新連載 くち ことはじめ 口のリハビリテーション事始 1回 第 口腔ケアで「食べられる口」を作る ――歯科医師・黒岩恭子氏の仕事 9月17日 NPO在宅ケアを支える診療所・市民全国ネットワーク主催の第18回全国の集い in高知2012での講演「口のリハビリテーションのすすめ」 (栗原正紀・黒岩恭子)より ●○●○● 黒岩恭子氏 プロフィール ●○●○● 歯科衛生士として出発後、歯科医師を志し昭和45(1970)年、神奈川歯科大学卒業。昭和50(1975)年、神奈川県 茅ヶ崎市に村田歯科医院を開設、現在同医院院長。開業当初から歯はできるだけ抜かずに長く自身の歯と付き合っていくこ とを推奨、地域で予防重視型の歯科医療を展開。日常診療を行うかたわら、平日夜間と土・日・祝日の多くを高齢で通院の 難しくなった患家への往診や障害児(者)施設・病院・介護施設等への訪問にあてる。 口から食べられなくなった方の廃用している口を、まずはスムーズに開けられるようにすることから始め、続いて口腔を 清潔にし、口腔周囲筋や唾液腺を刺激し、唾液の正常な分泌を促し、舌の機能を元どおりにし、義歯を入れ、自分で噛めて 飲食できる「食べられる口」ができると、患者さん自身が前向きになり、健康回復に結びついた事例を多数経験する。 全国訪問歯科研究会( 「加藤塾」 )主宰の先輩歯科医師・加藤武彦氏に師事。個々の口腔機能に合わせ「飲食できる義歯」 を作製・適合する技能を学ぶ。加藤氏から「週5日間は診療室で仕事をして、土日は外に出てたくさんの方々から学んでく るように。困っている患者さんの役に立ってくるように」と、地域での往診を勧められ、以後25年間実践。医療・介護現 場で口腔ケアを根付かせるため、多忙なスタッフが安全に口腔ケアを行える道具の考案で試行錯誤を重ね、口腔粘膜清掃専 用の球状ブラシ「くるリーナブラシ」シリーズ全8種(オーラルケア)を開発。 1 「口から食べる」を支える視点 ●病名が決まらない患者さん 今日は、NHK テレビ「ためしてガッテン」 (2011年 2 月 9 日放送分。 「入れ歯で寝たきり脱出 すごいぞ噛む力」のコーナー)に出てくださった 一人の患者さんをご紹介させていただきます。 急性期の役割をしっかり担って対応いただいた 急性期病院で、チームのかかわりによって無事、 抜管でき、口から食べられるようになった方です。 まず、その方がどうして口から食べられるよう になったのか、経緯の概略をお話しします。 次に、私たちがどのようにかかわらせていただ いたか具体的にお聞きいただきたいと思います。 ◇ この患者さんは70歳代の男性で、これまで同 じ症状で 3 つの病院を受診しましたが病名が決ま らず、4 つ目の病院でやっと病名が決まりました。 逆流性食道炎でした。この間、患者さんは※1喉 ※1 喉頭気管分離術 気管の一部を切り取って切除部分の上側をふさぎ、気道と食道とを完全に分離する手術。食べ物や唾液の 気管・肺への流入がなくなるメリットと、生来的な自然な発語ができなくなるデメリットがある。 回復期リハ◆ 2012.10 33 新連載 口のリハビリテーション事始 頭気管分離術を施行するための病院、回復期リハ ビリテーション病院、ついで気管切開を閉鎖する 目的で入院した病院を経由しました。 ●検査入院――たったの 1 週間で…… しかし、ご本人は「どうしても手術をしに行く」 の一点張りでした。結局、急性期病院から、喉頭 1つ目の病院へ入院したのは、ご自宅で激しい 気管分離術を行う嚥下チームの完全に整った病院 吐き気とめまいが続いたためです。かかりつけ医 へ検査に行きました。検査後、水飲みテストほか の紹介で急性期病院を受診し入院されました。 結果はおおむね良好でしたが、 「ご本人の希望通り 検査の結果、脳や全身に特別異常は見つからず、 手術をしましょう。急性期の治療が終わったらこ あらゆる検査を行いましたが確定診断ができませ ちらにいらっしゃい」と担当医にいわれ、急性期 んでした。 病院に戻ってきました。 入院 3 日後に呼吸困難となったため気管切開し、 たった 1 週間の検査入院でしたのに、口腔ケア 鼻腔栄養を開始しました。その後も病気の原因が に一度も手が入らなかったとのことでした。その 不明のまま経過するなか、 「口から食べたい」との ため、口腔は再び廃用症状を呈し始めていました。 思いが徐々に強まっていったようです。 娘さんがあわてて、 「また入院当初と同じ口になっ ている、どうしようか」と電話してこられたので、 ●喉頭気管分離術に反対する 入院 3 か月目になると、以前75kgだった体重 夜、病院に一緒に行き、口腔を動かしていくと、 幸いすぐに元に戻ったので、ひと安心されました。 が55kgまで減り、胃ろうが造設されました。ま もなく「喉頭気管分離術をしたい」と強く訴えら れるようになりました。 ●嘔吐反射――口の外に出たままの舌 最初に私が依頼された状態は、舌が口の外に出 私は一人だけそれに反対しました。 「口の中を整 たまま口腔内に舌を本人が自力で入れられない状 え、入れ歯で食べられるようになれば、口から食 態でした。 「口から食べたいのに舌が出たままでは べられて、気管切開も閉じることができるし、抜 飲食できないので舌を口腔内に入れてほしい」と 管もできます」 。そういって、ご本人と家族に説 いう依頼でした。 得を試みました。 私は「それなら、ちょっとリハビリして舌を口 すでに気管切開も胃ろうもされた状態でしたの の中に入れて差し上げればいい」と思いました。 で、仮に喉頭気管分離術を行ったあと、何かをき そこで、簡単に触診をするつもりでちょっと舌 っかけにして口から食べることができなくなった 先を指で触ってみました。その瞬間、今まで遭遇 ら、意識がしっかりしているだけに、今度はコミ したことのない激しい嘔吐反射を起こしました。 ュニケーションがとれない苦悩が始まるに違いな ICU病棟の中で、私の口腔へのかかわりでこれ い、その苦悩は口から食べられないことよりもは 以上リスクがあるといけません。一瞬たじろぎま るかに大変なものになるのではないかと思ったか したが、ドクターもナースも良い結果が出るよう らでした。 期待して同席して下さっているので、 「わかりま 34 回復期リハ◆ 2012.10 新連載 口のリハビリテーション事始 せん」と帰るわけにはいきませんでした。 そのとき、 「患者さんは先生」だと思ったことは、 ぜっぱい 以前、舌背に過敏な反応のある知的障害児を経験 したことが頭に浮かびました。そこでこの方の舌 背を調べてみると、これも遭遇したことのないほ ど広範囲に過敏な状態が認められました。 「代償しながら舌を動かさなければ、舌を引っ きょうきん ぜっか 込められない」と思い、頬筋や舌下に指を入れて みますと、これは大丈夫でした。 私は、 「舌背以外の口腔周囲筋※2を動かして、 写真1 「くるリーナブラシ」シリーズ きれいな唾液※3を分泌させることにより、粘着 もみほぐしました。まだ義歯がありませんから口 性が強い唾液が口腔内に存在している上に、口腔 をしっかり閉じられないところは、手でちょっと 外に出てカラカラに乾いてしまっている舌を、唾 補助をしました。数分ほどもみほぐしてから、し 液を潤滑油にして動かし、口の中に入れられる舌 っかり口を閉じて舌を中に入れるように促すと、 をつくろう」と思いました。 何とか舌を口腔内に入れることができました。 舌背以外の口腔周囲筋を動かしていくと、口腔 全域の大唾液腺、小唾液腺が刺激され、唾液分泌 が促されました。 舌背の過敏な状態を和らげるにはまず、保湿剤 2 口腔ケアと「口から食べる」訓練 ●「きれいな唾液を飲み込める口」を作る を使用しながら唾液分泌を促すことが重要でした。 急性期病院では主に看護師さんとSTさんにお 私は忍者になったつもりで、舌背の嘔吐反射が 願いして口腔ケアとリハビリの方法を伝えました。 あるところをモアブラシ※4の毛先の尖端で「ハ 患者さんの舌はガチガチに硬く、自動車のタイヤ ッ!」とかすめるようにして舌背の汚れを取って のゴムのようでした。STさんにはモアブラシを みました。 「スピードをつければどうにか取れる」 使い、舌の上を触ってしまって嘔吐反射を起こさ と思いましたので、どんどんその操作を繰り返し ぬよう注意を払いながら、口腔周囲筋を積極的に ていきながら、指で舌を舌下から上方に向かって 動かすようお願いしました。こうして、 「きれいな こうりんきん ※2 口腔周囲筋 口の周りにあり口の開閉に使う口輪筋、口角を引き上げ、笑顔をつくる大頬骨筋、上唇を引き上げる小頬骨筋、 しょうきん 口角を横に引っ張る笑筋など。 ※3 唾液 口腔の唾液腺から出る分泌液。99.5%が水分で、残りがNa +・K+などの電解質・粘液・多くの酵素から成る。健康な 成人で 1 日に 1 〜1.5リットル分泌され、消化・洗浄・抗菌・保護などの作用やphを一定に保ち虫歯を防ぐ働きをする。 口腔の唾液腺は大きい順に耳下腺・顎下腺・舌下腺の 3 種あり、耳下腺唾液はサラサラで水に近く、舌下腺唾液は糸を引く程度 粘性がある。心肺機能の低下とともに唾液の分泌が弱まると口腔の環境が急激に悪化する。 ※4 モアブラシ 「くるリーナブラシ」シリーズ(写真1)の一つ。粘膜が過敏で出血傾向の強い人向けに開発した口腔ケア専用 ブラシ。ヘッド部分に綿毛のような感触の毛材を使用し、柄がしなるので「安全に飲食に導く口づくり」の口腔リハビリも行える。 回復期リハ◆ 2012.10 35 新連載 口のリハビリテーション事始 唾液を飲み込める口」を作るトレーニングが本格 業務の合間に参加しやすく、患者さん一人でも飽 的に始まりました。 きずに自主トレが可能な手軽な道具、身のまわり 実はこのトレーニングの開始に先立って、私は 担当医のところへ行って、 「まず、きれいな唾液を にある道具(グッズ)を利用するとよいと思いま す。何より費用がかからない工夫が必要です。 飲み込める口から作りたいと思います。ナースに たとえば、笛・顔面のマッサージ器具・飴・空 お願いして、誤嚥したら気管切開したところから きびんの飲み口部分・ラッパ・しゃぼん玉を作る 吸引していただきながら、唾液を飲み込むトレー おもちゃなどです。これらのグッズを使って廃 ニングを進めたいのですが」とお願いしました。 用・拘縮している部位を動かしていきます。 ところが、 「病名も決まっていないのにそんな危 険なことをしないでほしい」とストップがかかっ てしまいました。 それで、しょぼんとして帰ろうと廊下を歩いて いると、一人のナースが追いかけてきて、 「先生、 トレーニングしましょうよ、大事なことだと思い ●口腔の協調運動を出しながら舌も動かす 舌を上下・前後・左右に動かす「協調運動」を 出すためのリハビリ道具も、あれこれ試作を重ね ながら当医院独自の物をいくつも作りました。 舌全体が包むように当たった状態で「押し返し ました。毎日私たちでやりますから大丈夫です。 てください」というと、患者さんの反応が私たち 先生から手技的なところを直接ナースとSTに伝 の手指や腕を通して脳に伝わります。触って、当 えていただけませんか?」といってくださいまし てて、動かしてみて、どのように反応するのか、 た。とても嬉しくなりました。 私たちは息を凝らし、 「ほんのわずかな動きさえ見 看護師は、常に吸引器を開放して洗濯バサミで 留めておいて、ムセたら自分で洗濯バサミを外し て吸引してもらうという方法を考案して、ご本人 逃さないぞ」という姿勢で患者さんにかかわるこ とを習慣づけていただきたいと思います。 ◇ に指導してくれました。脳にも異常がなく四肢機 舌を徐々に動かせるようになると、唾液や飲食 能がしっかりされていたのですぐに自分で安全に 物を飲み込む舌の一連の動作のうち、舌の前方 行えるようになりました。新鮮な漿液性のきれい 2/3は上顎前歯の付け根と硬口蓋前方方向に上が な唾液を飲み込む自主トレが一歩前進しました。 ります。同時に舌後方部は咽頭に向かって軟口蓋 そしてPT・OT方も「何かできることがあった と接するまで弓なりに持ち上がり、ついで唾液を ら協力させて下さい」と病院スタッフ全員が患者 飲み込む時には舌を後方に引き嚥下します。通常 さんのために一丸となり、協働態勢が整いました。 この舌の動きは口腔内で0.0何秒、ミクロン以下 で瞬時に連綿と行われ、安全に嚥下に導かれます。 ●手軽な道具を利用して口腔周囲筋を動かす この働きを促す目的で、自前のリハビリ道具を 口腔周囲筋を動かすリハビリの道具にはいろい 使って、健常な舌の仕事ができるよう働きかけて ろありますが、看護師やST・PT・OTの方々が いきます。舌背に過敏なところがあるわけですか 36 回復期リハ◆ 2012.10 新連載 口のリハビリテーション事始 ら、そこにほんの一瞬、唾液を溜め込んで保持し、 てら、義歯の修理と改造義歯の作成にとりかかり それを反射で送り込めるようになるまで繰り返し ました。舌背の過敏がなかなか取れないものです 練習していきます。さまざまなグッズを活用して から大変苦労しましたけれども、あるとき「古い 口腔のリハビリを行うと、舌尖が上げられるよう 入れ歯から型を起こし、患者さんが自分の手で脱 になった頃には舌の血行がよくなり、紫色に淀ん 感作できるようにしてさしあげたらよいのではな でいた舌全体が健康的な赤みを帯びてきました。 いか?」ということを思いつきました。 入れ歯の型を脱感作の道具として使い、自分の ●舌苔は協調運動で取り除く 手ではめていただくようにして、嘔吐反射が起こ ぜったい 舌苔を私は舌苔ブラシでは取りません。保湿剤 りそうになったらぱっと放していただくのです。 を使い唾液分泌を促しあくまで唾液を潤滑油にし 「ご自分でこれを毎日やっていってくださいね」 て、限りなく正常な動きで口唇が動く、頬筋が動 と伝えました。患者さん自身が落ち着いた気持ち く、舌が動く、顎が動く、のどが動く……という で自身の呼吸に合わせ取り組むこのような時間も、 一連の協調運動で自浄作用を出して舌苔を取って 口腔機能を導いていく義歯の作製過程ではとても いきます。舌苔ブラシや歯ブラシでは取らないよ 大切だと思っています。 うに心がけて、モアブラシ程度で動きを出してい くようにしています。 ◇ 義歯を作製する際には、口腔への装着が円滑に なるよう、触覚や嗅覚や味覚を刺激しながら口腔 だつかんさ ●義歯作製――古い入れ歯の型で脱感作 ※5 機能を引き出していくことも大切だと思います。 この方の歯は総入れ歯でしたが、まったく合っ 20年来、在宅や病院等の食事のお盆の上に乗っ ていない状態で20年ぐらいガタガタになったま た食事形態を自在に調整できる自分になりたいと ま使われていました。そのため口腔に適合する義 憧れ続けてきました。ゼリー一つとっても、どの 歯を修理しなければなりませんが、口腔に義歯を ような形態なのかをよく目を凝らしてみる必要が 入れようとして何かが舌背に少しでも触れると激 あります。スプーンにすくった食材を5㎝ほど上 しい嘔吐反射が起こります。本人は嘔吐反射の恐 から皿に落下させ、落ち方、スプーンに対しての 怖のため自分の意思に反して、腕で私の義歯治療 食材の付着具合を口腔層と咽頭層に置き換え、じ している手を排除しようとして突然バーンと横か っくり評価します。 ら太い腕がしなってきて顔に当たり、めがねを飛 ●胃ろうを塞ぎ、気切を閉じる ばす場面が何回もありました。 「早く何とかしなくては」 。私は病院の許可を得 急性期病院入院から半年が経った頃には口腔が だつかんさ て自院で診療を終えた夜に病院に通い、脱感作が 徐々に「きれいな唾液を飲み込める口」に近づき、 ※5 脱感作 麻痺などで開口障害がある場合、はじめに優しくゆっくりと全身の緊張をほぐし、過敏になっている皮膚や筋肉を 動きやすくする手法。 回復期リハ◆ 2012.10 37 新連載 口のリハビリテーション事始 ガチガチに硬く動かなかった舌も、まだ完全に治 るうちに、 「病気の方、高齢者の方々がどうして咳 ってはいませんでしたが舌背の嘔吐反射が軽減し、 反射ができないのだろう?」と、ずっと考えてい 上下・左右・前後に少しずつ動かせるようになっ ました。そして、 「咽頭には口腔・鼻腔のあらゆる てきました。胃ろうは塞がれ、経口摂取に移行で 汚れ・血餅などがどんどん押し込まれているので きました。義歯はまだ入っていませんでしたが、 はないか?」という仮設を立てて、来る日も来る 食物をしっかり噛むことができ「飲食できる義歯」 日も考え続けました。 が仕上がりつつありました。 ◇ 私は吸引操作や排痰を促す呼吸リハビリテーシ ョンができませんので、口腔のメカニズムから痰 気管切開を閉じるため、 「回復期リハ病院で仕上 の喀出がしやすい身体を作ってさしあげたいと思 げをしましょう」ということで、急性期病院から い、鼻毛を切り鼻腔の汚れを取り、鼻腔に保湿剤 回復期リハ病院に転院されました。回復期リハ病 を薄く綿棒で伸ばしながら塗布し、口腔ケアの準 棟に入院後まもなくスピーチカニューレに変わり、 備を整えます。そして口の中を保湿している間に、 やっと改造義歯を装着することができました。 保湿剤を咽頭の粘膜に少しずつ染み渡らせる形で こうして、最初は口腔の環境がほとんど絶望的 に見え、回復する気力が萎えてしまっていた患者 さんご自身が、口腔ケアと改造義歯をきっかけに 以前の元気なご自分を取り戻されました。 3 咽頭に停留した痰を喀出する ●咽頭に停留した痰の喀出 咽頭を少し楽にしてから、口腔全域から咽頭にか けて口腔ケアを行っていきます。 ◇ ある日、口腔が乾燥しているために免疫力が低 下している高齢患者さんを診てほしいと依頼され 病院に行きました。痰は数分できれいに取れます。 まず、口腔に保湿剤を塗布します。このとき指 の第二関節まで保湿剤を十分量塗っておかないと 口腔の入り口から奥まで全部汚れていた状態を 痛みを伴います。この方の唇とその裏側は乾燥の 「くるリーナブラシ」のシリーズで段階的に取り ため、あかぎれの手のような状態になっていて 除いていくと、最終的には「咽頭の痰」の喀出を 痛々しそうでした。モアブラシに保湿剤をつけ、 行うことになります。咽頭には唾液や痰・口腔や 相手の口腔周囲筋の動きを私たちの味方にします。 鼻腔の汚れ・鼻毛・鼻腔の粘膜が傷ついて出た血 痛みを伴うと拒絶につながる恐れがあるので十分 が乾いた血餅などが停留している場合があります。 注意します。積極的に動かしません。毛先に巻き これは口腔の汚れと咽頭(上・中・下咽頭)を 取るようにして汚れを取っていきます。汚れが取 再現してみた模型です。今朝オレンジジュースと れてきれいになると、呼吸がとても楽になります。 オブラートとさつま芋で作りました。きれいです から手にとって指先で触ってみてください。 25年前から病院・施設に行かせていただいてい 38 回復期リハ◆ 2012.10 ●保湿剤で十分ふやけさせてから剥がす またある時に、 「血餅だらけなので来て」と呼ば 新連載 口のリハビリテーション事始 れ、隣町の病院まで走りました。この方は「つい 2 、 3 日前までは食べられていたのに急に食べら れなくなった」という依頼でした。おびただしい 血餅で口腔がパックをされたように動かない、鼻 腔にも血餅がこびりついていました。口腔が乾燥 しているにもかかわらず口腔ケアの際に保湿剤を 使わず、きれいにしてさしあげたい一心で吸引を するたびにカテーテルの管先で粘膜を突いて傷つ けてしまったようです。 看護師が対応してくれており、歯は歯ブラシで 写真2 保湿剤でふやけさせてから喀出した咽頭の痰。 服用した錠剤が原型のまま残っているのがわかる 磨いています。そこで、 「このしなりのあるヘッド の小さいICU ブラシ※6で歯を磨いたらどう?」 ッ」と取れたのがこれです(写真2) 。 とお伝えしました。やってみると、口を開けて歯 痰にあらゆる鼻の汚れ、そして錠剤や散剤まで を磨かせてくれるようになりましたので、血餅の 詰まっています。これでは食べられない、飲めな 下の粘膜を二度と出血させない方法で取るように いというのも当然でした。 工夫し、モアブラシとICUブラシの二種を交互に 使いながら血餅を取り除いていくよう、ナースの 方にお願いしました。このような方の場合は二種 のブラシの毛先を巧みに使い、血餅を「ふやけさ コメント 天然歯の条件に戻してあげるのが義歯 ――加藤武彦氏(加藤歯科医院院長) せる」ことがいちばん大事です。無理に取らない ことです。そして、ふやけさせて取ったあとの粘 膜から出血がない状態を保ちます。 咽頭の痰の喀出が起きるまでにかかる時間は、 「このぐらい乾燥しているときは何分ぐらい」と、 たくさん患者さんに接するうちにわかってきます。 この間、ほかの病棟をラウンドし、 5 分なら 5 分 加藤武彦氏 舌背に強い嘔吐反射があり過敏な反応を示す患 経ってから行くと、ちょうど「グゥゥゥー………」 者さんに対し、 「今まで入っていた義歯の型ならき と、ふやけてきた痰が剥がれかけた状態が始まっ っと入るだろう」という「発想の転換」で、古い ていました。そこで、 「思いきりオホンと咳をして 義歯の型に歯ブラシの柄を付けて……。脱感作を ください」といって咳をしてもらいました。 「ボコ やりながらあんな発想、私でも出ないですね。 ※6 ICUブラシ 「くるリーナブラシ」シリーズの一つ。口を大きく開けられない人・経口挿管されている人などICUでの口腔ケ アを想定して開発。ブラシのヘッド部分が小さめで口に入れやすい。 回復期リハ◆ 2012.10 39 新連載 口のリハビリテーション事始 義歯というのは、自分たちの歯がある「天然歯 の条件に戻してあげる」というのが原則です。 舌骨上筋群※7が舌骨を固定することで嚥下の ときに舌がよい状態で動けます。このとき、義歯 また、医科ではこれまで看護師を中心に、柔ら かい痰を細い管で吸引する方法で喀痰吸引が行わ れてきました。 しかし、先ほどの黒岩先生のアプローチでは、 が口腔に入り、一定の高さが確保されていないと 目では見えていない口の奥にある「咽頭とその周 ものがうまく飲み込めません。浮き上がる義歯で 辺部」に段階的にアプローチして、固まりかけた はだめ、落っこちてくる義歯でもだめ。口腔でし 大きな汚れを丸ごと取り除いていました。 「口腔・ っかり安定した義歯の作製と調整が求められてい 鼻腔のさまざまな汚れがどんどん咽頭に押しやら ます。 れ、停留している」と考え、試行錯誤の末、安全 歯のない人の摂食・嚥下は大変です。安定した 義歯を入れて差し上げることが大切です。 で効果的な解決策を見い出したことが素晴らしい と思います。口腔ケアがとうとう、咽頭ケアまで きたというところですね。 ●明日の口腔ケア――咽頭や喉頭を念頭に まさに先の講演で栗原正紀先生(長崎リハビリ 加藤 先のぽてぽての痰は、咽頭に停留していた テーション病院理事長・院長)が、 「咽頭・喉頭の ものだろうと思われますけれども、目で見えてい 領域は専門職がいないブラックボックスです。み る範囲の口腔ケアではないところから引き出して んなで勉強すべき場所です」といわれたところだ きていますね。 と思います。関係者みんなで勉強して、患者さん 黒岩 新鮮な唾液と保湿剤の力を借りて、枯れた が元気を取り戻せるように、さらに知見を深めて 田んぼに水を引くように水分がじわじわと染み渡 いっていただきたいと思います。 っていく原理で咽頭や喉頭の粘膜を動かしやすく するメカニズムで行っています。 * 本連載では、口の 3 つの機能(①摂食・咀嚼・ 加藤 咽頭に停留している痰の固まりが呼吸に弊 嚥下、②構音、③呼吸)と障害を考えてアプロー 害を与え、ぜえぜえ……肩で息をさせています。 チすることによって、 「いつまでも安心して口から あれがあんなふうにボコッと取れると患者さんは 食べられるように支援していく」取り組みや思い 本当に呼吸が楽になります。 ――どのような障害があっても、最後まで人とし 従来の口腔ケアでは、口を開けた状態で外から ての尊厳を守り、 「諦めないで口から食べる」こと 目で見えているところの汚れに対し、スポンジブ を大切にしようとするすべての活動を「口のリハ ラシなどを当て、こすって取り除くなどの方法で ビリテーション」と表現し、この活動に取り組む 「口を開いたときに見える部分」にアプローチし 方々を紹介していく予定です。 ています。 ※7 舌骨上筋群 頚部の筋肉。舌骨につながる舌骨筋のうち、舌骨の上方にある筋の総称。 40 回復期リハ◆ 2012.10
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