NO,100< NO,100< 平成 27,8,7> 27,8,7> 教育長のページ 教育長 のページ No,100 ~ 平和への 平和 への誓 への 誓 い ~ 教育委員会のホームページに 教育委員会 のホームページに、 のホームページに 、 折々の 折々 の 出来事や 出来事 や 雑感などを 雑感 などを掲載 などを 掲載して 掲載 して いる「 いる 「 教育長のページ 教育長 のページ( のページ ( 通称「 通称 「 かくかくしかじか」)」 かくかくしかじか 」)」があります 」)」 があります。 があります 。 平成 23 年 10 月 の No,1 から始 から 始 まり、 まり 、 今回で 今回 で 100 号目になりました 号目 になりました。 になりました 。 あまり読 あまり 読 まれていないページですが、 まれていないページですが 、 先日、 先日 、 驚 くことに大学 くことに 大学の 大学 の 先生 と 、 別 の 大学の 大学 の 学生さんが 学生 さんが読 さんが 読 んでくださっていることを知 んでくださっていることを 知 りました。 りました 。 お 二人の 二人 の 口 から、「 から 、「キャリア 、「 キャリアABCD」 キャリア ABCD」や ABCD」 や 「 スマイル宣言 スマイル 宣言」「 宣言 」「学校運 」「 学校運 営支援協議会」 営支援協議会 」 など、 など 、 半田市独自の 半田市独自 の 言葉がすらすら 言葉 がすらすらと がすらすら と 出 てきて感激 てきて 感激し 感激 し ました。 ました 。 そして、「 そして 、「キャリア 、「 キャリア教育 キャリア 教育をベースに 教育 をベースに、 をベースに 、 元気いっぱい・ 元気 いっぱい・笑顔 いっぱい・ 笑顔い 笑顔 い っぱい・優 っぱい・ 優 しさいっぱいの子 しさいっぱいの 子 どもを育 どもを 育 てる半田 てる 半田の 半田 の 教育」 教育 」 に 賛意を 賛意 を 寄 せ ていただき、 ていただき 、 一気に 一気 に 肯定感が 肯定感 が 高 まりました。 まりました 。 さて、 さて 、 No,100 では、 では 、 8 月 6 日 の 広島平和記念式典における 広島平和記念式典 における二人 における 二人の 二人 の 小 学生の 学生 の 「 平和への 平和 への誓 への 誓 い 」 を 話題にさせていただきます 話題 にさせていただきます。 にさせていただきます 。 半田市役所でも 半田市役所 でも、 でも 、午前8 午前 8 時 15 分 に 全職員が 全職員 が 黙祷を 黙祷 を 捧 げました。 げました 。戦後 70 年 、 半田市職員の 半田市職員 の 中 に 戦争体験者はいません 戦争体験者 はいません。 はいません 。 しかし、 しかし 、 全員が 全員 が 戦争 の 悲惨さは 悲惨 さは知 さは 知 っています。 っています 。 子 どもたちも知 どもたちも 知 っています。 っています 。 直接、 直接 、 体験し 体験 し ていない世代 ていない 世代でも 世代 でも、 でも 、 誰 もが知 もが 知 っているのは、 っているのは 、 まさに、 まさに 、 二人の 二人 の 小学生の 小学生 の 宣言「 宣言 「 平和への 平和 への誓 への 誓 い 」 にあるとおり、 にあるとおり 、 事実や 事実 や 思 いや願 いや 願 いを、 いを 、 過去・ 過去 ・ 現 ....... 在 ・ 未来へと 未来 へとつないでいく へと つないでいく人 つないでいく 人 がいるからです。 がいるからです 。 今朝の 今朝 の 新聞には 新聞 には、 には 、 全国 ... の 高校生が 高校生 が 自転車で 自転車 で 「 平和の 平和 の 灯 」 を つなぐ 「 ピースリレー」 ピースリレー 」 の 記事も 記事 も ... ... ありました。 ありました 。 つなぐ ことの大切 ことの 大切さ 大切 さ 、 つなぐ ことによる力 ことによる 力 の 大 きさを、 きさを 、 みんなが自覚 みんなが 自覚することが 自覚 することが大切 することが 大切だと 大切 だと思 だと 思 います。 います 。 私自身、 私自身 、 高校の 高校 の 修学旅行で 修学旅行 で 原爆資料館を 原爆資料館 を 訪 れた日 れた 日 のことを、 のことを 、 今 も 思 い 出 します。 します 。 旅館では 旅館 では、 では 、 修学旅行の 修学旅行 の 夜 とは思 とは 思 えないほど、 えないほど 、 級友みんな 級友 みんな が 無口になっていたことを 無口 になっていたことを覚 になっていたことを 覚 えています。 えています 。 また、 また 、 30 歳少し 歳少 し 前 の 青年教 師時代には 師時代 には、 には 、 県内各学校に 県内各学校 に 呼 び 掛 けて、 けて 、 平和を 平和 を 願 う 折 り 鶴運動に 鶴運動 に 取 り 組 み 、千羽鶴にして 千羽鶴 にして平和公園 にして 平和公園原爆 平和公園 原爆の 原爆 の 子 の 像 へ 捧 げたこともありました。 げたこともありました 。 「 平和への 平和 への誓 への 誓 い 」 に 、 それぞれの立場 それぞれの 立場で 立場 で 自分にできることを 自分 にできることを誰 にできることを 誰 かに つないでいくという意識 つないでいくという 意識を 意識 を 持 つことの大切 つことの 大切さを 大切 さを教 さを 教 えられました。 えられました 。 -1- 以下は 以下 は 、「平和 、「 平和への 平和 への誓 への 誓 い 」 の 全文です 全文 です。( です 。(報道記事 。( 報道記事より 報道記事 より) より ) 昨年の 昨年 の 8 月 20 日 、 土砂災害に 土砂災害 に 巻 き 込 まれ、 まれ 、 大切な 大切 な 仲間の 仲間 の 一人を 一人 を 失 いました。 いました 。 今 まで、 まで 、 当 たり前 たり 前 のように一緒 のように 一緒に ごしていた 仲間が 一緒 に 過 ごしていた仲間 仲間 が 、 突 然 いなくなるという悲 いなくなるという 悲 しみを知 しみを 知 りました。 りました 。 昭和 20 年 (1945 年 )8 月 6 日 午前8 午前 8 時 15 分 照 りつける太陽 りつける 太陽の 太陽 の 下 、 一発の 一発 の 原子爆弾が 原子爆弾 が 、 建物、 建物 、 自然、 自然 、 そして、 そして 、 たくさんの人々 たくさんの 人々の 人々 の 大切 な 命 を 奪 いました。 いました 。 この日 この 日 のことを経験 のことを 経験していない 経験 していない私 していない 私 たちですが、 たちですが 、 大 切 な 人 を 失 う 悲 しみは、 しみは 、 想像することができます 想像 することができます。 することができます 。 あの日 あの 日 から 70 年 今 の 広島は 広島 は 、 色 とりどりの花 とりどりの 花 が 咲 き 、 緑豊かで 緑豊 かで、 かで 、 みんな笑顔 みんな 笑顔で 笑顔 で 過 ごすことのできる素敵 ごすことのできる 素敵な 素敵 な 街 です。 です 。 この街 この 街 で 、 今 、 私 たちは、 たちは 、 平和への 平和 への思 への 思 いを感 いを 感 じています。 じています 。 平和を 平和 を 考 えるきっかけは、 えるきっかけは 、 身近なところにあります 身近 なところにあります。 なところにあります 。 平和記念公園で 平和記念公園 で 見 たたくさんの折 たたくさんの 折 り 鶴 て 知 った原子爆弾 った 原子爆弾に よる 被害の 原子爆弾 に よる被害 被害 の 事実 広島平和記念資料館を 広島平和記念資料館 を 訪 れ 悲 しみ、 しみ 、 苦 しみとともに、 しみとともに 、 平和 への強 への 強 い 思 いが込 いが 込 められた被爆体験者 められた 被爆体験者の 被爆体験者 の 話 そして、 そして 、 私 たちこども代表 たちこども 代表による 代表 による「 による 「 平和への 平和 への誓 への 誓 い 」 祖父母たちが 祖父母 たちが、 たちが 、 この 70 年間ヒロシマを 年間 ヒロシマを生 ヒロシマを 生 き 抜 いて、 いて 、 私 たちに命 たちに 命 を つないでくれました。 つないでくれました 。 私 たちは、 たちは 、今 まで受 まで 受 け 継 がれてきた命 がれてきた 命 と 平和へ 平和 へ の 思 いを受 いを 受 け 止 め 、考 え 、自分たちにできることから 自分 たちにできることから、「 たちにできることから 、「小 、「 小 さな平和 さな 平和」 平和 」 をつくろうとしています。 をつくろうとしています 。 もう一度 もう 一度、 一度 、 身近な 身近 な 友達、 友達 、 世代の 世代 の 違 う 人々、 人々 、 さまざまな国 さまざまな 国 や 地域に 地域 に 住 む 人々と 人々 と 、 平和について 平和 について共 について 共 に 考 えてみません か。 広島に 広島 に 育 つ 私 たちは、 たちは 、 事実を 事実 を 過去 現在 未来へと 未来 へと 被爆者の 被爆者 の 思 いや願 いや 願 いを 私 たちの平和 たちの 平和への 平和 への思 への 思 いとともにつないでい く 一人となることを 一人 となることを誓 となることを 誓 います。 います 。 平成 27 年 (2015 年 )8 月 6 日 こども代表 こども 代表 広島市立白島小学校 6年 桑原 悠露 広島市立矢野南小学校 6年 細川 友花 か く ま さは る 教育長 加来 正晴 -2-
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