報道されない中南米の動き(米州の底流の変化)

【客員研究員の報告】
報道されない中南米の動き
(米州の底流の変化)
客員研究員
2011年12月3日の朝日新聞が、「中南米・カリブ海33カ国首脳が新組織
工藤
章
米・カナダ排
除」と言うタイトルで、中南米カリブ海諸国共同体(CELAC)の発足を報道した。ベネズ
エラ首都のカラカスで開かれた会議で、1951年に発足して以来、米州の結束の場となって
いた米州機構(OAS)とは一線を画した新たな組織が出来上がった。この動きをどのよう
に評価するかは議論もあるが、日本のメディアは南米の特派員の派遣も無い、通り一遍の
報道となっていた。また、米国でも、大きな報道とはなっていない上に、この組織は実の
伴わぬ烏合の衆となるのではないかとの評価をしていた。しかしながら、中南米の過去か
らの潮流を見ると、米国を含む外国との関係に重大な変化と考えられる。過去数十年を振
り返りながら、ジャーナリズムの役割も視野に入れて、米国と中南米の動きを分析する。
1.ブッシュ政権と中南米
2005年11月4日から5日にかけて、アルゼンチンのリゾート都市の一つであるマルデル
プラタで、第4回米州首脳会議が開催された。米州には35カ国の国が存在するが、キュー
バを除く34カ国の首脳レベルが一堂に会した。この会議では、米州自由貿易地域(FTAA
―1994年の第1回米州首脳会議で構想が提唱され交渉されていたが、2003年に事実上、交
渉が中断されている)の交渉再開が実現されるかが焦点となっていた。米国が掲げる新自
由主義政策の一環である FTAA の早期実現を目指し、ブッシュ大統領自らが強い決意を
持って、この会議に臨んだ。しかしながら、その結果は、反米と反グローバリズムが明ら
かとなるという、期待に反するものとなった。FTAA 交渉の再開は、南部共同市場(メル
コスル)を構成するブラジル、アルゼンチン、パラグアイ、ウルグアイの4カ国に加え、
チャベス大統領が率いるベネズエラが反対し、合意に達しなかったのである。更に、米国
主導の FTAA に対する抗議のデモ隊が暴徒化、これが中南米では大きく報じられ、ブッ
シュ大統領の南米訪問は、逆に南米の米国離れを大きく印象付ける結果となってしまった。
ここで、筆者自身の経験に触れる。2004年11月、APEC 会議がチリの首都サンチアゴで
開催された。筆者は、同時に開催されたビジネス・フォーラムに参加した。ブッシュ大統
領が厳重な警護に守られて現れ、FTAA の重要性を熱く語ったが、会場は冷めた空気で
あった。その後、11月21日19時過ぎからの夕食会の様子を中継していた地元 TV をホテル
で見ていて、吃驚するような事が起きた。出迎えに立っていたチリのラゴス大統領夫妻が、
ブッシュ夫妻と挨拶を交わす後ろで、チリの警察官とブッシュ大統領のボディーガードが
激しい揉み合いとなった。これに対し、ブッシュ大統領自らが中に入り、ボディーガード
を救出しようとした。結局は、ボディーガードは屋外に出され、ブッシュ大統領夫妻だけ
が会場に入って行った。この顛末は、両国の合意で、ボディーガードは夕食会に入れない
となっていたが、これをブッシュ大統領側が無視した為だと、地元 TV で繰り返し報道さ
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れた。CNN では、このトラブルは一切報道されなかった。2000年前後から、中南米では反
米の動きが顕わになっていたが、その一方で、米国政府の中南米に対する尊大な態度も目
に付いていた。それを象徴するような出来事であった。
ブッシュ大統領は、2009年1月に退任するまでに、2007年3月にブラジル、ウルグアイ、
コロンビア、グアテマラ、メキシコを歴訪した。しかしながら、各地で反米デモに遭遇す
る上に、中南米との関係修復を狙った目的を果たす事はなかった。
2.中南米の左傾化
スペインとポルトガルの植民地から独立して約200年、中南米の最大の社会問題は貧富の
格差といって過言ではない。その流れの中で、石油大国のベネズエラにチャベス政権が、
そして中南米の大国ブラジルにルラ政権が生まれた。
1992年2月5日明け方3時に電話が鳴った。会社の秘書からだった。こんな時刻になん
だと非難する前に、テレビをすぐつけてみろと言われ、スイッチを入れた。そこには、ワ
イシャツ姿のペレス大統領の姿と「国民の皆さん冷静に」と叫ぶ声があった。これがチャ
ベス陸軍中佐のクーデター失敗のその時に、ベネズエラの首都カラカスで筆者が経験した
事だった。その当時、ベネズエラは騒然としていた。石油と天然ガスなどの天然資源の豊
かな国でありながら、多くの貧困層を抱えていた。急激なインフレ上昇に民衆が立ち上が
り、過激化したデモ活動に対して、軍による発砲事件が起きるに至った。これに衝撃を受
けたチャベスが、政府に立ち向かった。この挑戦は失敗に終わったが、チャベスの行動は、
国民に大きな感動を与えた。チャベリストと称し赤いベレー帽が流行った。投獄、恩赦を
経て、貧困層の圧倒的支持を得て、1999年2月大統領に就任。しかしながら、政権発足当
初から反政府勢力や旧来の支配者層から強い抵抗に遭い、2002年4月に親米派軍部(米国
の介入があったと言われている)のクーデターが起きたが、3日間で失敗した。これを契
機に、反米主義とボリバール革命を唱えるチャベス大統領と、それに対抗するブッシュ大
統領との確執が、急速に拡大して行った。
一方、ブラジルのルラ政権はどのようにして誕生したか。労働者党を1980年に立ち上げ、
1989年に初めて大統領選に参加し、4度目の挑戦で2002年12月に大統領に選出された。左
派政権誕生の可能性が高いと言う見通しから、選挙年の2002年には外国資本の逃避や外貨
の国外流失もあり、景気の低迷を招いた。しかしながら、2003年元日に大統領就任後、新
政権は予想に反してカルドゾ前政権の政経路線を踏襲しながら改革に臨んだことから、経
済は急速に上向いた。ルラ大統領は、反米の急先鋒のベネズエラ、また、それに追従する
アルゼンチン、ボリビア、エクアドル、ニカラグア、などの諸国とも関係強化を図ると共
に、米国とも一定の距離を置きながら(米国のイラン侵攻には徹底的に反対したが)良好
な関係を保持した。
中南米を政治的な見地から概観すると、第二次世界大戦後、1959年にはキューバ革命政
権が誕生、その後、中南米は米国の強い介入を受けながら、多くの国は、1970年代に軍事
政権、1980年代後半に民主化し中道左派政権を誕生させ、2000年代に入るとポピュリズム
を標榜する左派政権に移行し、2010年代に入るとプラグマティスト的な流れが生まれてい
る。
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3.中南米と米国
前述の如く、中南米地域と米国の関係は、ブッシュ政権時代は非常に悪化していた。従っ
て、黒人のオバマが政権を握る事で、中南米諸国は、米国との関係が改善されると期待し
た。そのような流れの中で、オバマが大統領就任早々に参加する初めての国際会議である
第5回米州首脳会議が、2009年4月17日にトリニダード・トバゴにて開催された。チャベ
ス大統領が、オバマ大統領と握手を交わした。その際に、チャベスが直接オバマ大統領に
手渡した本「収奪された大地―ラテンアメリカ500年」(ウルグアイの作家、ガレアノ著)
が有名になった。そして、この会議で、中南米側からキューバに対する経済制裁の中止と、
米州会議に参加させろとの要求が出されたのに対し、オバマ大統領は、キューバとの新し
い関係を前向きに模索すると言う考えを示した。マルデルプラタで開かれた第4回米州首
脳会議で、ブッシュ前大統領と中南米首脳との対立した雰囲気とは、全く対照的なもので
あった。
日本で公開されなかった映画がある。オリバー・ストーン監督の制作によるドキュメン
タリー映画「国境の南(South of the Border)
」である。2010年6月に全米で公開されたこ
の映画は、オバマ政権誕生の直前に、中南米首脳をストーン監督自らがインタビューした
ドキュメンタリーである。同監督は、米国政府や米国の政治・金融システムに批判的なこ
とで有名であるが、この作品では、特に米国のジャーナリズムを非難している。
「チャベス
は独裁者」
、
「ベネズエラは米国の敵であるイラク、イラン、などと関係を強化している危
険国」
、
「それに同調するアルゼンチン、エクアドル、ボリビア、ニカラグアなども警戒す
べき国々である」
、また、
「南米の大国のブラジルの動向も注意すべきだ」とのキャンペー
ンを米国のジャーナリズムは張っている、そして、米国のジャーナリズムは、中南米各国
が、どのように米国との協調を望んでいるか、どんな形で格差の無い社会作りに努力して
いるか、その為に地域内の結束をどのように高めようとしているかを、正確に伝えていな
いと主張している。ベネズエラ政治の腐敗を糾弾し、貧困層の解消に立ち上がったチャベ
ス大統領、国際通貨基金(IMF)によって経済破綻を起こしたと主張するアルゼンチンの
キルチネル前大統領、及び同大統領の夫人で現大統領のキルチネル大統領、コカ栽培組合
出身のボリビアのモラレス大統領、国内にある米軍基地の存続を認めなかったエクアドル
のコレア大統領
(基地は、親米の隣国コロンビアに移された)、初めて左派政権を誕生させ
た宣教師出身のルゴ大統領、貧しい労働者から大統領になったブラジルのルラ、革命後50
年を向かえ21世紀の社会主義の確立に情熱を注ぐキューバのラウル・カストロ議長(フィ
デルの実弟)と、ストーン監督はそれぞれの国の首都で面談した。それぞれの首脳が、自
分の主張を一方的に述べているので、それが全て真実ではないとしても、各国の政治的背
景や米国に対するネガティブな見解の根拠が理解できる。更に多くの首脳が、米国と自国
のジャーナリズムに対し警戒している事も分かる。また、全ての首脳が、米国そのものに
抵抗するのではなく、植民地主義と帝国主義を嫌悪し、どの国も対等の関係にあるべきだ
と主張している点を、この映画は強調している。
4.中南米の将来
オバマ大統領の参加した第5回米州首脳会議から、冒頭に記述した中南米カリブ海諸国
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共同体の発足までの2年半の間に、中南米と米国の関係に何か大きな変化があったのか。
それに対する回答は、ノーである。2011年3月にオバマ大統領は、ブラジル、チリ、エル
サルバドル、の3カ国を訪問した。結局、大統領就任以来、中東問題に専念せざるを得な
い事情もあり、初めての中南米訪問を実現したが、特に成果の無いものになった。
米州では、今年、米国、メキシコ、ベネズエラ、で大統領選挙が予定されている。また、
中南米カリブ海諸国共同体の第2回会合が、2013年1月にチリの首都サンチアゴで開催さ
れる。
中南米がどのように米国との関係を改善していくのか、また、中南米域内で政治的ある
いは経済的にどのように統合を進めていくのか、非常に興味深い。日本にとって中南米は、
金属、エネルギー、農業製品の重要な調達先であり、日本製品の輸出先として大きな市場
でもあり、引き続き関係強化を図らねばならない相手先である。その観点からも、極端な
先入観を持たずに、複眼的な視野から中南米の動きを見ていく必要があると思料する。
筆者紹介:工
藤
章
■略 歴
1947年生まれ、1969年慶應義塾大学工学部卒、三菱
商事㈱入社、製鉄機械、セメント機械などのプラン
1975年から1981年にチリ、1988
ト、ビジネスに従事、
年から1992年にベネズエラ、1996年から1998年まで
再びチリ、1998年から2008年までブラジル、通算22
年の南米駐在、海外駐在期間はプラント・ビジネス
のみならず全ての分野のビジネスに携わった。2005
年から中南米統括として中南米全域の責任者となり
各国の要人との関係を深めた。2008年4月に帰国、
同年6月に定年退職。その後、三菱商事の上席顧問
として、中南米でのビジネスのサポートを続けてい
る。
■近 況
40年近くの中南米との関わりを通じて、日本での中
南米に対する関心や知識の低さを認識し、朝日新書
から
「中南米が日本を追い抜く日」
を2008年に企画・
出版、最近は業務の傍ら学生や市民への講話を続け
ている。リーマンショックから早くも経済的に立ち
直った中南米は、世界的にも存在感を増してきてい
るが、2から3ヵ月に一度の中南米出張を通じて、
中南米の政治や経済の変化のみならず社会改革・問
題についても情報収集し、同地域のジャーナリズム
の視点からも研究を続けている。
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