ダウンロード - 一般社団法人日本海洋資源・エネルギー開発協会

日本の周辺海域の海底資源・エネルギー開発のすすめ*
日本の周辺海域の海底資源・エネルギー開発のすすめ
- わが国の新海洋基本計画に則った第三の矢(成長戦略)に!
-わが国の新海洋基本計画に則った第三の矢(成長戦略)に!
藤 田 和 男**
藤田 和男**
1. 21 世紀は資源・エネルギー高価格時代
顧みれば20 世紀末に概ね1 バレル当たり20 ドル以下
で低迷していた米国 NYMEX 市場の WTI(ウエスト・
テキサス・インターミディエート)原油先物価格は,2004
年以降には中国・インド等の経済新興国(BRICs)の石油
需要の急増に OPEC の供給量不安などが重なり,次第に
需給により価格が決まるファンダメンタルズ要因をかけ
離れたプレミアム要因(投機やテロ)が顕在化したため
図 1 に示されるようにあたかも株価暴騰の様相で原油価
格高騰のドラマが現出しました.すなわち WTI 原油の先
物価格の年平均値が 2004 年は 41.5 ドル,05 年は 56.5
ドル,06 年には 66.0 ドル,07 年には 72.2 ドル,そして
4 年後2008 年の平均油価はなんと100.1 ドルに一挙に暴
騰したのです.
プレミアム要因は,米国経済や世界の金融不安の高ま
りとともにナイジェリア,中東,イランなどの地政学的
不安定要因が重なり,ドル減価,株安,インフレヘッジ
などでヘッジファンドや年金基金までが一挙に流入した
ため WTI 原油先物市場が一時はカジノ化を呈しました.
そして2008 年夏の7 月3 日にはWTI 先物価格の終値が
史上最高値 145.29 ドル/バレルを記録した後,一転して
原油価格は急落の奈落に向かいました.途中の 9 月半ば
に起こった大手の投資証券会社リーマン・ブラザーズ社
の破綻を契機に,世界は金融危機と同時株安と経済不況
に陥ったことは皆さん周知の通りです.ところがこの
2007 年の原油価格高騰を予期していたかのように 2006
年ごろ北米で起こったシェールガス開発ブーム,そして
最近騒がれている「シェールガス革命」へと時流が変わ
りました.
図 1 WTI 原油の先物価格の 10 年余の推移(2005 年初~20115 年 6 月 5 日)1)
原油価格決定要因=ファンダメンタル要因(需給バランス)+プレミアム要因(投機、ジオポリ)
*原稿受付 平成 27年 7月 10日.
**東京大学名誉教授、Geo3 REScue Forum 代表
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歴史は繰り返すと言われます.
原油価格推移の現実は,
2011 年から昨年2014 年央までの3年半はバレル当たり
80 ドルと 110 ドルのバンドの中で油価高値推移の時代
を再び迎えました(図 1) 1).
今度の高値推移の原因は 2011
年初頭から中東,北アフリカ地域の各国で本格化した一
連の民主化運動「アラブの春」
「ジャスミン革命」により
中東情勢が混迷を極める事態となったことです.
実はこの間に原油高ブームを梃子に米国ではシェール
ガスの大増産が加速し 2011 年の米国ガス生産量が過去
最大の 22%増となり,在庫過剰となりガス価格が 3 ドル
前後に低迷します.メタンリッチのドライガス生産井は
軒並みにコスト割れで停止せざるを得ず,替わってシェ
ールオイルリッチの生産井地域やバッケンシェール地域
のタイトオイルの大増産が加速しました.その結果米国
の原油生産量が 910 万 b/d とサウジ並みに膨れており,
米国内経済の好況(シェール革命)が「強いドル」を鮮明
にさせました.これが円安やユーロ安を加速させました.
そこで 100 ドル超えの原油の高価格時代の崩壊が
2014 年 11 月 27 日の OPEC(石油輸出国機構)総会で
翌年1月から半年間現行の日量 3,000 万バレルの生産枠
据置を決め減産をやめたことにより加速されました.そ
の姿は図-1 に明瞭です.この急激な原油安は何をもたら
すのでしょう? 2015 年中には次第に明らかになるで
しょう.
少なくともこのまま原油安が続くなら,新興国の外貨
準備が底を突く懸念もあります.米国のシェールオイル
開発も採算限界が 50~60 ドル/バレルと言われ,100 社
を超える関連中小企業などは借入金や社債に頼っており,
資金力が乏しくなり,信用不安が高まれば金融機関が回
収を急ぐため企業は資金繰りに行き詰まり倒産する企業
が多発する懸念があるのです.
このように 21 世紀に入りエネルギー価格が原油の高
価格変動を起爆とし資源素材の商品価格まで大きく乱高
下させ金融経済を混乱させ,企業経営の中長期投資計画
を立て辛い厳しい状況が現出しております.しかしなが
ら,過去の原油価格の乱高下はこれからも歴史は繰り返
すものと思われます.明白なことは 20 世紀の油価 20 ド
ル時代から21 世紀は3~4 倍のエネルギー高価格時代に
至ったことを先ずは認識すべきでしょう.
2. 島国日本は「海洋基本計画」の地道な履行を
現在の世界の石油・天然ガス生産量のうち海洋での生
産は約 3 割を占め,その比率は今後さらに上昇すると予
想されています.2007 年に制定された「海洋基本法」に
則り 5 年振りに平成 25 年(2013 年)4 月に安倍政権の閣
議決定を受け,新しい「海洋基本計画」2)が策定されま
した.担当省庁である内閣府の「総合海洋政策本部参与
会議」は①新海洋産業振興・創出,②海洋調査・海洋情
報の一元化・公開,③排他的経済水域(EEZ)等の海域
管理のあり方など 3 つのプロジェクトチーム(PT)を設置
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しました.そのうちの一つである①新海洋産業振興・創
出 PT は湯原哲夫主査のもと 4 つの WG,すなわち
WG-1:新海洋産業,WG-2:海洋再生可能エネルギー,
WG-3:海事産業,
WG-4:海洋産業人材育成に分かれ各々
数多くの委員会を開いて検討し,翌年の 5 月下旬に意見
書2)一式を当時の山本一太海洋政策担当大臣に提出し,
これで行政の予算配分の指標が整いました.尚,①新海
洋産業振興・創出 PT の湯原主査の要請を受け,筆者た
ちがすでにスタートしていた石油開発業界の現役および
OB で作ったボランティア勉強会「日本周辺海域の資源
開発に賭ける夢を語る会(2013 年 4 月創設)
」に湯原海
洋技術フォーラムの一部幹部が合流し,熱心な勉強会を
10 回ほど開催,専門要素技術の発表そして資料・情報交
換を重ねました.
わが国の周辺海域の海底資源・エネルギー開発に深く
係る分野の新海洋産業振興・創出 PT の主査は4つの
WGの検討結果を取りまとめ参与会議へ部厚い報告書を
提出しております 3).本稿紙数に限りがありますので,
ここでは具体的に提言をした項目のみ列挙しましょう.
2.1 海洋石油・天然ガス開発(2.1.1 探鉱活動の推進,
2.1.2 掘削リグ産業:大水深,極域等の海洋掘削事業と
最新鋭掘削リグ製造の競争力強化,2.1.3 海洋プラント
産業の国際競争力強化)
,2.2 次期海洋エネルギー・鉱物
資源開発の商業化の推進(2.2.1 海底資源探査の加速,
2.2.2 海底熱水鉱床等の海底鉱物資源開発生産技術,
2.2.3 砂層型メタンハイドレート開発生産技術)
,2.3 海
洋再生可能エネルギー産業(2.3.1 洋上風力発電,2.3.2
海洋エネルギー発電)
,2.4 海事産業,および 2.5 新海
洋産業人材育成 について詳しく提言しております.
わが国の海洋資源開発の目的は,資源を確保して我が
国への安定供給を実現することにありますが,加えて海
洋資源開発に必要な機器等の技術を開発して国際競争力
を備えた新海洋産業を振興し創出することです.このこ
とは現政府の成長戦略の一翼を担うことと成ります.資
源の確保については,海外の資源供給国に対して官民一
体となって働きかけ,資源開発権益獲得に対する資金供
給の機能強化を行い,官民のリソースを最大限に活かし
て,より戦略的に進めることが必要です.
石油・天然ガス資源については我が国の資源開発企業
が国際的レベルの探査,開発を一層進めることが求めら
れます.
若い世代に技術と事業経営を伝承する場として,
国内においても有望地域の国による探査,国の支援を受
けた民間企業の試錐が身を結ぶことが期待されます.
海洋資源開発の商業化が未成熟な我が国企業のなかに
も,特定分野ではあるが国際レベルの評価を得て,リス
クを負担しつつ国際市場において一定の地歩を築いてい
る企業もあります.海洋資源開発分野の開発力,エンジ
ニアリング力,及び資機材供給能力の実績と技術レベ
ルが既に高い欧米企業に追随すべく中国・韓国は国策と
して戦略的に競争力を強化・育成中であることは周知の
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通りです.わが国も火急速やかに戦略的体制を強化する
ための政府の指針がこの新たな「海洋基本計画」です.
一方,経済産業省は 2010 年 6 月に第 3 次「エネルギ
ー基本計画」を閣議決定していたのですが,翌年 3 月 11
日に勃発した東日本大震災および福島の原発惨事により
エネルギー戦略を根底から立て直すことが喫緊の課題と
なりました.震災被災地の復旧や復興事業に追われ,こ
の間に政権交代もあり慌しい行政に追われたため,第4
次「エネルギー基本計画」は 2014 年 4 月にようやく策
定されました.ここでもエネルギーの安定供給の確保は
わが国にとって最重要課題の一つと提唱されています.
わが国の石油および天然ガスの自給率はそれぞれ 0.3%,
2.4%に留まっており,更なる海底資源の探査や開発や海
底作業の船舶機器の技術開発が喫緊の課題であると謳っ
ております.
わが国の領海の中には,一部中国,台湾と,また韓国,
北朝鮮,ロシアとの間で紛争の海域があるものの,国土
面積の約 12 倍という広大な排他的経済水域(EEZ,447
万 Km2)を有しております.領海とは陸地の海岸基線か
ら 12 海里(約 22km)であり,基線から 200 海里(約
370km)までを EEZ と線引きされますが,明らかな大陸
棚が200海里を超えて広がっていると国連機関で判定さ
れれば EEZ は広がります.驚くことに離島の数は 6,847
個も点在し,主要 5 列島を含めて海岸線延長は約 3 万
5000km の長さとなり,世界第 6 位にランクインするほ
どです.然るにこの広大な海域内には探せば莫大な量の
貴重な海底鉱物資源が眠っていると期待されるわけです。
海底鉱物資源とは、石油、天然ガス、メタンハイドレ
ートなどのエネルギー資源やマンガン団塊、コバルトリ
ッチクラストなどが確認されています.
このほか銅,
鉛,
亜鉛の硫化物であるサヌカイト呼ばれる黒色の岩石の黒
鉱型鉱床などの熱水性鉱物資源の噴出事例の報告が数多
くあります.
最近の東京大学加藤泰浩教授達の調査では,
レアメタルやレアアースの深海底サンプルが採集され今
後の本格的調査が注目されております.しかしながら過
去に実際に商業生産されているのは,石油,天然ガス資
源のみです.近い将来の商業生産の可能性を視野に探
査・開発研究が進められているのが,メタンハイドレー
ト,熱水性鉱床です.また近年では地球温暖化防止策と
して炭酸ガス(CO2)の海底貯留処分技術の実証テストも
北海道の苫小牧市沖合で進められており注目に値します.
3. わが国の油田探査は米国に遅れること 14 年
商業目的で油井が掘削機械により乱掘されるようにな
った嚆矢は 1859 年にペンシルバニア州のタイタルスヴ
ィレでドレーク大佐が掘った井戸が深度 69ft から日産
30 バレルの原油が出油したあの近代石油産業のあけぼ
の以来,
現在まで150年余りの歴史に過ぎません.
実は,
わが国が石油の探掘を始めたのは意外と古いのです.徳
図 2 わが国の国産原油・天然ガス生産量の推移 3)
明治 7 年(1874 年)以来、平成 25 年(2013 年)まで
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川時代の初期 1615 年に越後の国(今の新潟県)で石油
やガスを求めて井戸を掘ったと古文書に見られますが,
明らかな史実は,図 24)に示すようにアメリカのドレーク
井から僅か 14 年後の明治 6 年(1873 年)長野県出身の石
坂周造と言う篤志家がアメリカから輸入した綱掘り式木
製機械掘削機を使い信濃(今の新潟県)の善光寺近くで試
掘をしています.しかし油は発見できませんでした.
わが国での本格的な油田開発は,明治 23 年(1890 年)
当時の日本石油会社により新潟県の出雲崎海岸近くの陸
上部で細々と生産していた尼瀬(あまぜ)油田の沖合延
長部を対象に 50mほど沖合まで桟橋と人工島を造って
油井を掘削し,深度 524mから日産 43 石(7.74 キロリッ
トル)が出油したことに始まります.海に囲まれた日本に
相応しく世界に先駆けで海洋油田を開発していたことは
実に誇らしいことではありませんか.わが国はエネルギ
ー資源に恵まれない島国であるからでこそ,文明開化の
明治時代にすでに国土を囲む広大な海洋資源に挑戦して
いた史実を忘れないで下さい.
わが国の石油・天然ガス開発技術者の現場の技術や成
果を発表する学術的機関として,早くも昭和 8 年(1933
年)に石油技術協会という学会が東京大学鉱山学部教授
伊木常誠初代会長のもとに創立されています.今年は 82
周年を迎えるのです.このように日本の石油開発技術発
祥の歴史は世界的な動きには決して遅れていなかったの
です.しかしながら残念なことは,日本列島は火山岩地
質で炭化水素堆積層の規模が薄く,狭いため石油資源量
に恵まれなかったことは,表1 の「日本の国産原油・天
然ガス資源量評価」
(平成 25 年度生産量,2013 年度末埋
蔵量)4) を眺めると明らかに事実なのです.
平成25 年度のわが国の原油輸入量は2 億1,035 万キロリ
ットル(日量362 万バレル)また石油製品純輸入量は,年間
488 万キロリットルの規模
(=輸入 3,566 万-輸出 3,000
万)でした.同年度の国土からの原油生産量は 68.7 万キ
ロリットル(日産約 11,800 バレル)で日本の国産原油自
表 1 日本国内の国産原油・ガス資源量評価
(2013 年末現在)
給率は 0.3%と微少です.
一方,わが国の天然ガス消費量は年間 1,241 億立方メ
ートル,即ち 4.38 兆 cf の規模で,この内訳は輸入 LNG
が 8,773 万トン=1,211 億立方メートルおよび国産の天
然ガス生産量は 29.95 億立方メートルの和です.従って,
天然ガスの自給率は 2.4%と原油に比べ8倍ほど大きい
のです.この国産天然ガス生産量を熱量等価の原油の量
に換算すると日量 53,700 バレルですので,わが国ではガ
ス生産量は原油の 4.6 倍の規模で,わが国土は石油より
天然ガス資源に恵まれている地質環境と言えます.故に
メタンハイドレートの埋蔵も相当量期待される所以なの
です.
さてここで 2013 年度末のわが国の残存埋蔵量を調べ
ると,原油 809 万キロリットル(約 5,088 万バレル)で
R/P 可採年は 11.8 年となります.過去の累計産出油量は
6,035 万キロリットルですので,総発見資源量の 88.2%
を採りつくした段階であり確認埋蔵量の残りは僅かです.
一方,天然ガスに関しては,残存埋蔵量は 407 億立方
メートルで R/P 可採年は 16.3 年と原油よりは長い可採
年数です.ガスの累計生産量 1,326 億立方メートルを加
えた総発見可採埋蔵量の 76.5%を採りつくした段階な
ので石油よりも期待されます.
いずれにせよ結論は明らかです.わが国領域の陸上は
ほぼ探鉱が終わりほぼ採りつくしており,今後は日本周
辺の海洋に向かい高傾斜掘りや水平掘り仕上げの探掘を
行う必要があります.また極めて低い自給率が示すよう
に,わが国は海外からの石油・天然資源を調達せざるを
得ないことも宿命なのです.故にこれからは温故知新の
精神のもと若い世代を育成し石油探鉱・油層評価・掘削
開発・生産技術などの技術継承を続けることは極めてで
す.
4.荒れ狂う北海で油・ガス田の驚異的な大発見
世界において海洋油田を探す沖合大陸棚における掘削
は,第二次大戦後に活発化しました.1947 年に米国メキ
シコ湾のルイジアナ州沖合の水深 60m の海域でテンダ
図 3 試掘井と生産井の大水深化傾向
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ーボート付きジャケットによる本格的な海洋掘削が始め
られてから 2000 年までの間,世界の生産井と試掘井が
図 3 のように大水深の海底に向かい発展しました.
然るに陸上の石油の開発余地が少なくなるにつれて,
先ず水深200m までの大陸棚の石油埋蔵資源が着目され
ました.大陸棚は地球が寒冷化した時代に海退により広
がった陸地や,また大洪水や大河の運んできた土砂
で厚く堆積した地域です.大水深の定義は時とともに変
わってきますが.1990 年頃 300m 以上が大水深という
共通認識でしたが,最近では,ブラジルのペトロブラス
は技術的に実用化した水深 300 ~ 1,000m の域海を大
水深,1,000m 以深(水圧約 100 気圧以上)を超大水深
と呼んで区別しております.
振り返れば 45 年前に筆者がテキサス大学大学院(オー
スティン校)の石油工学博士課程で学んでいた頃,米国で
は NASA の宇宙開発が行き詰まり「From the Space to
the Ocean」
をキャッチフレーズにヒューストン市で第 1
回 Offshore Technology Conference(OTC)が 1970 年に
開催され,これに自分が参加したことを思い起します.
実はこの年が米国ではメキシコ湾(GOM:Gulf of
Mexico)や西欧では北海(North Sea)で本格的に海洋資
源・エネルギー開発に取り組み始めた幕開けでした.当
時は水深300m 以深の海域で石油開発に挑むことはあた
かも宇宙開発と同様に巨額投資とリスクを伴う大冒険事
業で,民間企業では手が出せませんでした.あたかも,
今日わが国が取り組んでいる次世代型資源メタンハイド
レートの資源化国プロジェクトも同じような挑戦です.
世界の本格的海洋油田開発は北海に始まるといわれま
す.そのきっかけは 1959 年頃オランダの北東部(アム
ステルダムの北東 160km)の沿岸地帯で石油大手のロ
イヤルダッチ・シェルとエクソンの合弁会社の NAM 社
が可採埋蔵量 58 Tcf (兆立法フイ-ト)のフロ-ニンゲン
巨大ガス田を発見したのです.この巨大ガス田の広がり
が海洋に延びていたため徐々に北海の海洋掘削に誘われ
てゆきました.しかし当時海洋で油井を掘削し採油する
技術はまだ幼稚な段階でした.
1960 年代では石油マンに
とって北海での石油開発は宇宙飛行士が月へ探検する様
なものであったと言われます.海岸に伸びたフロ-ニン
ゲンガス田の開発経験により海洋での石油採掘も採算に
乗るのではないかという見通しが立って来ました.
一方,地質学者の中には北海にはヨ-クシアから北西
ヨ-ロッパに伸びる巨大ガス鉱床が賦存していると唱え
る者も居りました.しかし海洋探査を始めるには,北海
沿岸諸国の間で今まで未確認であった領海を取り決める
『大陸棚条約』を批准する必要があり,関係国の議会で
長く揉めた末,最後にイギリス議会の批准を待ってこの
条約は 1964 年最終的に決着しました.その年の 9 月に
は 53 の石油会社に探鉱・開発事業の認可利権(ライセ
ンス)が出されました.翌年の 1965 年 12 月にイギリス
で最初の海洋ガス田,ウエスト・ソ-ルが BP
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Exploration 社により発見されたのです.奇しくも筆者
が大学を卒業してアラビア石油に入社した年でした.続
いて Shell/ESSO グル-プが大型のレ-マンガス田を発
見しましたが,デンマ-ク領海では 1967 年頃にガス田
と小規模な油田の発見が当たったのみで,当時のオイル
マンの間では,北海では商業的に採算のとれる油田開発
は無理と思われておりました.
北海油田のその後の隆盛は二人の探鉱技師の強い熱意
とリーダーシップ無くしては起こらなかったと言われま
す.その一人はアメリカのオクラホマ州の Phillips 社の
エドウィン・ヴァン・デン・バ-ク氏が天然ガスはイン
グランド中部地方と同じ北緯53 度と54 度の間に鉱脈が
在るが,油田はもっと北方の北緯 56 度辺りに在るに違
いないという強い信念を持って掘った試掘井が 1968 年
6 月ノルウェ-領海で最初のコッド油田を発見します.
さらに Phillips 社はその延長トレンドに 1969 年に超巨
大 エコフィスク油田(埋蔵量 22 億バレル)を発見した
のです.この情報は世界を駆け巡り,その後この荒れ狂
う北海で大規模な探鉱,掘削活動が展開したのです.
一方,イギリス海域でも 1969 年 12 月に初めての海洋
油田,アーブロース油田が発見され,翌 70 年の 11 月に
は北緯 57 度より北のイギリス領海で BP Exploration
社が超巨大 フォーティーズ油田(埋蔵量 25 億バレル)
を発見します.こうして,1970 年代に世界的に勃発した
石油危機に北海油田の原油生産が幸運にも間に合い,油
価高騰で得た高収益は石油開発の新技術の研究開発に投
入するとともに,新たな探鉱事業に再投資されました.
もう一人の探鉱技師はロイヤルダッチ・シェル社のジ
ョ-ジ・ウィリアムスで,彼は最新のプレ-ト・テクト
ニクス理論に基づく地質,堆積学の分析の結果,さらに
北緯 61 度線より北方に大油田が賦存していると予言し
ます.この理論に乗っとり探鉱を進めた Shell/ESSO グ
ル-プは 1971 年 7 月に至って遂にイギリス領に超巨大
サイズの ブレント油田(埋蔵量 20 億バレル)を発見し
たのです.さらに同年の 5 月にはフランスの Elf 社もノ
ルウェ-領海で巨大型ガス田のフリッグガス田(可採埋
蔵量 4 Tcf,兆立方フィート)を発見しています.
北海原油の本格的生産の開始は,Norpipe と呼ぶパイ
プライン・システムが完成した 1975 年以後です. エコ
フィスク地区の複数の油田から生産された原油はオイ
ル・パイプラインで英国の ティーサイド市へ,また随伴
する天然ガスは海上ガス分離プラントで分離されガス・
パイプラインで西ドイツのエムデン市へ輸送され西欧諸
国に供給・販売されました.イギリスでは 1967 年以来,
ウエスト・ソ-ルからのガス生産を皮切りに同国の全家
庭で天然ガス利用への転換が推進されたため,今日まで
イギリスで使われる家庭用都市ガスはすべて北海産で賄
っております.
こうして他のパイプラインの敷設も順次進んで,1978
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年には英国領域での石油生産量は 100 万 b/d
(バレル/日)
を突破し,ノルウェ-領域では 8 年遅れて,1986 年に
至って 100 万 b/d に達しています.BP 統計 20155) を眺
めると,日産 200 万 b/d に初めて到達した年は英国領で
1982 年であり,ノルウェ-領では 1991 年です.しかし
ながら英国領からの生産量は 1986 年の 250 万 b/d をピ
ークにこの年から始まった油価急落の煽りを受け 1991
年に 180 万 b/d レベルに激減し,この年以来ノルウェ-
は石油生産量で英国を抜いて北海第一の産油国となり今
日に至ります.
北海沿岸諸国の総生産量は,2000 年で 648 万 b/d,そ
の構成比はノルウェ-が 52 %.イギリスが 42 %,デ
ンマ-クが 5%,オランダが 1%です.2000 年頃をピー
クに減退段階に入り,2010 年の生産量は全体で 379 万
b/d(ノルウェ-が 214 万 b/d,イギリスが 136 万 b/d)
に減少しています.
筆者を主査として調査した石油鉱業連盟の資源評価報
告書2007 版 6)によると2010 年末の北海油田全体の累計
生産量は約 543 億バレルで.残存する確認埋蔵量 106 億
バレル(R/P 可採 7.7 年)を加えた既発見の確認総資源量
は約 649 億バレル(89 億トンの原油)です.この量は
世界最大のサウジアラビアのガワール油田の究極可採埋
蔵量の約 1500 億バレル,第 2 位のクウェートの大ブル
ガン油田の約600億バレルに比較しても遜色ない規模で
す.この外に数多くのガス田や石油に随伴して生産され
た天然ガス資源も海洋パイプラインで西欧に販売してお
りその資源量も計り知れない僥倖をもたらしたのです.
誰もが不可能とそっぽを向いていた荒れ狂う大水深の北
海に敢えて挑んだ勇気あるオイルマンたちの「夢に賭け
る挑戦」無くしては,かくも莫大な財宝を人類は手にす
ることが出来なかったことを思い知るべきでしょう.
5.日本海での海洋資源開発のすすめ
世界の原油の累計生産量は 2010 末で約1兆 1,700 億
バレルに達します.2001 年からの 10 年間では 5 億バレ
ル以上の巨大油田の発見は 34 個,また 3 Tcf 以上の巨大
ガス田は 45 個と年々少なくなっております 6).在来型石
油・ガス資源に関しては地球上のほぼ全域を探し尽くし
た訳で,残る未探鉱地域は高度な先端技術と莫大な投資
を必要とする①大水深海域や海岸から 500km 以上離れ
た②陸域僻地や③厳寒の北極海域にしか巨大油・ガス田
の発見の可能性はないとみられています.
しかし,見過ごしてはならない大きな盲点地域がある
でしょう.それは我々の身近な地域で今まで地政学
(geopolitics)的理由で探鉱,開発が出来なかったいわゆる
④国境紛争,境界未解決のため手付かずの海域がアジア
パシフィック海域に数多く残っています.わが国に一番
近い外国であるロシア領のサハリンや千島列島がそうで
すし,わが国と中国と台湾の領海が接触する東シナ海も
紛糾している海域です.
しかし日本にとって何よりも 21 世紀に注目すべきは
韓国,北朝鮮そしてロシアに囲まれた日本海でしょう.
終戦後 70 年という長い間,日本・韓国・北朝鮮の紛争
の海でした.特に朝鮮戦争の終結以後では,日ソ冷戦下
図 4 数多くの油・ガス田を発見した北海と日本海の等縮尺対比 7)
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で誰も触れなかったバージンの深海底が眠っています.
ここで世界地図を開いてみましょう.私は北海と日本
海と同じ縮尺で比べて見て驚きました(図 47).日本海は
北海の約 1.5 倍の広い面積を持っており,暖流と寒流
が流れ合う海産物の宝庫であると共に冬の厳寒の荒海の
程度も北海に似ています.地形も片側が大陸に対し反対
側には大陸から離れた島々で囲まれています.それほど
深い海溝も見当たらず平均水深は,北海の 800 メートル
に対し日本海では 1,300 メートルと北海より深いので未
知なる海底資源は多くありそうです.
日本海の生い立ちについて「地学概説」8) 朝倉書店刊
行によると,
「新生代の初め 6000 万年前,巨大隕石があ
またの小隕石を伴いアジア大陸の端に激突し地塊を引き
裂いてマントルまでめり込み巨大な歪みのエネルギーが
日本列島近傍に蓄えられた.そしてこの歪みのエネルギ
ーが徐々に解放されて行く過程で,
4200 万年前の日本海
が形成されていった.このとき太平洋プレートが日本列
島を弓のように曲げてその下に沈みこんでいったため日
本列島は太平洋側に押し出された形となった.その後,
もう一度歪みのエネルギーの解放が起こり,日本列島を
糸魚川と静岡を結ぶ大断層(フッサ・マグナ)で大きく
二つに折り曲げられ,太古の海底が 1500m 以上も徐々
に隆起して現在の上高地が形成された」
と説明されます.
巨大隕石の本体は主として珪酸にアルミニュームその
周りに水蒸気 H2O, CO2, CH4 の火山ガスを伴い地球の
マントルまでめり込んだと言われる,石油の「無機成因
説」の根拠として根強く残っています.現代では大方の
石油地質学者は「生物成因説」を信じています.その説
とは太古の動植物の遺骸や浅海のプランクトンが泥と共
に海底に沈殿,堆積し,酸素の無い嫌気性環境で-160
度℃程度の地温と高い岩石圧力の下で熟成し石油の素の
根源岩(ゲロゲン)が生成されます.このゲロゲンが塩水
で浸された空隙を持つ砂岩や割れ目が多い石灰岩内を浮
力と毛細管圧と岩圧により押し上げられ移動し背斜構造
内に集積して油田が成立するという説です.
「生物成因
説」に基づけば日本列島に石油資源に乏しいことも合点
が行きます.
一方の仮説では,飛来した隕石群は火山活動を引き起
図 5 日本海の中央に秘める浅瀬「大和堆」の位置 9)
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こし,火成岩を変性させサヌカイト丘や黒鉱鉱床を作り
出すこともありえます.大陸地峡が割れて日本海が形成
された当初は内陸湖のようであったとも推定されます.
アジア地域の油田は中東地域の白亜紀(約 1 億年前)の
油田より若い新生代の新第三紀(2300 万年以降)に石油
の根源層が堆積したと言われます.つまりアジア・オセ
アニア地域の原油は一般的に軽質で硫黄分が少なく,天
然ガスを多く含む良質の油でもあるのです.
歴史を紐解くとアメリカテキサス州の石油ラッシュは
1901 年,日糧 75,000 バレルもの原油の暴噴に遭遇した
スピンドルトップ巨大油田の発見と共に始まりました.
この油田構造は石油地質堆積学の常識を破る岩塩ドーム
が突きあがったきのこ状の頂部の傘のようにくびれた円
形のつばの周りに油がたくさん溜まっていたそうです.
このタイプの油田はテキサス州やルイジア州のメキシコ
湾海岸沿いや沖合に多く発見され,またコーカサス山脈
沿いやルーマニアのカルパート山脈の前山地帯にも同じ
タイプの岩塩ドーム型油田が発見された事例があります.
一説によると 9)岩塩塊の周りの砂の地層は天空から隕
石と共に塩水の蒸気と一緒に降った雹石(ひょうせき,
聖書に記述されるバラド)であり大陸地表の風化作用で
出来た砂岩と物性が異なるそうです.しかも油層の下部
の塩水は硫酸塩が少なくカルシウムが多く特にヨード
(I),臭素(Br)が海水の数千倍あり隕石と共に降った天水
を想わせます.
実はそれを裏付けるかのような事例が在ります.わが
国の国産天然ガスの年間産出量約 30 億立方メートル(表
1)の17%は千葉県や新潟県で産出する水溶性メタンガス
を地層水と一緒にくみ上げて分離回収したメタンです.
ところがこの地層水「かん水」1 キログラムから 100 グ
ラムほどのヨード(I)が採集されるためわが国はチリに
続いて世界第 2 位,全世界の 30%のヨードを生産販売し
ております.ヨードと言う副産物まで期待できるかもし
れません.
皆さん日本海の中央に「大和堆」と呼ばれる水深約 200
mの浅瀬があるという話を聞いたことがありまか?帝国
書院 最新基本地図と日本海の海底地形の概念図 9)を並
べた図 5 をご覧下さい.一つの仮説ですが,もし日本海
6,000 万年前に巨大隕石が落下し大陸を引き裂き大陸地
塊の下部のマントルまでめり込んだと仮想するなら塩水
の蒸気や雹石やメタンも一緒に埋没し高熱で水蒸気は蒸
発し岩塩が形成される可能性があります.岩塩は密度が
2.14gr/cm3 とマントルより軽いので少しずつ浮上し緩
やかな背斜構造の岩塩ドームが形成されることもありう
ることです.
古い話ですが,
1977 年に米国の海洋地質調査船グロー
マー・チャレンジャー号が日本海に来て日本海でボーリ
ング調査を行いました.わが国の海洋地質学者も乗船し
掘削コアデータ採取を心待ちにしていた.ところが,チ
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ング掘削を 3~4 本試みたたけでそそくさと引き上げ去
ったそうです.乗船した日本人学者の話では,試錐を始
めてまもなく浅層から天然ガスの噴出を目撃したそうで
す.チャレンジャー号は浅層から天然ガスの噴出を抑え
る安全装置(ライザー)が無い裸坑掘削船でしたので,
安全操業規定により引き上げざるを得なかったのです.
その後,米国から非公式に「海洋地質調査では海洋汚
染の可能性がある場合や天然ガスの暴噴の恐れがある場
合は速やかにボーリングを中止すべきとの安全規則に従
った行為です」との情報が流れましたが,この一件で米
国国防総省ペンタゴンと米国石油メジャーは日本海に天
然ガス資源があるとの確信を得ているのではと思われま
す.その後は周知の如く,日・韓・北朝鮮の間の緊張の
海となり誰も本格的ボーリングを出来ずに現在に至って
しまいました.
わが国領海で日本海にプラットフォ-ムを設置した
油・ガス田開発は 1959 年に発見された秋田県の土崎沖
油田が
最初です.その後,海洋に発見され生産された日本の油・
ガス田と言えば,阿賀沖油ガス田(1972 年),太平洋側の
福島県沖の常磐沖ガス田(1973 年),阿賀沖北油田(1981
年)などが挙げられます.
最後は 1984 年(昭和 59 年)6 月 26 日の新聞各紙に
日本海の新潟県の岩船沖合に有望な油・ガス田を石油資
源開発(株)が発見したと報じられました(図 1).岩船沖
油ガス田(図5)は 1990 年 12 月初日産 9300 バレルで
生産を開始し,15 年後の 2005 年では日量 2,300 バレル
と天然ガス48万m3をと良好な生産を続けて近年の原油
価格高騰の恩恵を享受しています.最近の 2013 年度で
は日量1,670 バレルと天然ガス54 万m3を生産しており
ガス田に変わった様相です.累計原油生産量は 3,240 万
バレルにも達し,わが国第 1 位の秋田県八橋油田 3580
万バレルに次ぐ大油田・ガス田となりました.しかしこ
れらわが国の海洋油ガス田からの2013年度の生産量は,
わが国総生産量約 11,800b/d の 14%を,また,天然ガス
については国内総年産 30 億立方メートル(油換算
53,700b/d)の 6%を占める程度に過ぎません.
わが国の過去の天然鉱物の探鉱開発はそのほとんどが
国土の陸上平野や山間地帯に集中しておりました.しか
も火山列島のわが国は四面を海洋に囲まれておりますが,
太平洋沿岸は水深が急激に深くなり,例えば静岡,愛知
県沖に発見した南海トラフ内の砂層型メタンハイドレー
トは陸地から 60 キロメートル沖の海洋でも水深が千メ
ートルと深く,その海底下数百メートルの砂泥互層内に
埋蔵されております.なんと約 100 気圧の海底から井戸
を掘り仕上げる高度な技術を必要とします.この深海底
掘削,海底仕上げ技術にわが国が積極的に取り組むべき
ときに至ったのではないでしょうか.
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日本の周辺海域の海底資源・エネルギー開発のすすめ - わが国の新海洋基本計画に則った第三の矢(成長戦略)に!
顧みれば,21 世紀に入り石油の価格が暴騰し約 4
倍に値上がりしました.そのため技術革新が加速し,わ
が国を取り巻く広大な周辺海域に潜む海洋資源評価額も
上がり採算性も期待される時代を迎えております.日本
海の海底地質構造を調査する基礎試推を政治から切り離
して,関係 4 ヶ国の国際共同学術調査事業と捉え,産学
官のエキスパート連携のもと具体化の準備作業を始めた
いものです.
本年は 1965 年 6 月 22 日の日韓国交正常化から 50 周
年を迎えた記念すべきタイミングを捉え,先ずわが国と
韓国の学術有識者が共同でリーダーシップをとり話し合
いをはじめたいものです.さらなる具体化に向かい北朝
鮮やロシアの学術アカデミー界の代表の参加を得て「東
アジア海洋開発パラダイム構想」のスタートとして国際
共同学術調査事業を「大和堆 試掘」にターゲットを絞る
好機が訪れたと思われます.石油・天然ガスの自給率が
極めて小さいわが国こそ,率先してハイリスクな次世代
型資源のフロンティア開発に政府が積極的に事業資金を
提供し,または若い世代に夢と希望の挑戦の機会を与え
る学術調査研究に資金助成すべきでありましょう.
著者紹介
藤田 和男
・1941 年東京生.
・東京大学名誉教授
・Geo3 REScue Forum 代表
・1965 年 東京大学工学部
資源開発工学科卒
アラビア石油に入社,1964
まで 30 年勤続
・1972 年 テキサス大学大学院より石油工学 PhD
取得
・1994 年 東京大学工学部地球システム工学専攻教授
・2003 年 退官後 芝浦工大 MOT 大学院教授に就任
・2010 年 定年退職
・専門:石油資源論,油層工学,石油工学,地球環境・
エネルギー戦略論
参考文献
1) 河原一夫石油ウォッチ研究所,ホームページ,
http://www.ne.jp/asahi/kappa/kawataro/index.
htm
2) 「海洋基本計画」内閣府,総合海洋政策本部,平成
25 年 4 月 26 日に閣議決定
3) 総合海洋政策本部参与会議意見書本文(6 ページ),
座長 小宮山 宏,2014 年 5 月 22 日上申,
別添: 新海洋産業振興・創出 PT の 4 つのワーキン
グ・グループ(WG)報告書 代表プロジェクトチー
ム主査湯原哲夫 2014年4月24日に参与会議に報
告
4) 「天然ガス資料年報 -含 石油,LNG- 平成 26
年版」 天然ガス鉱業会(2015 年 4 月 30 日発行)
5) BP Statistical Review of World Energy June
2015 <http://www.bp.com/statisticalreview>
6) 藤田 和男 主査「石鉱連資源評価スタディ 2012
年(世界の石油・天然ガス等の資源に関する 2010
年末評価)-第6回石鉱連資源評価ワーキング・グ
ループ報告書- 石油鉱業連盟 (平成27 年
(2012
年)11 月発行)
7) International Petroleum Encyclopedia 2004,
Penn Well Corporate
8) 日高 考次 他「地学概論」朝倉書店,(1968 年)
9) 山田久延彦,「謎の日本海底油田」,NON BOOK,
祥伝社 237,1984 年 8 月発行
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