問5.妊娠中で一番思い出に残っているエピソードを教えてください。 妊娠中は家にいることがほとんどだったのでおでかけがすごく楽しみでした。 妊娠中、家事をやらせなかった。勝手にやるとすごく怒った。 1人目の時は何かと気遣ってくれ、2人目からは上の子の世話をしてくれてた。 した事ない料理をがんばって作ってレシピをノートに書いて何品か挑戦してくれた事。 1人目妊娠中、家の玄関で転んでしまった事。たまたま家にいた主人の運転で病院に行って何 事もなく終わったけど1人の時じゃなくて本当によかったです。 足のマッサージ、足の爪切り等をしてくれた時は、とてもありたがかった。 一緒に名古屋で子供服を買いに行った時2人で色々赤ちゃんの話をしながら楽しい買い物をし 切迫早産で安静にしていないといけなかったので布団を干してくれたり、とても気を遣ってくれて ご飯を作ってくれたこと 階段をのぼる時、下からおしりをおして助けてくれたこと。 足のむくみがひどく辛かった時、毎日マッサージしてくれた。不安になったりした時にじっくり話を 聞いてくれた。 つわりで食器が洗えず流しにためてしまった時「ムリしなくていいよ。できる時にやったらいい よ!!」って優しい言葉をかけてもらった…けど、やってほしかった。きっと主人の優しさなんだろうけ 腰が痛い時はよくマッサージしてくれました。 第一子第二子共つわりがひどい時は食事面、上の子のケアなど助けてもらえたことはうれしかっ たです。 ずいぶん早くから名前を考えていました。 妊娠が分かった時、私以上に医師の前で夫が泣いて喜んでくれたこと。その後、ステーキでお祝 いした事。 つわりがひどくいろいろやってもらい通院にもよく一緒に行ってもらいました。 二人目を妊娠中、町のマタニティ教室に参加するのに「一人目と内容一緒でしょ」と、あまり乗り 気ではなかった旦那さん。行ってみると助産師さんの話をうんうんと真剣に聞き、赤ちゃんの世 話の仕方などすごく勉強になった!二人目だから大丈夫だろうと思っていたけど初心に戻ること ができて良かった!と参加できたことを喜んでいて、私も嬉しかったです。 上の子をたくさん甘えさせてくれてました。 上の子にも下の子の時も妊娠してくれた事をとても喜んでくれました。妊娠中の時も負担を軽くし てくれようとしてくれてました。 父親になる事に私以上に緊張していたのだと思います。私の体調を気遣うあまり怒る事も度々 ありました。「父親になる心構えみたいな強制参加の町のイベントがあればいいのに」と思ってい 産まれてくるまではお腹の中の赤ちゃんとしての名前をつけて主人と2人で話しかけていました。 子供の性別をDrから聞いていなかったが主人は男の子だと思って"坊ちゃん"といつもお腹に声 をかけていました。出産も一緒に立ち会ってくれてみごとに坊ちゃんでした。 身体を気遣ってくれたり、妊婦の運動の為に旅行に行っては一緒によく歩いてくれた! つわりのつらさがあまりわかってもらえず苦労した。 つわりで大変な時に全然家事をしなくても文句を言わないでいてくれて助かったこと。 エコーの写真を見て楽しみにしていた。検診の順番取りに行ってくれた。 買い物中、重たい荷物を持ってくれたり、休憩を取ってくれたりしてくれました。 切迫早産で入院した時に毎日のように見舞いに来てくれたこと。 よくお腹の子供に話しかけてくれました。産婦人科へ受診した日には、経過が順調であったのか 気にかけてくれてました。 食事、旅行に行ったこと ご飯を作ってくれた。食べやすいメニューを考えてくれた。 2人共初めての出産で何もわからない状態。これは食べても大丈夫なの?とか眠かったら何も 家の事しなくて良いよ、と声をかえしたりネットで調べ物をよくしてくれました。 妊婦検診に付き添った事がない。 体の事を気にかけていろんな事を手伝ってくれました。2人目になると減りますが… 第一子の時は何もかも初めてだったので色々と一緒に感じる(胎児の成長など)事が多かった が、第二子となればほぼ放置。 妊娠中、大きな問題がおきた時も一緒に考え私の事を支えてくれました。 つわりがひどく実家に帰っていたのでありません。 ふくらはぎがダルくてよくマッサージしてくれた 散歩をした方が良いとわかっていても1人で歩きに出掛けて転んだりしたら…と考えると1人では 行けなかったけれど、2度程一緒に散歩に行ってくれた事が1番嬉しかったです。 妊婦検診付き添いなし。 1人目妊娠中は、つわりもなく休みの日は夫婦で子供が産まれたら行けなくなるようなレストラン などにでかけて楽しかったです。静かな京都の街並みを楽しみました。 2人目のとき2か月以上入院しました。自宅から車で約1h強かかる場所でしたが、毎回仕事が 休みの日には上の子を連れてお見舞いに来てくれ、とても心強かったです。 重いものを持ってくれた。 お腹の中の娘にたくさん話しかけてくれたり、手をあててお腹が動くと感動してくれたことが嬉し かったです。 悪阻の時、ごはんを作らなくても文句はいいませんでした。 重いものを持ってくれた。 妊娠9か月のときに、旦那さんが緊急入院、手術をすることになったこと。毎日大きい腹を抱え病 院に通った。出産までに回復し退院できるか不安だった。 1人目妊娠中の時は、よくお皿洗いなど家事系も手伝ってくれてうれしいなと思っていたのです が、2人目妊娠の時は、家事などはスルーされていたような、、、その分、上の子の相手をしてく 妊婦健診だけは、時間を作って病院にきてくれた。 普段見せたことがないような顔でお腹の赤ちゃんに話しかけてくれたこと。 痛いほど動いたと思ったら逆子になっていました。 筋力トレーニングの仕方を教えてくれました。 何もしないでも、何も言わずに全てしてくれた。 言わなくてもお風呂掃除を毎日してくれた。土日は子供を連れて出かけたりご飯を作ってくれたり と、私を楽させてくれた。土日は朝早く起きて弁当を作ってピクニックの準備をしておいてくれる。 切迫早産だったためトイレ以外は横にならないといけませんでした。家事や洗濯、掃除ほぼやっ てもらい、とても有難かったです。 上の子は逆子がなおらず帝王切開になり、それまで夜なかなか寝られず大変だった。下の子の 時は上の子を父親がいろいろと見てくれて助かった。 高齢出産だったので色々心配していた。 お腹の赤ちゃんに話しかけてくれた時に胎動がお父さんにもわかって喜んでくれた姿はわたしも すごく幸せだった。 1人目のときは初めてだったので、期待(喜び)や不安もあったけど2人目からは慣れてしまって いるところもあり気分は楽でした。 動きにくい分、上の子を追いかけてくれていた。旅行に行ったこと。 それまでポコポコ元気に動いていたのに胎動を感じたくてパパがお腹に触るとピタッと動かなく なってしまい、パパが落ち込んでいました。 予定日を過ぎても産まれなくて毎日ソワソワ、まだかまだかと待っていたときは楽しかったが、い ざ出産のときはオロオロしていたこと。 重いものを持ってくれた。 お腹の中で動く娘を2人で感じ、喜び合えたことはとても嬉しかったです。声掛けもたくさんしてく 一緒に旅行に行ったこと。2人でのんびり過ごせて幸せでした。 上の子と父とで買い物へ行ったこと。 下の子が33週で切迫早産で入院中、家の事と子供達の面倒を頑張ってくれた。 むくんだ足をよくマッサージしてくれたのが心身共にリフレッシュできて嬉しかった。 悪阻でしんどい時、身体が思うように動かなくて家事等ができなくても「無理はしないでいいよ」の 一言が一番有難かったです。 お腹を触って胎動を感じることを楽しんでいた。色々名前を考えて毎日楽しく過ごすことができ た。2人共切迫早産で入院したが毎日会いに来てくれた!! 悪阻のときにいたわってくれたのは嬉しかった。 切迫が続くなか、いろいろとこなしてくれました。 すべての声掛けに励まされました。 寝ているときに足がよくつったのでマッサージしてもらいました。 悪阻が酷くてほとんど動けなかったので、よくしてくれたと思います。 お腹にいる子供達によく話しかけてくれた。 2か月間入院していましたが、お腹の赤ちゃんと私を気遣い、会いに来てくれたことが嬉しく印象 に残っています。 悪阻が酷くてそれどころじゃなかった。 2人目の妊娠中は、つわりで体調が悪い時などでも上の子を公園などに連れて行ってくれ、遊ん でたので、上の子もストレス解消できたと思います。 毎回妊婦検診時に一緒に来てくれた。体を気遣って重い物を持ってくれたりゴミを出し等をしてく つわりがなかったから楽だった。お腹が出てくると嬉しかった。 つわりがひどい時は、料理を作ってくれた。 本当にお腹の中でよく動いており、お腹の外からも動きがわかる程だった。 胎動を確認したくて、よく語りながらお腹を撫でていた。 お腹の中で動く赤ちゃん(お腹に手を当てた時)の様子にとても驚いていて、それで赤ちゃんがい るという実感がより湧いてきたそうです。 お腹が大きく身重くなるとイライラしてうまく動けずストレスになりましたが、可愛い子供が産まれ てきたらその辛さも忘れる事ができました。 お風呂掃除を全面的に頼んだがお風呂が荒れた…。1つだけでも家事を頑張ってもらうと嬉しい 妊娠中、張り止めの服用をしており、そのせいで動悸がひどく食事の準備中に倒れてしまったこ とがあり、慌てず対応してくれたので、子供も落ち着いて行動ができた。 上の子をよく見てくれている。 家事を分担することは一切なし。エコー写真への反応がビミョー。 家事を分担することは一切なし。胎児の性別を気にかけていた。 3人目妊娠の報告をしたら実の両親からダンナと義両親に宛てて「産後クライシス」という書籍と ともに周囲のサポート要請が出された。反応は極薄。 つわりでだるくてご飯を作っていなくても適当に食べるでいいよと言ってくれた事。 名前決めに悩み何度もコロコロ変わっていった事 切迫で自宅安静になり一ヶ月程実家で過ごさせてもらった事。 お腹の中で、蹴ったりしたのを手を当てて一緒に喜んだ事。 自分も胎動を見たいとお腹をじっと見て動くように話し掛けていた。 妊娠中の旅行。(夫が安産のお守りをくれた事) 太り過ぎてしまい、お腹も大きく大変だった。 つわりがひどい時や、体が痛い時などマッサージしてくれたり気を遣ってくれた。 2人目を妊娠した時に上の子の保育園の送迎を主人がやってくれるようになりすごく楽になっ お腹の子に話しかけた事。 重い物を持ってくれたり、思いやりの声掛けが嬉しかった。 下の子達の時、出産前後1カ月ほど入院しました。上の子が大きい病院を怖がって面会に来てく れず、3週間振りに会った時は「よその子」のようになって懐いてくれず、辛かったです。主人も大 変な時期だったと思います。実家に助けてもらいながら、仕事、上の子の世話、家事を頑張ってく なかなか胎動を感じられず、それを手で触れた時「あー動いた」っと2人で感動出来たこと。 休みはいつも30分以上一緒に歩いた。 よく一緒に散歩しました。 つわりで動けない時も嫌な顔せず、自分で何でもしてくれました。 以下空白 一緒に出産を楽しみに待ってくれていた事。 お腹の中の赤ちゃんに話し掛けたり、動くのを感じてくれたり喜んでいました。 1人目は初めての子という事もあって、一緒に買い物に行ったり外食したり、すごく体調も気にか けてくれて嬉しかったです。2人目は絶対安静になってしまったので、ケンカも増え最悪でした。 つわりで大変な時に家事をよくしてくれた。 一緒に産まれてくる赤ちゃんの服や用品を見て、話をしたりお腹を触って動いている所を2人で 感じれたりしました。 2人の子供両方つわりがひどく入院したりいろいろ迷惑を掛けましたが、ずっと体と子供を気遣っ てくれました。 病院がなかなか決まらずたらい回されただけでも疲れた覚えがあります。名古屋の病院に決 まったけどなかなか陣痛が来なくて耳鼻科のベットに回されたのはいい思い出です。 腰痛があったので、よく腰をさすってくれた。 妊娠6~7か月の頃のお正月に主人の実家に車で帰省した時のこと。車で7時間程の道のりを帰 る途中に大雪に見舞われ、高速道路が通行止めになり車中で立ち往生。雪の高速道路を歩い てS.Aのトイレまで行ったこと。 買い物に行くと重い荷物を運んでくれた。悪阻中は気持ちが分からないのか、吐いている姿を見 て「大丈夫?」のみ。2人目、3人目でようやくご飯を作るのを手伝ってくれた。 33週で切迫早産で入院中、家の事と子供達の面倒を頑張ってくれた。 悪阻と体重増加が大変だった。少しずつ大きくなっていくお腹や毎回の検診でもらえるエコーの 胎児の写真が楽しみだった。 寒い時期も一緒に散歩に行ったり、図書館で本を借りて読み聞かせをしてくれました。 家族で咳喘息にかかったこと。 長女の時、、、悪阻が酷く、アパートの部屋のにおいもダメで苦しんでいたら、夜にも関わらず公 園に連れて行ってくれた。何とか食べられたポテトを買って一緒に食べた。次女の時、、、同じく 悪阻が酷く部屋にいられず真冬の夜、ベランダに避難していたら、パパと長女が遊びに来てくれ た。寒かったけどほっこりした。三女の時、、、安産祈願でお祓いに行きたかったけど「いつもそん なことしてた?」とすごい面倒くさがれた。他にも多々あり心配も何もされていないと思い、パパへ の信頼がなくなった。今でもトラウマになっている。 体調の気遣い。だらっとしていてもかなり多めに見てくれ、責めるようなことはない。 重い荷物を持ってくれたり身体を気遣ってくれた。 妊娠中に2か月入院したが、毎日病院にかかさず来てくれてとても心強かった。私の体への気遣 いをとても感じられた。 産休に入るまで仕事をしていたので、あっという間に妊娠期間が終わってしまい特に思い出もな お腹で赤ちゃんが動くことをすごく感動してくれた。 2人共切迫早産になり、1人目は1か月自宅安静、1か月入院。2人目は2か月自宅安静と大変 だったけれど、特に2人目の時は上の子のお世話、家事と頑張ってくれました。 少しずつ大きくなっていくエコー写真や育児本を一緒に見て毎日同じ喜びを感じていた。 特にない。 普段割とそっけないほうですが、足がつったときは伸ばしてくれたり、悪阻で辛い時は慣れない 食事の支度もしてくれたり、身体を気遣ってくれて嬉しかったです。 悪阻でどうしても「あのお店の○○が食べたい!」というワガママに嫌な顔ひとつせず、雪の降る 中急いでテイクアウトを買いに行ってくれたこと。安いものですが、世界一おいしいごちそうでし やっとできた子供だったので妻を気遣って家事をやってくれたりいつも以上に優しく接してくれ 1人の時、切迫流産と言われ、家で安静にしていたとき少量の出血があり心配で布団で泣いて いたら一緒に寄り添ってくれ理解してくれた。 思う当たらない。 特にありません。 すばらしい気遣いでした。毎日マッサージしてくれた。 夜勤明けで疲れているのに一緒に散歩してくれたこと。 胎動を感じながら寝て、旦那を見て、幸せな気持ちでいっぱいでした。 悪阻中、仕事で疲れ食事を作るのも辛かった時、準備していなくても文句言わなかったこと。 切迫早産で普段家事などほとんど出来なかった時も夕飯や洗濯をずっとしてくれて助かりまし 安静生活で自分以上に子供が我慢している中、やっと解除になって公園で滑り台を一緒に滑っ 1人目の妊娠中は2人の時間を楽しむため、たくさん出かけた。 お腹が出てきたくらいから、いろいろ気遣ってくれるようになって嬉しかった。 悪阻が酷かったときは、全く心配していない様子でしたが、夜ご飯が作れないでいるとお惣菜を 買ってきてくれたりしてくれました。 腰がものすごく痛くなり困っているとマッサージしてくれました。買い物も毎回手伝ってくれて助か りました。 体の調子が悪いと、ご飯を自分で準備し済ませてくれたのが助かった。仕事をしながらもできる 範囲で手伝ってくれた。 悪阻などの酷い時は背中をさすってくれたり、胎動が始まると手を当ててお腹の子と話をしてい 悪阻が酷く出血もあったり、ほぼ寝たきりの初期には唯一食べられるバナナをいつも買って帰っ てきてくれたので、今でもそのスーパーを見ると思い出します。お腹の膨らみに触れ、一緒に胎 動を楽しんだり話しかけていたことは嬉しかったです。 悪阻が酷くて1日中寝ていたのですが、自分の事は自分でやってくれたのですごく助かりました。 特にない。 切迫流産で入院しているときに、退屈だろうと漫画本をレンタルしてきてくれた。本を読むことは 許されていたのですごく嬉しかった。 1人目より2人目、2人目より3人目とだんだん慣れてきて、仕事もギリギリまでできるようになっ たし気持ちの余裕もありました。 重い荷物を持ってくれたり、ゴミ出しをしてくれたり、重いお腹なので歩いてる時、休憩してくれた 名前を考えている中、画数を調べているといつの間にか芸能人やスポーツ選手の名前を調べて 妊娠後期、腰痛で動けない時に上の子といっぱい遊んでくれて助かった。 お腹の中でよく動いていた事。 1人目はほぼつわりがなく、出産間近まで仕事もでき快適な妊婦生活を送れました。2人目は出 産までつわりがあり、とても辛かったです。 つわりですごく辛かったですが、旦那さんがあまり理解してくれませんでした。 急に食べたい物食べれる物が変わって動けない私の代わりに準備してくれたり協力してくれた。 妊娠中に私がストレスが溜りイライラすることもありましたが、黙って話を聞いてくれたと思いま す。2人目妊娠中は子供のお世話をしてくれることもあり助かりました。 一緒に歩いてくれた事。 妊娠初期から赤ちゃんの名前を決め、お腹に話し掛けていたのに予定日直前に名字と名前を合 わせて読んでみると、おかしい事に気付き急いで考え直しました。もうこれで決定!と思っていた ので焦りました。 マタニティ教室に一緒に行ってくれた。 1人目の時よく一緒に散歩してくれました。 お腹に話し掛けたりして子供の誕生をすごく楽しみにしているのがわかった。少し早産ぽいから 気を付ける様に言われたが、義父に「気持ちの問題」と言われる。夫ははっきり説明してくれず不 満が溜まっていった。 お腹が大きくて爪が切れなくなった時に手伝ってくれた事。 公園に数回連れて行ってもらいました。 出産直前前に沢山友達とご飯を食べに行ったりしていた。お腹が大きい幸せな時に大好きな人 達と過ごせて幸せだった。 初めての事で不安だったが毎回検診に着いて来てくれて心強かった。 だんだん大きくなっていくお腹に話し掛けてくれた事。 出産間近まで共働きでしたが、何をしてくれる訳でもなく、いたわってくれる事もなく、特になし。 一緒に妊娠検診に行った時に先生に"性別は次回の検診の時に教えて下さい"と始めに伝えた のに診察の流れで先生がポロッと女の子と言ってしまい2人で苦笑いをしました。1人で聞いた のではなく2人一緒に聞いたからまぁいっかと姉妹になる事を喜びました。 しんどさを全くわかってくれなかった。 つわりで私が動けない時は「ご飯買ってこようか?」や「洗い物はしとくからいいよ。」など気を 遣ってくれた。後期でお腹が苦しい時出掛け先でも「少し休もうか。」とか腰が痛くて寝れない時 はマッサージをしてくれる。 2人目を妊娠中、上に子と動物園に行った時。私はカフェでお茶をして、お父さんと上の子で園を 回ってくれて嬉しかった。 荷物やお風呂掃除など、体に負担な事は全てやってくれました。 7ヶ月目の時に急にお腹が痛くなり病院に電話して病院へ行きました。すぐに入院になり大変で した。あの時電話してくれた事、助かりました。 名付けの相談したり、安定期に旅行に行った。 エコーでお腹の中で動く子供を観て感動していた事。 出産前の2人で旅行。 何回か仕事を休んで妊婦検診に一緒に来てくれました。心音を初めて聞いた時は感動して泣き そうになっていました。 切迫流産の診断が出て絶対安静でご飯も作れず料理が出来ないパパが作ってくれた焼きそば がスープ状になっていた事。 妊娠の時、エコーでお腹の中の赤ちゃんを見てすごく嬉しかった。子供が動く手足でお腹の膨ら みを見て感動した顔が今でもはっきり覚えています。 お父さんの仕事がちょうど忙しい時で家事手伝いはほとんどしてもらってなかった。 常に気を遣ってくれる。 つわりが続いた時「何もしなくて良いよ」と言ってくれ、背中をよく擦ってもらったのを覚えていま 家事は手伝ってくれていた。 赤ちゃんがお腹の中で大きくなっていった事。10ヶ月の時、一緒に歩いてくれた事。 1人目は切迫流産になってしまい絶対安静だったので、いろいろ本とか買ってきてくれました。2 人目が出来た時は上の子と3人で旅行に行ったりしました。 1人目は気にしすぎていたように思います。動いた動かないと大騒ぎしていたと思います。2人目 は出来にくく、できた時の喜び。1人目と比べて2人目をかわいがれるか心配でした。 特になし 妊娠悪阻で入院中(3か月間)、上の子の面倒はもちろん家の事や引っ越しまで全てお父さんが こなしました。退院したら新居が完成してました。 毎日お腹をさすり、お父さんお母さんで話しかけていました。 当分2人でデート出来ないからと色々な所に連れて行ってくれたこと。身体に良い食べ物を色々 買ってきてくれたこと。 お腹に手をあてて話しかけてくれたことが嬉しかった。 妊娠中、入院期間が長くなりましたが、毎日お見舞いに来てくれ上の子の様子などを教えてくれ ていました。 悪阻でしんどい時にご飯を作ってくれました。でも後片付けをしてくれず、流し台がすごいことに なっていて怒ったことです。 家の事をしてくれている。 毎日お風呂掃除をしてくれた。名前を一生懸命考えていた。 毎回妊娠検診の結果、エコーの写真を楽しみにしていた。 妊婦健診ごとに撮ってもらうエコー写真を毎回楽しみにして2人で見ていました。 妊娠してすごく嬉しかったがそれ以上に不安のほうが大きかったけど「大丈夫だよ」と支えてくれ 食べづわりの時、食べたいものを買ってきてくれた。 毎日一緒に歩いてくれた。 喜んでくれた。 一緒に楽しみに出産を待ってくれていたこと。 1人目の時は一緒に夜散歩してくれて、その時に名づけの話をゆっくりできていたなぁと思う。 ほとんど悪阻はなかったのですが、1人目の時も2人目の時も朝から夕まで働いていたため、辛 かったら夕飯作らなくてもいいよと言って買ってきてくれました。 背が高いのもあり、高いものをとるのにとても助かりました。私が言わなくてもすごく気遣ってくれ 荷物を持ってくれたり、体がしんどいときは休ませてくれた。 2人目の時、2度入院して実家にも助けてもらいましたが、上の子にとても悲しい思いをさせてし まいました。 身体が重いから、とりあえず腰が痛い。大丈夫?の一言で助けられる。 私の体調がすぐれないとき、通勤のために駅までの送迎をしてくれたこと。 エコー写真を見ながら語る幸せ。 辛いのを認めてくれていて、不満をぶつけても受け止めてくれた。何もできないのが辛かったが、 それでいいよとできることを夫がしてくれた。 重い荷物を持ってくれたり、悪阻で辛い時に優しかったです。 悪阻で大変な時は料理や家事をよく手伝ってくれた。 みんなでのお出かけ。 夜中に足がつるので起きて対処してくれた。 一緒に歩く時の速さをなかなか合わせてくれずイラッとしたけど、、、食べ物には気を使ってくれ 少し家事をするだけですぐにお腹が張ってきてしまい、家族みんなが進んでお手伝いをしてくれ 下の子の時、切迫流産で1か月半くらい入院しました。1か月安静だったのでゲームや本を持っ てきてくれました。 何でもよく食べた。上の子2人をみるのが大変だった。 ゆっくり歩いてくれる。いろんな所に連れて行ってくれました。 毎回検診に付き添ってくれた。 沢山ケンカした。 産まれる前まで夜、一緒に散歩した事。 つわりが1番ひどかった時に家事を一切しなかったのに何も言わずにいてくれた事が助かりまし 1・2・3人目ともに12㎏増量しました。1・2人目の時は先生に注意されましたが、3人目の時は 先生もわかっているのか何も言いませんでした。この体重も出産後1カ月で元通り~♪母乳効果 男の子だとわかった時に、すっごく喜んでくれた事。 胎動を感じて感動した事。 重い物は持ってくれていました。私が転びそうになったら支えてくれ何も言わなくても手を貸してく れていました。 1人目の妊娠中に旦那さんがヘルニアの手術をして大変な思いをした事を覚えています。初め ての妊娠だったのでキツかったです。2人目、3人目は出血したり赤ちゃんが早く降りて来て安 静って事が多くて、よく実家に行って安静にしていたのですが、文句1つ言わず自宅で1人で頑 大きくなったお腹に話し掛けてくれた事。 特になし 特になし つわり中ご飯が炊ける匂いがダメになったのですが、しばらくの間、旦那が風呂場にジャーを 持って行って炊いてくれました。 目の綺麗な子が産まれるようにと、アワビを色々な所に食べに出かけた。 つわりに対する理解、辛さがわかっていない。パパ学級が恥ずかしいという気持ちが強いので参 加していない。もっとパパが参加しやすい環境を。 1人目はお体重増加が恐怖で安定期~出産までよく散歩しました。仕事帰りでお疲れの所、ほ ぼ毎日散歩に付き合ってくれました。お腹の子供について沢山話しました。 それまでは全くやらなかった家事を手伝ってくれるようになった。 高齢出産だったので子の障害をしました。そんな私に対し「いいじゃん、俺たちの子だもん」と 言ってくれました。一緒に子育てをしていけると確信しました。 あまり覚えてない 特に悪阻の時期は家事や上の子のお世話を率先してくれ体を休める事ができた。 体調を崩す事無く働いていました。 なかなか胎動を感じなくてパパと2人でお腹を触りながら動かんねぇと話していた時に初めて動 いた時すごくびっくりして嬉しかった。 切迫早産で長期入院していたので不安だったけど家の事や子供達の事をしっかりサポートして いたので安心して入院出来た。 大きくなったお腹を沢山触って一緒に胎動を感じてくれた。 以下空白 車道側を歩いてくれたり階段や段差に手を差し出してくれる。 いつも気を遣ってくれた。 1人目の時、妊娠してから貧血とは別の立ちくらみが起きるようになり病院で外出先でも気分が 悪くなったら休んでと言われていた。夫と2人でスーパーのレジに並んでいた時立ちくらみで動け なくなったが夫は知らん顔で私の自己管理が悪いと言って先に行ってしまった。 体調が悪くて休んでいる時、家の事をしてくれていた。 お腹に話し掛けてくれたり下の子を妊娠した時は上の子と2人でよく出掛け私1人ゆっくり過ごせ る時間を作ってくれたのが嬉しかったです。 散歩を一緒にしてくれた。 特になし 私の体を1番に考えてくれ色々気を遣ってくれました。散歩に付き添ってくれたり、なるべく1人で の外出を少なくしてくれた。 切迫流産で入院している時、主人がまめに来てくれて嬉しかったです。名付けもよく2人で話した りして楽しい時間でした。 3人目妊娠中、体調が優れず寝込んでいましたが朝も早起きて定時で切り上げ家事全般をやっ てくれて助かりました。 つわりが酷く家の事が何も出来ない時にご飯を作ってくれた。嬉しかったけど食べれる状態じゃ なく…でもせっかくやしって気持ちで食べてみたらやっぱりダメで大変な思いをしました。 とても家庭の事を考えてくれていました。 出産前1ヶ月半ほど切迫早産で入院していました。仕事帰りに毎日病院まで来てくれて嬉しかっ たです。 文句を言わず自分がやってほしい事をしてくれた。 よくお腹をさすって"動いたね"等々子供が出来た事を一緒に喜んでいてくれていた。 エコー写真を見て楽しみで何回も見てました。 切迫流産になり自宅安静になった為、自宅に戻ったが仕事帰りには実家に必ずパパが見せに 来てくれた。 長女の妊娠初期に自宅安静になり、家事、買い物をやってくれ、特に最初の数週間は毎日病院 へ行き、注射が必要だったので病院へ連れて行ってくれ、夫婦で乗り切り安定期に入った日は ケーキでお祝いしたこと。 何でも幸せだった。 妊娠中期から後期にかけて、お腹の赤ちゃんに話しかけてくれていました。 切迫流産、切迫早産で通院、入院ばかりしていましたが入院中もどんなに仕事で遅くなっても毎 日お見舞いに来てくれました。一緒に娘の名前を考えたり、退院すると重いお腹を2人で支えて いなべ公園に行ったり、楽しい毎日でした。 悪阻が酷くても「良くなったらして」と洗濯物がたまっていた。 私が出産前にしばらく入院していた時、下の子の面倒をみてくれたり(離乳食を作ってくれたり) 退院してからも重いものは絶対持ってくれて、当時2階に洗濯物を干していたのですが、夜仕事 から帰ってきてから上に洗濯物を運んで干してくれたりしてくれた。 切迫早産で入院中、どんなに仕事で遅くなっても毎日病院に来てくれた。 一緒に運動してくれたり健診に付き添ってくれたこと。 とても大事に優しくしてくれた。悪阻の時も私が食べられる食事を準備してくれた。お腹の中の赤 ちゃんに毎日話しかけてくれた。 まだ見ぬ我が子に心わくわくさせ2人で子供の服を買ったり、名前を考えたりおもちゃや遊べるも のを集めたり、幸せな気持ちでいっぱいでした。大きなお腹の私を気遣ってくれたり支えてくれた 夫がいたので妊娠中の10か月は人生で一番幸せな時間でした。 妊娠が分かったとき、今まで見たことのないくらい喜んでくれたこと。(普段あまり感情を表に出さ ない人なので驚きました。) 妊娠の発覚と同時に寝たきりの安静が必要になり、ずーっと1日家の中で寝ている生活でした。 1日でも長くお腹にいてくれるよう祈る毎日でした。 第一子妊娠時は正社員だったので残業も多く、仕事だけで疲れていて、伝えると「仕事辞めた ら」だった。この一言でこの人には頼れないと切実に思った。思い出しても腹が立つ。悔しかった ので、どんなに体調が悪くても弁当、家事をこなした。 上の子が女の子で食べづわりだったんですが、2番目の時は男の子ということもあってか悪阻が ひどかったのを覚えています。 自分の体に対して赤ちゃんが大きく、早く産まないと産めないかもと先生に言われた。 悪阻が酷くて、本当に心配させてしまいました。 妊娠が分かってすぐ産院を調べ決めてくれた。戌の日から産まれるまで毎日腹帯(さらし)を巻き 続けてくれた。 妊娠中は旦那さんが夜勤の仕事だったので、旦那さんより私のお父さんの方がすごく気を遣って くれて病院の送り迎えもしてくれて頼りになった。 産気づいたとき、いつも必死に車を運転して病院まで連れて行ってくれました。 お腹がだいぶ大きくなってきて赤ちゃんの耳が聞こえるようになってきた頃、夫が私のお腹に向 かって一生懸命話しかけていたこと。 上の子を妊娠中、どんなに遅くても1時間の散歩に付き合ってくれました。 お腹の子にいっぱい話しかけて一緒に胎動を感じたこと。 掃除しすぎて切迫早産になった。 1か月半早く2人とも破水し、かかりつけの病院に入院し上は一週間後、下の子はその日のうち に出産になった。 初期は悪阻の辛さが分かってもらえず、怠けていると思われ嫌だったが夫の会社の出産経験の ある女性から色々と話を聞き、大変さを少しは分かってもらえたので良かった。 1人目を妊娠中のとき、仕事の退職と同時に切迫早産で入院になりそのまま出産になってしまっ た。赤ちゃんが産まれてからの準備をほとんどしていなくて、夫が1人で服やベビーベッドや新生 児を迎える準備をしてくれた。 悪阻が酷くて運転できなかったため、妊婦健診に全て付き添ってくれた。 腰痛が酷く、辛い時にさすってくれたことが嬉しかった。 安静生活が長く、なかなか上の子の相手をしてやれなかったとき遊びに連れて行ってくれたこ 悪阻が酷いときから家事を手伝ってくれた。私が妊娠高血圧症や切迫早産で不安になっている 時に話を聞いてくれて、元気づけてくれたことが今でも一番嬉しかったし励みになったことです。 私が妊娠初期中に出血で絶対安静のときに主人がうどんを作ってくれたのですが、それがあま りにも酷い味だったが、今では笑い話でその気持ちがすごく嬉しかった。 上の子の時、毎回健診の付き添いをしていたこと。ご飯を作らず、家事をしなくても何も言わず1 人でやってくれたこと。 とにかく主人にイライラした。 自分の身体では変化を感じないので、子供が産まれるという実感がなかなか沸かなかったそう です。予定日を10日過ぎても産まれないので父さんのほうがイライラしていました。 気を遣ってくれたこと。 後期になると頻繁に足がつっていたのでマッサージをしてもらって楽になりました。 以下空白 つわりが酷く毎日のように吐いていたのですがその時に旦那が心配しながら背中を擦ってくれた 事が1番思い出に残っています。 買い物に付き合ってくれたこと。 つわりが酷かったので水回りの匂いやお米など匂いのキツイものをする時に結構家事を手伝っ てくれていました。 体重の増加で注意を受けた時、仕事から帰ってから一緒にいろいろ語りながら歩いたこと。 妊娠後期になると毎日足がしびれて大変でした。足がしびれたり、足がつった時いつもパパが足 をもんでくれました。 とにかく体を心配してくれました。大切にしてくれました。足がむくめばマッサージをしてくれたり …。友達と飲みに行ってる時に足がつったので泣いて電話したら帰ってきてくれた。 つわりがひどく、その時はかなり助けてくれた。家のコトをやってくれたり普段しないコトをしてくれ 1日中ゴロゴロしてた。 健診を楽しみにしていてくれたり、一人目出産の時に二人で出かけたこと。 体のことを気にかけてもらったこと。マタニティ教室も一緒に参加し、とても幸せでした。 一人目のときは一緒に病院も行ってくれ、超音波写真を一緒に見るのがとても楽しみでした。 3人目の時早産で入院したが、上の子たちを面倒みてくれ幼稚園のお弁当を作ってくれた。 一人目のときは妊婦健診やパパママ学校に参加してくれた。二人目のときは買い物や上の子の 相手をしてくれた。 名前を必死のなって考えてくれたこと。出産をすごく楽しみにしてくれていたこと。 はじめは実感がなさそうでしたが、お腹が大きくなるにつれてお腹に話しかけたりして嬉しそうで つわりが全くなかった私が一度だけ車酔いをした時に家族全員がびっくりしていた事。 お腹の中の子どもの様子や私の体を気にかけてくれていた。 予定日前日近くまで仕事を休まずしていたので、いいエピソードとか思い出せず…。切迫流産し かけなのに歩けとか言われてつらかったことか。車イスマークに停めたらまさか夫に怒られる… とか。母父共にはじめてのことばかりで、何が正しいかわからなかった。 歩いたほうが良いという事で、出勤前に一緒に歩いた。 出産までの2ヵ月半程入院になり、ほぼ毎日お見舞いに来てくれた。 一人目の時は、本当にお腹の赤ちゃんに話しかけたりなでたりしてくれていた。名前を決めること も、とても真剣に考えてくれてうれしかった。 つわりがえらかったです。 荷物を持ってくれた。 産まれる直前までつわりがひどくすぐトイレへ走っているときにいつも背中をさすって声をかけて くれたことはすごくありがたかったです。 8ヶ月まで仕事をしていたので、よく「無理するなよ」と言葉をかけてくれていました。 つわりがひどく、その時はかなり助けてくれた。家のコトをやってくれたり普段しないコトをしてくれ た。、仕事も休んでいることが多かった。 つわりで食べるものにかたよりがあり、食べたいものが数分毎にかわり、その度主人が買いに出 てくれて、買ってきてくれても数分後には見るのも嫌ということがあったが、それにとことんつき あってくれたことに、本当に今思えば感謝しています。 2人目妊娠中、体調が悪く大変だったが、こどもの世話をがんばってくれ、親子で笑顔で過ごせ ほとんど実家暮らし(入院と実家の繰り返し)で自宅にもどる事がなかった。つわりがひどくなく (たべつわり)後期には妊娠中毒症で入院するはめになった。
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