20090701 - 東京災害ボランティアネットワーク

TOSAIBOTIMES 2009 年 7 月 1 日発行 編集者:TOSAIBO TIMES 編集委員会 編集長:生原 勇 発行者:上原 泰男 東京災害ボランティアネットワーク 〒164‐0011 中野区中央 5‐41‐18 東京都生協連会館 3 階 tel:03‐3380‐1614 fax:03‐3380‐1615 E‐mail:[email protected] 東災ボ2009年度総会を開催
新型インフルエンザが猛威を振るい、開催が危ぶまれてい
2008 年度財政報告、2009 年度活動計画案、2009 年度予
た東京災害ボランティアネットワーク 2009 年度総会です
算案、そして最後に役員・運営委員の改選とつつがなく進
が、2009 年 5 月 30 日(土)、無事開催されました。
みました。
会場は、東災ボ役員団体でもある東京 YMCA の東陽町セ
特に 2009 年度予算案の中では、事務局体制の拡充を目
ンター。東災ボの総会は、役員団体の会議室を使用させてい
指し、新たな人件費分を計上するなど、東災ボの社会的期
ただいています。これは、災害時に支援拠点になる可能性が
待に応えるために明確な方針が打ち出されました。このこ
ある各役員団体の所在地を知っていただくことを念頭に置
とには、役員の皆さんの「東災ボをより良くしていくため
いているからです。
の気概」が伺え、質疑応答の中では、代表の山崎氏が「東
総会当日は、出席参加者 21 団体 52 名(委任状参加が 39
団体)の方々にお集まりいただきました。数多くの団体の皆
さまにご参加いただいている東災ボ(2009 年 5 月 30 日現在、
サポーター・賛助会員団体含め 80 団体)ですが、参加団体の
皆さんが集まる機会は必ずしも多くはありません。年に一回
の総会だったこともあり、多くの団体の皆さんにご出席いた
だけました。この場を借りて御礼申し上げます。
災ボの今後を考えた決意を新たにしたと理解していただ
きたい」との力強い発言がありました。事務局としても気
持ちが引き締まる思いをさせられました。
2009 年度も 3 ヶ月が経っておりますが、どうぞ本年度
もよろしくお願いいたしたいと思います。
なお、総会の様子については既に参加団体の皆さんには
議事録を送付させていただいております。
さて、総会の方ですが、2008 年度の活動報告から始まり、
東京災害ボランティアネットワーク事務局
〒164-0011 中野区中央5-41-18 東京都生協連会館3 階
tel:03-3380-1614 fax:03-3380-1615
E-mail:[email protected]
(福田)
関東大震災の被災者救援事業と賀川豊彦の仕事
~東京災害ボランティアネットワーク2009年度総会記念講演報告~
京王線の上北沢駅の南口を出て線路伝いに桜上水方面に
災者のニーズを把握し、仲間を集める。一旦神戸へ帰り、関
暫く歩き、踏切を含む五差路を住宅地へと右折するとすぐ左
西で 40 数回に及ぶ講演活動をやり、資金を集め、妻ハルと
手に小さな教会の尖塔が見える。一見すると分限者の邸宅の
赤ん坊を伴い、再び上京する。その後、猛烈な勢いで救援活
ようにも見える。1931 年に設立された松沢教会の礼拝堂は
動を展開していく。貧民街での活動を始め、賀川をここまで
瀟洒な建物にすっぽりと包みこまれている。勘の悪い人な
駆り立てたものは何か?
ら、そこが賀川豊彦記念松沢資料館と特定するまでぐるぐる
た」という説や、「不幸な生い立ちからくる、過去の痛みを
回ることになる。上原さんからしつこく賀川豊彦の話を聞か
取り返すかのような人への愛は即ち自己への愛である」とい
され、ふと思い立って資料館を訪れ、『賀川豊彦
愛と社会
う説を一部肯定しながら紹介しつつも、貧しい人々の姿にイ
正義を追い求めた生涯』
『死線を越えて』
『一粒の麦』を購入
エスの姿を見たこと、神への奉仕という使命感こそ核だとい
したのはいつだったか?
う。貧しい人を上から見るのではなく、その人々の目となる
その際、優しく相手をして下さっ
杉浦氏は、「死に場所を求めてい
こと、即ち仲間の一人になること、
「となり人」になる心(共
たのが、学芸員の杉浦秀典さんだった。
その杉浦さんが、今目の前に立ち、「……学芸員で、展示
感=貧民の中に尊厳ある労働者・人間としての姿を発見する
資料の企画などをやるアーキビスト(資料管理の専門職者)…
こと)こそが、賀川を突き動かしたのだという。そして、そ
…、日曜日には牧師もやるが、けして怪しいものではない」
れは賀川が「悩み」の果てに辿り着いたものだという。
と自己紹介すると、僕の後の上原さんが早速「怪しい?」と
上原さんの「賀川の社会への思いは?」という問いに答え
合の手を入れる。和やかな雰囲気の中で記念講演は始まっ
て、杉浦さんは、「人格社会主義という言葉を賀川は使って
た。
いるが、人格的自由こそ賀川が追い求めていたもの」という。
賀川豊彦の生涯を纏めた映像(㈶雲柱社制作、7 分間)は、
物やお金も大事だが(賀川は企業人としての現実主義者でも
その不遇な生い立ち、死線を彷徨うことになる病気のこと、
あった:成注)、貧しい人々が自立的に解放されていく環境
13 年間に及ぶ神戸貧民街でのセツルメントと生涯の伴侶と
を整えることこそが大事である。賀川は震災救援活動におい
なる芝ハルとの出合い、労働運動、農民運動、協同組合運動
て、コミュニティを大事にしていた。街づくりを常に展望し
への献身、平和使節としての戦争回避の戦い、戦後の平和運
つつ活動したという。そして賀川自身、組織的連帯(上意下
動や世界連邦運動への献身がコンパクトに纏められ、その活
達ではなく各自が自立的であること:成注)があったからこ
動のみならず人間としての幅の広さに圧倒される。事実、そ
そ、これほどの事業ができたと、杉浦さんは強調する。
の知識は文学・政治・経済・哲学は言うに及ばず、考古学か
講演を聞きながら、僕は、二宮尊徳の「荒地は荒地自身の
もつ資力によって開発されねばならず、貧困は自力で立ち直
ら自然科学の全分野に及んだという。
これらの活動を支えた資金は、賀川の「筆」から生まれた。
『死線を越えて』だけでも 100 万部、続篇も含めれば 400
らせなければなりません」という言葉をかみしめていまし
た。
(なり)
万部。こうした著作の売上金は全て
活動資金となっていった。家族には
一切残さなかったというから、この
人ほど「献身」という言葉が相応し
い人はいないだろう。
賀川の救貧・防貧活動の転機とな
ったのが関東大震災。活動拠点を神
戸から東京(当初は墨田区本所、後
に世田谷区松沢村)に移すことにな
った。途方に暮れるような災害を前
にして、賀川は被害状況を調べ、被
60 分ではもったいないくらい盛りだくさんの内容に、参加者も大満足だった。
コラム<TOSAIBO TIMES 編集長ハイバラのお言葉>
「献身」
賀川豊彦と私
賀川豊彦献身 100 年にあたる今年、東京と関西で様々な取り組みが行われています。賀川豊彦はその業績のわりに若い人たちに
は知名度が今ひとつ足りないようです。賀川は生協を作りました。労働組合もつくりました。そして日本における災害ボランティ
ア活動の創始者(関東大震災)ともいえます。そしてなによりもその生涯を困窮者や社会から不当な扱いを受けている人々を救う
事業にささげました。
「献身」です。私は生協人として、災害対策、被災者支援、平和活動を、長年、仕事のとしてきました。賀
川が生協を創ってくれたおかげです。
「愛と協同」、
「ひとりは万人のために
万人はひとりのために」。生協で働く者にとり、この
賀川の思想と実践の根源はいまなお継承されています。そのことをひそかに誇りに思います。しかし、賀川の思想と実践を前にす
ると、なんと私の存在は矮小なのかと、この歳になっても恥じることがあります。幸いに、東災ボの上原御大というすごい人と日
常接していると、この人の思想と実践に学ぶことが多く、かろうじて自己の矮小化に歯止めをかけています。一つの目的を同じく
するため、東災ボの多くの仲間がいてくれることは、この上なく意義のある、幸せなことだと思います。
(ハイバラ)
東京災害ボランティアネットワーク
2009年度役員・運営委員について
東京災害ボランティアネットワーク 2009 年度運営委員体制
総会では 2009 年度の役員体制と運営委員体制の確認もおこ
なわれました。所属団体での異動や役割の変更などにより、役
員・運営委員の交代がいくつかありました。
また、今年度より 2 つの東災ボ参加団体から、新たに運営委
員の派遣が決定しました。真如苑 SeRV の野田さん、西東京ボ
ランティア・市民活動センターの丸木さんのお二人です。
東京災害ボランティアネットワーク 2009 年度役員体制
代表
副代表
監事
竹内
則夫
(東京ボランティア・市民活動センター)
二見
茂男
(中央労働金庫東京地区本部)
川本
晃義
(日本労働組合総連合会東京都連合会)
平野
陽子
(長寿社会文化協会)
関根
義雄
(障害者インターナショナル(DPI)日本会議)
北山
光治
(全労済東京都本部)
市川
啓一
(㈱レスキューナウ)
佐々木
浩
(全国広域目黒チェアキャブを走らせる会)
鈴木
隆
(社会総合研究所)
白鳥
孝太
(シャンティ国際ボランティア会)
筒井
優子
(日本赤十字社東京都支部)
山崎美貴子
(東京ボランティア・市民活動センター所長)
生原
勇
(東京都生活協同組合連合会)
廣田光司
(東京 YMCA 総主事)
林田
浩
(練馬災害ドット・ネット)
遠藤幸男
(連合東京会長)
細坪
信二
(危機管理対策機構)
伊野瀬十三
(東京都生協連専務理事)
沖
利柯
(東京YMCA)
茅野俊幸
(シャンティ国際ボランティア会専務理事)
南宮
成一
(東京YMCA)
青山やすし
(明治大学公共政策大学院教授)
小林
英夫
(自立支援センター
高橋学
(ふるさと荒川を創る区民の会)
野田
宏人
(真如苑 SeRV)
野島玲
(連合東京 VSC)
丸木
敦
ふるさとの会)
(西東京ボランティア・市民活動センター)
東京災害ボランティアネットワーク 2009 年度新運営委員からのご挨拶
真如苑SeRV
野田宏人さん
このたび運営委員をさせていただくことになりました、真如苑 SeRV の野田と申します。なにとぞよろしくお願い申しあげます。
この場をお借りして真如苑SeRVの紹介をさせていただきます。
「真如苑」は開祖・伊藤真乗(しんじょう
1906~1989)がひらいた仏教教団です。開祖は京都にある秀吉の醍醐の桜で有名
な、真言宗の醍醐寺で伝統密教を修め大僧正となりましたが、人々の生活の中にいきた仏教をめざし、真如苑を設立いたしました。
「SeRV」は「Shinnyo-en Relief Volunteers 」の略ですが、「仕える」という意味にもなります。私たちの活動も、相手の立
場に立って仕える心を忘れてはいけないと自戒しております。
ふりかえると開祖自身も 17 歳の時、関東大震災に遭遇しています。火焔の海と救いを求める叫び声は、強烈な印象となって残
りました。その経験があるため、たとえば昭和 23 年に福井大震災があった時、どうしていいかわからずにとまどっている私たち
に、開祖は「相手の立場に立って考えましょう。みなさん一人ひとりの力を結集すれば、何かお役にたつことができるでしょう。」
と陣頭指揮をとり、被災地への支援活動をおこないました。現在の真如苑苑主・伊藤真聰(しんそう)も、阪神淡路大震災の時に
はすぐさま被災地を訪れ、亡くなられた方々を追悼する廻向法要をおこないました。
こうした精神を真如苑 SeRV は受け継いでまいりたいと思っております。そもそも SeRV は 1995 年の阪神淡路大震災の時に設
立し、のべ 11,330 人のボランティアを募り 7 カ月にわたって
活動を続けました。その後も災害時や緊急時に救援ボランティ
ア活動をおこない、北陸ナホトカ号重油流出事故(3 カ月 1,610
人)、有珠山、三宅島、東海地方水害、鳥取地震、中越沖地震、
中京洪水をはじめ、台風、地震などの災害にあたって、床下堆
積土除去や家屋清掃、引っ越し、炊き出し、ゴミ・火山灰除去
などの手伝いをおこなってまいりました。海外でも台湾地震
や、スマトラ沖地震・インド洋大津波においてはスリランカで、
現地の篤信教徒の方々、その中にはご自身も被災されている方
もおられたのですけれど、みなさんと一緒に救援物資配布や炊
き出しなどをおこないました。
私たちは「SeRV」と書かれたオレンジのユニフォームで活
動しておりますので、どこかでみなさんの目に触れていること
もあるかと思います。なにぶん微力ですが、みなさんと力をあ
被災地で SeRV のこのオレンジのビブスはとても有名。SeRV の被災地支援活動
は全国的なものとなっている
わせて取り組んでいきたいと思います。今後とも、なにとぞよ
ろしくお願い申し上げます。
日米プロジェクト報告
「災害に学ぶ~ニューオーリンズと三宅島~プロジェクト」続報
2005 年夏の終わり、遠く米国の地で起こったハリケーン「カ
度の訪問で再開した。
トリーナ」災害のニュースに触れ、これほどまでの被害をもた
訪米団には三宅村長、そして島民も参加していた。三宅島噴
らす災害に直面した被災者の方々を案じると共に、これまでい
火災害とニューオーリンズのハリケーン災害、双方の被災者交
くつか経験してきた被災者支援活動を思い、今後の支援の難し
流も大きな目的でもあった。
さや厳しさを感じざるを得なかった。
この訪米では、困難な災害後の復興活動に携わる多くの方々
その後、東災ボ副代表でもある青山氏に提案をさせていただ
と、貴重な経験交流がおこなわれた。日本と米国、噴火災害と
いた。「市民がニューオーリンズ災害の被災地を訪問し、災害
ハリケーン災害、様々な場面で違いこそあれ、NPO・市民の
の多様性を学び、将来への課題をも気づくプログラムを実施し
各層が取り組んだ被災者支援という意味で、日米双方の参加者
たいのだが・・・」と。すでにニューオーリンズでの訪問調査を
に様々な気づきを与えた。
開始していた青山氏は即答してくださった。「まったくの同感
この訪米の終わり、次のプログラムとして、2008 年秋の日
だ。是非実現しよう」。今回のプロジェクトは、こんなやり取
本での交流会が合意されていた。しかし、2008 年秋のプログ
りから始まった。
ラムは、直前の大型ハリケーン「グスタフ」の接近により 2009
2007 年 9 月、多くの方々の協力に支えられ、被災から 2 年
年 4 月に延期された。
が経過したニューオーリンズを 16 名の訪米団が視察をするこ
とになった。ニューオーリンズでは、被災者支援活動を継続的
災害に学ぶ~ニューオーリンズと三宅島~
におこなっているそれぞれの方々にお話を伺い、文化や習慣の
違いに戸惑いながらも、とても意義深い交流が実現した。
訪米の終わりにニューヨークへ立ち寄り、災害関連以外の米
2005 年 8 月 ハリケーン「カトリーナ」災害
2007 年 9 月 東災ボメンバー訪米
ニューオーリンズ・ニューヨークへ
米国 NPO 団体との交流。この中で日米プロジ
ェクト立ち上げが検討される。
国の NPO 団体と交流を持つ機会に恵まれた。その際、ジャパ
ンソサエティのアレンジにより、青山氏とともにフォード財団
との出会いがあった。フォード財団は、ニューオーリンズでの
ハリケーン災害へ多大な支援をおこなっていた。そして、三宅
2008 年 2 月
2008 年 4 月
東災ボ関連団体、三宅村長、島民を含めて 13
名の訪米団。ニューオーリンズの被災者支援
団体と交流。
島噴火災害における被災者支援活動の経過をよく勉強されて
いた。その上で、ある提案を私たちに投げかけた。「青山氏の
東京都副知事(現地災害対策本部長)としての経験、東災ボを中
2008 年 9 月
心とする市民による被災者支援活動の経験、そして行政機関と
市民との連携のあり方等、その経験と教訓をニューオーリンズ
の今後の復興に活かしていただけないか」。プロジェクトが大
きく動くきっかけとなった。
2008 年 4 月下旬、プロジェクトはニューオーリンズへの再
正式に日米プロジェクト立ち上げ
日米プロジェクトとして訪米
2009 年 4 月
2009 年秋
ハリケーン「グフタス」の影響で来日団延
期へ(2009 年 4 月)
ニューオーリンズの被災者支援団体を中
心に 16 名が来日
一連の日米プロジェクトについて報告書
完成予定
そして 2009 年 4 月、既報の通り、米国から 16 名の訪日団
を迎えた。ここでのプログラムは TOSAIBOTIMES でお知ら
作業に入っている。今夏には完成する見通しであり、早ければ
この秋に出版される。
せしたように、日米の参加者はそれぞれが被災者支援を通じて
このプロジェクトを振り返り、ハリケーン「カトリーナ」災
得られた「知識や経験」「復興に関わる課題」等を、公開フォ
害と三宅島噴火災害の被災者交流、そして支援者交流が、次の
ーラムや各種プログラムにおいて交換した。その中では、共通
災害に備える手立てになれる可能性を見出せたと私は感じて
の課題、異なる課題、そして今後の課題への提案・提起もなさ
いる。何よりも見出さねばならないだろう。
多くの方々に支えられ、このような機会を得られたことに深
れた。
この間の「災害から学ぶ ~三宅島とニューオーリンズ~」
く感謝し、御礼のご報告をさせていただきたい。
(上原)
プロジェクトの報告は、現在、青山氏を中心に書籍にまとめる
山谷──スローな風に吹かれて
かなりメタボ?なご婦人 2 名を含む 5
名が「山谷プログラム」に参加。悪い予
ついて突っ込んでみたかったわけだが
……。
隅田川テラスでの「ホームレスとの対
話」には 7 人の仲間が集まってくれた。
感というのは当たるもので、腰痛持ちで
山谷と吉原を繋ぐいろは会通り商店
ちょいとした対話集会となった。家族と
もあるサンドラ・リードが自立援助ホー
会(とは名ばかりの寂れ切った商店街)
の別れのこと、仕事、病気、要望などな
ム「ホテル三晃」
(定員 78 名)から徒歩
をホテル三晃目指してぶらぶらと歩く。
ど、マーサの適格な質問が飛ぶ。最初は
5 分の昼食会場(三富製作所ギャラリー
三晃の責任者からは「まだか」との催促
口数の少なかった 7 人の仲間たちの重
カフェ)へ向かう一歩手前でリタイアし
の携帯コール。商店会の山谷側出口でな
い口を開かせていくところなど、技とい
てしまった。それなりに配慮をしたつも
にやら人だかり、顔見知りの活動家たち
うより、マーサの体験と人柄が偲ばれ
りであったが、山谷プログラムの目玉
が喧嘩の仲裁をしている。ショーン・エ
た。「家族に会いたいか」との問いに、
「ホームレスとの対話」と浅草観光をふ
スコフェリがいきなりカメラを構える。
「孫には会いたい」「娘に会いたい」と
いにしてしまったサンドラには申し訳
「まずい!」、通訳の金(キム)さんに
返す彼らの姿に、マーサの目には光るも
ないことをした。
「撮るな」と言ってくれとあわてて頼む
のがあった。
「ホームレスとの対話」はホームレス
始末。しかし、敵も然る者、プロのカメ
お別れの席でマーサに聞いた。「どう
支援団体の連合組織「UNITY」の専務
ラマンでもあるショーンはカメラを腰
してホームレス問題を……」。すると逆
理事を務めるマーサ・ケーゲルのたって
に構えながらシャッター音を響かせて
質問をされ、山谷への想いや父のことを
の願いであった。ふるさとの会本部での
いた。
長々と語る羽目に。マーサも同じだと言
古木事務局長のプレゼンは、彼らからの
ほっと一息も束の間。マーサの姿が見
った。家族とりわけ身体が弱かった妹の
矢継ぎ早の質問攻めにあい、事務局長の
えない。振り返ると、なんとくだんの騒
こと、ニューヨークとは違う時間が流れ
奮闘虚しく用意した事業説明の三分の
ぎのすぐそばで、路にへたり込んで茣蓙
るニューオリンズという街のことを語
一にも満たず終わってしまったが、結果
の上でワンカップ大関を飲んでいるオ
ってくれた。
的には「客人」にとってかなりエキサイ
ヤジと話しこんでいるではないか!そ
三宅島とニューオリンズ、そしておそ
ティングなディスカッションとなった
の堂に入ったマーサの姿に、ニューオリ
らくは山谷にも流れるスローな時間が
ようだ。もっともこちらとしても、あち
ンズの高速下に並んでいた東京と同じ
さらに大きな縁結びの風となってくれ
らに対してあちらのホームレス事情に
ブルーのテントが思い出された。
たらいいと思う。
(なり)
写真左:ふるさとの会でのブリーフィングの様子
写真右上:三富製作所ギャラリーでの昼食の様子
写真右下:今回のプログラムをコーディネートした成清さん
プログラム①
テーマ:三宅島被災者支援を通じ
て学ぶ、被災者を支える
上で大切なもの
コーディネート
:東京災害ボランティア
ネットワーク
プログラム②
テーマ:東京のホームレス支援の現
状と今後
コーディネート
:自立支援センター
ふるさとの会
災害に学ぶ・ニューオーリンズと三宅島
プログラム③
テーマ:生産者(被災者)と消費者を
つなぐ懸橋
コーディネート
:東京都生協連
―生協プログラム
私たちは東災ボの仲間とともに 2 度、 援を続けている NPO のマッカーシー専
協が実施している『産直』は、ニューオ
務理事、地域開発と非営利団体運営を支
ーリンズの復興にも大いに参考になる
援しているセントラルシティ・ルネッサ
可能性ある」とコメントをいただきまし
ンスのキーシャ事務局長の 4 人。
た。
ニューオーリンズを訪問しました。
昨年、ニューオーリンズを訪問した
際、東京の生協について説明したところ
ジャパン・ソサエティの川嶋瑠璃氏、
災害対策だけでなく、産直というシス
特に農産物に関わる施設を見学したい
明治大学都市政策フォーラムの雨宮寛
テムでも日米で意見交換できたことは、
との意向を示しました。
氏、東京都生協連からは伊野瀬専務理
望外の成果となりました。
強い関心を示し、訪日したら是非、生協、
そこで、4 月 19 日、パルシステム連
事、佐藤功一パルシステム東京常務理事
合会の協力を得て、岩槻センターにある
(東京都生協連大規模災害対策連絡会議
青果の子会社「ジー・ピー・エス(グリ
長)が一行を案内して現地を訪れまし
ーン・プラザ・システム)を訪問しまし
た。
現地では、日本生協連国際部の協力を
た。
ニューオーリンズからの参加者は、ニ
得て、日本の生協全体の概況、その取り
ューオーリンズ市の復興責任者である
組み、特に産直政策についてブリーフィ
ブレイクリー市復興局長、ニューオーリ
ングも行われました。
ンズのベトナム人コミュニティのリー
ジー・ピー・エスからは高橋常務理事
ダー、ヴィエン神父(メアリー・クイー
がパルシステム連合会の産直政策につ
ンベトナム教会)、ニューオーリンズで
いて説明、生産者と消費者が直接つなが
被災した農業、漁業従事者に「アンブレ
る生協のシステムについて説明すると、
ラ・マーケット(青空市場)」を提供し支
参加者からたくさんの質問があり、「生
生協のプログラムは、4 月 19 日の 3 つのプログラムの中でも埼玉県岩槻市まで足を延ばす遠距離のプログラムとなった。
(生原)
訪日団メンバーのリチ
ャード・マッカーシーさ
んからお礼状が届きま
した!!
遅ればせながら、お礼の手紙を書かせていただきました。
皆さんのおかげで、4 月の来日は、被災の経験を共有できるとても意義深いものとなりま
した。特に被災地三宅島の美しさと厳しさは印象に残っています。本当にありがとうござい
ました。
正直、本当に疲れた来日となりました。が、しかし、皆さんとともに共有した経験は、心
と体に刻まれ、私を奮い立たせています。その中でも、三宅島支援活動で皆さんが果たした
役割には学ぶべき点が多いと感じています。
私たちは、私たち自身が経験したことだけでなく、世界を見渡し、それを生かすことで前
に進むことができます。そういう意味で、今回の来日は、これから皆さんと交流を深めてい
く一つのきっかけであり、今後ともこの交流を深めていけることを願っています。
本当に、ありがとうございました。
(翻訳:福田(だいたい合ってるはずです・・・))
感じた日本の「災害文化」―日米プロジェクトを通じて―
「災害文化」というものが日本にはある気がするのだが、い
かがだろうか。とはいえ、「災害文化」と言われても、何を指
しているのかピンとこないかもしれない。
日本は世界的にみても自然災害が多い国らしい。様々な研究
近辺になると「防災訓練ね…」と意識する方が多いのではない
か。
ご存知のように 9 月 1 日は 1923 年の関東大震災が起こった
日でもある。なぜこの時期に防災訓練を実施するかといえば、
機関によると、世界で起こる地震の 10~20%は日本近郊だそ
それが理由である。私たちはそれを経験していないにも関わら
うだ。それだけ地震が起こっていれば、災害も文化になるんじ
ず、9 月 1 日近辺になると関東大震災、そして防災訓練を意識
ゃないか・・・という意味ではない。それだけ地震―ひいては自
する。これはある種の刷り込みかもしれないが、それだけでは
然災害―を経験していることで、いわゆる災害に対する知識、
あるまい。私たちは「関東大震災」という「災害」を忘れては
対応という意味で文化が育まれているんではないかと感じて
いけないのではないか、と道義的・倫理的に感じているのでは
いる。今回の日米プロジェクトで痛感したことの一つだ。
ないか。もちろんそれは悪いことではない。そして、9 月 1 日
2005 年夏に米国ニューオーリンズ市を襲ったハリケーン
「カトリーナ」は 1300 名もの尊い命が失われている。1300
名の中には、子どもからお年寄り、男性も女性も、健常者も障
とまったく同様に 1 月 17 日近辺になると「阪神・淡路大震災」
を連想する。
これらの意識は、日本が持つ「災害文化」ではないだろうか。
がい者も含まれる。この事実を知らされた時、ある種の疑問が
もしかすると、この、当たり前だと思っている意識こそが日本
浮かぶ。
「なぜ台風災害で(ハリケーン災害)で、こんなにも死者
が世界に誇れる「防災・減災の取り組み」なのではないだろう
が出てしまうのだろうか」と。
か。
これには多くの理由があると、幾人もの専門家が語る。曰く
「これまで想定できないような規模のハリケーンだった」「公
今回のプロジェクトで米国の様々な方々と意見交換をした。
共の交通機関がほとんど存在せず、逃げる手段がなかった」な
その中で常に感じたのは、ハリケーン「カトリーナ」での被害
ど…。「FEMA(合衆国危機管理庁)が機能しなかった」ことを
が米国の中でどれほど意識されているのだろうか、という点だ
理由に挙げる専門家もいる。その中で、「英語を理解できない
った。それは、政治的・経済的というよりも、市民の感覚とし
者が多かったから、避難がスムースにいかなかった」という理
て。1300 名もの命を奪った災害の教訓は、次の災害に生かさ
由が最もらしく聞こえる。いずれにせよ、様々な理由があり、
れなければならないし、それはニューオーリンズだけではな
一つの理由が 1300 名の命を奪ったわけではないのだろう。
く、米国内に広がっていかねばならないはず。そして、それは
ただ、今回の日米プロジェクトを通じて、その理由の一つに
日本で防災・減災活動をしている私たちにもいえることでもあ
辿り着いたような気がする。冒頭の「災害文化」である。「災
る。これまで起こった災害での学びを、次の災害に生かしてい
害文化」が成熟(もしくは醸成)していなかったことが理由の一
く。法律やシステムに、そして市民の意識に。
つなのではないかと。
「災害に学ぶ」と題されたこのプロジェクト、当初は、文化
日本では、毎年 9 月 1 日近辺になると、全国の小中学校で防
も習慣も違う日米で学び合えるのかと不安に思ったが、終わっ
災訓練が実施される。校内放送が流れ、防災頭巾を頭にかぶり
た後感じるのは、文化や習慣が違うからこそ学び合えることが
机の下に潜る。場合によって、子どもたちは校庭に集合して安
あったという何だか当たり前のことであった。
否確認がおこなわれる。同様に、地域の中でも町会・自治会(自
今回のプロジェクトにご尽力くださった青山さんはじめ明
主防災組織)が中心となり、各種防災訓練が実施される。地域
治大学公共政策大学院の方々、米国の仲間たち、そしてご支
よっては開催時期が異なったり、実施していなかったり、それ
援・ご協力くださった全ての方々に感謝申し上げたい。
ぞれのプログラムの内容に是非があるのは事実だが、9 月 1 日
(福田)
2009 年首都圏統一帰宅困難者対応訓練
いよいよ始動!!
ここ数年、毎年恒例となっている首都圏統一帰宅困難者対応訓練が、今年も始動しています。
さる 6 月 9 日、2009 年首都圏統一帰宅困難者対応訓練実行委員会が開催され、準備が進んでおります。2009 年も、一昨年、昨年
に引き続き、首都圏統一と銘打ち、東京都はもとより、千葉県、埼玉県、神奈川県と一都三県を対象とした訓練を実施します。しか
も、今年は、神奈川県内コースが 2 コース、埼玉県内コースが 1 コースとなり、これまでの東京コース、千葉コース、埼玉コース、
神奈川コースを含め、全 7 コースでの開催となります。
毎年、数多くの団体・市民に、ご参加・ご協力・ご支援いただいているこの訓練ですが、本年も、同様に多くの方々とともに訓練
を作り上げていきたいと考えております。
「歩いてみたい」方はもちろん、
「準備に参画できれば」
「エイドステーションのお手伝い
を」とご検討くだされば、是非とも訓練実行委員会事務局(東災ボ事務局内)までご連絡をいただければと思います。今年もよろしく
お願いいたします。
なお、下記に、第三回実行委員会の日程をお知らせいたします。ご興味のある方はどなたでもご参加いただけますので、事務局に
(訓練実行委員会事務局)
ご一報の上、ご出席いただければと思います。
2009 年首都圏統一帰宅困難者対応訓練実行委員会
第三回実行委員会
日時:2009 年 7 月 16 日(木) 15:00~17:00
場所:田町交通ビル会議室(連合東京会議室)
港区芝浦 3-2-22 TEL03-544-0510
http://www.rengo-tokyo.gr.jp/outline/access.html
内容:各コース実行委員会からの進捗状況について
チラシ・ポスターの作成と配付について
関係行政機関との調整について
他
編集後記
東京災害ボランティアネットワークとは?
1995 年の阪神・淡路大震災を契機に、1998 年 1 月に設立されたボラ
ンティアネットワーク。災害救援活動や防災・減災活動、ボランティア
団体や NPO 団体に限らず、様々な形で様々な課題に向かって活動してい
る団体が、災害前に「顔の見える関係」を構築していくことを目的とし
ている。構成されている団体は、ボランティア団体・NPO 団体をはじめ、
労働団体、消費者団体、社会福祉団体、海外支援 NGO、企業と多岐にわ
たる。
これまで 1998 年福島豪雨災害や 2000 年三宅島噴火災害、2004 年新
潟水害、新潟県中越地震、2005 年三宅島帰島支援など、様々な被災地
で被災地支援活動・被災者支援活動を展開。
また、各被災地で気づかされたことを東京での防災・減災活動に生か
し、都道府県行政、市区町村行政、社会福祉協議会、企業、そして地域
の学校・町会などの地域団体と共に、災害といのちとくらしを想像して、
考えて、実践していく小さな「気づき」の取り組みを実施している。
2009 年 5 月現在 80 の団体が参加。
先月のゴールデンウィークの時の話。帰国ラッシュがピークであった日、
私はニューヨークから帰国した。日本では、新型インフルエンザを水際で
阻止すべく、空港内の緊張が高まっていた時である。成田に着陸後、検疫
官によって健康状態質問票が回収され、サーモグラフィーで乗客一人ひと
りの体温がチェックされ、全員にマスクが配られた。幸い、私の飛行機に
は感染者はいなかったらしく、約 1 時間後には晴れて自由の身となった。
翌日、市の保健機関から「発熱はないですか?今後 10 日間、毎日体温を測
って下さい。」という電話があった。
一方、ニューヨークでは普段どおりの生活が続いていた。入国時に特別
な検疫はなかったし、街中でマスク姿の人も見かけなかったし、朝のセン
トラルパークではたくさんの人がジョギングをしていた。空港内では日本
人だけがマスクを着けていたが、それが異様に見えた程である。
どのような対応が適切だったのかは別にして、ある1つの現象に対する
捉え方の違いを、このようにタイムリーに、クリアーに見られたことは、
とても興味深い体験であった。
いずれにせよ、秋以降の第 2 波を乗り切れるよう、ウイルスに負けない
身体作りを心がけたいものである。
(E.T)