連載企画 日本の「知財」行方 (高野誠司氏 NRIサイバーパテント社長・弁理士) 第 49 回 オリンピックと知財 ~スポーツに関連する特許・実用新案・意匠・商標・著作権~ (2008/08/28) 8月8日から8月 24 日まで北京五輪が開催された。開会式では中国由来の発明がテーマにな った。その1つとされる火薬について、花火という形で表現されたが、テレビ放映された空に映 る足跡の花火シーンの大部分がCG(コンピューターグラフィックス)による演出だったことが 後になって判明した。発明国の誇りにかけて、本物で演出して欲しかったところだ。 今回の五輪で、開催前から大きな話題になったのが、競泳種目で着用する水着である。英スピ ード社の競泳水着「レーザーレーサー」を着用した海外選手が高記録を連発していたため、日本 水泳連盟と契約日本メーカーとの調整が連日報じられた。結果としては、日本選手にレーザーレ ーサーの着用が認められ、北島康介選手を含む競泳金メダリストに占める同社の水着着用率は 95%であった。技術力があるとされる日本のスポーツメーカーとしては、複雑な心境であろう。 知的財産という側面では、発明や技術面のみならず、商標や意匠、著作権といった面でも気に なることが多い。五輪開催前に、偽ロゴ入りTシャツの大量押収や、五輪マスコット商品の偽物 の取り締まりについて、中国メディアが大きく報じていた。また、競泳種目をはじめ各種目の決 勝の時間帯と放映権との関係も興味深い。 今回のコラムでは、五輪という世界規模のイベントを通して、スポーツと知財との関係につい て様々な角度から考察し、スポーツ分野における知財の保護範囲の限界や、日本の知財戦略のあ り方についても言及したい。 スポーツと発明・考案 1993 年以降に発行された日本の特許公開公報・実用新案関連公報を対象に、スポーツに関す る発明・考案、約 5000 件を抽出して分析した。具体的には、前回のコラムで紹介したテキスト マイニング技術を使って、「スポーツ」という言葉が文中でどのようなキーワードに掛かってい るのか分析を試みた。 まず、スポーツに関する公報のなかで、「スポーツ」という言葉がどのような単語と一緒に登 場するか形態素解析を経てキーワードを抽出し、それらを 12 の分類に振り分けた(図表1参照)。 そして、分類した各分野にどの程度出願されているのか分析した(図表2参照)。なお、1出 願で複数の分野に関係する場合には、各々の分野で件数をカウントし、その総件数を分母として 各分野のシェア(%)を表示した。 スポーツ選手が直接使う物に着目すると、ラケットなどスポーツ用具や、シューズ、水着を含 むウエアが、各々10%前後を占めている。また、それらの材料となる繊維・素材分野には 20% を超える多数の出願がなされている。これらの技術分野の貢献度が高いことは、今回の五輪の競 泳水着で実証されたといえよう。 また、選手を支援する技術分野として、トレーニングや、治療、食品といった分野でも出願さ れているようだ。このほか、ゼネコンがスポーツ施設に関する出願をしている。 観戦者を対象とした出願も多いことがわかる。観戦グッズや、放送・通信技術、カメラ、テレ ビなど画像・情報処理分野だ。また、ゲーム分野にも出願がなされている。 これらのなかで、比較的実用新案の出願が多いのは観戦に関する分野である。メガホンなど応 援グッズや、帽子・椅子など観戦者を支援する考案が出願されている。 スポーツと意匠、商標、そして著作権との関係 スポーツとデザイン(意匠)は密接に関係する。スポーツシューズやスポーツウエアなどは、 単に機能的な側面だけではなく、ファッションの側面でもデザインが重視される。米ナイキ社の エアジョーダンなどバスケットシューズを屋外で履くことや、ヨットパーカーを陸で着るユーザ ーがいることは、それを裏付ける典型例である。 それらの物に付されるロゴマーク(商標)は、さらに重要な位置づけにある。著名なものであ れば、スポーツ用品に限らず、筆箱などの文房具や小物にも人気が集まる。スポーツメーカーの 偽ロゴマークが付された「紛い品」の流通は、他の分野に比べても多い。 これらデザインやロゴマークを通じで形成されたブランドや企業イメージが、スポーツメーカ ーにとっての最大の知財かもしれない。有力選手のスポンサーになったり、広告にスター選手を 起用したりするなど、「夢」や「希望」「憧れ」を意識させるイメージ戦略が伺える。 そして、それらの知財を通して企業が生み出した莫大な利益は、放映権という著作権の対価に 化けるのかもしれない。番組のスポンサーには当然スポーツメーカーが名を連ねる。北京五輪の 放映権は、米国については、NBC1社で8億 9400 万ドル支払った。日本は、NHKと民放合 わせて 198 億円を支払ったと言われている。その額の差のためか、北京五輪の競泳等の決勝戦は、 中国の午前(米国で視聴率がとれる夕方から夜の時間帯)に集中していた。 スポーツ分野で保護を受けたい英知はほかにもある スポーツの分野で本当に独占使用として保護を受けたいのは、 「技」かもしれない。体操の「ト カチェフ」(懸垂前振り開脚背面とび越し懸垂)や「塚原飛び」、「ムーンサルト」、野球の「フ ォークボール」や「スライダー」、走り高跳びの「背面飛び」や「ベリーロール」などである。 これらは紛れもなく人間の努力の成果としてあみ出されたものである。 また、走法や泳法に関する分析や研究成果も重要である。北京五輪の 100 メートル、200 メー トル走ともに世界新記録で金メダルを獲得したジャマイカのウサイン・ボルト選手が注目を集め たが、スプリント界の一流選手の走法は、かつての金メダリストであるカール・ルイス選手のコ ーチ、トム・テレツ氏がその基礎を築いたといわれている。 カール・ルイス選手は 10 代の時はそれほど目立つ選手ではなく、むしろ兄弟の方が有名であ った。テレツコーチが提唱する、「足と地面との接地時間を短くするために体の重心の真下に足 を運ぶ」という従来とは異なる走法を、カール・ルイス選手は1年半かけて習得し、ロサンゼル ス五輪で金メダルを獲得した。 この様な走法に至るまでには、データ分析や研究などに長年英知を費やし、習得のための選手 の努力も相当なものがあったに違いない。しかし、金メダルという形でこの走法の効果が実証さ れると、多くの選手が短期間でマスターし、その後 100 メートル9秒台の選手が多数登場した。 この様に、「技」や「走法」などは、選手をはじめスポーツ関係者にとってはかけがえのない 財産なのである。にもかかわらず、発案者は保護されることはなく、ライバルに真似されてしま う。なお、特許法では、これらは「技能」と解釈され、自然法則を利用した技術的思想の創作た る「発明」と峻別(しゅんべつ)されるのが定説である。 知財立国をめざす日本にとってのスポーツと知財 日本のスポーツメーカーは技術力があると言われながら、世界的なブランド力は弱い。日本を 代表するスポーツメーカーのミズノやアシックスの年間売り上げは、いずれも 2000 億円前後で、 米ナイキや独アディダスの2兆円前後と比べて1けた少ない。株式の時価総額で見ても同様であ る。 ナイキといえば、かつてはオニツカタイガー(現アシックス)の販売代理店であった。それが、 今では世界最大のスポーツメーカーに成長した。日本の技術やノウハウを吸収して大きくなった とも言われており、日本企業との成長速度の違いは、知財の活かし方にあるのかもしれない。 日本企業は、技術力があると世界的にも評価を受けているため、「知的創造サイクル」でいう ところの「創造」フェーズでは成果が上がっていると考えられる。「保護」については、世界的 に特殊な分野ではないため、差は出にくい。そうなると、「活用」のフェーズで差があると考え るのが自然だ。 もちろん、スポーツ分野では、技術力よりも企業イメージやブランド力が物を言うのかもしれ ない。また、その国のスポーツ選手層の厚さや、スポーツに取り組む国民性の違いも関係するだ ろう。 外国のスポーツメーカーは、日本の優れた技術などの知財をうまく活用し、スター選手を広告 塔にして企業イメージを高め、ブランドを形成している。もっとも、日本企業は、必ずしもこの ような知財戦略をまねる必要はなく、長所である技術力を一層高め、そのPRにもてる最大の力 を注ぎ、そこから直接ブランド力の向上を図るとよいと思う。 スポーツ分野での知財戦略には、本来日本人が苦手とする「したたかさ」が必要なのかもしれ ないが、むしろ日本人らしい「朴訥」(ぼくとつ)さを活かし、技術力に磨きをかけ、素直にそ れを最大限に表現すれば、必ずやブランド力も付いてくるだろう。
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