心臓血管外科手術部位感染に対する予防対策 ー究極に近い高頻度手術

■原 著 日血外会誌17:61ト614, 2008
心臓血管外科手術部位感染に対する予防対策
-究極に近い高頻度手術部位消毒法の結果について一
江口 昭治 斉藤 寛文 神作 麗 丸山 行夫
要 旨:当院では心臓血管手術症例には, 2000年4月から手術部位感染(SSI)対策とし
て術前3日間にわたる消毒という独自の対応をとってきた.すなわち,術野にイソジン液
を塗布,乾燥させたのち,イソジンスクラブを使用して薬液シャワーを3日間行った.柿
当日は早朝,同様の薬液シャワー後,術野にイソジン液を塗布,乾燥させ,手術室へ行
く.麻酔導入後イソジンソープでスクラブ後,イソジンで3回消毒を行った. 2000年4月
から2007年12月まで心臓血管手術を378例施行したが,特殊例の1例を除きssIは全く発生
しなかった.一般に行われているSSI対策には向上の余地があると考えられる.一方今後
自施設の方法を簡略化し,術前消毒期間を3日より短縮する予定である. (日血外会誌
17 : 611-614, 2008)
索引用語:手術部位感染, ssI予防効果,術野消毒,術前薬液シャワー浴
はじめに
外科手術,なかでも代用血管,人工弁などの異物を
いので,当科におけるSSI防止法を紹介したい.
対象,方法,および結果
使用する心臓血管外科領域では感染予防は極めて重要
2000年4月から2007年12月まで施行した心臓大血管
である.グラフト感染や関心術後の感染性縦隔炎など
手術と人工血管を用いた下肢血行再建手術は連続378例
は治療に難渋し,また生命予後に多大な影響を及ぼ
である.そのうち, 63例が緊急手術例であり,通常の
し,また下肢切断の原因ともなる.これらの感染の誘
消毒のメニューを行い得なかったが,そのうち30例は
因の一つとして手術部位感染(SSI)が大きく関与する
ICUで1回術野のイソジン消毒を受けていた(Tablel).
ことが少なくない.
cDCは1999年4月にSSI防止ガイドラインを発表し
年齢分布は38-91歳,平均年齢は68.51(± 9.36)歳で,
糖尿病を44例が合併していた.
ているが,それとは別に筆者の一人が当院心臓血管部
待機的手術では略疾・鼻腔・咽頭のいずれかの培養
長として着任(2000年4月)し,前任地におけると同様
を行う. 1.日4回,イソジン液でうがいを行い,また
にSSI防止に術前3日間にわたる消毒という独自の対
綿棒にイソジンゲルをつけ,鼻腔内を塗布する.緊急
応をとり,手術死亡(30日以内)を除く連続373例の心
手術では術前から術後4病日までパクトロバン軟膏を
臓血管手術で,所定の消毒法が施行されなかった1例
鼻腔に塗布している.除毛については手術の支障にな
を除きssIは今日(2007年12月)まで全く経験していな
る場合を除いて行わない.必要な場合はバリカンで最
小範囲にとどめる.
術野の感染予防処置は下記のごとくである.
新潟こぼり痛院心臓血管外科(Tel. 025-232-0111)
1.術前3日間
〒950-2022 新潟県新潟市西区小針3-27-ll
受付: 2008年3月28日
受理: 2008年8月19日
①術野にイソジン液塗布.乾燥させる.
②次いでイソジンスクラブ(ポピドンヨード1ml中
日血外会誌17巻6号
612
Table 1 Type and slte Of surgical procedures (April 2000-December 2007)
No. of cases
Electi ve Emergent
pump
3
0
5
′
-
U
Valve op.
As°
受
U
Myxoma
4
0
0
Thoracic aorta Ascending
VSP
1
l
1
つ
ー
2
/
L
Tboraco - abdominal
U
4
Abdominal aorta
1
Root replacement
DIStal arch
Ascend - Arch
2
3
′
On pump a汀eSted
1
On pump beating
4 0 ′ L u つ 一 0 0 4 つ ︼ 7 0 4 0 4
1
Off
1
CABG
DIStal anastomosis at lngulnal area Bilateral 6 cases
lpsilatera1 6 cases
Lower limb Ax - Femoral
F-F
F-P
Others
In parentheses are numbers of operative death within 30 days
75mg含有)を使用し,全身を洗う.
易で毎日行っているが,切開部表層ssIの有無の判定
③その後シャワーで洗い流す.
には確実を期している.術後の抗生物質投与は熟型・
2.術当日朝
検血・所見などを見ながらであるが,通常2日間であ
(丑上述の薬液シャワーを行う.
る.
(参次いで自室のベッド上で術野にイソジン液を塗
結果は特殊例の1例を除きssIはその最も軽度であ
布.乾燥させたままとし,回診を受けたのち,辛
る切開部表層ssI(superficial incisional SSI)さえ全く発
術室へ.
生しなかった.特殊例とは,慢性腎不全を伴った84歳
3.麻酔導入後
男性であるが,腹部大動脈癌に対しY字型人工血管置
①イソジンソープで術野をスクラブ.
換術を施行したが左肺の大腿動脈吻合部にグラフト感
②次いでイソジン液を塗布.その後乾燥を含めて3
染が発生した.この症例は当科の消毒メニューが鼠径
回繰り返す.
閉創に際しては希釈イソジン液で洗浄し,皮下組織
部には不用意にも術前施行されていなかった反省すべ
き症例であった.
は3-0バイクリルで連続縫合し,創縁に抗生剤を注入
し,皮膚は4-0バイクリルで埋没連続縫合で閉創す
る.切開創はダーマボンドを塗布したままとし,ガー
ゼなどで覆わない.したがって術後の創部の観察は容
考 察
手術部位感染(SSI)の防止はすべての外科領域に重
要な課題である.異物を使用することの多い領域,と
2008年10月 江口ほか:心臓血管外手術部位感染に対する強化予防対策
613
くに心臓血管外科では重大な合併症である.なかでも
毒薬によるシャワー浴や入浴は患者の皮膚の細菌数を
人工血管感染は心臓血管外科における最も悩ましい合
有意に減少させるが, ssIの発生率を減少させるとい
併症の一つで,関係学会で幾度となくシンポジウムな
う報告はないとされてきた3,4)
どで取り上げられたところであり,筆者も数回にわた
しかし和田ら5)は,心臓血管外科手術症例を対象と
り特別発言をさせていただいたが,その要旨は本会誌
したssIサーベイランスの結果をもとに術前薬液(ポピ
の巻頭言で述べた1).
1999年4月,米国cDCが以前の改定版として「手術
部感染防止ガイドライン」を提示した2).
SSIは一次閉鎖した手術創の切開部ssIと,臓器/腔
ドンヨード7.5%含有液,ジョンソン&ジョンソン)
シャワー浴の効果について検討した.薬液シャワー浴
開始前のSSI発生率は9%,手術前日薬液シャワー浴を
開始してからは6.3%,また薬液シャワー浴を全例手術
SSIに分けられ,さらに切開部ssIは皮膚と皮下組織の
当日朝に変更してからのSSIの発生率は3.1%となり,
みに関与するもの(切開部表層ssI ; superficialincisional
薬液シャワー未施行群と手術当日施行群の間で有意差
SSI)と切開部の筋膜またはそれ以下の深部軟部組織の
が認められた(p=0.02).このことから,手術により
関与するもの(切開部味層ssI ; deep incisional SSI)に分
近い時間に薬液シャワー浴を行うことが, ssI発生低
けられる.
下に効果があるものとの考えを述べている5).
表層ssIとは, CDCでは術後30日以内に発症し,切
術野の消毒にはイソジン液の使用が効果的で一般的
開部の皮膚または皮下組織に限定したものであり,以
である. 10%液ではほとんどの細菌の殺菌に要する最
下のうち少なくとも1項に該当するもの,すなわち①
小時間は30秒以内とされている.しかし汗腺などに隠
切開部表層から排膿がある, ②創渉出物から微生物が
れた皮膚常在菌は接触を免れる可能性がある.そこで
分離される, ③発赤,腫脹,痔痛,発熱のうち,少な
山下ら6)は可及的に長く皮膚接触時間を保つため,鼠
くとも一つの感染徴候を認め,切開排膿の必要性があ
径部の人工血管感染予防を目的として,イソジンゲル
り,培養により菌が検出される, ④医師がssIである
ガーゼ貼付法を試みた.すなわち,術前2日前より鼠
と診断した場合と定義されている.表層ssIは言うま
径部切開予定部にイソジン液を塗布し,さらにイソジ
でもなく程度の一番軽いもので,外科臨床で時々見ら
ンゲルを塗布したガーゼを貼付した.なお,術前日に
れるが,治療も容易なことからあまり重要視されてい
は一旦これをはずし,入念に入浴し再度貼付した.本
ないが, ssIが発生したという事実は重要な意味があ
処置施行前の65例, 96創と施行後の25例32創を比較
る.
し,局所因子では創発赤が貼付群20%,対照群46%
当院心臓血管外科では例外の1例を除き表層ssIで
(p=0.0226),リンパ壕が貼付群4%,対照群32%(P=
さえも1例も発生しなかったことは,長い間外科臨床
0.0051)で,いずれも貼付群で有意に減少していた.そ
に従事した筆者には驚きであった.筆者の一人が心臓
してグラフト感染が非貼付群にのみ2例発生したと報
血管外科部長として当院着任後ssI防止の一つとし
告している.
一万,より簡易な方法として,イソジン塗布の回数
て, 3日間の皮膚消毒と薬液シャワーを始めたのを見
て,実際のところそこまでしなくともと思って見てい
を多くする方法が検討された.鼠径部を術前2日間,
たが, 3カ月, 6カ月と経つうちに,表層ssIも含め,
1日2回塗布するのみの方法では,対照群に比して鼠
SSIは全く発生しないことから,認識を改め,この方
径部創感染防止に効果が見られなかったと報告されて
法は有効であると思い今日に至ったのである.しかし
いる7).この結果から見ると自施設で行っているイソ
3日間の消毒は根拠があるわけではなく,今後短縮す
ジンシャワー浴の前に行っているイソジン塗布より
る予定である.
cDCガイドラインでは手術前に消毒薬を使用した
ち,その後に行っている薬液シャワー浴が重要なので
はないかと考えさせられる.
シャワー浴をカテゴリーIB[IB:全ての病院に実施を
以上のSSI防止に関する種々の報告,ならびに自施
強く勧告.エビデンスは十分ではないが,その分野の
設の経験より術当日の手術室における通常のイソジン
専門家,およびHICPAK(病院感染管理勧告委員会)が
術野消毒のみでは十分とは必ずしも言えず, cDCのガ
有効と認めている]で推奨している.しかし術前の消
イドラインおよび和田らの方法のごとく薬液シャワー
日血外会誌17巻6号
614
浴(それも術当日朝)などを施行する方がよいと考えら
れる.
文 献
1)江口昭治:グラフト感染.日血外会誌, 8(6):巻頭
ただし,自験例の手術死亡を除く60例が緊急手術
で,通常の消毒メニューが行われていなかったが,
言, 1999.
2)針原 康,小西敏郎:手術部位感染防止のための
ssIの発生はなかった.しかし,比較的に例数が少な
cDCガイドライ ン1999. InfectionControl, 13:
いためか,または緊急手術の場合でも可能であれば
1157-1161, 2004.
ICUで術野のイソジン塗布を行っており(30例),また
麻酔導入後の消毒も前述のごとく厳重な術野消毒を
行っているためかもしれない.一九 緊急例ではな
かったが術前通常の消毒メニューが鼠径部に行われな
かった1例に同部のグラフト感染が発生した事実は重
視すべきと考える.
3) Garibaldi, R. A.: Prevention of intraoperative wound contamination wl仇chlorhexidlne Shower and scrub. ∫. Hosp.
Infect., ll (Suppl. B): 5-9, 1988・
4) Hayek, L ∫., Emerson, ∫. M. and Gardner, A・ M・ N∴ A
placeboICOntrOlled trial of the effect of two preoperative
ba血s or showers wi仙chlorhexidine detergent on postop-
erative wound infection rates. J. Hosp. Infect., 10:
自施設の行っている術前3日間の方法は多忙な臨床
165-172, 2007.
の現実をみると一般的でなく,今後術前処置を術前3
5)和田陽子,白井美紀,大崎角栄,他:術前薬液シャ
日から1日に短縮し,再度検討する予定である.手術
ワー浴の心臓血管外科手術部位感染に対する予防効
前日に予定術野にイソジン液を塗布し,次いでイソジ
ンスクラブを用いシャワーを行い,とくに消毒した部
位を丁寧に洗う.術当日は今までと同様とすることと
果.環境感染. 22: 19-22, 2007.
6)山下裕也,長尾和治,松田正札 他:人工血管感染
に対する予防対策-イソジンゲルガーゼ貼付法の試
み-.日血外会誌, 8 : 425-430, 1999.
し, SSIの発生状況を追求することにしている.
7) Brooks, J. M. S., Johnstone, D. and Mac鮎, J.: Does the
addition of prel0Perative skin preparation with povidone-
10dine reduce groin sepsis followlng arterialsurgery? JI
Hosp・ Infect・, 24: 153-156, 19931
Prevention of SurgicalSite Infection in CardiovascularSurgery
by a 3 Preoperative Days Skin Disinfectant Preparation
Shoji Eguchi, HirofumiSaito, Rei Kansaku and Yukio Mamyama
Department of Cardiovascular Surgery, Niigata KobariHospltal
Key words: SSI, Prevention of SSI, Preoperative disinfectant shower and painting
Since April 2000, We have applied a preoperative special skin preparation in order to prevent surglCal site
infection (SSI) for cardiovascular surgery patients. After skin preparation with popidone iodine painting, patients take
a shower and scrub usingthe same disinfectant 3 to 1 days before surgery. In the morning Of operative day, patierLtS
take a showerand scrub using disinfectant,andthen received skin paintlng Ontheir beds・ After induction of anesthesia,
skin was scnユbbed wi血iodine soap,血en painted 3 times. 378 patients had undergone operations until December 2007・
No SSI had occurred, except 1 case of ingulnal graft infection who had not received the routine preparation at that site・
However,this programis complicated, and so we are plannlng tO Change for a 1 day program from 3 days program・
(Jpn. ∫. Vasc. Surg., 17: 611-614, 2008)