「小津的なユーモア」をめぐって

「小津的なユーモア」をめぐって
―映画と文学―
宮本 明子*
Miyamoto Akiko
<要旨>
What Constitutes Being ‘Ozu-esque’-humour?
-Cinema and LiteratureThe unique use of words and the gazes of characters in movies by Ozu Yasujiro are
appraised repeatedly as being ‘Ozu-esque’. This paper examines ‘Ozu-esque’
referring to Hasumi Shigehiko’s ‘Kantoku Ozu Yasujiro’and Satomi Ton’s works.
Primarily, we examine the significance of ‘Ozu-esque’ and ‘Ozu-esque humour’.
Subsequently, the origin of ‘Ozu-esque humour’ that Hasumi introduces leads to
Satomi’s work ‘Rōyu (Elderly Friend)’. In this way, this paper verifies the
relations between Literature and Cinema through examining the way how the writings
of Satomi influenced the characteristics of Ozu’s films that have been evaluated as
‘Ozu-esque’ to date.
Keyword : 小津安二郎(Ozu Yasujiro)
、映画(Cinema)
、文学(Literature)
、
翻訳(Translation)
、里見弴(Satomi Ton)
1. はじめに
文学作品の映画への引用や原作の映画化といった事例をはじめ、文学者による映
画のシナリオ執筆(あるいはその逆)、文学者と映画監督との協働など、映画と文学
とのかかわり方はさまざまである。では、映画と文学とは、これまでどのように論
じられてきたのか。
両者をどのように扱うかという点に注目すると、以下三つの立場がある。
第一に、映画と文学とに「絶対的な差異」[蓮實 1980:73]をみとめ、両者を比較
検討するのは「対象の矮小化」[蓮實 1980:75]にすぎないとする立場である。これ
* 早稲田大学大学院 文学研究科 文化人類学専攻 博士後期課程6年次
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に対する立場として、第二に「素材の加工としての『脚色』こそはあらゆる映画の
成立基盤だとし、その特権的な例として文学の映画化を考えようとする立場」[野崎
1998:53]1)がある。そして第三に、議論を狭義の『文芸映画』に限り、文学から映
画へという道筋をいったん認めた上で、映画固有の新たな創造の可能性を具体例に
即して分析しようとする立場」[野崎 1998:53]がある。
このうち第三の立場について、野崎歓は、
「このごく平凡なタイプの『文芸映画』
論」が、
「実は戦後フランスの映画批評史においてきわめて重要な議論のフィールド
を形成し、実際の映画制作の方向性をも左右するほどの影響力をふるった」[野崎
1998:53]として、アンドレ・バザン(André Bazin)の批評、およびそこで取り上げ
られるロベール・ブレッソン(Robert Bresson)の映画『田舎司祭の日記』(Journ
al d'un curé de campagne, 1950年)を挙げる。ジョルジュ・ベルナノス(George
s Bernanos)による原作とくらべると、台詞用に作り変えられた部分は一切ないと
いう純粋かつ「忠実」なテクストを、映画の主人公が「静謐な平板さ、単調さ」[野
崎 1998:63]をもって読む。その行為によってあらわれたのが、「ドラマチックな要
素に還元されない文学的テクストの言葉そのもの、映像とのあいだに毅然と距離を
保ち続ける言葉の流れそのもの」[野崎 1998:63]であった。
上記、第三の立場にみる、台詞用に作り変えられた部分は一切ないという純粋か
つ「忠実」なテクストではないものの、ここで考えてみたいのは、小津安二郎の映
画『秋日和』(1960年)に展開する会話と、その演出方法である。
すでに先行研究において、『秋日和』の登場人物の会話が、里見弴の短篇「老友」
(1949年)の会話と対応することをあきらかにした[宮本 2013:211~222]。本稿で
は、その部分を俳優がいかに発話しているのかに注目する。なお、そこで問題意識
として浮上してくるのが、蓮實重彥による『監督
小津安二郎』に「小津的」と紹
介された、小津の映画に特徴的だとみられてきた会話や身振りである。蓮實が挙げ
る「小津的なユーモア」
、すなわち小津の映画に特徴的だとみられてきたユーモアに
着目すると、本稿で検討する『秋日和』の会話は「小津的なユーモア」のひとつだ
といえる。そうであるならば、「老友」という作品を手掛かりにすることで、「小津
的なユーモア」および小津の映画に、文学はどのようにかかわっていたといえるだ
ろうか。
1)
この事例として、野崎は Dudley Andrew, Concepts in film theory, Oxford U. P., 1984,
pp.96-106. を挙げている。
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2. 二つのテクスト
2.1 『秋日和』と「老友」
先行研究であきらかにした、映画『秋日和』と「老友」の対応関係とは次のとお
りである2)。まず、以下のように映画『秋日和』には、平山と間宮というふたりの男
たちのやりとりがある。
平山「ウム、そうなんだ。そりゃそうなんだがね、どうもひとりでいると、何
かにつけて不便でね」
間宮「不便って…家政婦だっているんだろう」
平山「うん
間宮「つまり
そりゃいるんだがね
何となくいろんなことがね」
平山「うん
痒いとこに手が届かないって訳か…?」
まァ
そうなんだ…」
間宮「すると、急に痒いとこが出来たつてわけだね…」3)
彼らは旧友同士であり、平山は妻を亡くしている。平山の家には「家政婦だってい
る」のだが、妻がいないと「痒いとこに手が届かない」「不便」さが語られるのだ。
以上のやりとりは、映画『秋日和』のシナリオ執筆以前に発表された短篇、
「老友」
に登場する会話に対応する。
「老友」においても、そこに登場するふたりの男たちは、
「不便」や「痒いとこ」という同一のフレーズでもって、妻を亡くして過ごす、ひ
とり身の不自由さを語るのだ。
「どういふつて、格別はつきりした動機があつたわけでもないんだけど、やつぱりどう
も、だんだんとこの、不自由、といふか、不便でねえ……」
「それァ、まァ、それに違ひなからうけど、そばに、正夫君のお嫁さんだつてゐなさる
んだし……」
「うん、あれがまァ、何かと気はつけてくれるんだが、なんとなく、かう、こつちにも
2)
3)
先行研究でも引用した部分であるが、本稿ではそれぞれの対応関係を確認した上で、シナ
リオの会話が実際に映画でどのように発話されているのかを確認する必要があるためにあ
らためて引用を行った。
『秋日和』完成審査台本(松竹大谷図書館所蔵)からの引用である。
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遠慮はあるしな、やつぱり痒いところへ手の届かない感じでね……」
「うッぷ、うふゝゝゝ、うふッ」
と、銜んだ酒に噎せ返りながら笑ひだして、「つまり、どこか痒いとこが出来て来た
つてことぢやアないか、それア」
以上のように、映画『秋日和』に登場する人物および会話が、
「老友」のそれを着想
の源としていたことはあきらかである。
では、上記、平山と間宮による会話を、俳優たちはどのように発話していたのか。
2.2 テクストと演出
<図1>『秋日和』
『秋日和』で、間宮(佐分利信)の勤務先に平山(北竜二)が訪ねてくる場面(図
1)。間宮は、自分の席に座ったまま、事務的にあいさつをかわし(図2)、平山は入
口近くのソファに腰掛ける。平山は、
「三輪の細君の件」で訪ねてきたのだった。
それ以前の場面にはこんなやりとりがある――。彼らの旧友、三輪は妻と娘を残
し、他界していた。ひさしぶりに法事の席で再会した母娘をみた間宮たちは、三輪
の娘をそろそろ結婚させようと考えるに至る。そのためには、まず母親を再婚させ
なくては――。
こうして男たちは、母娘の知らぬ間に縁談をすすめようとする。その相手に挙げ
られたのが、妻を亡くした平山であった。
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<図2>『秋日和』
<図3>『秋日和』
平山はそこで、いろいろ考えてみたが、やっぱりひとりでいるとどうにも不便で
ね、とうちあける。通常ならば商談などが交わされるであろう会社の応接机をはさ
んで、彼らが交わすのは縁談という、ごく私的な話題である。
とはいえ、男たちはそこで相好を崩すこともなく、淡々と応答をつづける。北竜
二の顔には微笑はみえるが(図3)
、その声にはほとんど抑揚がない。
これを受ける佐分利信も、相手の申し出にさして驚くそぶりをみせず(図4)、余
裕ある体で北竜二をからかうようなことばを向ける。
「つまり
ないって訳か…?」 。
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痒いとこに手が届か
<図4>『秋日和』
このように『秋日和』の男たちは、ごくわずかな微笑をみせつつ、声、表情とも
一定の抑制された調子で発話をつづける。
そこで想起されるのは、アンドレ・バザンが映画『田舎司祭の日記』にみとめた
という「一本調子(レクト・トノ)」 [野崎 1998:63]である。すなわち、テクスト
を、感情を抑えた「静謐な平板さ、単調さ」[野崎 1998:63]で読むということであ
る。
映画『田舎司祭の日記』では、原作の日記という形式が、司祭のモノローグとし
て受け継がれている。テクストは、原作からの引用である。映画全体にわたって、
「ほぼ途切れることなく」[野崎 1998:63]つづくそのモノローグを、野崎は「ドラ
マチックな要素に還元されない文学的テクストの言葉そのもの、映像とのあいだに
毅然と距離を保ち続ける言葉の流れそのもの」[野崎 1998:63]と指摘している4)。
一方、映画『秋日和』では、佐分利信と北竜二が交わす会話が「老友」の男たち
の会話に一言一句、対応するわけではない。また、それはそもそもモノローグでは
ない。しかし、俳優がそれをいかに発するのかという点に着目するならば、こちら
も一定の「平板さ、単調さ」で発話されていることはたしかである。
実際にそうした発話方法を、まさに『秋日和』撮影当時の小津が「ねらい」とし
ていたことに留意したい。小津は『秋日和』の男たちが登場する場面について、次
のように述べている。
4)
映画全体にわたって、司祭の声が「ほぼ途切れることなく」かぶさり、
「いずれもが原作か
らの引用」である。
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「感情のままに怒ったり笑ったりわめいたりするのは猿のやることでね、人間じゃない
んだな、技術が進んでくると映画もだんだん微妙なことがやれるようになった。感情よ
りも心理、個人よりも集団というようにね、しかし集団は得意じゃないから僕なんか人
間を描く。それも喜怒哀楽の表にでないやつをね」
――こんどの映画ではどういうことになるんです。
「たとえば男が三人5)話してる。なにかからかってるんだが、笑いながらやったんじゃ
面白くない、すました顔してからかったりからかわれたりしてるんだな。表情もだが、
動きもほとんどない。人生ほんとはそうなんだ。坐ったままただしゃべってる。それで
何となく人間の風格みたいなものをにじみ出させたい、それがこんどのねらいだね」[登
川 1960:141] (※傍線部は筆者による。以下同様。)
このように、小津は「感情のままに」演技するのでなく、
「喜怒哀楽」を表に出さ
ないことを「ねらい」としていたようである。それは、演技にあたって慣習的なふ
るまい、すなわち「クリシェ」を排するということである。先にみた佐分利信と北
竜二による平板かつ単調とさえみられる応答も、小津のねらいとしていた「人間」
のリアリティを生み出すための実践であったといえる。
より具体的に、そうした平板、単調ともいうべき台詞の発声を方法として実践し
た監督として、フランスの映画監督、ジャン・ルノワール(Jean Renoir)が挙げら
れるだろう。
彼の用いた「イタリア式本読み」とは、俳優の個人的な感情を表現することを禁
じ、「電話帳を読むかのように、平板にテクストを読ませる」[角井 2013:191]こと
であった。小津も『秋日和』以前から、俳優が自身の考える「演技」をつけて発声
するのでなく、台詞をそのまま読み上げるよう指導していたことはよく知られてい
る。
「イタリア式本読み」では、俳優が身体を通じてテクストを読む過程で「情動」
[角井 2013:203]を得たように、小津の俳優たちも、感情を排しテクストを読むのに
徹することによって、映画の「人間」としてリアリティを得たのである。
なお、
『田舎司祭の日記』のモノローグが文学的テクストと映像との差異をあきら
かにしたのに対して、映画『秋日和』で俳優は登場人物の台詞を口にする。この点
5)
「男が三人」とは、北竜二、佐分利信、中村伸郎の「三人」をさす。
『秋日和』では彼らは
冒頭と中盤、終盤に登場する。また小津がここで語っている「からか」いは、旧友の未亡
人を後妻に迎えるか否かという話題で男たちが盛り上がる場面、またそこで用いられる「痒
いとこ(に手が届かない)
」という符牒にみとめられる。
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で、
『秋日和』において、発話者である俳優の身体とその台詞とは乖離することはな
い。あくまで話者は話者としてそこに存在しているのだ。しかし、別の観点から考
えてみれば、文学的テクストと映像との差異は、やはりそこにみとめられるといえ
るだろう。慣習的な「笑」いの演技を排し、
「すました顔して」だれかをからかう場
面とは、映像としての顔と、台詞としてのテクストとが乖離しはじめる瞬間である
かもしれない。
また、発話方法に注目すると、『秋日和』では、『田舎司祭の日記』に対応する平
板かつ単調な発話がなされている。小津の語った演出方法を援用すれば、表情や動
きを排し、テクストを「ただしゃべ」ることが実践されていた。この点で、
『秋日和』
に発話されていたものとは、まさに「ドラマチックな要素に還元されない文学的テ
クストの言葉そのもの」であったといえる。
さて、そのとき読まれるテクストは、
「人間」のリアリティを示すに堪えうるもの
でなくてはならない。
『秋日和』制作時の小津は頻繁に「人間」ということばを用いており6)、当時、小
津が登場人物の「人間」造形にとりわけ注意を払っていたことがうかがえる。俳優
の表情や動きを抑制する一方、
「人間」のリアリティを示すために、里見のテクスト
が用いられたのではないか。
実際に小津と野田は、シナリオを執筆する際には里見の「言い回し」にならって
執筆していることをたびたびあきらかにしていた。しかし、里見が当時、短篇の名
手とよばれ、名実ともに認められていたとしても、また、小津や野田がその愛読者
であったことをふまえてみても、里見のテクストとはなぜ、それほどまでに価値を
見出されていたのだろうか。
2.3 里見のテクスト
小津や野田が、里見のテクストを好ましいものとして参照していたとすれば、そ
れはなぜか。
ここで里見のテクストの特徴に留意するならば、その特徴のひとつとして、台詞
の「うまさ」と、表記が発声時の発音に正確であるという点が挙げられる。
まず、里見が書く「会話」の「うまさ」とは、同時代の批評家や作家からすでに
6)
たとえば、
「大人の映画を 『秋日和』撮影の小津監督大いに語る」
『キネマ旬報』1960年9
月上旬号66頁、
「映画と文学と絵画 小津作品『秋日和』をめぐって」
『芸術新潮』1960年1
2月号246頁などを参照。
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一定の評価を与えられていた。たとえば奥野健男は、大正十年前後、里見が芥川龍
之介とともに心理描写の名人としてならび称され、
「その小説のうまさは、文壇の誰
も真似ができず、
『うますぎる』」[奥野 1968:258]と評されていたことを挙げる。
また、その語り口は、役者にもたとえられた。谷崎潤一郎は、歌舞伎役者、尾上
菊五郎の芸風を里見のそれに喩えている。すなわち、
「聡明なところ、熱っぽいとこ
ろ、すっきりして鋭利なところ」、「小説家にも女形になれる人となれない人、踊り
のある人とない人がある。里見君は女形になれる人で、且踊りのある人である、と
云うような気がする」[谷崎 1929:68]というものである。
さらに、里見の文章の表記方法が、発声時の発音に即したものであったというこ
とである。江藤淳は里見のテクストの特徴として、近代小説に主流となった「黙読」
でなく、朗読して耳に快いことを挙げる。
まさに朗々誦すべき文章ですね、里見先生の文章は。それに、耳でとらえたものを片
仮名など正確にトランスクライブしてありますね。今の小説家で、そういうところにま
で苦心して書いている人は、ほとんどいなくなってしまったんじゃあないでしょうか。
つまり、文字がただの符丁になってしまって(中略)里見先生のは肉声になって聞えて
くるんですね。[江藤 1977:125]
江藤の言及する「片仮名など正確にトランスクライブ」する文体は、里見の著作
に往々にして現れる。日本語学の中村明によれば、
「カタカナを利用して細かなニュ
アンスを書き分ける」
「里見弴の小説の流儀」[中村 2007:117]であり、小津の映画
のシナリオにも同様にこの特徴がうかがえる7)。「実際の話しことばの特徴を台本の
段階ですでにきわめてリアルに再現」[中村 2007:115-116]8)したものであるとい
う点で、まさに里見のテクストの表記法に通じているのである。
したがって、従来は「文学」と「映画」として個別に参照されてきた里見のテク
ストと小津の映画シナリオとの近さに、まず注意が払われなければなるまい。里見
7)
8)
完成稿のほか、川喜多記念映画文化財団などに所蔵される準備稿などにも確認できる特徴
である。
たとえば、中村(2007:117)が挙げる「あんたのとこに廻っても」を意味する『麦秋』
(1
951年)の「あんたンとこィ廻っても」という台詞は、発声時の音が忠実に記された一例で
ある。通常「に」と表記される部分が「ィ」に置き換えられている。このように小津のシ
ナリオでは「ニ」
「ル」
「ラ」
「ノ」という音が、たいてい「ン」や「ィ」音に変化している
という。
- 99 -
のテクストとは、語りの内容の「うまさ」に加えて、そのまま肉声となって聞こえ
てくるリアリティがあった。さらに、発声時の発音に即した里見のテクストは、俳
優がそれを読むことにもたえうるものであった。だからこそ、小津や野田は里見の
テクストを手本としていたはずである9)。
そこで再考すべきは、小津の映画に特徴的なユーモアとよぶべき「小津的なユー
モア」である。「小津的なユーモア」は、蓮實重彥による『監督 小津安二郎』に一
部言及されている。そこでは「小津的なユーモア」と文学との関連については述べ
られてはいないのだが、映画のみならず、文学にも目を向けてみるとどのようなこ
とがいえるか。里見のテクストとは、少なからずこの「小津的なユーモア」にかか
わっていたはずなのである。
3. 「小津的」をめぐって
3.1 『監督 小津安二郎』にみる「小津的」なもの
「小津安二郎の映画」といって想起されるものは何だろう。あの独特のことばづ
かい?
あの独特な(撮影上、視線の交わることのない)視線?
「そうかしら」
「そうよ」――こんなやりとりはしばしば小津の映画に登場するし、
対話する彼・彼女たちの顔はきまって正面からとらえられている。なるほど、これ
らはいかにも小津の映画らしい特徴ではある。しかし、小津の映画について、いっ
たいわたしたちは何を知っているのか――。この問を掲げたのが、蓮實重彥による
『監督
小津安二郎』であった。著者は、わたしたちが小津の映画を「知って」い
るようでいて、眼前に展開するものごとをいかに見すごしているのかをあきらかに
した。たとえば、小津の映画では衣裳が「ありとあらゆる身振りや仕草を操作する
動的な契機となっていること」[蓮實 2003:51]、一見して何のつながりもないよう
に見える階段と記念撮影、それぞれの主題が「説話論的な機能を演じていること」[蓮
實 2003:154] などである。
なかでも注目すべきは、序章から各章にわたり、くりかえし掲げられる「小津的」
9)
このほか、小津がふだんから里見の著作を好み、記憶していたことを示すエピソードがあ
る。後年、里見は小津との交友を回想し、小津が「酒など飲むと棒暗記した文章を、こっ
ちがビックリするほど長々と暗唱してみせ」[里見 1966:5]た、と記している。
「老友」の
台詞もまた、小津が好んだものであったにちがいない。
- 100 -
ということばである。これは、小津の映画にみとめられる特徴的なことばづかいや
視線に際して、ひとがそれを「小津的」だと呼ぶことに由来している。
『監督
小津
安二郎』は、小津の映画をみた人々が疑いもなく発してしまう「小津的」というこ
とば、また、そうした姿勢への問いかけとして存在している。著者によれば、
「誰も
、 、 、
、
、 、
が」小津の映画に「小津的なもの」をみてとり、「小津を知っている」[蓮實 2003:
3-4]。にもかかわらず、小津の映画に展開するのはそれとは異質の事態である、と
いうことになる。
誰もが小津を知っている。ある種の振舞い、ある種の言葉遣い、ある種の視線に接し
、 、 、 、
て、人は思わず小津的だとつぶやく。その気軽な断定は、たえず小津を意識しているわ
けではない人間さえをも、容易に納得させてしまう。なるほど、これはまったくもって
小津的というほかはない状況だ。そう口にしながら、相手の表情に敵意のない微笑が浮
、 、 、
ぶのを目にするとき、誰もがほっと安心する。小津的とは、そんな安心を無言で共有し
うる風土なのかもしれない。いずれにせよ、それが気づまりな沈黙へと人を導いたり、
収拾不能な破局へとつき落すことはきわめてまれである。[蓮實 2003:3]
このように、蓮實はそれまで小津の映画に向けられてきた「小津的」なる状況を説
明し、この状況にさしあたり「安心」という説明を与えたのであった。
一方、同書「住むこと」の章では、小津の後期10)作品にみとめられる「小津的な
ユーモア」なる要素が言及される。ただし、著者の主旨はその内容そのものを審議
することでないため、
「小津的なユーモア」は、次の事例とともにわずかに言及され
るにすぎない。それは『彼岸花』の料亭の場面に、佐分利信や中村伸郎、北竜二と
いった初老の男たちが集い、彼らが仲間内でのみ通じる他愛ない冗談を交わして笑
い合う、というものである。
3.2 「小津的なユーモア」
佐分利信や中村伸郎、北竜二――彼らは、
『彼岸花』以降の小津の後期作品に、頻
繁に登場するようになる。蓮實の挙げる「小津的なユーモア」は、彼らの集う料亭
10)
蓮實によれば、「後期」の小津の作品とは、年齢が二十五歳頃となる娘たちが主要な説話
論的機能を演じる、
『晩春』以降の小津の作品ということになる。
- 101 -
の座敷という場所が「男の聖域」として機能しているという文脈にあらわれる11)。
たとえば、
『彼岸花』で、佐分利信たちは「夫婦間の男女の精力の差が子供の性を
決定するのだという通俗的な学説を、会食者の一人ひとりにあてはめながら笑いあ
う」[蓮實 2003:80]。蓮實が指摘するように、「笑いあう」彼らに対して、その話題
をほとんど理解できずにいるのは店の女主人(高橋とよ)である。不意に子供の数
をきかれて「三人」と答えた高橋とよは、男たちは「皆男の子だろう」と訊かれそ
うだと答える。男たちは彼女をさしおき、納得したように笑いあう。
高橋とよは、その丸くふくれた軀をゆすりながら、なんだか厭ですねえと酒を取りに
戻ってゆく。
この挿話は、高橋とよという特徴ある体格の女優をめぐって男たちがくりひろげる小
津的なユーモアの実例として貴重なのではもちろんない。そうした一面もないではない
が、料亭の座敷という男の聖域で流通している記号が、そこにこめられた意味の他愛な
さにもかかわらず、女性の介入を排しているという事実の確認が重要なのだ。[蓮實 20
03:80]
このように、男たちが彼らに通じる符牒を用いて笑い合い、仲間の外にいる者をか
らかう――という例が「小津的なユーモア」として言及されている。
さらに、同様のユーモアは、小津の遺作となった『秋刀魚の味』
(1962年)に言及
するくだりにもみとめられる。ここでも男たちは店の女将をからかい、仲間うちで
「愚にもつかない冗談」をかわす。蓮實はその場面に、
「小津ならではの一拍ずれた
リズム」を指摘している。
『秋刀魚の味』で笠智衆と中村伸郎が北竜二と落ち合うはずの小料理屋の女将を演じ
ているのも高橋とよだが、ここでも笠と中村とは、愚にもつかない冗談で彼女を煙にま
く。若い女を後妻に迎えた北が、精力を消耗させて死んでしまった、あいつも可哀そう
なことをしたなあと男達がうなずきあっていると、高橋は言葉につまって立ちつくして
しまう。そこに、やあ遅くなってごめんごめんと笑いながら北竜二が登場するあたりの
呼吸は、小津ならではの一拍ずれたリズムで何ともおかしいが、[蓮實 2003:80-81]
11)
今回は小津の後期作品にみとめられる「小津的なユーモア」を検討したが、その他の作品
にはどのようなユーモアがみとめられるのかについても今後、検討する必要があるだろう。
- 102 -
以上にみた例を手掛かりとして、あらためて「小津的なユーモア」の特徴を考え
てみたい。
それは、さしあたり「仲間同士にのみ通じる符牒を用いて、仲間はずれのものを
からかうこと」、と定義できるだろう。上記の二例で仲間はずれにされているのは、
店の女将、高橋とよである。また、
「小津的なユーモア」の話者とは、小津の映画に
登場する男たちであるようだ。
より具体的、かつ詳細にみれば、蓮實が指摘したように、男たちの「呼吸」や「一
拍ずれたリズム」など、
「小津的なユーモア」には多様な要素が関与しているといえ
るだろう。それらについての考察は他稿に譲ることとして、本稿では、以上の特徴
をもつ「小津的なユーモア」に文学が関与しているのか否かを検討する。
結論から先にみるならば、
「小津的なユーモア」には、やはり文学が関与していた
といえる。具体的には、テクスト、およびその発声方法においてである。
なお、映画と文学とに「絶対的な差異」[蓮實 1980:73]をみとめる蓮實の立場か
らは、両者の比較検討がそもそも意味をなさないということになるだろう。しかし
ながら、冒頭に掲げたように、映画と文学を論じるにあたっては、
「文学から映画へ
という道筋をいったん認めた上で、映画固有の新たな創造の可能性を具体例に即し
て分析しようとする立場」[野崎 1998:53]が存在する。この立場、すなわち第三の
立場にたつことによって、
「小津的なユーモア」の特徴、性質はより明瞭になるはず
である。
たとえば、先に確認した映画『秋日和』の場面である。
応接室での佐分利信と北竜二の応答は、
「小津的なユーモア」と文学とのかかわり
を示す好例である。彼らは「痒いとこ(に手がとどかない)」という符牒を用いて、
後妻を迎えるか否かという話をする。なお、この「痒いとこ」とは、後の場面に登
場する中村伸郎も加えた男たち三人が共有しており、じつに映画冒頭、中盤、終盤
と三度にわたって提示される。すでにあきらかであるように、このフレーズは、先
行する里見の「老友」のテクストを元としたものである。さらに、北竜二は佐分利
信に、「痒いとこに手が届かないってわけか」と問われ、からかわれもする。
つまり、この『秋日和』の場面は、話者が男たちであり、彼らが仲間うちで通じ
る符牒を用いてだれかをからかう――という「小津的なユーモア」の系譜に連なる
ものである。
他の里見の作品へと目を転じてみてもよい。
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短篇、「毛小棒大」(1940年)も「老友」に似て、妻を亡くした五十八歳になる実
業家が登場し、彼に後妻を紹介しようと友人が知恵をしぼる。
「吉川」という女性の
名を挙げると恥ずかしがる男を、友人が説得しようとする。その台詞に、
「……いや、
いい悪いの問題じゃアない。何かにつけて不便だし」というものがある。これは、
先に見た映画『秋日和』の平山(北竜二)の台詞、
「どうもひとりでいると、何かに
つけて不便でね」という部分を想起させる。里見の「老友」では、妻を亡くして男
がひとりでいることが単に「不便」だと語られるのみであった。このようにならべ
てみると、
「毛小棒大」の台詞もまた、
「老友」の台詞と組み合わされるようにして、
『秋日和』の台詞に採用された可能性がある。
したがって、
「小津的なユーモア」の発話者たる男たちの台詞は、里見のテクスト
を事例とすると、先行する文学テクストがその成立の基盤となっていたといえる。
また、小津のシナリオと里見のテクストの表記方法は対応し、いずれも発声時の
発音にかなっているという特徴がみられた。この点で小津の映画には、シナリオの
時点で、文学テクストが少なからぬ影響を与えていたといえる。そして、発話時に
は俳優がそれをそのとおりに読むという方法を通じて、文学テクストを読むという
行為が実践されていたことになる。
これまで、文学とのかかわりはほとんど言及されてこなかったものの、
「小津的な
ユーモア」および小津の映画にはこのようにして、文学が関与していたといえるだろ
う。
4. おわりに
異なる言語による文学作品の翻訳について、アントワーヌ・ベルマンは、翻訳さ
れたものに宿る翻訳の力を語っている[Berman,2008:60-61]。文学から文学への「翻
訳」はことばを媒介とする。これに対して、文学から映画への「翻訳」あるいは「翻
案」には、ことばのみならず、動き、表情、リズムなどさまざまな要素が関与して
いる。本稿では、文学と映画のシナリオ、双方のテクストにみる台詞の類似、また
それが発話される過程に着目し、
「小津的なユーモア」の成立、その表出について検
討した。
蓮實が事例を挙げてみせたように、「小津的なユーモア」は、『彼岸花』をはじめ
『秋刀魚の味』に至るまで、小津の後期作品に続けてみとめられるユーモアであっ
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た。これを里見弴のテクストや小津の演出方法を手掛かりに考察すると、
「小津的な
ユーモア」の成立の基盤には文学がかかわっていたといえる。
もちろん、映画と文学とのあいだには本質的かつ「絶対的な差異」がある。それ
ゆえ、これまでは小津の映画と文学の相互参照も、ごく限られた一部の作品からな
され、両者はほど遠いとみられてきた。しかしながら、映画にほぼそのまま用いら
れた「老友」の事例を参照するかぎり、小津の映画と文学、具体的には里見弴の小
説における表現とは密接なかかわりがある。それは、単なる文学と映画の台詞とに
対応がみられるという意味にとどまらない。言語芸術としての文学のうち、黙読の
みならず、それを口に出したときにも強度をもつテクストとは、同様に映画の台詞
としても強度を持ち得るものであった。だからこそ小津の映画のシナリオには、文
学テクストがほぼそのままのかたちで組み込まれていた。またそれを生かすべく、
演出時には、俳優が感情を抑えた「静謐な平板さ、単調さ」ともよぶべき抑揚で読
むことが試みられたのである。
したがって、このように、これまで「小津的」とみられてきた特徴を構成する要
素が、ある具体的な作家のテクストに確認できたいま、わたしたちがとらえてきた
「小津的」、あるいは「小津的なユーモア」とは何かと、もう一度問う必要があるだ
ろう。
<参考文献>
・江藤淳(1977)、「文士になるまで」(里見弴との対談時の発言)、『海』、1977年6月号、中央
公論社.
・奥野健男(1968)、「里見弴伝」、『現代日本文学館15 有島武郎 里見弴』、文藝春秋社.
・小津安二郎(1960a)、「映画と文学と絵画―小津作品『秋日和』をめぐって―」(里見弴、東山
魁夷、飯田心美との座談会時の発言)
、『芸術新潮』
、1960年12月号、新潮社.
・小津安二郎(1960b)、「大人の映画を 『秋日和』撮影の小津監督大いに語る」(インタビュ
ー時の発言)
、
『キネマ旬報』
、1960年9月上旬号、キネマ旬報社.
・里見弴(1966)、「体操と散歩と晩酌と」、『毎日新聞』、1966年3月21日、夕刊5面、毎日新聞社.
・角井誠(2013)、
「テクスト、情動、動物性――ジャン・ルノワールとルイ・ジュヴェの演技
論をめぐって」
、
『表象』
、第7号、月曜社.
・田中眞澄(1989)、『小津安二郎戦後語録集成』、フィルムアート社.
・谷崎潤一郎(1929)、『饒舌録』、改造社.
・登川直樹(1960)、「巨匠の太陽・新人の太陽 大船撮影所に小津安二郎・大島渚を訪ねる」、
『映画の友』
、1960年10月号、映画世界社.
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・中村明(2007)、『小津の魔法つかい』、明治書院.
・野崎歓(1998)、「文芸映画の彼方へ(映画を信じた男アンドレ・バザン論IV)」、『言語文化』、
35号、一橋大学語学研究室.
・バザン, アンドレ Bazin, André(1977)、小海永二訳、『映画とは何か』(Qu′est-ce
que le cinéma? 2: le cinéma et les autres arts.)、美術出版社.
・蓮實重彥(1980)、「映画と文学」、『新映画事典』、美術出版社.
・
(1983)、
『監督 小津安二郎<増補決定版>』
、筑摩書房.
・ベルマン, アントワーヌ Berman, Antoine(2008)、藤田省一訳、『他者という試練―
―ロマン主義ドイツの文化と翻訳』
、
(Épreuve de l'étranger.)
、みすず書房.
・宮本明子(2013)、「『おじさん』の系譜―『彼岸花』から『秋刀魚の味』、そして『青春放課
後』まで―」
、
『ユリイカ』
、2013年11月臨時増刊号、青土社.
※本稿における里見弴「老友」の引用は「老友」
『改造』1949年8月号に、
「毛小棒大」の引用
は「毛小棒大」『改造』1940年7月号に拠った。また、映画『秋日和』の人物の設定および
会話の引用は『秋日和』完成審査台本(松竹大谷図書館所蔵)に拠った。
※本稿は、日韓次世代学術フォーラム10周年記念国際学術大会 (2013年6月29日)における
口頭発表(「
『定型』の発見―小津安二郎監督後期作品と文学―」
)の発表原稿に大幅に加筆
修正を施したものである(会場内外および査読時において御教示をいただいた先生方に御
礼申し上げます)
。
宮本 明子(Miyamoto Akiko)
:早稲田大学大学院 文学研究科 文化人類学専攻 博士後期課程6年次
E-mail:[email protected]
論文投稿日:2013年 10月 31日 / 審査開始日:2013年 11月 7日
審査完了日:2013年 12月 18日 / 掲載決定日:2013年 12月 23日
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