芋と長芋を同割にしている。蕎麦の他 に柿料理などの自然の素材を使った献立が用意されている。とろろ蕎麦がおすすめで、 一杯950円である(写真14参照)。是非高尾山のハイキング帰りに食べてみて下さい。 写真13 高尾山参道の蕎麦屋 高橋家 − 13 − 写真14 高橋家のとろろ蕎麦 2−2 湧水のもたらす恩恵と保全 多摩川が生んだ貴重な自然の恵みである湧 水地を保全するための行政の取り組みについ て紹介する。 (1)湧水地の保全 <保全に関する指針の整備> 湧水を保全するため、東京都では「東京都 湧水等の保護と回復に関する指針」を策定し、 区市町村と協力して湧水の保全と回復を図る ことを推進している。具体的な活動のひとつ ①地下水、湧水、河川水量等の水環境の保全及び回復 ②下水道への雨水流入の軽減 ③浸水被害の抑制、ヒートアイランド現象の軽減 図14 地下水保全機能の概念図 6) として、市民に湧水の効用を理解してもらい、 保全に関する意識を高めるために、地元自治体、市民の推薦による「東京の名湧水」の パンフレットを作成し積極的なPR活動を行っている。 <地下水のかん養> 現 在 都 内 で は、 揚 水 施 設( 一 般 家 庭 に 設 置 さ れ る 小 型 の ポ ン プ は 除 く ) を 設 置 す る 場 合 に は、 環 境 確 保 条 例 に 基 づ き 揚 水 量 な ど が 制 限 さ れ る と と も に、 使 用 揚 水 量 の 報告が義務づけられている。 東 京 は 市 街 化 が 著 し く 進 み、 雨 が 大 地 に し み 込 む こ と な く 下 水 道 等 へ 流 れ 込 ん で し ま う た め、 湧 水 等 が 枯 れ、 河 川 の 水 量 が 減 少 す る 等、 地 下 水 保 全 機 能 の 悪 化 が 進 行 している(図14参照)。そこで東京都では、平成13年(2001) に、 雨 水 浸 透 指 針 を 定 め、 降 っ た 雨 を 可 能 な 限 り 地 中 に 写真15 雨水浸透ます 6) 浸透させ、湧水や川の水量を回復させるため、「雨水浸透 ます(写真15参照)」の設置を積極的に推進している。「雨水浸透ます」の設置により、 武蔵野市などでは地下水が回復している事象が見られている。 (2)湧水のもたらす効用 湧水を保全することは、その清らかな流れを我々に提供してくれるだけでなく、①地 下水や河川水量の維持、②下水道への雨水の流入軽減による下水道施設の小規模化、③ 雨水の河川への短時間での流入による浸水被害の抑制、④ヒートアイランド現象の抑止 等が挙げられる。河川や湧水の保全には、行政だけでなく市民の積極的な保全活動への 参加が重要である。次章では多摩川の河床を形成する小石について紹介する。 − 14 − 3.河原の小石 読者の皆さんは、川原で沢山の石を見たことがあると思う。また、「何故、川原には 小石が沢山あるのだろう?」「この小石は、どうやって作られたのだろう?」などと、 考えた人もいると思う。 本章では、川原の小石のでき方、見分け方について述べると共に、それから何が解る かを述べてみる。 3−1 河川による運搬と堆積 多摩川は、山梨県の笠取山に源を発し、東京湾にそそぐ河口まで、刻々と様相を変え ながら流下している。多摩川の流れは、その浸食および堆積の状況から大きく分けて「上 流域」「中流域」「下流域」の3つに分けられる。 上流域は源流∼青梅付近の区間で、山地を急峻なV字谷* を刻みながら急流で流下し、 河川勾配は急である。中流域は、概ね青梅∼調布付近の区間で、扇状地が発達し、河川 勾配はやや急である。下流域は調布付近∼河口に至る区間で、沖積低地上を蛇行しなが らゆっくりと流下し、河川幅は広く河川勾配は緩やかである(図15∼17参照)。 多摩川に限らず、ほとんどの河川は上流域の勾配が急で、下流域に向かって緩やかに なっている(P. 2 図2参照)。これは地盤の上下運動である隆起・沈降運動や、河川 の浸食・堆積作用によるものである。 隆起・沈降の主な原因は,プレートの衝突や沈み込みなどに起因していると考えられ、 日本列島は1mm/年程度の速さで隆起・沈降していることが知られている。この隆起・ 沈降が、河川の流れの方向を決める地盤の傾きを作り出している。 浸食・堆積について説明する。まず車のフロントガラス(凹凸のない山地斜面)の上 に落ちた水滴を考えて欲しい。水滴は他の水滴と合体しながら大きな水滴になって下に 流れる。この流れが河川に相当する。何万年もの間の風化作用(太陽の熱や乾湿繰り返 しなどによって脆弱化すること)により脆くなったガラス(岩盤)の表面が、水の流れ によって削り取られ、線上の窪みが出来る。これが浸食で、谷地形形成の始まりである。 つまり、山地を形成する尾根や谷は、河川が作った彫刻と言える。浸食によって削られ たガラスの粒子(礫、砂、泥)は、水と共に流れ下流∼海域に達する。海域では川のよ うな流れがないため、粒子は海底に沈殿する。これが堆積である。堆積する際は、緩や かな水の動きにより広範囲に堆積が進み、平坦面を形成する。 これに加え、氷期から間氷期の海面変動が中流域の扇状地を形成する。多摩川の扇状 地の形成が始まったのは、中期更新世初頭(約70万年前)で、流路は青梅から北東方 向に流れ、現在の狭山丘陵付近から北側を通っていたと考えられている。 *V字 谷:両岸を急峻な斜面に挟まれた深い谷のこと。 谷の断面の形がVの字に似ていることから、こう呼ばれる。 − 15 − 図15 上流域の川の流れ 山地に深い谷を刻みながら急流で流下する。3) 右写真:JR古里駅付近の多摩川 図16 中流域の川の流れ 上流から運んできた礫や砂を堆積させ、何 十年∼何百年毎に流を大きく変えながら、 扇状地を形成する。3) 右写真:羽村堰下流の多摩川 図17 下流域の川の流れ 多摩川の流れは沖積低地の開けた場所を蛇 行しながら流れ、河川勾配は緩やかになり、 川幅は広く流れは緩やかになる。3) 右写真:丸子橋から下流側の多摩川 − 16 − 3−2 川原の小石のでき方 川原で見かける石の多くは、角が取れて丸くなった石が多い。これらの石の多くは上 流から川の流れにより運ばれてきたもので、運ばれる途中で河床の岩盤や石同士がぶつ かって、角が欠けて丸くなったと考えられる(図18参照)。このように考えれば、川原の 石が上流では角張っているが、下流に行くに従い角がとれて丸い形になる説明がつく。 しかし、下流域でも少数ではあるが角張っている石がみられる。これは、石が硬質な ため割れた角が欠け難く、ほぼ上流の形のまま下流まで運搬されたり、下流域で石同士 がぶつかって割れたものと考えられる。 上流 中流 下流 図18 上流から下流にかけての礫形の変化 また、上流域では直径2∼5mの巨岩が河川中にみられるのに対し、下流域では握り 拳大以下の礫が多くみられる。これは、前述した河川勾配(=川の河床の勾配)と河川 の幅に関係している。 川が礫や砂などを運搬する能力は、その河川の河床の傾きや水の流れの勢いによる。 つまり、河川幅の狭い上流域では河床の傾きが急で流れも強いため、斜面を転がり落ち る力に加え、その強い水流が大きい礫でも押し流すが、河川幅の広い下流域では河床の 傾きは緩やかで流れも遅いため、小さな砂や泥粒子などしか押し流す力はない。従って、 河川の流れに押し流されない粒子は、そこに留まり沈殿することになり、粒子の小さい もの程、遠くまで(下流域∼海域)まで運ばれる。 このようにして、河川は礫・砂・泥を選別して運搬・堆積している。 − 17 − 3−3 川原の小石を構成する岩石 川の小石を、よく見ると色の違いや模様があるものなど、それぞれの石が特徴を持っ ていることが判る。この違いは、その岩石がどの様な状況で生まれたか、その状況の違 いにより区分される。ここでは、多摩川に多く見られる小石を構成する岩石の種類につ いて述べる。 河原の石を構成する岩石の種類は、岩石が出来た環境の違いから、大きく分けて「堆 積岩」「火成岩」「変成岩」に分けられる。次に、その違いについて説明する。 (1)堆積岩:河川によって運搬された砂や泥が堆積した後、長い時間や上載圧(上 に堆積した砂や泥の重み)によって、固結して岩となったもの。 泥は粒子が細かいので、河川の流れにより海まで運ばれ浅海∼深海域に沈殿し、泥 岩となる。砂は泥に比べ粒子が粗いので河川流域∼河口付近に沈殿し、砂岩となる。 粒径の最も粗い礫は河川の流れにあまり流されず、主に上∼中流域に堆積して礫岩 となる。 (2)火成岩:火山のマグマが冷え固まって出来た岩石である。浅い深度で固まった ものは急速に冷やされるため、鉱物の結晶は大きくならず、粒子の見えない岩石と なる。反対に深い箇所で固まった岩石は、ゆっくりと冷やされるため結晶が大きく なり、その粒子を肉眼で見ることが出来る。 (3)変成岩:一度形成された岩が、マグマの熱や地殻変動による圧力などを受けて、 再結晶を起こした岩石のこと。比較的粒子は細かいが再結晶特有の結晶構造が見ら れる。深部で熱および圧力を受けるため、比較的硬質である。 では以下に、多摩川の河 川敷に見られる小石の代表 的な例を示す。 読者の皆さんも、河原に 出て、小石の種類を判別し て見ませんか? 図19 上流の多摩川 − 18 − ・泥岩(堆積岩):mudstone 礫は黒色を呈し、粒子は細かくて肉 眼では見えない。 礫の形は、角のとれた円∼亜円形を 示すものがほとんどで、比較的研磨 されやすい軟らかい岩質であること が伺える。 泥岩は河口から離れた流れの少ない 海 底 に 泥 が 堆 積・ 固 結 し た も の で、 泥岩自体には特に模様は見られない が、砂岩を狭在する場合は灰色の縞模様が見られる。また、縞模様がうねっているも のは、泥が固結して泥岩になる前に海底地すべりによって、地盤が少し移動した名残 と考えられる。 特徴:黒色を呈し、礫を構成する粒子は細かくて肉眼では見えない。釘など尖った金 属で傷が付く。 ・砂岩(堆積岩):sandstone 角張った形を呈するが、角はすり減 っ て 丸 く な っ て い る。 礫 の 表 面 は、 ざらざらしていて、肉眼でも岩を構 成する粒子を見ることが出来る。 砂岩は、河口付近の流れが緩やかに なった箇所に砂が堆積・固結したも のである。 縞模様が見られるものも多いが、こ れは堆積環境の変化により、粒子の 大きさや構成物質が変化したことを示している。 右の写真には、礫中に黒い長方形の固まりが見られる。これは泥岩片で、細長く湾曲 し角が尖っているのは、泥岩が完全に固結する前に割れて堆積したためである。また、 このような他種岩をもっと多量に含有するものを、礫岩と呼ぶ。 特徴:白・灰・黄土色など様々な色を呈し、肉眼で構成粒子を見ることが出来る。釘 など尖った金属で傷が付く。 − 19 − ・チャート(堆積岩):chert 角張った形をしていて、表面はで こぼこし、ひびが沢山はいってい る。これは、チャートが非常に硬 いため、河川の運搬作用による研 磨(角が取れて丸くなること)が され難い岩質による。石を構成す る粒子は細かく、肉眼では見えな い。 チャートは、深海に堆積した放散虫や海綿などの遺骸の主成分であるシリカ(二酸化 ケイ素)が固まった石英を主体とし、混入する赤鉄鉱・雲母・粘土鉱物の含有量により、 赤や緑、白色などいろいろな色調のものがある。 特徴:角張ってごつごつした形で、構成粒子は細かくて見えない。非常に硬質で、釘 などの金属物では傷を付けることは出来ない。 ・石灰岩(堆積岩):limestone 石は角の取れた丸い形で、表面は 粉をまぶしたように白くてすべ すべしている。よく見ると灰色の 基質の中に白い斑点が見える。 この石は暖かく浅い海で珊瑚な どの生物の骨格が固まったもの で、方解石(炭酸カルシウム)の 粒から出来ている。方解石は軟ら かく、すり減りやすいため表面は す べ す べ し て 丸 い 形 の 石 が 多 い。 また、炭酸ガスを含んだ水に溶け 易く、塩酸(トイレの洗剤サンポールなど)をかけると発泡する特徴を持っている。 炭質物や泥が混ざっていると、黒ずんだり赤みを帯びて見える場合もある。 特徴:丸く表面は粉を吹いたような感じで、白っぽい。軟質で釘などの金属物で傷が 付く。 − 20 − ・石英閃緑岩(火成岩):quartz diorite 表 面 は 若 干 で こ ぼ こ し て い る が、 全体的には丸みを帯びた形状の小 石が多い。 白地に黒い粒がごま塩状に混入し ているのが見られる。黒く見える のは磁鉄鉱で、白地のところは斜 長石、石英、カリ長石の粒からで きている。虫眼鏡でもっと細かく 観 察 す る と、 緑 や 褐 色 の 粒 も 見 え、緑色の粒は角閃石、褐色の粒 は黒雲母から出来ている。 この岩石は前述した堆積岩とは異なり、マグマが地中深くでゆっくり冷え固まったも ので、粒子の大きい結晶が特徴である。このように地中深くで固まった火成岩を深成 岩と呼ぶ。反対にマグマが地表に吹き出してから固まると、急激に冷やされるため鉱 物の結晶は小さくなる(安山岩、玄武岩など)。 特徴:丸みを帯びた形で、白地に黒い粒がごま塩状に混入するのが見られる。岩質は 比較的硬く、釘などの金属では傷は付きにくい。 この他、多摩川の川原には変成岩や緑色岩の小石のほか、人工物であるコンクリート やアスファルトの小片も少量見ることが出来る。 変成岩は、一度固結した砂岩や泥岩がマグマの熱を受けて再結晶したもので、構成粒 子は細かく、非常に硬質で、割ると鋭利な割れ口を形成し、割れた面はキラキラと鉱物 の結晶が輝くことがある。 緑色岩は、古い時代(中古生代:6500万年∼5.7億年前)の凝灰岩(火山灰)や海底 火山の噴出物(溶岩)などが変質作用(低温:200∼700℃程度、高圧:4500∼7000気 圧のもとで、黒雲母、角閃石、輝石、カンラン岩が緑泥化すること)を受けて緑色を帯 びたものである。釘で傷が付き、軟らかな感じのある岩石である。 3−4 小石のふるさと 緑なす山々 国原は 大海の中に安らい 奇しき動物の 海底に沈めるもの 再び輝かしい日の光のもとに 持ち出され 人類はここに定住する 誰か知るこの詩の結論を (ナウマン博士 桜井氏訳) − 21 − 前述の詩は、ナウマン象やフォッサマグナなどの研究で有名なハインリッヒ・エドム ント・ナウマン博士が高知県佐川を訪れた際、詠んだ詩である。考古学的な意味合いを 持つ詩だが、地質学的に見ても、味わい深い詩である。 多摩川の川原に見られる小石も、大昔に堆積・固結した岩石が地表に現れ、多摩川に よって運ばれてきたものである。この小石を構成する岩石が、上流側の何処の地域に分 布するかも解っている。このことから、現在の多摩川の川原にある小石が何処で生まれ、 かつての多摩川が何処を流れて、小石を運んでいたかを推測することが可能である。 図20に現在の多摩川の流路とその周辺の地質分布を示す。図20によれば、現在の多 摩川上流の南西側には、白亜紀∼古第三紀(2300万年∼1億3500万年前)の付加帯* であ る四万十帯(砂岩・泥岩・チャート、石灰岩)が分布し、北側にはジュラ紀(1億3500万 年∼2億年前)の付加帯である秩父帯(砂岩・泥岩・チャート、石灰岩)が分布する。 このように、現在の多摩川の川原に見られる小石のほとんどは、上流地域から河川に よって運搬されてきたものと考えられる。しかし、少量ながら見られる緑色の鮮やかな 緑色岩は、現在の多摩川上流には分布していない。この岩石は丹沢山地に分布が見られ る。また、丹沢山地を源とする相模川は、約50万年前頃には多摩丘陵北西部から国分 寺付近を通り海に注いでいたと言われている。もしかすると、この緑色岩は古相模川に よって運ばれてきたものかもしれない。 変成岩 花崗岩 秩父帯 (砂岩・泥岩・チャート) 四万十帯 (砂岩・泥岩・チャート) 火山砕屑岩・火山岩 富士山 火山岩 東京湾 多摩川 相模湾 図20 多摩川上流地域の広域地質図 10) このように流れを変えながら東京の地盤を作ってきた多摩川は、人々の生活とも重要 な関係を持っていた。次章では多摩川と人々の繋がりについて触れてみる。 *付加帯:プレート上の堆 積物が日本 海 溝で沈み込む際、 はぎ 取られ、 陸 側に押しつけられ 積み重なった地層。 − 22 − 4.多摩川と人々との関わり 多摩川がもたらす水の恩恵は、前章までの説明のようにはかりしれない。 かつての大都市「江戸」の発達は、神田上水に続く多摩川から引き込んだ玉川上水の 水により、生活基盤が確立されたことによる、といっても過言ではない。人口の増加と それに伴う慢性的な水不足は、江戸の大きな問題であった。また、江戸における上・下 水の管理は、伝染病防止、生活維持、農業発達などに大きな役割を果たしていた。 その後、コレラ騒動や三多摩編入問題、あるいは小河内ダムの完成など、江戸∼現代 にかけても多摩川と人々との関わりは大きく、今でも多摩川は東京の水がめとして大き な役割を担っている。そこで、多摩川と人々との関わりを、多摩川から水を引き込んで いる玉川上水、また昭和に入ってから戦争で中断しながら完成を見た小河内ダムの歴史 を振り返ることで紹介する。 4−1 玉川上水 玉川上水には様々な逸話もあるが、一般的な歴史を述べると以下のとおりである。 (1)玉川上水の歴史 三代将軍家光が定めた参勤交代制度により江戸は著しく発達し、人口の急増から大規 模上水の開設が必要になった。上水計画に名乗りをあげた玉川兄弟(兄:庄右衛門、弟: 清右衛門)は多くの困難を克服して、1653年(4月4日∼11月15日)、多摩川上流の羽 村から四谷大木戸までの約43km間を約8ヶ月という短期間で掘り上げ、翌年江戸市中 に給水した。 図21 玉川上水全体図、分水図 11) 玉川上水は、羽村からいくつもの段丘を這い上がるようにして武蔵野台地の稜線に至 り、そこから比高差92mの緩勾配の尾根筋を巧みに利用して四谷大木戸まで到達する 自然流下方式による導水路である(図21参照)。また、稜線(馬の背)を流すことで分 水が可能となり、これらの分水が飲料水、水車、かんがいに利用され、水に乏しい武蔵 野台地の開発に大きく貢献した。 − 23 − 玉川上水は、一説によれば最初は国立の青柳付近、ついで福生の熊川付近に取水口を みず くら いど 設けたが、掘削の不能あるいは水 喰 土 (試験通水で地面に水が吸い込まれた)により流 水がうまくいかず工事は失敗したといわれている。 羽村に堰を設けた上水掘削は、高低測量には暗闇の中で束にした線香や提灯を利用し たり、さらに石灰、にがりで固めた三和土(たたき:コンクリートと同じような役目を はたした)の利用など、さまざまな工夫もあって短期間に成功したとも云われている。 現在の玉川上水は、羽村堰から小平監視所までは東村山浄水場の導水路として今でも 使用されており(図22参照)、また小平監視所から下流は、下水の処理水を通水し清流 を復活させることにより保全が進められ、史跡としての価値も見直されている。 玉川上水は太宰治の入水場所(三鷹)、明治初期のうたかたの通船(羽村∼内藤新宿間) など様々な歴史をもち、最近では羽村から下流部の暗渠を除いた約30kmが平成15年8 月に国の史跡として指定されている。 図22 玉川上水の現在 11) (2)羽村取水堰 羽村取水堰(写真16参照)は、S字 型にくねり蛇行してくる多摩川の流れ なげ わたし ぜき に、直交するように張り出した投 渡 堰 (水を堰き止めたり増水時は取り払っ たりする)により、河川水が取り入れ られ、玉川上水と村山・山口貯水池や 東村山・境・小作の各浄水場に送られ 写真16 現在の羽村取水堰 12) ている。 − 24 − 写真17 明治時代の羽村の投渡堰 12) 現在の堰の構造は、江戸時代から引き継いだ もので、桁が木から鉄に変わり、ウィンチで巻 き上げるように改良されてきているだけで、根 本的な仕組みは変わっていない(写真17参照)。 (3)江戸の給水 1654年 に は 石 樋・ 木 樋 に よ る 配 水 管 を 付 設 し、市内の南西部一帯に給水されたが、明暦の 大 火(1657) で 江 戸 の 町 の 大 半 が 焼 失 し た こ とで、再度大規模な復興が遂げられた。これに より、本所・青山・三田・千川上水が相次いで 開 設 さ れ た。 給 水 に は 写 真18の よ う な 木 樋 が 利用され、上水井戸を結んでいた。井戸の中に はコイやアユなどが泳いでいたとも云われ、上 水井戸が社交場になっていた当時(井戸端会議 の語源)の状況をうかがい知ることが出来る。 なお、江戸時代中期になると、4上水(亀有・ 青 山・三 田・千 川 )の 廃 止 を 経 て、明 治 時 代 へ 入 り近代水道へ移 り変っていった。 写真18 東京都水道歴史館 展示資料(木樋)14) 千代田区丸の内 旧都庁舎跡地発掘 − 25 − 図23 多摩川と玉川上水の分水 13) 4−2 小河内ダム 小河内ダムの建設地は、多摩川の上流部の様々 な候補地の中で、断層のない硬質砂岩が分布して いる水根地区に決定した。昭和13年に工事は着工 されたが、戦争で一時中断している。その後、昭 和23年に再開され、945世帯の移転と、87名の貴 い 犠 牲 の も と、 昭 和32年11月 に 竣 工 し た。 総 工 費約150億円の重力式コンクリートダムである。 東京都水道歴史館で紹介している当時の記録映 画では、3箇所の候補の中で地形的な特徴、岩盤 の状態、あるいは基地となる下流部の氷川からの 交通手段などが検討され、最終的には水根地区が 硬質砂岩の支配的な分布や断層がないなどの地質 的な利点でダム建設地に決定されたとされている。 ダムサイトは、重力式のダムを支える上に、水 の漏水を極度に嫌うため、新鮮な岩盤まで掘り下 げる必要があり、耐力、浸透量の確認が十分に行 なわれた。また、掘削した岩ずりは、コンクリー ト骨材として有効利用されている。 小河内ダムの仕様 堤体高さ149m、堤頂長353m、堤頂幅12.6m 有効貯水量185,400,000m 3 本ダムは、季節により渇水化する多摩川の流量 の調節が主な目的とされ、利根川水系の渇水期に は放流量を増やすなど重要な役割を担っている。 昭 和55年 に は 第 2 号 取 水 施 設 が 完 成 し、 小 作 堰 とともに渇水時の放流能力の増強に役立っている (図22参照)。 写真19 小河内ダムの変遷 12) 写真19にダム建設前から完成までの変遷を示す。 次頁にはダム周辺の鳥瞰図、ダムの構造図および地質図を示した。ダムサイトの岩盤 は、全体としてNS-WEの走向を持ち開口亀裂が多いが、硬質砂岩が主体で粘板岩の薄 層が分布するものである。地質的には四万十帯* の小河内層群に分類される中生代白亜 紀の岩盤である。 *四万十帯:四国の四万十川由来の地帯。陸上付加体で小河内層群、小仏層群よりなる。 − 26 − 図24 ダム周辺の鳥瞰図 15) N 図25 ダム断面図 15) 図26 奥多摩地方の地質図(左) 16) 図27 ダムサイトの地質図(下) 17) N 拡大 − 27 − 4−3 水源と環境保全 本節では現在の多摩川を支えている水の「源」である水源林及び東京都の今後の上水 について述べる。 (1)水源林 18) 明治11年に水害防止と飲料水の確保を目的とした、内務省からの「水道水源林調査」 の通達を受け、東京府は玉川上水の水源調査として、羽村から水源地までの調査を実施 した。その結果、多摩川の水源「水干」の発見や水道水源林の地形や岩質、林相の状況 が明らかになり、一部確認されていた水質汚濁の原因も岩質に因ることが判明した。 同調査結果を受け、洪水、渇水の原因の多くが、水源地の乱伐にあることが市民に理 解され始めた。このため、当時の政府は水源林保護を目的として、民有林でも水源林は みだりに伐採することを禁じる場合があるとの旨を布告(明治15年)した。 しかし、玉川上水の中流・上流域(三多摩地方)は神奈川県の管轄であり、東京府は 上水問題に関してその都度、神奈川県と相談し許可を受けることが必要であった。その ような中、コレラの流行、玉川上水への汚物の混入騒動、水道水源林の伐採などの事件 が契機になり、玉川上水の水源林保護は東京府の上水問題として位置づけられ、三多摩 地方は明治26年に東京府に編入されることになった。 図28 水の涵養状況図 19) 図29 東京都水道水源林 20 ) 自然の降雨水は、図28のように森林で保水しないと地表部を流下して、土砂災害の 危険性が高まる。森林は水源涵養機能、土砂流出防止、水質浄化機能に大きな役割を果 たしている。大切な森を守る植林や間伐作業(太陽光を取り込み下草の繁茂を促す)、 また崩壊地の復旧、土砂止め用のダムの建設などの治山事業は、上水問題を論じる上で も非常に大切なものである(写真20参照)。現在、東京都で管理している水源林は、水 源かん養契約林(民有地)を含め、その範囲は図29に示すように山梨県下の甲州市(旧 塩山市)まで及び、面積21632ha(内、水源かん養契約林341ha)の広さである。 − 28 − 写真20 植栽の実施例(笠取山) 19) 東京都では水源となる水道水源林の重要性に鑑み、多摩川水源森林隊としてボランテ ィアを募り、民有林の枝打、地ごしらえ、植林、下刈り、間伐などを定期的に実施して いる。これは林業の不振などで手入れが行き届かない荒れた民有林を水源地にふさわし い緑豊かな森に再生することが目的とされ、平成14年7月の設立以来、多くのボラン ティアの方々の協力を得て、実績を上げている。 (問い合わせ先:東京都水道局水源管理事務所技術課 多摩川水源森林隊事務所 毎週木・土・日活動、応募先 0428-83-2045) (2)これからの上水(東京都) これまでの東京(江戸)上水道の歴史は、増加し続ける水の需要に対応するための水 資源開発の歴史とも言い換えることができる。 かつて、玉川上水に頼っていた水がめは、現在は利根川・荒川水系が大半になり、矢 木沢ダム、下久保ダム(利根川水系)、霞ヶ浦開発などに代表される水源が現在の東京 を支えている。しかしながら、東京都の利根川水系の水不足が深刻化した場合には、非 常時の水がめとして、現在でも小河内ダム(多摩川水系)が活用されている。 図30に示す東京都水道局の資料に記載されているように、現在東京で使用される水 は、利根川・荒川水系の施設から引き込む河川水が大半を占めている。 通常時の水源比率は、利根川・荒川水系が東京都の水源量623万m 3 /日の内、78%を 占 め、 多 摩 川 水 系 が19%、 そ の 他 が 3%の 比 率 に な っ て い る。「 そ の 他 3%」 の 中 に は 相模ダム(相模川)が含まれる他、杉並で揚水されている地下水(井戸)も注目される 水源である。 − 29 − 図30 水道水源と水系別給水区域 21) 水源確保の他、東京都 で推し進めている事業に は、「 安 全 で お い し い 水 プロジェクト推進計画」 がある。 東 京 都 は、 図31に 示 す高度浄水処理を推し進 め、 平 成25年 に は 利 根 川・荒川水系の浄水場に 100%導入することを目標としている。 図31 高度浄水処理の仕組み 22) この他、推進計画には、東京都独自の水質目標値の設定や経年管の解消、初期ダクタ イル・鉛製管の解消、水道水源林の管理およびクリーンアップ貯水槽などの施策が、さ らなる総合的な水質向上のために盛り込まれている。 以上、笠取山の水干(水源)から始まる多摩川は、関東地方の水資源として大きな役 割を持つ貴重な存在である。 この多摩川の恩恵をわれわれは十分認識し、自然界で循環している水一滴々を大事に していきたいものである。 − 30 − 5.まとめ 多摩川の河川空間は治水・利水の機能、大災害時の避難・防災場所としての役割のみ ならず、自然の保全、沿岸住民の憩いの場、レクリエーションの場、水と親しむ河川空 間の場としての役割も担っている。 多 摩 川 の 河 川 環 境 整 備 は、1969年 度( 昭 和 44)から「都市河川環境整備事業」、1974年(昭 和49)からは「直轄河川環境整備事業」と事業 を変えて実施されている。 ま た、「 多 摩 川 河 川 環 境 管 理 計 画 」(1980年 < 昭 和55>3月 ) に よ り、 河 川 と 人 間 の か か わ り方について望ましい利用と保全のあり方が方 向づけられ、当初計画に基づき遊歩道、岸辺散 写真21 六郷橋付近 策 路、 環 境 護 岸、 一 里 塚、 ワ ン ド* な ど、 レ ク リエーションの場や水と緑のオープンスペース などが整備されている(写真21参照)。 5−1 多摩川の文化・親水施設 (1)親水施設 多摩川河川レクリエーション利用の代表的事例 と し て、1983年( 昭 和58)か ら1987年( 昭 和62) にかけて実施された兵庫島周辺整備がある。この整 備は親水性に優れた水制工 を有する低水護岸整備(建 設省)等に、地元世田谷区 にある二子玉川兵庫島公園 写真22 二子玉川兵庫島公園 凡例 記号 分 類 自然科学博物館(教育委員会) 公園緑地(東京建設局) 市区町村立博物館 法人の運営する博物館 森林経営(東京都労働経済局) 国立の博物館 整備が連携する形で事業が 実施され、多摩川を模した 清流が流れるせせらぎ池を 中心に、 芝生の広場、兵 庫 島の広場、砂利の広場など で構成された同整備には水 図32 流域の多摩川関連情報施設 (多摩川流域リバーミュージアムHPより) と緑の親しめる散策・休憩の河川公園として、多くの市民が訪れている(写真22参照)。 流域にはこのほか図32に示すように多摩川の河川や水に関わる自然、歴史・文化情報を収 集、展示している博物館が16箇所、郷土館が10箇所など多数設置されている。 *:ワンドとは河川沿いにある潅水域(水たまり)の名称 − 31 − (2)多摩川流域の古墳 多摩川流域には多くの古墳が分布す る。都市化と伴に破棄されたものもある が多摩川台公園(大田区田園調布1丁目 63番 ) を 中 心 に、 現 在 で も 見 学 で き る 古墳が残っており、都心にあって貴重な 存在となっている。 多摩川下流沿岸の大田区から世田谷 区にかけて、荏原(台)古墳群が形成さ れていて、周辺を治めた首長達の墓地で あ っ た と 考 え ら れ て い る。 さ ら に、「 日 図33 多摩川流域の古墳・横穴墓分布図 23) 本 書 紀 」 巻18、 安 閑( あ ん か ん ) 天 皇 元 年(534) の 条 に み ら れ る「 武 蔵 の 国 造の乱」において、大和政権と結んだ“笠 原 直 使 主 ”( か さ は ら の あ た い お み: 埼 玉県さきたま古墳群の二子山古墳は使 主 の 墓 で は な い か と 言 わ れ て い る。) と 地位争いをして倒された“小杵”(おき) の本拠地がこの地域であったとの説も あり、古代史的にも重要な場所となって いる。多摩川下流沿岸は、地理的に武蔵 図34 多摩川台公園周辺古墳図 (プロアトラス作図加筆) 野台地の縁辺にあたり、その斜面を利用して造られた横穴墓が、古墳時代終末期より奈 良時代にかけて数多く造られた(図33,34参照)。これらは、古墳にかわる墓制として 注目されている。 (3)多摩川の水辺の動植物 自然豊かな多摩川沿岸では上流域から下流域までの全流域に出現する動植物は、平 成9年度から平成14年度の調査で植物917種、魚類61種、底生生物322種、両生類9種、 爬虫類8種、哺乳類13種、陸上昆虫1165種、鳥類119種である。 このうち魚類は河口から20kmまでスズキやマハゼなど、汽水・海水魚が多く見られ、 純淡水魚は主に10kmから上流側でオイカワ、ウグイなどが確認されている。また、海 と河川の間を行き来する回遊魚であるマルタ、アユなども見られる(表1参照)。 このように多摩川流域には多くの自然環境が沿岸の市民と共生し、日々の生活に溶け 込んでいる。 − 32 − 表1 平成13年度調査(魚類)河口から60Kmまでの魚類 25) 写真23 ヤマメ(上)・アユ(下) 5−2 多摩川の防災 (1)水害と改修 1907年( 明 治40) と1910年( 明 治43) に は 台 風 に よ り 大 水 害 が 発 生 し、 特 に1910年( 明 治43) 8 月の大洪水では、我が国水害史上でもまれに見る大 災害で、多摩川全域にわたって氾濫し、流域の55市 町村が被災した。氾濫面積は約10,400ヘクタールに 及んだと伝えられている。 こうした被害に苦しんだ住民たちの多摩川に堤防 を求める声がきっかけとなって、1920年(大正9) から1933年(昭和8年)にかけて多摩川下流部で初 めての本格的な堤防改修工事が行われ治水事業が進 展したが、洪水の脅威は消滅しなかった。 その後、関東大震災や第二次世界大戦を経て、そ れまで水田や畑などに利用されてきた低地に建物が 建ち並び、いったん洪水が起きると都市水害と呼ば れ る 状 況 に な っ た。1947年( 昭 和22)カ ス リ ー ン 台 風によって多摩川は再び大災害に見舞われた。1974 年(昭和49)には狛江水害が発生し、その報道映像 は全国に衝撃を与えた(写真24参照)。この戦後最 大級の水害を教訓として、多摩川水系工事実施基本 計画が改訂され、ピーク流量の見直しや高規格堤防 写真24 昭和49年の洪水 23) 家屋流出連続写真 多摩川本川22.4K地点左岸 昭和49年9月2日10時42分 必死の水防活動も むなしく,本堤が9月1日夜半に流失したため, 堤内地浸食が進行し,民家が次々と濁流にのま れていった。 『昭和49年9月台風第16号による 多摩川の災害記録』より 整備などが進められてきた。過去の教訓を生かす取り組みは現在も進められている。 一方多摩川流域の変貌は、時代的な社会背景をもとに多摩川と人間環境の重要性をあ らためて強く認識させることとなった。そのため、過酷な治水状況に加えて多摩川環境 − 33 − 整備への強い要請は重要度を高めている。多摩川は氾濫原が狭小で、一般的には治水が 容易であるといえる。また、流域面積でみる限りわが国の河川の中でも大河川といえな い。しかし、多摩川のおかれた環境は氾濫原の狭小さや流域面積の大小をはるかに越え て、わが国の河川のなかできわめて重要な河川の一つに位置づけられるようになった。 平成9年には河川法が改正され、治水+利水+環境の総合的な河川制度の整備が進めら れている。 図35 河川法の流れ図 24) (2)防災への取り組み 防災への取り組みとしてはスーパー堤防事業があり、戸手地区・大丸地区をはじめ先 導的な地区で完成している。下流部において多摩川の本川堤防が破堤すると、想定氾濫 区域は一部流域外も含めて大きなものになる。計画規模を超過するような自然外力に対 して壊滅的な被害を避けるためには、都市開発事業と連携してスーパー堤防の整備を進 める必要があると考えられている。 図36 スーパー堤防の構造及び堤防の効果(国土交通省関東地方整備局京浜河川事務所Hpより) スーパー堤防は別名 を「高規格堤防」とい い、 「こわれない」、 「川 に も っ と 親 し め る 」、 「 まちづくりの中に川 を生かすことができる」 堤防である(図36参照) 。 写真25 スーパー堤防 大丸地区:多摩川2丁目地区 大きな洪水の危機にさらされることもある多摩川においてスーパー堤防は、「洪水な どの災害に強い」かつ「多摩川と共に生活する手段」でもある。スーパー堤防は裏法面 が公園や道路などの公共スペースやマンションなどの居住空間として活用されるケー − 34 − スが多い(写真25)。また、防災の面では事前に洪水氾濫危険区域(ハザードマップ等) を確認し日頃から防災意識の向上と「いざ」と言う時の災害防止に努める習慣を持つこ とも必要とされる(図37参照)。 図37 多摩川洪水氾濫危険区域図 26) (3)災害への備え 台風や大雨は、毎年大きな災害をもたらしている。しかし、このような災害は、警報 などの防災気象情報を利用して、被害を未然に防いだり、軽減できる。台風や大雨の危 険が近づいているというニュースや気象情報を見たり聞いたりしたら、災害への備えを もう一度確認する必要がある。 避難時には、あわてずに次のような心得で速やかに避難することを心掛る。避難時の 心得5カ条を以下に示す。 ⒈避難勧告が出ていなくても、大雨警報が発令されたり、周辺地域で避難勧告が出たと きには、自主的に避難準備をする。 2.避難勧告が出たときには、すみやかに避難する。夜間、雨の中を歩く速度は1時間で 1.5∼2kmが目安となるが、お年寄りや子供が一緒のときはさらに時間がかかること を考慮する。 3.市役所や消防署からの避難の呼びかけは、雨戸や風 雨音で聞こえにくい場合があるので、注意する。 4.避難の際には次のことに注意する。 ・避難は2人以上で、側溝や水路に注意する。 ・川沿いや山沿いの道路はできるだけ避ける。 ・避難は自動車を使わず徒歩で移動する。 5.指定された避難場所への避難が困難になってしまっ たときは、近くの丈夫な高い建物に緊急避難する。 − 35 − 図38 非常時必需品 27) 5−3 これからの多摩川 現在多摩川流域では、沿岸地域の特性を生かし、街づくりの基盤となる治水安全性と 防災機能の向上を図ると伴に、多摩川及び周辺が有する豊かな自然環境と人とのふれあ いを増進し、街と川とが一体となって整備発展する、より良い川づくりが進められてい る。(図39参照) ❶石原地区下流能力向上対策プロジェクト ❷栄町地区河道修正 ❸多摩川堤防浸食集中対策プロジェクト ❹多摩川下流部堤防浸食対策プロジェクト ❺浅川特殊防護対策プロジェクト❻スーパー堤防 ❼大師河原河川防災ステーション ❽❾多摩川右岸下流水辺都市再生 永田地区の自然再生 魚がのぼりやすい川づくり 多摩川の水質改善 ∼ 水辺の楽校 緩傾斜坂路 図39 多摩川の取り組み:平成17年度 28) このように多摩川は下流域の都市化の進展に伴って、結果的に堤防によってコントロ ールされた川となった。江戸に始まり、東京に豊かな水を供給し、その成長を支えてき た多摩川は、反対に東京の市街地の拡大によって、都合よく改変を余儀なくさせられて きた歴史を物語っている。 都市化の進展に伴って、変貌を遂げる多摩川は沿線の市民に親しまれながらより身近 な存在として注目を集めている。自然の宝庫としてレクリエーンョンや防災空間として の多摩川を、活用できるよう多くの市民の協力が求められている。 多摩川とその流域に関しての情報を広く公開し、市民活動に活用出来るよう「国土交 通省関東地方整備局京浜河川事務所」などのホームページは、多摩川の種々の情報を提 供している。 京浜河川事務所HPアドレス:http://www.keihin.ktr.mlit.go.jp/ これからの多摩川は、貴重な自然空間や河川環境、地下水の恵みを行政と市民が一体 となって保全していく事が重要と考える。 − 36 − < 謝 辞 > 以下の方々には取材にご協力を頂き、貴重なご意見や資料等をご提供いただきました。心から感謝い たします。 ・国土交通省関東地方整備局 京浜河川事務所 副所長(技) 丸山 勝 様 ・東京都環境局自然環境部水環境課東京湾係 飯田 輝男 様 こうざわ 水環境係 光沢 圭子 様 ・東京都水道局浄水部浄水課 課長補佐 早川 清治 様 総務部施設計画課課長補佐 空熊 義春 様 水源管理事務所技術課 担当の皆様 サービス推進部広報サービス課水道歴史館 館長 桜井 朋子 様 参考文献 1)国土交通省関東地方整備局京浜河川事務所:多摩川の環境と川づくり、パンフレット、2005 2)国土交通省関東地方整備局京浜河川事務所:水辺を歩こう多摩川-ガイド&ハンドブック2004 3)木下紀正・富岡乃夫也・戸越浩嗣:SiPSEによる3D衛星画像の作り方と読み方 日本の自然を空か ら見る、古今書院、2005 4)貝塚爽平:東京の自然史、紀伊國屋書店、1979 5)貝塚爽平・小池一之・遠藤邦彦・山崎晴雄・鈴木毅彦:日本の地形4 関東・伊豆小笠原、東京大 学出版会、2000.11 6)東京都環境局:∼東京の湧水∼湧水マップ(平成15年度調査)、2005.1 7)中村和郎・小池一之・武内和彦:日本の自然 地域編3 関東、岩波書店、1994 8)早川 光:名水巡礼東京八十八ヶ所、農山漁村文化協会、1992 9)けやき出版編:多摩水べのあるくマップ、1999 10)千葉とき子・斎藤靖二:河原の小石図鑑−日本列島の生い立ちを考える、東海大学出版、1996.7 11)東京都水道局:東京都水道歴史館「玉川上水」パンフレット、2003 12)東京都水道局:江戸上水・東京水道400年記念写真集、1990 13)村松昭:源流から河口まで多摩川散策絵図、聖岳社、1986 14)東京都水道局:東京都水道歴史館パンフレット、2003 15)東京都水道局:小河内貯水池概要パンフレット、2004 16)東京都土木研究所:東京都奥多摩地域の地質、2003 17)東京都水道局:水道水源林100年史、2001 18)東京都水道局:小河内ダム図集、小河内貯水池建設事務所(現:小河内貯水池管理事務所)、1960 19)東京都水道局:水道水源林パンフレット、2004 20)東京都水道局:多摩川水源森林隊パンフレット、2003 21)東京都水道局:東京水道経営プラン2004パンフレット、2004 22)東京都水道局:安全でおいしい水プロジェクト推進計画∼より安全でおいしい水をお届けするため に∼、2004 23) (財)河川環境管理財団:新多摩川誌、2001 24)大田区立郷土博物館:大昔の大田区、1997 25)国土交通省関東地方整備局京浜河川事務所:多摩川の新たな川づくりのための計画、パンフレット、 1999 26)多摩川沿川整備基本構想策定委員会:多摩川沿川整備基本構想、パンフレット、2001 27)いざというときの生活辞典、小学館 28)国土交通省関東地方整備局京浜河川事務所:川づくりBOOK2005、パンフレット、2005 − 37 − 技術ノートのあゆみ 技術ノートは 当協会技術委員会が技術情報誌として昭和62年12月に創刊号を発行して以 来、平成17年11月までで第38号に達しています。 創刊号から第38号までの内容は、既刊リスト表の様になっています。トピックスの内容 は、東京を舞台とする様々な話題の中に地形、地質との関連または基礎工学的な話を織り込 みながらその歴史や現在を伝える内容となっています。各号とも写真や図にカラーをふんだ んに使い、明るい紙面となっています。 技術ノートは、一般の方々に地質調査業を理解していただこうと始めた行事であります。 今後も、たくさんの人たちに読んでもらえるよう、内容を充実させて地域社会に貢献してい きたいと思います。 バックナンバー №26から最新号までは、(社)東京都地質調査業協会のホームページ (http://www.tokyo-geo.or.jp/)で読むことができます。 ■技術ノート既刊リスト表(バックナンバー) No. 発行年月 技術トピックス No. 発行年月 技術トピックス 1 S. 62.12 東京都の地形区分図・地質断面図 25 H. 10. 3 東京の川 神田川 2 S. 63. 3 超高層ビルの地質の基礎形式 26 H. 10.10 東京の台地 3 S. 63. 7 江戸城なりたち、その地形・地質との関係 27 H. 10.12 東京の道 4 S. 63.10 東京湾の埋立、その歴史 28 H. 11. 3 東京の水辺 5 H. 1. 3 東京の川と水 29 H. 11.10 東京のまちなみ 6 H. 1. 8 建築基礎工法の変遷、その地質との関係 30 H. 12. 3 首都圏を支える鉄道網 7 H. 1.12 隅田川の橋、その地質と基礎形式 31 H. 12. 9 東京の公園 8 H. 2. 5 東京の地下鉄 32 H. 13. 3 東京のお酒 9 H. 2.11 東京の石 33 H. 13. 9 三宅島 ー 2000 年噴火と火山災害ー 10 H. 3. 3 新東京都庁舎 34 H. 14. 3 大江戸線 11 H. 3. 7 東京の遺跡 35 H. 14.10 東京の野菜 12 H. 3.12 東京の高速道路 36 H. 16. 2 東京の斜面と災害 13 H. 4. 3 東京の温泉 37 H. 16.11 東京湾 14 H. 4. 9 都内の庭園 38 H. 17.11 多摩川 15 H. 5. 3 山手線 16 H. 5.10 東京のベイエリア 17 H. 6. 3 東京の下水道 18 H. 6. 9 東京のエネルギー 19 H. 7. 3 東京の山 20 H. 7. 9 東京の上水道 21 H. 8. 3 東京の低地 22 H. 8.10 東京の運河 23 H. 9. 3 東京のトンネル 24 H. 9. 9 東京の防災 − 38 − 編 集 後 記 「春の小川は さらさら行くよ ・・・・・」 皆さんも一度は歌ったことのある、「春の小川」という歌です。ここで歌われて いる川は、渋谷川の支流の河骨川という川で、代々木八幡あたりの風景を歌った ものだと言われています。しかし、現在の河骨川は都市化の波に押され、蓋をさ れて人々の目から消えてしまいました。東京には、このような消えていった川が 沢山あります。多摩川も堤防や堰により、人がコントロールしやすい川へと変わっ てきました。多摩川は、これからどう変わって行くのでしょうか。 では、次回技術ノートもご期待下さい。 技術委員会(高松、西原、安冨、向山、菊地)
© Copyright 2024 Paperzz