「被爆マリア」を知っていますか

「被爆マリア」を知っていますか
枝川葉子 著
2013 年1月2日の謁見で、ローマ教皇ベネディクト十六世は被爆マリアに手を添えて
見つめ、しばし語りかけた。それから間もなく退位する教皇は核廃絶の悲願を被爆マ
リアに託すかのようでした。
日本から運ばれた被爆マリアは、イタリア・サルデーニャ島のボナリア聖母教会祭壇
前に安置された
被爆マリアはイタリアでは「マドンナ」と呼ばれました。一緒に写真におさまってはしゃ
ぐサルデーニャの人々。
2012 年暮れにおこなわれたサルデーニャ島の第 26 回平和行進は、被爆マリアを迎
えてかつてない盛り上がりをみせた。中央の薄茶のべレー帽をかぶった女性が著者
はじめに
「被爆マリア」を知っていますか。
私はカトリックの信者ですが、3 年前まで「被爆マリア」の存在を全く知りませんでし
た。ところがそれ以来、「被爆マリア」の導きとも思えるようなドラマが次々と身の回り
に起きて大きく展開するようになりました。
2012 年暮れにはクリスマスの数日後から、「被爆マリア」のお供としてイタリア、サ
ルデーニャ島で毎年末に開催される平和行進に参加し、各地の聖堂で大歓迎をうけ
ました。お供の一行は長崎、浦上教会主任司祭の小島栄神父と上智大学元学長ピタ
ウ先生の「ピタウ・ファミリー」とも言える6人の仲間です。
そして 2013 年 1 月2日には思いがけずバチカンのパウロ六世ホールで、「被爆マリ
ア」と共に教皇の特別謁見という栄誉にあずかることになったのです。
この度、電子版で「被爆マリア」を紹介することで、一人でも多くの方に「被爆マリ
ア」を知っていただき、「被爆マリア」が静かに、しかし毅然と訴え続けている平和への
祈りをお伝えすることができればと願っております。
2013 年 8 月 9 日の長崎原爆の日に、「被爆マリア」の平和への祈りとしてこの本を
捧げます。「被爆マリア平和巡礼」に関わり、出会ったすべての方に感謝をこめて。
「被爆マリア」平和巡礼団
枝川葉子
「被爆マリア」とは
長崎の 30 年の年月をかけて建てられた浦上天主堂は、1945 年 8 月 9 日、長崎に
投下された原子爆弾のために崩壊しました。爆心地から 500 メートルしか離れていな
い教会のすべては失われたと思われました。しかしそのガレキの中から中央祭壇の
上に設置されていた寄木造りの聖母像の頭部だけが発見されたのです。
奇跡的に見つけ出された聖母像のそのお顔は、「被爆マリア」と呼ばれています。
被爆後の火災で頬と髪も焼け焦げ、ガラス製の眼球は溶けて黒い空洞になっていま
す。そのような惨めなお姿になってもなお、私たちに、世界の平和を訴え続けている
のです。
「被爆マリア」の存在は、一般にはまだよく知られていないとはいえ、過去に 3 回、
海外へ平和巡礼をされています。1985 年バチカン市国での原爆展、2000 年ベラルー
シ共和国ミンスクでの「世界の核被害展」、2010 年のローマ、ゲルニカ(スペイン)、そ
してニューヨークへ世界平和の使者として巡礼の旅で、この度は 4 回目の海外巡礼で
した。
今回はそのころには退位を決意されていたであろう教皇ベネディクト十六世が、謁
見の場で「被爆マリア」に手を添え、語りかけて、核廃絶の願いを託すかのような光景
がありました。これにより「被爆マリア」の平和の巡礼の旅は新たな重みを持つことに
なるでしょう。
「被爆マリア」を知っていますか
目 次
はじめに
1章 イタリア・サルデーニャ島への平和巡礼
2章 ローマ教皇の特別謁見
3章 平和のピアノコンサート
4章 長崎広島原爆資料展の開催
平和巡礼団の一行
[注]新聞などではヴァチカンのトップについては『法王』
『ローマ法王』と表記さ
れることがあります。日本カトリック中央協議会は、1981 年のヨハネパウロ
二世の来日を機に『ローマ教皇』とすることで表記を統一しました。この本
ではこの決定に従って『教皇』としました。
1章 イタリア・サルデーニャ島への平和巡礼
イタリア・サルデーニャの平和行進の鼓笛隊
サルデーニャ島での第 26 回平和行進に参加
今、「被爆マリア」(The “bombed” Mary)の存在をどのくらいの人が知っ
ているでしょうか。
私は、さる 2012 年 12 月 29 日、ピタウ神父(元上智大学学長)の故郷イタ
リア・サルデーニャ島で開催された第 26 回平和行進に「被爆マリア」のお供と
して参加しました。この「被爆マリア」の平和巡礼行進は、ピタウ神父の弟ア
ンジェロ・ピタウ神父の教区デットリ司教が、マリア像のある長崎浦上教会に
派遣要請され実現したものです。
今回、私がこの行進に参加することになったのは、2010 年の 12 月に「ピタウ
先生が語る会」で「被爆マリア」の数奇な運命について書かれた冊子のコピー
を参加者に配布し、紹介したのが始まりです。
この「被爆マリア」の平和巡礼行進には、日本から浦上教会の小島栄主任神
父と「ピタウ先生が語る会」のメンバー6 人―筆者('72 外独)、岡山康子('74
外仏)、有馬啓介('73 法法)、町田雅昭('68 外英)、村田千佳(東京芸大講
師)、佐藤牧子(習志野教会)が参加しました。サルデーニャ島は、四国ほど
の大きさでローマの西の沖に位置しています。
被爆マリアが安置されたボナリア聖母教会。古い教会の内部は荘厳だ
到着した翌日 28 日は、サルデーニャ島のカリアリ大司教区ボナリアの教会で
集会が持たれました。小島神父が、
「被爆マリア」を掲げて入場すると聖堂を埋
めた大勢の方が立って、その視線は一斉にマリア像に向けられました。
この木彫のマリア像は、原子爆弾を被爆したにも関わらず奇跡的にその姿を
とどめ、今またイタリアの人々に強く温かい信仰心で迎えられました。私は、
この光景に感動して鳥肌が立つほどでした。原爆投下にもかかわらず永らえた
「被爆マリア」のことは、新聞やテレビで報道されていて、来島を待ちかねて
いたのだそうです。
「被爆マリア」を檀上に置いて平和アピール・NO MORE The “bombed” Mary
被爆マリア像を囲んでのミサ(ボナリアの聖母教会)
翌 29 日私たちは、サン・ガヴィーノ・モンレアーレへ移動し、サンタ・キア
ラ教会での歓迎会、ミサに出席しました。第 26 回平和行進は、3 時から聖職者
と州知事、市長と市民 5,6 千人がブラスバンドの演奏に合わせて村道をのんび
り行進しました。
私たちは、先頭に次ぐグループとして参加しました。その後教会前で、「被
爆マリア」を檀上に置いて平和アピールがあり、デットリ司教やアンジェロ神
父の力強いスピーチがありました。
さらに翌 30 日、私たちは、「被爆マリア」と一緒に島内のサン・ニコロ教
会、サクロ・クオレ教会そしてピタウ先生の故郷ヴィラ・チドロのサンタ・バ
ルバラ教会を訪れ、大歓迎を受けました。素朴なサルデーニャの人々の篤い信
仰心に心打たれました。
サンタ・キアラ教会広場で平和行進に参加した市民を前に「被爆マリア」を横に力強く平
和アッピールするアンジェロ・ピタウ神父(ピタウ神父の弟)。地元テレビ局も取材にき
ました。
2章 ローマ教皇の特別謁見
被爆マリアにいとおしそうに手を差し伸べられるローマ教皇
サルデーニャからローマへ
ローマ教皇との謁見があるかもしれないことは、東京でスケジュールの打ち
合わせをしているときから聞いていました。東京でも指示されて一般謁見の申
請書類をローマ教皇庁大使館に出していました。
しかし、正式に決まったと聞いたのは、サルデーニャでのことです。それも
一般とは別の特別謁見だというのです。それは一体、どういうものか。分から
ないながらも緊張が高まりました。
31 日のうちにローマへ移動し、正月 1 日はジェズ教会で新年のミサに与りま
した。
教皇ベネディクト十六世との謁見
そして 2 日は、いよいよバチカンでの教皇謁見の日です。日本から着物一式
を持ち込んだ枝川、岡山は早朝から着付けしてドキドキしておりました。謁見
に与かるのは、長崎浦上教会の小島栄主任司祭と被爆マリアの運び役の有馬啓
介、それと枝川、岡山です。
謁見の場所はパウロ六世ホールという 1 万人も収容できそうな広間でした。
新年の教皇のメッセージを聞こうと集まった世界中からの信者でごった返すホ
ールに着くと、「被爆マリア」と代表 4 人は特別謁見ということで、最前列の
座席に案内されました。
その時です、檀上から大きな大司教がこちらへ向かって降りていらして、「み
なさん、こんにちは」と挨拶してくださるではありませんか。それは上智大学
前副学長でルクセンブルク大司教のオロリッシュ先生でした。余りの偶然の出
会いに何かのお計らいを感じました。
それから間もなく、万雷の拍手で教皇が迎えられ、クリスマスメッセージが
伝えられました。檀上の 30 人ほどの神父たちが各国語に訳された教皇スピーチ
を読み上げます。教皇は、ご自分がスピーチされていない間は、ほぼ真向かい
に腰掛けている着物姿の私共二人を見つめていらっしゃるようにお見受けいた
しました。
そしていよいよ 8 グループほどの特別謁見が始まりました。教皇の前に 20 名
ほどが 2 列に並び順番に階段を上ります。有馬啓介が白手袋をはめた手で「被
爆マリア」を抱え持ち、枝川葉子、小島栄神父、有馬啓介、岡山康子と横一列
に並んで教皇様に拝謁いたしました。
そこでもオロリッシュ大司教が教皇の傍に立ち、ドイツ語で長崎からいらし
た小島神父と私たちを紹介してくださいました。彼らは上智大学の卒業生です、
と。教皇も「SOPHIA UNIVERSITAET」と繰り返され一人一人と握手してください
ました。教皇のお手は、とても温かく柔らかかったです。
特に、「被爆マリア」と対面されるシーンでは、有馬の白手袋の下からそっ
と両手を添えられて 4、5 秒じっと被爆マリアの目を見つめ対話されているご様
子でした。教皇ベネディクト十六世は、1 月 11 日に 2 月 28 日をもっての退任を
発表されましたが、この時どのような思いで被爆マリアと対話なされたの
か・・・すでに退任のことを決意されていらしたのではと推察いたします。
ベネディクト十六世との謁見が、ほとんど最後という機会に恵まれましたこ
とも大きな喜びになりました。この時、教皇からいただいたロザリオは、お恵
みのお裾分けとして、病気で入院中の仲間、友人たち、沢山の方に触れてもら
いましたし、私自身が祈るためとお守りとして日々持ち歩いて大事にしていま
す。
特別謁見の場に付き添ってくださったルクセンブルクのオロリッシュ大司教(上智大学
前副学長)=写真中央。その左が著者、枝川葉子、右が岡山康子
3章 平和のピアノコンサート
サルデーニャでの平和コンサートで演奏する村田千佳さん=写真。
ひょうたんから駒のピアノコンサート
話は前後しますが、ピタウ・ファミリーの一人として参加した村田千佳さん
は、得意のピアノでサルデーニャの平和行進を盛り上げました。
これも最初はアトラクションの一つのつもりだったのに、どんどん話が大き
くふくらんで行きました。今回の平和巡礼の全般について言えることなのです
が、
「被爆マリア」さまの存在そのものに人々を高揚させる力があるためなのか
もしれません。
村田さんは最初のころは、「(私の中では)ぼんやりと行けたら嬉しいナと思っ
ていたのです。そして教会やお家等、ピアノがあったら弾いて、みんなで歌い
ましょうと。そんなイメージでした。」と振り返っている。
ところがところが、です。その後、話は日を追って本格化して行き、カリア
リ市や、地元の有権者、イタリア大使館等が後援くださってサアルデーニャの
首都カリアリのコンセルヴァトワール(音楽大学院)の音楽ホールで開催ーと
いう運びになりました。これは本格的な音楽会ということです。
思わぬ展開でした。しかし村田千佳さんにはまったくあわてた様子はありま
せんでした。村田さんは実は本職がピアニスト、国際的にも名を知られた室内
楽のピアニストで芸大の講師でもあるのです。
このような平和祈念の音楽会にはどのような曲目がふさわしいか、すべてご
存じです。まずはピタウ先生が歌うのを聞いたことのあるサルデーニャの「マ
リア讃歌」を会場に流して雰囲気を作って、そこからいくつかのピアノ曲でプ
ログラムを組み立てました。
それらはモーツァルトのアヴェ・ヴェルム・コルプスやハイドンのソナタ、
イタリアの作曲家スカルラッティのソナタ等、音楽に自然と信仰が根付いてい
る作品です。
コンサートが開かれるのは到着した翌日の夕。村田さんは朝のミサや平和の
シンポジウムの合間を縫って別行動でリハーサルをしました。そこでハプニン
グが起きました。東京で収録したピタウ先生の歌声がホールに響くように音源
をセットしてスピーカーの確認をしようとしたら、音が出ない!「どうしよう
ー〜っ!となった。肝心の音響装置が作動しないのです。
すると、サルデーニャの大らかな舞台スタッフのオジサマが、
「夜までに何と
かしとくから。はっはっは」と仰るので、お任せしましたとのこと。
カリアリのコンセルヴァトワール・ホールは客席 700~800 ほどの広さ。本番
では、もちろんピタウ先生がまるでそこで歌われているかのような、美しいメ
ロディの「マリア讃歌」が流れて、聴衆は酔いしれました。
「平和のピアノコンサート」は大成功
自ら演出、自ら演奏の村田千佳さんは、夕方の御ミサが終わって超特急でホ
ールへ向かい、早着替えをすませて舞台に立つという歌舞伎役者顔負けの活躍
ぶり。して、その出来は「マリア様と、ドン・アンジェロはじめサルデーニャ
の皆様、そして巡礼団の皆様に見守られて、何だかとても親密な雰囲気がしま
した」
。
「また素晴らしいポスターと、当日のプログラムを作成してくださったこと、
そのためにイタリア語に訳してくださったアンドレア神父様、ピタウ先生の歌
声を録音してきてくださったり、様々な連絡を担ってくださった岡山康子さま、
リハーサルにお付き合いくださった有馬さま、本番をずっとビデオで収録くだ
さった町田さま、シンパーティコのノリで曲に合わせてサルデーニャのマダム
とスウィングしてくださった佐藤牧子さま、そして全てを統括し、スーパーカ
リスマで率いてくださった、枝川葉子さま、皆様のお陰で、実現したことだと
思います」
このように関係者全員に感謝を語っているのは、コンサートが企画した通り
首尾よく運んだことの証しでしょう。
4 章 長崎広島原爆資料展の開催
ボナリアの聖母教会内での原爆資料展(カナリア大司教区)
長崎広島への原爆投下の資料展も行いました。これも私たちの平和行進への参加
の意義を支え、高めたと思います。
実をいえば、これは長崎教区の高見大司教が、お祭り騒ぎで終わらせないよう、ち
ゃんと教育プログラムとして考えてほしいようなことをマリアさまの貸し出しの条件に
おっしゃったことから、生まれた企画でした。
長崎市には原爆資料館があり、海外貸出し用の大きなパネルもありますが、ミニミ
ニ原爆展という長崎広島の原爆写真や解説などの20枚セット、それも海外向けに編
集してあるものをお借りすることになりました。自分で A3 に印刷すればいいようになっ
ています。
しかしあいにくとイタリア語版がないので、私たちで作ることにしました。アンジェロ
神父様が後で教区の学校の平和教育につかってくださるというので英語、イタリア語
の解説を付けることにしました。印刷は、学生時代からの美研の友人、山田卓さんが
実費だけで引き受けてくれました。イタリア語訳は習志野教会のアンドレア・レンボ―
神父様が引き受けてくださいました。そのほかにも、村田千佳さんのポスターのイタリ
ア語訳も喜んで引き受けてくださいました。準備に時間もなく、途方に暮れるときに助
けてくださる方たちは、天使のように思えました。
忙しい中、時間を割いて協力してくださった山田卓さんと、アンドレア神父様には感
謝の気持ちでいっぱいです。
あらかじめサルデーニャの実行委員会には、こちらから A3の写真(フランス語解説
付き)プラス英語、イタリア語の解説20枚を運ぶことを連絡しておきました。到着日の
夜それを渡すと、あくる日の朝のカリアリの大聖堂に可動式の枠を作って展示されて
いました。そのまま教区の学校などどこにでも持ち込んで平和教育に使えますから、
いいアイデアです。
原爆資料館には事後報告として感謝を申し上げるとともに、展示の写真を添えて、
イタリア語版の作成に役立ててほしいことと、英語版の写真を画質の良いものに入れ
替えるようアドバイスし、資料館から御礼のメールを頂きました。
あとあと教育現場で使うために、英語、イタリア語にしたかったのですが、彼はプロ
なので、既成の英語版の写真は画素が荒く A3 印刷に向かないと教えてくれたので、
写真はフランス語版を使用し、英語版の解説を別に打ち出して、英語→イタリア語訳
を習志野教会のイタリア人のアンドレア レンボ―神父様にお願いしました。ほかに千
佳さんのポスターのイタリア語版も手伝ってくださいました。
忙しい中、時間を割いて協力してくださった山田卓さんと、アンドレア神父様には感
謝の気持ちでいっぱいです。
あらかじめサルデーニャの実行委員会には、こちらから A3の写真(フランス語解説
付き)プラス英語、イタリア語の解説20枚を運ぶことを連絡しておきました。到着日の
夜それを渡すと、あくる日の朝のカリアリの大聖堂に可動式の枠を作って展示されて
いました。そのまま教区の学校などどこにでも持ち込んで平和教育に使えますから、
いいアイデアです。
原爆資料館には事後報告として感謝を申し上げるとともに、展示の写真を添えて、
イタリア語版の作成に役立ててほしいことと、英語版の写真を画質の良いものに入れ
替えるようアドバイスし、資料館からお礼のメールをもらいました。
私たちにとってマリア様に使っていただいたこと、この経験は大きなお恵みでした。
それから特筆しなければならないのは、元上智大学長のピタウ先生という大樹あって
すべてが可能になった事です。ピタウ先生という存在の偉大さを改めて感じる巡礼で
した。
「被爆マリア巡礼団」メンバー
最後に、教皇謁見という栄誉もいただいたこの度のイタリア巡礼一行を紹介しまし
ょう。
司祭: 小島 栄 浦上教会主任司祭
団長: 枝川葉子 団員: 町田雅昭、有馬啓介、岡山康子、村田千佳、佐藤牧子
撮影 佐藤牧子。
小島栄神父は長崎の浦上教会主任司祭です。あとは上智大学元学長ヨゼフ・ピタ
ウ先生の月例講演会「ピタウ先生が語る会」のメンバーで、枝川・町田・有馬・岡山は
上智大学の 1968 年から 1974 年の卒業生です。
岡山康子がイタリアのアンジェロ神父、高見三明大司教、小島栄神父との連絡や
原爆資料のイタリア語翻訳、展示仕様製作をアレンジし、準備をふくめて事務方すべ
てを担当。町田雅昭、有馬啓介は写真、動画撮影の記録担当。村田千佳はピアニス
ト(芸大講師)で「平和のためのピアノコンサート」を企画・演奏。佐藤牧子は、高いコミ
ュニケーション能力を生かし会食やすべてのシーンの盛り上げ役。枝川は、まとめ役
兼ツアーコーディネーターでした。
「被爆マリア」平和巡礼の旅
「被爆マリア」は、過去 3 回海外へ平和巡礼をされました。1985 年バチカン市国での
原爆展、2000 年ベラルーシ共和国ミンスクでの「世界の核被害展」、2010 年のローマ、
ゲルニカ(スペイン)、そしてニューヨークへ世界平和の使者として巡礼の旅をされ、こ
の度は 4 回目の平和巡礼でした。そして「被爆マリア」の平和の祈りが叶えられるまで、
「被爆マリア」のご意志によって平和巡礼はつづいていくことになるでしょう。
「被爆マリア」の像は、爆心地から約 500 メートルの旧天主堂の祭壇で被爆。焼け跡から頭部(約30センチ)だけ
が見つかったもの。現在も浦上天主堂(長崎市本尾町)に安置されているが、サルデーニャ島のアンジェロ・ピタウ
神父が4月、元上智大学長の兄ヨゼフ・ピタウ大司教を東京に訪ねた際、マリア像の存在を知り、平和行進への派
遣を浦上教会側に依頼。同教会主任司祭の小島栄神父や上智大の卒業生ら7人が 2012 年 12 月 27 日~1 月 4
日の日程で、イタリアを巡礼することになった。(被爆マリア像の海外巡礼は 4 回目)
長崎新聞(2012 年 12 月 27 日)より引用
http://www.nagasaki-np.co.jp/news/kennaitopix/2012/12/27021147008866.shtml
「被爆マリア」を知っていますか
イタリアから始まった巡礼の旅
枝川葉子
発
行
2013 年 8 月 9 日
発行者
横山三四郎
出版社
e ブックランド社
東京都杉並区久我山 4-3-2
http://www.e-bookland.net/
©Yoko Edagawa Printed in Japan
ISBN 978-4-902887-38-9
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