現代1 第一次世界大戦とヴェルサイユ体制… prese1

【現代 1 第一次世界大戦とヴェルサイユ体制】
1.国際対立へ
2.第一次世界大戦
3.ヴェルサイユ・ワシントン体制
1.国際対立…世界大戦への伏線
ドイツ・ロシ A) ロシアの安価な穀物→ドイツのユンカー層の警戒で,ロシアからの資本引き上げロシアと
ア関係の破
の亀裂が決定的になる。
綻
B) ヴィルヘルム 2 世即位,ビスマルク首相引退
対外行動の自由のため再保障条約の更新を拒絶(1890)
C) ロシアはフランスと接近し 1891~94 露仏同盟につながる。フランス資本導入でシベリ
ア鉄道建設など帝国主義的膨張
イ ギ リ ス 外 A) 「光栄ある孤立」の伝統を放棄し,日本と軍事同盟…日英同盟 (1902) ロシアの極東南下
交の転換
政策やイラン,アフガニスタンでの対立のため
B) ドイツの強硬姿勢への対抗からフランスと協商…英仏協商成立(1904)…エジプトにおける
イギリスの,モロッコにおけるフランスの優越権承認
C) 日露戦争でロシアの野望が挫折すると,ロシアと関係改善し英露協商 (1907)→
イランにおける両国の勢力圏画定
→これらより三国協商成立
同盟国 vs.協 ・ドイツの 3B 政策 ⇔ イギリスの 3C 政策
商 国 の 対 立 ドイツの海軍大臣ティルピッツの海軍拡張計画→イギリスと建艦競争
へ
イタリア…未回収のイタリアをめぐりオーストリアと対立→フランスに接近したため,三国
同盟の実態はドイツ・オーストリア同盟に近くなった。
バ ル カ ン 問 ・スラブ民族の独立運動と列強の利害がからむ
題とトルコ
パン・スラブ主義(露) ⇔ パン・ゲルマン主義(独墺)
① オスマン帝国(トルコ)で青年トルコ党の革命(1908)
ブルガリア独立
オーストリア…これに乗じて管理下のボスニア・ヘルツェゴビナを併合(パン・スラヴ主義の
拡大を恐れたため)⇒この地を狙っていたセルビアが激怒。
② イタリア・トルコ(伊土)戦争(1911)でイタリアがトリポリ・キレナイカを奪う
③ これを機にバルカン同盟(1912 ロシアによりセルビア,ブルガリア,ギリシア,モンテ
ネグロで結成)がトルコに宣戦=第一次バルカン戦争(1912)…バルカン半島をトルコより
奪うが,獲得した領土の配分をめぐり同盟内対立
④ 第二次バルカン戦争(1913) (ブルガリア VS. セルビア,モンテネグロ,ギリシア,
ルーマニア,オスマン帝国)
↓ブルガリア敗退 ブカレスト条約締結
⑤ ブルガリア,オスマン帝国は三国同盟側に接近,アルバニア独立(1912)
※半島における勢力変動は列強対立をさらに悪化させる…
セルビア(ロシアの力を背景に勢力拡大) ←関係悪化→オーストリア 一触即発の危機
バルカン半島は「ヨーロッパの火薬庫」と呼ばれるようになる。
列 強 国 内 へ ・国内の労働者に対しては,対外膨張の政策をより大きなパイの分け前を約束するものと宣言
の影響
→労働運動の弱体化・分裂をねらう。
・ドイツの「世界政策」
,フランスの「対独復讐」
,イタリアの「未回収のイタリア」
,いずれも,
広汎な国民を統合するための合言葉となった
・軍事支出の増大が国民生活の圧迫度を増す→労働者政党が急成長。
2.第一次世界大戦
発端
A) サラエボ事件(1914.6.25)…オーストリア皇太子フェルディナンド夫妻暗殺。領内のボスニ
ア州サラエボで,セルビア人青年プリンチップに射殺される。
B) 勃発
・7 月 23 日 オーストリアはセルビアに最後通牒。
・7 月 28 日 宣戦。
・7 月 30 日 ロシアが総動員令を発する。
・列強…それぞれの提携関係に従って参戦
ドイツ:(三国同盟により)8/1 ロシア,8/3 フランスに宣戦
イギリス:8/5 ドイツがベルギーの中立を侵したことによりドイツに宣戦。トルコとの対戦
の一環として「バルフォア宣言」
「フセイン・マクマホン協定」
イタリア:同盟国側であったが,これを破棄して協商側で戦う(オスマン帝国分割への誘いに
応じたため)
三国同盟側:4 ヶ国 ドイツ,オーストリア,ブルガリア,オスマン・トルコ,
三国協商側:27 ヶ国 連合国…イギリス,フランス,ロシア,イタリア,日本,中国ら
イギリス・
フランス
西部戦線
ドイツ・
オーストリア
東部戦線
ロシア
帝国
主要参戦国は挙国一致体制へ
第二インターは参戦国の社会党の多くが自国政府を支持し,解体。
・西部戦線
・東部戦線
ドイツ:ベルギーを侵犯してフランスへ侵攻(シュリーフェン
ロシア軍の速い侵攻に応じ,ドイツは
計画による)
西部戦線から兵力投入し
1914.8.26-29 タンネンベルクの戦
西部が手薄になったまま,ドイツ軍は…
でロシア軍を破る
1914.9 マルヌの会戦 以後,膠着 対フランス
→以後,ロシア領内での戦い続くが,
1916
ドイツがヴェルダン要塞攻撃→失敗⇒
広大な国土,厳寒気候で決着の見通したた
ソンムの会戦 連合国の反撃…失敗
ず
→両軍ともに塹壕戦を戦いながら,航空機・毒ガス・戦車など
バルカン戦線 ドイツ軍優勢
の新兵器を用いる→多くの死傷者→勝敗つかず
・戦争は予想外の長期戦・物量作戦に
1914 年 10 月には平時備蓄のすべてが使い果たされるほどになり,戦況が生産力に左右される Total
War(総力戦)様相を呈していく。
ドイツ,オーストリア,ロシア…厳しい統制下で,ストや参政権要求運動が起こる。
イギリス,フランス…植民地からの補給で緩やかな統制
→両陣営とも,中立国を味方につける必要から秘密条約締結…植民地独立・国家建設の約束をあたえ協力
を確保
・アジア:日本が,ドイツの租借地である山東半島を攻め青島(チンタオ)占領,南洋諸島も。
・海上 イギリスが制海権を握り,ドイツの物資輸送を妨げる
ドイツ潜水艦がイギリスのルシタニア号を撃沈(1915)
無制限潜水艦作戦(1917)→アメリカがドイツに参戦 連合国側の優勢が決定
戦局転換 1917.3
ロシアで革命勃発
11.7 ボリシェビキ革命→ソヴィエト政権
1918.1 ウィルソン大統領(米) 大戦終結のための 14 カ条を提唱→ドイツの終戦交渉の条件と
なり,講和の原則になる
終結へ
3 月 ソヴィエト政府は単独講和(ブレスト・リトフスク条約)
ドイツが西部戦線で大攻勢をかけるが失敗
8 月 連合国軍の反撃開始
ブルガリア(9.27),トルコ(10.30),オーストリア(11.3) 降伏
オーストリアのカール 1 世はスイスに亡命
1918.10 ドイツで和平派が組閣し,ウィルソンに打診
11 月 しかし,休戦交渉を有利にしようと,艦隊の出兵を命じると,即時講和を求めて
キール軍港の水兵の反乱がおき,全国に革命運動広がる(ドイツ革命) 皇帝は亡命
11.11 ドイツの臨時政府は休戦条約に調印
大戦の性 ・基本的性格…列強のヨーロッパでの覇権,植民地分割をめぐる帝国主義戦争として始まる
格
・総力戦体制とその影響
戦争の長期化→物資の配給制,広範な国民を先頭,生産活動に動員→国民の政治的立場向上→
古い政治体制の危機→戦後の政府,国民の意見・社会政策をより重視へ
・多数の人命喪失,大きな破壊…ヨーロッパの人々には従来の社会発展の仕方に対する疑問が深
まる。
・アジア・アフリカの植民地の人びと→自立への期待
3.ヴェルサイユ・ワシントン体制の成立
パリ講和会議
A) 列国代表
(1919.1~6 月)
ウィルソン(米),クレマンソー(仏),ロイド・ジョージ(英),オルランド(伊),西園寺
公望(日)
B) 会議の基本原則…アメリカ大統領ウィルソンの「十四ヵ条」(1918.1 発表)
秘密外交の廃止,海洋の自由,経済障壁除去,軍縮,植民地問題の解決,国際平和機
構設立などが原則となる→ソ連の社会主義体制に対抗する意図も含まれる。
民族自決の原則(十四カ条の一つ)…ヨーロッパ以外の地域では不適用となり,ドイツの
租借地や植民地が戦勝列強国に配分された→アジア・アフリカの人びとの失望
C) 参加国の分裂
フランス・イギリス:ドイツに対して復讐要素の強い主張を貫き,ウィルソンの理念
は削られていく。
アメリカ:秘密外交や非民主的な政治を批判,平和・社会的公平の実現を重視。
日本:アジアの利権以外無関心。批判に対し退席を主張し,同意させる。
締結された条約
A) ヴェルサイユ条約ドイツとの講和条約(1919.6)
英仏の対独報復的な内容
領土の割譲(全海外領土を失う),莫大な賠償金を払うことが決められた。
アルザス・ロレーヌ→仏,
ポーランド回廊→ポーランド
メーメル→リトアニア,
ザール地方,ダンツィヒ→国際管理
軍備制限:ラインラント非武装化, 1320 億マルクの賠償金
B) サン・ジェルマン条約…オーストリアとの講和条約(1919.9)
オーストリア・ハンガリー帝国解体
ハンガリー,チェコスロバキアの独立, 南チロル,トリエステ→イタリア
ボスニア,ヘルツェゴビナ,モンテネグロ→セルビアと合体⇒セルブ・クロアート・ス
ロヴェーヌ王国成立…1929 クーデターでユーゴスラビア成立
C) セーヴル条約…トルコとの講和条約(1920.8)…欧州側領土はコンスタンチノープル
とその周辺のみ
トラキアとイズミル(スミルナ)地方→ギリシアが獲得
メソポタミア,パレスティナ→イギリスが委任統治
シリア→フランス委任統治
D) その他の講和条約
・トリアノン条約:ハンガリーとの講和条約(1920.6)
・ヌイイ条約:ブルガリアとの講和条約(1919.11)
・民族自決の流れ…東欧諸国の独立
フィンランド,エストニア,ラトビア,リトアニア,
ポーランド,チェコ,ハンガリー,ユーゴスラビアの独立
国際連盟
A) 設立(1920)
世界の恒久平和をめざす史上初の大規模な国際機構,本部…ジュネーヴ
機構…総会・理事会・連盟事務局中心,国際労働機関・常設国際司法裁判所も設置
B) 問題点
ドイツとソ連(ロシア)排除…ソ連 1934 加盟。
アメリカの不参加(上院が孤立主義にこだわる)
全会一致の原則(英仏伊日) 侵略国家制裁のための軍事的制裁を欠く⇒弱体 しかし,
小紛争の調停,文化交流では一定の成果
ヴェルサイユ体 ・パリ講和会議でつくられた戦後の新国際秩序をヴェルサイユ体制
制の特徴
・ドイツへの懲罰
・現状変革を求める動きに対抗しての世界体制の再構築
・国際連盟といえども,ロシア革命というラディカルな変革が拡大するための免疫づくり
としての性格があった。
・ソ連とドイツは国際協調体制から排除された(20 年代の急接近となる)
・民族自決原則は東欧のみで適用
ドイツが手放した植民地やトルコ領は「委任統治」のもとの実質的な植民地支配
↓
ヨーロッパ列強の世界における優位をたもったものの,ドイツ問題,革命進展の問題,
植民地や従属地域の問題はそのままで,内外から突き崩されるものとしての不安定な体制
として出発した。
ワシントン体制 ワシントン会議(1921~22) アメリカ大統領ハーディングの提唱
・海軍軍縮条約 主力艦保有比率 英:米:日:仏:露=5:5:3:1.67:1.67
・四ヶ国条約(1921)…日英米仏, 太平洋の現状維持 日英同盟の破棄
・九ヶ国条約(1922)…中国の主権尊重,独立,門戸開放,機会均等を約束
日本は青島(チンタオ),山東の利権返還,石井・ランシング協定の空文化で破棄
ワシントン体制:この会議で決められたアジア・太平洋地域の新国際秩序
★
【現代① 第一次世界大戦とヴェルサイユ体制】
1.国際対立へ
2.第一次世界大戦
3.ヴェルサイユ・ワシントン体制
1.国際対立…世界大戦への伏線
ドイツ・ロシ A) ロシアの安価な穀物→ドイツのユンカー層の警戒で,ロシアからの資本引き上げロシアと
ア関係の破
の亀裂が決定的になる。
綻
B) ヴィルヘルム 2 世即位,ビスマルク首相引退
対外行動の自由のため[
]の更新を拒絶(1890)
C) ロシアはフランスと接近し 1891~94 [
]につながる。フランス資本導入
でシベリア鉄道建設など帝国主義的膨張
イ ギ リ ス 外 A) 「光栄ある孤立」の伝統を放棄し,日本と軍事同盟…[
] (1902) ロシアの
交の転換
極東南下政策やイラン,アフガニスタンでの対立のため
B) ドイツの強硬姿勢への対抗からフランスと協商…[
]成立(1904)…エジプト
におけるイギリスの,モロッコにおけるフランスの優越権承認
C) 日露戦争でロシアの野望が挫折すると,ロシアと関係改善し[
] (1907)→
イランにおける両国の勢力圏画定
→これらより三国協商成立
同盟国 vs.協 ・ドイツの 3B 政策 ⇔ イギリスの 3C 政策
商 国 の 対 立 ドイツの海軍大臣ティルピッツの海軍拡張計画→イギリスと[
]競争
へ
イタリア…未回収のイタリアをめぐりオーストリアと対立→フランスに接近したため,三国
同盟の実態はドイツ・オーストリア同盟に近くなった。
バ ル カ ン 問 ・スラブ民族の独立運動と列強の利害がからむ
題とトルコ
パン・スラブ主義(露) ⇔ [
]主義(独墺)
① オスマン帝国(トルコ)で青年トルコ党の革命(1908)
ブルガリア独立
オーストリア…これに乗じて管理下の[
]を併合(パン・スラヴ主義
の拡大を恐れたため)⇒この地を狙っていたセルビアが激怒。
② イタリア・トルコ(伊土)戦争(1911)でイタリアがトリポリ・キレナイカを奪う
③ これを機に[
]同盟(1912 ロシアによりセルビア,ブルガリア,ギリシア,
モンテネグロで結成)がトルコに宣戦=第一次バルカン戦争(1912)…バルカン半島をトル
コより奪うが,獲得した領土の配分をめぐり同盟内対立
④ 第二次バルカン戦争(1913) (ブルガリア VS. セルビア,モンテネグロ,ギリシア,
ルーマニア,オスマン帝国)
↓ブルガリア敗退 ブカレスト条約締結
⑤ ブルガリア,オスマン帝国は三国同盟側に接近,アルバニア独立(1912)
※半島における勢力変動は列強対立をさらに悪化させる…
セルビア(ロシアの力を背景に勢力拡大) ←関係悪化→オーストリア 一触即発の危機
バルカン半島は「ヨーロッパの火薬庫」と呼ばれるようになる。
列 強 国 内 へ ・国内の労働者に対しては,対外膨張の政策をより大きなパイの分け前を約束するものと宣言
の影響
→労働運動の弱体化・分裂をねらう。
・ドイツの「世界政策」
,フランスの「対独復讐」
,イタリアの「未回収のイタリア」
,いずれも,
広汎な国民を統合するための合言葉となった
・軍事支出の増大が国民生活の圧迫度を増す→労働者政党が急成長。
2.第一次世界大戦
発端
A) [
]事件(1914.6.25)…オーストリア皇太子フェルディナンド夫妻暗殺。領
内のボスニア州サラエボで,セルビア人青年プリンチップに射殺される。
B) 勃発
・7 月 23 日 オーストリアはセルビアに最後通牒。
・7 月 28 日 宣戦。
・7 月 30 日 ロシアが総動員令を発する。
・列強…それぞれの提携関係に従って参戦
ドイツ:(三国同盟により)8/1 ロシア,8/3 フランスに宣戦
イギリス:8/5 ドイツがベルギーの中立を侵したことによりドイツに宣戦。トルコとの対戦
の一環として「バルフォア宣言」
「フセイン・マクマホン協定」
イタリア:同盟国側であったが,これを破棄して協商側で戦う(オスマン帝国分割への誘いに
応じたため)
],ブルガリア,オスマン・トルコ,
],[
],ロシア,イタリア,日本,中国ら
三国同盟側:4 ヶ国 ドイツ,[
三国協商側:27 ヶ国 連合国…[
イギリス・
フランス
西部戦線
ドイツ・
オーストリア
東部戦線
ロシア
帝国
主要参戦国は挙国一致体制へ
第二インターは参戦国の社会党の多くが自国政府を支持し,解体。
・西部戦線
・東部戦線
ドイツ:ベルギーを侵犯してフランスへ侵攻(シュリーフェン
ロシア軍の速い侵攻に応じ,ドイツは
計画による)
西部戦線から兵力投入し
1914.8.26-30 タンネンベルクの戦
西部が手薄になったまま,ドイツ軍は…
でロシア軍を破る
1914.9 [
]の会戦 以後,膠着 対フランス
→以後,ロシア領内での戦い続くが,
1916
ドイツがヴェルダン要塞攻撃→失敗⇒
広大な国土,厳寒気候で決着の見通したた
ソンムの会戦 連合国の反撃…失敗
ず
→両軍ともに塹壕戦を戦いながら,航空機・毒ガス・戦車など
バルカン戦線 ドイツ軍優勢
の新兵器を用いる→多くの死傷者→勝敗つかず
・戦争は予想外の長期戦・物量作戦に
1914 年 10 月には平時備蓄のすべてが使い果たされるほどになり,戦況が生産力に左右される Total
War([
])様相を呈していく。
ドイツ,オーストリア,ロシア…厳しい統制下で,ストや参政権要求運動が起こる。
イギリス,フランス…植民地からの補給で緩やかな統制
→両陣営とも,中立国を味方につける必要から秘密条約締結…植民地独立・国家建設の約束をあたえ協力
を確保
・アジア:日本が,[
]の租借地である山東半島を攻め青島(チンタオ)占領,南洋諸
島も。
・海上 イギリスが制海権を握り,ドイツの物資輸送を妨げる
ドイツ潜水艦がイギリスのルシタニア号を撃沈(1915)
[
]作戦(1917)→アメリカがドイツに参戦 連合国側の優勢が決定
戦局転換 1917.3
[
]で革命勃発
11.7 ボリシェビキ革命→ソヴィエト政権
1918.1 [
]大統領(米) 大戦終結のための 14 カ条を提唱→ドイツの終戦交渉
の条件となり,講和の原則になる
終結へ
3 月 ソヴィエト政府は単独講和([
]条約)
ドイツが西部戦線で大攻勢をかけるが失敗
8 月 連合国軍の反撃開始
ブルガリア(9.27),トルコ(10.30),オーストリア(11.3) 降伏
オーストリアのカール 1 世はスイスに亡命
1918.11 ドイツで和平派が組閣し,ウィルソンに打診
11 月 しかし,休戦交渉を有利にしようと,艦隊の出兵を命じると,即時講和を求めて
キール軍港の水兵の反乱がおき,全国に革命運動広がる(ドイツ革命) 皇帝は亡命
11.11 ドイツの臨時政府は休戦条約に調印
大戦の性 ・基本的性格…列強のヨーロッパでの覇権,植民地分割をめぐる帝国主義戦争として始まる
格
・総力戦体制とその影響
戦争の長期化→物資の配給制,広範な国民を先頭,生産活動に動員→国民の政治的立場向上→
古い政治体制の危機→戦後の政府,国民の意見・社会政策をより重視へ
・多数の人命喪失,大きな破壊…ヨーロッパの人々には従来の社会発展の仕方に対する疑問が深
まる。
・アジア・アフリカの植民地の人びと→自立への期待
3.ヴェルサイユ・ワシントン体制の成立
パリ講和会議
A) 列国代表
(1919.1~6 月)
ウィルソン(米),クレマンソー(仏),ロイド・ジョージ(英),オルランド(伊),西園寺
公望(日)
B) 会議の基本原則…アメリカ大統領ウィルソンの「十四ヵ条」(1918.1 発表)
秘密外交の廃止,海洋の自由,経済障壁除去,軍縮,植民地問題の解決,国際平和機
構設立などが原則となる→ソ連の社会主義体制に対抗する意図も含まれる。
[
]の原則(十四カ条の一つ)…ヨーロッパ以外の地域では不適用とな
り,ドイツの租借地や植民地が戦勝列強国に配分された→アジア・アフリカの人びとの
失望
C) 参加国の分裂
[
]・イギリス:ドイツに対して復讐要素の強い主張を貫き,ウィル
ソンの理念は削られていく。
アメリカ:秘密外交や非民主的な政治を批判,平和・社会的公平の実現を重視。
日本:アジアの利権以外無関心。批判に対し退席を主張し,同意させる。
締結された条約
A) [
]条約ドイツとの講和条約(1919.6)
英仏の対独報復的な内容
領土の割譲(全海外領土を失う),莫大な賠償金を払うことが決められた。
[
]→仏,
ポーランド回廊→ポーランド
メーメル→リトアニア,
ザール地方,ダンツィヒ→国際管理
軍備制限:[
]非武装化, 1320 億マルクの[
]
B) サン・ジェルマン条約…[
]との講和条約(1919.9)
オーストリア・ハンガリー帝国解体
ハンガリー,チェコスロバキアの独立, 南チロル,トリエステ→イタリア
ボスニア,ヘルツェゴビナ,モンテネグロ→セルビアと合体⇒セルブ・クロアート・ス
ロヴェーヌ王国成立…1929 クーデターでユーゴスラビア成立
C) セーヴル条約…トルコとの講和条約(1920.8)…欧州側領土はコンスタンチノープル
とその周辺のみ
トラキアとイズミル(スミルナ)地方→ギリシアが獲得
メソポタミア,パレスティナ→[
]が委任統治
シリア→フランス委任統治
D) その他の講和条約
・トリアノン条約:ハンガリーとの講和条約(1920.6)
・ヌイイ条約:ブルガリアとの講和条約(1919.11)
・民族自決の流れ…東欧諸国の独立
フィンランド,エストニア,ラトビア,リトアニア,
ポーランド,チェコ,ハンガリー,ユーゴスラビアの独立
[
] A) 設立(1920)
世界の恒久平和をめざす史上初の大規模な国際機構,本部…ジュネーヴ
機構…総会・理事会・連盟事務局中心,国際労働機関・常設国際司法裁判所も設置
B) 問題点
ドイツとソ連(ロシア)排除…ソ連 1934 加盟。
[
]の不参加(上院が孤立主義にこだわる)
全会一致の原則(英仏伊日) 侵略国家制裁のための軍事的制裁を欠く⇒弱体 しかし,
小紛争の調停,文化交流では一定の成果
ヴェルサイユ体 ・パリ講和会議でつくられた戦後の新国際秩序をヴェルサイユ体制
制の特徴
・ドイツへの懲罰
・現状変革を求める動きに対抗しての世界体制の再構築
・国際連盟といえども,ロシア革命というラディカルな変革が拡大するための免疫づくり
としての性格があった。
・ソ連とドイツは国際協調体制から排除された(20 年代の急接近となる)
・民族自決原則は東欧のみで適用
ドイツが手放した植民地やトルコ領は「委任統治」のもとの実質的な植民地支配
↓
ヨーロッパ列強の世界における優位をたもったものの,ドイツ問題,革命進展の問題,
植民地や従属地域の問題はそのままで,内外から突き崩されるものとしての不安定な体制
として出発した。
ワシントン体制 [
]会議(1921~22) アメリカ大統領ハーディングの提唱
・海軍軍縮条約 主力艦保有比率 英:米:日:仏:露=5:5:3:1.67:1.67
・四ヶ国条約(1921)…日英米仏, 太平洋の現状維持 [
]の破棄
・九ヶ国条約(1922)…[
]の主権尊重,独立,門戸開放,機会均等を約束
日本は青島(チンタオ),山東の利権返還,石井・ランシング協定の空文化で破棄
ワシントン体制:この会議で決められたアジア・太平洋地域の新国際秩序
★