江戸川区立平井小学校 木崎克昭

世界の友達から学ぶ生き方
江戸川区立平井小教諭
木崎
克昭
また、自殺事件が起きた。今度はA中学生だ。成績が落ちサッカーをやめろと
言われたそうだ。死ぬ以外に方法はなかったのか。アフリカでは死にたくないの
に、たくさんの人が死んでいる。その人たちの事を考えれば私は自ら命を落とす
なんてできない。(6年児童班日記から)
1「世界友達委員会」の設立
毎年、学校の児童会活動で、ユニセフ募金に取り組む学校は、かなりの数に
のぼる。私の学校でも実施されていたが、それは募金だけを目的とした行事的、
一過性のもので、教育として内容のあるものではなかった。飢えによる栄養失調
のため、腹がふくれ、やせ細った体をしたアフリカの子どもの写真を見せたら、
「こんなのはいっぺんに殺してしまえばよい。学校でユニセフ募金なんか集め
なくても、よくなる」と言った子どもまでいた。
今、日本の子どもたちは、人間と人間とのつながりの中で、思いやりやあた
たかい心が育てられていない。非行、いじめ、自殺なども、その表れの一つであ
る。人間としての生き方を見つけられないでいる。そこで私は次の教育課題をも
ち、委員会活動の中に、
「世界友達委員会」を加え、全校をあげて日常的な国際
理解教育に取り組むことにした。(1)平和の尊さと命の尊厳を学ぶ(2)他人や他
国のことを理解する(3)何のために、どのように生きるのかの展望を持つ。
世界友達委員会は、5・6年生、23人と担当の教師2人で構成された。そし
て、第三世界の子どもの実態を学ぶことからはじめ、それを全校児童に広げてい
くことにした。大まかな教育原則を「学ぶ、表す、行動する」と考えて出発した。
2
あっ、アフリカの子、泣いてるよ!(キャンペーン活動)
まず、全校児童にこの学習を効果的に広げていく方法として、第三世界の子
どもの実態を紹介する3本のビデオ『東アフリカの飢餓』
『水と生命』
『わたした
ちを忘れないで』をもとにキャンペーン活動を計画した。また、委員会の各自が
ポスターや新聞をつくり、教室、玄関、廊下に掲示した。そして、各学級で、ビ
デオやポスターから、
「どう、思ったのか」
「私たちにできることは何か」を自分
の生活とむすびつけて、感想文を書き、話し合いをしてもらうことにした。それ
らの意見は、昼の校内放送で朗読し、自分たちで、できることから実行すること
にした。全校児童の表現を類別すると次のようになった。
(1)かわいそう(2)物を大切にする、がまんする(3)めんどうみてあげる(4)友達
になりたい、協力したい(5)状況、環境への意見(6)自分の将来について
3
はえがたかって、きたない?(保護者へのよびかけ)
「ぼく、お母さんにアフリカの子を家につれてきていいか、聞いてみる。そ
して、いっしょに仲良く遊ぶんだ」。私の学級の三年生T君が、めずらしく自分
の意見を発表した。
ビデオ『東アフリカの飢餓』を見た後のことである。ところが、その翌日、
T君は授業中、ずっと下を向いたままだった。休み時間に理由を聞いたら、
「ア
フリカの子は、はえがたかってきたないから、だめ、と言われました」と打ち明
けた。T君の母親だけでなく、全校の保護者にも、この活動に参加してもらうよ
う、(1)学校だよりやPTA広報紙による紹介(2)アジア・アフリカ写真パネル展
(3)保護者会でのビデオ放映をおこなった。
どのパネルも心が痛む思いで見させていただきました。―中略―
私たちが親から、戦争のむごさを語り聞かされたように、不幸な環境の中で生
きなければならない子どもたちがいることをわが子に教え合う必要が大いにあ
ると思います。(パネル展、保護者の感想より)
T君は、その後、活動に熱心で、5・6年生の2年間この委員会に入り活躍し
た。
4
いつでも、どこでも、だれでも(世界友達デー)
約 1 カ月のキャンペーン活動後、委員会でこれから、どんな活動ができるか、
全校児童の感想をもとに、意見を出し合った。だれもが、いつでも学習ができる
ように、次の取り組みを決めた。(1)毎月15日を「世界友達デー」とする(2)毎
月の14日に、発展途上国の貧困、保健、栄養、教育の問題やその原因、自立復
興への努力、民族固有の文化のすばらしさ、障害がある人々の努力をテーマに、
ビデオ、写真パネル、自作の紙芝居、ワークシートで学習をすすめる。そして、
「自分の生活とくらべてどう思ったのか」
「自分たちでできることは何か」を意
見や作文に表す。(3)15日に一円玉募金や古切手集めを各教室でおこなう。
この活動は 8 年間続けた。継続的な取り組みにより「かわいそう」
「日本に生
まれてよかった」という意見から出発した児童が自分の生活や生き方を見つめ
はじめた。
5 人の心は通い合うものだ(世界の子ども絵画展、外国の子どもに絵を贈る
活動)
「アジアやアフリカの子と友達になってみたい」
「元気に仲良く、遊んでみた
い」全校児童の感想文のなかには、偏見や差別意識を乗り越えたものがあった。
こんな願いをかなえる方法は、ないものだろうか。委員会の児童と話し合った結
果、まず、
「世界の子ども絵画展」と題して、世界中の子どもたちが描いた絵を
校内に展示することにした。
ぼくの家では、お父さんが仕事で帰りがおそいので、ほとんど、お母さんと二
人で食事をします。おかずは、たくさんあって、おなかがいっぱいになるけど、
なんだか、おいしくありません。パラグアイでは、食事は少ししかありません。
でも、家族みんなが、そろって仲良く楽しそうに食べているので、きっと、おい
しいと思います。(4年生絵画展感想より)
この活動をしているうちに、「外国の子どもたちと絵を通して、交流したい」
という意見が出てきた。小学生には、言葉の壁があるが、絵でなら気持ちを伝え
ることができる。1年間の奔走後、まず、フランスの小学生との交流が実現した。
本校児童の絵は、パリ、ボノイユ、フランメニル市の学校を回り、相手校のマラ
コフ市、アンリ・バリビス小学校の子どもに贈られた。そして、活動はモスクワ
やインドネシアの小学校へと広がった。
日本を知ってほしい、友達になってほしいと一枚の画用紙に描き込んだ。その
後、返事が来たときは、うれしさで胸がいっぱいになった。言葉や風俗が違って
も人の心は通い合うものだということがはっきりわかった。世界平和を願って、
たくさんの子どもと交流をもてば二十一世紀には不幸な子どもはいない地球に
なると考えるようになった。(六年生)
6
世の中が広く感じられる
N君は3年生の7月に両足が突然、動かなくなった。ギランバレー症候群とい
う難病だ。10カ月間の闘病後、松葉づえで歩行できるまでに回復し、登校も許
可された。
「足のことで、いじめられたりしないだろうか」学校へ通える喜びと
同時に、こんな不安があった。気乗りしないまま、母親に付き添われて学校の前
まで来ると、学級の児童全員が彼を迎えてくれていた。肩をかしてくれる友達も
いた。早退するとき、だれかが、
「明日も必ず来いよ」とさけんだ。N君は世界
友達デーで学んだ片足でもサッカーの選手を目指しているインドの少年の姿に
も励まされたという。そして、4年生のおわりに次の詩を書いた。
「ぜったいだよ」
「あした、つりぼりに行こうね」
山来君たちとの会話を思い出す
うれしくなってくる
あすも遊ぶぞ 生きるぞ
いい気持ちになってきた
世の中が広く感じられる