南米共同体構想の現在 - 東北大学法学研究科・法学部

南米共同体構想の現在
東北大学法学部・大学院法学研究科 2006 年度 国際関係論演習
5 班(米州担当)岩元宏枝・栗城尚史・森健次・小野田喜美雄
目次
1.はじめに
2.FTAA と米州における地域共同体 ―NAFTA と MERCOSUR―
2-1.FTAA について
2-1-1.FTAAの概要 ―総説―
2-1-2.FTAA交渉の経過
2-2-2.NAFTAについて
2-2-3.MERCOSURについて
2-2-4.アンデス共同体について
3.南米共同体について
3-1.南米共同体構想―総説
3-2.交渉の経過
3-2-1.第 3 回南米諸国首脳会議まで
3-2-2.第 1 回南米共同体首脳会合
3-2-3.第 2 回南米共同体首脳会合
4.南米各国における政治と外交
4-1.ブラジル
4-2.アルゼンチン
4-3.チリ
4-4.ペルー
4-5.ボリビア
4-6.ベネズエラ
5.南米における経済の概況
5-1.南米経済略史
5-2.ラテンアメリカ諸国の現況
6.南米統合の推進力
7.おわりに
9.参考文献
1.はじめに
南アメリカが統合に向けて動き出し始めている。公式には 2000 年から、南米共同体として、EUを
モデルとした経済・政治両面における統合を目指している。地域主義的な統合の動きは、南アメリカ
だけに見られるものではなく、全世界的に見られるものであり、EUやAUなど枚挙に暇が無い。とは
いえ、南アメリカには他の地域には見られない、特殊な状況がある。それは、第一に北米自由貿易地
域NAFTA1の拡大版である米州自由貿易地域FTAA2の創設によるアメリカ主導の統合に対する反発の
動きと、第二に南米共同体設立という積極的な統合の動きが同時に見られることである。
本論文の目的
本稿の目的は、南米共同体構想が、どのような動機にもとづくものなのかついての考察である。前
述の 2 つの南米の特殊な状況は、どのように相互に関連しているのだろうか。南アメリカの多くの国々
の指導者が掲げるように、反米の思想から生じた反 FTAA という動機にもとづいて打ち出されたもの
なのか。それとも、南アメリカの政治・経済をより活性化させる積極的な動機にもとづいて統合をめ
ざしているのか。それとも、その両方なのか、またはどちらでもないのか。この問題を考えるために、
次章から以下のように論じていくこととする。
各章について
まず第 2 章では、米州自由貿易協定 FTAA と、米州にある既存の大規模な地域共同体である北米自
由貿易地域 NAFTA と南米南部共同市場メルコスール、アンデス共同体について概観する。地域共同
体は米州の経済、特に貿易において無視できない存在となっている。特に NAFTA は米州自由貿易協
定 FTAA の中核となる存在である。また、域内貿易の拡大によって構成国の経済に与えた影響はかな
り大きい。次の南米の地域共同体であるメルコスールとアンデス共同体は、現在この二つの組織を元
に南米共同体を作っていくことが確認されている。メルコスールは、南米の経済を主導するアルゼン
チンとブラジルが加盟する地域共同体であり、FTAA に対しては一定の反対姿勢を示してきた。2005
年、ベネズエラはアンデス共同体を脱退し、2006 年にはメルコスールに正式加盟した。近年のメルコ
スールとアンデス共同体の動きは FTAA に対する南米の動きと連動しており、見逃すことはできない。
次に、第 3 章では南米共同体の概要について見ていきたい。南米共同体は、現在は構想が進展して
いる段階にあり、地域共同体としての実質性はほとんど無く、制度構築に向かい動いているさなかで
ある。一定の組織や共通の法制がほとんどないため、本章では、第一に構想の内容、第二に公式の交
渉の場における設立に向けたプロセスを追っていく。
次の第 4 章では、南米共同体の構成国が統合に向けてどのように動いてきたのかを見ていくことに
する。この章では、FTAA に対しそれぞれ違った反応を見せているブラジル・アルゼンチン・チリ・
ペルー・ボリビア・ベネズエラを挙げる。FTAA に対する反応と、南米共同体設立に対するコミット
メントから、各国の統合にむけた政治的な動機を探ることにしたい。
第 5 章では、南アメリカの経済について概観する。歴史的な視点を含めた南米全体の経済的な構造
をみることにより、統合に向けた動きがどのように生じてきたのか、また FTAA に対する様々な反応
1
2
北米自由貿易地域 North America Free Trade Area
米州自由貿易地域 Free Trade Area of Americas
1
がなぜ生じるのかを分析する導きの糸としたい。
次の第 6 章では、前 2 章を受け、南米国家共同体への動きを分析する。南米共同体設立の動機とは
どのようなものか、また FTAA に対する反応と統合の動機はどのように関連するのか。また、現在ま
で統合が進展していない原因について、多角的に分析し、現在の南米全体の描写を試みたい。
第7章では、補論として、今後の南米国家共同体設立に向けたプロセスがどのように進展するのか
予測を立ててみたい。
2.FTAAと米州における地域共同体 ―NAFTAとMERCOSUR―
2-1.FTAAについて
2-1-1.FTAAの概要――総説――3
FTAAとはFree Trade Area of Americasの略式名称である。北米、南米、カリブの34カ国(キュー
バを除く)から構成され、米州大陸全域において財およびサービスの自由な市場アクセスを実現しよ
うとする試みである。
実現すれば域内人口約8億人、国内総生産の総計は世界経済の約4割を占め、約13兆ドルの巨大貿易
圏となる。
<FTAA加盟予定国>
アンティグア・バーブーダ、アルゼンチン、バハマ、バルバドス、ベリーズ、ボリビア、ブラジル、
カナダ、チリ、コロンビア、コスタリカ、ドミニカ国、ドミニカ共和国、エクアドル、エルサルバド
ル、グレナダ、グアテマラ、ガイアナ、ハイチ、ホンジェラス、ジャマイカ、メキシコ、ニカラグア、
パナマ、パラグアイ、ペルー、セントキッツ・アンド・ネービス、セントルシア、セント&グレナデ
ィーン、スリナム、トリニダードトバコ、米国、ウルグアイ、ベネズエラ
2-1-2.FTAA交渉の経過4
1994年12月にマイアミで開催された第1回米州首脳会議で南米米州全域を含む自由貿易地域を創設
する構想が初めて提唱された。
同首脳会議においては、2005年までに域内の貿易や投資の障壁を取り除き、米州全体を一つの自由
貿易圏に統合していくことで合意がなされ、2001年4月に行われた第3回米州首脳会議において、2005
年1月までに交渉妥結、12月までに右協定を発効させる旨が確認された。
しかし、交渉分野によっては米国とブラジル等の意見の相違が大きく、決定的な対立を回避するた
め、2003年11月にマイアミで行われた第8回貿易大臣会合では、全締結国に共通して適用される各分野
の最低限の義務を定め、それ以上のことについては締約国間で個別に交渉できるとする、いわゆる
「FTAAライト」
(軽量版のFTAA)を目指す方向が打ち出されたが、NAFTAに加盟しているメキシコ
とカナダ、米国とFTAを結んでいるチリはFTAAからの十分な利益が望めないとして強く反発している。
2005年11月4、5日にアルゼンチンで開催された第4回米州サミットでは最終文書に、交渉の再開と
3
在パラグアイ日本商工会議所ホームページ掲載:稲葉公彦講演資料「中南米をめぐる自由貿易協定(FTA)の動きに
ついて」より。
4
外務省ホームページおよび、神戸大学経済化経営研究所西島章次ラテンアメリカ経済研究室ホームページより。
2
反対の両論が併記される結果となり、FTAA交渉は現在、膠着状態にある。
2-2-2.NAFTAについて
NAFTAは、1992年に調印され、1994年に発効したアメリカ・カナダ・メキシコの3カ国間の自由貿
易協定である。これにより、域内GDPはおよそ12兆ドル、人口は4.3億人の大規模経済圏となった。大
部分の関税の撤廃は即時に行われたが、その他については発効より15年をかけ段階的に行われる。ア
メリカ・カナダ間については、二国間FTAのスケジュールに沿って、98年には撤廃された。
域内貿易の拡大はめざましく、発効した94年から10年間で、輸出で約208%、輸入で約206%の伸び
をみせている5。
NAFTA構成国とFTAAに対する反応
NAFTA構成加盟3カ国は、FTAAについて積極的に賛成の姿勢を見せている。この背景について、
以下3カ国に分けて見ていこう。
アメリカについて6
アメリカの経済政策のひとつとして、自由貿易の推進がある。1995年のWTO加盟のほか、大規模な
経済圏に対して、経済的利益を確保するためにFTAの推進をしてきた経緯がある。FTAAは、NAFTA
の拡大していく形で、アメリカによって進められてきた。
また、FTAAは経済的な側面のみならず、アメリカの安全保障戦略の一翼も担う。例えば、2001年
の第3回米州首脳会議(カナダ、ケベック州)で採択されたケベック宣言には、いわゆる民主主義条項
を盛り込んだ。これは、違憲な方法で民主主義体制を変更、停止した国にはFTAAのプロセスへの参加
を禁ずる旨を定めたものである。また、選挙プロセスの強化や麻薬撲滅などの行動計画を同時に定め
た。
カナダについて
カナダは貿易依存度が高く、2004年度の貿易依存度は、輸出依存度で3割を越える7。主要な貿易相
手国は、アメリカ・メキシコである。
貿易における対米依存度は高く、2004年には輸出の8割、輸入の6割弱である。NAFTA締結前、89
年にはすでにカナダとアメリカ間で自由貿易協定を締結していたが、アメリカという大量消費国との
地理的な近さ、および豊富な天然資源(木材や石炭)の存在は、NAFTA圏域内での経済的な関係の深
化の要因である。
この貿易依存度の高さがカナダの経済政策の決定要因となっている。WTO・NAFTA・二国間FTA
などを通じ、外国市場へのアクセスの拡大を目的とした貿易政策をとる。FTAAについても、第三回米
州サミットをケベックで行うなど、積極的な行動を見せる。
メキシコについて
メキシコもまた貿易依存度が高い。メキシコの貿易依存度は、27%である。主要な貿易相手国は、
5
6
7
WTOより。なお、アンデス共同体、MERCOSOUR、NAFTAの域内貿易の推移については巻末資料参照。
桜井雅夫「米州における貿易・投資自由化の法的枠組み(2)
」
(
「貿易と関税」2002.7)より
WTO資料より。
3
やはりアメリカおよびカナダである。
メキシコは、輸入超国である。この輸入相手国の内訳は、やはりアメリカが第一位であり、輸入額
における対米依存度は6割を越える。
メキシコにとっては、NAFTAはアメリカ市場への輸出拡大をもたらしたが、同時にアメリカの経済
動向へ大きく左右されてしまうという結果に至った。また、アメリカへの依存が、南米各国との関係
に政治的影響を与えるという指摘もある。これらの点で、メキシコは貿易政策においてEUやラテンア
メリカと二国間FTAを推進していった8。
以上見てきたように、NAFTA圏域内での三ケ国間の特徴は、アメリカを中心とした貿易依存の関係
が顕著にみてとれる。
対して、アメリカの対加・対墨の貿易依存度は低い。これは三カ国の経済構造の相違によるところ
が大きいが、このNAFTA加盟国間の相互の関係の深さは、やはり貿易構造に求められるべきところで
ある。
「この大陸において、すでに、カナダ市場とアメリカ市場という別々の市場は存在していません。 そ
れはすでに単一の北アメリカ市場になっており、その市場にアクセスするのにカナダは理想的な位置
を占めています。
」このコメントは、ホンダ・カナダの役員のものだが、カナダ政府機関がカナダでの
投資を呼び込むために使ったコピーである9。FTAは対外的にはまさに単一の市場をつくる。このこと
は今後のFTAA交渉において、交渉を進める(あるいは後退させる)要因の一つとして考えていかねば
ならないことである。
2-2-3.MERCOSURについて
南米南部共同市場(MERCOSUR ;Mercado Comun del Sur)10
メルコスールは、南米南部諸国のうちチリを除く4カ国からなる、共同市場を目指す動きである。メ
ルコスール構想は、85年にアルゼンチン、ブラジルの両国大統領が経済統合を進めることについて合
意したことに始まる。その後ウルグアイ、パラグアイが加わり、91年11月に共同市場創設を目標とす
るアスンシオン条約を締結。メルコスールは、域内関税、非関税障壁を撤廃し、対外共通関税を有す
る関税同盟として、95年1月に発足した。域内人口は約2億3千万人。また域内GDPは約7千8百億ドル11
である。
ただし対外共通関税に関しては、多くの例外品目が適用外となっている。更に99年にはブラジルが、
01年にアルゼンチンが経済危機に直面し、統合の進展に深刻な影響を与えたが、全体としてその域内
貿易は着実に増大している。
更にその拡大に関しては、96年にチリ、97年にボリビア、03年にペルー、そして04年にはコロンビ
ア、エクアドル、ベネズエラが、関税同盟には参加しないものの、メルコスールとの間で自由貿易協
定を結んで準加盟国となった。なおベネズエラは、05年12月から正式加盟の手続き中であり、06年に
正式加盟が認められた。
8
細野昭雄『米州におけるリージョナリズムとFTA』神戸大学経営研究所、2001、30 頁
IPBウェブサイトhttp://www.investincanada.gc.ca/より。
10
MERCOSURの概説は、細野昭雄『APECとNAFTA:グローバリズムとリージョナリズムの相克』早稲田大学出版部、2005 年、
p.149-154 参照。
9
11数値は2004 年度のもの。外務省ホームページより。
4
2-2-4.アンデス共同体(Andean Community; CAN)
アンデス共同体は、ボリビア、コロンビア、エクアドル、ペルーの 4 カ国からなる経済ブロックであ
る。域内人口は約 9600 万人、域内GDPは約 2460 億ドル12。構想は、アンデス地域統合(ANCOM)の
創設に合意する 1969 年発効のカルタヘナ協定に遡る。その後およそ 30 年を経た 1996 年、アンデス
共同体が発足した。この間に、カルタヘナ協定署名時に加盟していたチリが脱退(1976 年 10 月)。また、
ベネズエラが 2006 年 4 月、同共同体脱退を表明、メルコスールへ正式加盟した。これは、コロンビア
及びペルーが米国と個別にFTAを締結したことに対する反発が理由である。チャべス大統領は、アメ
リカとのFTAがアンデス共同体を崩壊させた、と述べている。
域内関税に関しては、撤廃を留保していたペルーが 2006 年 1 月に撤廃完了。アンデス自由貿易圏が
完成した。対外関税に関しては、95 年よりベネズエラ・コロンビア・エクアドル間で共通関税を実施。
その後はコロンビア・ペルー・エクアドルの対米個別 FTA の締結などで、各国の利害が一致せず、交
渉は停滞している。
2003 年 12 月には、メルコスールと自由貿易協定を締結。相互に準加盟国として扱い、統合に向け
協力していくことが決定された。
3.南米共同体13について
3-1.南米共同体構想―総説14
南米共同体とは、メルコスル(南米南部共同市場)とアンデス共同体という既存の二つの組織の統合を
軸とし、南米 12 カ国を包括する地域統合組織である。域内の総人口は約 3 億 7000 万人、域内総生産
(GDP)は約 1 兆 5000 億ドル15と、東南アジア諸国連合(ASEAN)を凌ぐ規模の経済圏となる。なお、加
盟国は以下の 12 ヶ国である。
アンデス共同体(ボリビア・コロンビア・エクアドル・ペルー)、メルコスール(アルゼンチン・ブラジル・
パラグアイ・ウルグアイ・ベネズエラ)及び、チリ、ガイアナ、スリナム。
同構想は、2000 年 8 月、カルドーゾ・ブラジル大統領(当時)の呼び掛けにより開催された第 1 回南
米諸国首脳会議において、初めて提唱された。以後、2002 年 7 月の第 2 回南米諸国首脳会議で引き続
き協議され、2004 年 12 月 9 日、クスコ(ペルー)で開催された第 3 回南米諸国首脳会議において「南米
共同体に関するクスコ宣言」を採択、創設に至った。同共同体は、クリントン政権以来米国が積極的
に推進している米州自由貿易地域(FTAA; Free Trade Area of Americas)構想に対する牽制という意味
を有しつつも、EUをモデルとした政治統合を目指すという積極的な側面も併せ持っている。トレド・
ペルー大統領は第 3 回南米諸国首脳会議において「すぐに我々は、共通の通貨、共通のパスポートを
持つだろう。…すぐに我々は、我々が今日創ろうとしているこの新しい国家のための、直接選挙で選
数値は 2005 年度。World Development Indicators Database April 2006
スペイン語ではComunidad Sudamericana de Naciones、ポルトガル語でComunidad Sul-Americana de Naciones、
略してCSNと表記される。英語ではThe South American Community of Nationsとなり、これらに対する日本語訳は、
南米共同体、南米国家共同体、南米諸国共同体と一致していない。但し外務省HP及び在日ペルー大使館、在日チリ大使館
HPでは、南米共同体という訳語が当てられているので、本論文では以下、この訳語を採用する。
14 アンデス共同体のHP内に南米共同体の公式サイトがあり、適宜参照した。また以降参照する公式文書はいずれも出典
はこのサイトである。http://www.comunidadandina.org/INGLES/sudamerican.htm
15 数値はいすれも2005 年。出典は、World Development Indicators Database, April 2006
12
13
5
ばれた議会を持つだろう」と発言している16。また、ワグナー・アンデス共同体事務総長は「我々の究
極目標は、願わくは、南米連合(the United Stated of South America)だ」と述べている17。
もっとも、当面の目標は経済統合であり、2014 年までに非センシティブ品目、2019 年までにセン
シティブ品目の関税撤廃が目指されている。
南米共同体創設の理念として、クスコ宣言ではおもに、以下のものが掲げられている18。
(a)南米諸国は、南米地域の国際的交渉能力、実行力を高めるような、更に活用されるべき潜在的可能
性を有しているということを、独立戦争以来の南米の共有の歴史は示している。
(b)南米の伝統に基づいた政治・哲学思想は、人類の創造性、尊厳、権利、多様性、文化といったもの
を認めながら、南米のアイデンティティや共通の価値観を培ってきた。それらは、民主主義、連帯、
人権、自由、社会正義、領土の尊重、多様性、差別の否定、自治の肯定、国家主権の平等と紛争の
平和的解決である。
(c)人々の生活の向上と経済開発の促進を、単に持続的な経済成長政策のためだけに削減することは出
来ない、という信念は、環境への責任ある配慮と社会の不均衡の認識を持って、より公正な所得配
分、教育へのアクセス、社会の結束を保証するものである。
(d)政治的、社会的、経済的、文化的、環境的、そしてインフラの面で統合された南米地域の発展への
決意は、無二の南米のアイデンティティを強化し、国際社会においてより重要な地位を得ることに
貢献する。
(e)我々を結びつける共通の価値と利益の具現化は、政府によるコミットだけでなく、人民が適切に主
導的な役割を担いさえすれば成功するだろう。南米の統合は、人民の統合であるべきだ。
また同宣言は、南米共同体が取り組むべき優先議事(priority agenda)として、以下の点を挙げている
19。
(a)政治対話 (b)地域の物理的統合 (c)環境 (d)エネルギー統合 (e)南米財政メカニズム (f)不均衡
への対応 (g)社会的結束及び社会正義 (h)テレコミュニケーション
3-2.交渉の経過
南米共同体は創設から二年を経、その間に二度の首脳会談が開かれた。しかしながら、統合に向け
た実質的な進展はあまり見られない。むしろその間に、加盟国各国の立場や利害、思惑の違いが顕在
化し、南米としてまとまりが取れていないのが現状である。以下では、南米共同体の現在までの交渉
の経過を、時系列に沿ってまとめる。
◇関連年表
1994 年 1 月
NAFTA 発効
1994 年 12 月
第1 回米州サミット開催。クリントン大統領(当時)がFTAA を提唱。
16 Wikipedia(英語版)より。http://en.wikipedia.org/wiki/South_American_Community_of_Nations
17 Inter Press Service News Agencyより。
http://www.ipsnews.ne/interna.asp?idnews=26583
18 Cusco Declaration on the South American Community of Nations, December 8 2004
19 Presidential Declaration and Priority Agenda, September 30 2005
6
2005 年までに交渉を終了すると発表。
1995 年
メルコスール発効
1998 年 4 月
第 2 回米州サミット開催(サンティアゴ)
2000 年 8 月
第1 回南米諸国首脳会議(ブラジル)。
2001 年
第 3 回米州サミット開催(ケベック)
2002 年 7 月
第 2 回南米諸国首脳会議(エクアドル)。
「発展のための統合、安全保障及びインフラに関するグアヤ
キル宣言」を採択。
2003 年 9 月
メキシコ・カンクンWTO 会議
同年12 月
米国がグアテマラ、ホンジュラス、エルサルバドル、ニカラグアとFTA に合意。
2003 年 12 月
メルコスールとアンデス共同体がFTA 締結に合意。
2004 年 1 月
米国とコスタリカがFTA に合意。エクアドル、ボリビア、ペルー、コロンビアなどとも非公式協議。
2004年12月
第3回南米諸国首脳会議及びアヤクチョの戦い180周年記念式典開催。
これにより南米共同体発足。
2005 年 9 月
第1 回南米国家共同体首脳会議(ブラジリア)。
2005 年 9 月
南米大陸横断道路に着工。2009 年完成予定。
2005 年 11 月
第4 回米州サミット開催。FTAA 交渉が決裂。
2006 年 1 月
CAFTA(中米自由貿易協定)発効
2006 年 7 月
ベネズエラがメルコスールに正式加盟。
2006 年 7 月
メルコスルサミット。各国間問題の討議がテーマ。
2006 年 11 月
第3 回南米共同体外相会合。
「CSN加盟各国領土内における観光ビザ免除及び各国の身分証のみ
の提示による入国・通過許可に関する合意」に署名。
2006 年 12 月
第2 回南米国家共同体首脳会議(コチャバンバ)。
2007 年 1 月
第 32 回メルコスルサミット。各国間で議論が紛糾、合意なし。
2007 年
カルタヘナ(コロンビア)において、第3 回南米共同体首脳会合が開催予定。
3-2-1.第 3 回南米諸国首脳会議まで(2000 年~2004 年 12 月 8,9 日)
前述のように、南米共同体構想がはじめて公式の場に現れるのは、2000 年 8 月の第 1 回南米諸国首
脳会議においてである。同会議は、カルドーゾ・ブラジル大統領(当時)のイニシアティブによって、南
米 12 カ国の首脳が初めて一堂に会した、画期的な会議であった。ここで採択された「ブラジリア宣言」
ではまず、民主主義の尊重が会議の参加条件として確認された20。また、南米地域としてのインフラ統
合に取り組むことで合意し、
「南米地域インフラ統合イニシアティブ(Initiative for Integration of
Regional Infrastructure in South America; IIRSA)」21が組織された。更に、2002 年 1 月までにメル
コスールとアンデス共同体の間で自由貿易協定を締結することも表明したが、この期限は後に延期さ
れた。
続く第 2 回南米諸国首脳会議は 2002 年 7 月に、グアヤキル(エクアドル)において開催された。
「発
展のための統合、安全保障及びインフラに関するグアヤキル宣言」を採択、南米統合の推進が再確認
された。
こうして 2004 年 12 月 8 日、第 3 回南米諸国首脳会議において「クスコ宣言」を採択、南米共同体
20 The Brasilia Communique, September 1 2000
21
公式HPを参照。http://www.iirsa.org/Home_ENG.asp?CodIdioma=ENG
7
が発足した。同宣言では、南米統合へ向けたプロセスとして、主に以下の点が挙げられている。
(a)対外関係において地域のプレゼンスを高めるための政治的外交的協調及び調整 (b)自由貿易圏
の完成を通したメルコスール、アンデス共同体、チリ間の統合の深化 (c)財政メカニズムと各セク
ターの提言を考慮した、インフラ、エネルギー、通信分野での統合 (d)農村部と農業の開発促進に
向けた政治的協調 (e)企業の社会的責任を織り込んだ、企業と市民社会の間の交流の増加
また南米共同体の機構としては、既存の統合組織を基盤とすることが決められた。これは従来の試
みの重複、無駄を省くためである。そして今後、南米諸国首脳会議は、
「南米共同体首脳会合」および
「南米共同体外相会合」に取って代えられ、2005 年第 1 回南米共同体首脳会合まで、ペルーが暫定事
務局を務めることが決定された。
更に、太平洋―大西洋間をつなぐ南米大陸横断道路の整備のための資金調達に関して、ブラジルがペ
ルーに対し融資することで合意した。南米地域の広大で険しい地理的条件は、南米の統合を阻む一つ
の要因であったとも言われ22、この計画はインフラ統合の第一歩として大きな意味を持つ。道路は、翌
年 5 月に着工されており、完成予定は 2009 年である。
同会議に引き続き、9 日には、南米の独立を決定づけた「アヤクチョの戦い」(1824 年 12 月 9 日)
の 180 周年記念式典が催され、
「アヤクチョ宣言」が採択された。同宣言は、南米共同体の設立を支持
し、アンデス平和地帯の重要性を強調する内容となっている。
3-2-2.第 1 回南米共同体首脳会合(2005 年 9 月 29,30 日)
第 1 回南米共同体首脳会合は、2005 年 9 月 29.30 日、ブラジリアで開催され、
「南米統合に関する
宣言」
、
「インフラ統合に関する宣言」
、
「首脳宣言及び優先議事」
、
「行動計画」が採択された。
「首脳宣言及び優先議事」ではまず、南米共同体の取り組みが主として、生活水準の向上、適正な
雇用の創出、公平な所得分配と社会利益の配分に注がれるということが述べられている。次に共同体
の機構に関して、南米共同体は常設の事務局を持たず、暫定事務局が各加盟国を 1 年ごとにローテー
ションすることが決められた。そして事務局国が、前期、次期事務局国とトロイカを構成し、種々の
サポートを行うとし、コンセンサス方式の首脳会合が最高意思決定機関として年 1 回、アルファベッ
ト順に全加盟国で開催される。そして教育、文化、科学技術、市民の安全、エネルギー・運輸・通信
インフラ、持続可能な開発など、特定の分野に関しては、各担当大臣会合を、メルコスールやアンデ
ス共同体など既存組織を活用して開かれる。経済統合に関しては、南米諸国間の経済補完協定の収斂
「行動計画」では、査証免除に関する交渉の開始
をはかり、格差是正に取り組むことが宣言された23。
が盛り込まれた24。この点は 2006 年 11 月 24 日から開催された第3回南米共同体外相会合において合
意され、実現に至った。
以上のように本会合では、南米地域のインフラ統合に向けた具体的な提言がなされており、一定の
評価はできるだろう。しかし一方で、12 カ国中、大統領が出席した国は 7 カ国に留まり、アルゼンチ
ン、ウルグアイ、コロンビア、ガイアナ、スリナムは、副大統領・外相等が代理出席した25。また、チ
ャべス・ベネズエラ大統領が会合のある時点で、ブロックの制度化に触れない協定には一切署名しな
22
遅野井茂雄「南米諸国共同体の発足と課題」
『世界週報』時事通信社出版、2005 年新年合併号、73 項。
23 Declaration on the Convergence of Integration Process in South America,
24 Program of Action, September 30 2005
25
外務省HPを参照。http://www.mofa.go.jp/mofaj/index.html
8
い、と反発する姿勢を見せ、一時は合意も危ぶまれた。南米 12 カ国の足並みが揃っているか疑問が残
ったといえる。
3-2-3.第2回南米共同体首脳会合(2006 年 11 月 24,25 日)
コチャバンバ(ボリビア)で開催された第 2 回南米共同体首脳会合では、各国の意見が大きく隔たり、
時に非難の応酬もみられた。会合としての実質的な成果は乏しかったと言える。大統領が出席したの
は、今会合では 8 カ国。アルゼンチン、コロンビア、エクアドル、スリナムは、副大統領・外相の代
理出席であった。
まず FTAA に対する対処法を巡って、ベネズエラ・ボリビアが、米国と自由貿易協定を締結したペ
ルーを厳しく批判した。これに対しペルー大統領とチリ大統領が、自由貿易協定は上手く利用すれば
市場を開くと擁護した。また、モラレス・ボリビア大統領が、ベネズエラに対しアンデス共同体へ戻
るよう求める一方で、チャベス大統領は「アンデス共同体もメルコスールも無用であり、改革が必要
だ」と述べ、進展しない現状に苛立ちを見せた。事務局創設の提案もなされたが見送りとなり、総じ
て意見はまとまらなかった。
会合としては南米統合プロセスを加速するための「コチャバンバ宣言」及び「南米統合深化のため
の戦略計画」
、エネルギー統合や先住民問題などに関する 4 つの宣言が採択された。なお、第 3 回南米
共同体首脳会合は、2007 年カルタヘナ(コロンビア)にて開催が予定されている。
4.南米各国における政治と外交
4-1.ブラジル
(1)
.政治的指導者
カルドーゾ大統領(1995 年~1999 年 1 月、第 2 期 1999 年 1 月~2003 年 1 月)
→ ルラ大統領(2003 年 1 月~2007 年 1 月、第 2 期 2007 年 1 月~現在)26
(2)
.外交
~メルコスールに関して~
ブラジルはメルコスールにおけるリーダー的存在である。そして、ルラ大統領はメルコスールを中
心とした南米統合を進めている。しかし、2006 年 7 月に過激な反米主義で知られるベネズエラが正式
加盟したことで、同国チャベス大統領の影響力がメルコスール内で強まりつつある。
ブラジルがベネズエラをメルコスールに正式加盟させたのはメルコスールの経済強化によってブラ
ジルの対外交渉力を強化しようという思惑と、チャベス大統領を巻き込むことによってその過激な反
米主義、独裁的政治手法をけん制し、地域への悪影響を防ぐという考えがあったからである。しかし、
それは甘い考えだという批判がある。というのもベネズエラがボリビアを扇動して 2006 年 5 月 1 日に
石油と天然ガスの国有化を実行させたため、ブラジルの国営石油公社ペトログラスやその他のブラジ
ル企業に大きな被害を与えているからだ。これに対してブラジル国内の初期反応、少なくとも一部セ
クターの反応は強硬政策を欲し、ブラジルが外交政策として育んできた「良き隣人」
「非干渉」原則の
26
外務省ホームページより
9
破棄をも辞さないかに見える27。
ルラ大統領にとってアルゼンチンとの関係も厄介である。2007 年1月にリオで行われたメルコスー
ル首脳会談では、ボリビアの新規加盟について議論されたが、対外共通関税の適用を免除するブラジ
ル案に対し、例外的扱いを問題視するアルゼンチンが反対し、結論は先送りされた。
ブラジルとアルゼンチンとの間では、数年前からブラジル産の電気製品、靴、タオルなどをめぐる
通商摩擦が生じていたが、2007 年に入ってからもアルゼンチン産のペットボトル用樹脂に対する輸入
課徴金を不当として、アルゼンチンがブラジルを WTO に提訴するなど両国の関係が悪化している。
同様にウルグアイも紛争の火種になりつつある。域内弱小国であるウルグアイは、メルコスールに
おける不利な立場に不満を抱いており、かねてより米国との FTA をほのめかしていたが、2007 年 1
月 25 日、米国と自由投資枠組み協定に調印したと伝えられている。これが FTA にまで発展すれば、
メルコスールの関税協定との整合性などの問題からウルグアイの脱退も考えられ、メルコスールにと
れば致命傷になる。
~米国との関係~
ブラジルは米国主導のFTAA構想に対して警戒感を抱いている。特に米国が自国産業の保護政策とし
て農業補助金や反ダンピング課税をやめないのが不満だ。このまま米国主導でFTAAが始まれば、ブラ
ジルが競争力をもつ農産品や鉄鋼製品が米国市場に十分進出できない。一方で米国の工業製品がブラ
ジルにあふれ、アメリカ経済にのみこまれてしまう。そのような危機感と、大国としての意識がない
交ぜとなっているのだ。2005 年 11 月にブッシュ大統領がブラジルを公式訪問した際には、ブラジル
はFTAA交渉より農業補助金などの撤廃を目指すWTOドーハラウンドを優先させたい意向を示し、ブ
ッシュ大統領はそれに対し一応の理解を示したとされる28。
(3)
.首脳会談での動向
2000 年 8 月、第 1 回南米諸国首脳会議においてイニシアティブをとったのは当時大統領だったカル
ドーゾ氏であった。現大統領のルラ氏も南米共同体を推進しており、今後もブラジルを中心とした南
米共同体への実現にむけて取り組んでいくと思われる。しかしボリビアで開催された第 2 回南米共同
体サミットでは、南米共同体に向けた取り組みについて各国の意見が大きく食い違い、ブラジルが主
導権を発揮しきれずにいる状況が浮き彫りになった。
(4)
.近年の国内情勢
2007 年 1 月ルラ大統領による第 2 期政権が発足したが、停滞する経済、深刻化する貧困問題など課
題が山済みである。そのなかでも最重要課題は政治腐敗の解消である。ブラジルでは多数の政党が乱
立し、議会で連立を確保するための汚職スキャンダルが続いてきた。今回の選挙で労働者党は下院の
513 の議席のうち83 を占めるに過ぎず、
ブラジル民主運動党やその他左派との連携が不可避であるが、
2 期目のルラ政権にはよりクリーンな議会運営が強く要求されている。そうでなければ政治的腐敗を嫌
う中間層などからの支持は得られない。このような内政の問題に加えて、前述したようにメルコスー
ルの舵取りという責任問題もある。ルラ大統領がこれらの問題を解決しないことには、国民の支持は
低下していく一方だ。もしそうなれば自身の推進する、メルコスールを中心とした南米統合が実現し
27 IPS(Inter Press Service
28
)Japan記事06.5/25 よりhttp://www.janjan.jp/index.php
ジェトロホームページより
10
ないまま大統領の座を追われることになるだろう。
(5)
.南米共同体における今後のスタンス
中道左派のルラ氏は、次々左派政権の生まれる南米で、市場経済を重視しつつアメリカとの対等な
関係を目指す穏健派のリーダー的存在である。しかし前述したように、ブラジルはメルコスール規模
の統合においてさえ大国としての実力を発揮できないでいる。メルコスールの結束なしには南米共同
体の実現は不可能であろう。今後ブラジルはベネズエラとは一線を画するだけでなく、メルコスール
本来の民間セクター主導、ルールと民主主義遵守の統合体を実現するために独自の戦略を持たなけれ
ばならない。とにかく南米共同体の実現のためには、ブラジルが南米におけるリーダーシップを発揮
することが必要である。
4-2.アルゼンチン
(1)
.政治的指導者
デ・ラ・ルア大統領(1999 年 12 月~2002 年 1 月)→ドゥアルデ大統領(2002 年 1 月~2003 年 5
月)→キルチナル大統領(2003 年 5 月~現在 ※任期:2007 年 12 月まで)29
(2)
.外交
~米国との関係~
ブラジル同様、世界有数の農畜産品の輸出国であるアルゼンチンは農産物補助金を巡る問題などで
以前からアメリカと対立している。2005 年 11 月 5 日の米州サミットで、アルゼンチンはブラジルな
どのメルコスール加盟国と共に米国主導のFTAA に関して「交渉を続ける状況にない」と主張した。
その際キルチネル大統領は開会演説で「この地域に貧窮と社会的な悲劇を生じさせた」とブッシュ大
統領を正面きって批判した30。
その米州サミットはアルゼンチンで開かれたが、会場に近づこうとしたとしたデモ隊と警官隊が衝
突し、60 人以上が逮捕された。暴動は約 400 キロ離れたブエノスアイレスの中心部でも起き、銀行な
どが襲撃された。米国主導の経済統合やイラク戦争に反対するグループは、同国を訪問したブッシュ
大統領への反感をあらわにした31。
さらに、最近になってアルゼンチンとベネズエラが接近しつつあることが、アルゼンチンと米国と
の関係をさらに悪化させそうである。ベネズエラは 2005 年 2 月、デフォルト(債務不履行)状態に陥
っていたアルゼンチン債を新しい条件の債券に交換する措置をとったところ、交換率が 76%に達し、
「デフォルトを脱した」と宣言した。これに対し、米国と国際通貨基金(IMF)は「債券交換されな
い残りの 24%を放置していいのか」と政府に対応を迫っている。このように米国が債務問題で厳しい
姿勢を取り始めたのは、両者の親密な関係にくさびを打ち込みたいからであると思われる32。
(3)
.首脳会談での動向
2005 年 9 月の第 1 回南米共同体首脳会合、2006 年 11 月の第 2 回南米共同体首脳会合ともにアルゼ
29
30
31
32
外務省ホームページより
朝日新聞・朝刊記事(05.11/7)より
朝日新聞・夕刊記事(05.11/5)より
朝日新聞・朝刊記事(05.5/4)より
11
ンチンのキルチネル大統領は欠席している。
(4)
.近年の国内情勢
2001 年末にアルゼンチンは経済危機に陥ったが、2005 年 2 月にはデフォルトとなっている債務を
新債務に転換する債務再編を実現し、いわば軽減された債務負担の下で新たな成長戦略を追求するこ
ととなった。
しかし政府債務は再編されたものの、経済構造やその特質自体が変化したわけではない。一時的で
はなく長期的な成長を実現するためには、多くの課題がある。例えば社会的安定の確保の問題が挙げ
られる。失業率はデフォルト直後から比べるとずいぶん改善されたが失業率の改善の内、4%程度は緊
急社会支援プログラムによるものであり、政府財政の観点から長期的に継続できるものではない。
そして最も重要な課題として、諸外国からの信任の回復の問題がある。結局、歴史的に何度もデフ
ォルトした国家をマーケットがどれだけ信頼するかにかかっている33。諸外国からのアルゼンチンに対
する評価が上がれば、南米統合においてもアルゼンチンが他国とより対等な立場で交渉することがで
きるのではないだろうか。
(5)
.南米共同体における今後のスタンス
前述したように、アルゼンチンはブラジルよりもベネズエラの影響を受けつつある。もしアルゼン
チンがベネズエラのような強硬な反米外交を繰り広げるようになれば、アルゼンチンは比較的穏健な
反米政策を掲げるブラジルとの温度差を大きくすることになるだろう。そしてそれは、南米共同体の
交渉における両国の対立をも意味することになるだろう。
4-3.チリ
(1)
.政治的指導者
ラゴス大統領(2000 年 3 月~2006 年 3 月)→バチェレ大統領(2006 年 3 月~現在)34
(2)
.外交
~米国との関係~
2006 年 12 月にボリビア中部コチャンバで南米共同体の首脳会議が開かれた。その会議の際、米国
とのFTA締結について既に締結済みのチリは擁護発言をしており、それに対して反米左派のベネズエ
ラやボリビアは「民衆を破滅させる」として反対している35。
チリはラテンアメリカ諸国のなかでいち早く市場原理に基づく構造改革を実施し、その経済自由化
度は突出している。また貿易自由化の基本は多国間主義であるとして、WTOを第一義と考えている。
チリ政府はFTAを中心とする二国間・地域間の貿易自由化を進めると共に、自発的な関税引き下げ、
WTOを中心とする多国間での貿易自由化を平行して進めている36。
このような方針から、チリは中南米でメキシコに次ぐFTA先進国になっている。2003 年 2 月、EU
時事通信社「世界週報」86(33)(2005.9/6 p.52~53)
外務省ホームページより
35 河北新報・朝刊記事(06.12/12)より
36 在パラグアイ日本商工会議所ホームページ掲載:ジェトロ稲葉公彦講演資料「中南米をめぐる自由貿易(FTA)の動き
について」より
33
34
12
との政治・経済・協力連合協定(政治・協力関連条項は 2005 年 3 月より発効)
、2004 年 1 月にアメリ
カ、2004 年 4 月に韓国とのFTAが発効された。現在計 35 カ国とFTAが締結済である37。チリは 1990
年代にFTAを急速に進めたが、その背景には 1990 年の民政移管がある。1973 年のクーデター以降 17
年続いたピノチェット軍事政権は、経済面では多大な功績を残したが、民主主義に反することから外
交面では孤立を余儀なくされた。従って、民政移管後の外交関係の回復にFTAが活用されたとみるこ
とができる38。
(3)
.首脳会談での動向
2005 年 9 月にブラジリアで開催された第 1 回南米共同体首脳会合では、当時の大統領ラゴス氏が、
域内の経済大国は市場を早く開放し、小国は段階的にすることを提案した。
(4)
.近年の国内情勢
上で述べたような外交面での回復に加えて、チリは 17 年間の軍政が残した負の遺産である貧困の回
復に向け、全力を挙げている。一般市民からの要望や野党からの批判が、2002 年に設置された Chile
Solidario などのプログラムの導入につながった。Chile Solidario は、所得補助とは対照的に雇用機会
を提供することを目的とするもので、これまでに 18 万世帯がその恩恵を受けた。
だが、所得配分の不均等は依然根強い。チリでは近年の努力にもかかわらず、
「能力主義」が社会に
なかなか根付かずにいる。富裕層であれば能力がなくても多くの賃金をもらえ、逆に労働階級出身で
あれば能力があっても賃金が低いというように、不平等が今なお当然の事実であるという39。
チリは、このような一部の貧困を解消するために、今後ますます他国との FTA を進め、貿易の振興
を目指すのではないだろうか。
(5)
.南米共同体における今後のスタンス
チリは現在メルコスールの準加盟国であり、アンデス共同体には加盟していない。アンデス共同体の
ワグナー事務局長は、2006 年4月にベネズエラが脱退したこともあり、1975 年のピノチェット独裁
政権時に脱退したチリがアンデス共同体に復帰する好機だとしている。
チリがメルコスールとアンデス共同体の双方に加盟することはチリにとって地域紛争問題の解決お
よび貿易の振興に有利である。
チリ政府はメルコスールとアンデス共同体双方の加盟国を結びつける新しい南米共同体が中南米各
国の結束を高め経済紛争を乗り越える統合体となることを期待している40。
4-4.ペルー
(1)
.政治的指導者
ペルーの大統領は、トレド大統領(2001 年-2006 年 6 月)から 2006 年 7 月に元大統領であった中
道左派のガルシア(2006 年 6 月-現在)へと移った。トレド大統領以降、ペルーでは親米的な政権が
続いている。ガルシア大統領もまた、親米・FTA 推進派と目されている。
37
外務省ホームページより
38 9 の資料に同じ。
39 IPS
40 IPS
Japan記事(05.9/26)より
Japan記事(06.7/28)より
13
ガルシア大統領率いるアプラ党は議会では第一党ではなく、対立候補であったウマラの UPP 党が第
一党である。
(2)
.外交
ペルーの外交政策を特徴付けるのはFTA政策である。トレド大統領は在任中の輸出額倍増41を掲げ、
その手段としてFTA締結を推進した。対米FTAについては、他のアンデス共同体構成国であるエクア
ドル・コロンビアとともに数度にわたり交渉を行った。交渉は難航し、他の 2 国が交渉決裂に陥った
のに対し、ペルーはいち早く対米FTAを締結した42。この行動はベネズエラのチャベス大統領により批
判され、両国の関係が悪化、ベネズエラのアンデス共同体脱退へとつながった。
(3)
.首脳会談での動向
第 3 回南米諸国首脳会談(ペルー)
本会談には、トレド大統領が出席し、ホスト国の大統領として様々な演説を行った。まず、会談の
開会式における開会挨拶では、通貨統合と共通パスポートを含む人の移動に関する手続きの簡略化を
目指す姿勢を明らかにした。
また、特筆すべきはアヤクチョの戦い 180 周年記念式典の演説において、緊急支援基金の設立を提
案したことである。これは南米の貧困対策に対する基金であり、南米共同体における具体的な制度の
構築を表明したものとして注目された。この発言は南米諸国からは積極的な評価を受けた。
第 1 回南米共同体首脳会合
本会合に出席したのもまたトレド大統領である。このときまでにペルーはアメリカとの FTA を締結
しており、ベネズエラのチャベス大統領から非難を受けている。この第一回の会合では、南米共同体
を経済統合と位置付けるのか、政治を含めた全面的な統合と位置付けるか、またどちらを優先させる
べきなのかについて南米諸国間に相違が見られた。これに対してペルーが意見を表明することになっ
たのが次の第 2 回南米共同体首脳会合である。
第 2 回南米共同体首脳会合
この会合に参加したのはガルシア大統領である。ガルシア大統領は、この会合で政治統合に積極的な
姿勢を見せ、ベネズエラに接近する姿勢を見せた。
(4)
.近年の国内情勢
国内情勢において重要なのは、前述した国会における対立である。ガルシア大統領のアプラ党は、
野党第 1 党であり、国会における最大会派は対立候補であったウマラ氏の UPP 党である。UPP 党の
政治スタンスは、基幹産業である非鉄金属(金・銀・銅など)や資源の国有化を掲げるなど、現在の
南米でかなりの力を持ちつつある左派政党である。
ガルシア大統領の政策は、国民に奉仕するための社会正義の実現を掲げてはいるが、民間資本や外
国資本の導入による経済発展を軸とした政策である。この政策は、他の南米諸国の左派政権とは歩調
41
42
2005 年に達成。
JETROホームページより。
14
が揃っていない。ペルーの近隣にはボリビアとベネズエラという急進的な反米国家が位置している。
南米共同体設立に向けては、他国との政策スタンスの違いは現実に大きな障壁となっている。これを
乗り越えるにあたっては、議会と大統領の関係が強化される必要があるといえるだろう。
(5)
.南米共同体における今後のスタンス
2006 年 4 月のペルー大統領選挙において、ベネズエラのチャベス大統領がガルシア大統領の対立候
補ウマラ氏を支持する活動をしたため、両国の関係は悪化した。5 月には大使召還という外交問題にま
で発達した。だが、第 2 会南米国家共同体サミットでガルシア大統領はチャベス大統領との和解を実
現したと発表、両国関係は改善の方向に向かった。しかし、南米に反米的なスタンスの政権が広がる
中で、対アメリカ外交の姿勢と対ラテンアメリカ外交の姿勢をどのようにしていくのかは、未だ明ら
かではない。
4-5.ボリビア
(1)
.指導者
ボリビアの大統領は、頻繁に交代している。第 3 回南米諸国首脳会談があった 2000 年の在任から数
えても、スアレス大統領(1997 年-2001 年)
、ラミレス 大統領(2001 年-2002 年)
、ロサダ大統領
(2002 年-2003 年)
、メサ・ヒスベルト大統領(2003 年-2005 年)
、ロドリゲス・ベルツェ大統領
(2005 年-2006 年)
、そしてモラレス・アイマ大統領(2006 年-現在)と 7 人を数える。
大統領任期が 5 年であるにも関わらず、このように頻繁に大統領が交代したのには二つの理由があ
る。第一の理由は、コチャバンバ水紛争やボリビア・ガス紛争など、国内の政情が不安定であったた
め、辞任が相次いだからである。第二の理由は、制度的なものである。というのはボリビアの大統領
制では大統領が辞任や病気などで欠けた場合に、副大統領がその任を負うことになっているのである。
そしてその副大統領は前大統領の任期終了まで職を代行する。この 2 つの理由によって在任期間の短
い大統領が続出したのである。
現在のモラレス大統領は初の先住民出身の大統領として 2005 年の暮れに当選した。彼の政治スタン
スは、強硬な反米指向である。このため、ベネズエラのチャベス大統領とは非常に友好的な関係を保
っている。また、モラレス大統領に特徴的な政策は、コカの栽培奨励と資源の国有化である。コカの
栽培は、先住民の生活を守るためだとしているが、このためにアメリカから大きな非難を受けている。
(2)
.外交
対南米外交については、友好的な国と非友好的な国が大きく分かれる。チリとは太平洋戦争(1879
-1884)で戦って以降、正式な外交関係が無い。ボリビアが負け、沿岸の領土を失ったことで長い間
チリに対する反感は強かった。しかし、両国の外交関係復活に向けた動きは、近年特に活発である。
たとえばロドリゲス大統領は、第 1 回南米共同体首脳会議にあわせて、チリとの外交再開に向けて会
談を行った。2006 年のモラレス大統領の就任式にはチリのラゴス大統領が出席し、モラレス大統領も
またチリのバチェレ大統領就任式に出席するなど、両国の関係は改善を見せている。
アメリカに対する関係は長い間外交政策の軸であり、ボリビアの豊富な天然資源の輸出相手として
も長い間友好的な関係を築いてきた。しかし、モラレス大統領は前述のように反米的な外交を展開し
ている。詳しくは後述するがこれは資源ナショナリズムに基づくところが大きい。
一方、ベネズエラに対するモラレス大統領のスタンスは友好的である。政治的オリエンテーション
15
が似ているベネズエラのチャベス大統領を指導者として仰ぎ、ベネズエラが主導するALBA43への加盟
を果たした。
(3)
.首脳会談での動向
第 1 回南米共同体首脳会合
ロドリゲス大統領が出席した。前述のように、チリとの外交再開を目指し、会談を行った。
第 2 回南米共同体首脳会合
ボリビアのコチャバンバで開催され、モラレス大統領が出席した。天然資源の国有化を進めるモラ
レス大統領は、ベネズエラとの天然ガスジョイントベンチャーを設立しており、その着工をチャベス
大統領とともに祝った。両大統領の政治的指向の類似性と蜜月を象徴する出来事といえる。
(4)
.近年の国内情勢
ボリビア・ガス紛争(2002-2005)という天然ガスを巡る紛争が、ボリビアの政治状況を考えるう
えでは重要である。90 年代にボリビア南部に南米で第 2 位の天然ガス埋蔵が確認された。これをカル
フォルニアまで輸出するに当たり、資源ナショナリズムの問題が噴出した。金属資源が豊富であった
ボリビアが、過去何世紀にも渡り外国による搾取を受けてきた、ガス田開発は自国企業で行わねばな
らない、とする主張が表れた。その先鋒にいたのが、現在の大統領であるエボ・モラレスである。や
がて暴動へと発展したこの紛争は、ロサダ大統領、次いでメサ大統領の辞任を招いた。
現在のモラレス大統領の資源政策は、資源ナショナリズムに基づいているといわれる。2006 年には
天然ガスの国有化を宣言し、2007 年にはスズを採掘する外資会社を軍により押さえ、国有化を宣言し
た。
(5)
.南米共同体における今後のスタンス
ボリビアのモラレス大統領はチャベス大統領との接近を見せながら、一方でアンデス共同体への復
帰を促すなど、南米各国の関係修復に積極的な動きを見せている。もしこの関係回復の試みが成功す
れば、南米共同体設立に向けての弾みとなるかもしれない。
4-6.ベネズエラ44
(1)
.指導者
ベネズエラの大統領はウゴ・チャベス大統領(1998 年-現在)である。チャベス大統領は、南米諸
国をスペインから解放したシモン・ボリーバルの思想を信奉し、ベネズエラの国号にボリーバルの名
を加えるなど、さまざまなところでその名を上げている。政治的傾向としては反米を貫き、親米国に
対しては強く非難する。たとえばメキシコのフォックス大統領をアメリカの犬と呼び、両国関係が悪
化、公使召還に発展した。
(2)
.外交
43
44
米州ボリーバル代替統合構想。チャベス大統領が提唱する、FTAA構想の代替案。詳しくは後述参照。
国際協力銀行ウェブサイト上の一連の「ベネズエラの最新動向」および、レポートを参照した。
16
前述のように、チャベス大統領は反米の姿勢を貫いており、外交にもそれが反映している。その国
のアメリカに対する態度を尺度に、相手国への行動を選択している。アメリカに対しては、国連総会
の場でブッシュ大統領を名指しで「悪魔」と非難するなど、話題に事欠かない。また、反自由主義と
形容されるその姿勢から、FTAAについても、民衆を破滅させるとして反発する。この代替案としてチ
ャベス大統領が提唱したのがALBAである。ALBAは、反ネオリベラリズムの経済的補完協力であり、
また「社会統合」を目指す南米の共同体構想であり、貧困の撲滅やインフラ整備などの協力関係が主
眼である45。ベネズエラとキューバから始まったこの「共同体」には現在ボリビアも参加している。
親米国に対してもまた非難を続ける。南米でもメキシコやチリなどの親米国とは非友好的な関係で
ある。それに対し反米的な発言をする国に対しては擁護する。アンデス共同体を離れメルコスールに
参加したのもこのためであり、ブラジルの反米的な姿勢をチャベス大統領は評価している。
(3)
.首脳会談での動向
第 1 回南米共同体首脳会合
チャベス大統領が出席した。最終文書が経済統合優先となっている点に反発、署名を拒否する姿勢
を見せたが、最後は署名した。
第 2 回南米共同体首脳会合
この前後にアンデス共同体を脱退し、メルコスールへの加盟を果たした。これはアンデス共同体の構
成国がアメリカと FTA を締結したためである。この会合には大統領が出席し、ボリビアとの経済提携
の姿勢を表明した。また、ここでも政治統合を優先し、経済統合はその後であると主張し、ウルグア
イ・コロンビアなどと対立した。
(4)
.近年の国内情勢
ベネズエラは中東以外の国で唯一のOPEC 正式加盟国である。
その産油能力は世界的に見ても高い。
また、豊富な天然資源にも恵まれており、国民一人当たりの GDP は南米で最も高い。これは資源の輸
出によるところが大きいのだが、おもな相手国は南米以外ではアメリカである。
チャベス大統領は天然資源の国有化を宣言しており、ボリビアとのジョイントベンチャーを推進す
るなどしている。
(5)
.南米共同体における今後のスタンス
チャベス大統領の対米強硬姿勢は、このまま続くと思われる。国内での支持を維持するため、統合
に関しては貧困対策や社会インフラの統合を主軸に主張していくと考えられる。そのため他の国との
対立は必至だが、今後ボリビアのようなチャベス大統領を支持するような政権が増えていけば、その
影響力は現在より増すかもしれない。
45 大久保仁奈
「ベネズエラ・チャベス政権を読み解くための鍵 ―ボリーバル革命の一考察―」(外務省調査月報2005/No.3)
参照
17
5.南米における経済の概況
この節では、南米諸国及び南米全体の経済の発展の歴史と現状を報告するとともに、経済的な視点
から、南米で地域主義が現れた理由は何か、FTAA 構想の障害となっているものあるいは南米共同体
構想へのモメンタムとなっているものは何なのかを考察してみたい。
5-1.南米経済略史
最初に、第二次世界大戦前後から現在に至るまでのラテンアメリカの経済状況とその経緯をまとめ
てみたい。
まず、独立後、長い植民地支配から抜け出したラテンアメリカ諸国が採りえた数少ない道の一つは、
俗に言う「モノカルチャー経済」であった。しばらくは、一部の一次産品に依存し、輸出主導で経済
成長を遂げることになるのである。そして世界恐慌の後、国際貿易は二国間貿易と高い関税、非関税
障壁にあふれ、列強によって管理された貿易に不信を抱いたラテンアメリカ諸国は、輸出主導型経済
から内向きの開発へと向かい始めた。(これは同時に南米各国のナショナリズムの高揚をも促したとい
われる。46)しかし、第二次世界大戦が勃発すると、貿易の上でヨーロッパに大きく依存していたラテ
ンアメリカ諸国は、ヨーロッパが戦場となったことで大きな衝撃をうけることとなった。ヨーロッパ
周辺の海域が枢軸国によって支配され、貿易の道がせばまったのである。特に最大の取引先であった
イギリスの封鎖と経済危機は深刻なものであり、それまでヨーロッパに向けられていた輸出の吸収先
を他に探すことは切迫した問題であった。
ここに目をつけたのがローズヴェルト政権下のアメリカであった。アジアとヨーロッパという経済
的に重要な二つの地域が戦場になり、それらの地域との貿易が閉ざされた場合に備えて、また、ラテ
ンアメリカとの連携を強める意味でも、ラテンアメリカ経済の崩壊を避けることは重要である、とア
メリカは認識したのである。この結果、米州間の経済協力システムが出来上がることになる。汎米会
議(Pan-American Conference)が開かれ、いくつかの委員会と通商文化関係調整事務所(Office for the
Coordination of Commercial and Culture Relations)が設置され、具体的に「米州」というまとまり
が作られるのである。
無論、ヨーロッパ・アジアという二つの大経済圏の喪失がアメリカ一国との貿易で埋まるはずはな
く、アメリカとの連携を進めた後、ラテンアメリカ諸国の関心は、域内貿易へも向けられることとな
る。1940 年にはアルゼンチン歳相によって南米南部諸国間の関税同盟を目指した提案がなされ、結局
これは近隣諸国間による多数の二国間協定という形にはなったが、域内での貿易が促進されることと
なった。
しかし戦争も終わり、アジア・ヨーロッパとの貿易が再開すると、アメリカはヨーロッパの復興に力
を入れるようになった。それはすなわちラテンアメリカとの貿易の縮小を意味し、また同時に、ヨー
ロッパや米国からの輸入品の増加によってラテンアメリカ域内での貿易も減少するという結果を招い
た。輸入量は増加し、深刻な国際収支問題を引き起こし、各国は輸入制限を行わざるをえなくなった。
また輸出に関しても、復興直後で所得が伸び悩んでいたヨーロッパ、冷戦による第三次大戦への危惧
とそれにともなう世界経済崩壊の危機といった悲観的な見通しが強かった。加えて、各国が保有して
46 Victor Bulmer-Thomas『ラテンアメリカ経済史
独立から現在まで』名古屋大学出版会、2001、191 項
18
いた外国為替が不足していたことも、ラテンアメリカ経済に転換を迫る大きな要因だったと言われて
いる。
この結果、1950 年代初頭、ラテンアメリカ諸国は輸出の強化を目指すか内向きの開発かという選択
に迫られる。国際通貨基金(International Monetary Fund :IMF)は国際収支問題の解決策として外
向きの政策を支持したが、国連ラテンアメリカ経済委員会(Economic Commission for Latin
America :CEPAL)は内向きの政策を主張し、多くの国は輸入制限を行い国内工業の保護と発展を目指
す内向きの開発、輸入代替工業へと傾倒し、外的ショックに脆弱な体質の改善をはかることになった。
また同時に高い関税障壁など国内産業への保護と工業化プログラム推進のための公共投資が行われた。
しかしこれらの施策は国内企業を国際競争から保護したために、かえって製造業の高コスト化・非
効率化を招き、国際貿易への参入を困難なものにし、国際収支問題は依然恒常的なものとして残り続
けた。ゆえに内向きのモデルは歪みをもたらすものだという批判を受けるにいたった47。
一方、輸出主導型を維持した国もあった。中には一部の一次産品に依存した輸出から、輸出の多角
化を経て、ひいては二次産業や三次産業への転化を見た国も見られた。これらは内向きの政策に比べ
れば利益の見込めるものであったが、安価な労働力にもかかわらず依然非効率的で高コストな工業と、
狭い市場規模が世界的な競争への参入の妨げとなっていた。
1950 年代の終わり頃には、ラテンアメリカの国の多くは工業化へと踏み出し始めていたが、輸出を
増加し、国際競争に乗り出すには依然多くの障害が残っていた。ここで、そうした問題を解決するた
めに CEPAL が打ち出したのが、地域統合という道であった。関税と非関税障壁を撤廃することで市
場を拡大させれば、規模の経済を享受でき、また域外貿易ほど不安定ではなくなるだろう、と見られ
たのである。
実際に地域統合を行うには多くの問題があったが、結局最初の地域統合案として、ラテンアメリカ
自由貿易連合(Latin America Free Trade Area: LAFTA)が採用され、最終的にはメキシコを含む南ア
メリカの 10 カ国が参加するまでにいたった。LAFTAは定期的な交渉を通じて域内貿易のすべての関
税を撤廃することを目的とし、当初は 7000 以上の関税譲許が見られるなどその進展は顕著なものに見
えた。しかし実際にはこれらの多くは域内貿易に関わらない財に関するものであったり、あるいは非
常に高い関税を削減したものであったりしたために、事実上はたいした意味を持つものではなかった。
結果LAFTAは 1960 年代末には停止状態となり、域内関税の撤廃という目的は達成できず、ゆえに地
域統合に際してのその他の様々な問題に取り組むまでにいたることもなかった。LAFTAの進展のなさ
に痺れを切らしたアンデス諸国が、アンデス地域統合(Andean Pact;AP)を形成したものの、これも
また障害につまずくこととなる。同時期に発足した中米共同市場(Central American Common
Market: CACM)が一応の成功を見せ、またLAFTA自体も域内貿易の増加という点ではそれなりの成
果を挙げたものの、ラテンアメリカ全体としての地域統合は、成功とは言いがたいものであった48。
内向きの開発モデルと地域統合という、CEPAL が打ち出した南米全体を巻き込む二つの施策はとも
に失敗に終わり、多くの国は新たなモデルを模索せねばならなかった。そこで取られた戦略が、輸出
促進戦略と輸出代替政策、そして旧来通りの一次産品依存型輸出主導成長であった。輸出促進政策は
47 Victor Bulmer-Thomas『ラテンアメリカ経済史
独立から現在まで』名古屋大学出版会、2001、230 項
後に「閉ざされた地域主義」と言われることになる。Victor Bulmer-Thomas『ラテンアメリカ経済史 独立から現在
まで』名古屋大学出版会、2001、345 項。
48
19
国内産業の保護を維持しながらも輸出を促進させようという試みであり、アルゼンチン、ブラジル、
コロンビア、メキシコ、ハイチ、ドミニカなどがこれにならった。一方、輸出代替はより市場指向的
で保護の少なく、
反輸出性向を排除した環境への移行をめざすものであり、
1970 年代のアルゼンチン、
チリ、ウルグアイ、ペルーが採用していた。また一次産品輸出型は、1970 年代の商品価格高騰に伴う、
鉱物や農産物等一次産品価格の高騰を背景にボリビア、エクアドル、パラグアイ、ベネズエラ、パナ
マによって維持された。しかしこれらもまたラテンアメリカの状態を大きく好転させるにはいたらず、
1982 年、メキシコが公的対外債務の不履行の危険性を告げたのを皮切りに、ラテンアメリカ全体が債
務危機を迎えることになる。
この事態を避けるべく、先進各国や民間の債権者(銀行)、IMF によっていくつかの試みがなされた
が、結局、主要債権国であるアメリカがイニシアティブをとることになる。まず、米財務長官 James
Baker によるベーカー・プラン(Baker Plan)が打ち出され、最重債務国への新規貸し出しが求められ
たが、実際に成長回復に必要な資金は予想以上に大きく、間もなく失敗に終る。次に、Baker に代わ
って財務長官に就任した Nicholas Brady によって、ブレィディ・プラン(Brady Plan)が提案された。
これが大きく功を奏し、各国に大きな債務負担は残ったものの、債務危機は回避された。
またこの間、債務の返済と先進国との連携のために、各国はそれまで行ってきたのとは逆の方策、
より国内経済への干渉が少ない経済施策を行うこととなる。非効率な公営企業の民営化や、自由市場、
貿易や金融の自由化が進められ、関税と貿易に関する一般協定(General Agreement on Tariffs and
Trade :GATT)に加盟していなかった国もそろって加盟を申請した。また、1980 年代終わりには、アメ
リカとの関係も進展が見られるようになる。冷戦の終結とともに社会主義の試みが崩壊したことでア
メリカの安全保障に対する懸念は縮小し、アメリカは南米への対応に積極性を見せるようになり、FTA
のネットワークに南米諸国を引き入れることを目指すようになった。
これらの経緯を経て、ラテンアメリカ諸国の間では、財政の回復と安定化のために、従来の政策方
針の転換の必要性を強く認識した。輸入削減と輸出の促進のために、市場志向開発戦略を採用し、自
由貿易が必要であることを如実に実感したのである。
しかし、当初は貿易自由化も困難に直面した。障壁が減ったことで輸入に関しては期待通りの効果
が得られたが、輸出は伸び悩み、経常収支の赤字は拡大し、輸出の増加の見込みは立たないままだっ
た。この状況を受けて、ラテンアメリカは再度、地域統合に目を向け始める。近隣諸国との貿易を自
由化することで輸出の増加が見込まれ、競争力の向上と域外輸出のための基盤を固められる、という
1990 年代には、
中・南米諸国で多くの地域統合が形成された。
CACM(中米共同市場)が1990
思惑の下49、
年に再出発し、1991 年にはMERCOSUR(Mercado comun del Sur)が、1995 年にはアンデス共同体が
形成され、また北アメリカでも、1994 年に北米自由貿易協定(North American Free Trade
Agreement :NAFTA)がスタートした。加えて、各国間の自由貿易協定(FTA)も増加し、特にメキシコ・
チリは域内・外を問わず多くのFTAを結んでいる。
5-2.ラテンアメリカ諸国の現況
では次に、現在のラテンアメリカ経済を概観し、自由貿易及び地域統合の増加が、どのような影響
49
このような地域統合を国連ラテンアメリカ・カリブ委員会(ECLAC)は「開かれた地域主義」と評し、1960 年代の「閉
ざされた地域主義」と比べることでその問題点を指摘している。
20
をラテンアメリカ諸国にもたらしたのかを考察してみたい。
近年の中南米諸国の経済は全体に好調である。2003 年には、中南米全体の輸出総額は対前年比 8.3%
の伸び、一方の輸入は 3.2%の伸びと緩やかであり、輸出が輸入に比して大きく伸びている。それにと
もない貿易黒字は 250 億ドルに達し、経常黒字も 28 億ドルと過去半世紀で最高を記録した50。
経済成長率(実質GDP成長率)も 2000 年には 4.0%を示し、特にブラジルでは 4.0%、メキシコでは
7.0%を記録している51 。
年代別に見ると、輸出額では、1970 年 14,847、1980 年 90,272、1990 年 121,112、1995 年、216,469、
1999 年 282,608(ラテンアメリカ主要 25 カ国の統計、いずれも単位は 100 万ドル)と特に 80 年代・90
年代以降順調な伸びを示している。
内訳は、
一次産品は1970年7,706、
1980年47,465、
1990年52,105、
1995 年 58,274、1999 年 64,110、工業製品が同順に 7,046、42,323、68,218、156,533、216,474 と
いう数値を示し、特に 90 年代以降の工業製品の伸びが著しい52。
年平均成長率では、
「失われた 10 年」と言われた 1980~1990 年は 1.2%だったのが、1991 年~2000
年には、3.3%まで上昇し、同時にインフレ率は 1999 年・2000 年には一桁台にとどめている53。
好調の原因としては、一次産品価格の上昇と需要の増加、そして域内貿易の拡大等が指摘されてい
る。域内貿易の拡大に関しては、地域統合が市場開放を前提とするようになったことが影響している
といわれ、中南米全体の域内貿易は 2000 年に前年比 19%増加、地域統合体別に見るとアンデス共同
体で 28%、メルコスールで 18%、中米共同市場で 5%の増加を示した54。
長年ラテンアメリカの経済に関して指摘されてきた対米依存度の高さについては、主要国では、依
然としてメキシコ(2004 年総貿易額の 71%)、ベネズエラ(同 48%)は高いものの、ブラジル(20%)、チ
リ(14%)、アルゼンチン(13%)などは低下し続けており、問題は解消されつつあるように見える55。
また、メルコスールの成立に伴う加盟国の貿易構造の変化を、ブラジルを例に取ってみると、アス
ンシオン条約締結以降、ブラジル、アルゼンチン経済が失速する前の 98 年まで、メルコスール加盟国
向けの輸出シェアが急激に上昇する一方、最大の貿易相手国であった米国向けの輸出シェアは徐々に
低下していった。91 年の加盟国向け輸出シェアは 7.3%にすぎなかったが、98 年には 17.4%と、米国
向け(19.3%)に迫る水準まで上昇し、メルコスールの成立によって、ブラジルの貿易構造は、対米依
存型から域内依存型へとシフトしていったと言える。1991 年から 1998 年までの累計では、メルコス
ールの貿易促進効果によって加盟国向けの輸出が 18.8%程度、金額にして 77.8 億ドル程度押し上げら
れたとされている。さらにメルコスール発足前の 80 年代と発足後の 90 年代以降の加盟国の平均成長
率を比較すると、アルゼンチンが 0.92%減から 3.27%増、ブラジルが 2.33%増から 2.55%増、ウルグ
アイが 1.15%増から 2.23%増へと変化した。経済規模の小さいパラグアイのみ、ブラジルやアルゼン
チンからの輸出攻勢を受けて貿易収支が悪化し、成長率が鈍化したが、メルコスールの平均成長率は
1.58%増から 2.70%増になり、
加盟国トータルで見れば、
経済成長にプラスの効果があったと言える56。
50外務省ホームページより。
51財団法人・国際貿易投資研究所ホームページより。同研究所季報、
『国際貿易と投資』第43 号、PDF版
52
石黒馨『ラテンアメリカ経済学 ネオ・リベラリズムを超えて』世界思想社、2003 年、158 項
53財団法人・国際貿易投資研究所ホームページより。
54財団法人・国際貿易投資研究所ホームページより。なお、2004 年の統計では、メルコスール諸国間の輸出は26%増加、
中米共同市場間で 6.8%増加する一方、アンデス共同体諸国間の輸出は5.5%縮小。外務省ホームページより。
55 外務省ホームページより。
56 以上のパラグラフすべて、日経ビジネスオンライン『門倉貴史の「BRICsの素顔」
』より。
21
これらの数字を通してみると、自由貿易あるいは地域統合開始後の中南米は、経済的に、少なくと
も大きな失敗といえるような状況にはないように見える。確かにブラジルの通貨切り下げやアルゼン
チン経済の不安定さなど、依然として不安定な部分は残るものの、1997 年のアジア通貨危機や 1998
年のロシアの債務不履行などの際には、外的ショックへの脆弱さが改善されつつあることを示したし、
外国からの投資も増え続けている。もちろん上記の数字のすべてを地域統合や自由貿易がもたらした
恩恵とすることはここではできないが、地域統合が再活性化した 1990 年代以降、それらが南米の経済
構造に少なからず影響を及ぼしたことは疑いようのないものだろう。
6.南米統合の推進力
経済統合によって諸国にもたらされる影響は、貿易創出効果57や貿易転換効果58、あるいは市場拡
大に伴う規模の経済などが挙げられる。
貿易創出効果と貿易転換効果については、厚生水準が改善するかはこの二つの効果のどちらが大き
いかによるとされる。加盟国間の比較優位構造が類似している場合、すなわち各国が同じ財に比較優
位、比較劣位をもち競合性が高い場合には前者が大きくなり、逆に類似性が低い場合、すなわち貿易
による相互補完関係が形成されている場合には後者の方が高くなるとされている。ラテンアメリカの
場合、一概に単純化はできないが、発展途上国間という類似性を持ち、貿易転換効果の解消が生じて
いるとされる59。
規模の経済に関しては、1960 年代に地域主義が説かれた当初、その恩恵として強く主張されたもの
であるが、それを念頭に置き域外との貿易を抑えようとした当時の経済統合は失敗し、域外貿易を前
提とした昨今の地域統合では見事その利益を享受することに成功している。
ラテンアメリカにおける地域統合は、(少なくとも経済的な面では)歴史的経緯をふまえれば、その必
要性は実に整合的、必然的であるように思われる。多くの失敗と危機を経験し、最終的に至った結論
としての地域統合というのは、実に説得力のあるもののように思える。地域主義がどんな問題にも対
応しうる処方箋ではないにしても、数字的に見てもその恩恵は明白であり、今後もその深化が目指す
方策が採られ続けていくであろうことは間違いない。問題は、FTAA か、南米共同体か、ということ
である。
南米の多くの国が自らの自由貿易戦略により、対米依存から脱却しつつある今、南米諸国がアメリ
カとの FTA に強くこだわる理由はない。むしろ前述の経済統合の影響をふまえれば、類似性の低い先
進国と途上国の経済統合は貿易転換効果をもたらし、厚生水準の悪化をもたらす可能性もある。また、
ラテンアメリカにおける経済政策が工業化(産業構造高度化)を目指すものであるならば、比較劣位にな
る工業部門を切り捨てなければならなくなる先進国との経済統合はその政策に寄与するものであると
は言いがたい。加えて、過去の経緯を鑑みるに、ラテンアメリカ諸国にアメリカに対する(経済・貿易上
57
経済統合により貿易障壁が撤廃されることで、域内貿易に新たな流れを作り出し、非効率な産業が競争によって淘汰さ
れ、厚生水準の改善をもたらすとされる効果。
58 統合によって域外からの輸入が域内の輸入に転換されることで、より効率的な域外国の財が競争に敗れるという効果。
例)A国に対し、ある財を15 のコストで生産・輸出するB国と、10 の費用で輸出できるC国がいるというケース。この財に
A国が60%の関税をかけていた場合、A・B間で経済統合がなされると、より効率のいいC国が競争に負ける。結果、A国
にとってはそれまで関税で得ていた収入がなくなり、対価はすべて外国に支払われてしまい、世界全体で見れば、より生
産性の低いB国の生産が拡大し、より効率の良いC国の生産が縮小するという損失をもたらす。
59石黒馨『ラテンアメリカ経済学 ネオ・リベラリズムを超えて』世界思想社、2003 年、259 項
22
の)不信が、依存と同程度に根付いていることもうかがえる。
結局、経済的な利点という観点は、それ自体が FTAA あるいは南米地域統合のいずれかを促す決定
的な因子になりうると結論付けることは出来ないが、少なくとも、南米地域が(南米地域単独で)統合を
目指すことを整合的に説明しうるものではある、と考えられる。
しかし、経済的な面では積極的なインセンティヴがあるのにもかかわらず、構想の進展は遅々とし
て進んでいない。これは、統合へ向かうにあたって大きな障壁があるためと考えられる。それは、構
成国間に 4 章で見てきたようなアイデンティティの乖離があるためである。すなわち、ベネズエラ・
ボリビアが代表しているような社会主義的な指向、チリが代表しているような親米的な自由貿易的指
向、そしてブラジルにみられるような穏健的な反米傾向と民主主義的な指向、これらが対立している
のが現在の南米である。この対立はアメリカに対する経済的利害の違い60と、南米でのプレゼンスを伸
張させようとする動き61により、より複雑なものになっている。現在の南米共同体首脳会合は、この対
立の調整のための準備が進められている段階にあり、そのために統合に向けての具体的な動きは出て
きていない。ポピュリスティックな傾向が強いと指摘される南米の政治だが、各国代表が政治的なオ
リエンテーションをまげて協調することは、自国民からの支持を得にくい。特に統合の鍵を握るベネ
ズエラの強硬姿勢の軟化は難しい。
さらに、南米統合の基礎となっている思想の原理からは、積極的な統合に向かう契機は生じにくい
ということも指摘できる。南米の統合を支えるのは南米の植民地解放思想に基づくものである。この
ことを象徴的に表すのが、植民地解放戦争であるアヤクチョの戦いの記念式典を行ったことであり、
南米共同体の文書に、チャベス大統領が信奉するシモン・ボリーバルの名が書かれていることである。
だが、この植民地解放思想には、南米の(特に経済的)統合を積極的に基礎付けるフレームワークが
存在しない。この思想にもとづいて生まれるのは、支配に対する対抗的な団結である。チャベス大統
領が提唱する ALBA は、まさにこの対抗的な団結(彼の言うところの「経済的支配」を続けるアメリ
カに対する)であった。これは南米共同体の位置づけを巡る意見の対立にも現れている。この植民地
解放思想に対するコミットメントが強いベネズエラが政治統合を優先させるべきだというのに対して、
あまり強くない国は経済統合を優先させるべきだとしている。
「統合」をアメリカへの対抗であると「外
向きに」位置付けるベネズエラが、既存の地域統合を脱して政治的に統合しようとするのに対し、経
済的な利害から動いている国々が、貿易を優先させるために政治的な統合を後回しにしようとしてい
るのだ。南米が南米共同体構想を推進するためには、共同体内部の関係を深化させるような、各国が
共通して持つことのできるフレームワークが必要であろう。
7.おわりに:南米共同体への展望
本論文では最後に補論として、南米共同体が今後どのように進展(或いは後退)していくのか、その展
望について若干の考察を試みたい。
EU 型の政治統合を目指す南米共同体構想への、マスコミ・識者の見解は概して冷ややかなものが多
い。理由の一つは、これまで述べてきたように、南米 12 カ国の利害や思惑が一致していない点である。
60 とくに対米貿易により大きな利益を得るチリと、天然資源を持つベネズエラの間に大きな違いがある。この資源を持つ
という背景と資源ナショナリズムのために、ベネズエラはアメリカに対する強硬な発言を続けている。
61 とくにブラジルとベネズエラの間に大きな対立がある。ベネズエラがメルコスールに加盟申請した際にも、反発があり
つつも加盟が認められた経緯には、ベネズエラに対する影響力を維持しようとするブラジルの狙いがあった。
23
特に、反米急先鋒のベネズエラ及びボリビアと、アメリカとの二国間 FTA を進めるチリ、コロンビア
などとの対立は、統合を阻む大きな要因になっている。また、ペルー、ボリビアなど政治体制の不安
定な国家も多い。貿易面では、南米全体では依然として対米依存が大きい点も指摘されている。加え
て、南米地域における統合構想は古くからあるにもかかわらず、これまで実質的な進展をみせていな
い点も、心証を悪くしていると言えるだろう。例えばアンデス共同体は、創設 35 年にもかかわらず、
いまだ共通の対外関税を設定できていない。
それではこの「古くからの統合の夢」は、従来の試みのように、形骸化していくのだろうか。この
問いに対し、明快に答えることは難しい。しかし、本論文におけるこれまでの報告と検証から幾つか
の手がかりを得て考察すれば、次のようなことが言えるだろう。南米 12 カ国が、一定程度の経済統合
を果たすことは可能であり、今後も進展すると思われる。しかし、共通の議会を持つ政治統合の実現
は、当面は困難なのではないだろうか。
経済統合が進むと考えられる第一の理由は、団結による交渉能力の強化というメリットが、既に功
を奏しているからである。例えばFTAA交渉では、当初米国が圧倒的に優位のはずであったが、メルコ
スールを中心とした結束により、米国とブラジルの間で交渉の主導権を争う構図となった。南米共同
体創設に際し、ドゥアルデ・前アルゼンチン大統領は「我々の国家は、政治経済の新しい世界秩序に、
単独で立ち向かうことは出来ない」62と述べているが、今後もこの点は統合への強い誘因になると考え
られる。
貿易の観点から見ても、統合は、資源配分の効率化や規模の経済の活用によって、地域全体の競争
力を高めることが見込める。既にインフラ統合や各種制度の整合化などのプロジェクトが IIRSA によ
って計画されている。また、800 万平方キロの森林や世界の 27%の水資源など、南米が有する豊かな
天然資源の戦略的な活用も期待出来るだろう。
FTAA に対する南米諸国の反応は、確かに一致しない。しかし南米全体としては「アメリカ離れ」
が進んでいる面も指摘出来る。5 章で述べたように、南米諸国は近年、米国から自立した経済を模索し
ている。例えば、南米共同体の柱であるメルコスールは現在、EU との FTA 交渉を進めている。WTO
カンクン会議では、ブラジルが G20 を主導し存在感を示した。また、第 2 回南米共同体首脳会合で、
「南米・アジア首脳会合」開催にむけた準備を進めることが合意された。域外国との対話を積極的に
求めているといえるだろう。このことに加えて、米国主導の経済自由化の押し付け、イラク戦争、キ
ューバ問題などによって南米の国民の間に広がる反米感情が、こうした動きの追い風となっている。
世界的な地域主義の潮流の中で、南米大陸における経済統合は、一定程度までは進展するだろう。
とはいえ、しかし、歴史的に生成された南米諸国間の政治的方向性の違いは、容易に取り除けるも
のではないこともまた事実である。こうした要素は、政治における統合を、極めて困難にするだろう。
例えば、2007 年 1 月のメルコスール・サミットでは、
「21 世紀の社会主義」を唱えるベネズエラが各
国に一部産業の国有化を求め、議論が紛糾した。サミットは、なんら合意を得ずに閉会となった。ま
たボリビアなど政治的に不安定な国家も、近隣諸国との関係を悪化させうる要因となるだろう63。
更に、対米関係における各国の利害が一致していない点も、より深い政治・経済統合を目指すため
には、障害となる。現に第 2 回南米共同体首脳会合では、アメリカとの関係を巡って各国が対立した
ことは 3 章で報告したとおりである。各国が、こうした溝を積極的に乗り越えようとする基盤が、南
62 BBC NEWSより。http://www.bbc.co.uk/
63
ボリビアのチリとの対立は、ナショナリズムに訴え国内世論を得るためだ、との指摘もある。遅野井茂雄「求心力弱ま
るアンデス共同体」
『世界週報』時事通信社、2004.7.13 号、54、55 項。
24
米地域に存在するだろうか。6 章で述べたように「対抗的な団結」という統合の思想では、基盤となる
には物足りなく思われる。
以上から、経済統合はある程度進行するが、政治的な統合は進まないのではないか、というのが当
面の予測である。もっとも、地域統合の動きは、内発的な動機だけでなく、域外との関係性に規定さ
れる部分も大きい。今後の課題として、世界経済の中の南米という位置づけのマクロな分析も必要で
あろう。
25
参考文献
西島章次・細野昭雄編著『ラテンアメリカ経済論』ミネルヴァ書房、2004 年 4 月。
丸谷吉男「メルコスール、米州自由貿易圏と欧州連合」
『国士舘大学政経論叢』2001(4)、2001 年。
澤田眞治「メルコスール諸国における信頼醸成と地域安全保障」
『国際法外交雑誌』100(5)、2001 年。
Victor Bulmer-Thomas『ラテンアメリカ経済史 独立から現在まで』名古屋大学出版会、2001
石黒馨『ラテンアメリカ経済学 ネオ・リベラリズムを超えて』世界思想社、2003 年
時事通信社「世界週報」86(33)
総務省統計局ホームページ http://www.stat.go.jp/
財団法人・国際貿易投資研究所ホームページ http://www.iti.or.jp/
経済産業省ホームページ http://www.meti.go.jp/
在パラグアイ日本商工会議所ホームページ http://www.meti.go.jp/
日本貿易振興機構ホームページ http://www.jetro.go.jp/indexj.html
同サンティアゴ事務所ホームページ http://www.jetro.go.jp/chile/
日経ビジネスオンライン http://business.nikkeibp.co.jp/welcome.html
ル・モンド・ディプロマティーク 日本語・電子版 http://www.diplo.jp/
ブラジル・サイト http://www.brazil.ne.jp/
田中宇の国際ニュース解説 http://tanakanews.com/
国際協力銀行(JBIC)ホームページ http://www.jbic.go.jp/japanese/base/
神戸大学経済経営研究所 西島章次 ラテンアメリカ経済研究室ホームページ
http://www.jbic.go.jp/japanese/base/
日本ラテンアメリカ学会ホームページ http://wwwsoc.nii.ac.jp/ajel/
venezuelanalysis.com
http://www.venezuelanalysis.com/
26