『プロヴァンシアル』と ジャンセニスト文体1 - Musashi University

『プロヴァンシアル』とジャンセニスト文体 望月ゆか
『プロヴァンシアル』と
ジャンセニスト文体1)
望 月 ゆ か
1)
「私たちは騙されていたのです。昨日ようやく目が覚めました。」«Nous
étions bien abusés. Je ne suis détrompé que d’hier.» ──フランス語散文
の傑作である『プロヴァンシアルへの[第一の]手紙』(1656 年 1 月 23
日付け)の冒頭は大胆にも、ピリオド(ポワン)で終わる二つの短文で始まっ
ていた。ジャン・メナール教授によれば、この文体のあまりの斬新さに印
刷所の校正係は恐れをなし、四つ折版初版の第三刷からは、第二文のピリ
オドをカンマ(ヴィルギュル)にして、第三文「今まで私は・・・と思って
いました。」«Jusque-là j’ai pensé que ...» と一文になるように変更を加え
た、という2)。当時はまだゲズ・ド・バルザック Guez de Balzac 風の、
一つの中心的主題を中心に、関係代名詞や接続詞などで2つ以上の節を
3)
バランスよく連ねた、意味的に完結している総合文(ペリオッド)
を基
1)本稿は、Chroniques de Port-Royal, n˚ 58, 2008 に出版予定の «Les Provinciales et le style
janséniste» の内容に大幅な加筆訂正を施したものである(2008 年 2 月 29 日、早稲田大
学における第 136 回パスカル研究会例会での報告の際、またその後に、石川知広先生、
塩川徹也先生、廣田昌義先生などから頂いた貴重なご指摘に心からの感謝の意を表します)
。
2)Jean Mesnard, «Prélude à l’édition des Provinciales», dans Treize études sur Blaise
Pascal, Clermont-Ferrand, Presses universitaires Blaise Pascal, 2004, p. 103-104. 現代版
では現行に則し、カンマはセミコロン(ポワン・ヴィルギュル)になっている。なお、
La Pochotèque 版では、カンマの訂正の入った問題のページが写真で紹介されている。
Pascal, Les Provinciales, Pensées et opuscules divers, éd. G. Ferreyrolles et Ph. Sellier,
Paris, La Pochotèque, Le livre de Poche et Classiques Garnier, 2004, p. 204.
3)Cf. «Période s.f. Portion d’un discours qui consiste en un certain arrangement de
paroles, et qui étant composé de plusieurs membres, renferme un sens complet.»
178(123)
武蔵大学人文学会雑誌 第 40 巻第 1 号
調とした文体が理想とされていた時代である。1600 年〜1620 年頃にはピ
エール・マチウ Pierre Matthieu(1563-1621)に代表される、タキトゥス
風の切れ切れの短文体が流行したが、それも間もなく廃れ、リシュリュー
(1585-1642)による揶揄の言葉が伝えられている。さらに 1650 年代後半
からはその後継者であるマルヴェッチ Virgilio Malvezzi(1595-1654)な
どへの批判が相次いで現れる4)。『第一の手紙』が現れた 1650 年代の半ば
に、これほど短い文が独立の文として著作の冒頭に登場することは到底考
えられなかった5)。パスカルは、ソルボンヌでのアルノー裁判に社交界の
読者たちの関心を引くために、この大胆な文体を考案したのである。
第一の手紙が発表された 1656 年の初頭、パスカルの文体は円熟期を迎
えていた。ごく初期の作品(1640 年代半ば)にはこれといった文体的特
徴はない。時代的には、ランソンが「ルイ 13 世紀の時代の文体6)」と呼
んだ、論理接続語や関係代名詞を複雑に組み合わせたラテン語臭さを残す
長文が、ゲズ・ド・バルザックの影響で徐々に均整のとれた美しいペリ
オッドに移行してゆく時期に当たっていたが、パスカルの作品には前者の
名残も時折見られる7)。まもなく彼の文章は格段に洗練度を増すが、その
(Dictionnaire de l’Académie française, 1694)
4)Jean Lafond, «L’esthétique du dir moderno dans l’historiographie de P. Matthieu et de
ses imitateurs», Mélanges Franco Simone, France et Italie dans la culture européenne 2,
XVII et XVIII, Genève, Slatkine, 1981, p. 135-148.
5) マチウの『ルイ十一世の歴史』Histoire de Louis XI(1610)の第二巻の冒頭は次の通
り。«Une mort qui apporte des sceptres et des couronnes, ne rencontre pas toujours
des regrets ni des pleurs. Quand il y avait de la succession d’un Royaume, le désir de
régner essuie incontinent les larmes, que la loi de la nature tire des yeux. Il tardait
trop à Louis d’être chez soi, pour se fâcher quand on lui vint dire que le Roi Charles VII
lui avait quitté le logis…»(cité par Lafond, art.cit., p. 137-138)
6)Gustave Lanson, L’Art de la prose, Paris, Nizet, s.d.[1re éd., 1909],p. 54-64.
7)«Avis nécessaire à ceux qui auront curiosité de voir la machine arithmétique, et de s’en
servir»(1645)では、ルーアンの職人による計算機盗作の顛末が大きな三部分 membres
からなるペリオッドで語られている。 第二部は呼応する接続語 «comme … aussi» および
括弧付きの挿入句を含み少し複雑だが、全体としては、三部分が «mais», «et, toutefois»
でつながれて等位関係にあるために、比較的すっきりした堂々たる構文になっている。«Cher
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きっかけとして最も重要なのは、科学論文の執筆よりむしろアウグスティ
ヌス主義の影響である。後者の二項対立的思想がペリオッドの対照法的構
成と結びつき、文章全体に美しい勢いが現れるのが、『真空論序説』と呼
ばれる小品8)である。そこでは、ある時は短い短文節をペリオッドの部分
membres として並置したり9)、ある時は権威と理性の対立を四部構成の
ペリオッド période carrée で対照法的に表現したり10) と、変化のある見
lecteur, j’ai sujet particulier de te donner ce dernier avis, après avoir vu de mes yeux
une fausse exécution de ma pensée faite par un ouvrier de la ville de Rouen, horloger
de profession, lequel, sur le simple récit qui lui fut fait de mon premier modèle que
j’avais fait quelques mois auparavant, eut assez de hardiesse pour en entreprendre un
autre, et, qui plus est, par une autre espèce de mouvement ; mais comme le bonhomme
n’a autre talent que celui de manier adroitement ses outils, et qu’il ne sait pas
seulement si la géométrie et la mécanique sont au monde, aussi (quoiqu’il soit très
habile en son art, et même très industrieux en plusieurs choses qui n’en sont point) ne fitil qu’une pièce inutile, propre véritablement, polie et très bien limée par le dehors, mais
tellement imparfaite au-dedans qu’elle n’est d’aucun usage ; et, toutefois, à cause
seulement de sa nouveauté, elle ne fut pas sans estime parmi ceux qui n’y connaissent
rien, et nonobstant tous les défauts essentiels que l’épreuve y fait reconnaître, ne laissa
pas de trouver place dans le cabinet d’un curieux de la même ville, rempli de plusieurs
autres pièces rares et curieuses.»(Pascal, Œuvres complètes, éd. J. Mesnard, t.II, Paris,
Desclée de Brouwer, 1970, p. 339. 強調引用者)
8)『真空論序説』の執筆時期は、定説では 1651 年、小柳公代氏によれば 1646 年終わりから
1647 年初頭にかけてである(これはブランシュヴィック説と近い)。なお小柳氏は小品の
タイトルの正当性にも疑問を呈している。小柳公代『パスカル 直観から断定まで ──
物理論文完成への道程──』、名古屋大学出版会、1992 年、p.165-169;Kimiyo Koyanagi,
«Au sujet du manuscript G1-5, écrit inachevé de Pascal, dit “Préface. Sur le Traité du
vide” »、小柳公代(研究代表者)『デカルト、パスカルの科学思想上の定位再構築と関連
書誌研究(平成 16 〜 17 年度科学研究費補助金(基盤研究C)研究成果報告書)』、2007
年(初出 2005 年)、p. 65-79 参照。
9)«Il n’en est pas de même des sujets qui tombent sous les sens ou sous le raisonnement :
l’autorité y est inutile ; la raison seule a lieu d’en connaître. Elles ont leurs droits
séparés : l’une avait tantôt tout l’avantage ; ici l’autre règne à son tour.»(Id., Préface
sur le traité du vide, OC, t.II, p. 779. 強調引用者)
10)«Cependant le malheur du siècle est tel qu’on voit beaucoup d’opinions nouvelles en
théologie, inconnues à toute l’antiquité, soutenues avec obstination et reçues avec
applaudissement ; au lieu que celles qu’on produit dans la physique, quoique en petit
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事なペリオッド文体術が披露されている。一方、モンテーニュの著書はパ
スカルに短文体への嗜好を与えた。こちらは『第一プロヴァンシアル』の
直前に執筆された『メモリアル』
(1654)や『要約イエス・キリスト伝』
(1655?)
といった霊的かつ詩的な作品の内に昇華している。ただし、『要約イエス・
キリスト伝』の中間部に見られる以下のような断片的エクリチュール
211. Il prie,
212. La face en terre,
213. Trois fois.
[…]
218. Judas le baise. Jésus se livre. Pierre coupe l’oreille de
Malchus. Jésus l’en reprend.
219. Et le guérit11).
211. 彼[イエス]は祈る。
212. 顔を地につけて、
213. 三回。
[・・・]
218. ユダは彼に接吻する。イエスは引渡される。ペトロはマルクスの
耳を切り落とす。イエスは彼を非難する。
nombre, semblent devoir être convaincues de fausseté dès qu’elles choquent tant soit
peu les opinions reçues : comme si le respect qu’on a pour les anciens philosophes était
de devoir, et que celui que l’on porte aux plus anciens des Pères était seulement de
bienséance!»(Ibid., p. 777)ペリオッドの前半では、伝統を重んじるべき神学と理性を重
んじるべき物理学それぞれの本末転倒の現状が二部構成で、後半ではその理由が物理学、
神学の順でやはり二部構成で述べられている。全体としては「神学−物理学;物理学−
神学」という交差配列法 chiamse の形をとった対照法的四部構成のペリオッド période
carrée である。
11)Pascal, Abrégé de la vie de Jésus-Christ, OC III, 1991, p.290. メ ナ ー ル 教 授 の 註 解(p.
226-238)も参照のこと。
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219. そして彼[マルクス]を癒される。
から、短文体による公開書簡の書き出しに至るには、もうあと一歩踏み出
す必要があった。
サント・ブーヴはこのセンセーショナルな書き出しから、イエズス会士
ヴァヴァサール François Vavasseur(1605-1681)12)が 1653 年にアルノー
に対して著したラテン語著作『著者の同定が[誤って]なされた誹謗文書
についての論考』Dissertatio de libello supposititio を連想した。ヴァヴァ
サール神父はその中で、ジャンセニストの著作家たちの文体的欠陥、例え
ば長々しいペリオッド文体の濫用、警句 pointe の欠如、ヴァリエーショ
ンに欠ける文彩などを批判している13)。さて、
『プロヴァンシアル』出版前夜のポール・ロワヤルの文体や著作に大
体当てはまったことが、出版後にはもはや当てはまらなくなるのだ。
辛辣で手厳しい修辞学教師からの批判はすべて、自分自身以外どこの
12)François Vavasseur, S.J.(1605-1683)。 イエズス会コレージュで文法や修辞学、次いで
神学を講じた。特にネオ・ラテンの詩人、批評家、論争家としての活動で知られる。代
表作は Jobus Carmen heroïcum(1638); Orationes(1646); Jansenius suspectus(1650);
Jansenius damnatus(1651); Dissertatio de libello supposititio(1653); De Ludicra
dictione liber(1658); De Epigrammate liber(1669)。 フ ラ ン ス 語 作 品 は、Jansenius
suspectus 巻 末 の 書 簡 の 仏 訳 Lettre à un ami touchant le jansénisme, tirée du livre
intitulé “Jansenius suspectus”(1651)と Remarques sur les nouvelles Réflexions[du P.
Rapin]touchant la poétique(1675)のみ。De Ludicra dictione liber はビュルレスク文体
批 判、De Epigrammate liber(1669) は ポ ー ル・ ロ ワ ヤ ル 編 Epigrammatum delectus
(1659)のニコルによる序に対するアリストテレス主義者ヴァヴァサールからの反論(Jean
Lafond, «Un débat d’esthétique à l’époque classique : la théorie du beau dans
l’Epigrammatum delectus de Port-Royal et sa critique par le Père Vavasseur», Actes du
3e Congrès international d’études néo-latines(Tours 1976), Paris, Vrin, 1980, t.I,
p. 1269-1277 を参照)である。なお古典主義の先駆けであるヴァヴァサール神父の立場は
Orationes で表明されている(Marc Fumaroli, L’âge de l’éloquence, Paris, Albin Michel,
1994[1980], IIe partie, ch.IV «Les adversaires jésuites de la corruption de l’éloquence»,
2 «Le programme de réforme du P. François Vavasseur» を見よ)。
13)Sainte-Beuve, Port-Royal, éd. M. Leroy, t.II, Paris, Gallimard, 1954, p. 73-74.
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流派にも属さないこの新参者パスカルによって一蹴されることとな
る。ヴァヴァサール神父が要求したものが今ここに供された。お望み
通りの、否それ以上のもてなしで14)。
パスカルとネオ・ラテン著作家ヴァヴァサールを結びつけたサント・ブー
ヴの炯眼は注目に値する。パスカルの文体的軌跡における決定的一歩を促
したのは、まさにヴァヴァサールのこの著作ではなかっただろうか。もっ
ともサント・ブーヴにとって、このタイミングでのパスカルの出現は文学
史上の興趣に富む偶然にすぎず、二つの著作の間に因果関係を認めるには
至らなかった。これは恐らく、アルノーとイエズス会との文体論争が起っ
たのが 1651 年から 1653 年にかけてであり、決定的回心を経たパスカルが
本格的にポール・ロワヤル擁護の論争に参加する以前だったためであろう。
こうしてサント・ブーヴは、前半の『プロヴァンシアル』とポール・ロワ
ヤルとの間の文体的断絶を天才パスカルの「無からの創造」に帰すのであ
る。
ヴァヴァサールの論考はラテン語で書かれたこともあり、1653 年の公
刊当時は公にはほとんど話題に上らなかった15)。しかし実は本書は、文
学史上重要な位置を占めている。1660 年代半ば以降、アカデミー・フラ
ンセーズ会員デマレ・ド・サンソルラン Jean Desmarets de Saint-Sorlin
や マ ン ブ ー ル 神 父 Louis Maimbourg, S.J.、 ブ ウ ー ル 神 父 Dominique
Bouhours, S.J. などの反ジャンセニスト文芸批判に中心的議論を提供し、
ポール・ロワヤルの文体神話が崩れるきっかけを作ったのは、ヴァヴァサー
ルのこの書であったからである16)。本稿では、ヴァヴァサールの論考が
14)Ibid., p.73.
15)出版当時の公の反響は、味方陣営のレオナール・ド・マランデ Léonard de Marandé の著
書『ジャンセニスムの難点』Inconvénients du jansénisme(1653)のみであった。
16)拙稿 «Un prélude à la guerre civile de la langue française : la polémique littéraire autour
du Nouveau Testament de Mons», Chroniques de Port-Royal, n˚51, 2002, p. 429-465 を参
照。
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『プロヴァンシアル』とジャンセニスト文体 望月ゆか
『プロヴァンシアル』誕生の一つの契機でもあったのではないかという仮
説を検証してみたい。まず第一節でヴァヴァサールのジャンセニスト文
体批判を紹介し、第二節、第三節では二つの視点──言説的暴力 violence
verbale と神学的雄弁──からイエズス会神父とパスカルの作品を比較し
よう。各節では、背景となる当時のレトリックに関わる三論争にも触れら
れる。第一節ではポール・ロワヤル対イエズス会の文体論争、第二節では
暴力的言辞に関するポール・ロワヤル内部の論争、第三節ではパウロとア
ウグスティヌスの誇張的言説に関する論争である。ヴァヴァサール神父の
ジャンセニスト文体批判という観点から『プロヴァンシアル』を読み直す
ことは、ポール・ロワヤルとイエズス会との間の神学的・文体論的・審美
的対立の歴史に新たな光明を投げかけることにも通ずるはずである。
1.ヴァヴァサールによるジャンセニスト文体批判
1649 年から 1653 年にかけてソルボンヌ、次いでローマで行われた五命
題の詮議によって、アウグスティヌス主義陣営は教義面で劣勢に立たされ
た。この時期、一部のポール・ロワヤルの論争家たちは新たな戦術を採用
し、純粋に文学的・文体論的観点からも論敵を攻撃するようになる。先鞭
をつけたのは私見によれば、アカデミー・フランセーズ会員アマーブル・ド・
ブルゼイス Amable de Bourzeis である。1650 年出版の『二人のモリニス
ト神学者の対談』Conférences de deux théologiens molinistes がその問題
の作品で、彼が「モリニストの神父」と呼ぶファイヤン会士ピエール・ド・
サン・ジョゼフ Pierre de Saint Joseph の著作『聖アウグスティヌスと全
教会の見解』(1649)を標的としている。主題はファイヤン会士の異端的
教義の批判であるが、その中に文体・文法批判が二回現れ、「堅固に転覆
す る renverser solidement」、「 我 々 を 取 り 囲 む 内 的 光 une lumière
intérieure qui nous environne」など三つのナンセンス(ガリマティア
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武蔵大学人文学会雑誌 第 40 巻第 1 号
galimatias)が指摘される17)。ブルゼイスがとくにこの作品中に文体・文
法批判を盛り込んだのは、ピエール・ド・サン・ジョセフの著書が大貴族
たちの間にかなり広く流通していたためと考えられる18)。実際、ブルゼ
イスは彼を「宮廷神学者」、「閨房の神学者」と呼んで蔑んでいる19)。ま
た架空の二人のモリニストが軽妙で皮肉を効かせた対話を繰り広げるとい
う形式も、神学者や知識人オネットム以外の広範な読者層を想定したもの
で、『プロヴァンシアル』の一つのモデルとなる。
アルノーによるイエズス会文体批判
文 体 批 判 が 単 な る 挿 話 で は な く、 著 書 の 中 心 議 論 の 一 つ を な す の
は、アルノーが翌 1651 年に出版した『イエズス会神父たちへの建言』
Remontrance aux PP. Jésuites である。これは『ポール・ロワヤルの集ま
りにより著された、民衆に明らかにすべき、ジャンセニストたちの真の教
義についての声明』Le Manifeste de la véritable doctrine des Jansénistes,
telles qu’on la doit exposer au peuple, composé par l’assemblée du P.R. を
反駁するために著された。アルノーは、この冊子がイエズス会士による捏
造であることを証明するために、その文体がポール・ロワヤルの文体とは
まったく異なり、むしろイエズス会士たちが刊行した著作の文体と類似
していることを多くの例証で示すのである。アルノーはイエズス会的文
体の特徴として、好戦的表現、低俗文体 style bas、ガリマティア(ナン
センス表現)、古語やラテン語的表現などの不純正語法 barbarisme、新語
néologisme を挙げる。1650 年代後半より装飾過多で分かりづらい悪文の
17)Amable de Bourzeis, Conférences de deux théologiens molinistes sur un libelle
faussement intitulé ‘Les Sentiments de Saint Augustin et de toute l’Eglise’, s.l., 1650, 3e
Conférence, p. 139-140 ; 5e Conférence, p.188-189. 当時は、今日のような文体と文法との
間の対立は存在しなかった(Jean-Paul Seguin, L’invention de la phrase au XVIIIe siècle,
Louvain-Paris, Editions Peeters, 1993, p. 40)。
18)Ibid., p.32-23.
19)Ibid., p.139, 167.
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『プロヴァンシアル』とジャンセニスト文体 望月ゆか
代名詞となったネルヴェーズ Antoine de Nervèze(1570?-1625?)20)や、
『第
九の手紙』、『第十一の手紙』でやり玉に上げられた甘ったるい文体のルモ
ワーヌ神父 Pierre Le Moyne, S.J. という二人の新旧バロック作家への言
及が、1651 年の段階で既に見られるのも興味深い。
ブルゼイスとアルノーの念頭にあったのは、1647 年出版のヴォジュラ
による『フランス語についての覚書』である。その序論には次のような一
節がある。「社交界の集まりで或る人物を軽蔑させるには、説教師、弁護士、
作家を非難するには、慣用にそぐわない言葉を一つ示すだけでよい21)。」
ポール・ロワヤルの論争家たちはこの精神に従って、論敵の品位に欠ける
文体を断罪することにより、彼らの人格の非を明らかにし、そのポール・
ロワヤルに対する神学的非難には信憑性のないことを、少なくとも教養あ
るオネットムたちに対して示そうとしたのである。ただしアルノーはこの
指摘によって逆に宮廷神学者の汚名を頂戴しないように、「我々は、敬虔
である限り、あるいは少なくとも控え目で悪意のない限り、粗野な文体を
厭うものではない22)」と予防線を張ることも忘れていない。
ところでアルノーが批判している《イエズス会士の文体》(「あなたがた
の文体 votre style23)」)においては、書き手の主体的個性の表出、共通の
言語的慣用からの隔たり écart という近代的な意味での文体は問題になっ
ていない。古典主義時代における文体は、伝統修辞学の規則に従う客観的
性質のものであった。つまり、状況、聴衆(読者)、ジャンル・主題とい
う外的要素との適合 aptum, bienséance によって決定され、単純文体、中
20)Cf. Roger Zuber, «Grandeur et misère du style Nervèze», repris dans Les émerveille­
ments de la raison, Klincksieck, 1997, p. 83-95.
21)Claude Favre de Vaugelas, La Préface des «Remarques sur la langue française», éd. Z.
Marzys, Genève, Droz, 1984, IX/2, p. 55.
22)Antoine Arnauld, Remontrance aux PP. Jésuites, touchant un libelle qu’ils ont fait courir
dans Paris, sous ce faux titre, ‘Le Manifeste de la véritable doctrine des Jansénistes, telles
qu’on la doit exposer au peuple, composé par l’assemblée du P.R.’, Paris, 1651, p.21
[Œuvres de messire Antoine Arnauld, Paris-Lausanne, 1775-1783, t. XXIX].
23)Ibid., p. 13, 19, 21.
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武蔵大学人文学会雑誌 第 40 巻第 1 号
庸文体、崇高文体の三文体に収斂する。さて、16 世紀から 18 世紀にかけ
て「文体は徐々に、今日我々が知っている二重の顔──規範としての文体
という客観的な面と、個人の特異性を反映する文体という主観的面──を
もつようになり」、17〜18 世紀にはこの対立する両要素が微妙な緊張関係
をはらみながら併存していた、とジャン・モリノは述べている24)。しか
しベルナール・ラミもその『修辞学あるいは話す術』(原題は『話す術』、
初版 1775 年)で述べているような、各著者の言葉や著書に見出される
「彼特有の、他の著者と弁別される特徴25)」とは、三文体の規範の運用の
仕方は個人によってさまざまだという事実の確認に他ならない。ブウー
ル神父は、古典修辞学の三部門──発想 inventio、配置 dispositio、表現
elocutio ──に関連付けて、「文体」を「慣用つまり理性にしたがって単
語を結びつけ配置するさまざまな仕方」と定義している26)。規範との適
24) Jean Molino, «Pour une théorie sémiologique du style», Georges Molinié et Pierre
Cahné(dir.), Qu’est-ce que le style ?, Paris, PUF, 1994, p.233-234. リシュレによる «style»
の定義は以下の通り。«C’est la manière dont chacun s’exprime. C’est pourquoi il y a
autant de styles que de personnes qui écrivent. Néanmoins comme ces diverses
manières de s’exprimer se réduisent à trois sortes de manières, l’une simple, l’autre un
plus élevée, et la troisième grande et sublime, il y a aussi par rapport à ces manières
trois sortes de styles, le simple, le médiocre, le sublime.»(Richelet, Dictionnaire
français, 1693)
25) «C’est une chose admirable que chaque homme en toutes choses a des manières qui
lui sont particulières, dans son port, dans ses gestes, dans son marcher. C’est un effet
de sa liberté, de ce qu’il fait ce qu’il veut, et qu’il n’est pas déterminé comme les
animaux, à qui on voit faire également une même chose, parce que c’est une même
nature qui les fait agir. On voit donc que chaque auteur doit avoir dans ses paroles ou
dans ses écrits, un caractère qui lui propre, et qui le distingue.»(Bernard Lamy, La
Rhétorique ou l’Art de parler, 4e éd., 1701, p.246 ; cité par Molino, art.cit., p. 233-234)
26) Gilles Declercq, «Usage et Bel Usage : l’éloge de la langue dans les Entretiens d’Ariste
et d’Eugène du père Bouhours», Littératures classiques, n˚28, automne 1996, «Le style au
XVIIe siècle», p.122. Cf. «L’usage, qui est le maître absolu des mots, ne l’est pas moins
de l’union des mots. Il les forme comme il veut et les attache sans raisonner à des sens
et à des idées ; mais après cela, c’est la Raison qui les unit les uns avec les autres, selon
qu’il est nécessaire, pour en faire des images et des expressions de ses conceptions et
de ses raisonnements. C’est pour cela qu’avec le même usage et les mêmes mots on
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『プロヴァンシアル』とジャンセニスト文体 望月ゆか
合にすぐれているのが良い文体、そうでないのが悪い文体となる。
アルノーの『イエズス会神父たちへの建言』中の一章「第六の証拠 ポール・ロワヤルの文体とはまったく異なる、本『声明』の滑稽な文体
VI. PREUVE Du style ridicule de ce Manifeste, entièrement différent de
celui de P.R.」では、神父たちの文章が慣用の規範に則っていない点が、
ガリマティア、古語やラテン語的表現などの不純正語法 barbarisme、新
語 néologisme などの具体例によって批判されている。しかし一方でイエ
ズス会士たちの文体が、
「戦う教会」であるイエズス会の精神の発露たる「イ
エズス会的文体」として、近代的文体観に近い位置づけがなされているよ
うに思われる箇所もある。
さ らに神父様方、「声明 Manifeste」という語からは、あなた方ご
自 身が『イエズス会の第一世紀の姿』(第一巻)でおっしゃって
いるような、「頭に兜をかぶって生まれてきた」かくも多くの戦
士を擁するまことに好戦的な貴会の尚武の精神 l’esprit martial de
votre Compagnie toute guerrière et remplie de tant de valeureux
champions があまりにも強く感じ取れる以上、この本[『声明』]がイ
エズス会士の武装した頭から出てきたにちがいないということが周知
されないでいるはずはないのです、この事実に神父様方がお気づきに
ならなかったなどということがあり得ましょうか27)。
しかし後述部分から明らかなように、アルノーの意図は、イエズス会著作
家たちの論争文書がエトスの点で規範に適合していないことを示す点に
voit tant de styles différents, c’est-à-dire tant de manières différentes d’unir et de
disposer les mots, parce qu’en effet cela dépend de la Raison qui agit différemment dans
chaque homme particulier.»(Bouhours, Doutes sur la langue française, proposés à
Messieurs de l’Académie française par un gentilhomme de province, 1674, p. 353, cité par
Declercq, p. 122)
27)Arnauld, op.cit., p.15.
168(133)
武蔵大学人文学会雑誌 第 40 巻第 1 号
ある。アルノーの『イエズス会士たちの道徳神学』Théologie morale des
Jésuites(1643)に対するピエール・ルモワーヌ神父からの反駁の書名には、
やはり「声明」の語が用いられているが28)、その「序」の中で神父は自
身を「高名なる騎士 illustre paladin」、「御仕着せを着て武器を手に陣営に
駆けつける[騎馬試合の]騎士 un Tenant qui vient sur les rangs avec ses
armes et ses livrées」に譬えている29)。アルノーは、これらの表現が伝え
る著者像(エトス)が、神学者よりむしろ二流の小説家や劇作家にふさわ
しいと皮肉るのである30)。これは、イエズス会著作家たちがポール・ロ
ワヤルに投げ掛ける罵倒や破廉恥な言葉は、修道士がもつべき慎みや恥じ
らいに反するという批判と同質である31)。このように、アルノーがイエ
ズス会士たちの「文体」をイエズス会の精神の発露とは別物とみなしてい
ることは、以下の列挙からも明らかである。
と いうのは、あなたがたが変装しようといかに気を配っても、この
書 の 中 に は あ な た が た の 精 神 独 特 の 特 徴 caractère particulier de
votre esprit、あなたがたの情念、あなたがたの敵意、あなた方の文
体 votre style、あなたがたの虚栄、あなたがたの中傷、あなたがた
の虚偽、あなたがたの無知、こういったものの痕跡があまりにも多く
残されているので[・・・]32)。
28)Pierre Le Moyne, S.J., Manifeste apologétique pour la doctrine des religieux de la
Compagnie de Jésus, contre une prétendue théologie morale, et autre libelle diffamatoire
publiés par leurs ennemis, par le P. Pierre Lemoine, Paris, 1644.
29)Arnauld, op.cit., p.15.
30)«Mais les défenseurs de la grâce de Jésus-Christ, qui ne se piquent pas d’humeur
cavalière et martiale, et qui affectent plus d’écrire en théologiens qu’en faiseurs de
romans et de pièces de théâtre, laissent aux Princes et aux Grands du monde leurs
Manifestes, et se contentent des mots plus simples et plus ordinaires de défenses,
d’éclaircissements et d’Apololgie.»(Ibid.)
31)Ibid., p. 20-21.
32)Ibid., p. 13.
167(134)
『プロヴァンシアル』とジャンセニスト文体 望月ゆか
ヴァヴァサール神父によるジャンセニスト的文体
ヴァヴァサールはフュマロリが『雄弁の時代』で論じたように、バ
ロックが主流の当時のイエズス会の中ではごく少数派の古典主義の先駆
けであった33)。アルノーによるイエズス会士文体批判に首肯かざるを得
ない部分もあり、複雑な心境だったに違いない。ところが同士たちの汚
名を雪ぐ絶好の機会が間もなく訪れる。背景は、『第十一の手紙』でも
暗に言及されている論争──アイルランド出身のアウグスティヌス主義
者カラガン Jean Calaghan がブロワで行った説教とブリザシエ神父 Jean
Brisacier, S.J. によるポール・ロワヤル中傷をめぐる論争──である。アル
ノーはブリザシエ神父の弾劾文書『追い詰められたジャンセニスム』Le
jansénisme confondu(1651)に対し『無実と真理の擁護』L’Innocence et
la vérité défendues を 1652 年に著すが、この中で匿名のラテン語中傷文書
『カラガン、あるいはサテュロス神』Calaghanus an Satyrus について言及
した。その過激な風刺がブリザシエの著書と類似しており、中傷的精神に
満ちたイエズス会的文体の好例であると批判する。その際、例証としてか
なり長い節をいくつか仏訳とともに引用した34)。アルノーは文中で著者
名どころか作品名も述べていないのだが、当時ブロワのイエズス会コレー
ジュで修辞学教師をしており、ネオ・ラテン詩人として名が知られていた
ヴァヴァサール神父に白羽の矢が立ったようである。彼は二年前に反ペト
ルス・アウレリウス[サン・シランの別名]、反ジャンセニウスの風刺書
を著していた35)。濡れ衣を着せられたと立腹したヴァヴァサールは、文
体の違いから自ずと身の潔白が晴れることを期待しつつ、同じくラテン語
33)註 12 参照。
34)Arnauld, L’Innocence et la vérité défendues, contre les calomnies et les faussetés que les
Jésuites ont employées en divers libelles, pour déchirer les vivants et les morts, et décrier
la doctrine sainte de la pénitence et de la grâce; Et que le P. Brisacier a recueillies, y en
ajoutant beaucoup de nouvelles dans son livre, censuré par Monsieur l’archevêque de
Paris, intitulé : Le jansénisme confondu, etc., 1652, OC t.XXIX, p. 65-80.
35)Ibid., Préface historique et critique, p. iii. 註 12 も参照。
166(135)
武蔵大学人文学会雑誌 第 40 巻第 1 号
で翌 1653 年に『著者の同定が[誤って]なされた誹謗文書についての論
考』を発表した36)。前半で問題のラテン語著作『カラガン、あるいはサテュ
ロス神』について苦言を呈した後、ジャンセニストたちが出版する匿名の
著書を正しく同定できるようにと、彼らの三つの文体的欠点を指摘する。
ヴァヴァサールの言うジャンセニスト著作家の「文体」はアルノーの場合
と同様、古典修辞学の文脈で理解せねばならない。古典修辞学においては、
教育上の必要から個々の著作家たちの文体的特徴を定義し分類するのが常
であった。しかしそこから現れる著者の「個人的」特徴は個人の心理の表
出ではなく、ジャンルに見合って演じられるイメージ(エトス)の特徴で
ある37)。アルノーもヴァヴァサールも著者の同定という共通の主題をめ
ぐり、文体的分類の精神にしたがって敵の文体を定義しようとしたのだ。
さて、ヴァヴァサールによれば、ポール・ロワヤルの著作家たちの第一
の欠点はペリオッド文体にある。世間ではそのバルザック風の美しいリズ
ムを賞賛する声が高いが、その用い方には問題が三つある。第一に、均衡
のとれた四部構成のペリオッド période carrée は神学論争にはふさわし
くない。論争というジャンルには無駄のない短文体が、またもっとも深遠
な神学的神秘を論ずるには装飾を排した、しかし磨きのかかった単純文体
が要求される。華やかなペリオッド文体は、聴衆の喝采を求める司法演説
や賞賛演説に任せておけばよいのだ。神学者アルノーの文体は、雄弁な弁
護士を輩出してきた家系に毒されている38)。
ジャンセニストのペリオッド文体の第二・第三の欠点はその濫用と一文
の途方もない長さである。後者はなぜポール・ロワヤルが才女気取りの女
性読者の間で流行しているのか、その秘密を明らかにしてくれるだろう。
36)François Vavasseur, Dissertatio de libello supposititio. Ad Antonium Arnaldum,
doctorem et socium Sorbonicum, Paris, 1653, dans les Opera, Amsterdam, 1709, p. 412b.
37)Molino, art.cit., p. 232.
38)アントワーヌ・アルノーの家系は、祖父シモン・マリオン Simon Marion、息子と同名の
父 Antoine Arnauld、甥のアントワーヌ・ルメートル Antoine Le Maistre という三人の
高名な弁護士を輩出した。ルメートルは 1637 年に辞職し、ポール・ロワヤルの隠士となる。
165(136)
『プロヴァンシアル』とジャンセニスト文体 望月ゆか
つまり彼女たちは、長く入り組んだ構文がふんだんに出てくるジャンセニ
ストの著作を十分に理解できないまま、あるいはだからこそ、それに魅せ
られるのである。ここでヴァヴァサールは暗にヴォジュラに援軍を求めて
いる。『フランス語についての覚書』では長すぎるペリオッド文体が明晰
な構文 netteté の障害とみなされ、悪文家にしばしば見られる欠点として
断罪されているからである39)。ただし神父は、アルノーの文章──どん
なに長いものでも──に通常みられる傑出した明晰さについては故意に口
をつぐんでいる。また復讐心だけから書かれたようなガリマティア批判も
説得力に欠ける。ガリマティアをナンセンスな表現ではなく「何の脈絡も
なく軽率に引いてきた語」と我流の解釈をし、ペリオッドに二拍子のリズ
ムを与えるためにしばしば用いられる同義語の反復をガリマティアと断じ
ているが、これはどう見ても強引である。それに対し、ポール・ロワヤル
のペリオッドの長さを皮肉る段は見事である。
'
si quis mihi tradet in manus librum hominum ejusmodi μαχροχωλων
quem ignorem esse horum, de cujus argumento nihildum mihi
constet, non paginas evolverim, non legerim, ne verbum quidem,
aut syllabam, divinaturum me tamen primo aspectu, sit, necne
Regioportuensium. Qui tandem istuc? Aperio librum. inspicio
procul. en interpuncta maxima duo : hic primum, alterum ibi.
inter haec plurimum verborum, et tantum, quantum non usquam
in aliorum libris, decurrit, et clauditur.
Nihil opus pluribus.
Regioportuensium est. hoc solent : hoc amant : scribit extra istos
hoc modo nemo40).
39)Vaugelas, Remarques sur la langue française : Fac-similé de l’édition originale, éd. J.
Streicher, Paris, Droz, 1934, p. 592.
40)Vavasseur, op.cit., p.410a.
164(137)
武蔵大学人文学会雑誌 第 40 巻第 1 号
もしも誰かが私の手にこれらの紳士方の書いた長い文節だらけの本を
置くなら、著者がわからなくても、何の議論をしているのか見なくて
も、頁を繰ることなく、単語も音節も読むことなく、私は一瞥でそれ
がポール・ロワヤルのものかどうか見抜くだろう。しかしいったいど
うやって?私は本を開く。それを遠くから眺める。二つの点がある、
一つはここに、もう一つはあちらに。その二つの間には、他所の本で
はついぞお目にかかったこともないほどの数の単語が並んでいる。そ
して私は本を閉じる。これで十分。ポール・ロワヤルのものだ。これ
が彼らの流儀、彼らの趣味、この輩以外にこんな書き方をする者はい
ない。
ジャンセニスト著作家たちの第二の欠点は真の雄弁の欠如である。第一
の欠点と異なり、相当の修辞学的教養がないとなかなか目に留まりにくい。
伝統的修辞学は発想、配置(構成)、表現の三部門からなるが、ジャンセ
ニストの著作はその初めの二部門に関して非常に貧弱である。夥しい出版
物を出しているにも関わらず、そこでの見解や議論がいつも同じなのであ
る。結局、ポール・ロワヤルの雄弁で評価すべきは表現のみということに
なる。ところが修辞学のこの最後の分野でも問題がないわけではない。と
いうのも彼らのフランス語は美しいが、文彩に乏しいからである。「警句
はどこにあるのか、格言はどこにあるのか。卓越した比喩はどこにあるの
か。思考と言葉の綾はどこにあるのか41)。」仮に彼らがいくつかの文彩を
用いることができたとしても、それは過度の使用により台無しにされる。
ヴァヴァサールは誇張も交えて次のような皮肉を述べる。「こういうわけ
で冒頭から頭語反復 anaphore と呼ばれる、多くの語の反復にお目にかか
るだろう。一回一回の部分がとても長い上に二〇回も繰返されるのであ
る42)。」従って、ジャンセニストたちの文学的功績はフランス語の正確さ
41)Ibid., p.410b.
42)Ibid. アルノーの『無実と真理の擁護』(1652)における各頭語反復の繰返しは三〜九回、
163(138)
『プロヴァンシアル』とジャンセニスト文体 望月ゆか
correction と優雅さ、つまり修辞学より格下の文法の領域に限定される。
それは、「他の長所はないが磨かれた文体」あるいは「文法の法則に従っ
た純粋で正確な文体」という「取るに足りないちっぽけな美徳」にすぎな
い43)。
ジャンセニストたちの文体の第三の欠点は誇張的かつ断定的な語りぶり
である。身に覚えのない中傷文書の著者にされてしまったヴァヴァサール
は私怨を込めて、論敵の性急で乱暴な判断を断罪する。この革新者たちに
とってキケロ風の謙遜は時代遅れなのだろう。
「多分」、
「〜と思われる」、
「〜
と思います」などの緩和表現を用いる代わりに、彼らはイエズス会士たち
について、虚偽の事柄をこれ以上ないほどの確信をもって言い立てる。最
上級と激しい中傷語は彼らの十八番だ。ヴァヴァサールはここでフランス
語を交え、ペリオッドの長さの段に勝るとも劣らぬ皮肉を披露する。ちな
みにヴァヴァサールの批判中もっとも雄弁な、ペリオッドと誇張法に関す
るこの二点は、1671 年公刊のブウール神父による古典主義文芸批評の傑
作『アリストとウジェーヌの対話』Entretiens d’Ariste et d’Eugène 第二
章の中のポール・ロワヤル文体批判のモデルともなる。
Si quid scilicet Jansenianorum adversarii asserunt ; asserunt par
la plus étrange témérité, ou par la plus grossière ignorance, qui
fut jamais. Si quid negant; negant par la plus grande, et la plus
punissable de toutes les hardiesses. Si quid objiciunt, aut refellunt ;
faciunt par la plus sanglante de toutes les invectives. Ac ne capita
quidem rerum, inscriptionesque, et narrationes, quibus nihil esse
simplicius debet, carent emblemate ejusmodi vermiculato, et
similibus tesserulis lepide compositis, par la plus insigne de toutes
les fourberies : par la plus lâche prévarication qui fut jamais : par
『聖なる教父たちの弁護』(1651)では十一回に及ぶ例も見られる。
43)Ibid., p. 411a.
162(139)
武蔵大学人文学会雑誌 第 40 巻第 1 号
une audace qui n’eut jamais de pareille : par une ignorance grossière
et stupide : par une hardiesse insupportable : par une insolence
punissable44).
も し彼らの論敵が何かを肯定すると、彼らは、ジャンセニストによ
れば、「かつてなかった途方もない軽率さ、あるいはかつてなかっ
た野卑な無知によって par la plus étrange témérité, ou par la plus
grossière ignorance, qui fut jamais」肯定したことになる。何かを否
定すると、彼らは「あらゆるうちでもっとも重大でもっとも罰に値
する大胆不敵さで par la plus grande, et la plus punissable de toutes
les hardiesses」否定したことになる。何かに反対したり論駁したり
すると、彼らは「あらゆるうちでもっとも情け容赦ない罵倒によっ
て par la plus sanglante de toutes les invectives」そうしたことにな
る。そして、これ以上単純な書きようがないような章題や書名、事
実の記述においてさえ、次のようなモザイク装飾や優雅に並べられ
た小粒の宝石が欠けることはないのだ──「あらゆるうちで最も見
事なぺてんによって par la plus insigne de toutes les fourberies、かつ
てなかったような卑怯な背信によって par la plus lâche prévarication
qui fut jamais、かつて例のない大胆さによって par une audace qui
n’eut jamais de pareille、野卑で愚かな無知によって par une ignorance
grossière et stupide、耐え難い大胆不敵さによって par une hardiesse
insupportable、 罰 に 値 す べ き 厚 顔 に よ っ て par une insolence
punissable」──。
単独で用いられてもきつい名詞と付加形容詞の組合せ(「罰に値すべ
き厚顔によって par une insolence punissable」)、同様の名詞と最上級
の付加形容詞との組合せ(「あらゆるうちで最も見事なぺてんによって
44)Ibid., p. 411b.
161(140)
『プロヴァンシアル』とジャンセニスト文体 望月ゆか
par la plus insigne de toutes les fourberies」、さらに最上級の付加形容
詞の反復との組合せ(「あらゆるうちでもっとも重大でもっとも罰に値
する大胆不敵さで par la plus grande, et la plus punissable de toutes les
hardiesses」)──この中のたった一語を使っても優雅なオネットムたち
からは眉をひそめられるほどの、過激な誇張法である45)。これらは当時
の論争文書ではイエズス会士などもよく用いているものだが、こうしてと
くに最上級表現が列挙されると圧巻である。これらが全て実際のポール・
ロワヤルの著作からの忠実な引用とは考え難いが、しかし、ラテン語パン
フレの著者同定で神父をかくも苛立たせたアルノーの『無実と真理の擁護』
(1652)には、似たような表現がしばしば見られる46)。最後にヴァヴァサー
ルは、誰かを誤って或る本の著者に仕立て上げて中傷する罪がいかに重い
か、アルノーは二人の甥、法曹のアントワーヌ・ルメートルと神学者のル
メートル・ド・サシに『論考』を一読させた上、この点について問うてみ
よ、と述べて論考を締め括る。
2.言説的暴力
『第一プロヴァンシアル』のレトリックは秀逸である。たとえば冒頭に
は大胆な短文体が、結末には“プロシャン prochain”に関する「近接的」
と「隣人」の意をかけた気の利いた警句が置かれている。とくに後者につ
いては、イエズス会士もその出来栄えを認めないわけにはいかなかった。
『プロヴァンシアル』公刊の約四〇年後、ポール・ロワヤルの文体神話が
45) Cf. Pascal, IIIe Prov.(9 février 1656), éd. L. Cognet et G. Ferreyrolles, Paris, Bordas,
1992, p.44 ; Arnauld, Renversement de la Morale de Jésus-Christ par les Calvinistes
(1672), liv.I, ch.10, OC t.XIII, p. 77 ; Id., Nouvelle défense du Nouveau Testament de
Mons(1680),OC t.VII, p. 845.
46)«la plus grande ignorance et la plus insigne témérité qui fut jamais»(Arnauld, L’In­
nocence et la vérité défendues, OC t.XXIX, p. 34. Voir aussi p. 22-23, 73, 125, 136, 151,
280, 309, 377-378.
160(141)
武蔵大学人文学会雑誌 第 40 巻第 1 号
不動のものではなくなった時代に、ダニエル神父 Gabriel Daniel は『ク
レアンドルとウドックスとの対話』Entretiens de Cléandre et d’Eudoxe
(1694)で、パスカルのフランス語散文のさまざまな欠点を事細かく指摘
する。しかし『第一プロヴァンシアル』の結末については、あまりの出来
栄えにさすがのダニエル神父も真正面から批判ができなかった。「“プロ
シャン”という語についてのこの警句は、何というか気が利いていて見事
ですね。するとウドックスは答えて言った。私は、これとかなり似たいく
つかの警句が駄洒落と呼ばれるのを見たことがありますが47)。」
ポール・ロワヤルの神学書は、堅固な議論に美しい教父文学の引用がち
りばめられているのが特徴である。その引用の中には変化のあるペリオッ
ド文体も警句も格言も登場するが、しかし著者の地の文で読者の目を引く
のはやはり流麗なペリオッド文体である。『第一の手紙』冒頭のアンチ・
ピリオッドともいうべき短文も、結末の警句も、ポール・ロワヤルの著作
家たちの文章のイメージとはかなりかけ離れている。モンタルトにこのよ
うな文体で語らせることには、彼の中立性を強調する効果がある。危機に
あるアルノーとアウグスティヌスの教説を救うために、まったく新しい種
類の著作の構想を練っていたパスカルは、ヴァヴァサールの著作から主人
公の人物設定のためのヒントを得たとは考えられないだろうか。たとえ、
非アウグスティヌス神学者(敵から見ればジャンセニスト)に、最終的に
オネットムという斬新な肉付けをしたのは、天才パスカルのなせる業だっ
たとしても48)。いずれにせよ、パスカルがラテン語論考を参照したか否
かに関わらず、『第一の手紙』を読んだヴァヴァサール神父が「してやら
47)Gabriel Daniel, S.J., Entretiens de Cléandre et d’Eudoxe, sur les Lettres au provincial,
Cologne, chez Pierre Marteau, 1694, p. 213-214. 『プロヴァンシアル』の他の文彩につい
ては Topliss の著書を参照のこと(Patricia Topliss, The Rhetoric of Pascal : A Study of
His Art of Persuasion in the Provinciales and the Pensées, Leicester University Press,
1966, p. 51-52)。
48)従来のポール・ロワヤルの神学書の中で最も「軟派な」スタイルで執筆されたブルゼイ
スの『二人のモリニスト神学者の対談』においてさえ、主人公はモリニスムからアウグ
スティヌス主義に回心した神学者であった。
159(142)
『プロヴァンシアル』とジャンセニスト文体 望月ゆか
れたり」と思ったことは間違いない。
神父の著作との影響関係を仮定して『プロヴァンシアル』を読み直して
みると、誇張法という別の観点からも二つの著書が重なって見えてくる。
トップリスは『パスカルのレトリック』で、『プロヴァンシアル』におけ
る誇張法の多用を指摘しているが49)、それはフランス語の引用によって
読者に強い印象を残したヴァヴァサールの文体批判の第三点と関連しては
いないだろうか。この点については少し回り道のようであるが、アルノー
の言説的暴力の理論形成から見ていく必要がある。まず、論争レトリック
をめぐる当時のポール・ロワヤルにおける内部対立のエピソードとヴァ
ヴァサールの著作が微妙に絡んでいることを示し、次に『プロヴァンシア
ル』との影響関係を考察してみよう。
アルノーによる言説的暴力の擁護
ヴァヴァサールが第三点で批判した言説的暴力と同様の表現がアルノー
の著書に実際に見出されることは、先に確認した。ただアルノーは論敵
に対しこのような弾劾表現を常に用いてきたわけではない。論争家とし
て登場したての頃は、『ジャンセニウスの第一の弁護』(1644)で述べて
いるように、穏やかな言い回しを自らに課していた50)。暴力的な言説を
好まない教養あるオネットム読者の嗜好を考慮してのことである51)。当
初の原則からの軌道修正が始まったのは、ソルボンヌで五命題審議が
始まった 1649 年以降のことである。『コルネ氏の企てについての考察』
Considérations sur l’entreprise de M. Cornet
(1649)
でアルノーは初めて
「虚
言 mensonge」といった少し強めの語彙を用いはじめる52)。しかしイエズ
ス会の良心例学の格率については、後にしばしば見られるような「破廉恥
49)Topliss, op. cit. p. 109-110, 112-117. 50)Arnauld, Première Apologie pour M. Jansénius, 1644, liv. III, ch.1, OC t. XIX, p. 230-231.
51)Id., Apologie pour feu Monsieur l’abbé de St-Cyran, s.l.n.d., IIe partie, p. 115.
52)Id., Considérations sur l’entreprise de M.Cornet, s.l., 1649, OC XIX, p. 3.
158(143)
武蔵大学人文学会雑誌 第 40 巻第 1 号
な scandaleuses」や「有害な pernicieuses」などの激しい形容語は用いら
れず、「悪い mauvaises」という穏やかな表現にとどまっており、全体の
トーンはまだ弱い53)。語調がずっと強まるのは、1650 年刊行の『聖なる
教父たちの弁護』Apologie pour les Saints Pères においてである。序論で
は、ジャンセニウス断罪の企てが「野卑な欺瞞 impostures grossières」、
「い
やしくもカトリック神学者の頭に浮かび得るものとしてはもっとも外道で
もっとも侮辱的な試み l’entreprise la plus irrégulière et la plus injurieuse
qui pût entrer dans l’esprit de quelques théologiens catholiques」 と 表
現されているし、また本文でもかなり過激で辛辣な皮肉が散見される54)。
アルノーが態度を硬化させた原因としては、ポール・ロワヤルに対する中
傷が激しさを増し、修道女にまでその誹謗が及んできたこと、アウグス
ティヌス主義の衣をまとったモリニスムをソルボンヌ神学部で講義するア
ルフォンス・ルモワーヌ Alphonse Le Moyne とその一派の登場が挙げら
れる。また『聖なる教父たちの弁護』に付された「出版允許についての意
見書」が示すように、当時の著書検閲がアウグスティヌス主義陣営に対し
非常に不利になり、允許の取得が困難になってきたという状況も無関係で
はない55)。
アルノーは自身の論争的文体の変化がポール・ロワヤル内部で異論を呼
ぶことを予測していたのであろう。『聖なる教父たちの弁護』の序論を、
カトリックの神学者同士の論争を正当化するアウグスティヌスの理論で締
53)Ibid., p. 11.
54)Id., Apologie pour les Saints de l’Eglise, défenseurs de la grâce de J-C ; contre les erreurs
qui leur sont imposées dans la Traduction du Traité de la Vocation des Gentils, attribué
à S. Prosper, et dans les Réflexions du Traducteur ; dans le livre de M. Morel, docteur
de Sorbonne, intitulé : Les véritables sentiments de S. Augustin et de l’ Eglise, et dans
les Ecrits de M. Le Moyne, docteur de Sorbonne, et professeur en théologie, dictés en
1647 et 1650, 1650, OC, t.XVIII, p. 4, p.6, p.457-458, etc.
55)野呂康「雇われ検閲人は金を受け取ることができるか──フランス近世出版統制とジャ
ンセニスム」、成城大学フランス語フランス文化研究会編『AZUR』、第8号、2007 年、p.
53-72.
157(144)
『プロヴァンシアル』とジャンセニスト文体 望月ゆか
め括った。この種の論争には利点が二つある。第一に、論争は聖なる事柄
に無関心な人々の好奇心をかき立てる、ということ。第二に、論争になれ
ば神の下僕たる神学者たちは恭しい沈黙を破って神の真理を公に論じるよ
うにと促され、結果的に人々が真理をより一層知り、より一層愛するよう
になる、ということである。それでもやはりバルコスから批判が出た。論
争よりも沈黙と隠遁を好み、同じ 1650 年にサン・シランの僧院に引きこ
もった彼が、執筆の済んだばかりの『聖なる教父たちの弁護』の原稿を読
んで「軽蔑とともにベッドに投げ捨てた」という噂が立ったのである56)。
しかしアルノーは信念を曲げずに 1652 年、同様の文体で『真理と無実の
擁護』を執筆する。ヴァヴァサールが第三点の批判中にフランス語引用で
参照したと思われる著書である。イエズス会神父の批判点は、ポール・ロ
ワヤル内の非常にアクチュアルな問題と奇しくも重なったのである。問題
意識はそれぞれ、キケロ修辞学とキリスト教的霊性・修辞学と、全く異な
るものではあったが。
さてアルノーが攻撃的言辞 termes durs についての理論を開陳する機
会が 1654 年に訪れる。1653 年に五命題を断罪する教皇勅書が発布される
と、イエズス会は「ジャンセニストたちの潰走と狼狽」と題する風刺的
な版画暦を発表した。それに対し 1654 年 1 月、サシが風刺詩──『「ジャ
ンセニストたちの潰走と狼狽」と題して 1653 年に刊行されたイエズス会
神父たちの有名な版画暦の彩色挿絵』Enluminures du fameux Almanach
des PP. Jésuites, en estampe, qui parut en 1653 de la part des jésuites,
intitulé : La Déroute et la confusion des jansénistes(1654 年 1 月)──で
応酬する。ポール・ロワヤル内部では、バルコス、サングラン、アンジェ
リック修道院長などが、たとえ相手からひどい中傷・暴言を受けたとし
56)Lettre de Barcos à M...(probablement à Singlin) du 20 septembre 1650,
Correspondance de Martin de Barcos, abbé de Saint-Cyran, avec les abbesses de PortRoyal et les principaux personnages du groupe janséniste, éd. L. Goldmann, Paris, PUF,
1956, p. 119-120.
156(145)
武蔵大学人文学会雑誌 第 40 巻第 1 号
ても、同じカトリック教会に属する彼らに嘲笑で応じるのは、福音の柔
和さや慈愛に反するとして、サシの作品を非難した。サシ側に立つアル
ノーは、気難しい同士たちを説得しようと、1654 年 3 月付けで『攻撃や
中傷から真理と無実を擁護するための著作を執筆する際に聖なる教父た
ちがとった振舞いの規則に関してある貴族から寄せられた手紙への返信』
Réponse à la Lettre d'une personne de condition touchant les règles de la
conduite des Saints Pères dans la composition de leurs ouvrages pour la
défense des vérités combattues ou de l'innocence calomniée を著した。
『返信』はカトリック間の論争のレトリックを主題とし、冒頭では『聖
なる教父たちの弁護』の序論の最後で紹介されていたアウグスティヌスの
理論が繰返された。本論は大別すると二部に分かれる。前半は嘲笑に関す
るもので、後にパスカルの『第十一の手紙』の重要な源泉となる。後半は、
ある貴族から寄せられた第三の問い──「教父たちによれば、異端に対す
るのと同じ激しさでカトリックを扱うことは許されるか」──に答える形
で、論敵への攻撃的言説の問題を扱っている57)。アルノーによれば、盲
目から真理を攻撃するカトリックの著作家には福音的柔和さをもって対応
しなければならないが、それは「儀礼的・人間的軟弱さ molesse civile et
humaine」から「真理が望むのに従って物事を表現しようとしない繊細さ」
とは関係ない。「誤りであることは誤りと呼び、無知であることは無知と
呼び、虚偽であることは虚偽と呼び、瀆神であることは瀆神と呼び、冒瀆
であることは冒瀆と呼び、狂気であることは狂気と呼ぶ」ことこそ愛にか
なう対応である58)。一方、無知からではなく意図的な策を弄して真理を
57)アルノーにおける言説的暴力については既にデコット教授の業績があり、『返信』におけ
る言説理論も分析の対象となっているが、本論の以下で論じる具体的な攻撃的形容語や
ヴァヴァサールとの関連については扱われていない。Dominique Descotes, «Force et
violence dans le discours chez Antoine Arnauld», in Antoine Arnauld, philosophie du
langage et de la connaissance, Paris, Vrin, 1995, p. 33-64 ; «De la XIe Provinciale aux
Pensées», in Treize études sur Blaise Pascal, 2004, p. 75-83.
58)«Et néanmoins afin qu’on ne croie pas que cette douceur, dont on doit traiter, selon les
Pères, ceux qui errent par simplicité, oblige à cette délicatesse de ne pas exprimer les
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『プロヴァンシアル』とジャンセニスト文体 望月ゆか
攻撃するカトリックの論者に対しては、異端に対する以上の激しさで論駁
し、彼らを誤りから立ち返らせる必要がある。いずれも相手に「救いに至
る苦痛 douleur salutaire」を与える手段である。これを愛と柔和さに反す
ると非難する者たちは真理を本当に愛する者ではない、とアルノーはバル
コスを意識した苦言を呈する59)。議論の中では、キリストや使徒たち、
教父たちの弾劾表現が数多く引用されているが、奇妙なことに最上級表現
は含まれていない。つい一年前にヴァヴァサールから面白おかしく皮肉ら
れたのと同様の表現を引いてくるのはさすがに憚られたのであろう。こん
な所にもイエズス会神父の論考が顔を出している。
『プロヴァンシアル』論争におけるパスカルの誇張法
パスカルはアルノーの暴力的言辞理論のもっとも忠実な支持者となり、
イエズス会士たちに宛てられた後半の『プロヴァンシアル』では、有名な
ラテン語の殺し文句「厚顔破廉恥な嘘つき Mentiris impudentissime」の
他、過激な名詞と付加形容詞の組合せ(「耐え難い軽率さ une témérité
insupportable」、過激な形容詞のペアの三連呼(「恥ずべきかつ有害な
・・・ honteuse et pernicieuse;破廉恥でとてつもない・・・ scandaleuse et
démeusurée;執拗で乱暴な・・・ opiniâtre et violente」)などが用いられ
る60)。さらに、読者層がより限定された『パリの司祭たちの第一・第二
choses selon que la vérité le désire ; de ne pas appeler erreur ce qui est erreur,
ignorance ce qui est ignorance, fausseté ce qui est fausseté, impiété ce qui est impiété,
blasphème ce qui est blasphème, et folie ce qui est folie, ce Père[Aug.]si charitable
ne croit pas s’être éloigné du dessein qu’il avait pris de traiter cet écrivain[Vincent
Victor, donatiste]avec toute la douceur possible, appelant ses opinions fausses et
absurdes ; une peste contagieuse ; des pensées corrompues et empoisonnées ; une opinion
nouvelle pire que celle de Pélage ; un horrible blasphème, et une erreur d’une impiété
exécrable.»(Arnauld, Réponse à la Lettre d’une personne de condition, OC t. XXVII, p.
29)
59)Ibid. p. 35, 46.
60)XVe Prov., p.293, 295 ; XIe Prov., p. 211 ; ibid., p. 203.
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武蔵大学人文学会雑誌 第 40 巻第 1 号
の弁駁書』ではイエズス会の良心例学の格率を断罪する語調はさらに強
まり、「化け物のような monstrueuse」、「ぞっとするような abominable」、
「忌むべき détestable」といった主観色の非常に強い語彙61)や、激しい最
上級がしばしば反復を伴って──「この世でもっとも有害でその結果が
もっとも恐るべきこと la chose du monde la plus percinieuse, et dont les
conséquences sont les plus terribles」──繰返し現れる62)。パスカルの
関与が部分的にとどまる『第五・第六・第七の弁駁書』では調子が少し和
らぐが、それでもニコルあるいは匿名の執筆者の手による『第三・第四の
弁駁書』よりもずっと激しい63)。これらの過激な言辞の使用は明らかに、
アルノーの『ある貴族の手紙への返信』後半部に対する援護射撃である。
ここにヴァヴァサールへの暗黙の抗議を読み取るのは無理があるだろう。
しかし前半の『プロヴァンシアル』について、ヴァヴァサールの影響を
仮定することは不可能ではない。まず、『第一・第三プロヴァンシアル』
における «si» や «tant», «bien» などの強意の副詞が誇張的な名詞や付加形
容詞とともに列挙され、誇張法的効果を生んでいる部分が挙げられる。以
下は『第一プロヴァンシアル』の冒頭である。
Nous étions bien abusés.
Je ne suis détrompé que d’hier.
Jusque-là j’ai pensé que le sujet des disputes de Sorbonne était
bien important, et d’une extrême conséquence pour la religion.
Tant d’assemblées d’une compagnie aussi célèbre qu’est la
Faculté de théologie de Paris, et où il s’est passé tant de choses si
extraordinaires et si hors d’exemple, en font concevoir une si haute
idée, qu’on ne peut croire qu’il n’y en ait un sujet bien extraordinaire.
Cependant vous serez bien surpris quand vous apprendrez, par
61)Ier Écrit des Curés de Paris[Factum], Les Provinciales, éd. citée, p. 408 ; p. 411 ; Ve
Écrit, p. 432.
62)Ier Écrit, p.412. Voir aussi ibid., p,412, 417 ; IIe Écrit, p. 418, 419.
63)Pascal, Œuvres complètes, éd. M. Le Guern, t.I, Paris, Gallimard, 1998, p. 1298-1299.
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『プロヴァンシアル』とジャンセニスト文体 望月ゆか
ce récit, à quoi se termine un si grand éclat ; et c’est ce que je vous
dirai en peu de mots, après m’en être parfaitement instruit64).
私たちは騙されていたのです。昨日ようやく目が覚めました。それ
まで私は、ソルボンヌでの議論の主題は実に重要で、キリスト教にとっ
てこの上ない影響をもつものだと考えていました。パリ大学神学部と
いうかくも有名な団体があれほど多くの会合を開けば、おまけにそこ
ではかくも異常な、かくも例を見ない事柄があれほどたくさん起こっ
たのですから、私たちはそれらの会合についてかくも高邁な考えを抱
き、そこでは実に異常な事柄が話題になっていると思うより他ありま
せん。
しかし、かくなる大騒ぎの結末をこの報告によってお知りになれば、
あなたもさぞ驚かれることでしょう。それをこれから、この件につい
てすっかり調べ上げた私が手短にお伝えしようというわけです。
「実に重要な bien important」、「かくも有名な団体のあれほど多くの会合
tant d’assemblées d’une compagnie aussi célèbre」、「かくも異常な、か
くも例を見ない事柄があれほどたくさん tant de choses si extraordinaires
et si hors d’exemple」、「実に高邁な考え une si haute idée」、「実に異常
な bien extraordinaire」、「かくなる大騒ぎ un si grand éclat」、各表現は
単独では誇張ではないが、これだけの数が列挙されると事態の異常性を十
分すぎるほど引き立たせる効果をもつ。結果的に誇張法となっているこの
列挙は、攻撃的言辞こそ用いられていないが、ヴァヴァサールにおける最
上級表現による誇張法的列挙を思い起こさせる。『第一プロヴァンシアル』
の狙いは、ソルボンヌで大掛かりな審査が行われているアルノーの命題が
実は正統であるのだと世論に示すことである。そのために手紙は、モリニ
64)Ire Prov., p. 3-4(強調引用者)。冒頭部分の句読点は初版第一刷に従った。
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武蔵大学人文学会雑誌 第 40 巻第 1 号
ストのル・モワーヌ氏と新トマス主義者(ドミニコ会士)が政治的に結託
し、「近接的能力」という用語を口実にアルノーを断罪しようとしている
ことを暴いていく。«que» ともに用いられて結果を含意する強意の副詞
«si»、«tant» を繰返すことでパスカルはまず、論敵により仕組まれた舞台
装置の大仰さにより、「アルノー=異端」という先入見が世間に植え付け
られているという因果関係を強調した。そして本論でそうした大騒ぎが「空
騒ぎ tant de bruit pour rien65)」であることを論証していくのである。『第
三プロヴァンシアル』前半は、ジャンセニスムについての恐ろしい噂と法
問題の譴責文の貧弱な内容のギャップを論じるが、ここでも同様の文体・
構成が採用されている66)。文体と手紙の内容とが密接に絡んでいるので、
この節はヴァヴァサールとは無関係にパスカルが独自に創造したとも考え
られる。しかし、«bien[..]tant[...]aussi[...]tant[...]si[...]si[...]si[...]
bien[...].[...]si[...]» という強意語の反復は、ヴァヴァサールの «par la
plus[...]ou par la plus[...]qui fut jamais;[...]par la plus[...]et par la
plus[...]de toutes les[...]; par la plus de toutes les[...]; par la plus de
toutes les[...]; par la plus[...]qui fut jamais» で踏まれている韻に非常
に近く、しかもそれが例の短文体の直後に用いられているのだ。『第一プ
ロヴァンシアル』の冒頭部全体の源にヴァヴァサールの論考を見出したい
という強い誘惑にかられる箇所である。
もう一つ気になるのは前半の『プロヴァンシアル』における最上級の用
いられ方である。«si» や «tant» などの強意語の列挙による誇張法は、ナ
ヴァールの博士、『第四プロヴァンシアル』のイエズス会教義神学者以外
のすべての登場人物が用いている。しかし最上級表現については、ジャン
セニストは一度も、イエズス会の良心例学博士 le bon père は一度の例外
を除き67)用いていない。後者は同じイエズス会の良心例学者たちについて、
65)Réponse du Provincial, p. 37 ; XVIIIe Prov., p. 378.
66)IIIe Prov., p. 40-44.
67)«Mais maintenant les plus délicats ne la[la confession]sauraient plus appréhender,
après ce que nous avons soutenu dans nos thèses du Collège de Clermont.»(Xe Prov.,
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『プロヴァンシアル』とジャンセニスト文体 望月ゆか
「 私 た ち の 偉 大 な 比 類 な き モ リ ナ、 我 々 の 会 の 栄 光 notre grand et
incomparable Molina, la gloire de notre Société68)」などと熱狂的に語る
のが特徴で、最上級が見られないのは少々意外である。もっともこれは、
『第五プロヴァンシアル』の冒頭で紹介されている『イエズス会の第一世
紀の姿』Imago Primi Saecli Societatis Jesu(1640)が典型的に示す、イ
エズス会士特有の自己愛的大言壮語の文体・エトスを際立たせるための作
為かもしれない。それに対し、同じ『第五の手紙』でジャンセニストが最
後に悲愴な雄弁を披露する場面があるが、ここで最上級が用いられない理
由はとくに見当たらない69)。パスカルはヴァヴァサールがジャンセニス
ト的と揶揄した最上級を意識的に避けたのだろうか。
実は前半の『プロヴァンシアル』で最上級を使っているのはすべて、ポ
ール・ロワヤルにもイエズス会にも与しない中立的人物──モンタルト、
モンタルトに返信する田舎の友、『第三プロヴァンシアル』でモンタルト
の聞き書きの形で間接的に紹介される、アルノー譴責の事情にかなり通じ
ており事件の本質を見極められる人々 les gens pénétrants(おそらくガ
リカンの知識人たち)、そして同書に登場する事実問題については中立の
立場を取った神学博士──である。ここで、明らかにプレッシューズを意
識して使われている二例──モンタルトの第二の手紙の用法「私の好奇心
にとって世にも幸運なことに le plus heureusement du monde」と、田舎
の友の「あらゆる高名な方々の中でも最も高名なアカデミー会員の御一人
un des Messieurs de l’Académie, des plus illustres entre ces hommes
tous illustres」──を除く70)と、『第三・第九・第十プロヴァンシアル』
p. 174)
68)VIIe Prov., p. 128.
69)Ve Prov., p. 78-79.
70)IIe Prov., p. 21 ; Réponse du Provincial, p. 36. プレッシューズたちは誇張法を愛用し、
「こ
の世でいちばん〜 le plus ... du monde」、「かつてなかったような〜 le plus ... qui fut
jamais」 な ど の 最 上 級、「 高 名 な illustre」 と い っ た 大 仰 な 形 容 語 を 好 ん だ。Roger
Lathuillère, «La langue des précieux», Travaux de linguistique et de littérature, XXV-1,
1987, p. 267.
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武蔵大学人文学会雑誌 第 40 巻第 1 号
の最上級表現が残る。
とくに注目したいのは、事情通の炯眼な人々についての『第三プロヴァ
ンシアル』初版の次の節である。
D’où vient, disent-ils[les gens pénétrants], qu’on pousse tant d’im­
pré­cations qui se trouvent dans cette censure, où l’on assemble tous
les plus terribles termes, de poison, de peste, d’horreur, de témérité,
d’impiété, de blasphème, d’abomination, d’exécration, d’anathème,
d’hérésie, qui sont les plus horribles expressions qu’on pourrait
former contre Arius, et contre l’Antéchrist même, pour combattre
une hérésie imperceptible, et encore sans la découvrir71)?
彼らはこう言っています。感じ取れもしないような異端を攻撃するた
めに、おまけにそれがどういうものかも明らかにせずに、どうしてこ
の譴責文はかくも多くの呪いの言葉を発するのか、そこには最もぞっ
とするようなあらゆる言葉が集められている──「毒」、「ペスト」、
「恐怖」、「軽率さ」、「不敬虔」、「瀆神」、「嫌悪」、「憎悪」、「破門」、
「異端」はアリウスやアンチキリストに対してさえ用い得る最も恐ろ
しい表現ではないか、と。
パスカルは、「最もぞっとするような言葉 tous les plus terribles termes」、
「最も恐ろしい表現 les plus horribles expressions」と二回も、かなり強
い付加形容詞を最上級で用いている。1659 年の編者はこれを不注意な反
復とみなしたのであろう、前者の最上級を削除し「これらすべての言葉
71)Cf. IIIe Prov., p. 44. コニエの版は 1659 年版を底本としているので、ヴァリアントによって
訂正した。パスカルは譴責文の対応表現(形容詞、動詞)を名詞に統一して効果を高め
て い る。cf. Hilaire Dumas, Histoire des cinq propositions, Liège, 1699, 2 tomes, t.I, p.
145-153.
149(152)
『プロヴァンシアル』とジャンセニスト文体 望月ゆか
tous ces termes」と訂正した72)。しかしパスカルは意識的に反復を行っ
たのではないだろうか。客観的状況からみてきわめて不適当な中傷表現が
譴責文で用いられていることに対し、事の本質をつかんでいる人々は最上
級を重ねて強く批判するしかなかった。党派心なく真理を愛する彼らの言
葉を通じ、パスカルはアルノーの弾劾表現の理論を想起しながら、単なる
誇張ではない激しい非難の表現があり得ること、強い言葉──この場合は
最上級──を用いなければ表現できない嘆かわしい事態があること、ポー
ル・ロワヤルが論敵に対して用いる最上級、その他の表現はこの類いであ
ることを訴えている。
『第十プロヴァンシアル』では、読者とともにイエズス会良心例学の反
福音的性格を確信したモンタルトが、「私に言わせれば、彼らのもっとも
有害な格率の一つであり、また不品行者たちを彼らの悪習に留めおくのに
もっともふさわしい格率の一つである、ボオニー神父のこの決定 cette
décision du P. Bauny, qui est, à mon sens, une de leurs plus pernicieuses
maximes, et des plus propres à entretenir les vicieux dans leurs
mauvaises habitudes73)」と、やはり最上級の反復で強く抗議している。
当初は良心例学者たちの格率を面白がっていたモンタルト74)の発言であ
り、この最上級には真実の重みがある。我々読者は単なるありふれた強意
表現として読み過ごしがちな箇所である。
このように、中立的人物を介在させて論敵に対する弾劾表現の使用を正
当化しようとする『第三の手紙』、『第十の手紙』におけるパスカルの戦術
が、まずバルコスたちを意識していることは間違いない。しかし仮にパス
カルがヴァヴァサールを読んでいたとすれば、これは同時にイエズス会士
に宛てられたメッセージともなるだろう。前者は弾劾表現の使用そのもの
72)レオン・パルセは著者存命中の最後の版である 1659 年版にパスカルの手が加わっていな
いことを証明した。Mesnard, art.cit., p. 99-100.
73)Xe Prov., p. 173-174.
74)«mais, sans recevoir ces impressions des méchants dessins des Molinistes, que je ne
veux pas croire sur sa parole»(Ire Prov., p. 13)
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武蔵大学人文学会雑誌 第 40 巻第 1 号
を、後者は弾劾表現と現実との整合性(誇張の有無)を問題にしていると
いう違いはあるが。
3.「ジャンセニスト的」雄弁
短文体や警句、あるいは誇張法・言説的暴力などから、パスカルとヴァ
ヴァサールとの間の影響関係の有無について考察してきた。またモンタル
トという人物の創造の一端にヴァヴァサールが関わっていたのではないか
という仮説も呈示した。残念ながらそれらの点について決定的証拠を示す
ことはできないが、『プロヴァンシアル』に関するヴァヴァサールの論考
の価値はこれでゼロになったわけではない。原典研究の観点を離れ二つの
作品を比較すると、当時の古典主義において存在していた二つの対立する
神学的雄弁の理想が浮び上るからである。
ジャンセニスト的文体批判のペリオッド文体をめぐる論点は三つあった
が、その第一点の冒頭で、イエズス会士は、雄弁は神学的論争から、ある
いは神学一般から排除されるべきだと述べていた。ヴァヴァサールによれ
ば、論争というジャンルには無駄のない短文体が、またきわめて深遠な神
学的神秘を論ずるには簡潔な控えめの文体が要求されるからである。もっ
ともヴァヴァサールは野蛮なスコラ的文体を理想としていたわけではない。
神的真理は、装飾はないが純粋で明快、典雅な単純文体で磨き、輝きを与
えねばならない75)。この主張は、洗練さと装飾を併せもつ真の雄弁を論
じた第二点と矛盾するように思われる。しかしこの疑問はヴァヴァサール
の文体的理想を理解すると解決する。フュマロリによれば、彼がよしとし
たのは、賞賛演説的な中庸文体ではなく、キケロ的な二つの理想──書物
においては典雅な単純文体、公の演説においては崇高文体──であっ
た76)。改めて神父の論考を読み直すと、結局ジャンセニストの罪には二
75)Vavasseur, op.cit., p. 410b.
76)Fumaroli, op.cit., p. 409. Cf. Ibid., p. 54.
147(154)
『プロヴァンシアル』とジャンセニスト文体 望月ゆか
つあることがわかる。まず、典雅な単純文体のみがふさわしい神学書とい
うジャンルに崇高文体を用いようとしたこと、おまけに本人たちが崇高文
体のつもりで用いている文体は忌まわしい中庸文体にすぎないこと、の二
点である。キケロによれば、偉大な雄弁家は主題と適合した文彩を使いこ
なす77)。しかるにジャンセニストたちは文彩に変化を与えるどころか、
聴衆の喝采を求める賞賛演説が好む頭語反復を濫用するばかりではないか。
この第二の批判点の裏を返せば、頭語反復という演説調の文彩を除いて、
ジャンセニストたちの唯一の文学的功績、つまり純粋で優雅なフランス語
のみを残せば、理想的な神学書が出来上がる、ということになろう。問題
の個所は崇高文体の枠組みで述べられているので、「他の長所はないが磨
かれた」単純文体は「取るに足らないちっぽけな美徳」と貶められた
が78)、これは雄弁を斥けるヴァヴァサールが理想とする神学書においては、
実は大きな美徳となるはずである。雄弁と純粋優雅なフランス語が併存す
るポール・ロワヤルの神学論争書は、神学については反雄弁の立場を取る
古典主義者ヴァヴァサールにとって、理想を半分実現している。しかし
『論考』では、こうした肯定的側面にはまったく言及せず、ジャンセニス
ト文体の欠点を暴くことに終始したのである。
真の雄弁
『プロヴァンシアル』、とくに後半の手紙で用いられている演説調の見事
な文体は、ヴァヴァサール神父の反雄弁の理想をはっきりと否定する。以
下では、前半の手紙に登場する「ジャンセニスト」79)と他の人物を比較し、
77)Ibid., p. 50.
78)Vavasseur, op.cit., p. 411a.
79)『第一の手紙』で「非常に人のよい人物」(p. 10)と紹介されるジャンセニストが、『第二
の手紙』で登場し『第五の手紙』の初めまでモンタルトに連れ添う「筋金入りのジャン
セニスト」(p. 25)と同じかどうかは定かではない。なお、本稿ではいわゆるジャンセニ
ストと登場人物のジャンセニストを区別するために、後者を「ジャンセニスト」と括弧
付きで記述する。
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武蔵大学人文学会雑誌 第 40 巻第 1 号
次いでパスカルによるジャンセニスト的文体とヴァヴァサールによるジャ
ンセニスト的文体の違いを比べてみよう。そこから明確になるのは、パス
カルが理想とする「ジャンセニスト」的文体の二つの特徴、真の雄弁と聖
なる熱情である。
「ジャンセニスト」の語りは、ヴァヴァサールの言に反し、真の雄弁に
要求されるあらゆる特徴を満たしている。まず第一に変化のあるペリオッ
ド文体について、『第二の手紙』における、有効的勝利の恩寵の伝統に関
する滔々たる長科白を見てみよう。
Cette grâce victorieuse, qui a été attendue par les patriarches,
prédite par les prophètes, apportée par Jésus-Christ, prêchée par
saint Paul, expliquée par saint Augustin, le plus grand des Pères,
embrassée par ceux qui l’ont suivi, confirmée par saint Bernard, le
dernier des Pères, soutenue par saint Thomoas, l’Ange de l’Ecole,
transmise de lui à votre ordre, maintenue par tant de vos Pères, et
si glorieusement défendue par vos religieux sous les Papes Clément
et Paul : cette grâce efficace, qui avait été mise comme en dépôt
entre vos mains, pour avoir, dans un saint ordre à jamais durable,
des prédicateurs qui la publiassent au monde jusqu’à la fin des
temps, se trouve comme délaissée pour des intérêts si indignes. Il
est temps que d’autres mains s’arment pour sa querelle; il est temps
que Dieu suscite des disciples intrépides au docteur de la grâce, qui,
ignorant les engagements du siècle, servent Dieu pour Dieu80).
族長たちによって待ち焦がれられ、預言者たちによって預言され、イ
エス・キリストによってもたらされ、聖パウロによって説かれ、最も
偉大な教父である聖アウグスティヌスによって説明され、彼に続く者
80)IIe Prov., p. 33-34.
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『プロヴァンシアル』とジャンセニスト文体 望月ゆか
たちによって理解され、最後の教父である聖ベルナールによって確認
され、スコラ学派の天使である聖トマスによって支持され、彼からあ
なたがたの修道会に伝えられ、あなた方のかくも多くの神父たちによ
って維持され、さらに教皇クレメンスとパウロの治世にあなた方の修
道士たちによってあれほど輝かしく擁護されたこの勝利の恩寵は、と
こしえに続きうる聖なる修道会において、世の終りに至るまで世界に
告げ知らせる説教者たちが輩出されるようにと、あなた方の手に預け
られたこの有効な恩寵は、その名にまったく値しない利害のために打
ち捨てられたも同然の状態である。今や、別の手がその戦いのために武
器を取る時である。今や神が、世俗の誓いには目を向けずに神のため
に神に仕える勇敢な弟子たちを恩寵博士のもとに駆り立てる時である。
最初の長大な文は、「この勝利の恩寵は Cette grâce victorieuse」、「この
有効な恩寵は cette grâce efficace」という同格の二つの主語が一種の頭語
反復をなしながら、それぞれ関係節を従えて栄光の過去を語り、現在のド
ミニコ会士たちの裏切りを弾劾する述語「打ち捨てられたも同然の状態で
ある se trouve comme délaissée」に続いていく。ペリオッドとしては、
二つの主語関係節と述語部分の計三つの部分 membres から構成されてい
る。さらに初めの主語の関係節中では、「預言者たちによって預言され、
イエス・キリストによってもたらされ・・・」と多くの短い節 incises がリズ
ムよく連ねられる。第二文は、「今や・・・の時である Il est temps que ...」
という頭語反復がペリオッドの二つの部分 membres を構成し、とくに後
半部は «qui» で始まる従属節が挿入も含みながら長めの incise として付け
加えられ、重々しく文を終えている。この一節は、「彼らはペリオッドの
部分 membre もその下位部分 incises も区別できず、偶然以外ではその文
章に変化を付けることはない81)」というヴァヴァサールの批判を一蹴す
81)Vavasseur, op.cit., p.410a.
144(157)
武蔵大学人文学会雑誌 第 40 巻第 1 号
るものである。
また「ジャンセニスト」がイエズス会と結託した新トマス主義者(ドミ
ニコ会士)たちを詰問する部分
On consulte les Dominicains sur cette contrariété. Que font-ils làdessus? ils s’unissent aux Jésuites ; ils font par cette union le plus
grand nombre ; ils se séparent de ceux qui nient ces grâces
suffisantes ; ils déclarent que tous les hommes en ont. Que peut-on
penser de là, sinon qu’ils autorisent les Jésuites?
Et puis ils
ajoutent que néanmoins ces grâces suffisantes sont inutiles sans les
efficaces, qui ne sont pas données à tous82).
人々はアウグスティヌスの弟子とイエズス会士の矛盾についてドミニ
コ会士の意見を求める。彼らはその点についてどういう行動をとるか。
彼らはイエズス会士と結ぶ。彼らはこの連合によって最大多数を形成
する。彼らはこうした十分な恩寵を否定する人々とは袂を分かつ。彼
らはすべての人間がそれをもっていると言う。そこから、彼らがイエ
ズス会士たちを認めている、と人々は思わずにいられようか。それか
らドミニコ会士は付け加えるのである──にもかかわらずこれらの十
分な恩寵は、万人に与えられているわけではない有効な恩寵がなけれ
ば無益である、と。
では、「彼らはその点についてどういう行動をとるか」以下、「彼らはすべ
ての人間がそれをもっていると言う」までは、簡潔な短文体の「剣83)」
によって戦いを挑んでいる。これもペリオッド文体のヴァリエーションの
一つで、ジャンセニストの長々しい文体にはみられないとヴァヴァサール
82)IIe Prov., p. 29.
83)Vavasseur, op.cit., p. 409b.
143(158)
『プロヴァンシアル』とジャンセニスト文体 望月ゆか
が指摘しているものである。
第二に多様な文彩についてみてみよう。上記の節が導入する、怪我人と
三人の医師に関する有名なたとえ話は、「ジャンセニスト」の演説に驚く
べき装飾を加えている。またかなり頻繁に用いられる頭語反復は「二〇回
も繰返される84)」ことはなく、さきほどの「今や・・・の時である」のよう
に二回、あるいは三回(「あたかも・・・であるかのように comme si ...85)」
等)、せいぜい四回と節度をもって用いられている。しかもこの最も回数
の多い場合でさえ、「聖パウロが自らを[・・・]と呼んだのを見れば、あな
たには十分ではないですか。福音書から[・・・]ということを見れば、十
分ではないですか。イエス・キリストが私たちに[・・・]ということを告
げていれば十分ではないですか。最後に、イエス・キリスト御自身が私た
ちに[・・・]ということを教えていれば十分ではないですか」«Ne vous
suffit-il pas[...]de voir que saint Paul se dit[...]? Ne suffit-il pas de
voir par l’Evangile que[...]? Ne suffit-il pas que Jésus-Christ nous
avertisse qu’[...]? Et enfin ne suffit-il pas que Jésus-Christ lui-même
86)
nous ait appris qu’[...]
?» のように、「〜を見れば十分ではないですか
84)Ibid., p. 410b.
85)Ve Prov., p. 78.
86)«Ne vous suffit-il pas, pour entendre l’erreur de votre principe, de voir que saint Paul se
dit le premier des pécheurs, pour un péché qu’il déclare avoir commis par ignorance et
avec zèle?
Ne suffit-il pas de voir par l’Evangile que ceux qui crucifiaient Jésus-Christ avaient
besoin du pardon qu’il demandait pour eux, quoiqu’ils ne connussent point la malice de
leur action, et qu’ils ne l’eussent jamais faite, selon saint Paul, s’ils en eussent eu la
connaissance ?
Ne suffit-il pas que Jésus-Christ nous avertisse qu’il y aura des persécuteurs de l’Eglise
qui croiront rendre service à Dieu en s’efforçant de la ruiner, pour nous faire entendre
que ce péché, qui est le plus grand de tous, selon l’Apôtre, peut être commis par ceux
qui sont si éloignés de savoir qu’ils pèchent, qu’ils croiraient pécher en ne le faisant
pas ? Et enfin ne suffit-il pas que Jésus-Christ lui-même nous ait appris qu’il y a deux
sortes de pécheurs, dont les uns pèchent avec connaissance,[et les autres sans
connaissance,]et qu’ils seront tous châtiés, quoiqu’à la vérité différemment ?»(IVe
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武蔵大学人文学会雑誌 第 40 巻第 1 号
Ne suffit-il pas de voir」を二度、「イエス・キリストが〜れば十分ではな
いですか Ne suffit-il pas que Jésus-Christ nous ... que ...」を二度、つまり
二拍子のリズムを二通りもたせ、単調さを排している。
モンタルトが対話をする神学博士たちの中で、このように弁が立つのは
「ジャンセニスト」ただ一人である。ナヴァールの博士は、卑しい世俗の
人間たちから神学の奥義を守ろうと、あるときは「荒々しく rudement」、
あるときは素っ気なく話すだけである87)。ルモワーヌ氏の弟子とジャコ
バン(ドミニコ会士)たちはもっと親しげだが、その教義の語り口は雄弁
度ゼロの単純文体である88)。同様の文体は『第四の手紙』に現れる教義
神学者のイエズス会士にも見られる89)。良心例学者のイエズス会神父は
軽く愛想のよい語調にとどまる。つまり『プロヴァンシアル』では、雄弁
は真理の陣営に限定されているのである。
事実問題について中立的立場を取る神学博士も、法問題に関するアルノ
ーの異端性に根拠がないことを雄弁に物語る。彼の話は、「彼らにとって
は理屈よりも坊さんを見つけてくる方がたやすいのです」、「彼らのうちで
最も抜け目のないのは、多くの陰謀をはりめぐらし、少なく語り、まった
く物を書かない人々です」といった皮肉な警句に彩られている90)。しか
し「政治的配慮により91)」事実問題について中立の立場を取ったこの神
学者の雄弁は、「たとえそれが〜であっても quoiqu’elle ...」と何の変化も
つけずに四回も繰返される頭語反復92)にみられるように、ときに重苦し
Prov., p. 63-64)
87)Ire Prov., p. 8, 11.
88)Ibid., p. 15-17.
89)IIIe Prov., p. 45-51.
90)Ibid., p. 46, 49.
91)Ibid., p. 45.
92)«Mais, après tout, ils ont pensé que c’était toujours beaucoup d’avoir une censure,
quoiqu’elle ne soit que d’une partie de la Sorbonne et non pas de tout le corps ; quoiqu’elle
soit faite avec peu ou point de liberté, et obtenue par beaucoup de menus moyens qui
ne sont pas des plus réguliers ; quoiqu’elle n’explique rien de ce qui pouvait être en
dispute ; quoiqu’elle ne marque point en quoi consiste cette hérésie, et qu’on y parle
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『プロヴァンシアル』とジャンセニスト文体 望月ゆか
さを免れない。こうした文体上の欠陥は、どんなに小さいものであれ、
「ジャンセニスト」の文章には見出されない。完璧な雄弁は真理の擁護者
にのみふさわしいのである。ただしここでは、パスカルがそれを意識して
書き分けたというよりは、両者の人物(エトス)設定から自然に文体の違
いが出てきたと考えるべきだろう。
聖なる熱情
さて、神学者たちの中で一人、真理の陣営に属してはいないがかなり雄
弁な人物が存在する。ジャコバンの一人が、有効な恩寵の擁護者としての
ドミニコ会の栄光を讚え、次いでその真理の守り手としての地位とカルヴ
ァン主義の異端の疑いとの間で板挟みになっている現状を嘆いてみせると、
モンタルトはその雄弁に心を打たれる(「彼は私たちに実に悲しげに話し
たので、私は憐れみを催されました93)」)。しかしジャコバンには敬虔な
熱情が欠けており、その点で「ジャンセニスト」の真の雄弁とは異質であ
る。実際、カトリック教会の真理のために殉教する覚悟があると「ジャン
セニスト」もジャコバンたちも同様の文句を述べ、とくに後者はそれを天
に誓うほどであるが94)、両者は聖なる熱狂・興奮 échauffement の有無で
区別される。「ジャンセニスト」については、モンタルトが「私の仲間は
そこで興奮してきたが、それは敬虔な熱情 un zèle dévot からであった」、
「彼はますます興奮してきた」と伝えるのに対し95)、ジャコバンの大仰な
peu, de crainte de se méprendre.»(Ibid., p. 50 強調引用者)
93)IIe Prov., p. 33.
94)「ジャンセニスト」の言葉は次の通り:«Mon homme s’échauffa là-dessus, mais d’un zèle
dévot, et dit[...]que lui et tous les siens défendraient[la créance sur la possibilité des
commandements pour les justes]jusqu’à la mort, comme étant la pure doctrine de
saint Thomas et de saint Augustin, leur maître»(Ire Prov., p. 11)。ジャコバンの言葉は
次の通り: «Nous souffririons tous le martyre, plutôt que de consentir à l’établissement
de la grâce suffisante au sens des Jésuites, saint Thomas, que nous jurons de suivre
jusqu’à la mort, y étant directement contraire.»(IIe Prov., p. 33)。
95)Ire Prov., p.11 ; IIe Prov., p. 35. 蓋然的意見の教説によってもたらされた道徳的・教義的逸
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武蔵大学人文学会雑誌 第 40 巻第 1 号
物言いの裏には、「ジャンセニスト」がなじるように、「冷たさ(無関心)
froideur」が隠れているのである96)。この興奮は『第五の手紙』の教義神
学者のイエズス会士の興奮──「真面目にお話しになっていらっしゃいま
すか。なんですと!と神父は興奮して言いました。茶化してはいけません。
ここにはまったく曖昧さはありません97)。」──とは異なる。興奮は聖な
るもので真の雄弁によって表現されねばならないが、そうした雄弁はこの
イエズス会士には欠けている。彼は通常は、「穏やかに、あるいは時に慎
重で抜け目なく98)」淡々と語るだけであるから。
「ジャンセニスト」や最後の手紙のモンタルトは、アウグスティヌスが
『キリスト教の教え』De Doctrina Christiana で定義した、キリスト教雄
弁における崇高文体を実践している。語り手の「心を燃え立たせる動きに
よって」、文体は「おのずから高まり、力あふれる美しい表現をつかみと
る」に至る99)。同種の高揚が、二人の人物の激流のような文章に見て取
れる。イエズス会の良心例学者の話にもはや嫌悪感を抑えきれなくなった
モンタルトによる滔々たる長科白は、«on» で始まる短めの節 membres
脱を深く悲しむ「ジャンセニスト」の姿については Ve Prov., p. 78-79 を見よ。
96)«Pensez-y bien, mon Père, et prenez garde que Dieu ne change ce flambeau de sa place,
et qu’il ne vous laisse dans les ténèbres et sans couronne, pour punir la froideur que
vous avez pour une cause si importante à son Eglise.»(IIe Prov., p. 35)なお、
『パンセ』
では、聖ベルナールに倣って知識に裏付けられた熱情が讚えられる(S495, L598)一方で、
キリストの敵たちを決して罵倒しなかった福音史家たちの語りの、わざとらしくない自
然な «froideur»(冷静さ)が賛美されている(S658, L811)。後者は、ポール・ロワヤル
のトポスとなっている「知識と熱情」に矛盾するようにも思われるが、これは「聖書の
秩序」(S329, L298)の一環である。福音書において、イエスの熱情を帯びた激しい叱責
の言葉(cf. Arnauld, Réponse à la Lettre d’une personne de condition, p. 31-32)と福音
史家の穏やかで冷静な言葉が混在することは、「立て続けの雄弁に退屈する」(S636,
L771)、「多様性を愛する」堕罪後の人間たちに対して神が与えた(S301, L270)聖霊のレ
トリックによる。
97)«Parlez-vous sincèrement? Comment! dit le Père en s’échauffant, il n’en faut pas railler. Il n’y a point ici d’équivoque.»(IVe Prov., p. 58)
98)Ibid., p. 60.
99)Saint Augustin, La doctrine chrétienne, trad. G. Combès et l’abbé Farges, Bibliothèque
augustinienne, t.XI, Paris, Desclée de Brouwer, 1949, IV, XX, 42.
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『プロヴァンシアル』とジャンセニスト文体 望月ゆか
を重ねながら、イエズス会士たちの腐敗した道徳と福音的道徳との落差を
リズミカルで美しい反語法によって断罪する。
Mais on passe encore au-delà, et la licence qu’on a prise d’ébranler
les règles les plus saintes de la conduite chrétienne se porte jus­qu’au
renversement entier de la loi de Dieu. On viole le grand commande­
ment, qui comprend la loi et les Prophètes[Math22, 36-40]; on
attaque la piété dans le cœur ; on en ôte l’esprit qui donne la vie ;
on dit que l’amour de Dieu n’est pas nécessaire au salut ; et on va
même jusqu’à prétendre que cette dispense d’aimer Dieu est l’avan­
tage que Jésus-Christ a apporté au monde. C’est le comble de l’im­
piété100).
しかし彼らはもっと先まで行き、キリスト教徒の振舞いの最も聖なる
規則を揺るがす勝手気儘さは、神の律法を完全に転覆するまでに至る
のです。彼らは「律法と預言者たちがその中に含まれる大きな掟」
[マタイ 22, 36-40]を犯します。彼らは心の内の敬虔さを攻撃します。
彼らはその生命の源である精神を取り去ります。彼らは神への愛は救
いには必要ではないと言います。そしてこうした神への愛の免除は、
イエス・キリストがこの世にもたらされた利点だ、とまで言うのです。
これは瀆神の最たるものです。
変身後のモンタルトの雄弁も「ジャンセニスト」雄弁も、苦悩や悲嘆にか
られて、あるいは聖なる憤りにかられて湧き上がってきたもので101)、ヴ
ァヴァサールが基準にするキケロ風の修辞学規則の遵守などは全く念頭に
ない。聖パウロの場合と同様、真理の擁護者である彼らにおいても雄弁は、
100)Xe Prov., p. 191.
101)Ve Prov., p. 78-79 ; Xe Prov., 190-191.
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武蔵大学人文学会雑誌 第 40 巻第 1 号
『キリスト教の教え』が述べるように、「常にそばに仕える婢として、招か
れなくとも102)」神的真理におのずと従っているのである。
ところで、『プロヴァンシアル』において強調されている聖なる熱情に
ついては、アウグスティヌスの『キリスト教の教え』以外にも源泉が存在
する。それはパウロとアウグスティヌスの教説に行き過ぎはあったかとい
う問題をめぐって『プロヴァンシアル』刊行の数年前に起こった論争であ
る。イエズス会のアダン Jean Adam 神父は、説教と『彼自身によって打
ち負かされたカルヴァン』Calvin défait par soi-même(1650)という著作
の中で、パウロとアウグスティヌスの救霊予定の教説についての権威を弱
めるために、彼らの著書中に見られるモリニスムにとって不利な主張を始
末しようと企てた。つまり、それらの主張は二人の人間的弱さ、パウロの
場合は「生来の火のような性格 feu naturel」故の激情、アウグスティヌ
スにおいては「灼熱の燃え立つようなアフリカ人的精神 esprit africain,
ardent et plein de chaleur」から来た不適切で行き過ぎた表現にすぎない
と主張したのである103)。これに対しポール・ロワヤルの神学者ララーヌ
は、同じく 1650 年に、二人の著者には「激情も、荒れ狂いも、精神の乱
れも、行き過ぎも」なく、その著作はすべて聖霊の口述のもとに書かれた
不動の真理とみなさねばならない、と反論する104)。パスカルの自筆が欄
102)Saint Augustin, op.cit., IV, VI, 10.
103)«Que S. Augustin était embarrassé et obscurci en ses écrits, qu’étant un esprit africain,
ardent et plein de chaleur, il s’était souvent trop emporté, était tombé dans l’excès, avait
passé au-delà de la vérité, en combattant les ennemis de la grâce ; comme il arrive
quelquefois qu’un homme qui a dessein de frapper son ennemi, le frappe avec tant de
violence qu’il le jette contre un arbre et lui donne un contre-coup contre son intention.»
(Noël de Lalane, La défense de saint Augustin contre un sermon du P. Adam, jésuite,
s.l., 1650, p.4); «Toutefois que personne ne s’étonne si le Père Adam a dit en son
sermon que S. Augustin a excédé par l’ardeur de son zèle ; puisqu’il a écrit dans un
méchant livre plein de faussetés et d’erreurs, Que cette faiblesse n’est pas si criminelle,
que Dieu ne la souffre en la personne des auteurs qu’il inspire, et que nous appelons
canoniques… et que le feu naturel de S. Paul était bien capable de le porter dans des
expressions de cette nature.»(Ibid., p.11)
104)Ibid., p.11-12.
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『プロヴァンシアル』とジャンセニスト文体 望月ゆか
外に残されたララーヌの著書がマザリーヌ図書館に所蔵されており、パス
カルが本論争に並々ならぬ関心を寄せていたことが伺われる105)。
「ジャンセニスト」は聖なる熱情に燃え立つ崇高文体を用いた。ポール・
ロワヤルの人間ではない中立的モンタルトは知識を身に付けていくうちに、
軽妙で快活なお喋りを捨て、「ジャンセニスト」同様、この燃え上がるよ
うな文体で語るようになる。彼の変貌は、こうした火のような崇高文体を
「ジャンセニスト的」と呼ぶことを禁ずる。パスカルが仮にヴァヴァサー
ルを読んでいたとすれば、これは神父に対し、いわゆるジャンセニスト的
文体など存在しないのだ、あるのはただ、真理の友すべてが関わる神的雄
弁のみなのだ、というメッセージを飛ばしているものと考えられるだろう。
終りに
パスカルはヴァヴァサールのラテン語論考を読んでいたのか。本稿は、
ポール・ロワヤルの文学に突如現れた斬新な短文体を手始めに、この仮説
について考察してきたが、確証を得るには至らなかった。しかしヴァヴァ
サールは、『プロヴァンシアル』誕生につながる、ポール・ロワヤル内部
の暴力的言辞に関する論争に影響を与えた。この論考はまた、ポール・ロ
ワヤルとイエズス会との間の文体的・審美的論争が、周知のバロック対古
典主義の対立に限られないことも明らかにしてくれた。ルモワーヌ神父の
詩をからかう『第十一の手紙』は、古典主義のバロックに対する高らかな
勝利宣言であるが、「ジャンセニスト」に体現されていた、聖なる熱情に
105)Bibl. Mazarine, Rés. 61298, 1re pièce. これは、『様々な作品』Pièces diverses と題する、六
冊(内、四冊はフランス語、二冊はラテン語)の著書を個人の注文で合本にした recueil
factice である。各著書には羅仏両語によるパスカルのメモが欄外に数多く記されている。
フ ォ ジ ェ ー ル・ コ レ ク シ ョ ン。Cf. Paule Jansen, «La Bibliothèque de Pascal», dans
Revue historique, oct.-déc. 1952, p. 228-235 ; J. Mesnard, Blaise Pascal, Textes inédits,
recueillis et présentés par Jean Mesnard, Extraits de l’édition du Tricentenaire, Paris,
Desclée de Brouwer, 1962, p.25.
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武蔵大学人文学会雑誌 第 40 巻第 1 号
促される崇高文体の理想は、パスカルが、より最近のもう一つの文体論争
──アウグスティヌス的古典主義とキケロ的古典主義とでも呼ぶべき二流
派の対立──にも参与していたことを示唆している。ポール・ロワヤルと
十七世紀中葉の古典主義イエズス会士の小さなサークル(ヴァヴァサール
とその師で初期ジャンセニスム論争における重要な立役者であったプトー
Denys Petau, S.J.)との間の文体的・神学的小競り合いは、ジャンセニス
ム研究において興味深いテーマとなろう。現代の文学史においてほとんど
忘れ去られているヴァヴァサールの『論考』は、ポール・ロワヤルの文学
研究に関する非常に豊かな源泉なのである。
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