CHAPTER 3 CHAPTER 3 コミュニティカフェとモビリティ コミュニティカフェとモビリティ ━地域空間における 〈つながり〉の変容 田所承己 SECTION 1 はじめに 近年、地域空間のなかで増加しているコミュニティカフェに注目が集 まっている。コミュニティカフェとは、通常のカフェや喫茶店とは異なり、 利用者同士が交流したり、情報交換したり、〈つながり〉を作ったりする ことを大切にする場所である。本章と CHAPTER 5 では、この「コミュ ニティカフェ」という地域の交流拠点を手掛かりにして現代の〈つなが り〉を捉える作業を試みる。 本章では、地域空間における〈つながり〉の形態が、従来のような地理 的近接性に基づくものから「移動性」を織り込んだものへと変容しつつあ 080 る点に照準を定める。それに対して CHAPTER 5 では、個人化が進む時 口から探究する。本章が集合的視点から〈つながり〉の社会的文脈や形態 がり〉を扱い、とりわけ個人レベルの経験に照準を定める作業を行う。 1.1 地域空間とモビリティ 社会学では地域空間における〈つながり〉を「コミュニティ」概念に よって捉えようとしてきた。初期の社会学的研究においては、コミュニ ティの要件として「地域性」と「共同性」が重視された(Hillery, 1955)。 ﹁身体 │場所﹂ と ︿メディア =モビリティ﹀ に注目するのに対して、CHAPTER 5 では人間関係論的な視点から〈つな PART 1 代の新たな「社会性」のあり方を、 「自己承認」や「信頼」といった切り 空間的、地理的な近接性に基づいて社会的相互作用が交わされ、相互扶助 や相互依存の関係性が醸成されているとする見方が強かったと言える。 しかし、近年では地理的な近接性と社会的相互作用との関連性は、より 柔軟に捉えられるようになっている。ネットワーク分析を牽引するカナダ の社会学者ウェルマン(Wellman, 1979)は、交通手段や通信手段の発 達によって現代の都市生活者が空間的制約を越えた複数の親密な〈つなが り〉を有していることを明らかにした。また情報社会論やネットワーク社 会論を展開するアメリカの社会学者カステル(Castells, 2001)は、現代 社会においては社会的相互作用の中心的形態が空間的コミュニティから ネットワークへと移行していると見る。そして、私たちの〈つながり〉が 価値や社会組織の共有に基づくというより、行為者の選択と戦略の対象と なっている点を指摘する。 こうした現代社会の〈つながり〉の変容を、イギリスの社会学者アーリ (Urry, 2000)は「モビリティ(移動性)」という概念で捉えようとする。 交通手段やメディアの発達によって、私たちの日常生活は、ますます「移 動」を前提として再構成されつつある。それは空間的移動にとどまらない。 メディアやインターネットの普及によって、 「 想像上の移動」や「 バー チャルな移動」が日常生活に織り込まれつつある。しかし、だからといっ 081 CHAPTER 3 て地理的な近接性が重要でなくなったわけではない。むしろ、物理的な接 触や対面的な相互作用がさまざまな「移動性」と多元的に組み合わされる プロセスを通じて、日常生活の〈つながり〉が選択的に再構成されている コミュニティカフェとモビリティ と言えるだろう(Urry, 2007) 。 こうした視点から地域を捉え返すと、地域空間が今までとは異なるかた ちで動き始めていることがわかる。もちろん近年、近所づきあいは少なく なり、自治会や町内会に入る人も減少している。そのため、地域の〈つな がり〉は衰退していると言われることが多い。しかし、地域空間に広がる 移動やコミュニケーションの多元的なネットワークの交差に注目すること で、実際には地域の〈つながり方〉に大きなダイナミズムが生じているこ とがわかるだろう。そのための手掛かりとして、コミュニティカフェに目 を向けてみよう。 1.2 コミュニティカフェとは何か コミュニティカフェとは、 「タウンカフェ」や「コミュニティサロン」 などさまざまな呼ばれ方がされる“まちのたまり場”のことを意味する。 普通のカフェや喫茶店と異なり、お茶を飲むことよりも、他の客や店の人 と交流したり情報交換したりすることが大切にされる場所である。だから、 「カフェ」であることは必ずしも必要ではない。 高齢者の人たちが“居場所”を求めて集まる場もあるが、子育て中の母 親がお互いに“おしゃべり”したり相談し合ったりするために立ち寄る子 育て支援の施設なども、一種のコミュニティカフェと言える。また、東 京・世田谷の「岡さんのいえ TOMO」のように、古くなって空き家に なった民家を、地域の大人や子どもが集う場として“家開き”的に開放し た場合、それもコミュニティカフェである。スローカフェのように、有機 無農薬コーヒーやフェアトレード、スローフードなど、ライフスタイルや 文化の魅力が中心となって人を引き寄せ、さまざまな人が結びついていく ような場もある。 082 コミュニティカフェのタイプ(活動分野)の違い 0 10 20 30 40 50件 高齢者の交流・福祉 コミュニティスペース まちづくり ギャラリーカフェ 若者・子どもの居場所 障がい者福祉 ﹁身体 │場所﹂ と ︿メディア =モビリティ﹀ 子育て支援 PART 1 図 3-1 スローカフェ その他 図 3 1 をみてみよう。これは関東圏のコミュニティカフェ 111 ヶ所へ のアンケート調査の結果である* 1。 コミュニティカフェにもさまざまなタイプがあることがわかる。子育て 支援タイプ、高齢者の居場所タイプ、多世代向けのコミュニティスペース などが多い。これらの場所は、会話を交わしたり一緒にすごしたりする “交流の場” 、地域の人たちの“居場所”である。 その一方で、住民のまちづくり拠点になっているところ、ギャラリーカ フェ、スローカフェなども少なくない。こうした場所は、多様な人たちが 集まって相互に刺激しあうような、文化や情報の発信拠点という性格が強 い。 *1 この調査は、2013 年 3 月から 5 月にかけて関東 7 県(東京・神奈川・埼玉・千葉・茨城・栃木・群馬)のコ ミュニティカフェ計 282 件に対して実施された質問紙調査である。123 件から回答が得られた(回収率 43.6%)。そのうち行政運営箇所等を除く111 件を分析した。 083 CHAPTER 4 論じられた「個人化」の問題とも容易に接続可能であることがわかるだろ う。「後期近代」においては、友人関係や性愛関係もまた「個人化」され ていると言うことができるのである。 若者の ︿つながり﹀ をどう考えるか SECTION 3 若者研究の議論より 3.1 若者の友人関係 さて、 「親密性の変容」に関する以上のような議論は、現代の日本の若 者の友人関係にどの程度あてはまることになるのだろうか。その点を確認 するために、ここで近年の日本における若者研究や、若者を対象としたい くつかの統計調査のなかから、友人関係のあり方の特徴を指摘しているよ うなものをいくつか参照してみたい。 近年の日本の若者研究で、ギデンズの理論や「第二の近代」論を参照し つつ、統計的なデータや現実の社会現象を考察の対象としているものは多 く見られるが、すべての研究が必ずしも同一の結論に達しているわけでは ない。しかし、それらを整理し総合的に考察するならば、それぞれの議論 の位置づけについて一定の見解を導き出すことは可能であろう。また統計 的なデータについては、本章ではできる限り新しいものを利用することを 心がけているが、データによっては少々古いものを使わざるを得なかった 部分もある。しかしそれでも、そうした点を考慮した上で参照することで、 少なくとも現代の日本の実情を知るための手がかりにはなるはずである。 3.2 「希薄化」論の妥当性について さて、友人関係に限らず、現代の若者の対人関係について考察する場合、 近年の社会学者がしばしば出発点とするのが「希薄化」論の是非に関する 議論である。「希薄化」の定義は論者によってさまざまであり、なかには 114 明確な定義のないまま議論を展開している場合もあるのだが、おおむね対 なることを意味していると考えていいようである。 での「希薄化」が生じているとは言いがたい。たとえば、内閣府が日本を 含む 5 ヶ国の若者(18∼24 歳)を対象として実施した「第 8 回世界青年 意識調査」(日本での調査は 2007 年に実施)の結果を見ると、「充実して いると感じるとき」として「友人や仲間といるとき」を選択する日本の若 者は 74.6%に達しており、しかもそれは「他人にわずらわされず、一人 。また、少し古い でいるとき」の 19.8%を大幅に上回っている(図 4 1) デ ー タ に な る が、16∼29 歳 の 若 者 を 対 象 と し て「 青 少 年 研 究 会 」 が 親密性と自己承認をめぐる ︿つながり﹀ の変容 しかし、若者を対象とした統計的調査の結果を見ると、そのような意味 PART 2 人関係の範囲が狭まったり、表面的なつきあいにとどまったりするように 2002 年に実施した調査においては、 「親友」が一人もいないと回答した 人の割合は 6.9%にすぎないし(浅野編,2006) 、つきあい方に関しても、 図 4-1 充実感を感じるとき 0 20 40 60 80% 友人や仲間といるとき スポーツや趣味に 打ち込んでいるとき 家族といるとき 仕事に打ち込んでいるとき 親しい異性といるとき 勉強に打ち込んでいるとき 他人にわずらわされず、 一人でいるとき 社会のために役立つことを しているとき 充実していると感じるときはない わからない・無回答 出典:第8回世界青年意識調査より 115 CHAPTER 4 図 4-2 親友についてあてはまること 0 20 40 60 80 100% 一緒にいると楽しい 若者の ︿つながり﹀ をどう考えるか 親しみを感じる 尊敬している ライバルだと思う 劣等感を感じる 一緒にいると安心する 真剣に話ができる 親友のおかげで 友だちづきあいがうまくなった 自分の弱みをさらけ出せる ケンカをしても仲直りできる 親友のような考え方や 生き方をしてみたい 出典:辻泉、2006をもとに作成 親友に対して「真剣に話ができる」と答えた人が 79.5%、 「自分の弱みを さらけ出せる」と答えた人が 59.7%となっているなど(辻泉,2006)、 それなりに「深い」つきあいができていることをうかがわせるものとなっ ている(図 4 2) 。すなわち、少なくともこうしたデータを見た限りでは、 若者の友人関係が「希薄化」しているとは必ずしも言えないことになるの である。 以上のような理由により、近年の日本の社会学においては、若者の友人 関係が「希薄化」しているという仮説は、支持を失いつつあるといってよ い。それどころかむしろ、何名かの社会学者は、 「希薄化」論が客観的な 根拠を欠いているにもかかわらずそれでも社会的な言説として成立してし まうこと自体に関心を持っているのである。たとえば橋元良明(1998) は、「希薄化」論の主な担い手である大学の研究者がもつ、彼らが日頃接 する大学生への印象が影響しているのではないかと論じているし、北田暁 116 大(2012)は、むしろ年長世代自身の対人関係の変化が若者に投影され にもかかわらず、あたかも現代の若者の人間関係が「希薄化」しているよ うべき社会現象の一環なのであり、そのことにこそ何らかの社会的背景が 見出されるべきではないか、というわけである。 さらに、より根本的な問題点として、先述の青少年研究会の調査に参加 した社会学者からは、「親密さ」の解釈が、若者とそれ以外の人びととの 間で異なっている可能性も指摘されている(浅野編,2006) 。すなわち、 年長世代にとっては「親密さ」の要件を満たしているとは思えず、そのた めに「希薄な関係」と判断されてしまうような関係であっても、若者たち 親密性と自己承認をめぐる ︿つながり﹀ の変容 うに見えてしまうこと自体が、「若者バッシング(浅野編,2006) 」とい PART 2 ているのではないかと論じている。いずれにしても、統計的な根拠がない 自身にとっては十分に「親密」なものと考えられている場合があるのでは ないか、というわけである。この点について考察する上で参考になると思 われるのが、精神科医の大平健(1995)が指摘する「やさしさ」の変容 である。大平によれば、 「やさしさ」という言葉はもともと「互いの傷を なめ合う」ような、いわば「治療」を意味するものだったはずなのだが、 次第に「お互いを傷つけない」ような、いわば「予防」を意味すると考え る若者が増えてきているという。この指摘がなされたのは 1990 年代のこ となので、もはや「現代の若者」特有の現象とは言い難いのだが、ここで 重要なのは、 「治療としてのやさしさ」と「予防としてのやさしさ」が、 互いに対立する概念となりうるということである。たとえば、「治療とし てのやさしさ」のもとでは、親しい人に対して悩みを相談したり愚痴をこ ぼしたりするのは歓迎されるべきことだが、 「予防としてのやさしさ」の もとでは、そのような行為は「相手を傷つける可能性」があるという理由 でむしろ避けられることになる。 このような場合、 「どちらが本当のやさしさなのか」という問いは、少 なくとも社会学的には意味をなさないだろう。どちらもそれを支持する人 びとにとっては「本当のやさしさ」なのであるし、客観的に見るならば 117 CHAPTER 7 CHAPTER 7 趣味とオンラインコミュニティ 趣味とオンラインコミュニティ ―「初音ミク」に見るボランタリズムの現在 鈴木俊介 SECTION 1 はじめに 「初音ミク」というキャラクターをご存知だろうか。この本を読んでい る若い読者諸君ならば、とりわけ 10 代女性の読者ならば、知らない人は ほ と ん ど い な い と 言 っ て も 過 言 で は な い だ ろ う。 年 齢 16 歳、 身 長 158cm、体重 42kg で、青緑の長いツインテールの髪型が特徴の美少女 キャラクターは、若者を中心として、世界中の熱狂的なファンによって支 。 持されている(図 7 1) しかしながら、その初音ミクというキャラクターを正しく理解している 人は、意外に少ない。「バーチャルアイドル」として、3DCG のプロジェ 190 クションによるコンサート映像を 初音ミク またゲームセンターで、リズム ボランタリーな ︿つながり﹀ の新たな模索 ゲームのキャラクターとして動い PART 3 図 7-1 見たことをある人もいるだろう。 ている彼女を見たことのある人も いるだろう。あるいは、カラオケ ボックスで、カラオケの映像に映 る彼女を見たことがある人もいる だろう。ただし、それらは彼女の 一つの側面でしかない。彼女の正 体はコンピュータのソフトウェア であり、また同時に「楽器」でも ある。 Illusutration by KEI©Crypton Future Media, INC. www.piapro.net 一般的に、コンピュータで音楽 を制作することを「DTM」と呼ぶ* 1。DTM の発展は、アマチュアの音 楽制作環境を格段に向上させた。ありとあらゆる楽器の音色をパソコン 1 台で再現することが可能になったため、たとえ自分一人であっても、バン ドやオーケストラのすべてのパートを、パソコンに入力するだけで演奏す ることが可能になった。また同時に、まったく楽器を弾けない人であって も、ソフトウェアの使い方さえわかれば、演奏を行うことができるように なった。しかしながら、どうしても再現できない楽器が一つだけ存在して いた。それは人間の「歌声」である。 歌声をどうやってパソコン上で再現するか、これは長年 DTM の世界 においては、大きな課題であった。とりわけレコーディングのプリプロダ クション(デモトラックの制作)やバックコーラスなど、音楽産業からの ニーズも高かった。そこでヤマハ株式会社では、同社の剣持秀紀を中心に *1 Desktop Music の略称。コンピュータを利用した出版を DTP(Desktop Publishing)と呼ぶが、これ をもじった和製英語である。 191
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