▲ ▼ 新連載 弁当 あじさい Take outグルメ 西和泉グランド近くにある弁当専門店 安心な食材で家庭的な味の日替弁当 いる。 同店は、企業組合 配達をし ワーカーズ・コレクテ 5月にかけて出荷する。し と妻の真 かし、ことしは気温が高い 知子さん 生食の代表的な野菜のひ ため、出荷時期が例年より が出荷作 とつ、レタスは晩春から初 2週間ほど早いという。栽 業を行っ 春感じさせる味と食感、ことしの収穫は早め 夏にかけてが旬で、みず 「あじさい」が新商品として「花見弁当」 ている。 ィブ クィーンズが経 みずしい味わいとシャキ (750円)と「いなり弁当」 (350円) 普段の 営しており、狛江市な シャキとした食感が特徴。 主力商品 どの生活クラブ生活協 狛江市内で栽培してい を販売している。 培を担当する息子の諭さ 同組合の組合員9人 る農家はそれほど多くない が集まって昭和59年 が、駒井町の松坂進さん 主 菜2 に発足、翌年に狛江駅北口近くに店舗 方では、 2㌃の畑で玉レタス レタス て期間限定で販売することにしている。 品、副 を出した。平成6年に現在の場所に移 (写真右)とリーフレタス を露地栽培している。 「花見弁当」は和菓子がはいってお である日 り、いなりずしと副菜が楽しめる「いな 替弁当は り弁当」とともに、花の季節に合わせ 同店は弁当、惣菜を作って店頭で販売 菜2品 するほか、2個以上で企業や家庭などに で、野 あじさい 多摩川 住宅 根川さくら通り 西和泉 グランド 多摩川 住宅東 花見弁当 菜を中 転。市内の主婦など現在19人が働い いなり弁当 3月19日に行 わ れた 市 立 中 学 校 の 卒 業 式で、455人 の 卒業生全員に高橋都彦市長か ら記念の絵手紙が贈られた。 絵手紙の表面にはサクラの花 の絵に「祝卒業」と添え、は 市長の絵手紙(サクラの花) Monthly ィーに富んだ家庭的な味が好評だ。 う、生産者がわかる 弁 当 は、 「650円 日 替 弁 当 」 と、 安全な食材を吟味し 「500円日替弁当」 、 「からあげ弁当」 て使い、化学調味 なむけの言葉としてレイモン ド・チャンドラーの小説「プレ イバック」の主人公の名せりふ 「強くなければ生きてはゆけ ない やさしくなければ生き るしかくがない」が書かれて いる。 裏面には「今後『社会』とい うものを意識することになる と思います。自信満々で物事 が進むこともあれば、思わず 世間の風当りの強さにたじろ ぐこともあるでしょう。 そん な時に思い起こして欲しい言 葉として贈ります」と言葉を 選んだ理由などが記されてい る。 わっこ 同店では「安心し 心に魚や肉を組み合わせた、バラエテ て食べてもらえるよ 、 「三色丼」 (500円)があ ☎3430-6286 中和泉4-25-1 営 (500円) る。また、品数がより豊富な仕出し弁 業=午前9時∼午後5時 土・日・祝日 休み 当やオードブルなどの注文にも応じて 中学卒業生に市長が絵手紙 ている。 料を使わず、すべて 手作りで調理してい ます」と話している。 弁当を作るスタッフ ひろがれ 絵手紙の輪 「狛江−絵手紙サポーター」から寄 せられた絵手紙とコメントをご紹介 します。 問い合わせ☎3430-1111狛江 市地域活性課市民文化係 柏万寿恵さん (中和泉) 狛江市民活動・生活情報誌 絵手紙の魅力「桜が咲き誇る4月。 出会い、出発の季節です。明るく なった日射しのもと、花たちが顔 を出していますが、雨風や寒さに 耐え、やっと桜が咲いた時は、木 の下で皆が笑顔になります。毎年 私の心をなごませてくれる桜の微 笑が、私は好きです」 レタスを収穫する松坂諭さん ている。 旬菜 =新連載= んは、霜害を防ぐための 以前は卸売市場への出荷 温度管理と乾燥に注意する が中心で、栽培品目も少な ことが大切と話している。 かったが、農業の専門学校 玉レタスは、葉の色が鮮 を卒業した諭さんが加わっ やかでみずみずしく、巻き た10年ほど前から方針を 方がゆるめのものを選ぶの 転換、マインズ農業協同組 が良い。 合の直売やスーパー、緑野 玉レタスは12月初旬に 松坂さん方は古くから続 小学校などに出荷するよう 苗を植え、3月上旬から5 く農家で、9カ所にある合 になり、栽培品目も増やし 月上旬にかけて収穫する。 わせて80㌃の畑で約50 た。また、諭さんは昨年発 リーフレタスはグリーンとレ 品目の野菜を栽培してい 売された発泡酒「こまえ∼ ッドの2種を栽培、12月末 る。進さんと諭さんが栽培 る」 (狛江市観光協会推奨商 に苗を植え、3月下旬から を、進さんの母の妙子さん 品)の開発にも携わった。 花嫁衣装は黒の江戸褄、玉翠園であげた結婚式 昭和9、10年 沢山系が望める六郷用 では昭和30年 頃に「玉翠園」 水取り入れ口付近の土地 代前半頃まで で行われた東和 を購入し、植林や東屋な 結婚式は自宅 泉の飯田吉明さ どを整備して「井上公園」 であげるのが を開設。大正2年に料亭 普通で、 「玉翠 さん( 明 治40年 生まれ、 んの両親、吉太 を園内に建設、10年に林間 園」のようなと 故人)と千枝子さん(大正 学校用の施設や宿泊施設を ころで行うのは 元年生まれ・故人) (前列中 整備し、避暑やアユ釣り、宴 珍しかった。 央)の結婚式の記念写真。 会場などとして多くの客が利 玉翠園は、狛江村の村長 用したという。 飯田さんの話では、千枝 った吉太さんと結婚した。 子さんは銀行町にあった家 花嫁衣装は、現在のよう などの公職を歴任した井上 写真後方の建物は林間学 の一人娘で、当時の高等教 な白無垢や打ち掛けではな 半三郎さんが経営していた 校の女子用宿舎で、100 育機関である女子専門学校 く、おめでたい模様が入っ 川魚料理専門の料亭。半三 畳間の部屋があり、多くの を卒業した。婿入りしてく た江戸褄という黒い着物が 郎さんの孫にあたる塚原ヤ 人が集まる講演会や宴会な れる相手が近隣で見つから 一般的だった。 エ子さんによると、半三郎さ どにも使われたが、結婚式 ず、当時としては晩婚の24 取材・写真協力=飯田吉明 んは明治39年に富士山や丹 は少なかったという。狛江 歳で山形県出身の会社員だ さん、塚原ヤエ子さん。 毎月 1 日 狛江市発行 NO.116 APR 2013
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