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憲法9条ファンクラブ ニューズレター
第79号
2010年12月16日
沖縄県知事選挙について
憲法9条ファンクラブ事務局
まだ風景は変わっていない?
県知事選の翌朝、米軍普天間飛行場に所属する海兵隊のヘリコプターが宜野湾市の上空を旋回し
ていた。いつもと変わらぬ風景があった―「沖縄タイムス」社説(11 月 30 日付)は冒頭にこう
書いた。たしかに、11 月 28 日に行われた沖縄県知事選挙は、米軍普天間基地問題を最大の争点に
たたかわれたが、選挙後、即座に「普天間基地の閉鎖・撤去」
「米軍基地の県内移設反対」が実現し
たわけではない。
米軍基地撤去に向けて前進する沖縄
しかし、選挙結果を分析してみると、沖縄県民の米軍基地撤去に向けた運動が大きく前進してい
る姿が浮き彫りになる。選挙戦では前宜野湾市長の伊波洋一氏を振り切って、自公推薦の現職・仲
井真弘多氏が 2 期目の当選を果たした。日本共産党、社民党、沖縄社大党が推薦した伊波氏は新基
地建設の「日米合意」の撤回、
「普天間基地の閉鎖・撤去」
「県内移設反対」を訴え、29 万 7 千票を
得たが惜敗した。仲井真氏はこれまで、名護市辺野古を移設先とした日米合意の見直しを求めなが
らも、県内移設を条件付きで容認していた。だが選挙戦では「普天間基地の閉鎖・撤去」
「米軍基地
の県内移設反対」を前面に訴えた伊波氏と、県民世論に押されて、現職の知事が「県外移設」に態
度を変えた。再選を果たした仲井真氏は、
「県内移設は事実上ない。県外だ」と語り、日米合意の履
行は難しいとの考えを明確に表明している。
沖縄県民の総意はいささかも揺るがず
昨年 8 月の総選挙で、県内移設を進めてきた自民党・公明党議員が沖縄で全滅した。今年 1 月の
名護市長選挙では県内移設反対をかかげた新人・稲嶺進氏が当選した。9 月の同市議選挙でも移設
反対を唱える市長派が圧勝した。
名護市議会は10 月に日米合意の撤回を求める意見書を可決した。
また、7 月の参院選沖縄選挙区の自民党候補は、党本部の方針に反して日米合意を批判し、県外移
設を訴えて当選した。今回の知事選挙では、
「共同」による投票日出口調査で、名護市辺野古への新
基地建設を「容認できない」が 68・9%に、NHKの同調査では 75%に達している。
「県内移設に
対する県民の拒否感があらためて浮き彫りとなった」
(琉球新報 11 月 29 日付)
、
「これまで県内移
設を容認してきた保守陣営も、沖縄ではもう県内移設を掲げて戦うことはできなくなった」と地元
紙は指摘している(沖縄タイムス 11 月 29 日付)
。「県内移設反対」という沖縄県民の総意はいささ
かも揺るがず、いよいよ堅固なものになってきている。
民主党の度重なる裏切りの傷は深い
また、今知事選の特徴は、政権与党の民主党が独自候補はおろか推薦候補すら出せず、参院選に
次いで沖縄で2度目の「不戦敗」を選択したことだ。政権与党が「沖縄」から逃げる。そんな日本
の政治、政権与党の無責任ぶりも露呈した。民主党は昨年 8 月の総選挙で「最低でも県外移設」を
公約した。さらに名護市長選では「県内移設反対」を掲げた稲嶺氏を推した。にもかかわらず、公
約を簡単に反故(ほご)にし、
「県内移設」=辺野古移設の日米合意までした。また、知事選で仲井
真氏と伊波氏が「県外」
「国外」を主張しているにもかかわらず、その最中の 11 月 14 日に、菅首
相はオバマ米大統領に対して「米軍普天間飛行場の移設問題について 5 月の日米合意をベースに現
行計画を推進する」と、選挙結果をみることもなく、再び地元の頭越しに、約束してしまった。こ
れらの民主党の度重なる裏切りの傷は深く、その後遺症である政治不信と閉塞感が県民を包み、今
知事選の低投票率を生んだと指摘されている(琉球新報 11 月 29 日付社説)
。
日米同盟は日本の安全・平和の礎か?
「知事選は中国漁船衝突事件で日本の領海が侵犯され、北朝鮮の砲撃など地域情勢が緊迫するな
かで行われた。在日米軍の抑止力と日米同盟はいっそう重要性を増している。これ以上日米同盟を
弱めるわけにはいかない」―大手のマスコミの社説は、事前に相談したかのように声をそろえて
このように主張している。その主張は、沖縄の米軍(その大半は海兵隊)は「抑止力」である、日
米同盟(=日米軍事同盟)は日本の安全とアジアの平和を支える礎だ、という視座を自明のことと
している。しかし、戦後 65 年間もの長期間、日本の政治・政府を呪縛してきているこの「常識」に
巨石を投じたのが今回の沖縄知事選挙だったのではなかろうか? 米軍は「日本防衛」のために駐
留し、日本はそのために基地を提供する。この安保条約の建前に、沖縄県民は NON を突きつけつ
けたのだ。これ以上、安保条約の犠牲にされることを拒否したのだ。沖縄県では、日米安保体制へ
の支持は 7%まで落ち込んでいるという(「毎日」「琉球新報」2010 年 5 月 31 日付世論調査)
。全国的
にも、日米安保体制の「解消」が 4 割を超えている(「日経」1995 年 10 月 17 日付)
。
米軍基地と安保条約をなくす闘いの開始
日米両政府と本土の私たち国民は、沖縄が突きつけた重い問いに今度こそ真剣に向き合わなけれ
ばならない。沖縄問題から逃げまわる政権与党に、日米安保の要を担う米軍基地問題の解決やその
先の日米関係の再構築など望むべくもない。知事選敗北後、選挙事務所でマイクを握った伊波氏が
呼びかけた。
「基地ある限り、基地問題は解決しなければならない課題として厳然と残ります。基地
をなくす運動は続きます。みなさん、いっしょに頑張りましょう。そして、いつかは私たちが勝つ
でしょう」
。
今まさに、沖縄から、日本から米軍基地をなくす闘い、日本を一方的に米国の支配・従属下に置
く日米安保条約をなくす闘いの国民的運動のスタートが切られた。この闘いでは、日本国憲法、第
9条の平和主義を握りしめた私たちが必ず勝利する。そして日本とアジア・世界の平和が実現する
展望が大きく広がっていく。