Untitled - ワンワールド・ワンピープル協会

スリランカ行動マップ
ホームスティして
幼稚園つくり
ポロンナルワ
ケゴールの障がい者
施設を訪問
仏歯寺&
象の孤児院
マントラビニア
準備で滞在
フリータイムに
ゴールを訪問
内容
宿泊地
6日
月
出発(米澤、宮道、石橋、藤倉)
スりランカ航空で 19 時空港着
7日
火
コロンボで買い物、列車チケット購入
マントラビニア
8日
水
土産店下見、運動会・日本食パーティ用品購入
マントラビニア
9日
木
京都組(磯貝、土居、大久保、穂井田、落合、 長田)到着
マントラビニア
10 日
金
朝早く列車でポロンナルワ県へ、アリス幼稚園訪問、 ホストファミリーと対面
ヒングラックゴダ
ロタウエワ村
ホームステイ&シュラマダ―ナ(幼稚園つくり)、ドナーの佐藤さん一家臨席で給水施設オープ
11 日
土
同上
ニング
ホームステイ&シュラマダ―ナ(幼稚園つくり)、
12 日
村はずれの川で水浴び、飛ぶキジを
日
同上
発見
13 日
月
女性はみんなサリーを購入、メディリギリヤへ
ヒングラックゴダ
14 日
火
ドリトル幼稚園(メディリギリヤ)で英訳絵本と本箱を寄贈、シンハラ語で紙芝居を初演
ヒングラックゴダ
15 日
水
ロタウエワ村に戻り運動会、アローメディカルご寄贈の給水設備(メディリギリヤ)オープニング後
サファリパーク
に、キャンプへ。途中に数頭の野生象と遭遇、一時避難、水牛と一緒に水遊び
16 日
木
休息日
CIC アグリホテル
17 日
金
リンゴの木幼稚園(メディリギリヤ)完成式、英訳絵本寄贈
ヒングラックゴダ
18 日
土
スカイプで中央区とスリランカの子ども達と交流後、シンハラ語紙芝居、生活教材などの製作
スサンタ町長宅
意図を説明、折り紙教室、先生と教育談義、夜は町長に招待さてパーティ、楽団、出前調理付
一期一会幼稚園の完成式にサリーを着て登場、大喝采。日本食を作って、
19 日
日
ヒングラックゴダ
お世話になったホストファミリーや村の人たちをお招きし振る舞ってお別れ
フリータイム開始、世界遺産シーギリヤをお訪問。寄木ご夫婦の井戸完成式に出席、キャンデ
20 日
月
キャンディ・ホテル
ィで旅の振り返り
キャンディの世界遺産、仏歯寺、象の孤児院へ。京都組はマントラビニア、
21 日
マントラビニア
火
東京組はケゴールのサナさん実家でホームスティ
ケゴール
京都組はコロンボ観光と買い物/東京組はケゴールの障がい者施設を訪問、エレファンライ
22 日
水
マントラビニア
ド
23 日
木
京都組が夜帰国
マントラビニア
24 日
金
高速道路でゴールフォートへ、暮れるまで夕日を堪能
ゴール・ホテル
25 日
土
午後、高速道と一般道路に分かれてマントラビニアへ
マントラビニア
26 日
日
荷造りして夜に空港へ
27 日
月
日本着
機内
2012年メンバーの横顔
長田玲奈
子どもはたくさん欲しい。育児は他の人にやってもらいた。と、本
音を口にする。一挙一動が、多様な価値を知らせてくれる貴重な人
だ。スリランカから帰って「かわった」と本人。スリランカと頻繁
に交信して「わたし、こんな まめやったかなぁ」と新たな自分を
楽しんでいる。
石橋佑奈
スリランカが初海外。そう決意した!おとなしそうに見えるが、
実は・・・言う時は言うしっかり者。なんでも楽しい~と連発の
スリランカ。スリランカの生活に一番順応していた。ツアー中ず
っと元気だったのに、日本に帰って日本に順応するのに体調壊し
たひとです(>_<)
米澤智恵子
かの米澤三兄弟の母。今回の旅では、さまざまな場面で人生の
知恵や経験で、メンバーを助けてくれました。シーギリアにも
一緒に上るタフネスさも兼ね備え、何事にもチャレンジ!米澤
家は皆酒豪らしく、米ははもアラックを難なく飲んでいまし
た!(^^)!
宮道淳
可能性を開き続けた3週間。もっとも得した、いや今も得し続けて
いるジュンジュン。会長の鈴木さんの「一言、一言に」敏感に反応
し、気づいたことを口にする。これからどんなことになるのやら。
楽しみ!
落合晃子
初日にダウンしたベットをホームスティ先の家族全員が取り囲み、
頭を揉み、腕をさすり、献身的な介抱で回復。一方プライバシーは
全くなく、もう何処ででも生きていける自信がついたと!いつも口
を大きく開けて美味しそうに食べるので、ニックネームは「おおぐ
ち」さんに。
2012年メンバーの横顔
磯貝晃子
一見、クールビューティーかと思いきやその素顔は皆も驚く「ワ
イルドあきこ」!常に場の雰囲気を盛り上げてくれ、無茶ブリ
にも動じず。歌ってみたり踊ってみたりの、愉快な尾張娘。子
供たちからも大人気な「先生」の一面も。
「かたつむりの会」の
リーダーでもある。
土居磨奈
しっかり者で、姉御肌の様で、落ち着いている。しかし、ハチ
ャマチャな大騒ぎ願望もどこかである様で、これから殻を破っ
て、ニュウまなの誕生も、近いかもしれない雰囲気が漂う。
大久保早織
結構こわい。が忘れん坊なとろころもあって、頑張り張り屋さ
んで、面白い。一眼レフを何時も抱えいるカメラ女子、子ども
をパシャリ。女子会話は留まるところなしとか。
穂井田碧海
オープンマインドで、とことん開放的と思いきや、とても繊細。
人の話は右から左かとおもったら、一番よく聞いていた。
☆現地サポーターの紹介☆
◇バンダーラさん:ドライバー兼コーディネーター
古くから OWOP をサポート。単なるドライバーの領域を超えて、ツアーコー
ディネーター・カメラマン・シェフ・ダンサー(かなりの腕前)としてツアー
もサポート。OWOP にとって欠かせない存在。お裁縫が得意で天ぷら好きな
奥さんのニローシャニさん、娘のヴィヌリちゃん、生まれて間もない息子のミ
ノール君 の前ではすっかりパパの顔に。
◇サンパスさん:北中央州議会議員
お酒、お肉 OK です。今回のツアーの期間は選挙活動中だったため、直接の
交流はほとんどなし。しかし、サファリキャンプではサンパスさんのサポー
ターのフォローのお陰で、多くのピンチを切り抜けられました。日本のお米
が大好きとのこと。
◇スサンタさん:ヒングラゴダ町議会の議長
お酒、お肉は飲み食いしないベジタリアン。毎朝の Y シャツのアイロンがけ
は欠かさない。町内の下水処理施設改善のために日本の視察に訪れている。
今回のツアーではホームステイや CIC ホテルの手配、ご自宅での音楽会にも
招待してくれました。好きな日本語は「いらっしゃいませ~!」。ツアーメ
ンバーの中には、選挙キャンペーン用のスサンタさんの顔入り T シャツ(通
称スサン T)をもらった人も。また、彼の親衛隊の皆さんにもさまざまなサ
ポートをしてもらいました。
◇マヒンダさん:OWOP のサポーター
日本にも滞在経験があり、日本語も堪能。今回のツアーでは、象の孤児院の
案内や長距離ドライバーとして活躍。ご自宅にも1泊ステイさせてもらいま
した。お母さんの作る「ゴトコラのお粥」は絶品!兄のサナさんも OWOP の
長年のサポーター。
サルボダヤ
Sarvodaya 訪問
石橋 佑奈
サルボダヤでは、孤児院、乳児院、聴覚障害を持った人達の職場を、見させてもらいました。私
は発展途上国で、このような施設があることも知らなかったので、とても驚きました。施設は、ど
こもきれいで充実していました。開発の現場を間近で見ることができてよかったです。世界はきっ
と変わることができる!と思いました。もっとサルボダヤについ勉強したいと思いました!
サルボダヤシュラマダーナ運動
40年前に学校教師であったアリヤラトネ博士によって設立され、国内1
万3千の村へ拡大。サルボダヤは、人々の生活の質を向上させるために、
西欧流の経済開発と異なるスリランカの伝統的な価値観を大切にした人
間中心の開発を推進。住民参加型の自立を促す開発を進めている。
ホームステイ
米澤 智恵子
全く知らない日本人を家に泊めるって、よく考えたらとても大変なことなんですよね。
スタデイツアーではそれができるのが魅力でもあるのですが、言葉や、生活スタイルの違いから不
安でもありました。 何とかなると飛び込んだ私ですが、やはり言葉の壁は大きいと強く感じまし
た。
色々とお話したいのに、いつもお喋りな私が・・・必要最低限の単語と動詞・形容詞を指差し本を
片手に、必死に伝えました。少し通じると、何倍も言葉を返してく
れるのですが、それに応えられないもどかしさ。次はもっとシンハ
ラ語が話せるようになって来るぞ!!
ロタウエワ村
住
民:1340 人(340 世帯)
申し訳ない気持ちでいっぱ
子ども:147 人
いの私に、朝起きて寝るまでいつもそばでお世話してくれた、タキ
幼稚園児:41 人
シリアとアンマ。最後の夜には、アンマが私の為に詩を作り、歌に
主な職業:農業
して贈ってくれました。感謝の気持ちで胸がいっぱいになりました。
平均年収:5400 ルピー
こんなあったかいスリランカの人達に、自分らしく何かを返せる
肝臓病患者が多い
ような生き方をしたいと、強く感じたのです。
快適な沐浴場兼
洗濯場兼洗面場
コンパクトな薪のかまど
年齢も私とほぼ同じの
アンマとタッターと娘のタキシリア
幼稚園づくり
大久保早織
一つひとつのレンガがみんなの手に渡り、積み重なって枠組みがで
きていく。現地の大工さん、村の住民、私たち、みんなでつくる子ど
もたちの空間。夏の炎天下の中誰も文句一つも言わずひたすら作業を
行う。なぜなら、完成した時の子供たちの
喜ぶ顔が思い浮かんで、そんな気持ちが活
力となっていたからである。
「ウダウ カラナワ」=手伝う と積極的に
声をかけ、大工さんのコンクリートをレンガの間に塗っていく作業にも
取り組んだ。幼稚園づくりは、村の全ての人々の願いや希望が込められ
ていた。私たちは、ほんのわずかかもしれないがそんな願いや希望を形
にするお手伝いをした。それは、私たちにとってとても貴重な経験であ
った。何より喜ばしいことは、全ての人の想いが幼稚園づくり完成へと
繋がり、その繋がりが子どもたちの笑顔そして将来へと繋がるきっかけ
となったことである。完成式、完成した幼稚園、元気よく走り回る子ど
幼稚園の土地を寄付
した叔母さんと
もたちを見て本当に嬉しかった。想いを形にすることは、想いをつなぐ
ことなのかもしれない。
スポーツフェスティバル
穂井田碧海
スリランカ運動会の種目などは、skyp ミーティングで話し合って決めました。話し合いでは「運
動会といえば何?」という藤倉さんの質問にみんなリレー・台風の目・ムカデ競走・パン食い競争・
騎馬戦・シッポとり・借り物競走などなどたくさんの種目があがりました。しかし、話し合ってい
く中で、運動会の醍醐味は「応援だ」と気付きました。高校の体育祭を思い出してみても、競技を
楽しむのはもちろんですが、声をからしながら、うちはやポンポンを持って、学年は違うけれど同
じチームの子を応援する楽しさ。この日本の運動会の雰囲気だけでも伝えられたらいいなと思い、
「ポンポン」を作ることにしました。本当は運動会定番 BGM を流したかったのですが実現しませ
んでした。
当日は、スリランカの種目にも参加しました。風船を膨らまして、割った人からアメを取りに行
くゲーム。棒にまたいで、相手を先に落とす、かなりハードなゲーム。 印象的だったのが、つる
してある2つのツボを目隠しをして棒でたたいて割るというゲーム。スイカ割りのような内容です。
私は応援で「もうちょっと右、左!」と指示していたのですが、
「ダメ」と注意されました。あと、
ツボの中身は両方水だと思っていたのですが、もう1つは濃いインクが入った水でした。正直、こ
れを頭からかぶったことを考えるとゾッとしました。しかし、メンバーの動きが面白くて、楽しか
ったです。
日本側は、シッポとり・リレーをしました。やはり印象的なのはリレーです。スリランカ人の足
の速さに唖然としました。私も参加したのですが、想像した通りの結果に終わりました。
運動会は、本当にいい体験ができました。ポンポンもって名前を呼んでシンハラ語で「がんばれ
~!ふぁいと~!」とみんなで叫んで、ぴょんぴょんとんで、たのしい思い出です。 反省点はタ
タタ~ン♪の運動会 BGM を流せなかったこと。そして、チームをつくらなかったことです。白組・
紅組日本人も混ざって、団体戦にすればより盛り上がったのではないかと思います。また参加した
いです。
サファリキャンプ
≪キャンプの前に・・・≫
土居磨奈
みんなで大きな河で遊びました!向こうの方では水牛やらヌーやらが水浴びをしていました。みん
なビッショビショ。まるで野生です。バンちゃん、チャーマラが少年に戻ったかのように、かつ大
人げなく、水の掛け合いや潜水をしたり。一方で、きれいな石を探す人も。水遊びに夢中になって
いる最中、誰かの何かがカラスに持っていかれたりするハプニングも!何がカラスのエジキになっ
たのかは、結局分からずじまいでした。何だったのでしょうね。気になります。
≪キャンプ地へ GO!≫
キャンプする場所までバンちゃんの運転で GO!GO!
途中で野生の像に遭遇しましたね。私(土居)は運転手バンちゃんの彼女席(助手席)に座ってい
たので、象が大きな鼻を左右に揺らしながらこっちに向かって走ってくるのを見ておりましたが、
死の危険を感じつつも心の中で「スリル満点ダナー」ととんでもないスリルを楽しんでいました。
妙な余裕を持って、運転席のバンちゃんをパシャリ。
≪やっとキャンプ!!!≫
象への厳重な注意の末、キャンプ地に辿り着いた頃にはもうあたりは真っ暗です。
みんなヘトヘトでお腹もペコペコ。ここでの驚きはスリランカの男性陣が夕食をテキパキと作って
くれて、しかもすごく美味しいことでした!
食後、スリランカの太鼓を叩いてのお祭り騒ぎ。米母のダンスにはバブル期を感じました。米母が
一番ハジけていたし、そりゃあもう見事なダンスでした。
朝が近づいてくると、みんなそれぞれにムクリムクリと起床。私は一番に起きて河で髪の毛を洗い
ました。私の中の野生が目覚めた気がします。
アーユルヴェーダ
長田玲奈
みんなの希望で行くことに決まったアーユルヴェーダ。急きょ行くと決まったのがサファリの次
の日。サファリでは川で水浴びしただけだったし、疲れていたのでゆっくりできてよかったです。
ヘッドマッサージ、ハーブサウナ、オイルマッサージ、感想は気持ちよかった、痛かった、熱かっ
たなど人それぞれ。私は日焼けで皮がボロボロにめくれていたところをきれいにしてもらえたので
満足でした!日本でするととても高いそうなので、安く体験できてよかったです。
Skype 交流会
磯貝晃子
Skype 交流
東京都中央区の「イナッこ夏休み体験教室・国際交流」に参加し
た親子とスリランカの子どもたちと Skype でつなぎ、互いに質問し
合った。初めて体験する Skype にチョット緊張でしたが、日本から
「アユーボーワン」と呼びかけ、食事や遊びのことなどをお互いに
質問するうちに笑顔が戻り、日本とスリランカの距離がグッと近く
なったような感覚だった。
質問タイム(スリランカの子どもたち×ツアーメンバー)
「なぜ日本人の女性はピアスなどのアクセサリーをあまり身につけないのか」
という質問などから、日常の何気ない生活、お互いの文化の違いに気付く良い
機会だった。
かたつむりの会プレゼンテーション
かたつむりの会お手製の“紙芝居”と“フェルト絵本”そして米母お手
製の“エプロンシアター”を小学校の先生に向けて英語で紹介を行った。
紙芝居とエプロンシアターでは、シンハラ語で実演をした。小学校の先生
方や子どもたちがどれも大変熱心に耳を傾けていたのがとても印象的で
あった。筆者(磯貝)が一番心に残ったのは、シンハラ語による紙芝
居の読み聞かせである。
「ウンバーウンバー」と声を牛の鳴き声を恥ず
かしさ忘れて全力で真似たとき、子どもたちから「ワハハハッ」と笑
いが起こった。
このときの子どもたちの笑顔と場の楽しい雰囲気は、とても心地よかった。その後の折り紙講座
では、鶴や飛行機を折って遊び、子どもたちとの距離がぐっと近くなり、とても素敵な時間を過ご
すことができた。
日本食パーティー
同志社女子大学 学芸学部
国際教養学科 1 回生
落合 晃子
スリランカの方々のお口に日本食は合うだろうか。日本食を気に入って喜
んでいただけるといいな。大量の日本食を失敗せずに作れるだろうか…。そ
んなことを考えながら臨んだ、村での日本食パーティーは大成功のうちに終
わりました。その日は、たまたま米ははが体調を崩されていて一番頼もしい
方が不在での調理ということで不安も大きかったけれど村の方々に見守ら
れながら日本食を作るのはとてもわくわくしました。調理をしていると、
「まだか、まだか!」と
子供たちが目を輝かせながら近づいてきました。
「危ないから離れていてね。
」と言っても何度も近
づいて横で飛び跳ねる子供たち。きっと初めて食べる日本食に胸を躍らせてくれているのだろうと、
嬉しく思いました。調理の途中、
「これは失敗してしまうかな?」と不安になった状況もありまし
たが、とても美味しそうな焼きそばや炊き込みご飯、おにぎりやチョコバナナが完成しました。わ
たしたちが味見する分もないほど、できあがるとすぐに日本食は村の方々が食べきってくださいま
した。2 回も並んでおかわりしてくださる姿に、ほっとすると同時に感謝の
気持ちでいっぱいになりました。チョコバナナよりも焼きそばや、炊き込
みご飯の方が人気だったのには驚きましたが日本食を食べる村の方々のキ
ラキラした笑顔を見ることができて幸せな時間でした。
同志社女子大学 国際ボランティア部「かたつむりの会」
磯貝晃子
かたつむりの会では、手作りのフェルト絵本、紙芝居、英訳した絵本、そしてそれらを収納する
本棚を贈呈しました。今回はドリトル、りんごの木、完成した幼稚園、他2ヶ所を含む5つの幼稚
園に贈呈しました。
これからもスリランカの子どもたちのために素敵な教材を手作りしていきます!
ドリトル幼稚園
子どもたちの歓迎の踊り
ドリトル幼稚園に到着するとキャンディーのお祭りであるペラヘラの衣装を来た子どもたちが
幼稚園までの道のりを誘導してくれました。その後も様々な踊りや出し物を披露し、歓迎してくれ
る子どもたち。たくさんの笑顔と元気をもらいました。
かたつむりの会の手作り教材と本棚の贈呈
同志社女子大学かたつむりの会で制作した紙芝居やフェル
ト絵本、今回は現地調達したシンハラ語の絵本やそれらを収
納する本棚も贈呈しました。なんとなく日本の幼稚園に近づ
いた気がします。これから子どもたちが使ってくれるのが楽
しみですね。
シンハラ語の紙芝居とエプロンシアター
魔法の筆という紙芝居をシンハラ語で初披露!シンハラ語
の練習はサナの協力のもと、日本にいるときから、何度も行い
ました。何が始まるのだろう?と子どもたちは興味津々でした。
また、米母手作りのエプロンシアターは、大好評!
「うんとこしょ どっこいしょ」の掛け声は子どもたちも気に
入ったみたいです。
マルモリダンスの披露
「マルマルモリモリ・・・」の曲に合わせてみんなで踊りました。
その後子どもたちは、パソコンで芦田愛菜ちゃんと福くんの
映像を何度も何度も見ていました。
フリータイム
シーギリヤ
世界遺産
米澤 智恵子
実父から王位を剥奪し、弟の謀反を恐れて岩山の頂上に王宮を建てたカーシャバ王人間の野望と
悲しみに満ちたシーギリヤロックではあるが、スリランカの歴史の一面を感じながら、頑張って登
った岩山の上は、風の音だけが響き渡り 360 度の絶景が、人々の心を安らがせてくれる。
ここはお勧めと息子に言われ、大丈夫と鈴木さん達に心配されながら、何としても登りたかった。
頂上で見た景色は、最高でした。でも王宮が残っていてもここでは暮らせないかも・・・・
遥か先のシーギリヤロ
ック目指して・・・
シーギリヤ・レディの壁画
延々と続く階段は、結構きつい
けど、先には感動が・・
キャンディ
同志社女子大学 学芸学部
国際教養学科 1 回生 落合
晃子
想像を遥かにこえる立派な佇まいの仏歯寺があり、わたしたちがキャンデ
ィダンスを鑑賞した地であるキャンディはホームステイをしたヒングラゴッ
タとは雰囲気の全く異なる地域でした。海外からの旅行客など様々な人種の
方々が交わり、とても活気に満ち溢れていました。ス
リランカでは歓迎の踊りなど様々な種類と数のダンスを見せていただく機会
がありましたがその中でもキャンディダンスはとてもファンタスティックな
踊りでした。ダンス公演終了後、炎の中をダンスして渡りきるというパフォ
ーマンスが強く印象に残っています。
★ケゴール★
宮道 淳
ケゴールでは、OWOP サポーターであるマヒンダさんのお宅にお邪魔さ
せてもらった。朝食では「象が見つけた秘密の薬草」とも呼ばれるゴトコラ
の葉を使った、マヒンダさんのお母さんお手のお粥「ゴトコラカンダ」も食
べさせてもらった。日本でいう味噌汁のような存在のスープである。
また、チャレンジドの人たちが生活する施設を訪問した。多くの利用者の方とコミュニケートし、
そこで暮らす人の雰囲気を感じられた。車で乗り入れるのも難しいほど険しい山間部という立地に
もかかわらず、地元住民だけでなく遠方からもスタッフとしてサポートしに来ていることには心を
打たれ、日本も学ぶべき点が多いと感じた。しかしその一方で、井戸が機能しておらず、養鶏所も
手付かずのまま放置されているといった状況を目の当たりにして、改善すべき課題も存在するのだ
と気付かされた。今後の日々の生活では、現地で感じたさまざまな感情や心情を忘れずに、自分の
役割とその実現方法を問うていこうと思う。
そして、象にも乗った。ここで語り切れないほど刺激的な体験だっ
たので、是非これからスリランカに行かれる方には強くお勧めしたい。
そう、ズバリ「This is the elephant」なのである。
Galle
石橋佑奈
ゴールはヨーロッパ人が南アジアや東南アジアに建設した城塞都市の典型的な例であり、ヨーロッ
パ建築と南アジア地域の伝統が混在しています。
ゴールでは時間を気にせず、のんびり、ゆったり過ごしました。岬からの夕日には心を奪われ、し
ばらく眺めていました。心が洗い流されて、きれいになった気がしました。絶対にまた行きたい!
と思える素敵な場所です。
☆現地の人とのつながり☆
今回のツアーでは、数多くのスリランカ人と出会い、交流した。
まず忘れてはならないのが、我らが“バンちゃん”ことドライバーのバンダーラさんだ。長い旅
程の中で、ドライバーという域を超えてツアーメンバーをサポートしてくれた。彼は誰よりも鈴木
さんの考えていることを理解し、一歩も二歩も先読みしていた。その気遣いと思いやりは日本人顔
負けで、その分バンダーラさんに頼りすぎてしまった面もあった。しかし私たちは、彼から多くの
ことを学び、本当の意味でのホスピタリティを肌で感じさせてもらった。時には、食事や仏教上の
マナーなどについてハッキリと指摘してくれ、単なる観光客ではなくファミリーとして受け入れて
いることを感じ、とても嬉しかった。そんな彼のことが、皆大好きである。
また、スサンタさんもこの旅を語る上で欠かせない一人である。ヒングラゴダ町議会議長である
彼は、ホームステイのセッティングや音楽会への招待など、さまざまな面でサポートをしてくれた。
しかし、最も感銘を受けたのが、彼の心遣いである。予定通りにプログラムが進まなかったり、コ
ミュニケーションがうまく取れなかったりすることもあったが、その度に彼は「大丈夫ですか?」
とメンバーの気持ちを配慮してくれた。そんな姿に私は、「普段の生活の中で周囲の人に心を配れ
ているか?」と自分自身を省みた。忘れがちだが大切なものを、スサンタさんが思い出させてくれ
たような気がする。
この他にも、サファリキャンプの手配をしてくれたサンパスさんや、ムー
ドメーカーとして盛り上げてくれたチャーマラ(サンパスさんの秘書)をはじ
めとする数多くの現地サポーターにお世話になった。習慣や文化の違いによる
戸惑いや人間関係上の感覚のギャップなどもあり、万事がうまくいったわけで
はなかったが、全体としては良い交流が出来たと思う。今後も、スリランカで
出会った人たちと何らかの形でつながりを保っていきたいし、そう思わせてく
れるのが、スリランカンの人柄なのだと感じる。
ムードメーカーの
チャーマラ
ツアーメンバー体験記
スリランカスタディツアーを終えて
同志社女子大学現代こども学科3年
磯貝晃子
今回、このスタディーツアーに参加する
心をこめてと意識して読んだ。子どもが
にあたって 2 つの目的があった。1つは、
小学生ということもあり皆しっかりと聞い
大学で所属している「かたつむりの会」で
制作した紙芝居や絵本を自分たちの手で直
接幼稚園へ届けること。もう1つは、日本
と違う文化や価値観に触れて、自分の“も
のさし”を増やすことだ。
私がスリランカで過ごした中で特に印象
に残っていることは2つある。
1つ目は、シンハラ語での紙芝居の読み
聞かせである。これは、かたつむりの会で
てくれていた。そして私が「ウンバーウン
作った紙芝居を渡すだけではなく、実際に
バー」と牛の鳴き声のセリフを恥ずかしさ
子どもたちに披露し、子どもたちの生の反
を捨てて牛に似せて声を出したとき、子ど
応を見ることで、活動の意義と活動をより
もたちから「わははは」と笑いが起こった。
良いものにする材料を得たからだ。シンハ
私が伝えたかったことが伝わった瞬間。
ラ語の練習は出発前からサナさんやマヒン
「やったー!」と嬉しさが込み上げてきた。
ダさん家族が協力してくださった。
自分も楽しんで読むことができたと思う。
いよいよシンハラ語の紙芝居を披露する
また、低学年の先生の具体的な感想も聞き、
時だ。1回目はメディリギリヤのドリトル
年齢ごとにどんな内容や長さが良いのか知
幼稚園で行った。何が始まるのだろうと子
ることができた。それらはこれかのかたつ
どもたちは、気になる様子でこちらを見て
むりの活動の発展に重要なヒントになった。
いた。
「エァータイッサラ・・・」読み進める
実際の子どもたちの様子や生の声、幼稚園
に連れて、集中して聞いている子もいれば、
の環境を見て、私たちがつくる教材にまだ
飽きてしまっている子どももいた。やはり
まだ改良が必要だと分かった。このことを
初日は課題がたくさん残った。①読むこ
今回参加できなかったメンバーに伝え、一
とに集中して、子どもの顔をあまり見れな
緒に考える。それが私の使命だと感じた。
かったこと②緊張して棒読みになってしま
2つ目は、村でのホームステイである。
ったこと③紙芝居の内容が幼児には少し難
私たちのホームステイは、ホストファミリ
しかったことなどである。紙芝居の内容を
ーが私たちの中から誰を連れて帰るか選ぶ
伝えただけで、面白さを伝えていない、何
というドキドキするスタートであった。
より自分が楽しんでいなかったと反省した。
後でみんな口を揃えて言っていたが、メン
これら反省点を心に留め、ヒングラゴダ
バーそれぞれの性格に合った家族のもとに
の小学校でリベンジした。楽しく、面白く、
行けたと感じた。偶然なのか必然なのか分
からないが、私は運命だったと思う。私を
たライフルを持ったお巡りさん、お世話に
選んでくれた家族は、英語をしゃべれる人
なったスサンタサン一家、訪れた幼稚園や
がおらず、戸惑った。しかしお母さんたち
学校の子どもたち、ドライバーのバンダー
の暖かさと子どもたちの人懐っこさですぐ
らさん、スリランカの人たちはみんなみん
に打ち解けることができた。
な温かく、前向きである。困難なことでも、
村のライフスタイルはすぐに慣れた。外
一歩踏み出してチャレンジする、人から頼
の溜池からバケツで水を組んでそれを浴び
みもすすんで受けいれる“Yes マン”に私
るのは、予想以上に気持ちよく、紙を使わ
もなろうと思った。また村での近所付き合
ず、左手を使うトイレも全く抵抗がなかっ
いの深さなど、日本でどんどん薄れていっ
た。ご飯の量がとても多く、食べきること
ているものがそこにはあった。
が大変だったため、一番最初に覚えた言葉
は“タピリラ”お腹いっぱいだった。
サファリキャンプでは、野生の象に追い
かけられるというハプニングに合う。大自
ホームステイは人の暖かさ一番感じた。
然の驚異に感動するとともに、人間は決し
幼稚園づくりの手伝いから帰ってきたとき、
て主人公ではなく自然の一部なのだと身を
98歳のおばあちゃんが私のもとへ来て
持って感じた。
「よく働いてくれたね。あんたはいい子だ
最後に、一緒に参加したメンバーにも感
よ」と頭を撫ぜてお小遣いのようなものを
謝したい。私たちメンバーはみな性格が全
くれたこと。ミネトマとミンドリが遠くか
然違い、それぞれに良さがあった。そのた
ら私の姿を見つけた瞬間、
「あっきこー!」
め自分と比較して、考えたりすることもあ
と言って一生懸命私の元へ走って来てくれ
った。自分の得意なこと苦手なことなど、
た光景。最後の夜お母さんの横に座って、
普段見えてこなかったことが見え自分を客
指差し会話帳を見て日本語で「ありがとう」
観視することができた。そして新たな自分
と書いてくれたこと。別れの日に「あなた
を目指して頑張ろうと思えた。
は私の娘だよ。ここはあなたのお家だよ。」
スリランカでの出会い、日本でのこのメ
と涙を流して言ってくれたこと。これらは
ンバーとの出会いがきっと自分を成長させ
一生忘れることのない最高の宝物だ。
てくれていると思う。そして、この素晴ら
今回のツアーを通してたくさんの出会い
とハプニングがあった。電車で仲良くなっ
しい体験をどう経験に変えていくかは、自
分にかかっていると強く感じた。
スリランカスタディーツアーを経て
同志社女子大学社会システム学科3年
土居 磨奈
私は今回のスリランカが初めての海外で
ランカについてよくよく調べてみると日本
した。初めて行く外国がスリランカ、しか
とは比べ物にならないほどに野性味あふれ
も主な言語はシンハラ語で話せない。スリ
ていてサバイバルな感じ。
「お腹を壊してそ
のまま死ぬかもしれない」と青くなりまし
かい人たちばかりでした。ホームステイ先
た。もともと衛生的に潔癖なところがある
では、私を家族として向かい入れてくれ、
ので「これはヤバいぞ」と思い、スリラン
孫として、娘として、お姉さんとして、い
カに行くまで、普段の日本の生活を少し雑
っぱいの愛情をもらいました。カタコトの
に過ごしてみたりもしました。実際、スリ
英語でありながらもお互いを理解し合おう
ランカに行くと、川でお風呂に入るまでに
と、たくさんお話しました。一番嬉しかっ
なりました。人間の適応力にはびっくりで
たのは、ホームステイ先に同い年の女の子
す。
がいたことです。一緒のベッドだったので、
このツアーで楽しみにしていたことは、
夜な夜な恋バナをしました。ホームステイ
部活の「かたつむりの会」で作った絵本や
の最終日にはその子の婚約者が会いに来て
紙芝居がスリランカの幼稚園で使われてい
くれて、なぜかとても照れてしまいました。
るのを目の当たりにできることでした。ス
また、訪問した幼稚園や村での歓迎が今ま
リランカに行かない限り、私たちは、日本
でかたつむりの会をしていてほんとに良か
で作った絵本をスリランカの子どもたちが
ったと思わせてくれました。この旅で、笑
手にして喜んだり、楽しんだりしてくれる
顔の大事さをつよく感じました。
のを想像するしかできません。だからこそ、
鈴木さん、藤倉さん、米母、何から何ま
直に子どもたちの笑顔に触れ、改良点など
でありがとうございました。本当にお世話
を見つけて宿題にしたかったのです。
になりました。淳君、男の子一人だったけ
またこのツアーで心配だったことは、衛
ど頑張ってくれてありがとう。佑奈ちゃん、
生面や生活面、食事面のことはもちろんあ
笑いのツボがとことん一緒で常にお腹が痛
りましたが、それとともに、東京のメンバ
かったです。ありがとうね。あきちゃん、
ーとうまく二週間過ごせるのか心配でした。
色々負担をかけてしまったよね。本当にあ
私と磯貝さんは一度だけ東京のメンバーと
りがとう。碧海ちゃん、もっと先輩を敬い
お会いできていましたが、それ以外の京都
ましょう!早織ちゃん、普段とは一味違う
の四人は全くの初対面。正直、これはかな
意外な一面を見ることが出来ました。あり
りやばいぞ、と思っていました。でもスリ
がとう。楽しかったです。ありがとう。あ
ランカに行ってみると、みんなそんなの関
っこちゃん、たくさんのことを勉強させて
係なく自由にスリランカを楽しめていまし
もらいました。ありがとう。玲奈ちゃん、
た。それぞれの個性がみんなの良さを更に
個人的にはめっちゃ好きです。ありがとう。
引き出したり、その場を楽しくさせたり、
他にも協力していただいた方たちにも感謝
学ぶところがたくさんありました。
の気持ちでいっぱいです。たくさんの笑顔
スリランカでは、たくさんの笑顔に出会
いました。スリランカの人たちはとても温
とたくさんの感謝で満たされた旅でした。
スリランカから帰って
同志社女子大3年
穂井田碧海
スリランカから帰ってきて、もう2カ月。
んな中、手が伸びてきて、私は腕を掴まれ、
長かったようで、すごく短かった今回のツ
その子を膝に座らせたのがマーギャとの出
アー。日本で今生活していることが、逆に
会いだった。一瞬だったけれど、忘れられ
不思議だ。それだけ、濃いスリランカスタ
ない。マーギャは小柄な女の子。笑顔が本
ディーツアーだったとあらためて思う。
当にかわいかった。指をくわえながらギュ
今回のツアー参加のきっかけは先生の写
真だ。なんとなく見ていた写真の子ども達
――と私の手を離さなかった。目が合うと
ニコッと笑ってくれた。
の笑顔を見たとき「あ、行こう、参加しよ
そのマーギャの家にホームステイするこ
う」と思った。決して、軽はずみな気持ち
とになったが、不安でしょうがなかった。
ではない。ちょうどそのとき、かたつむり
コミュニケーションが一番の悩みだった。
の会に対して意欲的でなかった。活動の終
しかし、その不安は吹き飛んだ。お母さん
着点が見えず、自分の中でモヤモヤしてい
も、伝えようと努力してくれた。なにより、
た。現地に行って、
「かたつむり活動の意味
時間が経つと、なぜか意思疎通できるよう
を知ろう、見届けよう」と思った。
になるのは不思議だ。マーギャも私に懐い
参加を決意してから、必死で働いた。店
てくれた。第一印象とは正反対な女の子で、
長に怒られながらがんばった10カ月間。
わんぱく・活発・いたずらっ子・ちょっと
しんどかったバイトも明確な目標があった
わがままなマーギャ。四六時中ずっと一緒
からがんばれた。先生が「自分のお金で行
にいても飽きない無邪気さ。そして、何よ
きなさい」とおっしゃっていた理由が日本
り遊びの天才だった。
に帰ってきてよくわかる。今、お金以上の
私が、思ったことは「メンバーみんなホ
経験をできて本当に満足している。多少は、
ームステイ先の家族と合っていた」という
現地で嫌なこともあったが、そのことを含
こと。性格が似ているというか、波長が合
めても素敵な体験だった。
っているというか、3日間でこれだけ急接
そして、私がツアーの中で一番印象的な
近できたのは不思議なくらいだ。振り返っ
のはやはり、ホームステイだ。まず、村に
てみると、
「選んでもらったこと」がよかっ
ついて子ども達と遊んだ後、横一列に並ん
たのだと思う。最初は、鈴木さんが面白が
だ。そこで、鈴木さんに「子ども達に選ん
っているだけかと思ったが、それぞれにあ
でもらうから」と言われた時は、唖然とし
った家族を出会う最短の方法だったと思う。
た。前にたくさんの村の子ども達が私たち
2週間のスリランカの旅は私自身見直す
を見て、選んでいる。中には、腕組をして、
旅でもあった。日本でも受動的な私は、や
指さしながら選んでいる子どももいた。そ
はりスリランカでも同じだった。鈴木さん
についていくただの同伴者になっていたと
日本ではないスリランカだからこそ新た
ころもあった。また、本当にまわりの人た
な発見もできた。そして、今回メンバーと
ちがたくさん動いてくださったのに、それ
仲良くなれたことは、本当にうれしい。あ
に見合ったお返しをできなかったこと。支
きちゃん、まなちゃん、さおり、れいちゃ
えられてばっかりだった。もっと能動的に
ん、あっこちゃん、じゅんじゅん、ゆうな、
動けばよかったと後悔している。あと、私
米はは。年齢は違うけれど支えあうことが
は年上の男性と上手くコミュニケーション
できたから、乗り越えられたし、楽しくす
がとれなかった。もっと、自分を上手くア
ごせた。今では特別な友達になった。そし
ピールできるよう、日ごろ意識していこう
て、鈴木さん・藤倉さんには心の底から感
と思う。
謝している。わたしたちがしたいことを実
たくさん反省したこともあるが、自分の
行できるように、現地の人たちとまめにミ
新たな発見ができてうれしかった。自分の
ーティングをしてくださった。現地で安全
中で驚いたことは「子どもと一緒に遊べる
に過ごせたことも、無事日本に帰ってこれ
こと」
。私は一人っ子で年下の子ども達と遊
たこと、鈴木さん・藤倉さんのおかげだ。
ぶ機会があまりなかった。しかし、今回子
このすてきなツアーを忘れたくない。た
ども達と一緒に体を動かして、同じ目線で
だの思い出にしたくない。
「人間は忘れてい
遊ぶことができる自分に驚いた。大人と上
く」と最後に鈴木さんがおっしゃっていま
手く意思疎通できなかったこともあった。
した。忘れないために、自分で機会をつく
しかし、子ども達と上手くコミュニケーシ
って、このたくさん学んだ旅を振り返って
ョンをとれることは今後のばして、長所に
いこうと思う。
していきたい。
スリランカ
同志社女子大学 学芸学部
国際教養学科 1 回生 落合
晃子
高校一年生の時に持った「発展途上国へ
今回のツアーの中で特に楽しみにしてい
行って国際協力をしたい」という夢。実現
たホームステイ。村の方に自分の家に来て
するのはもう少し先のことだと思っていた
ほしいと思う人を私たちの中からそれぞれ
私にスリランカへ行って幼稚園建設のお手
選んでもらうというホストファミリーの決
伝いをするというチャンスが訪れました。
め方にはとても驚きました。誰にも選んで
今まで自分で貯金してきたおこづかいと入
もらえなかったらどうしよう…。そんなこ
学祝でもらったお金でなんとか行くことが
とを考えていると私の腕を強くひっぱって
できる!スリランカに行けることになった
くる女の子と女性がいました。この方たち
私の胸は喜びで高鳴りました。
こそが私のスリランカでの愉快な日々をつ
くってくれた家族です。たった 3 日間のホ
ンディを食べている子供たちがたくさんい
ームステイでしたが私にとって、そこでの
ました。スリランカへ行く前、
「氷は食べて
日々はとても濃いものとなりました。英語
はいけない」という注意事項を読んでいた
が通じず、シンハラ語も文字が読めない家
私は、念の為アイスキャンディを食べずに
族でしたがコミュニケーションをとる上で
いました。そんな私の姿を見た小さな男の
何も不自由がありませんでした。それはお
子が少し照れながら自分の食べていたアイ
互いの性格の根本的な部分が似ていたから
スキャンディを差し出してくれました。そ
かもしれません。ホームステイでとても心
の男の子の姿を見ていた子供たちも次々と
に残っているのはわたしが頭痛をおこした
私の前に列を作り自分の大切なアイスキャ
日のことです。昼寝をしている私のベッド
ンディを一口ずつ分けてくれたのです。日
を家族と親戚が囲み、普段はお転婆な小さ
本食パーティーの時も同じ様なことがあり
な子供までもが心配して付き添ってくれま
ました。私が子供たちにビスケットを一枚
した。おばあさんが私の頭をマッサージし
ずつ配ると、その小さなビスケットを「先
てくれ、おじさんは頭だけでなく全身マッ
に一口、食べていいよ。」と差し出してくれ
サージをしてくれました。お父さんはふざ
ました。子供たちにとって毎日食べること
けて寝ている私の鼻をポンポンと叩き、お
ができるわけではないお菓子。子供たちの
ばあさんに叱られると陽気な歌を歌いなが
大好物のお菓子。小さな子供なら独り占め
ら横でダンスを始めました。労わってくれ
したくなるような、そんな大切なものを私
る方法は様々でしたが家族みんなが心配し
に何の抵抗もなく分け与えてくれるその姿
てくれていることがひしひしと伝わってき
から、自分の大切なものを人と共有して喜
て家族の温かさに心がほんわかし、感謝の
びを分かち合うことがどれほど素敵なこと
気持ちから涙がこみ上げてきたことを今で
か、改めて気づくきっかけを与えてもらい
も鮮明に思い出します。
ました。子供からお年寄りまでみんながキ
そしてスリランカで一番印象的だったこ
ラキラと瞳を輝かせていきいきと笑顔で暮
と。それは子供たちの「喜びや物を人と共
らしている、そんなスリランカの生活に触
有する」というあたたかい精神です。運動
れ日本ではついつい見落としがちな身近な
会を開催した日のこと。その日はとても暑
幸せを発見できました。
い日でした。休憩中、周りにはアイスキャ
スリランカスタディーツアーを振り返って
同志社女子大学 社会システム学科 1 回
長田 玲奈
長かったようで短かったスリランカスタデ
価値観が大きく変わったと思う。以前から
ィーツアー。この旅を通して物事に対する
ボランティアに興味はあったのだが、私は
ボランティアに行くようなタイプではない。
ャーで伝えたりしてくれて、次第に何を言
スリランカに行くと家族や友人に伝えると、
っているのかは分からないけど伝えたいこ
みんな私らしくないとびっくりしていたし、
とは分かるようになった。みんな本当親切
自分でも参加を決めたことにびっくりして
に接してくれて、慣れない環境で困難だっ
いる。まさか本当にいくとは、思ってもみ
た身の回りのこともたくさん手伝ってくれ
なかった。ツアーメンバーのみんなも意外
た。初めは遠くから見ていた子供たちもす
に思っていただろう。スリランカ滞在中も
ぐに仲良くなって、走って駆け寄ってくれ
苦手な人間関係に悩まされたこともあった
るまでになった。シャボン玉や風船で目を
けれど、逃げ場がない所で2週間過ごして
キラキラ輝かせて遊んでいる姿はとても印
一段と強くなれたと思う。また OWOP の自
象に残っている。
由でどこかゆるい雰囲気がマイペースな私
この経験を経て思うことは、今までなん
を支えてくれていたようにも思う。様々な
となく過ごしていた大学生活をもっと有意
アクシデントにも見舞われたが、私自身こ
義にちゃんと目標を持って過ごそうという
のツアーに参加して本当によかったと思っ
こと、そして残りの大学生活で様々なこと
ている。屋外シャワーや食事を手で食べる
にチャレンジしようということ。大学最初
こと、行く前に話はたくさん聞いていたけ
の夏に素晴らしい経験をすることができて
れど、やっぱり行って実際に経験してみな
私は本当にラッキーでした。私をはじめツ
いと分からないこともあるのだと実感した。
アーメンバー全員が充実した旅を送れるよ
1番そう感じたのは英語が通じない人と
うに支えてくれた OWOP の方々、スリラン
話した時だ。はじめは英語が通じず、会話
カで出会った全ての方々に本当に感謝して
がうまくできなくて、困ったこともあった。
います。
でも、みんな会話帳を使ったり、ジェスチ
スリランカに行こう!!
米澤 智恵子
人生50年の時代から80年の時代。50年を
過ぎて、私は何をやっているんだろう。何
事にも大変なことから逃げていたように思
う。家庭の中で明るい存在でありたいと思
いながら、愚痴ばかり言ってたあの頃の私。
3人の子ども達が行ったスリランカ、自分に
は縁がないと思っていたのですが・・・何
があるのかな?何かあるんだろうなと思い
「スリランカに行こう!」と宣言した、そ
の瞬間から楽しい時間が始まったのです。
ドナーの方々のそれぞれの思いを聞かせ
てもらい、ツアーメンバーの思いを詰め込
んで作っていくスタデイツアー、ひとつひ
とつが新鮮でした。
そしてスリランカでは、大きなふたつの
プレゼントを貰ったのです。
ひとつめは、人の温かさ・・・ホームス
テイでは、なかなか通じない言葉のやり取
りに、申し訳なさを感じながらも、精一杯
もてなしてくれた、ホストファミリー。別
れを惜しみ歌をプレゼントしてくれたお母
さん、最後の朝食を作ってくれた、息子さ
ん。何よりホテルのシャワーより気持ちよ
かった、娘さんが爽快に掛けてくれた水の
沐浴。一番心配していたトイレも、ホーム
ステイ中は快適でした。障害者の施設で会
った、とても自然な支援の心。そして、ど
こに行くにも、優しく声をかけて助けてく
れた町の人たち。。恥ずかしさも忘れて、
知ってる英単語を並べたり、シンハラ語を
使って、会話しようとする自分がいました。
ふたつめは、何でもやってみよう,言って
みようと思えたこと。それを支えてくれる
人達に出会えたから。日本から7500kmも
離れたスリランカ、言葉の違いもある。こ
んなに便利になっても、プログラムを綿密
に詰めることの難しさを、現地に行ってみ
て実感する。それをコーディネートしてく
れた鈴木さん、藤倉さんの大変さを考える
と頭が下がるのですが、それでも私たちの、
これおかしい、やりたくない、サリー買い
たい!サリー着たい!…の言葉に一つ一つ
こたえてくれた。サファリキャンプでは、
沢山のスサンタさんの親衛隊の人やばんち
ゃんのおかげで、最高に楽しい時を過ごせ
た。ウナワトゥナやゴールでのフリータイ
ムでも、安全を最大限に考慮しながらも、
冒険させてもらえた。ノーマルバスに乗っ
たり、スリーウエイの値段交渉、道を聞き
ながらのお買いもの、やれば出来るんだと、
うきうきしました。
トランクから溢れるほどの沢山の思い出
をありがとうと、胸の中で呟きながらスリ
ランカを後にした日が懐かしく思い出され
ます。
このスタデイツアーに終結は無いのです。
作ったらどうだろう・・・色々と考えてワ
楽しかった思い出に浸るだけでなく、私の
クワクしている私がいます。ちいさな一歩
生活の中でずっと生き続けているのです。
でもいいので、私に出来る何かを見つけな
次にスリランカに行ったらこんなことして
がら日々を送っていこうと思っています。
みようかな。スリランカの人達とこんなの
スタディーツアー報告書
東洋大学 国際地域学部 1 年
石橋佑奈
スリランカは、わたしにとって、初めて
がりを、ホームステイでは、ものすごく感
の海外でした。行く前は不安もありました
じました。それに比べると、今の日本の近
が、3 週間日本に帰りたいと思いませんで
隣の人々のつながりは、とても寂しいもの
した。食事も本当に美味しく、体も一度も
だと思いました。日本は、もっと人々のつ
壊さずに元気に楽しく過ごせました。
ながりを改善するべきだと思いました。
この 3 週間、異文化をたくさん経験する
また、安全な水が飲めることや、電気が
ことが、できました。そのなかでも、ホー
つくことなど、日本では当たり前だったこ
ムステイの体験が、私の中で一番印象的で
とも、スリランカでは当たり前ではありま
した。ホームステイ先では、大学生の子が
せんでした。日本での生活がどんなに便利
いたため、英語が通じ、言葉で困ることは
ですばらしか気づかされました。この便利
ほとんどありませんでした。ですが、英語
な生活に感謝しなくてはいけないと思いま
が通じたからこそ、自分の英語力のなさに
した。
気づかされました。もっと英語が喋れてい
スリランカで、多くのあたたかい人々に
たら、いろいろな話ができただろうと思う
出会い、いろいろなことを学びました。実
と、本当に悔しかったです。
は、このツアーの紹介を大学で聞いて、説
ホームステイの家族みんなで、湖に行っ
明会に行こうと思ったのですが、あの時の
て水浴びをしたことは、とてもいい異文化
私は、めんどくさいと思って、行くかどう
体験でした。湖の水は濁っていてきれいで
か迷っていました。でも行ってみて本当に
はなかったのですが、みんなで一緒に入り
よかった。間違った選択をしなくてよかっ
ました。みんなで手をつないで水に潜った
たです。こんなにすてきな経験を逃すとこ
りして、本当に楽しかったです。洗濯も同
ろでした。
じ場所でしていたため、衛生面や、環境面
日本に帰国して一番感じたことは、日本
がとても気になりましたが、みんなの本当
の忙しそうな空気です。大学も始まり普通
に楽しそうで幸せそうな顔は印象的でした。
の生活に戻りました。スリランカの、あの
家族や、親戚、村の人々のあたたかいつな
ゆったりした時間の流れが懐かしいです。
忙しい生活の中でも、心はスリランカのよ
なことに挑戦するべきだと思います。だか
うにゆったり、余裕をもって過ごしたいと
ら、これからさまざまなことに挑戦したい
思います。
です。海外にもたくさん行ってみたい。こ
スリランカに行って、
「やってみないと分
からないことだらけだな。
」と感じました。
のツアーを経験だけで終わらせず、次に生
かせるように頑張ります。
失敗を恐れている暇があったら、いろいろ
「スリランカ探訪記~my journey to Sri Lanka~」
明治大学情報コミュニケーション学部
情報コミュニケーション学科 2 年
宮道淳
今回のスタディツアーを振り返る前に、
カレー、ホテルで食べたカレーなど、その
まずこの旅に参加した動機を見つめ直した
辛さも味も区区だったが、作り手の愛情と
い。スリランカ大好きな人たちと出会い、
真心は共通していた。また言葉という点で
その人たちのことを好きになり、いつの間
は、指さし会話帳の活躍もあり、みるみる
にかスリランカのことも好きになっていた。
うちに吸収していった。我ながら驚くくら
その中で実際に行ってみようとまで思った
いに、シンハラ語との相性が良かったので
のは、自分自身を試してみたかったからで
ある。今振り返ると、文法や発音など気に
ある。
せずなりふり構わず話しまくっていたのが
このツアーに参加するに当たって、幾つ
かの目標を掲げた。
上達した要因だと思う。現地語で話し掛け
ると、スリランカの人が皆照れくさそうに
1つ目は「スリランカ人になる」という
はにかみながらも、とても喜んでくれ、そ
ことだ。上記の通り、出発前から私はスリ
の笑顔が見たいがために、気が付いたら積
ランカが大好きであった。その文化や習慣、
極的に使っている自分がいた。そうしてい
言葉や食事、音楽に至るまで、あらゆる点
るうちに、徐々にスリランカに溶け込めた。
で興味を持っていた。少しでも体を慣らし
「郷に入っては郷に従え」
、この旅でその重
てから行こうと思い、現地の辛さにチャレ
要性を肌で感じた。
ンジしたこともあった。5月の「タイフェ
2つ目は「人とどっぷり関わる」という
スティバル」で激辛カレーをヒーヒー言い
ことだ。このツアー中、幾度となく私たち
ながら食べた時は、勝手に涙が出てきた。
はスリランカの人の歓迎を受けた。訪問し
その様子を見てマヒンダさんに大笑いされ
た幼稚園や井戸、ホテル、土産物店や列車
たことも、今となっては良い思い出だ。実
の中でも、自分たちが日本人だと分かるや
際現地に行ってみて、やはり3食カレーの
否やとても好意的に迎え入れてくれた。こ
生活が待っていた。街中の大衆食堂にある
れには、今まで日本が ODA や JICA の事業な
カレーやホームステイ先で作ってもらった
どを通して、スリランカを支援してきた背
景がある。そのあたたかさに感激するとと
穫を得られたし、実りある成果もついてき
もに、日本が貢献してきたことの現地の人
た。この経験は、自分にたくさんの「気付
への影響の大きさに驚いた。また、特にホ
き」をもたらしてくれた。またツアーに参
ームステイ先の村で、初めはホストファミ
加したこと自体も同様で、行こうかどうか
リーやその近所の人などの怒涛の質問攻め
迷った時に、自分の中にある好奇心やワク
や懐に飛び込んでくる勢いに戸惑うことも
ワクした気持ちに素直になって行ってみた
あった。しかし、開き直ってどんどんコミ
ことで、結果として自分の想像を上回る刺
ュニケーションしていくうちに、寧ろそう
激的な体験ができた。今改めて思うのは、
いったことが心地良く感じられるようにな
「自分のワクワクは自分でしか消化できな
った。そして、他のツアーメンバーとも積
い」ということである。だからこそ、OWOP
極的に交流できた。若手男子が一人という
のスタディツアーに限らず、色々なことに
こともあり正直最初は不安だったが、皆す
トライしようか迷っている人に対して、こ
ぐに打ち解けてくれ、数々の無茶振りを受
れからは「自分のためにもまずはやってみ
けたものの、全体を通じてとても楽しい時
ようよ」と声を掛けてあげたいと思う。
間が過ごせた。今回の旅が良い思い出にな
この他にも、大小問わずさまざまな目標
ったのも、ツアーメンバーのお陰である。
を持って参加したスタディツアー。過去の
本当にありがとう!「まず素の自分をさら
ツアメンバーが「人生が変わった」と言っ
け出し、相手の殻を破って深い付き合いを
ていたが、ツアーを終えて「自分の中で何
する」というこのツアーで学んだ姿勢は、
かが変わった」と思う。何が変わったのか
帰国後も自分に課しているテーマである。
は自分でもはっきりとは分からないが、そ
深く関わることで、時には傷つき、悩むこ
れも含めてこれからの自身の変化を楽しみ
ともある。しかしそれを乗り越えると、本
にしたい。
当に居心地の良い関係が築け、大切な仲間
最後に、スリランカに興味を持った人は、
が増えていくことも、今回学んだ。出会っ
是非一度行ってみてほしい。私は、自分の
た人と大切な「仲間」になるためにも、こ
目と耳と舌と(これが大きな要因)肌でス
れからもっと、人とどっぷり関わっていき
リランカに触れてみて、強く思う。スリラ
たい。
ンカはあなたの期待を決して裏切らないど
3つ目は「迷ったらやってみる」という
ころか、軽々とそれを上回ってくるに違い
ことだ。ツアー中だけでなく、ツアー前後
ない。何より、笑顔がとっても素敵なスリ
も含めて、さまざまな経験を積むことがで
ランカの人たちが、包容力のある国の風土
きた。井戸や幼稚園建設のための資金と共
の源なのだろう。そんな魅力溢れるスリラ
感してくれる人の思いを集めるためのイベ
ンカを私は再び訪れることになると確信し
ントへの出展が良い例だが、準備期間が短
ている。そして出会いを大切にして、これ
さから「やらない」という選択肢もある中
からも多くの仲間とつながっていきたい。
で、限られた時間の中でも「やれるだけや
それでは皆さん、アーエット ハムウェム
ってみる」とトライできたことで多くの収
(また会いましょう)!
スリランカが私にくれたもの それは何にも変えることのできない
たくさんの出会いの数々でした
大久保早織
はじめに
不安よりも、 この国だからこそ感じられる
スリランカでの2週間は、自分白身にたく
物質的な豊かさではない本物の豊かさを感
さんの出会いと感動を与えてくれた。20年
じるものであった。 スリランカという国に
間生きてきて、 この夏初めて日本を飛び出
直接足を踏み入れて、 私は、 生活=生きる
した。 自分で懸命に貯めた貯金と、 迷い、
ことの意味を問いただすそんな時間が多く
不安や期待が入り混じった中でもスリラン
あったように思う。 どれだけの時間を費や
カへ行くという強い意思を持って。 いった
して勉強しても、きっと見つけられないも
い自分に何ができるのか、 正直何も分から
のが実体験には溢れている。今回は、3日間
なかった。 ただ、 自身の将来の夢である
という短い期間であったが、各家庭に一人
教師になった時の自分のため、そして、 自
ずつ分かれ現地での生活を体験した。 初対
分自身の人生の大きな経験としてこのツア
面にも関わらずすぐに家族の一員として受
ーに参加する決意をした。
け入れてくれる優しさもまた、 スリランカ
の人々の真の優しさである。 人とひととの
想像と現実のギャップ
触れ合いの中で、 日々感じる安心感や充実
スリランカに行くまでのこの国のイメー
感は、生きがいともいえるものであった。
ジは、 正直いうと毎日生きていくのもやっ
手を加えてぃなぃスリランカの広大な自然
とで人々は皆苦しい生活を強いられている
は、 どの景色を取っても生き生きとした生
というものであった。 もちろんスリランカ
命力を感じた。 そんな生命力が、 時には
での生活は、 日本での生活と
人間である私たちに何もか
は似てもにつかないものであ
も忘れさせてくれ、 元気や
った。洗權機もなければ、お
勇気を与えてくれた。 また、
風呂もない。 しかし、 そん
自然の姿とスリランカの
な生活の中にも、 家族や地域
人々の姿が一体となってこ
の人々を大切にするスリラン
の国の素晴らしさを物語っ
カの人々の温かさや、 きらき
ているようにも思えた。野
らした子供たちの笑顔が溢れ
生の生き物が、私たち人間の前に顔を出す
ていた。 この人の繋がりや温かさは、便利
こともそう珍しいことではない。これは、
さに溢れかえる日本では決して感じること
自然の豊かさを象徴するも間違いのである。
ができないものである。 日本の豊かさが、
生き物同士の共存を多くの場所で、 目にす
どこかちっぼけに思えた。 生まれた時から
ることができた。 私の想像には、 大きな
何不自由なく生きてきて初めて経験するこ
があった。 発展途上国=貧しい そんな固定
との数々。 スリランカでの生活は戸惑いや
概念が私の中にあった。 そんな固定概念で
物事を提えていては、 見える世界は大きく
いことを思い知った。 この時、 この気持
狭まるだろう。反省ともいえる固定概念に
ちこそが本当の学ぶ意欲につながることを
縛られたスリランカのイメージは、今、大
感じた。 やらされている学びではない、 学
きく変化した。想像と現実の狭間には、 素
びたという自らの学び。言葉の壁にぶっか
晴らしい世界が広がっていたのである。
って得た、強い学びに対する意欲であり、
学ぶ意義であった。言葉は、想いを伝え合
初めて経験する言葉の壁
うバトンのようなものである。伝え合う者
スリランカの公用語は、「英語」と「シ
が、互いに伝えようとしなければこのバト
ンハラ語」と言われている。 しかし、ホー
ンは途絶えてしまう。自分自身がそのバト
ムステイ先の村では、 英語がほとんど通じ
ンをっないでいく立場でありたいと思った。
なかった。 コミニュケーションの手段は、
言葉の壁を超えた先には、 きっと今以上に
ジェスチャーかシンハラ語が書かれた 「指
多くの人々と言葉というコミニュケーショ
さし本」 のみである。 伝えたいことが伝
ンを通して交流を深めることができるだろ
わらない、 どう伝えたらよいのかわからな
う。 生きた言葉をぜひ身にっけていきたい。
い、 とてももどかしい。そんな感情になっ
そして、 まだ見ぬ世界を自身の力で切り開
たのは、 初めてだった。 なんとかして伝
いていきたい。
えようとしている私の様子を察して、 ホー
ムステイ先の家族の人も私が持っている
2人の人との出会い
「指さし本」を手に取り、伝えたい言葉を
人々の温かさや自然の美しさを体いっぱ
探すが載つていなぃ言葉も多く、結局お互
いに感じたスリランカであったが、 やはり
いが伝えたいことが伝えられないまま終わ
社会環境には行き届いていない福祉情勢が
ることも少なくなかった。 私の前に初めて
見てとれた。 ホームステイ先の村を離れ、
立ちふさがった言葉の壁であった。 言葉と
都市部に出た時、 物乞いをする人々をあち
いうものがどれだけの大きな役割を、 人々
こちで見かける機会が急に増えた。 若い人
の間で担つているかということを学んだ瞬
から年配の人まで、 松葉杖で懸命に自分の
間でもあった。 もし、 あの時伝えたいこ
体を支え、 反対側の手を道行く人に差し出
とが伝えられていたら、 伝えようとしてく
れていることが理解できていれば、 そんな
後悔がいくつもある。 英語が通じる人との
コミニュケーションにおいても、 今まで学
んできた英語は試験英語に
すぎず、 生きた英語ではな
いことを実感した。 単語や
連語として覚えていても、
いざ話すとなった時に生か
せなければ、 何の意味もな
していた。 福祉の見直しが叫ばれている日
本でも、 ホームレスの人々をたまに見かけ
ることがあるが、 何か違う印象を受けた。
まるで、社会から隔離されたかのような雰
囲気が、 物乞いをしている
人々の周りに広がっているか
のように一肌の色と顔つきで、
すぐに日本人は、 見分けがつ
く。
フリータイムで買い物
を終え、車に乗り込む私たち
日本人を追いかけて一人のおじいさんが懸
ものの概念に目を向ける人々がきっと少な
命に物乞いをする。 車が出ようとしても、
いのだろう。 この手紙を手渡してきた親の
窓柄に手を必死に見せ意思表示をする。 な
気持ちを考えると、 そう簡単に受け止めら
んともぃえない心苦しさでいっぱいになっ
れるものではないと思う。 スリランカを支
た。 そこで、 お金を差し出すことが本当
援している0WOP としても、 日本としても、
の優しさであり、 その人たちのためになる
一人の人間としてもこれから考えていくべ
ことなのか、 変に同情ともいえる優しさを
き課題だと強く感じる。2人の人物との出会
お金に変えて差し出すことでほんの一瞬で
いは、 とても大きくて大切な何かを訴えか
もその人たちのためになったと思い込むの
けてくれているものであった。
か、 何が正解なのか、 正直分からなかっ
た。 何も出来なかった。 けれど、 その人
さいごに
たちの姿は、 発展途上国スリランカの貧富
ここで記したことは、 2週間のスリラン
の差や行き届いていない福祉情勢を訴えか
カでの生活の中で強く感じたことのほんの
ける大きな手がかりとなると。私は、そん
ごくわずかな出来事である。障害者に対し
な人々の姿から考えた。 どうしてこんな
ての支援は、 社会的にも教育現場において
人々が、存在してしまったのか、 村ではお
もまだまだ進んでいない面があると感じた。
店が 1、 2件、 都市部に出ると溢れるばか
障害というものの概念に目を向ける人々が
りの食材・モノの数々。 ここは、同じ国ス
きっと少ないのだろう。 この手紙を手渡し
リランカなのかと一瞬そんな錯覚に陥る程
てきた親の気持ちを考えると、 そう簡単に
であった。 障害を抱える人のための会社や
受け止められるものではないと思う。 スリ
施設を国の中に作るのではなく、 健常者と
ランカを支援している0WOP としても、 日
共に生きる社会作りの必要性を痛感した。
本としても、 一人の人間としてもこれから
日本と比較した時、 スリランカの人とひと
考えていくべき課題だと強く感じる。2人の
との関係性はそこまで疎遠なものではない
人物との出会いは、 とても大きくて大切な
ように感じた。そのため、もし、私が理想
何かを訴えかけてくれているものであった。
に掲げた共存社会は、実現しやすいのでは
日本に帰国後、 部屋の灯りがとても眩し
ないかと思う。ただ、この福祉情勢の歪み
く感じた。 この灯り一つとってみても日本
にどれだけのスリランカ人が気づき変えて
の豊かさや便利さに埋もれている生活を感
いく意欲があるかどかが問われるところで
じとることができる。 人間の可能性は無限
ある。ある幼稚園に訪れた時、 一人の保護
大である。車、飛行機、多くのモノを生み
者が一通の手紙を私たち日本人に手渡して
出してきた。人間は、素晴らしい力の持ち
きた。 その手紙の内容を翻訳してもらうと、
主である。 便利さや豊かさに越した生活は
歩けないわが子のためにお金の援助を求め
ないが、 そんな生活は忘れてはいけないこ
るものであった。障害者に対しての支援は、
とまでも忘れ去つていく。 人の温かさや繁
社会的にも教育現場においてもまだまだ進
がり、 生きていることの素晴らしさ一時代
んでいない面があると感じた。 障害という
は流れ、社会はどんどん変動してゆく。
私は、 スリランカに自ら訪れこれからの
そんな目には見えないものだけれども強
時代、社会の変動に怖さを感じた。 きっと、
く深く人とひととを結びつけるものの存在
今以上にますます人々は便利さ豊かさを求
や価値である。 自身が日本を離れて得た貴
める欲求が強くなるだろう。 そうなった時、
重な経験をこれからより多くの人々に絶え
私たち人間をはじめとする生き物は、 何に
ず伝えていくことが、 人々の本当のつなが
繋がりをもって生きていくのだろうか。 何
りを作る手がかりになると信じたい。 そし
に生きている喜びを感じるのだろうか。 こ
て、 時代がどれだけ流れても変わらず心で
んな時代の中でも忘れてはいけないこと、
繋がり合える社会、 世界を追い求めてい
それは、ぬくもり、優しさ、想いやり、
きたいと強く願う。
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