島根県立大学総合政策学部総合政策学科 卒 題 目 業 研 究 中国の子どもの遊びの変遷 ―新中国成立以降― 所 属 坂部晶子准教授 入学年度 平成 21 年度 学籍番号 5009075 氏 韓篠雅 名 総合演習 指導教員 坂部晶子准教授 提 出 日 平成 24 年 12 月 12 日 要約 本研究では、1949 年中華人民共和国が成立してから、中国の子どもの遊びの 変遷について年代別に行う聞き取り調査をもとに考察していく。本研究では以 下のような構成となっている。 はじめにおいて、中国の子どもの遊びへの着目、研究目的と方法について論 じる。幼年期の人びとは単純で、名声と利益に惑われることもなく、生活をエ ンジョイしていた。誰にとってもそれは大切な時期だったに違いないが、その 幼年期の主役としての遊びやおもちゃは今、人びとに重視されない立場にある ことを、私は残念に思う。その上、子どもたちの遊びがどのように展開し、発 展していったのかについても、直接的な言及もあまりなされていないようだ。 このような理由から、私は新中国成立後の子どもの遊びの変遷について、研究 を行ってみたい。 第一章において、今まで子どもはどのように見られてきたのか、どう受け入 れられてるかについて述べ、子どもの概念、中国の子どもの現状および遊びの 定義について概略的に見てみたい。 第二章において、上述のことを知るために中国の東北地域を主に、年齢層別 に約三十人に聞き取り調査を行う。この調査では、年齢層を三つの段階に分け、 二十代(10~25 歳)、四十代(30~45 歳)、六十代(50~65 歳)と、それぞれ 十人ほどに聞き取り調査を行う。そして、聞き取りをもとに、主な結果と、調 査から分かった遊び内容を紹介する。また、子どもの遊び時間の推移、遊ぶ人 数の変化の面についても触れてみたい。さらに、調査により聞き出した情報を もとに、当時の社会背景を踏まえ、調査対象の子ども時代の遊びの変化につい てまとめ考える。 第三章において、聞き取り調査の結果をもとに、この六十年の間の中国の子 どもの遊びについて分析する。その上、自分の考えを加え、遊びの変化につい ておもちゃ・遊び内容などの側面から分析してみたい。 おわりに、本研究の内容のまとめ、結論と今後の課題を導き出す。 目次 はじめに・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・1 第一章 問題設定 1.子どもに対する視点・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・3 2.近代中国におけるおもちゃの変遷・・・・・・・・・・・・・・・・・・5 第二章 聞き取り調査 1.聞き取り調査の概要・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・8 2.聞き取り調査の結果・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・9 (1)遊びの変遷・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 10 (2)遊び時間・遊び場・パートナー・おもちゃ・・・・・・・・・・・ 22 (3)社会背景・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 23 第三章 遊びの変化の分析 1.おもちゃ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 24 2.遊び時間・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 25 3.遊び内容・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 27 4.遊びのパートナー・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 28 おわりに・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 31 謝辞・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 33 参考文献一覧・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 34 はじめに 近年、中国の経済発展と共に、生活も豊かになってきたといわれている。デ パートのおもちゃ売り場は以前の時代に比べ何倍も面積を拡大し、周りの中国 のこどもたちがさまざまなおもちゃを手にして遊ぶ光景がよく目に映る。私の 小さい頃と比べ、子どもたちの遊ぶ内容と遊ぶものは 10 年間でほぼ全部更新さ れたといっても良いだろう。このとき、自分は子どものおもちゃ、遊んでいる ものの変化についてはじめて興味が湧いた。 実際、私には弟がいる。私たちは十一歳離れていて、ほかの姉と同じように、 私は幼いときのおもちゃをプレゼントとして弟にあげようとするが、彼は私の 時代でヒットしたおもちゃにはほとんど興味を持ってくれなかった。私の時代 に比べ、弟は外へ出て遊ぶことが少なく、友だちを家に呼ぶこともあまりない ようだ。暇があれば家でテレビを見てるか、パソコンでオンラインゲームをす るか、そればかりだ。十一年しか経ってないのに、私の時代の遊びとおもちゃ は月日が経つのにつれ、まるで淘汰されたかのように、歴史の長河に埋められ た。 私はおもちゃや遊び方はどのように変わったのかについて調べようと思い、 そのため、中国にある書店をいくつか訪れ、「児童史」「おもちゃの変遷史」に ついて資料を探し集めていた。その結果、参考となる本はそれほど多くなかっ たことに気づいた。カウンターで係員に検索を求めても、彼らは「児童史」と いうことばには相当なじみがなく、逆に「児童史ってなに」と聞かれることが 多かった。書店では必要な資料を入手することが難しいと感じ、私は目線をイ ンターネットに移した。パソコンを使って児童史に関する資料を探し集め、中 国の児童史はみじめなほど少ないことに気づいた。中国で普遍的に使われてい る入力法 1 に、キーワードの「児童史」をはじめて入力してみたとき、この常 に更新し続けている入力法は「児童史」ということばを自動的に認識してくれ なかった。豊富なことばを蓄える入力法の中に児童史が出てこないというのは、 中国全土、十三億人は児童史ということばについて、それほど興味と関心を持 1 搜狗输入法 http://pinyin.sogou.com/(2012 年 12 月 08 日アクセス)。 1 っていなく、検索する人は極めてわずかであるからだ。また、中国の代表的な 検索エンジン 2 を使い、児童史について調べてみた。キーワードは相変わらず 「児童史」。結果は言わなくても想像がつく。児童史に関する情報はほぼなかっ た。ここまでくれば、上述したように、カウンターの係員が「児童史」になじ みがないのも理解できるだろう。人びとは児童史の存在性について、それほど 関心を寄せてないと感じた。 十一年間だけでも、子どもの遊びやおもちゃは激しい変化を見せている。で は、1949 年、中華人民共和国が成立してから、子どもの遊びとおもちゃはどの ような変遷を経ているのだろうか。このような問題は私の頭の中に浮かび上が った。 2 百度搜索引擎 http://www.baidu.com/(2012 年 12 月 08 日アクセス)。 2 第一章 問題設定 1.子どもに対する視点 現代社会では、子どもを弱く純粋な存在として扱い、彼ら特有のしぐさや言 葉づかいに注目し愛でることを当然と見なしている。それは、17 世紀頃より誕 生した比較的新しい認識である。このような観点を打ち出した有名な研究に、 フランスの社会史研究者であるアリエスの『「子供」の誕生-アンシァン・レジ ーム期の子供と家族生活』 3 がある。アリエスの観点をもとに、『近代家族とジ ェンダー』4 では、竹内里欧が「近代社会と<子ども>」5 の章を書き、その中で、 中世社会の子どもは乳幼児期を脱すると、直接大人の社会に入っていき、 「子ど も期」というのはほとんどなかったという。しかし、17 世紀頃を転機として、 子どもについて特別な配慮や意識が生まれてきた。従って、 「子ども」という概 念は比較的に新しい概念であることを指摘する。さらに、アリエスの研究では、 中世の芸術において、「子ども」を特有の主題として扱うことは少なかったが、 17 世紀頃から、子どもを中心に配置した肖像画が多くみられるようになったと いう。また、以前は重要なものとは考えられていなかった子どもの片言表現に も大人が注目するようになったと述べている。 「子ども」へのまなざしの変化は、服装の面にも表れた。以前(中世社会) においては、乳幼児期を終えると、すぐに大人と同じ服装をさせられていたが、 16、17 世紀頃から、貴族を中心とする上流社会では、子どもと大人を区分する 服装を着せるようになった。また、 「遊びの面」でも、以前は、子どもは、大人 に交じって、賭けごと等、現在なら道徳的に問題があると見なされるであろう 遊びも含め、大人と同じ遊びをしていた。しかし、 「子ども」にまつわる新しい 3 フィリップ・アリエス『「子供」の誕生-アンシァン・レジーム期の子供と家族生活』杉 山光信・杉山恵美子訳、みすず書房、1980 年。 4 井上俊・伊藤公雄編『近代家族とジェンダー』世界思想社、2010 年。 5 竹内里欧「近代社会と<子ども>」井上俊・伊藤公雄編『近代家族とジェンダー』世界思 想社、2010 年、3-12 頁。 3 意識の発展とともに、遊びの共有は見られなくなっていった。 アリエスはこれらのことから、子どもは大人と本質的に異なる固有の性格が 備わっているという考え方を芽生えさせた。そして、これにより、子どもとい うのは特有の弱さ、純粋さなどにより象徴されるものとなった。つまり、純粋 無垢な子ども像は近代になって誕生したのである。 アリエスの概念をもとに、近代中国における子どもイメージの研究をしたも のとして、熊秉真の『童年憶往』 6 がある。 少し深刻に考えるならば、歴史学の中から子どもの影を探り出すのは難し いことに気づくだろう。原因は極めて単純で、はっきり言えば、それは、 歴史学はほかの学科と同じように、非常に「計算の高い」学問分野である ためだ。 7 中国では「勝てば王者、負ければ強盗」ということわざがある。つまり、あ ることを成し遂げた人は歴史的英雄となるが、成し遂げなかった人は役立たず としか見られない。従来から歴史に残るのは卑しい・無権力・地位のない人間 や出来事ではなかった。どうしようもないことに、 「子ども」はちょうどこの重 視されない立場に当てはめられ、ときが過ぎても残される歴史は少ない。 永遠に変わらないものなんて極めて少ないことを時間は教えてくれた。海 は枯れるし、石は腐る。世界は転変の往復を見せている。今まで真理と認 められていた考えも、これから真理であり続けるかどうかはわからない。 道行く人も皆知っている常識は時にあったり、時になかったり、どうであ るか定かではない。まるで運命は完全に自由な方向へ揺れ動いてるかのよ うだ。 8 6 熊秉真『中国孩子的歴史-童年憶往』広州師範大学出版社、2008 年。 7 熊秉真『中国孩子的歴史-童年憶往』広州師範大学出版社、2008 年、5 頁。 8 熊秉真『中国孩子的歴史-童年憶往』広州師範大学出版社、2008 年、7 頁。 4 全体を振り返って見れば、熊は以下のように結論付けている。 以前の中国では、大人と子どもが違うという観念などから子どもの生長を疎 かにして、歴史に残すことはあまりなかったが、熊は本書を通して、西洋と中 国を比較しながら、われわれに児童史の重要性、および児童に関する歴史は空 白のままあるべきではないと教えてくれた。 中国でも、近代に入ってから、教育と共に子どもの概念が現われた。中国が 成立して六十年以上経った今では、発展は著しいが、子どもの遊びの変遷につ いての詳しい研究は少なかった。近年では、任興邦『20 世紀中国玩具工業発展 史』 9、『玩具 100 年-中国現代玩具工業発展史』 10 の二冊の本が出されている。 しかし、これらの研究が対象とするのはおもちゃそのものの製品としての発展 史である。中国の近現代を通して、子どもたちの遊びがどのように展開し、変 化したのかについての直接的な言及はあまりなされていない。従って、私はお もちゃそのものではなく、これまであまり取り上げられなかった遊びの変遷に ついて調べてみたい。 先ほども述べたように、子どもという観念自体が新しいものであり、子ども の遊びやおもちゃの変遷についても、歴史の記録に残されたのは少ない。本稿 では、これらの記録の空白を聞き取り調査により、埋めてみたいと思う。 2.近代中国におけるおもちゃの変遷 ホイジンガの『ホモ・ルーデンス』 11 では、人間存在の本質は単に理性にあ るのではなく、人間は遊ぶ存在であると指摘している。従って、人間は遊びと 関係を断つことができなく、遊びの中では欠かせないおもちゃとも繋がりを持 っている。そこで、おもちゃとは何だろうか。近現代中国において、おもちゃ はどのように変遷したのだろうか。この二つの問題について考えてみたい。 おもちゃは誰もが知ることばだが、実際、おもちゃについて説明することは 9 任興邦『20 世紀中国玩具工業発展史』中国人事出版社、2008 年。 10 任興邦『玩具 100 年-中国現代玩具工業発展史』中国人事出版社、2006 年。 11 ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』高橋英夫訳、中公文庫、2009 年。 5 多くの人にとって難しいことである。 現代の辞書、辞典から昔の辞書の草稿ま で調べてみたが、 「おもちゃ」ということばは載っていなかった。しかし、現代 漢語詞典 12 の中では、おもちゃに定義を与えた。 「子どもが遊ぶためのもの」と 書いてあった。私は、今の時代において、子どもだけでなく、大人も楽しめる おもちゃが徐々に増えてきたと思う。 また、近現代中国のおもちゃの変遷において、呉月輝は「玩具的変遷(おも ちゃの変遷)」の中で、以下のようなことを述べている。 今日の子どもたちにとって、ぬいぐるみ程度のおもちゃは大したものでは ないかもしれないが、私と同じ 70 年代生まれの人たちにとって、当時ぬい ぐるみ一つ持っていれば、それは誰にでも自慢ができるほどの凄いことで す。(中略)私の記憶の中では、積み木、ゴム、砂袋など、おもちゃの種類 はわずかだった。 (中略)80 年代以降、おもちゃの種類は増え始め、プラス チック製のおもちゃ、鉄製のかえる、中国国産アニメ『ひょうたん童子』13 のキャラクターをもとに作られたおもちゃなど、当時では人気で大ブレイ クした。おもちゃの変遷は、90 年代から 21 世紀にかけてされに進歩を見せ た。電池を使ったおもちゃ、リモコン操作ができるおもちゃなど、子ども たちの選択できる遊びやおもちゃはますます増えた。 14 ここでは、近現代中国のおもちゃの変遷について、年代ごとに例が挙げられ ている。おもちゃ作りに使われる材料の変化により、社会全体の経済水準が上 昇していることが予想される。また、おもちゃの進化傾向などから、市場全体 の需要量が多くなってきていると考えられる。 12 中国社会科学院語言研究所詞典編輯室編『現代漢語詞典(第 6 版)』高務印書館、2012 年。 13 14 フールーションディー 『ひょうたん童子』中国の代表的なアニメ作品、中国語で『葫廬 兄 弟 』という。 吴月輝「玩具的変遷(改革開放 30 年・科技改変生活 3)」人民日報海外版 15 版、2008 年 11 月 21 日、http://paper.people.com.cn/rmrbhwb/html/2008-11/21/content_143648.htm(2012 年 12 月 11 日アクセス)。 6 この章では、子どもの概念の現れ、子どもに対する視点の変化、およびおも ちゃの概念や変遷について見てきた。その結果、時代が先に進むと共におもち ゃも変化を見せ続けていることが分かった。また、 「子ども」というのは、比較 的に新しい概念であることも分かった。今の中国では子どもが非常に重視され、 みんなが大切に育てる対象としてあるが、新中国が成立した当初では、子ども はあまり重視されていなかった。六十年の間でこれほどの変化が生じたため、 私は子どもの遊びについて調べてみたいと思った。 次の章では、身近な生活から出発し、聞き取り調査を通して、さらに調べを 続けたいと思う。 7 第二章 聞き取り調査 1.聞き取り調査の概要 はじめの部分で述べたように、本研究を行うために、私は地元吉林省長春市 にある書店を訪れたり、インターネットを通して子どもの遊びについての資料 を探し集めていた。しかし、結果として、本研究で使えそうな資料をあまり見 つけることができなかった。一方、日本の研究では、戦後日本の日常生活の変 化をさまざまな領域から分析した『戦後日本の大衆文化』 15 という本がある。 その中に、西村大志の「大衆文化のとらえ方-子どもの遊びの戦後史を素材とし て」 16 の部分があり、中国の子どもの遊びについて調べるのにも非常に役立つ のではないかと思われる。西村は、時間・空間・仲間・ものが遊びの分析にと って重要性を持っていると述べる。この観点が印象に残り、私は目線を日常生 活におき、地元の東北地域を主に、子どもの遊びの変化を年齢層別に三十人に 聞き取り調査を行った。調査を通して、時間・空間・仲間・ものにも触れ、人 びとの記憶の中に残っている子ども時代の遊びやおもちゃをまとめ考えてみた。 この調査では、年齢層を三つの段階に分け、六十代(50~65 歳)、四十代(30 ~45 歳)と二十代(15~25 歳)、それぞれ十人に聞き取り調査を行った。この 三つの段階に分けた原因として、中国が成立して六十年の間、変化は非常に激 しいため、それぞれの年代を代表する年齢層を三つに分け、このようにまとめ た。六十代(50~65 歳)は新中国が成立した当初の時代を経験し、四十代(30 ~45 歳)は、大躍進や文化大革命を経験し、二十代(15~25 歳)は改革開放を 経験した。それぞれの時代の変化により遊びも異なるのではないかと思ったた め、このような三段階に分けてみた。 15 藤本憲一・鵜飼正樹・永井良和編『戦後日本の大衆文化』昭和堂、2000 年。 16 西村大志「大衆文化のとらえ方-子どもの遊びの戦後史を素材として」藤本憲一・鵜飼 正樹・永井良和編『戦後日本の大衆文化』昭和堂、2000 年、317-335 頁。 8 そして、調査対象者の幼年時代の記憶をもとに、以下の表 1 の内容を調査の 主な質問項目とする。 また、調査日程は 2012 年 9 月から 10 月にかけて、のべ 20 日間、一人あたり 20 分のインタビュー調査を行った。調査対象者は現時点、吉林省長春市に居住 する者がほとんどで、調査場所は、対象者の家、レストラン、または街頭など で行った。 表 1:調査対象者に対する主な質問項目一覧表 出典:筆者作成 2.聞き取り調査の結果 表 1 は調査対象の子ども時代の遊びやおもちゃについて、記憶に深く残った 9 遊びや遊び方について尋ねたものである。その中では、調査対象の子ども時代 の社会背景や、当時の家庭状況、家族メンバー、及び当時中国の発展状況につ いても触れてみた。この聞き取り調査を通し、私はさまざまな情報を手に入れ ることができた。それを対象者の時代順にしてまとめてみた。以下はまとめ上 げた表 2 である。 表 2:調査対象者の属性と主な調査結果一覧表 出典:筆者作成 (1)遊びの変遷 また、聞き取り調査から分かった遊び内容を以下順番に紹介しよう。 六十代(50~65 歳 1947~1962 年生まれ)の遊びでは、さまざまな手作りお もちゃが挙げられた。10 人の対象者のうち、比較的多くの人が挙げてくれた遊 びを以下に列挙しよう。遊びの内容については、調査対象者の説明をもとに、 10 筆者が再構成したものである。なお、イメージが湧きやすいように、遊びの映 像もしくはイラストを添付している。また、以下では紹介していないが、東北 地域では中国の少数民族(満民族)の族民が比較的多いため、たまに動物の骨 を使ってお弾きみたいな遊びをする人もいるという。 リューテーチュアン ① 溜 鉄 圏 リューテーチュアン 溜 鉄 圏 とは、細長い鉄を二本用意し、一本を丸ごと曲げ、大きな輪を作る。 もう一本を手に持て、助走して一本目の輪を転がせて、もう一本で輪の左右の バランスを整え、倒れないようにする。誰の輪が遠くまで転べるのかを競う遊 び。 リューテーチュアン 図 1: 溜 鉄 圏 出典:「玩具、遊戯、零食、譲我們一起回到童年」『湛江晩報』2010 年 05 月 30 日 17 17 http://szb.gdzjdaily.com.cn/zjwb/html/2010-05/30/content_1389256.htm(2012 年 12 月 10 日アク セス)。 11 ティアオピージン ② 跳皮筋 ティアオピージン 跳 皮 筋 とは、当時では髪の毛を結ぶ生ゴムをたくさん使い、結び合わせて 長いゴムを作る。そのゴムを足に絡ませ、歌いながらリズム良く遊ぶ項目。 ティアオピージン 図 2: 跳 皮 筋 出典:「玩具、遊戯、零食、譲我們一起回到童年」『湛江晩報』2010 年 05 月 30 日 18 デューシャーダイ ③ 丟砂袋 デューシャーダイ 丟 砂 袋 とは、布に砂を包み、四辺を縫い合わせる。二組に分かれて砂袋を なげあい、相手側のからだにあてる。日本のドッジボールと似たような遊びで ある。 18 http://szb.gdzjdaily.com.cn/zjwb/html/2010-05/30/content_1389256.htm(2012 年 12 月 10 日アク セス)。 12 デューシャーダイ 図 3: 丟 砂 袋 出典:「経典童年遊戯大集合(二)」『張家港日報』2010 年 01 月 22 日 ジュアングァイ 19 ドージー ④ 撞 拐 (闘鶏 ) ジュアングァイ 撞 拐 とは、二人または大人数で行う遊び。なんの道具もいらずに、片方の 足を挙げ、手で抱える。もう片方の足を使いバランスを取る。ジャンプし続け て、膝で相手を攻撃し、先に足が落ちた方、または転んだ方の負け。片足で立 ドージー つ姿が鶏に似たため、闘鶏 ともいう。 19 http://www.zjgxw.com/html/wenhua/wenhuayule/20100122/131820.html(2012 年 12 月 10 日アク セス)。 13 ジュアングァイ ドージー 図 4: 撞 拐 (闘鶏 ) 出典:「満郷村民賽<撞拐>過節」『京華時報』2009 年 05 月 29 日 20 ティアオダーシャーン ⑤ 跳 大 縄 ティアオダーシャーン 跳 大 縄 とは、二人で縄の両端を持ち回転させ、他の人はその中にくぐり 入って縄に触れないように跳ぶ遊び。 ティアオダーシャーン 図 5: 跳 大 縄 出典:「苗族児童在課間跳縄」『中国青年報』2009 年 09 月 17 日 21 20 http://epaper.jinghua.cn/html/2009-05/29/content_425702.htm(2012 年 12 月 10 日アクセス)。 21 http://zqb.cyol.com/content/2009-09/17/content_2856576.htm(2012 年 12 月 10 日アクセス)。 14 チョービンホー ⑥ 抽氷猴 チョービンホー 抽 氷 猴 とは、カッターを使い、木でコマのようなものを作る。コマの先端に 丸い鉄の玉を付け、氷の上におき、枝の付いてる木の棒で鞭を作り、こまを打 って回転させる。特に東北地域では、冬の定番遊びである。 チョービンホー 図 6: 抽 氷 猴 出典:「冬来不猫冬、集体抽氷猴」『城市晩報』2007 年 12 月 21 日 22 ティージェンズ ⑦ 踢毽子 ティージェンズ 踢 毽 子 とは、昔は金属片にナイロンの糸を何百本もさし、蝋燭を溶かしナイ ロンを固定させる。落とさないように足でけって遊ぶ。 22 http://cswbszb.chinajilin.com.cn/html/2007-12/21/content_392596.htm(2012 年 12 月 10 日アクセ ス)。 15 ティージェンズ 図 7: 踢 毽 子 出典:「正月好踢毽」『海寧日報』2011 年 02 月 19 日 23 ティアオピージン 四十代(30~45 歳 1967~1982 年生まれ)の遊びでは、以前の 跳 皮 筋 、 ティアオダーシャーン ティージェンズ 跳 大 縄 、 踢 毽 子 などが挙げられたほかにも、いくつかの新しい遊びが挙げ られている。 テャオファンズ ① 跳房子 テャオファンズ 跳 房 子 とは、チョークを使い、地面にマス目を描く。6 格、または 12 格描き、 片足跳びで地面に描いたマスに小石などを蹴り入れながら回り、全てのますを まわった者の勝ちとする遊び。日本の石蹴りのような遊び。 テャオファンズ 図 8: 跳 房 子 出典:「民間老遊戯<跳房子>」『斉魯晩報』2010 年 04 月 09 日 24 23 http://hnrb.zjol.com.cn/hnrb/html/2011-02/19/content_144393.htm(2012 年 12 月 10 日アクセス)。 24 http://www.chinanews.com/cul/news/2010/04-09/2217376.shtml(2012 年 12 月 10 日アクセス)。 16 ラウインジョウシャオジー ② 老鷹捉小鶏 ラウインジョウシャオジー 老 鷹 捉 小 鶏 とは、大人数で行う遊び。一人が鷹役で、一人がニワトリ役。 他はひよこ役。ひよこ役は一列に並び、列の一番前はニワトリ役が立つ。鷹は ひよこを食べようと追いかけてくる。ニワトリはひよこを必死に守る。捕まっ たひよこは列から離れる。 ラウインジョウシャオジー 図 9: 老 鷹 捉 小 鶏 出典:「老鷹捉小鶏」『河南日報農村版』2010 年 02 月 04 日 25 タンボーリージュ ③ 弾玻璃珠 タンボーリージュ 弾玻璃珠 とは、男の子に人気のある遊び。玉を地面に散らかし、指で一つの 玉をはじき、もう一つにぶつける遊び。距離の近い二つの玉はぶつかりやすい が、遠い場合はなんメートルも離れている。玉の素材は後に増え、ガラスの玉 が一番人気。 25 http://newpaper.dahe.cn/hnrbncb/html/2010-02/04/content_282183.htm(2012 年 12 月 10 日アク セス)。 17 タンボーリージュ 図 10: 弾玻璃珠 出典:「玩具、遊戯、零食、譲我們一起回到童年」『湛江晩報』2010 年 05 月 30 日 26 ティアオピージン 二十代(15~25 歳 1987~1997 年生まれ)の遊びでは、六十代の 跳 皮 筋 、 ティアオダーシャーン ティージェンズ 跳 大 縄 、 踢 毽 子 や、四十代の老鷹捉小鶏などが挙げられたほかにも、新し い遊びが挙げられている。 チュエーフェイーザオパオ ① 吹 肥 皂 泡 チュエーフェイーザオパオ 吹 肥 皂 泡 とは、温水で石鹸を少し溶かし、ボールペンの芯を外し、外の 部分をストローのように使い、泡を吹くシャボン玉遊び。 26 http://szb.gdzjdaily.com.cn/zjwb/html/2010-05/30/content_1389256.htm(2012 年 12 月 10 日アク セス)。 18 チュエーフェイーザオパオ 図 11: 吹 肥 皂 泡 出典:「70、80 小時候的遊戯」 27 ジョウミツァン ② 捉謎蔵 ジョウミツァン 捉 謎 蔵 とは、一人が目を閉じ、他の人たちは隠れて、その人が見つけてくれ るのを待つ。日本の隠れん坊のような遊び。 ジョウミツァン 図 12: 捉 謎 蔵 出典:「捉謎蔵」『中老年時報』2011 年 01 月 14 日 27 28 http://szb.gdzjdaily.com.cn/zjwb/html/2010-05/30/content_1389256.htm(2012 年 12 月 10 日アク セス)。 28 http://www.cnlnjk.com/life/bbs/viewthread.php?tid=43596(2012 年 12 月 10 日アクセス)。 19 グォージャージャー ③ 過 家 家 グォージャージャー 過 家 家 とは、ある人がお父さん役、ある人はお母さん役。他の人は子ども やペット役をするなりきりゲーム。草や葉っぱ、砂を使い料理をしたりする日 本のおままごとのような遊び。 グォージャージャー 図 12: 過 家 家 出典:島尾伸三・潮田登久子編『中国のかわいいおもちゃ』平凡社、1997 年、48 頁 20 シャンカーペン ④ 扇卡片 シャンカーペン 扇 卡 片 とは、丸いカードの上にさまざまな柄が描いてあり、お互いのカード をたたき、相手のカードをひっくり返す、日本の面子と似たような遊び。 シャンカーペン 図 13: 扇 卡 片 出典:「経典童年遊戯大集合(二)」『張家港日報』2010 年 01 月 22 日 29 一つ参考として、今の十代の子どもが遊ぶ内容について紹介したい。私の弟 グォージャージャー ぐらいの世代では、二十代の人にとってポピュラーだった「 過 家 家 」をして ワンローヨーシー 遊ぶことがたまにあるという。ほかには、今中国で大流行の「網絡遊戯 (オン ラインゲーム)」、パソコンを使って仮の区間でミッションを完成したり、ネッ トを通して知り合った友達とゲームのが大好きだそうだ。また、彼はアニメが 大好きで、キャラクターの模型などを買い、友達と遊ぶのが楽しいという。 六十代から二十代までの全世代を通してみてきた。その結果、跳皮筋、跳縄、 踢毽子の遊びが三つの世代に渡りずっと遊ばれていることが分かった。それは、 身近なおもちゃですぐに遊べるというポイントが魅力的ではないかと考えられ る。また、六十代にはなかったが、四十代と二十代には老鷹捉小鶏の遊びがあ る。従って、以前の時代と今は断絶があることも分かった。 29 http://www.zjgxw.com/html/wenhua/wenhuayule/20100122/131820.html(2012 年 12 月 10 日アク セス)。 21 (2)遊び時間・遊び場・パートナー・おもちゃ 表 3:遊び時間の推移 出典:筆者作成 注:遊び時間については、解答に幅がある場合はその平均値を取り、計算した。 表 4:遊び人数の推移 出典:筆者作成 注:遊び人数については、解答に幅がある場合はその平均値を取り、計算した。 六十代(50~65 歳)は、一日中朝から晩まで遊んだという人が多かった。調 査対象者らは、基本家から出て、外で遊んだり、室外遊びをするのが多い。遊 びパートナーは近所の子が多かったそうだ。10 人、20 人以上で遊ぶことが多く、 兄弟同士で遊んでた子どもも多かった。おもちゃは自分で作るのが一般的で、 使う材料はほとんどいらなくなった廃棄物だったようだ。 四十代(30~45 歳)は、遊ぶ時間は特に限られてなかったようで、遊び場は 22 外が多い。遊ぶパートナーは六十代に比べ、減少傾向を見せている。おもちゃ は自分で作る場合が多いが、徐々に親に買ってもらえるようになった。おもち ゃの素材は木製とプラスチック製が多かった。 二十代(15~25 歳)は、遊ぶ時間は限られ、暗くなる前に必ず家に戻るよう と言われる子が多かった。時々近所の子どもと一緒に遊び、遊ぶ人数は 3 から 5 人ほど。おもちゃは生まれる前から用意してあり、両親に買ってもらってた。 おもちゃの材料はプラスチックがほとんどだ。 参考として、私の弟が遊ぶものも書いておこう。彼は二十代とはまた少し違 い、遊びの時間は少なく、限られてる。基本的家にいて、外へ出かけずに、自 分で遊ぶ場合が多い。友達は会って遊ぶよりネットでオンラインゲームを一緒 にして遊ぶ方が多い。おもちゃは親戚、両親、私か自分で常に買える。おもち ゃの素材は鉄や鋼など、さまざまである。 (3)社会背景 ここでは、調査対象者が述べてくれた当時の社会背景についてまとめておき たい。 六十代(50~65 歳)が経験した時期は、新中国が成立した初期で、中国は非 常に貧しかった。当時の社会では衣食の問題を主要な解決問題としていた。そ の時の中国の家庭には家庭電器がなく、交通手段もない時代だった。 四十代(30~45 歳)が成長した時期は、改革開放の市場経済に入る直前の中 国。当時では、生産力の向上は見られるが、全体的として貧しかった。このと き、テレビ、ミシンなどの家庭電器が現れたが、買える家庭は少なかった。バ スが現れたが、使用する人は少なく、自転車が主な交通手段だった。 二十代(15~25 歳)が生活したこのときの中国では、激しい貧富の差が現れ、 家庭電器は普及された。富裕層はバイクを買って、一般家庭は自転車を交通手 段として使う。高層ビルなどは徐々に増え始めた。 現代では、中国は未だに発展途上国ではあるが、一部の領域では先進国と比 べられる水準に達している。人びとの生活は豊かになり、パソコンの普及とあ ちこちの高層ビル、車を持つのも当たり前なこととなってきている。 23 第三章 遊びの変化の分析 1.おもちゃ ここではまず、聞き取り調査の結果をもとに、この六十年間での中国の子ど もの遊びを分析してみよう。 おもちゃについてはこれまでの研究の蓄積 30 もあるため、それらと調査結果 を合わせてまとめてみたい。時代が進化と共に、おもちゃは木製、鉄製、プラ スチック製から、徐々に電池入りおもちゃ、ゲーム機、ハイレベルの電子おも ちゃへと変わった。このようなことから、子どものおもちゃの変遷は社会の発 展状況と繋がりがあり、社会の発展が進むことによりおもちゃの材料や機能も 進化すると思われる。おもちゃに留まらず、生活の中で使われるものは、ほぼ 社会の発展と共に進化を見せ続けているに違いない。おもちゃは人びとの生活 の中で、必需品として存在しているわけではないが、娯楽のための用具として、 これもやはり社会と共に進化を見せている。 当時、新しい国家として確立したばかりの中国にとって、国家の制度はまだ 整っておらず、生産力も他国の平均水準に比べ大いに遅れていた。その時の国 民は、何よりも先に、衣食の問題を第一に置いて生活を送っていた。必需品以 外のものやことについてはあまり関心を持っていなかった。遊びのためにある おもちゃはもちろん、「必需品」として当てはまるわけがなかった。 大人たちは一家の生活を維持するため、毎日働き続ける。自分の子どもに対 してあまり面倒をみれないのがほとんどだ。子どもたちは自分で簡単な木製の おもちゃを作ったり、一緒に遊んだりした。その時の中国の生産技術では、レ ベルの高いおもちゃをするのが困難だと考えても良いだろう。仮に、当時の生 産技術は良く、ハイレベルのおもちゃを作り出すことが出来ても、恐らくおも ちゃの市場は大きくなれないだろう。なぜならば、当時の人びとは子どもが遊 ぶおもちゃなどに関心を十分に持ってなく、あまり重視していないからである。 30 楊大年「中国伝統玩具与現代玩具的比較研究」『江南大学学報(人文社会科学版)』第 3 巻第 4 期、2004 年。 24 だが、新中国が成立して六十年目を越えた今では、国民の生活は豊かになり、 生産技術や生産力も猛スピードで発展している。成立当初の中国の国民は「生 活を送る」というならば、今では「生活を享受する」人が多く増えた。中国で は、 「酒足飯飽思淫欲」という俗語がある。六十年前の中国は、生きていくため の必需品も保障できない社会であったため、趣味や娯楽などの精神的需要はあ っても実現しにくかった。それに対し今では、衣食になんの心配もない人が多 く増えたため、精神的需要も増え、娯楽や遊び、趣味を重視するようになった。 衣食住の問題を解決した後は、生活に彩りを加え、生活を楽しみたいのだ。 従って、生活の質を昇進するため、今の時代ではさまざまな新しいサービス や業界が人びとの目の前にあらわれ、子どものおもちゃも市場を持つようにな った。従来の木製おもちゃから、電子おもちゃ、ハイテクおもちゃへと変化し、 種類も実にさまざまである。その上、おもちゃは徐々に子どもだけの遊び用具 ではなくなり、大人向けの頭脳開発のおもちゃや高齢者向けの健康維持のおも ちゃも現れている。 2.遊び時間 聞き取り調査の中には、 「一日中、遊ぶ時間帯はいくつあるか?遊びの時間を 全部足すと、大体何時間?」 「一番多く遊んだのは何歳から何歳まで?」の二問 があった。この二つの質問を通して、調査対象者は遊び時間について詳しく解 答してくれた。 表 3(22 頁)から分かるように、六十代の平均遊び時間は 9.6 時間であるの に対し、四十代は 7.1 時間、二十代は 2.6 時間と、新中国成立以降、子どもの遊 び時間は減少の傾向を見せている。このような結果になったのは、どうしてだ ろうか。 皆さんの回答をまとめてみると、学業の負担が重過ぎると思う人がほとんど である。遊び以外のことがますます増えたため、子どもたちの生活の中心は遊 びから勉強へと変わっていったように思われる。一日は二十四時間あるが、勉 強の時間が多ければ多いほど、遊ぶ時間はそれなりに少なくなる。 一方、六十代にも、遊び時間が比較的に少ない人がいる。それは、貧しい社 25 会背景の下で、子どもも労働力とみなされるためである。また、家族の人数が 多いため、子守りやお手伝いなどをさせられる場合がある。それにしても、六 十代の遊び時間は二十代と比べ、大量に多いことが分かった。 歴史学はほかの学科と同じように、非常に「計算の高い」学問分野である。 従来から歴史に残るのは卑しい・無権力・地位のない人間や出来事ではな かった。どうしようもないことに、「子ども」はちょうどこの不重視の面に 当てはめられ、ときが過ぎても残されるのは空白ばかり。 31 子どもは弱者として見られ、多くの場合、自分で何かを決める権利はないの だ。我々の知っているように、子どもの人生観と世界観は未だに形成していな いため、計画的なことをするのはほぼないし、本能が生活を主導している。子 どもは楽しければ笑う、悲しければ泣く、おなかがすけば食べる、面白いもの を見つけるとそれで遊ぶ。従って、誰の目にも明らかであるように、幼少期に 学業を多めに取り入れたのは子ども自身ではなく、決定権を持つ両親である。 聞き取り調査から、新中国が成立した当初では、大人たちは労働や仕事に忙 しく、子どもに余分な精力を注ぐ暇がなかった。そのとき、子どもたちの遊び 時間は最も多く、自分の身の安全さえ確保すれば、ほかはなんでも良かった。 大人たちは、子どもがなにを使って遊ぶのか、またはどう遊ぶのかについては 関心を持たなかった。 時代が発展するとつれ、人びとの生活は豊かになってきた。第一に、今日中 国の一般家庭では、衣食の問題に困ることはほとんどない。従って余分な時間 が多くあるため、子どもの学業に力を多く注ぐことができる。第二に、改革開 放以前の時代では、中国はまだ集団生活の時期に留まっていた。集団生活では、 国民は共に生産労働を行い、産出物は国家に納め、国家が産出物を統一的に管 理分配するのである。当時は大同につき小異を排す時代でもあったため、先祖 代々から同じような生活を送り、大人は子どもに対して望むことも少なかった。 だが、貧富の差が激しい今日では、どの家庭も我が子が人に抜きん出て出世し、 31 熊秉真『中国孩子的歴史-童年憶往』広州師範大学出版社、2008 年。 26 名を成すことを願っている。従って、大人は、貧しい生活よりは豊かな生活が 絶対に良い。豊かになるためにはやはり猛勉強するのが一番だと思うようにな った。 中国では「青出于藍而勝于藍」ということわざがある。青は染料を取る草の 藍から作られるが、藍より濃い色となるという意味である。どの家庭において も、親は自分たちを超えて、子どもによりいい生活を享受してほしいという願 いがある。願望と共に期待もあらわれたため、子どもに対する要求も厳しくな り、子どもたちのプレッシャーも増える一方である。遊んでるだけでは良い成 績は出せない。従って、宿題を与えられ過ぎて、子どもは自分の遊び時間を失 いつつあるのだ。 改革開放後、今までの国家計画経済はなくなり、替わりに中国は市場経済時 期に入った。市場経済時期に入ったからには、競争も現れ始めた。これに加え、 中国の人口が厖大であるため、中国では、幼少期から子どもを塾に通わせたり、 全英語教育の幼稚園や小学校に入れるという、子どもたちを急かせる「早期教 育」が行われている。 特に近年では、 「スタートラインで子どもを負けさせるわけにはいかない」と 考える親たちは、子どもの遊び時間を犠牲に、知識だけを重視する。子どもた ちにとって、遊びの時間は徐々に減少し、おもちゃは奢侈品に近いものとなっ たと考えられる。 3.遊び内容 調査を通して、遊び内容は、最初のほぼ遊び道具のいらないなりきりゲーム や、外で体を使った遊びから、今日室内でオンラインゲームや電子おもちゃを 使った遊びへと変わった。このような変化が生じたのも理解しづらくはない。 なぜならば、子どもの遊びの内容の変化、または遊びの形式の変化は、昔より 進化しているからだ。子どもたちが自分で作った木製おもちゃから、今日のハ イテクゲーム機まで、この何十年間の科学技術の違いは極めて大きい。だが、 どのような原因でこのような変化があらわれたのだろうか。 前の文で述べたように、新しい国家として確立したばかりの中国にとって、 27 国家の制度はまだ整っておらず、生産力も他国の平均水準に比べ大いに遅れて いた。その上、中国と外交関係を持つ国は少なく、外交関係を持つ国の中では、 先進国はほぼなかった。当時の生活は非常に苦しく、貧しいものでした。国民 は衣食住の問題を主要な位置におき、食べることさえ難しいのに、それ以外の 娯楽や遊びについては無関心だった。だが、子どもは生まれつき遊ぶのが大好 きなため、大人がおもちゃを買ってくれないのなら、自分たちでおもちゃを作 ることもできた。 改革開放以降、他国と貿易を始めた中国に技術も入ってきた。人びとの生活 の質は多いに改善され、市場経済の発展と共に、衣食住など、生活は基本的に 保障された。生活が保障され、必需品以外のものも商品として市場に流通した。 大人たちは、衣食問題を解決し、余分なお金で子どもにおもちゃを買ってあげ ることができた。おもちゃの介入は、子どもの遊び内容に根本的な影響を与え た。 皆に知れ渡っているように、世界に第一次、第二次工業革命、第三次科学技 術革命が起きたため、それらの国家の生産力は多いに上げられた。中国は第三 次の科学技術革命の終電に間に合い、今では、パソコンの普及を実現した。今 日まで、中国の電子技術は発展し続け、人びとの生活の中にまで浸透している。 例えば、人間のことばを認識する電子ペットや、各種の電子おもちゃなど。こ のようなハイテクおもちゃも人気ではあるが、今では、オンラインゲームは中 国の子どもたちにとって、重要な存在となっている。以前の時代のなりきりゲ ームや、外で体を使った遊びに至っては、子どもの遊びから徐々に消え去ろう としている。 4.遊びのパートナー 中国では、今とても流行していることば、 「宅」がある。ここでいう「宅」は 名詞としてではなく、形容詞だ。通常は「宅男」 「宅女」という場合が多く、必 要な外出以外は、一人で家で何かを楽しんでいる若者を指す。日本語の中の「お 宅」に近い意味を持っている。今の中国の子どもに対しても、このことばが非 常にふさわしい。聞き取り調査の表 4(22 頁)を通して、六十代の平均遊び人 28 数は 11 人であるのに対し、四十代は 7 人、二十代は 3 人と、新中国が成立して から、一緒に遊ぶ友達の数が減少の傾向を見せ、現代に近づければ近づくほど、 学校で授業を行う時間のほか、子どもたちは一人で遊ぶのがほとんどであるこ とがわかる。私の弟も、一人で遊ぶことが多く、どのような原因でこのような 変化が現れたのだろうか。 第一に、表 2(10 頁)から分かるように、子どもの遊び場は変化した。六十 代では畑、林などと、子どもは外で遊ぶのがほとんどであるのに対し、四十代 は家の近く、二十代は家と、大きな変化を見せている。新中国が成立してから、 共に遊ぶ友達の人数が減少し続けた。その上、以前は家から出て、外で遊んで たが、今はほぼ家の中で遊んでいる。 子どもたちが外で遊ばなくなったのは、前の文で述べたように、学業の負担 が大きいことに関係する。私の弟も、毎日学校から戻り、すぐに夕飯を食べ、 ピアノの授業を受ける。その後は数学の家庭教師を家に呼び、1 時間の授業を 終えた後にやっと自分の宿題をすることができる。これらのことを全て終わら せると、もうそろそろ寝る時間になる。このようなハードなスケジュールを週 五日間続け、土日はさらに英語の家庭教師と勉強しなければならない。弟は遊 ぶどころか、テレビでアニメを見る暇すらないのだ。時々母に「少しぐらい遊 ばせてもいいじゃない?」と聞くが、 「それじゃクラスのほかの子に追い抜かれ るでしょう」と母は返してくる。 第二に、以前の時代の中国では、一つの家庭に子どもは多くいたが、一人っ 子政策が実施されてから、一家に一人の子どもというのが原則となり、我が家 のように二人も生める家庭は少なくなった。 一人っ子であるため、兄弟はもちろんいない。遊ぶパートナーのそれなり減 るのだ。また、一人っ子であるため、親はでき愛してしまうことも少なくない。 私の母は中学時代からご飯を作ることが出来た。なぜなら、当時は貧しく、子 どもでも、家庭の負担を一部背負わなければならなかった。だが今の中国では、 シャオファンディー ダーシャオジェー 親のでき愛により、自力更生のできない「 小 皇 帝 (坊ちゃま)」や「 大 小 姐 (お嬢様)」があらわれた。勉強以外のことを親が全て代わりにするといっても 過言ではないほどだ。従って、子どもを守りすぎる親は、子どもを外に出し、 遊ばせるのが少なくなった。 29 最後に、中国はかつての集団労働中央分配制度から、今日の市場経済制度へ と転換し、人と人の間の距離も徐々に遠ざかっていく。以前は隣人と仲良くし ていたが、今は隣人が誰なのかも分からない、そんな時代になってきているの だ。現代の中国の子どもは兄弟がなく、近所で一緒に遊ぶ友達もすくない。従 って一人で遊ぶ時間が増え、家から出なくなったのではないかと考えられる。 30 おわりに 本調査を通して、我々は、子どもの遊びの変遷は社会の発展と繋がりを持つ ことを明らかにした。人類の歴史は 75 万年前から始まり、最初の原始時代から、 奴隷社会、一歩一歩進み、今日の資本主義社会、社会主義社会へとたどり着い た。生活の中の欠かせない物質は社会の発展と共に変化を見せている。新中国 が成立した初期では、生産力が低い状態であったため、人びとの精神的需要を 満たすことが出来なかった。従って、当時の子どもは自分でおもちゃを作った り、廃棄物で遊んだりした。 中国は未だに発展途上国ではあるが、一部の領域では、先進国と比べられる 水準に達している。生産力の向上は生活を豊かにしてくれ、科学技術は生活の 中に用いられ、子どものおもちゃも変化を見せている。パソコンとインターネ ットの普及を通し、子どもたちも自分のデジタル時代を迎えた。 歴史を巻き戻すことは出来なく、以前の社会に戻すことも出来ない。子ども の遊びは生活の中の欠かせない物質の一部であることを否認できないし、社会 から離脱することもできない。子どもの遊びやおもちゃの変遷は、一種の発展 進歩の過程である。今のおもちゃに含まれた技術は昔をはるかに越えたことを 認めなければならない。 だが、今の中国では子どもが非常に重視され、みんなが大切に育てる対象と してあるが、新中国が成立した当初では、子どもはあまり重視されていなかっ たため、六十代の調査対象者は時間を自由に支配し、健やかで元気に過ごせた。 それに対し、二十代の調査対象者は過度な期待や注目を浴びる時代に生まれた ため、遊び時間が限定されていた。違う視点から見れば、子どもの遊びやおも ちゃの発展により、子どもの体の協調性やなにかを考えて作る能力は低下する 傾向を見せているものではないだろうか。言い換えれば、今の時代では、子ど もの作る能力をまったく重視せずに、製品として出来上がったものを直接渡し あそばせている。パソコンでも、ゲーム機でも、一つの固定の場所でずっと遊 び続けることができる。 私の父母の世代では、遊びをすると同時に、体を鍛えることもできていた。 このように考えてみれば、子どもの遊びの変遷は子どもにとって、一種の損失 31 として考えても良いのではないだろうか。 以上を振り返ってみると、本研究では、子どもの遊びの変遷について、特に 中国の東北地域において調査を行った。東北地域は移民が多い場所であり、中 国における比較的一般的な遊びが多く観察されたと思う。しかし、一方で東北 地域特有の遊びも存在した。ここでは、遊びの種類や遊び方に関して地域差を 分析することは出来なかった。中国全体では、さまざまな地域的な遊びがある と思われる。今後機会があれば、このような問題についても、取り組んでみた いと思う。 32 謝辞 本論文の作成にあたり、終始熱心なご指導を頂いた指導教官の坂部晶子准教 授に感謝の意を表します。テーマの選択から見直しまで、様々なご指導や助言 をいただき、誠に有難うございました。 また、聞き取り調査でお世話になりました中国吉林省長春市の皆様、貴重な お時間を割いて協力していただき、誠に有難うございました。 インタビュー調査のお手伝いをして下さった于艾禾様、石洋様に心から感謝 致します。誠に有難うございました。 以上の皆様に、心からの感謝と御礼を申し上げます。皆様に協力していただ いたおかげで、この研究を卒業論文として形にすることが出来ました。 有難うございました。 韓篠雅 2012 年 12 月 12 日(水) 33 参考文献一覧 日本語文献 井上俊・伊藤公雄編『近代家族とジェンダー』世界思想社、2010 年。 島尾伸三・潮田登久子編『中国のかわいいおもちゃ』平凡社、1997 年、48 頁。 竹内里欧「近代社会と<子ども>」井上俊・伊藤公雄編『近代家族とジェンダー』 世界思想社、2010 年、3-12 頁。 西村大志「大衆文化のとらえ方-子どもの遊びの戦後史を素材として」藤本憲 一・鵜飼正樹・永井良和編『戦後日本の大衆文化』昭和堂、2000 年、317-335 頁。 フィリップ・アリエス『「子供」の誕生-アンシァン・レジーム期の子供と家族 生活』杉山光信・杉山恵美子訳、みすず書房、1980 年。 藤本憲一・鵜飼正樹・永井良和編『戦後日本の大衆文化』昭和堂、2000 年。 ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』高橋英夫訳、中公文庫、2009 年。 中国語文献 鮑偉・張強・許鳳娇・譚蓉「中国伝統玩具」『人民日報海外版』15 版、2008 年 11 月 25 日。 黄進「論児童玩具的価値変遷」『南京師大学報(社会科学版)』4 期、2006 年 7 月、95-100 頁。 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