化学物質アレルギーが疑われた猫の 3 例 症例報告

症例報告
化学物質アレルギーが疑われた猫の 3 例
黒川 大介 佐野 博子 瀬戸林政宜 門下 伸也 平野 健
(受付:平成 27 年 11 月 2 日)
Three cases of cats suspected allergies to chemical substances
DAISUKE KUROKAWA, HIROKO SANO, MASANORI SETOBAYASHI, SHINYA KADOSHITA and TAKESHI HIRANO
Hirano Animal Hospital, 2-8-29, Aosaki, Minami-ku, Hiroshima, 734-0053
SUMMARY
The cats presenting respiratory symptoms or dermatitis were suspected allergies to
chemical substances by the onsets and the clinical courses.
Only scarce improvements were seen by prednisolone due to low doses.
We treated a part of case with ADSC mesenchymal stem cells derived from adipose
tissue had controls to allergies and anti-inflammatory actions.
── Key words: allergies to chemical substances, immunosuppression, isocyanate, ADSC
要 約
皮膚炎または呼吸器症状を呈する猫に対して,発症時期や臨床経過から化学物質アレル
ギーを疑った.主にプレドニゾロンを用いた治療をおこなったが改善は乏しく,その原因の
一つとしてプレドニゾロンの投与量不足が考えられた.
一部症例にアレルギー反応の抑制作用と抗炎症作用を期待して脂肪組織由来の間葉系幹細
胞である ADSC を用いた治療をおこなった.
──キーワード:化学物質アレルギー,免疫抑制,イソシアネート,ADSC
平野動物病院(〒 734-0053 広島市南区青崎 2-8-29)
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広島県獣医学会雑誌 № 31(2016)
序 文
て,さまざまな内科系疾患に対して近年その効果が期
待されている 5).
猫においてなんらかのアレルギーが疑われる皮膚炎
や呼吸器症状に遭遇する機会は少なくない.ノミや蚊
の刺咬などによる特徴的な皮膚症状を除くと原因とな
るアレルゲンの特定は困難なことが多い.アレルギー
材料および方法
若い健常猫の避妊および去勢手術時にオーナーの同
意のもと,鼠径部皮下より約 0.5g の皮下脂肪を採取
した.ドナーに対しては猫エイズウイルス,猫白血病
ウイルスを含んだ諸検査をおこないその選定をした.
採取した脂肪は J-ARM 社の ADSC 培養キットを用
性の呼吸器症状として代表的な猫喘息の原因物質にお
いてはエアゾールスプレー,ハウスダストやチリダ
ニ,香水,タバコの煙,大気汚染物質などさまざまな
ものがあげられる 1).
医学領域においてアレルギー症状を引き起こす化学
物質の一つとしてイソシアネートという物質がある.
イソシアネートはポリウレタンの材料となるなど,身
の回りのさまざまな工業製品に用いられており(表
1),ペンキや車の塗装工などの職業性アレルギーや
環境アレルゲンとして問題となっており,吸入および
経皮的な侵入により皮膚,粘膜,眼,呼吸器などにア
レルギー症状を呈するといわれている 2-4).
今回,発症時期や臨床経過からイソシアネートなど
の化学物質によるアレルギーが疑われた症例を経験し
い, 同 社 の プ ロ ト コ ル に 従 い 院 内 施 設 に お い て
ADSC を培養した.培養後は ADSC の細胞数をカウ
ントしたのち使用しやすい量に分割し,−80℃にて
凍結保存した.投与時は ADSC を随時解凍し,静脈
点滴にて 1 時間かけて投与した.投与量は体重 1kg
あたり ADSC1.0 × 106 個を上限とし,投与間隔は 1
週 間 ご と と し た. 今 回 の 2 症 例 は 他 個 体 由 来 の
ADSC を用いた他家移植による治療をおこなった.
症 例
たのでその概要を報告する.
また,一部症例において脂肪組織由来幹細胞(以下
ADSC)を用いた治療をおこなった.ADSC は間葉系
症例 1:エキゾチックショートヘア,未避妊雌,8
歳,体重 4.3kg.5 歳時に耳介に初発の皮膚炎を発症
した.発症の時期は飼い主の転居後とのことだった.
の幹細胞であり,種々のサイトカインを分泌すること
による組織の修復作用や抗炎症作用(表 2)
,T 細胞
バランスを整えることによる免疫調節作用を利用し
他院にて抗真菌薬,抗生物質による治療を行うも改善
がみられないとのことで当院を受診した.
表 1 イソシアネートを利用した主な工業製品
建築材料
断熱材,接着剤,塗料,改質アスファルト,セメント,モルタル,窓枠,浴槽
水回りのシール,屋根・外壁・水回りの防水工事,室内床材,集成材など
家具
絨毯裏ゴム,スポンジ・クッション等発泡剤,表面塗料など
家電
洗濯乾燥機・貯湯式湯沸かし器などの断熱材,コード被覆,シーラントなど
自動車
タイヤ,バンパー,ワイパー,内装材,シーリング材,トップコートなど
衣料
繊維,保温繊維,繊維加工剤(起毛・形状保持・防水)など
文具
印刷材料,紙の表面加工,製本背綴じ,接着剤など
医療材料
歯科材料,ソフトコンタクトレンズ,手袋,弾力包帯,医療機器ホースなど
一般材料
熱硬化性成型材料,シーリング材,ゴム
表 2 ADSC から分泌される主なサイトカイン
主な役割
具体的な作用点
血管新生
組織修復作用
分泌されるサイトカイン
VEGF,FGF2,ANG-1,MCP-1,EPO,HGF
細胞の増殖促進
SCF,LIF,M-CSF,SDF-1,FGF2,VEGF,IGF,PDGF,HGF
弱った細胞の生存維持
抗アポトーシス
FGF2,IGF,ANG-1IL-6,VEGF,MCP-1,G/M-CSF,STC-1,
EPO,TGF-β,HGF
神経細胞の保護
BDNF,NGF,GDNF
肝線維化の抑制
IL-10,TNF-α,HGF,MMP-9
瘢痕形成の抑制
HGF,FGF2,ANG-1
幹細胞のサポート
TPO,SCF,TGF-β
目的部位への細胞動員
免疫抑制作用
免疫細胞の抑制
抗炎症作用
炎症性因子の産生抑制
SDF-1,HGF,LIF,IGF,G/M-CSF,VEGF
IDO,PGE2,sHLA-G5,TGF-β,IL-6,IL-10,HGF,LIF
MCP-1,TSG-6,HO-1,M-SCF,NO,Gal-1,IL-1RA
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初診時の血液検査では好酸球の軽度な増加がみら
れ,猫エイズウイルス(FIV)抗体,猫白血病ウイル
ス(FeLV)抗原ともに陰性だった.
症例 2:ロシアンブルー,未去勢雄,9 歳,体重
みられた(写真 1)
.皮膚パンチ生検の結果は好酸球
性皮膚炎であり,真菌などの感染は認められないとの
結果だった.アレルギー性皮膚炎として,プレドニゾ
ロン(1 〜 4mg/kg SID)
,シクロスポリン(7mg/kg
5kg,症例 1 の同居猫.8 歳時から季節を問わず咳を
するようになり,発症の時期は症例 1 と同じく飼い
主の転居後とのことだった.他院にて抗生物質,ステ
ロイドによる治療を行うも改善がみられないとのこと
で当院を受診した.アレルゲン特異的 IgE 抗体検査
はすべて陰性.犬糸状虫抗原および抗体検査ともに陰
性.FIV 抗体,FeLV 抗原ともに陰性だった.
症例 3:アメリカンショートヘア,避妊済雌,13
歳,体重 3.4kg.12 歳時より発咳および努力性呼吸
SID)
,ミコフェノール酸モフェチル(10mg/kg BID)
,
低アレルギー食などを用いて治療をおこなったが,皮
膚病変は改善と悪化を繰り返した.第 332 病日からは
プレドニゾロンを 4mg/kg SID から減量することが難
し く な っ た た め,ADSC に よ る 治 療 を 開 始 し た.
がみられるようになった.発症の時期は飼い主の居住
マンションの外壁塗り替え工事と同時期とのことだっ
た.初診時の一般血液検査では明らかな異常は認めら
れなかった.犬糸状虫抗原および抗体検査ともに陰
性.FIV 抗体,FeLV 抗原ともに陰性だった.
ADSC を 1 週間ごとに投与し,皮膚病変がほぼ消失し
た第 481 病日からプレドニゾロンを隔日投与に減量し
たが,皮膚は良好な状態を維持していた.その後は不
定期に ADSC を投与しながらプレドニゾロン 2mg/kg
を隔日投与しているが,新しい病変がでてくるものの
悪化はせずに状態を維持できている.
症例 2:他院での治療の経過から,プレドニゾロン
(0.25 〜 1mg/kg)による治療を開始した(写真 2).
一時的に肺の状態が改善することはあったが,徐々に
肺の状態は悪化し(写真 3)第 546 病日に死亡した.
症例 3:抗生物質,抗真菌剤による治療には反応せ
ず(写真 4)
,プレドニゾロン 1mg/kg SID の投与に
より肺の状態に改善がみられたこともあったが,全身
状態は改善と悪化を繰り返した.第 405 病日には呼
吸状態が悪化し,元気食欲も消失したが免疫抑制量の
治療および経過
症例 1:当院における皮膚パンチ生検実施日を第 1
病日とする.頭部,腹部,後肢などに粟粒性皮膚炎が
プレドニゾロン(3mg/kg SID)の投与によって全身
写真 1 症例 1 第 1 病日の皮膚の様子.腹部および後肢に粟粒
性皮膚炎が認められた.
写真 3 症例 2 第 492 病日の胸部レントゲンラテラル像
写真 2 症例 2 第 1 病日の胸部レントゲンラテラル像
写真 4 症例 3 第 1 病日の胸部レントゲンラテラル像
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の検討課題である.
静脈内に投与された ADSC はその大部分が肺の微
細血管に一過的にトラップされるといわれている.そ
状態の一時的な改善がみられた.第 495 病日(写真
5)と第 502 病日には,抗アレルギー効果と抗炎症作
用を期待して ADSC の投与もおこなったが明らかな
改善は認められず,第 524 病日に死亡した.
の後は患者の損傷・炎症部位から放出される SDF-1
因子に導かれ,その近傍へ移動する(ホーミング)
が,実際に移動する ADSC はごく少量といわれる 5).
肺にトラップされた状態でもサイトカインは分泌され
るが,より多くの ADSC が患部に届くことによって
より効果が期待できると考える.
今回の経験をふまえてできるだけ早期に可能な検査
や除外によってアレルギーの診断をつけることが大切
であり,アレルギーに対する治療は症状の緩和だけで
はなくアレルギー反応を抑制するために積極的に免疫
抑制量のプレドニゾロンを用いる必要があると考え
る.それにより慢性的な炎症に移行することを防ぎ繊
維化のような不可逆的な変化を抑制する必要性を痛感
写真 5 症例 3 第 495 病日の胸部レントゲンラテラル像
した.ADSC はまだ確立された治療法ではないが,
今後症例を重ねてその効果と適用を検証していきた
い.
考 察
症例 3 は発症時期より居住マンションの外壁塗り
替え時の塗料による過敏性肺炎が疑われた.症例 1,
文 献
2 は飼い主の転居という同一の環境要因により皮膚と
呼吸器という異なる器官にアレルギーが疑われる症状
を発症した.症例 2,3 は臨床症状が類似していた.
症例 2,3 においては一般的な猫の好酸球性肺炎,喘
息との鑑別はできないが,これらの一連のアレルギー
1)荒井延明:猫喘息における臨床と知見,CLINIC
NOTE,100,56-65(2013)
症状を発症させる原因物質の一つとして,医学領域で
報告されている症状と類似することからイソシアネー
2)津谷裕子ほか:環境に広がるイソシアネートの有
害性,臨床環境 21,82-94(2012)
3)鈴木直人ほか:3 種のイソシアネートに対する特
異的 IgG 抗体の検出された過敏性肺臓炎の 1 例,
日胸疾会誌,30(3)
,478-484(1992)
4)松島秀和ほか:イソシアネートによる過敏性肺臓
炎,気管支喘息の 1 例,日呼吸会誌,41(10),
トの可能性を疑った.
症例 1 は接触皮膚炎と考えられ,抗原による繰り
返しの刺激によってナイーブ T 細胞がメモリー T 細
胞に活性化され,その後は微量な抗原の刺激によって
も T 細胞を主体とした炎症反応が起こっていると考
えられる 6).症例 1 においては,ADSC の投与によっ
てプレドニゾロンの減量が可能となった.ADSC の
抗炎症作用と免疫調節作用による効果であると考えら
れるが,持続する抗原の刺激によって新たな皮膚病変
が出現していると考えられる.
症例 2 および 3 は過敏性肺炎と考えられ,吸入抗
760-765(2003)
5)横山篤司,横関健昭:躍進する間葉系幹細胞療
法,J-Vet,11,81-110(2013)
6)田中良哉:免疫・アレルギー疾患イラストレイ
テッド,羊土社,6286-353(2013)
原との免疫複合体により炎症が惹起されるⅢ型アレル
ギーと T 細胞を主体としたⅣ型アレルギーが関与し
ているおり,Ⅳ型アレルギーがヘルパー T 細胞を主
体としたものにシフトすることによって組織の繊維化
が強く起こるといわれている 6).症例 2 および 3 は初
期治療として低用量のプレドニゾロンを用いたこと
が,結果として予後を悪くしてしまったのではないか
と反省している.初期から積極的に免疫抑制量のプレ
ドニゾロンを投与することによって肺の器質的な変化
を 遅 ら せ る こ と が で き た の で は な い か と 考 え る.
ADSC 投与の必要性および投与のタイミングも今後
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