1、神の聖定とは

ウェストミンスター小教理問答7「神の聖定」
1、神の聖定とは
(1) 問7~問 11 は神様のお働きについての総論です。神様はこの世界の歴史につい
てご計画を立てられ(問7)
、そのご計画に基づいて(問8)
、世界と人間を創造さ
れ(問9~10)
、世界と人間の歴史を導かれます(問 11)
。
(2) 問7はその神様のお働きの基となる聖定についてです。
聖定とは神様の永遠の計画のことです。これにより、神様は世界におこる一切
のことをご計画の内に定めておられます。
2、聖定を信じる理由
神様が信頼出来る方だとしたら、神様はすべてのことを支配する方でいらっしゃる
はずです。世界の歴史も私たちの人生も「もしあの時が違っていたら、後のことはす
っかり変わっていただろう」ということだらけです。小さな偶然でも世界の歴史や人
生は変わります。神様に予想外のことが起こって、神様が計画を狂わせるようなこと
があれば、それはもはや世界を支配する方とは言えなくなります。
信頼できる神様がおられるということは、すべてのことをご計画(聖定)のもとに
置いていらっしゃる方がおられるということなのです。
3、聖定への疑問に対する答え
神様がすべての出来事を定めていらっしゃるという聖書の教えは多くの人々につ
まずきを与えて来ました。聖定への疑問には次のように答えることが出来ます。
(1) 神様がすべてを定めておられるとしたら、人間の自由はどうなるのでしょうか。
答え:神様は人間の意志を屈服させる仕方ではなく、人間の自由を守り、人間の
意志の内に働く仕方でご計画を実行されます。
(2) 神様がすべてを定めておられるとしたら、悪(戦争、罪、悲惨)の存在の責任
は神様にあるのではないでしょうか。
答え:悪は人が堕落したためにこの世に入ってきました。人間の責任です。
(3)人を堕落させないようにも、神様は出来たのではないでしょうか。
答え
①神様は人を機械仕掛けの人形に造られませんでした。人は神様と愛の交わりが
できる自由な存在として造られました。そして人は自分の自由(責任)によっ
て堕落したのです。しかも、それは、神様のご計画が狂ったのではなく、神様
の計画の中で起こりました。この神様のご計画について、人は誰も、自分の好
みを神様に押し付けて助言する権利はないのです。
②神様の計画(必然)と人間の責任(自由)の問題は、人間の理解を越えている
ことを認めるべきです。必然と自由の関係は、本来、人間には理解不能な点があ
るのです。
例えば、一人の殺人犯について、心理学者は、殺人に至る必然性を調べ、検
事は、殺人犯の責任を調べます。必然ならば責任はないはずですが、そうは考
えません。どうしてそうなのか、人に理解出来ませんが、人は人間の行動に必
然の面と責任の面が同時にあることを認めているのです。このように、必然と
自由の関係は、本来、謎なのです。
③神様のご計画は、主イエス・キリストの救いによって完成します。今は謎でも、
やがて世界の歴史が完成して、神様の計画の全貌が明らかになった時、私たち
は、恵みの神様を賛美し、
「万事は益であった」と告白できるのです。
将棋の名人の指した手の意味は、初心者には全く理解できません。しかし、
将棋が終わって名人が勝った時に、すべての手に意味があったことが明らかに
なります。まして、神様のなさることの意味を私たちが今すべて理解すること
はできません。しかし、イエス・キリストによる救いが完成する歴史完成の日
に、神様のなさったすべての事柄は意味があったことが明らかになるのです。
4、神の聖定の教えの慰め
(1) 自分に起こる喜びを、神の善意のしるしとして感謝することにより、喜びは一
層味わい深いものとなります。
(2) 自分に起こる悲しみ・試練を愛の神からのものとして受け止めることにより、
試練の中で絶望せず、試練にも意味があることを信じて、立ち向かえるようにな
ります。
もし、悲しみが試練や運命のいたずらによるのだとしたら、私たちの労苦は空
しく、様々な不幸は恐怖の源となるだけでしょう。
(3) すべての出来事を通して神様の素晴らしさを覚え、神様を賛美することができ
ます。