2014 年(平成 26 年)11 月 11 日 校長講話 「ラインの一言が誤解されていじめに発展」 おはようございます。8 日の土曜日に千曲川河川敷一斉清掃が 7 時頃から約 1 時間行われ ました。この日、長野では初氷が観測されるなど大変寒い朝でしたが、50 名近くの皆さん がボランティアとして参加してくれました。12 日には、ゴミ拾い登校が行われます。自宅 から学校までの道すがら、道ばたのゴミを拾って登校するという大変地味な活動ですが、 生徒会が中心となって自発的に全員で取り組むというところに意味があると思います。2 年 生の学年内選挙が行われ、生徒会も 3 年生から 2 年生へと引き継がれようとしています。 ぜひ、地味ではあるが、自発的に全員が取り組む活動をこれからも大切にしていってほし いと思います。 さて、この前星沢さんのお話を全校で聞きましたが、その後、差別や人権についての学 習は進んでいるでしょうか。先週の土曜日、長野市民新聞に「見えないいじめ ラインの 一言が誤解されて発展」という記事が載りました。ラインは連絡を取り合え、つながれる とても便利なコミュニケーションツールです。皆さんの中にも、パソコンやスマホでライ ンを使っている人がいるかと思います。このラインでいったい何が起きたというのでしょ うか。 中学校に入学したAさんは中学校生活にも慣れ、友達同士でメールアドレスを交換する ようになりました。Bさんからラインで友達になろうと誘われたAさんはうれしくて「う ん、やる」とスタートしました。次第にラインを通して友達が増えて、グループラインの 輪が広がっていきました。あるとき、Aさんがよかれと思って「○○さんはそういうけれ ど、それは違うと思うよ」といったメールを送りました。グループの仲間から「なに言っ てるの、あんたの言っていることがおかしいよ」と返事が来ました。グループの他の子か らも「何かコメントしなよ」「何で返さないの」と次々と返信が来ました。 なにも返せないまま次の日学校に行ったAさんは、いつもと違う雰囲気に気づきました。 批判的なひどいことを送った子だとうわさが広がり、クラスの仲間の目線も冷たくなって いました。Aさんは教室に居づらくなり登校できなくなってしまいました。Aさんは、携 帯の文字だけの世界によって追い詰められ傷ついてしまったのです。 これは、ラインの一言が誤解され目に見えないいじめに発展した事例です。同じような ことが皆さんの中にはないでしょうか。ラインを使わなくとも、教室や部活動の中で、ち ょっとした一言の誤解や決めつけがお互いの人間関係を崩してしまっていることはないで しょうか。「たまたまこう思うよ」と発信した一言がいじめに発展したのではあまりにつら すぎます。 いじめや差別を受けている人の心はどんな状態でしょうか。ここに風船があります。こ の風船をどんどん膨らませていったらどうなりますか。そう、最後には破裂しますね。い じめや差別を受けている人の心も同じです。悩み、傷つき、自分なんか生きていても仕方 がないという気持ちがどんどん膨らんでいきます。誰かが見つけ、止めなければ、この風 船のように、いじめや差別を受けている人の心は破裂してしまうのです。 いじめや差別を受けている人をみて「かわいそう」という人がいます。「かわいそう」と いう気持ちの裏には「自分でなくてよかった」という第三者的な、他人事な気持ちが隠れ ています。「かわいそう」という気持ちではいじめや差別はなくならないのです。 ではどうしたらよいのでしょうか。ここにコップに入った水があります。まず、このコ ップに入った水を一番おいしく飲む方法を考えてください。氷を入れて飲む。たしかに冷 たくなっておいしいですね。もっとおいしく飲める方法はないでしょうか。それは、グラ ンドを 10 周なり 20 周してきて飲んだらもっとおいしいと先生は思います。何を言いたい のか。氷を入れて飲むという考え方は、いじめや差別を受けている人にああしろこうしろ、 あなたが変わりなさい、という上から目線の考え方です。それに対して、グランドを走っ てくるというのは、水を変えようとしているのではありません。いじめや差別を受けてい る人を変えようとするのではなく自分が変わらなくてはいじめや差別はなくならないので す。それが、相手の立場に立つということだと先生は思います。みなさんはどう思います か。 (引用記事:長野市民新聞 11/8(土) 自己カウンセリングの勧め 五十嵐美智恵)
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