タイタニック号の遭難でたった一人生き残った日本人「細野正文」氏の

タイタニック号の遭難でたった一人生き残った日本人「細野正文」氏の手記
「4 月 14 日∼15 日(1912)天気快晴、夜 10 時床ニ入リ、読書シナガラ眠ル。船ガ何カ
ニ突き当タリタル心地セルモ気ニ止メズ。間モナク船停止ス。
11 時ゴロ、スチュワードガ戸ヲタタキテ、”起キテ甲板ニ行ケ”トイイ、ライフブイヲ投ゲオ
キテ急ギ出ル。上甲板ニ至レバ、ボートヲ下ロシツツアリ。前ニ多数ノ男女群集ス。是
ヲ見シトキハ、大事件ノ発生セルコト疑イナキヲ知リ、生命ヲ本日ニテ終ルコトト覚悟シ、
別ニアワテズ、日本人ノ恥ニナルマジキト心ガケ。
コノ間、船上ヨリハ危急信号ノ花火ヲ、絶エズ上ゲツツアリ。ソノ色青ク、ソノ声凄シ…。
ボートニハ、婦人タチヲ最先キニ乗ス。ソノ数多キユエ、右舷ノボート4 隻ハ、婦人ダケ
ニテ満員ノ形。ソノ間、男子モ乗ラントアセルモノ多数ナリシモ、船員コレヲ拒ミ、短銃
ヲ擬ス。コノ時、船ハ 45 度ニ傾キツツアリ。
ボートガ順次ニ下リテ、最後ノボートモ乗セ終リ、スデニ下リルコト数尺、時ニ指揮員、
人数ヲ数エ、”ツー・モア”トサケブ。ソノ声ト共ニ1男子飛ビ込ム。余ハモハヤ、船ト運
命ヲトモニスル外ハナク、最愛ノ妻子ヲ見ルコトモ出来ザルカト覚悟シツツ、凄愴ノ思イ
幸イナル哉、指揮者、他ノコトニ取リマギレ、深ク注意ヲ払ワズ、且ツ深キ故、男女ノ様
子モ分ラザリシナランカ。飛ビ込ムト共に、ボートハ、スルスルト下ガリテ海ニ浮カブ…。
船ハト見レバ、上甲板ガ水面ニ表レルノミ。1時近キコロト思ウ時分、スサマジキ爆発起
ルコト3∼4 回。思ウ間モナク、大船ハ音ヲナシテ、全ク姿ヲ没シ、イマ、目前ニアリト見
シモ影モナシ…。沈ミシ後ニハ、溺死セントシツツアル人々ノ叫ビ声、実ニモノスゴク、
ボート内ニハ、ソノ夫、父ヲ案ジツツアル夫人タチノ泣ク声マタ盛ンナリ。
タダヨウコト6時マデニイタリ、遠方ニ船ノ煙リヲ吐キツツ来ルヲ見ル…。
7 時、船(カルバシア号)全ク遭難地点ニ達シ停止ス。コレニヨリ、漸次本船ニ救イ上ゲ
ラレル。小生ノボートハ最後ナリキ。例ニヨリテ、婦人最先ニテ、小生ハ最後ノ最後ナリ
キ…。」
タイタニック号の沈没で、705 人は救助されましたが、残りの乗客 815 人と乗組員 688
人は海の藻屑と消え去ったのです。
細野氏は、第 1 回在外留学生として、ロシア、ドイツ、フランスで勉強し、留学を終えて
イギリスからアメリカ経由で日本に帰る途中、偶然にも不沈を誇っていた新造船「豪華
客船であるタイタニック号」の 2 等船客として乗船したのだそうです。
奇跡的に最後のボートに救助され、九死に一生を得て帰国したのですが、「多数の船
客が死んだのに、たった一人の日本人がよくオメオメと生きて帰って来たものだ」と非
難されたそうです。