電子社会におけるコミュニケーションの課題( I)

電子社会におけるコミュニケーションの課題(I)
電子社会におけるコミュニケーションの課題( )
一橋大学
古川 一郎
(1999・
・6)
)
優れた商品や新しいコンセプト、技術といったものが社会に受け入れられないことはよくあること
である。しかし、一体それはなぜなのであろうか。さまざまなイノベーションの社会への普及を研究
した Rogers(1991)は、普及が一筋縄ではいかないことを多くの興味深い例をあげて説明している
が、その中からここでは 2 つほど簡単に紹介したい。
一つ目はパソコンのキーボードの例である。現在私たちが使っているパソコンのキーボードのキ
ー配列は QWERTY 型(キーボードの左上段の配列からこの名がついた)といわれるものである。
驚くべきことに、これは機械式タイプライターの時代に決められたものであり、当時のタイプライタ
ーの性能に合わせて、タイピングのスピードをわざと落とすように並べられたものであるといわれ
ている。
従って、時代遅れのこの配列はいかにも合理性を欠くものであることは良く知られており、当然
人間工学に基づいた最適な配列がいろいろと考案された。しかし、そのようなキーボードは一向に
普及したという話を聞かない。さらにもっと驚くべきことには、私達日本人は日本語のワープロを打
つときでさえ、この配列のキーボードを使用し続けているということである。日本におけるインター
ネットの普及が遅れている原因の一つは、キーボードになじめないことであると言われていること
を考えると、そう簡単に笑えない話である。
パソコンのキー配列は人命には直接関係ないが、人命にかかわった次の例は深刻である。7つ
の海を制覇したイギリスであるが、大航海時代における船乗りの最大の恐怖は海賊でも、嵐でも
なく、壊血病であった。壊血病の原因はビタミンの欠乏であり、柑橘類を摂取することで防ぐことが
出来る。16 世紀の始めにイギリス海軍の艦長ランカスターがおこなった実験は、2 隻の船で実際
に航海を行い、そのうち 1 隻の乗組員にはレモンを与え、残りの船の乗組員にはそれを与えない
という、多数の犠牲者を出したかなり乱暴なものであった。
しかし実験が単純であっただけにその結果は明白で、レモンの有効性を強く示唆するものであっ
た。しかし、この艦長の実験はイギリス海軍からは無視されてしまった。その後、軍医が行ったも
のを含む数度にわたる類似した実験のさらなる明白な事実にもかかわらず、最終的にすべての船
に柑橘類を積むことが英国において義務づけられたのは、なんと 3 世紀も後の 19 世紀後半であ
ったということである。
加熱済みの血液製剤の導入が遅れたために、エイズ被害が拡大した最近の不幸な例を目の当
たりにすると、時代や環境、人種を超えて本質的に同様な現象が起きていると言わざるを得ない。
このような例は、たとえどんなに卓越したイノベーションであっても、それはネットワークを構成する
メンバーに一様かつ一斉に伝わるのではなく、その普及に思いのほか時間がかかったり、最悪の
場合には失敗することさえあるということを示している。この章では、イノベーションをやや広い意
味に捉え、技術やアイディアの革新のみでなく、新規の商品・サービスも含めることにし、なぜこの
ようなことが起こるのかを考えていきたい。
イノベーションの普及とヒューリスティックス
z イノベーションの普及を阻害する要因
社会へのイノベーションの普及プロセスを理解することは、新商品やサービスを成功させる可能
性を高めたり、需要予測の精度の向上に直接結びつくばかりか、ネットワークを利用した新たなイ
ノベーションの誘発をもたらすことにつながる可能性も秘めている。様々なイノベーションの普及プ
ロセス、例えば、新種の種の農家への普及、開発途上国のある地域への煮沸消毒や避妊方法の
普及といった事例を実証的に観察した結果明らかになったことは、大きく次の 2 点である。
第一点は、イノベーションが革新的でその採用に関わるリスクが大きいほどスムーズな普及が阻
害されることである。第二の点は、イノベーションの普及はすべてのネットワークの構成員に一様
かつ同時に起こるのではなく、人々のイノベーションの採用にはある種のパターンがあり、かつ採
用する時期にも構成員間で大きな違いがあることがわかったことである。この二つはともに、一人
一人のネットワークに属するメンバーが知覚したリスクの大きさとその解消過程、すなわち価値評
価をどのように行っているかということと関連している。ここでいう知覚リスクとは、イノベーションを
採用した場合に、予測される満足感や期待感が裏切られる主観的なリスクをいう。
ここで、最近登場して話題を呼んでいる電気モーターとガソリンエンジンの両方を搭載したいわ
ゆるハイブリッド・カーの価値評価を例にとってこれらの問題を考えてみよう。価値を評価するため
には、まず最初に、乗用車の機能的な側面を評価しなくてはならない。環境への影響、燃費、加
速感、居住空間の大きさといった点である。第二に、メインテナンスや故障したときのサービスを
評価する必要がある。第三に、ディーラーの信頼度を評価しなくてはならない。売ってしまったらそ
れで終わりと考えているのか、長い付き合いの始まりと考えているのかといったディーラーの姿勢
を問わなければならない。しかし、これらの側面は、その気になればある程度客観的に評価出来
ないことはない。
しかし、第四に、ハイブリッド・カーやそれを作ったメーカーのイメージ、世間の評価を気にしなくて
はならない。これについては、値段の高い車が必ずしも高級車でないことと同様の配慮が必要に
なってくる。従来存在しなかったこのカテゴリーの乗用車の主観的な品質を評価するためには、こ
の車に対する社会的評価、他者の評価を予測することがどうしても必要である。すなわち、品質の
評価には個人の評価の枠内では処理しきれない問題が存在するのである。この問題は、ネットワ
ーク全体であるメンタルモデル、すなわち主観的な評価枠組みの共有が必要となる場合があるこ
とを意味している。
さらに、負担すべきコストについても考えなくてはならない。まず支払わなければならない金銭的
なコストがある。加えて、上記のような面倒くさい多面的な評価を、時間やエネルギーをかけて行
う必要があり、当然機会費用が発生する。この考えるコスト(cost of thinking)は重要なコスト要因
である。また、コストを考えるときに注意しなければならないのは、期待を裏切られたときの心の痛
手は、金額が大きいほど大きくなるということである。価値を最大にしようと思ったら、これらの諸
要因を踏まえた上で、便益を最大にコストを最小にすべく努力する必要がある。
以上の考察からわかる通り、知覚リスクは機能的評価の困難度と主観的評価の困難度、採用に
かかるコストが大きくなるほど比例して大きくなる。この知覚リスクが大きいほど普及速度は遅くな
り、反対に、知覚リスクが小さいほど普及速度は速くなる。この普及速度については次のような傾
向があることが知られている。
(1)
(2)
(3)
(4)
(5)
イノベーションの複雑性が高いほど普及速度は遅くなる
従来のものと比較して相対的に優れているほど普及速度は速くなる
従来のものとの両立性が高いほど普及速度は速くなる
イノベーションの試行可能性が高いほど普及速度は速くなる
イノベーションの観察可能性が高いほど普及速度は速くなる
(1)、(2)は今までの議論から明らかであろう。(3)は、新しいものを採用したときに従来のものを
捨てなくてはならない場合に発生する、サンクコスト(sunk cost)が大きいかどうかということである。
サンクコストが小さいほど普及は速やかである。コンピュータのOSや周辺機器を含めた情報・コ
ンピュータ関連の商品では、近年の激しい技術革新の流れの中でデファクトスタンダードの議論
が盛んになされるが、このような問題において両立性(=互換性)は常に戦略的な中心課題であ
る。先のハイブリッド・カーがおもしろいのは、既存のガソリン・システムのインフラを利用できる点
である。電気自動車の場合はガソリンの使用できないがゆえに、ガソリンスタンドをはじめとする
既存のインフラ全体を上手く利用できない点で対照的である。
(4)は、試しに使ってみることが出来るかどうかということである。特に価格のそれほど高くない
新商品などは、サンプルを配って顧客に実際に使用してもらうことが可能である。これは、いろい
ろと考えるよりも前にまず使ってもらって、商品の価値をわかってもらおうという方法である。また
プロモーションなどを通じて試用購買を誘発することも比較的容易である。このように、顧客に実
際に体験してもらい知覚リスクを解消するという意味では高価なものより有利であるといえる。
(5)は自分以外の人がイノベーションを採用している状態を観察することが出来るかどうかという
ことである。ロジャースは、同じような気象条件にありながら太陽温水器の普及率が地域によって
異なることを例としてあげてこのことを説明している。ご近所の屋根を見れば、どの程度この機器
が普及しているかを知ることが出来る。取り付けられている家が多いほど、採用率は高まるであろ
う。この観点からは、観察可能性は乗用車、服飾、バック・時計といった人の目に付くものほど普
及を考える上で重要な要因となる。動く広告塔という言葉があてはまるのは、まさにこのケースで
ある。
z ネットワークのヒューリスティックス
このように、特に知覚リスクの高いイノベーションに対しては、顧客はその知覚リスクを解消し、
それに対して好意的な態度を形成した後でなければ採用に踏み切れない。しかし、この知覚リス
クを回避するための品質とコストの評価を自分自身で行うためには、評価する意思と能力を有し
ていなければならない。そして、もし評価するのに必要十分な能力がなければ、その能力を何らか
の方法で獲得しなければならない。
私達はこのような場合、様々なヒューリスティックスを用いて簡便に情報処理していることはこれ
までの議論から容易に想像がつく。問題なのは、知覚リスクを克服し、採用に踏み切る、あるいは
採用を控える意思決定をするのに必要な労力と時間、コストを節約するためにわれわれが用いて
いるヒューリスティックスは何かということである。
普及過程研究の結果明らかになった今一つの重大な発見は、イノベーションの採用のパターン
に大きな個人差があることを発見した点である。すなわち、イノベーションにすぐに飛びつく人もい
れば、周りの人が採用に踏み切ったのを確認してもぐずぐずしてなかなか採用に踏み切らない人
もいる。ロジャースは、採用にいたるまでのこのような個人間に存在する採用時期の時間的なず
れに着目し、人々を時間的な順序に従って、イノベーター、オピニオンリーダー、早期大衆、後期
大衆、採用遅滞者の 5 つに分類した。その上で、それぞれのカテゴリーの人々がどのような人な
のか、どのように知覚リスクを克服しているかといった点について観察を行った。
その結果明らかになったことは、イノベーションの価値評価を行う能力を持ち、ネットワークの残
りの構成員が採用するかどうかの意思決定に決定的な影響を与えている人々がいることがわか
ったことである。すなわち、オピニオンリーダーといわれる人々がそれである。ネットワークの他の
メンバーがイノベーションを採用するかどうかはオピニオンリーダーがそれを採用するかどうかに
かかっている。他の人たちはオピニオンリーダーの示した解決案に基本的には追随しているとい
うことがわかったのである。
オピニオンリーダーが採用したのを見てから彼らに続いて採用する人達を早期大衆と呼び、そ
の後に続く人達を後期大衆、最後に続く人達を採用遅滞者と呼ぶが、このような人々は、自ら知
覚リスクを解消し、イノベーションの採用に踏み切るのではなく、オピニオンリーダーの意見に従っ
ているのである。つまり誰か信頼に足る人を捜して、彼らに意見を聞いて自分の行動を決めてい
るのである。この場合信頼できるオピニオンリーダーというのは、身近にいる友人のこともあろうし、
外部のコンサルティング、その分野の権威、専門的な情報誌の場合もあろう。
逆にいうと、オピニオンリーダーが「ノー」と言えば、優れたイノベーションでも普及しない。この意
味で、オピニオンリーダーはイノベーションの正当性を保証する役割を果たしていると言えよう。さ
らに、ロジャースの研究によると、オピニオンリーダーは他のグループの人よりも高学歴・高収入
であるといったような、それぞれのカテゴリーに属する人々のデモグラフィックス変数にも特徴があ
ることもわかった。
ところで、興味深いのは、このイノベーターとオピニオンリーダーの質的な相違である。ともに価
値を評価する能力を持ち、自分自身の意思で採用を決断しているにもかかわらず、他のメンバー
が追随するのはオピニオンリーダーの行動であって、イノベーターではない。いってみれば、イノ
ベーターと呼ばれる人々は「おたく」といった感じで、周囲の人々に与える影響は小さい。このよう
に、他者から信頼を受けていることがオピニオンリーダーの十分条件であり、この点がイノベータ
ーと違うところである。ただ頭が良くて何でもわかる、人前で良く目立つというだけでは、オピニオ
ンリーダーにはなれないのである。
いずれにしてもイノベーションの普及研究から明らかになったのは、社会=ネットワークには自
分の意思で判断する人と、誰かの意思決定に追随する人の二つのタイプが存在すると言うことで
ある。早期大衆はオピニオンリーダーの意思決定に追随し、後期大衆、採用遅滞者は彼らに続く。
彼らは自ら価値評価する人々ではなく、追随する人々なのである。追随することによって、知覚リ
スクを回避しているのである。この意味において、まさしく、彼らはネットワークのヒューリスティック
スとでも呼べるものを利用しているといえよう。
消費の「知」の進化
以上のような研究から明らかになった知見は、マーケティングの分野でも需要予測の数量的モ
デルなどに盛んに応用されている。しかしながら、つぎのような問題に対しては未だに十分な答え
を提示できていないと思われる。
第一に、オピニオンリーダーの役割をやや高く評価しすぎている結果、普及理論は、オピニオン
リーダーがイノベーションの正当性を判断し、他の人はその情報を一方的に受け取るという、いわ
ば二段階の情報処理モデルになっている。ロジャースの例では、特定の個人がオピニオンリーダ
ーとして登場し、あたかもイノベーションの正当性を判断する「正義の女神」のような扱いを受けて
いる。しかし、文化的にも経済的にもある水準に達している社会において、このような個人を探す
のことは、果たして現実的かどうか疑問である。
この点とも関連する第二の問題点は、人々の対話の中から、ネットワークが共有する消費の知
が誕生し進化するといった視点が、全く組み込まれていないという点である。既に正当性が確立し
た「知」が、追随する人々に波及していくという点については普及理論の知見は的を得ていると思
われるが、新たな消費の「知」の誕生とその正当性の確立には、自分の意思で判断できる人達の
相互的なやり取りが必要なケースが多いのではないかと思われる。
この問題を考えるためには、人々が他者と独立に自己の満足感(=効用)の最大化を行い選択
行動を行っているのではなく、ネットワークが全体として消費の「知」を進化させ、あるいは創造し
つつ消費行動を行っているというように考えることが重要である。私達は、ばらばらではなく互いに
結びつき、相互に影響し合いながら消費しているという考え方は、ネットワーク上でのイノベーショ
ンの普及を考える上で鍵になる考え方であると思われる。
第三に、商品カテゴリーの特性の違いと価値評価の難易度にどのような関連があるのか明らか
にされていない。機能的品質、主観的品質、コストのどの側面が、価値の評価に対してどの程度
問題になるのかについては、商品によりかなりのばらつきがある。企業と顧客との関わり合いの
なかで、顧客の知覚リスクを解消するためには、知覚リスクを構成する要因を把握した上で、どの
ようなコミュニケーション活動に力を注ぐべきかを決定すべきである。このようなマネジリアルなイ
ンプリケーションを得るためにも、イノベーションの特性と価値評価の要因との関連性は、きちんと
整理されていなくてはならない。
z ネットワークにおける知の創造
第一、第二の問題点を考察するには、組織的な知識創造のフレームがより現実的であり有効で
あると思われる。すなわち、オピニオンリーダーは個人ではなくむしろ集合的に存在するものであ
り、しかもオピニオンリーダー間での相互的やり取りの中で徐々にイノベーションに対する態度を
決めていくと考えたほうが自然であろう。そうでなければ現在の豊かな社会の高度化した欲求に
対して対応することは不可能であると思われる。
野中・竹内(1995)の「知識創造企業」は、個人の「知」の創造ではなく組織的な「知」=イノベーシ
ョンの創造に焦点を当て、組織の中で個人個人が互いに関連しあいながら、新たな「知」をどのよ
うに生み出していくかを初めて考察した点で高く評価されている。もとより、新しいアイディアを生
み出すのは個人であって組織ではない。しかし、他者との係わり合いの中で、より卓越した「知」を
生み出すプロセスに注目して、新たなフレームワークを提示している点で極めて興味深い。彼らは、
知識創造のプロセスを考察するにあたり知識を形式知と暗黙知の 2 つに分類した上で、詳細か
つ多様な事例研究を踏まえてモデルの検証を行っている。
ここで形式知とは、言語化できる、いってみればコンピュータが理解できる知識である。それに対
して、暗黙知とはいわば言葉にならない知識のことで、師匠から弟子に体験を通じて伝わっていく
ような知識のことをいう。野中・竹内の SECI モデルでは、メンバーあるいは組織が持っているこれ
らの暗黙知と形式知が互いに影響し合いながらより高度で洗練された「知」を生み出していくプロ
セスを説明している。
この SECI モデルの最初のステップはお互いの暗黙知の共有するために互いに顔を着き合わ
せて語り合うフェーズである。この中から信頼関係が構築され、共通のメンタル・モデルが共有さ
れる段階である。第二のステップは、暗黙知から新しい言語化されたコンセプトといった形式知へ
の飛躍がなされるフェーズである。第三のステップは、新しい形式知と既存の形式知が結びつき、
より高度で洗練された形式知へと発展する段階である。そして第四のステップは、このような形式
知が組織の中で実行される中で、新たに暗黙知が蓄積される段階である。このような 4 つの段階
を循環していく中で、より高度で洗練された新たな「知」が創造されるというのが、SECI モデルの
核心である。
z マーケティング・リサーチの限界
ところで、顧客のニーズを捉えることによって、新製品の成功する確率を高めたいという発想は
企業としては当然である。このために多くのコストやエネルギー、時間を投入し、様々なマーケティ
ング・リサーチが日常的に行われている。マーケティング・リサーチのテクニックは実に多様であり、
状況により調査のプロセスが決まっていくる。しかし、あえて一般的なプロセスを述べるとすれば
次のようなものである。まず、グループ・インタビューなどの比較的小規模の定性的調査を行い、
そこで得られた知見を参考にしながら仮説を設定する。そしてその仮説を、ある程度の規模の定
量的なアンケート調査や、スキャン・データなどの蓄積されているデータと照合し検討するといった
パターンである。
ところが第三の点と関連して問題となるのは、実際に定性的な調査をやっていて、「どうしてこの
商品を購入したのですか?」という、企業として最も関心のある問に対して、「ただ、なんとなく」と
いったあいまいな答えしか返ってこないときである。この問題は、潜在的な欲望の場合には、特に
深刻な問題となる。このような場合、「なんとなく」購入してしまっているが、改めて問われてみると
自分でもなんと答えて良いか、上手く言いあらわせないのである。
特に、「それを消費することがなぜ必要か?」という問いに対しては回答者が返答に窮すること
が多い。「好きだから」、あるいは「嫌だから」という理由は、必要かどうかといった問いの答えには
ならない。アイドルのコンサートは好きだから行くのであって、必要だから行くのではない。しかし、
このような測定上の問題について、それがマーケティング・リサーチにおいて深刻な問題であると
いう指摘以上の議論がなされることは少ない。それは消費の「知」を、上で述べた暗黙知と形式知
とに区別して考えていないからである。
消費の「知」についても、このように暗黙知と形式知を分けて考えることには大きな利点がある。
汚れた服を洗濯洗剤で洗濯するというのは、既に確立した形式知としての消費の「知」である。そ
こには、原因としての汚れと洗剤を使えばきれいになるという結果があり、この二つが直感的にも
体験的にも明らかな因果関係で結ばれている。すなわち、欲望と消費の結びつきは単純でわかり
やすい。このような商品なら、消費者の抱える問題を測定することは可能であり、それを従来の商
品より上手く解消する商品を開発すれば良い。そして、そのことを顧客に伝えることが出来れば、
新商品が成功する確率は、思いつきで製品開発するよりずっと高くなるはずである。
それに対して、冠婚葬祭の礼儀・作法や TPO に合わせた服装、アイドルの CD の購入といった
ことは、言葉では上手く言い表せない暗黙知としての消費の「知」である。既存の形式知を測定す
ることは理論的に可能であっても、既存の暗黙知を測定することは至難の技である。しかし、真に
イノベーティブな新製品を開発しようとしたら、簡単に測定できるような形式知はあまり魅力的では
ないかもしれない。むしろ、測定するのが困難な暗黙知を察することが重要ではないか。
しかし、暗黙知は言葉では表せない以上、顧客にとっても企業にとっても困難な状況が存在する。
企業にとっては、言葉により測定することが困難であるという点がまず問題となるが、顧客にとっ
ても商品に占める暗黙知の割合が大きい場合は、形式知ほど容易に知覚リスクを減少させること
が出来ないという問題がある。暗黙知を共有し、知覚リスクを減少することは、形式知に比べてよ
り大変な作業である。なぜなら暗黙知の伝達には、時間と空間を共有する必要があり、形式知よ
りコミュニケーションに大きな制約が存在するからである。先に、オピニオンリーダーの意見に追
随するヒューリスティックスについて述べたが、オピニオンリーダーは自分たちで商品価値の評価
に判断を下さねばならない。
また、企業が市場の暗黙知を吸収するためには、基本的には顧客が商品を消費する場におい
て顧客の行動を観察したり、時間をかけて顧客同士の会話・行動といったものをつぶさに記録し
分析する以外に方法はないと思われる。このように考えると、顧客同士の関わり合いの中から、
新たに生まれてくる暗黙知を予測することはそもそも不可能に近いことが理解できる。少なくとも、
アイドルの卵からアイドルが生まれるプロセスを計算して、計算通りに育てていくなどということは
現在のマーケティング・サイエンスの数量的なモデルに期待できる類のものではない。逆に言えば、
暗黙知や形式知への飛躍が問題とならない場面において、マーケティング・サイエンスのモデル
は力を発揮できるのである。
出会いの「場」のデザイン
以上の考察から、ネットワークとして消費するという視点が重要なこと、新たな商品の普及やそ
れに伴う消費の「知」の進化・改定といった問題に、暗黙知の共有から形式知への飛躍といった、
組織としての知識創造モデルの知見が大いに参考になることがわかった。また、商品に占める暗
黙知の割合が大きく知覚リスクが大きい場合には、顧客にとっても企業にとっても大変な労力を要
することもわかった。
以下では、顧客にとっても企業にとっても、消費の知を創造し、それを進化させ共有していくため
に必要で望ましい触媒として、出会いの場を考えてみたい。顧客のネットワーク内において、そし
てそのようなネットワークと企業との間に、どのような出会いの場の構築が可能であるのか。少し
でも早く市場の「知」の変化を察知し、自社の戦略に組み入れることを可能にするための、優れた
出会いの場をデザインするために必要な条件にはどのようなものがあるのかといった点について
考察したい。
z 市場における知識創造の特質
まず、企業の組織内における知識創造と、市場における知識創造の違いについて考えてみたい。
上述した SECI モデルは基本的には企業内における「知」の創造を説明するモデルであって、市
場における「知」の創造のモデルではない。企業内と顧客間には次のような大きな相違点と問題
点が存在する。
第一に、暗黙知の共有は、ネットワークにおけるオピニオンリーダー同士の共有と、企業とネット
ワークとの共有に置き換えて考えなくてはならない。以下において説明するような、「おせっかいな
顧客」の存在がこのことの可能性を保証しているとしても、それはあくまで個々人の自発的で自律
的な参加である点に注意しなくてはならない。企業内チームにおいては、メンバー間にチームとし
てのゴールや企業のビジョンの共有、チームに対する強いコミットメントはある程度前提として期
待できる。それに対して、商品を購入し消費する顧客にはそのようなゴールやコミットメントが自然
発生的に生まれてくる保証はない。この点をどう克服するか考えなくてはならない。
第二に、企業内チームではないために、ネットワークにおける暗黙知や新たに生まれてきた形
式知を吸い上げるには困難が伴う。これを敏感に察知し、ノウハウやデータベースとして蓄積され
ている企業の形式知と結び付けて、いち早く企業のマーケティング活動につなげられなければ何
にもならない。注意しなくてはならないのは、個々人から暗黙知をばらばらび吸い上げても不十分
であるということである。なぜならば、集団的な暗黙知の共有から形式知への飛躍へとつながる
以上、個々の暗黙知から新たな消費の「知」を予見することは困難だからである。このような消費
の知の変化に十分敏感な仕組みを持たなければならない。
さらに第三に、仮にオピニオンリーダーの集団で、暗黙知の共有を促進することが可能であった
としても、形式知へと飛躍させるための継続的な対話の促進には、メンバー間に信頼感を醸成す
ることが必要である。それに必要なエネルギーがどのような形で生まれてくるか、どのようにネット
ワークに注入したら良いかがわからなくては、出会いの場を活性化することは出来ない。
第四に、新たに顧客のネットワークから生み出された形式知と、既存の形式知との融合に基づ
いて作成されたマーケティング活動に対して、顧客が実際の消費活動を通じてどのように消費の
知を進化させていくのか、継続的に接触していけるような場を創造する必要がある。顧客から投げ
られたボールをキャッチして、顧客に投げ返すという継続的な対話が出来る場を持つことがなによ
りも重要である。
このような相違や問題点を克服し、優れた出会いの場をデザインするための条件を考えるため
に、人と人との関わり合い方についてもう少し深く考える必要がある。以下では、個人の独立性や
利己心の問題と、人間関係のパターンについて考察したい。
z 個人の利己心と他者との関わり
経済学においては、アダム・スミス以来、個人の利己心に基づいて理論を構築するのが伝統で
ある。個人が自己の目的関数を最大化することのみを考えつつ、なおかつ「見えざる(神の)手」に
導かれて、社会全体として価格と生産量がどの水準で均衡するのか、効率的な資源配分が達成
されるのかといったことを明らかにすることを主たるテーマにしている。このような経済学の根幹を
形成しているゲーム理論も、当然個人の利己心を前提としている。
ところが、このような個人の利己心を前提としているゲーム理論を、現実の私達の意思決定にあ
てはめてみたところ興味深いことがわかった。実験ゲーム(experimental games)と呼ばれるこの試
みは、相互に関わっている人々がどのように振舞うかを、実際にゲームに参加した人々の意思決
定を観察することで調べていこうというものである。このようなゲームのほとんどは、(1)それぞれ
の個人は自己および他者の厚生に影響する意思決定を行う、(2)このような意思決定の結果は
数量で表現される、(3)この結果を表す数量は事前に示される、という条件を満たし、さらにそこで
は人々の利害が部分的に対立し、部分的に一致するというものである。以下では、このような実
験ゲームの中で特に良く知られている囚人のジレンマと呼ばれるゲームについて考えてみたい。
z 囚人のジレンマ
典型的な囚人のジレンマゲームは、表 1 に示されるような 2X2 のペイオフ表に基づいて行われ
る。ペイオフ表のそれぞれのセルの中の数字は、前の数字が A の、後ろの数字が B の取り分を
表す。このゲームでは、表 2 において、R>Q>P>S(あるいは、2Q>S+R)となることが必要である。
囚人のジレンマゲームは次のような状況を想定して作成されたといわれている。
◊
◊
表 1:囚人のジレンマ(1)
表 2:囚人のジレンマ(2)
二人の容疑者 A,B が逮捕され取調べを受けている。実は二人は共犯であるが、より軽い罪で
別件逮捕されている。ここで、片方のみが自白する場合、例えば、A のみが本当のことを言い、B
が否認しつづけたとすると、自白したほう(A)は捜査協力ということで罪が免除され、B のペナル
ティーが重くなる。二人とも自白した場合は、ここでは二人に(-6)のペナルティーが課せられる。
そして、二人とも自白しなかった場合は、より軽い罪のペナルティーのみ、ここでは(-3)が二人に
課せられる。このような状況で、二人の容疑者はどのような意思決定をするのであろうか、という
のが囚人のジレンマの問題である。
個人の利己心に基づいて行動すると考えるゲーム理論の解答は、「二人とも自白する」である。
犯罪人が自白するということで非常に結構な結果であるが、この状況に落ち着くということは次の
ようにして説明される。まず、A にとって、自白するのと否認するのとどちらが有利か考えてみよう。
B が自白した場合、A にとっての利得は、自白したら(-6)、否認したら(-9)と、自白するほうが
得である。そして B が否認した場合は、自白したら(0)、否認したら(-3)となり、やはり自白した
ほうが得である。ここでは A は利己的に行動すると考えているから、自白することが A のとるべき
選択である。全く同じことが B についても言える。ここで、A が自白するということになれば、B は
自白すれば(-6)であり、否認すれば(-9)となり自白するほうが得である。B も利己的に行動す
るということであるから、当然自白するという選択をすることになる。
しかしじっくりと表を眺めると、二人とも自白するのではなく、二人とも否認することが(-3、-3)
で二人にとってより好ましい状況であることがわかる。本当に、人間は「二人とも自白する」といっ
た愚かな意思決定を繰り返すのであろうか、といった問題意識から、実験ゲームは行われている。
囚人のジレンマといったゲームを実際に行うことで、人々がどのような意思決定をするのか、ある
いはゲーム理論が予想する解がどの程度の現実妥当性を持っているのかといったことを、非常に
多くの研究者が実験的に確かめようという試みを続けている。
このような研究からわかったことは、ゲーム理論が予測する解が決して良い予測値ではないとい
うことである。ゲームに慣れていくに従って、やや早く裏切るようになる傾向は認められるものの、
お互いに利己的に行動するという前提に基づいた予測は当てはまらないことは明らかである。こ
の例は一例に過ぎないが、多くの他の研究においても同様な結果が示されている。
z 共存共栄をはかる
Romp(1997)は、このようなことが起きる理由として次の5点を上げている。
(1) 利他的な性向を持つ人が無視できない比率で存在する。
(2) 学習のプロセスにおいて、いわゆる合理性の限界が存在する結果、適者生存の進化的なプ
ロセスでゲームが進められている。
(3) 相手の出方が不確実な場合には、協力する性向が強められる傾向が人間にはある。
(4) 相手が少しでも協力する可能性がある場合には、こちらも協力する姿勢を示すことで協力的
であるという評判を築くことが合理的である。
(5) プレーヤーの数がそれほど多くないときには、一回きりのゲームを異なったプレーヤーと行う
場合でも、そのグループ全体として協力的であるという評判を構築することが、この評判が誰
かが裏切ると伝染病にかかったように消滅していくとしても、利にかなっている。
また、Pruitt, Kimmel (1977)は、目標・期待説にしたがって、このような実験ゲーミングの 20 年に
及ぶ研究のレビューを行っている。目標・期待説というのは、人々はなんらかの目標を持ち、そし
て相手に対してある期待を抱いていると考え、この自己の目標と相手に対する期待の組み合わせ
から、人々の行動を考えようというものである。
この目標・期待説によると、人は必ず短期的目標と長期的目標の 2 つの目標を持って行動して
いるという。囚人のジレンマゲームでは、1 回 1 回のペイオフで少しでも有利になろうというのがが
短期的目標になるし、長期的な共存共栄をはかろうというのが長期的目標である。そして、相手に
対して協力的であったり、利己的・非協力的であったりするのは、この目標と相手の行動への期
待の状態に依存して左右されると考えるのである。彼らは、このような目標が構築される要因や、
相手を協力的にする条件、目標・期待の状況と行動との関連性といった観点から様々な研究の分
類・総括を行っている。
特に興味深いのは、どのような状況において、人がもっとも協力的・非協力的になるかという点
である。長期的目標を持ち、相手の協力的態度も期待できるときに、もっともお互いに協力的にな
るのは当然であるが、実はこちらの目標が長期的であり相手の態度が非協力的であるという期待
を持ったときに、もっとも相互的不信におちいるということである。こっちがせっかくそのつもりでい
るのに「裏切られる」と、余計に傷つけられ報復的な態度になるということであろう。
また、「罪を改めた罪人」や「堕落した聖者」といった興味深い人間の性向についても紹介されて
いる。前者は、最初は徹底して「裏切っていた」人が、途中から協力的になると、相手も協力的な
るという傾向であり、後者は全くその逆で、最初は協力的に振舞いつづけていた人が、いったん裏
切り始めると今度はなかなか信用を取り戻せないという傾向のことである。
佐伯(1980)は、このような実験ゲームの結果を、「一般理論を展開していくには実験状況があま
りに限定されているために、何も明確な法則を定立できないままであるのが現状である」としなが
らも、「きわめて明白な事実は、人はつねに他人の行動の意図をさぐり、動機の善意、悪意に対し
て敏感に反応しているということで、単純な利己心だけで行動しているのではない」と述べている。
このような人間に対する見方が、利己心を前提としたゲーム理論という装置を使って浮かび上
がってきた点は興味深い。いってみれば、積極的に他者とかかわり合いを持ちたいと願っている
「おせっかいな」人が、少なくともある比率でネットワーク上に存在するということである。このような、
「おせっかいな」人が存在することは、顧客と顧客の間で自発的に暗黙知の共有が行われる必要
条件となる。すなわち、このことが企業のコミュニケーション活動として顧客のネットワークの中に
出会いの場を創造することで、対話が自律的に発生する可能性を保証してくれる。
z 出会いの「場」と人間関係のパターン
しかし、「おせっかいな人」の存在は、必要条件であって十分条件ではない。消費の「知」を進化
させるには、出会いの場を活性化させ、スパイラルを引き起こし、それを継続させるエネルギーを
注入する必要がある。さらに、暗黙知を共有し、対話を通じて生まれてきた消費の知の進化をど
のようにいち早く察知するかを考えなくては、有効な企業活動につなげることは出来ない。このよ
うな人と人との出会いの場を活性化させ、出会いの場で生じた変化をいち早く察知するには、企
業としてどのようにして社会的ネットワークに関わっていけば良いのであろうか。このような問いか
けに対して、次に紹介する、Fisk(1991)の考え方は大いに参考になる。
社会学者であるフィスクは、人と人との結びつきである社会的なネットワークには、つぎのような
4 つのタイプしかないと主張している。複雑な人間関係を、4 つに分類するというのはやや乱暴な
気もするが、1 次元の尺度であれば確かに 4 つの分類でそれ以上はない。フィスクの用いた 4 つ
の尺度分類の基準を簡単に説明すると以下のようになる。(1)0か1の関係で、ある集合に含ま
れるか含まれないかという名義尺度(nominal scale)の関係、(2)任意の 2 点を取ったときに、大
小関係だけが確定するという順序尺度(ordinal scale)の関係、(3)尺度の目盛りが等間隔である
間隔尺度(interval scale)の関係、さらに(4)等間隔の目盛りにさらに原点が追加された比率尺度
(ratio scale)関係の 4 つの関係である。
この4つの尺度分類は良く知られているが、フィスクはこの尺度分類に以下のような人間関係の
モードを当てはめた。この 4 つをわかりやすく噛み砕いて言うと以下のようになる。
1) 家族モード…二人の関係は、同一の集合に含まれるかどうかで結びついている関係。同じ集
合の人同士の関係は対等であり、分配についても必要に応じてなされるのが基本である。
2) 官僚制モード…二人の関係には必ず上下関係、階層性が存在する場合。命令系統が上から
下へとはっきりと決まっていて、決まったことを決まったとおりに処理していくことが基本である。
軍隊が最も典型的で、形式知に限定すれば、最も効率的なシステムの構築が可能である。
3) 友人モード…二人の関係は上下関係ではなく、価値の交換で結びついている関係。ギブアンド
テイクの関係でつながっているが、次の取引モードと違うのは、交換価値の評価に厳密な計算
が求められないという点である。
4) 取引モード…二人の関係は、厳密な価値の交換により結びついている関係。きっちりとした契
約で関係を規定することが可能で、金の切れ目が縁の切れ目という関係である。
実際の場面ではこれらの関係が複雑に絡まっている。また、一つ注意しておきたいのは、この分
類は二人の関係の分類であるという点と、同じ二人の関係であっても状況に依存しているというこ
とである。親子の関係でもいつも対等な関係ではなく、場合によっては上下関係になることもある。
あるいは、個人と個人が官僚組織において上下関係で規定されていても、官僚的組織自体がし
ばしば自己保存を図るために、家族関係のような一枚岩的な様相を見せることは良くあることであ
る。しかし、この分類がコミュニケーションを考える上で有効なのは、それぞれの関係にはそれぞ
れに合ったルールがあるということを教えてくれる点である。異なる人間関係のモード、例えば取
引モードの人間関係に家族モードのルールを持ちこんでも、誤解や不信感を生むだけで得るとこ
ろはないという主張は、極めて示唆に富んでいると思われる。
このフィスクの人間関係に関する議論を、出会いの場の要件に当てはめて考えると次のように
なる。まず 4 つの分類の中で、家族モードと官僚制モードは出会いの場としては望ましいものでは
ない。なぜなら、官僚制モードでは二人の関係はつねに上下関係で規定されており、顧客がネット
ワークに参加して来るかどうかは、自発的・自律的であるという条件から外れる。また、家族モード
は一種の運命共同体であり、その内部において強力な絆が形成されすぎると、ネットワークの中
から外に向かって拡張する力が弱まってしまう。そこで、出会いの場の関係としては、契約に基づ
いた取引モードか、ギブアンドテイクの友人モードがになる。取引モードの場合は、売り手と買い
手の関係が明白でなければならない。この関係では完全に利害が対立しており、売り手と買い手
に情報の非対称性が存在する以上、売り手が買い手を無警戒に信用することはない。契約には
形式知が必要であり、暗黙知を共有する関係を構築することは不可能である。
残るは、友人モードである。共通体験を経験した友人関係は時として非常に強い絆で結ばれる
ことがあるが、家族の関係でも、階層的関係でも、取引の関係でもない友人関係が、出会いの場
にふさわしい関係であると思われる。なぜなら、良き友人関係においては、相手を信頼することは
もちろんであるし、顔を着きあわせて対話することにより暗黙知の共有も進むからである。さらに、
友人の友人といった形で、比較的外に向かってネットワークが広がりやすい点も重要である。
出会いの「場」と消費の「知」の進化
これまで他人の心の状態や言動、行動といったものに積極的に関わり合いながら、自らの考え
方や行動を決めていく人々の存在、そういった人々の人間関係のパターンを考える視点について
考察してきた。このような考察から、ネットワークにおける消費の知の進化を促進するために望ま
しい出会いの場の創造には、少なくとも以下のような点に注意する必要があることがわった。
まず、個人のみを対象にコミュニケーションを考えていたのではだめで、ターゲットとする個人が
属するネットワークを対象にした出会いの場でなくてはならない。このためには口コミなどを通して、
コミュニケーションの輪が広がっていく関係を築く必要がある。
第二に、そのネットワークの暗黙知や形式知を企業として察知する仕組みを創造しなくてはなら
ない。同時に、相互に不信感があっては、暗黙知は共有できない。お互いに心を開ける関係を築
かなくてはならない。
第三に、顧客は自発的かつ自律的にしかコミットしてこないので、密度の高い対話を引き起こさ
なければ、暗黙知の共有から形式知への飛躍は難しい。そのためには、顧客の心を引き付け、繋
ぎ止めておけるだけの魅力ある「場」を創造する必要がある。
第四に、消費の場における企業のマーケティング活動と、消費活動を通じた顧客の更なる消費
の知の進化とのつながりを、継続的にモニターしていけるような場を創造する必要がある。少なく
とも、この4つを満たすような出会いの場を顧客と共有することが、欲望が高度化した社会にあっ
ては重要である。以上の点を図示すると、図 1 のようになる。
図 1:出会いの場と消費の知の進化
◊
さらに、顧客と顧客、顧客ネットワークと企業の出会いの場においては、擬似的な友人関係の構
築が望ましいことがわかった。利害が対立する取引関係では信頼関係を築けないし、上下関係で
は自律的な対話が起こらない。さらに、家族のような強すぎる絆はよそ者を排除する論理が働く。
企業と顧客との望ましい関係、出会いの場を通して、暗黙知を共有し、形式知へと飛躍させる信
頼感を醸成し、継続的な対話の中から消費の知の変化を察知するような企業のコミュニケーショ
ン活動を実現するにはどうしたら良いのであろうか。ここで考察した要件のいくつかを具体化し、
優れた出会いの場を構築することに成功している、いくつかの事例を参考にしながらこの問題を
考えていきたい。
z
表1:囚人のジレンマ(1)
B
自白(b1) 否認(b2)
自白(a1)
A
否認(a2)
z
-6、-6
0、-9
-9、 0
-3、-3
表2:囚人のジレンマ(2)
B
非協力(b1) 協力(b2)
非協力 (a1)
A
協力 (a2)
P, P
S,
R
R, S
Q, Q
z
図1:出会いの場と消費の知の進化
出会いの場
吸引力
活性化
消費の知
察知力
電子社会におけるコミュニケーションの課題(II)
電子社会におけるコミュニケーションの課題( )
一橋大学
古川 一郎
(1999・
・6)
)
他人と積極的に関わり合いながら、自らの考え方や行動を決めていく人々の存在、そういった
人々の人間関係のパターンを考えることで、ネットワークによる消費の知の進化と出会いの場の
創造に必要な条件について考察して来た。また、私達の多くは自分自身でイノベーションの価値を
判断する代わりに、オピニオンリーダーと目される人々の判断に追随することで知覚リスクを回避
していることをみてきた。しかし、商品の持つ特性により知覚リスクを構成する要素は異なり、その
結果出会いの場に求められる役割も異なる。そこで、本論文では具体的な出会いの場を分類する
フレームワークについて考え、卓越した出会いの場を実現しているいくつかの事例をみていきた
い。
どのような知識をどのように伝達するか?
z 出会いの場のタイポロジー
石井(1993)は、新製品の成功予測がどれほど困難かを、吉本興業のタレントを例として取り上
げて説明している。これは、タレントの卵の中で誰が成功するかを吉本興業のプロのマネジャーた
ちが予想してみたところ、結局誰もあたらなかったという話である。多くのお笑いタレントを世に送
ってきたプロ達にも、先のことは良くわからないということである。
それでは、彼らはどのようにして新製品のリスクを回避しているのであろうか。エンターテイメント
産業の商品は本質的に、手に触れて確かめることの出来ないような才能それ自体であり、価値評
価も主観的評価の塊のような商品である。そしてこれらのケースでは、多くの人々の評価は、その
タレントに人気があるかないかといった社会的ネットワーク全体の評価へ強く依存してしまう。この
ような場合、顧客との小規模な出会いの場を用意し、多くを試し残ったものを世に出すというアプ
ローチが優れている。
いってみれば、あらかじめマーケティング・リサーチを行い、計算し尽くしたものを世に問うのでは
なく、可能な範囲で様々な可能性を世に問うてみるという、進化論的なアプローチで商品開発を行
っているわけである。新製品開発の初期で余り費用のかからない段階において、実際に顧客との
小規模な出会いの場をデザインし、マーケットの反応を確かめ、生存競争に生き残った才能に継
続的に投資し育てていくというこの方法は、一般的に俳優やミュージシャンの場合にも良く見られ
る方法である。このような小規模な出会いの場にわざわざ出向いていく顧客は、その商品カテゴリ
ーに非常に強い関心を持っている人達であろう。そのような目の肥えた顧客の評価が、口コミや
様々な企業のコミュニケーション活動を通して社会に波及していく。
しかしすべての商品が、このような特性を持っているわけではない。例えばパソコンの部品とい
ったような産業用の部品は、スペックで性能が決まってしまうものであり、人気も主観的評価もそ
れほど重要ではなく、あくまでも客観的な品質が商品選択の基準になる。商品の価値の評価は、
これらの例からも判るように主観的評価の割合の高さと、ネットワークの評価への依存性の高さ
に大きく影響されていると思われる。そこで、ネットワークの評価への依存性の大きさを横軸に、
主観的評価の割合の大きさを縦軸にとって、出会いの場を分類しようというのが図 1 である。
◊
図 1:出会いの場の分類
縦軸の主観的評価が大きくなるほど、そして、横軸のネットワークへの依存性が高まれば高まる
ほど、知覚リスクは大きくなる。ただし、顧客にとってのコストを考えると、主観的な評価の割合が
低くネットワークへの依存性が低いからといって、必ずしも知覚リスクが小さいとはいえない点に
は注意が必要である。
z アナログ・ネットワークとデジタル・ネットワーク
ところで、主観的評価が困難なために知覚リスクが大きい場合は、ネットワークとして暗黙知を
共有しているだけでは不十分で、オピニオンリーダーのイノベーションの採用と口コミによる説得
が重要な役割を果たしていることは既に指摘した通りである。このような顔を付き合わせた情報流
通に加えて、企業のコミュニケーション活動を考える上で十分な注意を払わねばならないのは、イ
ンターネットを始めとする近年の情報技術の飛躍的な進歩である。一昔前と比べて、目覚しい発
展を遂げた情報技術の普及は、われわれの生活を確実に変え始めている。そして同時に、このデ
ジタルネットワークの進歩と普及は、企業に対してより顧客の立場に立ったコミュニケーションを可
能にすることで、新たなコミュニケーションの次元を切り開きつつある。
この新たに手に入れたコミュニケーション・ツールを利用して、顧客にとってより望ましい出会い
の場を創造するためには、次の点を確認しなくてはならない。第一に、社会的ネットワークによる
コミュニケーションとデジタル・ネットワークによるコミュニケーションはどのような関係にあるのかを
考察し、この二つが出会いの場のデザインを考える上で対立するものなのか補完的な関係にある
のかを確認する必要がある。第二に、どのような場合でも、どのような商品・サービスについても、
顧客と企業の間に同じように密度の高い出会いの場を創造する必要があるのについて考えなくて
はならない。真に顧客の立場から、望ましい出会いの場をデザインしようとすれば、いままで展開
してきた人間系・アナログ系の社会的ネットワークとデジタル・ネットワークとの比較・検討が重要
である。表 1 は、社会的ネットワークとデジタル・ネットワークをいくつかの観点から比較し、メリッ
ト・デメリットを整理したものである。
◊
表 1:アナログ対デジタル
表 1 のそれぞれのネットワークが得意とする商品カテゴリーから、アナログ・ネットワークとデジタ
ル・ネットワークの得手・不得手がはっきりとしてくる。すなわち、商品カテゴリーによっては、どうし
ても対面販売が基本になるものと、その必要性が少ないものがあることがわかる。
対面販売による企業から顧客への働きが重要なのは、なぜその商品が必要であり重要なのか
といった、消費それ自体の意味を問うような主観的評価が知覚リスクの大きな要因となっているよ
うな商品カテゴリーである。具体的にはここに示されているような、化粧品、乗用車、高額なファッ
ション商品、健康食品、高額な学習教材といった商品カテゴリーでは対面販売が基本である。これ
らの知覚リスクの高い商品に対しては、テレビの広告だけでは不充分である。売ってやろうという
企業の立場からの一方的な情報提供に対しては、既に顧客は十分な警戒心を持っており、それ
を頭から鵜呑みにする人は少ない。当然その分を割引いて企業からのメッセージを解釈するのが
普通である。
そこではより密度の高い説得が重要になる。すなわち、主観的評価による知覚リスクが大きい
状況では、より強い関係性が求められ、誰から買うのかといったことが問題となる。しかし、このよ
うな顔を着き合わせたコミュニケーションのほうが情報量は多くなるからといって、買い手と売り手
の立場の違いが強く意識されている場合は、「顧客」と「セールスマン」といった取引モードの関係
に終わっている。顧客はセールスマンの言うことを割り引いて聞くのは当然である。信頼できるか
どうかは、相手が自分の立場を理解してくれているかどうかに依存しており、少しでも擬似的な友
人関係に近づく必要がある。
しかし、本やパソコンの購入は誰から買うかは問題とならない。「その服お似合いですよ」と言わ
れることはよくあっても、「そのパソコンかっこいいね」とか「その本お似合いですよ」と言われること
は、カッコをつけるためにわざわざ携帯用のパソコン、情報端末や本を持ち歩くといった、その機
能的な価値よりも人の目にどのように映るかを意識する特別な場合を除いてほとんどないであろ
う。パソコンは高額商品であり、その点で知覚リスクが問題となるが、以下に紹介するデルコンピ
ュータのケースを見てもわかるように、品質の評価に関してはそれ程知覚リスクは大きくない。特
に既存のパソコンユーザーが、二台目、三台目の購入を考えるときには、基本的にはマッキントッ
シュかウィンドウズかの選択が問題になるだけであろう。マザーボードを買ってきて自分で組み立
てるといったこともいまではそれほど珍しいことではなくなってきた。
“intel inside”といったように形式知で商品の機能や属性をはっきりと指定することが可能な場合
は、顧客との関係は取引モードで処理することができる。デジタル・ネットワークは、このような場
合に絶大な力を発揮している。それは、社会的ネットワークに比べて次のような優れた特性を持っ
ているからである。第一に、時間的・距離的に非常に広範囲の顧客を同時に相手にすることが可
能である。第二に、より迅速で効率的なプロセスや対話が可能である。第三に、形式知の比較や
加工に適しており、性能・機能・価格といった情報を瞬時にして一覧表として提示することが可能
である。第四に、24 時間サービスを提供することも可能である。このような仕事は人間に比べてコ
ンピュータははるかに上手くこなすことが出きる。すなわち、取引モードの世界、形式知の世界で
は、デジタル・ネットワークはきわめて強力なツールになり得ることがわかる。
このように、デジタル・ネットワーク、アナログ・ネットワークにはそれぞれの得意分野があり、一
概にどちらが優れているというものではない。しかし、どちら場合においても顧客と期待を上回るよ
うな出会いの場の工夫を考えなくてはならない。次節では、いくつかの実際の例を見ていくが、そ
こでは様々な工夫によって、顧客に驚きと感動を引き起こすような出会いの「場」の創造が行われ
ている。いかに暗黙知を共有していくのか、いかにネットワークの消費の「知」を進化させていくの
か、いかに正確かつ迅速なプロセスを実現するのかについて、アナログ・ネットワークを活用した
りデジタル・ネットワークを構築して成功したいくつかの興味深い企業のマーケティング活動を紹
介しながら考えていきたい。なお、デファクト・スタンダードについての議論は第 4 章で考察したい。
顧客との新たなる繋がりを求めて
z 社会的ネットワーク活用例(1):ボディーショップ
まずここでは最初に、主観的評価の割合が大きく、ネットワークに評価が強く依存する場合の出
会いの場について考えていきたい。通常の化粧品の販売は、国や民族、経済的な水準の相違に
もかかわらず驚くほど類似している。デパートなどの一階にそれぞれの化粧品メーカーがディスプ
レイに工夫を凝らし、イメージを重視したブースを設け、そこでの顧客と売り手の一対一のコミュニ
ケーションが販売に重要な役割を果たしている。新しいブランドを導入するときは、同じ企業の商
品でも、全く新しいコーナーをイメージに合わせて別に作ることは珍しいことではない。また、雑誌
やテレビの広告に多額の費用をかけて、いかに美しくなるかを説くのが一般的である。しかし、ボ
ディーショップのコミュニケーションはこのような方法とは全く異なる。
ボディーショップは、1976 年にイギリスでアニータ・ロディックという女性が創業した化粧品の製
造・販売を行っている企業である。日本でも、流通大手のジャスコ系列の関連企業として全国に店
舗展開を行っている。このボディーショップが多くの注目を集めるのは、そのコミュニケーションの
やり方が次の点で一般的な化粧品関連企業と大きく異なっているからである。
第一に、ボディーショップのコミュニケーションは、以下に述べる企業の理念を前面に押し出して
いる点である。利益を増やすことを究極的な目的としている一般的な企業と比べると、企業活動を
通じた理念の実現と利益の確保の両立を目指している点が極めてユニークである。第二に、いわ
ゆる商品の広告というもの一切行わない点である。雑誌・テレビを通じた広告というものを一切行
わずに、その代わりに雑誌などに記事として取り上げてもらう PR 活動と店頭でのコミュニケーショ
ンに重点を置いている。
このボディーショップの理念は、人権の尊重、環境保護、動物保護の 3 つのコンセプトに集約さ
れる。そしてこのような理念にのっとった新しいライフスタイルを普及させるために、化粧品を量り
売りで詰め替え販売をすることで包装品のリサイクルに努めたり、製品テストも動物実験ではなく
ボディーショップに勤めている人達が自分達でテストして確かめるといったことをやっている。動物
実験をしないで安全性の確認が可能となるのは、ボディーショップの化粧品の原料が、古くから
様々な地域で用いられその安全性が既に確認されているものや食べられるものを用いて作られ
ているからである。そして、その原料を開発途上国から購入する場合でも、搾取する対象ではなく、
開発途上国の人達がビジネスのパートナーとして共存・共栄し、彼らの生活水準が向上するよう
な配慮がなされている。
しかし、顧客へのコミュニケーションという側面から見てもっとも興味深いのは、ボディーショップ
が、その理念を世に問いかけ、顧客の意識変革を促すような様々なキャンペーン活動を積極的に
行っている点である。これらは、創業者であるアニータ・ロディックのカリスマ性に負うところが大き
い。すなわち、創業者であるアニータを理念の伝道者、「正当性」の象徴として、顧客に対するコミ
ュニケーションの前面に押し出しているところが特徴である。
一例をあげると、化粧品の安全性テストに動物実験が法的に課されようとしたときのキャンペー
ンがある。この動物実験の強制は、ボディーショップの理念に真っ向から反対するものである。そ
こで行われたのが、いわゆる、“動物実験廃止”キャンペーンである。ウサギが失明するまでシャ
ンプーを目に与え続けるという、他の化粧品メーカの安全性確認テストを取り上げ、その残酷性を
訴えたこのキャンペーンは結局大きな流れとなり、動物実験の強制は見送られることとなった。
このようなキャンペーンは、雑誌や新聞、テレビなどのマス媒体を味方に付け、記事として取り上
げられることで多くの人たちに語りかけていくことで、大きな広がりをみせることがある。またこのこ
とにより、アニータの知名度や人柄、ボディーショップの知名度や企業活動についての理解が深ま
って行くことになる。そして、このようにキャンペーンを行うことで、店頭においてボディーショップの
企業としてのあり方や活動について、店員と顧客がフェース・ツー・フェースのコミュニケーションを
図ることがより容易になる。
顧客にとっても、このようなキャンペーンに参加することで、新しいライフスタイルを実感すること
が出来る。店頭はボディーショップにとっても顧客にとっても大事な出会いの場である。キャンペー
ンに共鳴し体験を共有した顧客は、ボディーショップにとっては強い味方である。これは莫大な広
告費を使っている他の化粧品メーカには出来ない特徴である。
z 社会的ネットワーク活用事例(2):ハーレー・ダビッドソン
主観的評価の割合が大きく、社会的ネットワークの評価が重要である出会いの場として、もう一
つハーレーダビッドソン社の例を取り上げたい。ハーレーダビッドソン社は、ホンダ、ヤマハといっ
た日本の高性能なオートバイに駆逐され、超重量級カテゴリーでのシェアを 1980 年には 25%ま
で落とし、大変な苦戦を強いられていた。しかし、1981 年に創業者の子孫達がこの企業を買い取
ってから再建が始まり、1986 年には 3 億ドル程度の売上だったのが、1993 年にはおよそ 12 億ド
ルの売上と、このカテゴリーで 58%のシェアを取り戻し、1997 年には 18 億ドル近くの売上を達成
し成長を続けている。
この、快進撃を支えたのはハーレーダビッドソン社の卓越したコミュニケーション戦略であるとい
われる。しかし、ハーレーダビッドソンに乗る人が求めているのは、いわゆる“アメリカン・ドリーム”
であり、ハーレーのエンジンの音であって、決して単なるオートバイでもその“走り”でもない。ある
調査によれば、ハーレーの顧客は、束縛からの自由、アメリカの伝統、アウトロー的なイメージの
3 つの価値をハーレー・ダビッドソンに求めているということである(Aaker(1996))。このような主観
的品質を顧客に伝えることは、伝えたい内容がわかっていたとしても困難であることは繰り返し述
べてきたところである。この困難な作業を、ハーレーダビッドソンは HOG と呼ばれるクラブ組織を
通じた“バイク好き”の組織化により、見事になしえた点が注目される理由である。
この毎週末に集まりツーリングを楽しむ HOG というクラブ組織には、同じ楽しみを共有できる仲
間を持つことによる価値観を共有と、いわゆる認知的不協和を解消し自己の消費活動の正当性
を確認する機能がある。HOG では、クラブの雑誌などを通じたコミュニケーションも平行して行わ
れる。しかし、ここで得られる情報は形式知であって、ツーリングの楽しみや感動といったものの一
部分しか伝えられない。共通の体験が質的にも量的にも格段に優れたコミュニケーション手段で
あることは当然である。
さらに、同じバイクの愛好者としてハーレーダビッドソン社の社員もこの集いに参加している。上
は CEO まで参加しているが、こういった「場」におけるお互いに顔を着き合わせたふれあいの中
から、ネットワークに蓄積された暗黙知を吸収することが出来る。このような関わり合いの中では、
ウェアやアクセサリーといった関連商品も重要な役割を果たしており、1993 年には 2 億ドルを超
える売上をハーレーにもたらしている。本当の販売は販売の後始まると言われることがあるが、ま
さにこの言葉通りのことを HOG を通じてハーレーは実践しているといえよう。そのために、ハーレ
ーダビッドソン社のマーケティング支出は新規の見込み客ではなく大半が現在のハーレーのユー
ザーに向けられているという。1983 年には、3 万人ほどスタートした HOG も、いまでは 25 万人を
超え、800 近い支部に所属している。
1993 年に行われた、ハーレーダビッドソン社設立 90 周年ラリーには全米から、HOG のメンバー
2 万にを含む 10 万人がハーレーの本社のあるミルウォーキーに乗り込んだといわれている。黒
い皮ジャンにエンブレム、ハーレーの刺青と話題には事欠かないハーレー狂であるが、このような
嗜好性の高いマーケットにおいて、次にまたオートバイを購入するときにも、もう一度ハーレーダビ
ッドソンを選択したいという人の割合が、約 9 割とずば抜けて高い点はまさに驚異的である。
z 社会的ネットワーク活用事例(3):ニュースキン
つぎに、主観的評価の割合は高いが、ネットワークの評価は問題とならないような場合の出会い
の場として、ニュースキン社の例を取り上げ考えてみたい。ボディーショップのコミュニケーション
の方法が、一般的なアプローチと比べていかに特異かは上で見た通りであるが、同じ化粧品でも、
広告を利用しないばかりか店舗も持たないという、全く異なったアプローチで成功している企業が
ある。この企業が次に紹介する、人と人とのつながりである社会的ネットワークを上手く利用して
成功したニュースキン社である。ニュースキン社は、ユタ州に本社を持つ化粧品や健康食品の製
造・販売を行っている企業である。日本で営業を始めてまだ数年であるが急成長を続けている。
この企業の最大の特徴は、商品を販売するために広告を全く利用しないということ以上に、自前
の小売店舗すら持たないという点にある。商品の販売はすべて、ニュースキン者に登録した人を
通してなされている。誰でも登録できる代わりに、登録するには誰か既に登録されている人の紹
介が必要となる。そして、商品を販売した人が得る利益とは別に、その人を紹介した立場の人にも
一定のインセンティブが支払われる。このインセンティブの支払いに関するルールは、企業によっ
て多少異なるが基本的な仕組みは同じである。人づて、口コミといったネットワークに固有の性質
をビジネスに巧みに組み込んでいる。人づてに商売をするこの販売方法は、マルチレベル・マーケ
ティングと呼ばれたりネットワーク・マーケティングと呼ばれたりしている。
◊
図 2:訪問販売額
図 2 からもわかるように、日本は世界一の訪問販売市場を持っており、ネットワーク・マーケティ
ングの利用も進んでいる国である。訪問販売の上位に名を連ねる企業には、ポーラ化粧品、アム
ウェイ、ダスキン、学研、ノエビアといった企業があり、そのうちのいくつかはネットワーク・マーケテ
ィングの手法を用いている。これらの企業を見ると、フェース・ツー・フェースのコミュニケーションが
有効である商品カテゴリーにはある特徴があることがわかる。
訪問販売で成功している商品は、表 1 にあるような化粧品、健康食品・ビタミン剤、学習教材と
いったものである。これらは第一に、価格弾力性の相対的に小さい、利益率の高い商品である。
第二に、これらの商品はそれ自体がコンパクトである。店舗には 2 つの機能、すなわち商品の陳
列と説明があるが、商品が持ち歩けることがこの 2 つの機能の分離を可能にしている。第三に、
顧客にとってなかなか品質の評価が出来ない知覚リスクの高い商品であるといった点である。従
って、消費した後でも顧客の気持ちを元気付けつづけなくてはならない。
ネットワーク・マーケティングの価値は、トータル・コストで評価する必要がある。企業にとっては、
店舗を持たなくてすむから初期投資=固定費が少なくてすむという利点がある。さらに、広告費を
かけない点もコストを低く押さえられる。従って、その分を流通に携わった人達に配分することが
出来る。顧客にとっては、知覚リスクの解消と継続的な接触に伴い自己の消費の正当性を確認し、
いわゆる認知的不協和を解消することが出来る。さらに、固定費が大きくて市場に出ることがなか
ったような商品を手にすることが出来るメリットは大きい。
z デジタル・ネットワーク活用事例(1):Dell Computer Corp.
1984 年、マイケル・デルが大学の学生寮で始めたビジネスが、いまやワールド・ワイド・ウェッブ
のサイトからの注文だけで、1 日 1000 万ドルを超え、4 半期ベースでおよそ 50 億ドルの売上
(1998/11)を達成している。10 数年でここまで成長したデルコンピュータは、電話とインターネットを
使った、パソコンの通信販売を行う企業である。主観的評価の割合が小さく、社会的ネットワーク
の評価も問題とならないような出会いの場として、この例を取り上げたい。
デルコンピュータは、通信販売によるパソコンの直接販売のパイオニアである。しかし、デルがこ
の事業を始めた当時、巨人 IBM が既にパソコン市場を支配していた。IBM は互換機メーカーを
許していたが、IBM やコンパックといった企業はパソコン市場での地位を確立していた。そしてこ
れらの企業は、ディーラーを通してパソコンの販売を行っていた。このようにディーラーを通して店
頭販売する伝統的な方法は、次のような利点がある。
まず第一に、全くのパソコンの初心者にとって、始めてパソコンを購入するときに、手で触ったり、
店員から説明をうけたり、デモンストレーションしてもらったりすることは知覚リスクを減少するのに
大いに役立つ。第二に初心者にとって、思うように使いこなせない、周辺機器との接続が上手くい
かない、メモリーを増設したいといった場合に、誰かに説明してもらえることも大きな魅力である。
しかもこのような場合、顧客にとって何が問題なのか上手く説明できないことが多い。このように、
パソコンは購入した後もサービスが重要な商品特性を持っており、顧客がこのようなサービスを購
入した店で期待するのは当然であろう。
しかし、デルコンピュータはこのような常識的な販売方法をとらなかった。デルはパソコンの雑誌
に広告を集中して、既にパソコンを使用している人、ある程度パソコンに精通している人をターゲッ
トにした。このような顧客には初心者と違って知覚リスクは少ない。しかも、顧客から電話で注文を
受けてから、その注文通りの製品を組み立て直販する。直販は中間業者を通さないから、価格を
低く押さえることが出来るし、注文生産であるから在庫も少なくてすむ。このような、ターゲットの明
確化と注文生産による通信販売がデルの成功要因であることはいうまでもない。しかしこれだけ
では他の互換機メーカーとの差別化が出来ず、早晩価格競争に巻き込まれることになる。
さらに、販売後に相談に乗ったり、故障の修理やメンテナンスといったサービスはいずれにして
も重要である。デルは、この問題に全国にサービス網を構築するという従来大企業がとってきた
方法ではなく、顧客のデータベースの構築と、電話による対応という方法で対処した。しかしこの
電話に出るのは、頼りないオペレータではなくコンピュータに十分精通した電話営業担当員であり、
また、彼らは顧客が所有している器機の構成や購入ヒストリーのデータベースを持っているので、
顧客個人個人に対して適確な対応が可能である。ほとんどの場合は、この電話での数分間の応
対で問題が処理されるという。これで処理できなかった問題については、最寄の出張サービスマ
ンが駆けつけることになる。
このことから、デルの本当の競争優位は、決して単なる安売りではなく、ハイテクを活用した顧
客のデータベースの構築による高水準のサービスの提供であり、一度取引を始めた顧客とは可
能な限り継続的な関係性を築いていこうという企業姿勢にあることがわかる。一旦データベース化
された顧客にとって見れば、自分のことを一番良く知っているデルのほうが、他社よりも身近な存
在として感じられるし、より魅力を感じるのは当然である。
これに対して、ディーラーからの購入は、つきつめれば顧客が中間業者にマージンを支払ってい
ることになり、それに見合った品質の高いサービスが提供されていれば問題はないが、実際には、
店員の専門的知識や能力が不足しており、顧客の悩みに上手く答えられないことも多い。さらに、
相談に乗ってくれる人に対して、自分の所持している器機についてその都度説明しなくてはならな
いといった煩わしさもある。パソコンについてユーザーの知識が増えれば増えるほど、これらのデ
メリットは相対的にメリットを上回る。このことが、デルが顧客の囲い込みに成功した一番の理由で
あると思われる。
z デジタル・ネットワーク活用事例(2):ミスミ
主観的評価の割合が低く、ネットワークへの評価の依存性が小さい出会いの場として、もう一つ
ミスミの例を取り上げたい。1963 年に設立され 1965 年からプレス金型の販売を開始した株式会
社ミスミは、現在、プレス金型用部品、プラスチック金型用部品、ファクトリーオートメーション市場
向けの部品へと大きく展開しており、1998 年度の売上は約 390 億円、経常利益 38 億円の東証
一部上場企業へと成長した。さらに、医療・外食・DTPといった新しい市場でも購買代理商社とし
ての機能を追求している。
このミスミが注目されるのは、製造メーカーが自社の製造設備に合わせて内製するか、下請中
小企業に発注してオーダーメイドするのが当たり前であった当時の金型部品の常識を覆し、部品
を標準化することで自ら通信販売市場を切り開いてきた点である。
部品のすべてをカスタムメイドする必要はなく、部品によっては標準化できる点に着目し、しかも
流通面でカタログによる通信販売という方法を採用し、この二つの要因をいち早く組み合わせたこ
とが成功の要因であると思われる。標準化された部品をロット生産すれば、当然価格は下がる。
また、営業部門が顧客を直接訪れ部品の仕様を説明し、数量や価格の交渉をすれば当然コスト
が増大する。第一、訪れることの出来る顧客数は限られている。営業部員をなくす代わりに、顧客
にカタログを送付し、商品の説明や価格・数量条件を明示しその条件で取引をすれば、余計なコ
ストを払わないで済む。顧客にとって、満足できる客観的品質を出来るだけ低コストで提供するに
は、どうしたらよいかという問題に取り組んだ結果であるといえよう。
さらにもう一つ興味深いのは、生産設備や受発注業務のための固定資産の所有を極力避けよ
うという姿勢である。受発注のシステム構築はするが、ハードウェアは徹底的にアウトソーシング
を活用するといった企業方針が、作ったものを売るといった姿勢ではなく、顧客に必要なものを調
達するといった姿勢につながり、取り扱う商品カテゴリーの拡大につながっているといえよう。以上
のように、他社とは違った方法で、出会いの場を構築したことが、顧客が求める商品やサービスを、
必要なときに必要な量、適正な価格で調達する「購買代理」というミスミのコンセプトの実現に寄与
している。
ミスミは 1977 年以来進めてきたカタログによる販売をさらに推し進め、1993 年からデジタル・ネ
ットワークを活用した受発注システムを稼動させている。これについては国領(1995)が詳しい。産
業財については、もともと形式知が占める割合が高く、デジタル化しやすい特性を持っている。受
発注システムをデジタル化することで、今まで以上に顧客のデータベース化が容易になり、クレー
ムや要望といった形式知とともに蓄積することで、イノベーションの誘発を効率化することが期待さ
れている。
電子商取引は広義には、複数の経済主体が価値の生産、分配ないし交換を行う場合に、必要
な情報のやりとりを電子的に行うことである。電子商取引というと一般消費者のインターネット上で
のバーチャル・モールでのショッピングやオンラインショッピングを指すことが多いようだが、電子
商取引先進国のアメリカでは電子商取引全体に占める企業間の取引の割合が約8割を占め、企
業間取引の方が圧倒的に大きい。アメリカを代表する巨大企業 GE も、現在 20 億ドルの部品を
電子商取引により調達しており、ここ数年で 50 億ドルまで増やすということである。このことにより
数十パーセントのコスト削減を見込んでいるということであるが、形式知が主流の世界においては、
この傾向は急速に強まっていくと思われる。
z アナログ・ネットワークとデジタル・ネットワークの融合:REI
最後に、アナログ・ネットワークとデジタル・ネットワークの融合を図って、出会いの場を創造して
いる REI について見ていきたい。REI はアウトドア商品の生産と店舗と通信販売により販売も同
時に行っている企業である。1938年にアンダーソンにより始められた REI は、「高品質で低価格
のアウトドアスポーツ用品とアウトドアスポーツ情報を提供することで、組合員(顧客)に喜びを与
える」という理念のもと、創業以来協同組合という企業形態をとっているユニークな企業である。1
997年度の売上は、約5億4000万ドルであり、組合員の数は150万人、そのうち日本の組合員
数はおよそ8万である。
アウトドア愛好家の特徴は、年に数回、家族でキャンプやバーベキュウを楽しむ人から、コンピ
ュータの画面を見ているくらいなら外で体動かしている方がはるかに楽しいといったアウトドアおた
くまで、そのレベルが実に様々であるという点である。このレベルによりコミュニケーションの内容
はまるで異なってくる。また、商品を手にとって触ってみたり、実際に使って見ないと品質の評価が
難しい商品が多い点もその特徴である。登山靴やピッケルなど場合によっては命に関わるだけに、
自分にぴったり合っているかどうかは、顧客にとって商品選択の鍵となる。
REI はこの問題を解消するために、アウトドア活動を熟知した店員が顧客と接している。しかし
何よりユニークなのは、シアトルの本店をはじめいくつかの中核的店舗で、実際に商品を体験して
もらう場を持っている点である。そこでは、何十メートルの壁が作ってあって、実際にロッククライミ
ングを体験したり、マウンテン・バイクのコースがあったり、靴を履いて歩けるトレイルが用意して
あったりする。
このような場で、アウトドアの専門家の従業員が顧客を直に観察し、顧客も彼らとの対話や体験
を通して、道具の性能や使い方についてより深く理解することが出来る。このような出会いの場か
らいろいろな新製品のアイディアが生まれてくる。このような暗黙知を共有する場を、店舗内に持
っているメリットは、企業にとっても顧客にとっても大きい(臼井(1998))。
しかし同時に、REI はカタログやインターネットを通じた通信販売にも力を入れている。REI は生
活協同組合であるから、店舗は REI が運営しており、店舗数の制約は大きな課題である。全米に
現在ある51店舗(1998)では、とても全米の顧客をカバーすることは出来ない。日本でも、クライミ
ングやマウンテン・バイクなどを体験できる店舗が 2000 年の春にはオープンになる予定であると
いうが、現在一つの店舗もない。このような状況下で、会員が 8 万人もいることもさることながら、
1997 年度にはそのうちの 2 万 8 千人が通信販売を通じて何らかの購入を行っていることは驚く
べきことである。
この通信販売を支えているものは、優れた商品の品質であり、そのことを様々なメディアで顧客
に伝える努力である。しかし知覚リスクのハードルを乗り越えるうえで、最も効果的なのは返品の
自由を保障している点である。気に入らなかった商品は返品してもかまわないということは、顧客
にとっては知覚リスクを大幅に軽減できる要因である。
返品と似たような方法に、サンプルの提供がある。再春館製薬のサンプル提供は、知覚リスク
の高い化粧品でも通信販売で成功する可能性があることを示している。
z 6つのケースに見る共通点と課題
ここで紹介した、最初の 3 つのケースはともに何らかの手段で社会的なネットワークにアクセス
しそれを上手く利用しているケースであり、後半の 2 つのケースはデジタル・ネットワークの性質を
上手く競争優位の源泉に変換したケースである。最後のケースはその二つを組み合わせている
例である。通常のマーケティングのテキストならコミュニケーション=広告といった議論を展開しが
ちであるが、これらの例を見ると広告が必ずしも企業のコミュニケーション活動の本質ではないこ
とがわかる。いかでは、それぞれのネットワークの課題について考えていく。
z 社会的ネットワークの共通点と課題
高度化した欲望に対応する商品の場合は、ネットワークと感動を共有し、特にその暗黙知をいち
早く吸収することが企業のコミュニケーション活動の本質である。しかし、オピニオンリーダーを識
別することは現実問題として容易なことではない。そのためにここで紹介した企業は、様々な工夫
によりターゲットとなる社会的ネットワークに直接アクセスする出会いの場を創造することに成功し
ている。このような出会いの場を通じて、オピニオンリーダを自然に取り込むことが可能になる。そ
して、そのような出会いの場を上手く演出することで、ネットワークにおける対話から生まれてくる
消費の「知」を共有することが出来る。
しかしながら、上で紹介したような出会いの場にもそれぞれにいくつかの問題を抱えているよう
である。本来、社会的なネットワークはビジネスのために生まれたネットワークではない。このため
にこのようなコミュニケーションの方法には本源的な問題が内在する。特に店舗やクラブ組織とい
った物理的な場を利用している場合には、地理的・時間的な制約を強く受けるという共通した問題
点がある。さらにそれぞれのケースで、社会的ネットワークに固有の問題点がある。
例えば、ネットワーク・マーケティングといえば聞こえはいいが、マルチ商法と言うと詐欺まがい
の商行為というマイナスのイメージがまだ根強いのではないか。確かに、法的にも整備されてきて
おり、発想そのものに違法性はない。しかし、そのようなイメージはかなり弱くなってきているとは
いえ、ある種の違和感が残ることも事実であろう。この問題は、親族・知人・友人といたった既存の
社会的なネットワークをビジネスの対象とすることから生じている。それまでの人間関係に悪影響
を与える恐れがあるということがこの問題を端的に示しているが、その理由を考えてみたい。
第 4 章でも触れるが、表 2 には、テーラー(1987)が行った実験の結果が示されている。この表
には、野球のスタジアムにおいて自分の持っている余分で不要なチケットをいくらで売るかという
質問に対する答えが示されている。自分の友人なら自分が購入した価格で売るというのが最も多
いが、買い手が他人の場合には、ダフ屋の価格で売ると答えた人が最も多い。この実験からわか
ることは、友人関係にビジネスの関係を持ちこみたくないと考える人が多く、また持ちこむこといか
に困難かを示している。
◊
表 2:チケットをいくらで友人に売るか
ネットワーク・マーケティングのいま一つの大きな課題は、流通に携わる人達のコントロールが出
来ない点である。企業は製品の研究・開発と、インセンティブ・システムや物流や決済のために必
要な情報システムの設計を行うが、後は基本的には人間の欲望が自己増殖してネットワークを大
きくしていく。企業の姿勢・理念といったものがネットワークの成長の中でどのように保持されるか
ということについては、全くの成り行き任せとなっている。
ボディーショップのケースでは、オピニオンリーダーを引き付け、ネットワークを感動させるアニー
タ・ロディックの「顔」が日本においては特に見えにくいために、企業の理念がなかなか顧客に伝
わらないという問題がある。日本においても“動物実験廃止キャンペーン”などは、もちろん行われ
ている。しかし、アニータの知名度が低く、その人柄について知る人の少ない日本の現状を考える
と、このような店頭でのストーリーテラーにも限界がある点はゆがめない。人権問題や捕鯨反対と
いった国によっては微妙なニュアンスを含む問題ではなおさらである。
ボディーショップの目的は理念と利益の両立であるが、グローバルに新しいライフスタイルの「正
当性」を説得することはかなり困難である。顧客はボディーショップが商品の原料にこだわってい
る点については理解している。しかし日本では、若い人向け、ギフト好適品といった表面的なブラ
ンドイメージに留まっており、企業活動を通じて環境問題などに積極的に取り組んでいるという姿
勢が必ずしも上手く伝えられていないようである。アニータという強烈な個性を欠いたなかで、いか
に顧客を引き付け、感動を共有し、グローバルブランドとしての地位を確立し、新たなライフスタイ
ルの提案に耳を傾けてもらえるかが、アニータの知名度の低い国々の課題であろう。
興味深いのは、近年インターネットを活用した通信販売を始めた点である。また、CEO にグロー
バル・ビジネスに精通した人を向かい入れ、アニータ・ロディックが会長になったことも変化が早く
競争の激しい環境の中で、新たなコミュニケーション活動を模索している表れであると見ることが
出来る
ターゲットとなる顧客を適当な大きさのグループに組織化し囲い込むというハーレーダビッドソの
方法にも社会的ネットワークに固有の問題がある。同士的な結びつきが強くなるほどグループ内
の結束力は強くなるが、反対に内側に向かって収縮してしまって排他的になる傾向がある。その
結果、外部に向かって拡大していく力が弱まってしまうが、自発的なつながりである以上コントロー
ルには限界がある。そのグループでしかわからない暗黙知が過度に増幅してしまうことは企業の
視点から見ると必ずしも望ましいことではない。この点は、グローバルにブランドを展開していく際
に特に問題となろう。ブランド・アイデンティティー、製品ポジショニングがローカルに決まりすぎて
しまって、グローバルに一貫性を持たせることが非常に困難になってしまうからである。
z デジタル・ネットワークの共通点と課題
日常的に顔を合わせる個人経営の店で感じるような親近感を、どのようにしたら醸成出来るか
が今日のビッグ・ビジネスの課題であり、可能な限り継続して顧客と関係性を持つことの重要性が
指摘されている。すなわち、ライフタイムヴァリューを考慮した、顧客との一対一の対応関係(One
to One)を構築することが要求されているが、そのために必要な知識を得るためには、顧客を認識
し、顧客のことを記憶し、顧客から学ばなければならない。
ここで取り上げた二つの例は、ともに顧客との形式知のやりとりに成功した企業である。形式知
に限れば、ある一定規模の顧客と双方向にコミュニケーションできるのは、近年普及が著しいイン
ターネットを始めとする情報技術の活用以外に方法はない。相手の顔と名前と好みを、何人分記
憶できるかを考えればこのことはすぐにわかる。さらに、担当者が代わったからといって、コンピュ
ータに蓄積された顧客ごとのデータベースがあれば、誰でも仕事を引き継ぐことが出来る。インド
の事情に詳しい人が、アフリカ地区担当に移っても、その人の形式知がデータベース化されてい
れば、誰でもある程度の接客業務をこなすことが出来る。規模や時間や地理的な距離の制約が
小さい点がデジタル・ネットワークの強みである。
また、最近のデータマイニングの技術向上には目覚しいものがあり、データベースの構築と並ん
でこのような課題にいままで以上に優れて対応できるようになりつつある。一般的にデータマイニ
ングというのは、データから有用な知識を探り当てることであるが、マーケティングでは、顧客と企
業との取引情報から、企業にとって意味のある知識を探し出すことを指すことが多い。このことが
ますます進化を早めているのは、取引データが自動的にコンピュータに蓄積され、利用可能な形
でデータベース化されるようになったこと、コンピュータの情報処理能力が格段に進歩したこと、市
場の成熟化などのにより競争環境が厳しくなったこと、データマイニングのソフトウェアが商業ベー
スで利用可能になった点などが指摘されている。
しかし、改めて指摘する必要もないが、デジタル・ネットワークは暗黙知には向いていない。ミス
ミでは、1990 年に営業部を廃止し、受発注業務はユーザー・サービス部に、新商品の開発は市場
企画部が引き受けることとなった。カタログ販売を始めたときから、カタログにない商品の引き合い
や要望、苦情といった顧客の声を吸い上げる方法として、カタログに添付したユーザーカードとい
ったカードによる方法を利用している。しかし、この営業部隊を持たないことのデメリットがいくつか
指摘されている。ユーザー・サービス部の部長の次の言葉は印象的である。
「…、直接ユーザーの声に接するユーザー・サービス部と市場開発部が分散したため、市場開
発部とユーザーの接点が少なくなり、新商品開発とユーザー・ニーズのズレが見られるようになっ
てきました…」(国領(1995))
このように、新商品の開発面で、顔と顔を着き合わせた暗黙知的なニーズの収集が十分に行え
なくなった点が、新商品の需要予測をより困難にするといった新たな問題を生み出している。しか
し、組織的に暗黙知を察知するといったことが、デジタル・ネットワークの弱点だからといって、社
会的ネットワークにおいても困難な作業であることに変わりない点には注意が必要である。
最後の REI のケースは、社会的・ネットワークとデジタル・ネットワークの融合を試みている点で
も、企業形態という点からも興味深い。日本でも野外活動を楽しむ人は急速に増加しているが、自
然や環境に対する関心が比較的高いといった点でも、国籍や人種を問わず顧客間の共通性が高
い。REI では利益の一定割合を、環境保全の活動の支援に提供しているが、店舗でのコミュニケ
ーション活動を含めて、そういったアメリカと共通のコミュニケーションの方法が日本の顧客にどの
ように受け入れられるか、価格戦略を含めて日本での今後の展開は、グローバルなブランドマネ
ジメントにとって参考になろう。
出会いの場の重要性
第二章と第三章では、人と人と、人と企業の出会いの場について考察してきた。これまでの議論
を整理すると次のようになる。
(1) イノベーションの価値を評価するには、ネットワークにおける消費の知の共有が重要な役割
を果たす場合があり、特に、言葉で上手く表現できない欲望や、知覚リスクが大きい場合にそ
の傾向は強まる。
(2) 多くの人々は、自分自身で価値評価を行う代わりに、ネットワークの消費の知に従うといった
簡便な情報処理を頼っている。
(3) 欲望と消費を結びつけるこの消費の知は、ネットワークを通じて誕生し進化する。
(4) 優れた出会いの場をデザインすることで、この消費の知の進化を促進することが出来る。
(5) アナログ・ネットワークとデジタル・ネットワークにはそれぞれ得意分野がある。
個人個人がばらばらではなくネットワークとして互いに結びつき、相互に影響し合いながら消費
しているという考え方は、欲望と消費の結びつきの複雑さが限界を越えた今日の状況においては、
新商品やサービスの普及を考える上で鍵になる考え方であると思われる。そしてこのような考え
方を支える人間に対する見方は、利己心に基づく経済学的な人間観とは異なり、他人の行動や
意図、動機の善意、悪意に敏感に反応する人間観である。
さらに、一口に消費の知といいっても、言葉で伝えにくいものと伝えやすいものがあることに注意
しなくてはならないことがわかった。映画を見たり、音楽を聴いたりしたときその良さや、物足りなさ
を言葉で表現しようとしても非常に難しいのは、もともとその内容を言葉で表現するのが難しいか
らである。相手に何かを伝えるといっても、論理的かつ正確に伝達することが可能な知識は限ら
れている。
このような場合、企業の顧客間ネットワークへのコミュニケーション活動に求められるのは、良き
友人関係を構築できる出会いの場を創造することである。従って、真に顧客のことを考えたコミュ
ニケーションに努めようと思ったら、企業は顧客との単なる取引関係を超えて、暗黙知や体験を共
有できるような社会的ネットワークの活用を真剣に考えなくてはならない。
その一方で、消費の知や商品・サービスに占める形式知の割合が高い場合には、顧客にとって
品質の評価はそれ程問題にならない。そのような場合は、企業と顧客との関係は契約に基づいた
取引関係で処理することができる。そこでは、正確で迅速かつ効率的なプロセス、機能・属性の客
観的データの比較・評価を人でよりもはるかに上手く実現可能なデジタル・ネットワークの強みを
発揮することができる。
そして、企業のコミュニケーション活動に求められるのは、顧客間で活発な対話と、形式知への
飛躍が起きるような「出会いの場」を創造するべく、積極的に顧客とかかわっていくことである。顧
客は自発的かつ自律的に参加してくるのであり、形式知への飛躍を加速するためも、出会いの場
には十分に人を引き付ける魅力と顧客の変化を察知する仕組みが必要である。新製品を開発し
て市場に投入したらそれで終わりというのではなく、顧客のネットワークとのダイナミックで継続的
な対話を続けていく中で、大げさに言えば感動を共有することが重要である。知識創造の質とスピ
ードは、このような出会いの場の質と密度に比例するといえよう。
z
図3-1:出会いの場の分類
訪問販売
ネット ワーク ・ マ
ーケティング
主観的評価の
比率: 大
価値評価のネッ
トワークへの依
存性:小
通信販売
デジタル・ネットワ
ークの活用
社会的ネットワ
ークとの連携を
重視
価値評価のネット
ワークへの依存
性:大
主観的評価の
比率: 小
デファクト・スタン
ダード競争
図3-2:訪問販売
1995年
35000
30000
25000
20000
15000
10000
5000
0
国名
ス
リ
ア
リ
ギ
イ
国
オ
ー
ス
トラ
韓
台
ン
ラ
湾
ス
ア
リ
フ
タ
ジ
ラ
ブ
イ
ツ
イ
カ
ド
メ
リ
本
日
ル
1995年
ア
百万ドル
z
z
表3-1:アナログ対デジタル
デジタル・ネットワーク
形式知
形式知の取得・加工
製品x属性の比較
正確
迅速
グローバル:時間と距離の制約
を受けない
コントロールが可能
ルーティン化できる
パソコン、本、CD、チケット
部品(産業財)
知識の種類
機能
特徴
商品・サービス
z
アナログ・ネットワーク
暗黙知・形式知
軽重の判断
信頼度の判断
あいまい
時間がかかる
範囲が限定される
コントロールが困難
コストが高い
化粧品、学習教材、乗用車
表3-2:チケットをいくらで売るか
コスト
0 ドル
0 ドル
5 ドル
5 ドル
10 ドル
10 ドル
価値
5 ドル
10 ドル
5 ドル
10 ドル
5 ドル
10 ドル
0 ドル
68
65
14
7
0
0
(数字は、パーセント)
友人
5 ドル
26
26
79
79
69
15
10 ドル
3
6
0
4
23
69
その他
3
3
7
9
8
15
0 ドル
6
6
0
0
0
0
他人
5 ドル
77
16
79
14
42
0
10 ドル
10
58
7
57
46
73
その他
6
19
14
29
12
27