表面分析装置によるLiイオン電池材料の解析事例

表面分析装置によるLiイオン電池材料の解析事例
堤 建一、島 政英、田中 章泰
日本電子(株)SA事業ユニット
1.緒言
をいかに防ぐかも重要であり、前処理方法を誤ると、同じ
試料でもXPSではLiが検出できるがAESでは検出できない
オージェ電子分光法(AES : Auger Electron Spectroscopy)
ということもあり、このような事例もよく見受けられる。
とX線 光 電 子 分 光 法(XPS: X-ray Photoelectron
こうしてみると、LiはAESによる観察には適さない元素
Spectroscopy)は、表面から深さ数nmの領域の元素分析
のようであるが、測定者が正しい前処理方法や分析時の注
を行う手法として広く用いられている。特に、これら2つ
意点を理解すれば、Liそのものの感度はXPSよりも高く、
の分析法は、水素、ヘリウムに次ぐ軽元素であるLiも直接
倍率が数万~数10万倍の像に対応したLiマッピングにも他
検出することができ、さらに定性的な評価だけでなく定量
の元素に比べ短時間で測定することが可能である。つまり
的な評価および化学結合状態の評価も行うことができるた
AES、XPSそれぞれにLiの分析に対して有利・不利な点が
め、古くからLiに関する研究・開発に用いられてきた。し
ある。これらの分析法の特長を理解したうえで使い分ける
かし現状のLiイオン電池に関する書籍や発表論文等をイン
ことにより、Liの分析が有用であることを、Liイオン電池
ターネットの文献検索(http://scholar.google.com/)等で
材料に注目し分析・解析を行った結果を用いて報告する。
調べてみると、XPSを使った研究成果を含む文献は2000件
も報告されているが、同じ検索条件でAESを使った文献を
調べてみると500件程度しか該当しなかった。これはXPSと
AESのユーザー数の違いによるものもあろうが、AESでは
Li分析が困難であり、研究に用いることが難しいと誤解さ
2.表面分析におけるLi検出のための前処理
方法
2.1 Liを含む材料の取り扱いの注意点
れていることも一因であると考えられる。事実、Li KVVの
オージェ電子の運動エネルギーは50 eVという低エネルギー
Liイオン電池材料中のLi元素は、その特性からLiイオン
帯にあり、二次電子の大きなバックグラウンド上に位置し、
として隣接する物質(固体・液体にかかわらず)に容易に
他の元素のオージェのピークとも重なることもあって、試
移動するため、試料前処理を行う場合にはその取り扱いに
料によっては、スペクトルを測定しただけではLiのピーク
注意が必要である。
の同定すら難しい場合もある。もう一つの理由は、Liオー
その必要性を示す例として、Liイオン電池材料の一つで
ジェ電子の脱出深さが浅いということである。50 eVという
あるLiCoO2粒子を例に挙げる。清浄な粒子表面でAES分析
低い運動エネルギーの電子はわずか1 ~ 2 nmの厚みのコン
を行うと、LiピークはFig. 1のように微分スペクトルに明確
タミネーションが付着しても、そのピーク強度は著しく低
に観察される。しかし、この粒子に対して、表面のコンタ
下し、検出することすら困難となる。一方XPSの場合には、
ミネーションを除去することを意図して、エチルアルコー
Liから放出される光電子の運動エネルギーは約1200 ~ 1400
ル等の溶媒で超音波洗浄を行うと、洗浄後のLiCoO2粒子表
eVとオージェ電子と比較し非常に高い。このことによって
面からはLiピークがほとんど検出されなくなる。これは、
XPSでは試料表面が若干汚染されていても十分にLi由来の
粒子表面の領域のLi元素が洗浄時の溶媒であるエチルアル
スペクトルを観察できることが多い。また他の元素スペク
コール中に溶出し、Liの表面濃度が低下したためだと考え
トルとの重なりが小さいこともLiの検出を容易にしている。
られる。Fig. 1の場合にはLiピークは消失し、ほぼコバルト
Liのエネルギー領域は特に遷移金属とスペクトルが重なる
酸化物になっていることがわかる。この現象は、水はもち
ことが多い。Liイオン電池によく用いられる遷移金属元素
ろんのこと、その他の有機溶媒でも生じる可能性は高いの
にはMn, Fe, Co, Niなどがある。しかしながらXPSの場合に
で、最表面を分析対象とするAESやXPSでは、特に注意が
はスペクトルが完全に重なるのはFeだけでありそれ以外で
必要である。AESやXPSで表面分析を行う場合には、特に
は十分に観察できるほどその位置は離れている。つまり、
必要がなければ、無機・有機溶媒による粒子表面の洗浄は
AESでは、試料前処理の段階でコンタミネーションの付着
行わない方がよい。
〒196-8558 東京都昭島市武蔵野3-1-2
を表面分析する場合には、溶媒洗浄せずに、乳鉢と乳棒で
E-mail: [email protected]
分析することを推奨したい。
もし、表面にコンタミネーションが付着したLi含有粒子
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粉末同士を擦り合わせて新たな清浄表面を露出させてから、
2.2 オージェ分析時の粉末試料のための前処理法
と注意点
この試料前処理を行うと、カーボン試料台の上に様々な
形態の粒子が存在することになる。例えば、Fig. 3の右図
の二次電子像に示すように、先ほど作った溝のところには、
粉末試料に対して表面分析を行う場合の、試料前処理法
粉末が充填されて密に粒子が詰まった大きな表面が再現で
や分析のコツについては、2009年EPMA・表面分析ユーザー
きている。また、1000番の研磨紙で研磨した表面には微細
ズミーティング資料[1]で説明した。ここでは特にLi含有粒
な凹凸や研磨痕があり、単一状態の粒子やクラスターを形
子に対して有用である「カーボン試料台に散布する方法」
成している粒子群が凹凸や研磨痕中に存在している。この
を紹介する。
ように、一度の前処理でカーボン試料台の上には、様々な
カーボン試料台とは、Fig. 2に示す日本電子(株)で販売し
形態で粒子が存在しているので、この中から単一粒子を選
ている「水平試料載台」(Parts No. : 600154386)のことで、
び出して分析したり、密に詰まっている領域で平均的な組
その大きさは直径10 mm、高さ5 mmである。この試料台
成を分析したりするなど、一つの試料でいくつかの状態の
を入手して、その表面を粒度1000番程度の研磨紙で研磨し、
分析が可能となる。
ある程度平滑な表面とした後、その表面上に精密ドライバー
などの先端の尖った工具で少し浅い引っかき溝を作る。こ
のように処理したカーボン試料台の上に分析目的である粉
2.3 XPS分析時の粉末試料のための前処理法と
注意点
末試料を散布した後、薬包紙などの紙で粉末試料を散布し
た表面を軽く擦って、粉末を溝に擦り込み、擦り込むこと
XPSにより絶縁性の粉末試料を測定する場合には、試料
のできなかった粉末は除去する。さらにブロアー等で、カー
が絶縁物であることにより帯電の影響を受けること、試
ボン試料台表面に残っている余分な粉末を除去する。
料ホルダーへの固定が難しいため飛散しやすいことなど
このように試料前処理を完了したカーボン試料台を、
の問題がある。他の固定方法との比較については2006年
Fig. 3に示すようにAES用の標準試料ホルダーの内部にあ
EPMA・表面分析ユーザーズミーティング資料[2]に報告
るスプリングを外してセットすれば、AESのための準備は
した。XPS用試料成型としての最適な方法は錠剤成型器を
終了である。
用いてペレットに成型することである(Fig. 4)
。ペレッ
Fig. 1 LiCoO2表面のLiピーク強度の違い(超音波洗浄前と洗浄後)。
①研磨紙で表面を軽く研磨する。
②先端の尖った工具で浅い溝をつける。
③粉末試料を溝に擦り込み余分な粉末は
除去する。
Fig. 2 カーボン試料台への粉末試料のセッティング。
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ト成型を行うためには比較的多量の粉末試料を必要とする
由行程のエネルギー依存性を示す。Li KVVのオージェ電子
が、この方法で成型された試料表面はフラットであるため、
は、Li 1s軌道の結合エネルギーの大きさを反映して約50 eV
XPSにおいて感度が高く、帯電の影響も抑えやすい。
の運動エネルギーしか有していない。これに対し、Al Kα線
を用いたXPSでのLiピークは一次X線のエネルギーを反映し
3.表面分析におけるLiの検出と定量
た1400 eV以上の高い運動エネルギーを持っている。このた
3.1 Liに関する検出と感度
を平均自由行程の約3倍程度として見積もると、Li KVVオー
め、平均自由行程が大きく異なっている。電子の脱出深さ
ジェ電子の脱出深さは約2 nm弱となり、これはXPSの光電
AESにおいては、Liに関する感度は思いのほか低くはな
子のそれの1/3 程度と著しく浅い。このため、わずかなコ
く、点分析はもちろんのことマッピングも短時間で行うこ
ンタミネーションが付着しても、その強度は著しく低下し、
とができる。そこで、Liの検出感度についてAESとXPSと
検出できなくなる可能性が高いことがわかる。つまり、Li
の比較を行った。Fig. 5の左図に示すように、AESによっ
に関するAESを行う場合には、コンタミネーションを除く
てC(カーボン)とLiを同じ条件で測定した場合の標準スペ
ための試料前処理方法も非常に重要である。
クトルのピーク強度を比較すると、Cに比べてLiの方が4倍
次に実際にXPSを用いて分析を行ったLi化合物のスペク
程度高いことがわかる。一方、XPSの場合も本来であれば
トルを示す [3]。まず金属Liの測定を行った結果を示す。金
純物質同士のピーク強度を直接比較すべきところであるが、
属Liは通常酸化を避けるため、パラフィン油中に浸して保
Liの標準スペクトルの取得が困難であるため、これができ
存される。ただしLiは室温でも水と反応し、水酸化リチウ
ない。そこでAlKα(1486.6 eV)のX線で励起する際のイ
ムとなり、その後大気中の二酸化炭素を吸収して炭酸リチ
オン化断面積を、CとLiの感度として比較した(Fig. 5 右)
。
ウムへと変化する。これにより保存していたLiを大気中に
これによるとAESの場合とは逆になっており、LiはCに比べ
取り出すとLiの周辺は白く変色した状態である(Fig. 7)。
て、1/18程度のピークであることがわかる。つまり、Cの
この状態のLiをカミソリで切ることにより金属光沢を持っ
強度を基準にLiの強度を比較すると、約72倍の違いがあり、
た面を露出させることができる。しかし大気中では金属光
AESの方が高い感度を有している。
沢を示していた部分も数十秒のうちに黒色、そしてその後
しかし、一般的にはXPSの方がLiを検出しやすいという
印象があり、実際、緒言で述べたようにLiの表面分析は、
白色へと変化していく。
炭酸リチウムに変化した白色の部分は長時間イオンス
多くの場合XPSで行われている。これはLiのオージェ電子
パッタリングを行うことによって表面をエッチングしても
とLiの光電子の運動エネルギーの違いによる脱出深さの差
酸素や炭素はなくならず、金属Liのスペクトルを取得する
が大きく関与している。Fig. 6に固体試料中の電子の平均自
ことはできなかった。Fig. 8にXPSで測定した炭酸リチウム
Fig. 3 標準試料ホルダーにカーボン試料台をセットした状態と表面二次電子像。
Fig. 4 ペレットに成型された粉末試料。
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部分のスペクトルを示す。
Liは大気中の水分と反応して変化するため、Liの塊をド
3.2 Liの定量(相対感度因子法と絶対強度定量
法)
ライ窒素を充満させたグローブバッグ内で切断し金属光沢
を保った状態のままXPSを行うと、金属Liと酸化リチウム
前節までに試料前処理方法とLiを検出する際の注意点に
に対応するスペクトルが得られる。このスペクトルとFig. 8
ついて述べた。上記の点に注意を払えば、AESにある程度
に示した炭酸リチウム、さらにリン酸リチウムの3種類の化
習熟したオペレータはXPSのみならず、AESによってLiの
合物からのLi1sスペクトルをFig. 9に、それらの化合物ごと
分析はさほど困難なく可能である。しかし、その次の問題
のピーク位置をTable 1に示す。このようにXPSを用いる
点であるLiの定量分析と定量精度については、現在のとこ
ことにより、Liのスペクトルが明確に観察されるとともに、
ろ確立した方法がない。ここでは、Liの定量分析法として
Li自体の化学状態の変化をもとらえることができることが
相対感度因子法と絶対強度定量法について述べる。
Liは1sと2sの2つの電子軌道にしか電子を有しておらず、
わかる。
AESにおけるピーク強度比
10kV, 10nA, ΔE/E:0.5 %
ILi / IC
XPSにおけるイオン化断面積
X線: AlKα (1486.6 eV)
4
ILi / IC
1/18
Fig. 5 AESとXPSの
Li感度の比較。
Li KVV
: 50 eV
Al K
: 1437 eV
Fig. 6 固体試料中の電子の平均自由行程。
Fig. 7 Liメタルの写真(左:
切断前、右:切断直後)
。
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このうち2s軌道は結合している相手元素との共有結合軌道
に気を付けながら測定を行うことが重要である。
となるので、オージェスペクトルは結合状態によってピー
ステップ(2)では、標準スペクトルを用いて、最小二乗
ク位置とピーク形状が大きく変化する。また、50 eV付近の
法により残差(誤差)が最も小さくなるように計算を行う。
LiのKVVピークは二次電子の大きなバックグラウンドの上
具体的な計算方法については、ここでは割愛するので、参
に存在し、その50 eV付近は他の元素の価電子ピークがオー
考文献 [5]の「AESのピーク分離解析とその応用」を参照し
バーラップするために、従来のAESの定量分析法として用
ていただきたい。ここで重要となるのは、波形分離を行う
いられている相対感度因子法では、正しく原子濃度を見積
場合に、必ずスペクトルを微分して、簡易的にバックグラ
もることは非常に困難である。
ウンドを除去することである。オージェスペクトルの場合、
Fig. 10に相対感度因子法に用いるAgとCuの強度を示し
オージェ電子そのものが二次電子の一種なので、微分する
た。AESにおける相対感度因子法では、実測された微分ス
前のN(E)スペクトルに含まれる二次電子のバックグラウ
ペクトルの各元素の山谷部のピーク強度(Fig. 10)に、予
ンド成分とオージェスペクトル部分を明確に区別すること
め求められている純物質間での相対ピーク強度比(相対感
ができない。微分することで、簡易的に二次電子のバック
度因子)をかけて感度の補正をした後、それらの値を合計
グラウンドを除去することで計算精度が向上し、ピーク形
して100 %になるように規格化したものを原子濃度比として
状の差異に特化した波形分離計算が可能となる。
求めている。この方法は非常に簡便な方法で、相対感度因
ステップ(3)では、ステップ(2)で得られた各元素の
子さえ求まっておれば、実測したオージェスペクトル1本か
スペクトルの強度と、標準試料を同じ条件で測定した場合
ら各元素の微分ピーク強度を求めて単純計算をするだけで、
のスペクトル強度とを比較して、絶対強度定量計算を行う
定量分析値を得ることができる。相対ピーク強度(相対感度)
ことになる。ここでFig. 1で紹介したLiCoO2粒子について
を考慮して規格化するということでは、基本的にはXPSに
測定したスペクトルに対して、絶対強度定量を行う手順を
おける定量計算も同じ考え方であり、表面分析では広く認
Fig. 11を使って説明する。なお、ここでは複合酸化物であ
知された一般的な定量分析の方法である。しかしAESの場
るLiCoO2をLiO2とCo3O4の混合酸化物であると仮定している。
合、XPSの場合と異なり、あくまで微分ピークの山谷部の
Fig. 11に示したスペクトルは、LiCoO2 粒子について照射
ピーク強度(Fig. 10)を基準とするため、微分ピーク強度
条件(10 kV, 10 nA)
、エネルギー分解能0.5 %で測定したも
はピーク形状の変化に著しく敏感で、結合状態変化による
のである。このエネルギー分解能であると、Co2+ やCo3+ の
オージェピークのブロード化や、他の元素ピークのオーバー
価数による結合状態の違いをスペクトルで区別することは
ラップによるピーク形状の変化は、定量結果の誤差を大き
難しく、Coのスペクトルはほぼ同じ形状をしているので、
くする要因となる。これらの要因は、Liを定量する場合は
絶対強度定量法に用いる標準スペクトルはCoOでもCo3O4で
非常に深刻な問題で、原子濃度が5 %以下となるような低濃
も問題はない。ここでは酸化コバルト(Co3O4)と酸化リチ
度のLiピークの場合などでは、もはや独立したピークとし
ウム(Li2O)の標準スペクトルを使って定量計算を行った。
て山谷部を検出することはできず、波形分離計算の結果で
Liが検出される30 ~ 60 eV付近のピークにはCoのピーク
初めて他の元素のピークの中にLiが含まれていることがわ
も検出されるので、酸化リチウムと酸化コバルトの標準ス
ペクトルを使って波形分離すると、Li2O成分が抽出される。
かる場合も少なくない。
そこで、Liの定量分析を行う場合には、相対感度因子法
今回の場合の、その強度は1078 countsで、同じ測定条件で
ではなく、ここでは絶対強度定量法を用いて行うことを提
測定した場合のLi2Oの標準スペクトルの強度は3127 counts
案する。手順は、次のステップ(1)~(4)の通りである。
である。これは波形分離されたLi2O成分の絶対強度が3127
(1)試料前処理に注意しながら、オージェスペクトルを
counts となれば、標準試料のLi原子濃度と同じ2/3 = 66.66
…%になることを示している。そこで、絶対強度比から測
測定
(2)実測した微分スペクトルに対して、標準スペクトル
定されたLi濃度は約23.0 %であることがわかる。同様に、Co
を使った波形分離計算による各元素スペクトルへの
が検出される600 ~ 850 eV範囲は、この場合Coの3つのピー
分離
クしか存在しないので、Co3O4標準スペクトルとの絶対強度
(3)各結合状態の元素スペクトル強度と、それらと同じ
を比較して、Coの原子濃度は約24.5 %であると計算される。
測定条件下で測定した場合の標準スペクトル強度と
最後に、470 ~ 530 eV付近に存在する酸素のピークはLi
の強度比を用いた原子濃度への変換
(4)検出された原子濃度の総和による定量精度の検討
に結合する酸素ピークとCoに結合する酸素ピークが重なっ
て存在しているが、ピーク位置がそれぞれ異なるので各標
ここでステップ(1)で測定するオージェスペクトルのエ
準スペクトルを使って波形分離計算を行うと、2つの成分に
ネルギー分解能は、必ずしも高いエネルギー分解能を選択
分離した絶対強度を得ることができる。その結果、得られ
する必要はない。一般的なエネルギー分解能 0.5 %でも、同
た絶対強度比から、それぞれの成分の原子濃度を計算する
じエネルギー分解能で測定された標準スペクトルを有して
と、Liと結合する酸素は約12.1 %であり、Coと結合する酸
いれば定量計算には差支えない。もちろん、高エネルギー
素は41.7 %であることが求められる。
分解能で測定すれば、結合状態や原子価に応じた標準スペ
それぞれの絶対強度比から求めた各原子濃度と合計の原
クトルを使った波形分離計算が可能となり、結合状態別の
子濃度をTable 2に示した。原子濃度の合計値を見ると、ほ
原子濃度まで定量が可能となる[4]。解析目的にあったエネ
ぼ100 % でその差は1.3 % 程度になっている。相対感度因子
ルギー分解能で測定し、電子線やArイオンによるダメージ
法では必ず規格化されるので、定量計算結果の誤差に対す
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wide
O
531.0 eV
C
54.6 eV
O1s
Li
289.7 eV
Li1s
CO 3
CH
C1s
Fig. 8 Li白色部分のXPS測
定結果。
Table 1 Li関連物質のピーク位置。
Fig. 9 各化学結合状態のLi1sピーク形状。
IAg
ICu
Fig. 10 相対感度因子法における強度の定義。
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日本電子news 46
る議論が難しくなるが、絶対強度定量法ではこの原子濃度
には分析位置により特にLiの量に大きな違いが存在してい
の合計値を見れば、誤差をおよそ見積もることができる。
ることが認められる。一方で分析を3 mmφとした場合には
また、各原子濃度比も重要なポイントである。LiとLiに結
そのような定量値の違いは認められない。このようにXPS
合している酸素の比は約2 : 1で酸化リチウムを形成している
の場合には特に試料の不均一さを意識したうえで分析を進
と推定でき、Li:Co:O(合計原子濃度)は1:1:2と、ほぼ
める必要がある。
LiCoO2を形成していることが明らかとなった。
このようにLiのピークのように、他の元素のピークがオー
バーラップしても、波形分離後のスペクトルに対して、絶
3.3 Li電池用粉末材料のオージェ分析と他の分析
法との比較
対強度定量法を用いれば、Liの原子濃度を求めることが可
ここでは実際にLiイオン電池用粉末試料のAESによる解
能である。
一方でXPSの場合には、3.1節で示したようにLiのスペク
析事例を紹介し、他の分析法による結果と比較する。ここ
トルの化学結合状態による変化は、主にスペクトルのシフ
で扱う試料は、Fig. 14に示すMn, Co, Niが1:1:1の割合で含
トだけであること、また相対感度因子法による定量計算で
有されているNMC系粉末試料(以下NMC試料)で、これ
はスペクトルの面積強度を用いることからLiの原子濃度を
を適切な試料前処理を行って分析した。
計算するときにも相対感度因子法によるもので比較的精度
まずAESで分析する前に、平均組成が指示通りの比率
のよい結果が得られる。ただし、XPSの場合に気をつける
Mn : Co : Ni = 1:1:1の比率になっているか否かをエネルギー
べき点は試料の不均一さである[6]。粉末の試料の場合にも
分散型蛍光X線分析(XRF)装置 [Element Analyzer JSX-
試料自体が不均一であることが十分にあり得る。
3100RⅡ]を用いて調べた。一般的にLiイオン電池用粉末材
Fig. 12の反射電子組成像よりペレット成型した粉末試料
料の平均組成を調べるためには、主に湿式分析によるICP-
はおよそ100 μm程度の不均一さを持つことがわかるが、通
MS(誘導結合プラズマ質量分析計)
、ICP-AES(誘導結合
常XPSによる試料の観察は光学顕微鏡などでなされるため、
プラズマ発光分光)などの方法が用いられることが多い。
光学顕微鏡で観察される以下の不均一さを判断することは
しかし、湿式分析は定量精度が高いという大きな長所もあ
難しい。このような場合には分析径を十分に広げることに
るが、試料を酸・アルカリ溶液に全溶解させて調べる必要
よりその影響を軽減することが可能となる。Fig. 13はFig.
があり、溶液調整に時間が必要となるため、多くのサンプ
12の試料を分析径100μmφ、および3 mmφとして定量分
ル数をこなすことが難しいという欠点もある。そこで、Li
析を行った結果である。Fig. 13より分析径100μmφの場合
イオン電池用粉末試料に対してLiの含有量を除いたMn, Co,
Fig. 11 絶対強度定量法(Fig. 1のLiCoO2スペクトルの定量計算例)。
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Niの比が正しいか否かに関しては、一次スクリーニング
て、NMC試料の最表面分析を行った。Fig. 16にその結果を
手段として、わずか数分で精度の高い定量結果が得られる
示す。XRFの結果と比べると、ややNiの濃度が他のMn, Co
XRF法が用いられている。Fig. 15にXRF法で観測されたス
の濃度よりも高い値を示しており、表面には14.8 %ものLiが
ペクトルおよびこのスペクトルを用いて得られた分析結果
存在していることがわかる。
を示す。この結果を見ると、XRFの分析結果ではMn, Co,
続いて、AESを用いて表面における平均組成を分析する
Niはどれも原子濃度約13%で、ほぼ1:1:1の割合で含有され
ために、同じ試料で50μmφの領域での平均スペクトルを
ていることがわかる。
測定した(Fig. 17)
。測定されたスペクトルに対して、3.2
次に、粉末粒子をペレットにして、粒子表面に平均的に
存在するLi濃度を調べるため、XPSによりJPS-9200を使っ
の節で述べた方法で絶対強度定量法による定量分析を行い、
その結果もFig. 17に示す。絶対定量分析結果では、各元素
Table 2 絶対強度定量法で求めたLiCoO2原子濃度(%)。
Li
Co
23.0
24.5
O(Li
12.1
)
O(Co
)
41.7
101.3
Atomic concentration%
Atomic concentration%
Fig. 12 ペレット成型したLi
イオン電池用粉末材
料とその反射電子組
成像。
Fig. 13 左:任意の3点を分析径100 μmφとして測定した定量結果。
右:任意の3点を分析径3 mmφとして測定した定量結果。
Fig. 14 実 験 に 用 い たLiイ オ ン 電 池 用
NMC系試料(Mn, Co, Ni = 1:1:1)。
(2014)
Vol. 46 No. 1
日本電子news 48
の定量値(原子濃度)はそれぞれのピーク強度を標準スペ
ると、炭素濃度の違いが大きいことが目立つが、これは恐
クトルのピーク強度と比較して求めるため、規格化は行わ
らくXPSとAESの分析領域の違いによるものだと考えられ
ない。今回の結果は総原子濃度の合計値が 96.7 %となり、
る。平均的な元素組成を分析する場合、広い領域を分析す
誤差は約 3.3 % であることがわかる。参考までに、コンタミ
ることが可能であるXPSの方が有利であり、コンタミネー
ネーション由来と考えられる炭素を除いて規格化した定量
ションが局在していても影響を受けにくい。一方、AESは
値で、従来の相対感度因子法と絶対強度定量法と比較した
元来局所分析を目的としており、アナライザーのレンズ系
結果をTable 3に示す。相対感度因子法で計算すると、
Liピー
の都合上、分析範囲は最大数100μm四方が限界で、今回無
クは他のMn, Co, NiなどのMVVピークがオーバーラップす
作為に平均的と思われる場所を測定したが、偶然にも有機
るため、その濃度が絶対強度定量法の濃度よりも大きな値
物の多い領域を分析したために、炭素濃度が高かったと考
となっていることがわかる。
えられる。そこで、炭素を除いた元素で規格化した定量値
XPS(Fig. 16)とAES(Fig. 17)との定量結果を比較す
で比べてみると、AESとXPSは近い値になり、Liについて
Element Analyzer JSX-3100R
Fig. 15 蛍光X線分光分析(XRF)によるNMC試料の定量分析結果。
JPS 9200
Fig. 16 X線光電子分光法(XPS)によるNMC試料の定量分析結果。
49 日本電子news
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は5%程度の差に収まっている。このように、AESを使って
域を平均的に分析するXPS等の結果と、局所的に分析する
Liの定量を行う場合には、絶対強度定量を用いた方がより
AESの結果とは、異なることがある。そのため、試料をよ
精度の高い分析が可能となるので、活用していただきたい。
り正確に解析するためには、どちらか一方のデータだけで
次に、2.2節で紹介した様に、カーボン試料台上にNMC試
は不十分で、平均的なデータと局所領域のデータを取得し、
料を分散させて二次電子像で観察した結果をFig. 18に示す。
これらから試料の分析結果を総合的に判断する必要がある。
Fig. 18を見ると、大きさの異なる粒子が数多く存在して
続いて、このNMC試料断面をクロスセクション・ポリッ
おり、中には有機物と思われる異物も確認できる。ここで
シャー(CP)で作製し、断面に垂直な方向から分析を行っ
は、簡便のために粒子径の大きいものをpoint 1、粒子径の
た(Fig. 19)
。AES用のLiイオン電池用粉末試料の断面を作
小さなものをpoint 2、異物をpoint 3としてこれらの点につ
製する場合には、いくつか注意するべき点がある。第一は
いて点分析を行った。生のスペクトルとこれらのスペクト
Liの拡散を防ぐため、粒子の固定はカーボン試料台を用い
ルから求めた分析結果をFig. 18に示す。その結果、point 1
樹脂等の使用は避けること、第二は粒子内の試料の状態を
とpoint 2とではMn, Co, Niの原子濃度比が異なっており、
保持するため、断面加工操作は粒子内の元素と化学反応を
これらはLiの濃度も大きく異なる粒子であることがわかっ
起こさない不活性ガスイオンで加工するCPやイオンスライ
た。また、point 3ではLiは全く検出されず、これは単なる
サーなどの断面加工装置を用いること、第三は断面加工し
異物だと思われる。一般にLiイオン電池用粉末試料中には、
た表面を変質させないために、大気に曝すことなく試料を
このような異物が多く混入しており、分析領域によっては
保持・搬送するトランスファー・ベッセルなどを活用する
Fig. 17で得られた結果のように炭素濃度の高い定量値が得
ことである。特に、AESは表面からわずか数nmといった領
られているが、この結果はこのような観察で説明できる。
域で、元素分析や結合状態分析を行う装置であるので、細
このように、Liイオン電池用粉末試料の場合には、広い領
心の注意が必要である。
Table 3 NMC試料に関するAESにおける絶対強度定量法と相対感度因子法
との定量値の比較(炭素を除いて規格化)。
JAMP
9510F
Fig. 17 AESによるNMC試料の定量分析結果(絶対強度定量法)。
(2014)
Vol. 46 No. 1
日本電子news 50
(SEI)
(BEI)
2
3
Fig. 18 Liイオン電池用NMC
系 粉 末 試 料[10 kV,
10 nA, 観 察 倍 率:
700倍]。
1
(SEI)
Fig. 19 NMC粉 末 断 面 で 測
定したAESスペクト
ルと絶対強度定量結
果。
←原子濃度の合計 ( 誤差 : -0.4 %)
←炭素を除いて規格化
Fig. 20 SEM-EDSによるNMC
試料の定量分析結
果。
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Vol. 46 No. 1
(2014)
Table 4 各種分析装置を用いたLiイオン電池用粉末試料の定量結果の比較。
Fig. 18を4倍に拡大したFig. 19の二次電子像を見ると、試
ない手法であり、Liの検出・定量が可能であるばかりでな
料の粒子は内部に空胞を持っており、ポーラス状の構造を
くAESではナノ領域におけるマッピングまで可能な装置と
持っていることがわかる。Liイオン電池用粉末試料の中に
して市販されている。しかし、特にAESではLiの分析は困
は、原材料粒子を混合して焼成する過程で、Fig. 19に示す
難だという偏見があって、現状では残念ながらこの目的の
ような粒子内部に空胞を有していることがある。CPは不活
ためにあまり活用されていない。
性ガスを用いたドライプロセスであって、このようなポー
今回、ここで紹介したようにXPSを用いたLiの分析だけ
ラス状の構造をもつ粒子でも穴の形状を保ったまま断面加
でなく、AESを用いることでもLiの高感度の分析が可能で
工できるため、Liイオン電池用粉末試料の分析に適してい
あり、絶対強度定量法を用いれば他の分析手法と比較して
る。この粒子断面上の比較的構造が密な図中に丸印で囲っ
も、同じ程度の信頼性のおける定量値を得ることもできる。
た部分について、オージェスペクトルを測定し、絶対強度
AESやXPSを 十 分 に 活 用 で き れ ば、TEM, SEM, EPMA,
定量分析を行った。その結果をFig. 19の表に示す。Mn, Co,
XRFなどの直接Liを測定できない装置のデータを補完する
Niはおよそ1:1:1の割合で存在しており、炭素を除いた原子
ことができ、これらのデータを総合的に判断することで、
濃度に換算すると、その濃度は約13 〜 14 %になる。この値
今まで明らかにされていなかったLiの分布や挙動を明らか
はFig. 15のXRFの結果に近い値であり、粒子そのものの原
にできるものと期待できる。
子濃度を示していると考えられる。
次に、Fig. 20のSEIに示すように、Fig. 19に示すものと
同じ断面試料を使って、同じ丸印で囲った場所をSEM-EDS
で分析した結果をFig. 20の表に示す。AESの結果と比べて
みると、Mn, Co, Niの原子濃度では、わずか2 %程度しか異
なっておらず、ほぼ同じ値を示していることがわかる。
ここまでの結果をまとめると、Table 4のようになる。表
参考文献
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Liイオン電池は、今日世界中の研究者によって精力的な
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開発が進められており、数多くのレポートも発表されてい
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(2001).
なる電池の中の局所領域におけるLiの挙動およびLiの状態
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に応じた分布に関する知見が強く求められている。AESや
分析の落とし穴-」, 2012 EPMA・表面分析ユーザーズ
XPSはまさにそのようなニーズに応えることができる数少
ミーティング資料, AP92(2012).
(2014)
Vol. 46 No. 1
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