成人式ミサ(カテドラル) 2003年1月13日、東京カテドラル 今日成人式を迎えられる皆さん、おめでとうございます。 成人式と言えば、堅信の秘跡を連想します。堅信は信徒を使徒にす る恵みを授ける秘跡です。 使徒とは「 派遣された者 という意味です。誰が派遣するのかと言 えば、主キリストです。何のために派遣するのかと言えば、キリス トの使命(福音化、福音的使命)を実行させるためです。 この使命を実行させるために天の父と主キリストは聖霊を派遣しま す。堅信の時には使徒の役割を生きるための聖霊の賜物が授けられ ます。その賜物とは次の7つの恵みです。すなわちそれは「知恵と理 解、判断と勇気、神を知る恵み、神を愛し敬うこころ」です。本日 お祝いに贈呈されるカードにはこのことばが印刷されています。 すでに堅信を受けた方はその恵みを思い起こしてください。そして 使徒として働く決意を新たにしてください。まだ堅信を受けておら れない方は、できるだけ早い機会に堅信の秘跡を受けるようにして ください。 若者はわたしたちの希望であり、明日の社会と教会を担う人々です。 成人し大人になった人には自分の所属する共同体を支えるという責 任が生じます。責任の主体となるということが成人となることだと 思います。 わたしたちは、いまという時、ここという場所で生きています。責 任を担うということは今、ここでそうすることです。 いまは明日に通じます。明日はやがていつか最後の日の完成にたど りつきます。わたくしはミサの交わりの儀の祈りをいつも思います。 「わたしたちの希望、救い主、イエス・キリストが来られるのを待 ち望んでいます」。 今は過去があっての今です。今こうであるのはそうなるための過去 の出来事があったからです。過去には善いこと悪いこと両方があり ます。責任を担うということは過去の善悪の結果を担うということ です。善だけでなく悪の結果も引き受けなければなりません。 成人したならば自分の所属する社会、教会、家庭、団体の過去に関 心と注意を寄せなければならないのです。 ところで私たちは知っています。この世界は主なる神によって創造 されました。神から出たものですから基本的に善である世界です。 今見られる世界の悪、人間の悪は、神と人、神と世界との関係が乱 れてしまったからです。この世界と人類を刷新するために、あがな うためにキリストが来られました。キリストの救いの技は光に例え られます。彼は光として来ました。わたしたちはキリストの光を受 けてこの世を照らします。 責任ある成人は、キリストの光の証人です。 一隅を照らす」ということばがあります。 仏教の言葉ですが、懐 かしいことば、魅かれることばです。今置かれている場所でキリス トの光になって照らしてください。小さな光で結構です。そのため にはキリストの光を受けなければならない。あなたがたはすでに光 となっているはずです。そのことについて黙想していただきたいと 思います。 教会委員会連合会での挨拶 2003年1月12日、関口会館、ケルンホール 皆さん新年おめでとうございます。 旧年中賜りましたご好意、ご協力に心から感謝申し上げます。あり がとうございました。本年も多くの課題をもっております。どうか 本年も皆様のご理解ご協力を切にお願いいたします。 今日は主の洗礼の主日です。ヨルダン川で主イエスが洗礼者ヨハネ から洗礼を受けられたことを記念する日です。この日からイエスの 公生活、宣教活動が始まりました。 教皇ヨハネ・パウロ2世先般、「おとめマリアのロザリオ」という使 徒的書簡を発表し、2002年10月から2003年10月を「ロザリオの年」 とされました。そしてあらたに「光の神秘」(玄義)を制定されま した。光の神秘はイエスの公生活の黙想です。そして光の神秘の第 一連が本日祝うイエスの洗礼です。日本の司教団は次のような「黙 想への招きを」を発表しています。 「この一連をささげて、洗礼の恵みを神に感謝し、聖霊に導かれて、 神の子として生きることができるよう聖母の取り次ぎによって願い ましょう」。 わたしたち東京教区の歩みは主イエス・キリストの歩みにならなけ ればなりません。主の公生活を黙想し主イエスに倣って、福音化の 使命、福音的使命を遂行していかなければならないと思います。 さて、すでにお知らせしましたように、ことしの復活祭(4月20日) から正式に宣教協力体が発足します。教区ではそれに伴い、「宣教 協力体のための指針」を用意しています。本日その内容を説明いた します。まだ案の段階です。皆様からの意見を聞きながらより適切 なものにしていきたいと考えています。なお今年の司祭の人事異動 も復活祭後に行われる予定です。何かとせわしいと思いますが、こ の指針案を参考に、宣教協力体発足へ向けて今からできる準備を進 めていただきたいと考えています。 宣教協力体の発足と共に教区としての在り方全体の再編成(刷新) を進めていきます。本日はその方向と構想について話してもらいま す。 私は今日この機会をお借りしていくつかのことをお知らせしお願い したいと思います。 1、教区全体の再編成を進めていくためには教区本部のスタッフの 充実が不可欠です。現在そのための本部の司祭、職員の人事を考慮 中です。皆様のご理解をお願いするしだいです。 2、現在解散状態の教区宣教司牧評議会を本年中に再開するよう準 備します。 3、また終身助祭制度についても教区としての方針を明確にするよ う、検討を開始します。 4、現在、司祭・助祭の医療費ならびに介護の費用を助成するために 『共済会』を設置する方向で準備中です。これは近い将来発足する 運びです。 5、いま開かれております教会委員連合会のことです。私としては、 各教会の代表の方と一緒にお会いし、お話できる大変ありがたい機 会であると感謝しております。しかし、再編成を機会に、この集い をよりよいものにする可能性を検討してみたらどうか、と考えてい ます。 わたしたちは自分の共同体をどのようにとらえているでしょうか。 教会は立派な人、健康な人、道徳堅固な人だけの集まりではありま せん。むしろ、弱い人、病んでいる人、まちがいを犯す人、罪人が 含まれる集団です。それはまさにイエス・キリストの周りに集まっ た貧しい人々の群れのようです。 教会とはイエス・キリストによっ て集められ、イエス・キリストを中心として歩む、貧しい人々の集 まりです。そこにあるのは「五つのパンと二匹の魚」で表されるわ ずかなものです。わたしたちはそのわずかなものを分かち合い、分 かち合いを通して神の恵みに与ります。 教会とは、罪のゆるしを信じ、神への信頼と希望のうちに、自分の 弱さを自覚しながら、受け入れあい、恵みをともにしながら、祈り と感謝と賛美をささげつつ、貧しい人として貧しい人とともに歩む 寄留の民ではないでしょうか。その中心にはいつも復活されたキリ ストがおられます。 わたしたちはそのような者です、「どうぞ仲間になりませんか」、 と人々に呼びかけたいと思います。どうか皆様よろしくお願いしま す。 最後に2001年に『新しい一歩』でお伝えしたメッセージを繰り返し まして、2003年を迎えた私の挨拶とさせていただきます。 大森教会訪問に際してのミサ (大森教会) 2003年1月5日 大森教会 大森教会の皆様、新年明けましておめでとうございます。 今日はご公現の祭日です。大森教会は「主のご公現」教会でありま す。昨年創立80周年を迎えられました。内山神父様のお言葉によれば 「2003年は正に末広がりの新しい一歩を踏み出す年」であります。 重ね重ねおめでとうございます。 ご公現とは救い主イエスの誕生が遠く、東方の異邦人の博士たち (占星術の学者たち)に示され、彼らがはるばる幼子イエスをベツ レヘムに訪ね、黄金、乳香、没薬をささげた、という出来事を指し ています。今日はこのことを記念する日であります。 ところで、この東方の博士たちというのですが、この「東方」のな かにはもっとも東方である極東の日本という国も含まれているので しょうか。日本にもご公現が実現したのでしょうか。 1549年、今から453年前、聖フランシスコ・ザベリオによって始めて 日本に福音が伝えられました。4世紀半前のことです。 ですから日本にはすでにご公現が訪れたと言えます。 しかし日本では依然としてキリスト教は少数派にすぎません。キリ スト者は全人口の1パーセントと言われています。カトリック人口 は40万から50万、外国人を含めれば100万人くらい、0.3パーセント を占めるにすぎません。わたしたちキリスト者はほんの一握りの少 数者に過ぎないのです。こういう意味ではご公現は「まだまだであ る」と言えます。そこでむしろ今日本では、変な言い方ですが、 「ご公現中」だと言えましょう。 それではわたしたちはどうしたらよいのでしょうか。 わたしたち一人ひとりがキリストの光を受け、キリストの光を輝か せるものとならなければならないと思います。 仏教に「一隅を照らす」という言葉があることを思い出します。わ たしたちの置かれている所は社会の片隅かもしれません。しかしそ こで、自分の生活と仕事を通してこの社会にキリストの光を掲げる ことができると思います。いやあえていえば、すでにわたしたちは キリストの光となっています。そのことに気づくことが大切だと思 います。イエスは「地の塩、世の光」ということをいわれました。 あなたがたは「世の光」でなければならないという意味でいわれた と思いますが、同時に「あなたがたはすでに世の光となっている」 という意味で言われたとも思うのです。そこで、わたしたちはすで にキリストの光とされているのだ、ということに気がつくというこ とが大切だと思うのです。気つかなければ光を掲げることもできな いのです。 イザヤ60章で次のように言われています。「主があなたのとこしえ の光となり、あなたの神があなたの輝きとなる」。この言葉に信頼 して歩んでまいりましょう。キリストこそわたしたちの光です。 もう一つお伝えしたいことがあります。 それは2003年を迎えたこの世界の状況についてです。新しい年を迎 えたいま、世界から戦争の脅威と危機が去りません。 戦争ほど非人間的なこと、神の御心にそむくことはないのです。戦 争とは神の似姿であり兄弟である人間が互いに殺し合うことです。 こんなことはあってはならないことです。戦争は人間の尊厳をそこ なう、もっともいけないことです。 本来この世界は神の造られたものであり基本的に善いものです。神 はご自分の造られた世界を「よし」とみたもうたのです。また神は 人を神に近いもの、神に似たものとして造られました。これを見て 神は「はなはだよい」と言われたのです。 それにもかかわらず、いわゆる原罪のためにこの世界には悪がはび こっています。それでも基本的にこの世界は善であり人間は神の創 造の作品、神の似姿です。人間には誰も侵してはならない尊厳が与 えられています。 わたしたち人間は、信者であってもなくとも、お互い神の似姿、イ エスの十字架によってあがなわれたものとして、互いにそのすばら しさを認め合い助け合うことができるはずです。 他の国民を真に兄弟として受け入れ合い大切にするならば戦争はあ りえないと思うのです。 新しい年の初めにあたり、2003年が平和の年、戦争への誘惑に打ち 勝つ年としてくださるよう、いつくしみ深い神に祈りましょう。 そのためになにができるか、真剣に考え話し合っていただきたい、 そして平和のために働くという何らかの行動を起こしていただきた い、とお願いします。 東京教区修道女連盟研修会ミサ (聖心女子 大学) 2003年1月4日 聖心女子大学 新年あけましておめでとございます。2003年という新しい年を迎え るにあたり、旧年中皆様よりわたくしと教区が頂戴いたしましたお 祈り、ご好意、ご援助、ご協力に対して心から御礼申し上げます。 皆様が本日研修会を開催されるに際しまして、感謝の祭儀の説教の 場をお借りして、いくつかのことを申し上げます。 1、 まず今日の福音の朗読を思い起こしましょう。三人の使徒、ペ トロ、アンドレア、ヨハネの召命のくだりが語られています。 わたしたちはそれぞれ召命を受けました。自分の受けた召命はいか なるものでしょうか。本日、そのことに思いを寄せることは、新し い年の初めにふさわしいことではないかと思います。 2、 教皇様はことしを「ロザリオの年」とされ、あらたに「光の神 秘」を提唱されています。光の神秘は主イエスの公生活の黙想です。 換言すれば、主イエスの福音的使命の遂行を黙想することです。 わたくしは、教区の皆さんに、ことしは特にロザリオの祈り・光の 神秘を大切にするようお願いします。 3、本年の復活祭(4月20日)を期して、東京教区には「宣教協力体」 が発足します。いま、4月からの宣教協力体の歩みについての指針の 案を準備中です。すでに司祭の皆さんには昨年度年末「感謝の集い」 でその案をお渡ししました。信徒の方にはまもなく今月12日に予定 されている「教会委員会連合会」でこの内容を説明することになっ ています。皆様にもぜひこの指針案をご理解いただきたいと考えて います。 4、 本年4月より新しく「聖堂共同体・宣教協力体」体制が発足しま す。それとともに教区の優先課題への本格的な取り組みが開始され ます。弱い立場におかれている外国からの難民・移住移動者のケア と多国籍教会としての教区の対応は従来の取り組みを強化します。 信仰の生涯養成と「心のケア」という課題については新たに委員会 を設置しますので皆様のご協力をお願いします。 5、 なおもう一つ、ぜひ本年度中に着手したいことがあります。そ れは終身助祭のことです。これも前任者白柳大司教・枢機卿様より いただいた宿題です。(枢機卿様からはいろいろな課題を引き継ぎ ました。はやく終えて次の方に引き継ぎたいと考えそれを楽しみに その課題に毎日取り組んでいます)。東京教区における終身助祭の 任務についてのより具体的な指針を検討したいと考えております。 6、 わたしたちの召命は主イエスとともに歩むという召命です。 絶えずイエスを見つめイエスに従おうという決意を新たにしなけれ ばなりません。 2003年の初め、ご一緒に祈りましょう。 「父なる神よ、どうか主イエスに従って歩むために聖霊の賜物をお あたえください。 私たち一人ひとりに知識と理解、判断と勇気、神を知る恵み、神を 愛し敬う心をお与えください」。 アーメン。 2003年元旦、神の母聖マリアの祭日のミサ (カテドラル) 2003年1月1日 東京カテドラル聖マリア大聖堂 新年明けましておめでとうございます。 正月元旦は「神の母聖マリア」の祭日であり、同時に「世界平和の 日」であります。 新しい年を迎えるにあたり、聖母の取次ぎにより世界の平和のため に祈りをささげ平和への決意を新たいたしましょう。 教皇様は毎年「世界平和の日」のためにメッセージを発表します。 今年のメッセージは「地上の平和 ― 変わらない決意」です。 ちょうど40年前、時の教皇ヨハネス23世は後に非常に有名になっ た回勅を発表しました。それがこの『地上の平和』という教えです。 今年は回勅『地上の平和』の40周年にあたります。是非皆さんに この教えを学んでいただきたいと切に願っています。今年は特にこ の教えをしっかりと学び、「平和のために働く人」になるよう努め ようではありませんか。 教皇ヨハネス23世は、平和は次の4本の柱の上に打ち立てられなけ ればならないと強調しています。その4本の柱とは、真理、正義、愛 と自由です。 今日はこの4つの柱の中の「真理」に焦点を当ててみたいと思いま す。 平和は「真理」という柱の上に打ち立てられなければなりません。 真理とは特に人間の尊厳についての教えです。神はすべての人に人 間としての尊厳を与えました。「人間は皆ペルソナ、すなわち、知 性と自由意志とを備えた本性であり、したがって、人間は権利と義 務の主体であるということである。この権利と義務は、どちらも、 同時に、そして直接、人間の本性から生まれる。それゆえ、普遍的 なもの、侵すことのできないものである」(一章より)。これは 『地上 の平和』の中の一節です。 カトリック教会は伝統的に「共通善」という概念を大切にしてきま した。(共通の善、よいこと、という意味です)。今わたしたちは この「共通善」を、「人間の諸権利の確認、尊重、擁護、発展」(4 章より)のことであると言い換えることができると思います。つま り基本的人権の尊重、擁護、発展ということを重要な内容として含 んでいる、ということです。 真理を尊重するということは真理に反した過去の過ちへの真摯な反 省を含むものでなければなりません。大聖年を迎えるにあたって教 皇ヨハネ・パウロ2世が教会の過去の歩みについて誠実な反省を訴 えたことはまだ記憶に新しいことです。彼は「識別の欠如」という ことを嘆いて次のように言われました。 「現代の教会という観点からは、わたしたちはどうして識別の欠如 を嘆かずにいられましょうか。それは時々、黙認に陥り、多くのキ リスト者は、全体主義政権による基本的人権の侵害を見過ごしてし まいました」(「 紀元2千年の到来 36より)。 日本の司教たちもこの教皇の言葉を受けて日本の教会の過去へ目を 向け、次のような反省を行いました。 「今のわたしたちは、当時の民族主義の流れの中で日本が国を挙げ てアジア・太平洋地域に兵を進めて行こうとする時、日本のカトリッ ク教会が、そこに隠されていた非人間的、非福音的な流れに気がつ かず、尊いいのちを守るために神のみ心に沿って果たさなければな らない預言者的な役割についての適切な認識に欠けていたことも、 認めなければなりません」。(「日本カトリック司教団『平和への 決意』より」。 これは敗戦後50周年にあたる1995年、日本のカトリック司教 団が出した『平和への決意』の中にある言葉です。 真実を見極める、本物と偽者を識別する、ということは易しいこと ではありません。時の流れに押し流されて神のみ心を識別すること に失敗してしまうこともありえます。教会もこの世にある以上、時 代と環境の影響を受けることから免れえません。それでも聖霊の導 きにしたがって真実を見極め、真実に基づいて真摯に歩んでいきた いと願っています。 日本のカトリック教会について言えることはそのままわたしたちの 東京教区に当てはまります。わたしたち自身、過去において時のし るしを読み取り、識別するという働きに問題がなかったわけではあ りません。今こころからの反省を行い、今後は真理の霊の働きに忠 実に歩むよう、決意を新たにしたいと思います。 今年、『地上の平和』発布40周年を向かえ、この機会に教区の皆 さんにお願いし訴えます。 この教え『地上の平和』をよく学んでください。あわせて日本の司 教団の教え『平和への決意』もよく読んでください。 特に今年の「平和旬間」ではそれぞれの教会、共同体、グループ、 家庭などで何らかの機会をつくり、平和のために共に祈り、また平 和のために何をなすべきかを話し合い、日々の生活のなかで平和の ための努力を積みかさねてくださるようお願いします。
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