フランスブルゴーニュキャンプ

テゼ共同体とウィルバーフォース記念館を訪ねて
〈調査報告〉
テゼ共同体とウィルバーフォース記念館を訪ねて
佐藤
司郎
東北学院大学文学部教授
2007 年 10 月下旬の一週間,フランスのブルゴーニュにあるテゼ共同体とイギリスのハル市のウ
ィルバーフォース記念館を訪ねた。テゼ共同体とは 1940 年ブラザー・ロジェによってはじめられた,
祈りの生活を中心とした男子の修道会である。ロジェはスイス出身のプロテスタントの牧師。戦争の
さなか,争いのただ中に身をおいて和解のために祈り,和解を生きる共同体を求めて,彼の母の
国フランスに移り住む。彼は「ここにいてください。私たちは孤独なのです」という老女の願いにこた
えてテゼ村に住むことを決意した。「私はテゼを選びました。その婦人が貧しかったからです」。「キ
リストは貧しい人たちを通して語っておられます。彼らに耳を傾けることはよいことです。彼らとの交
わりは信仰があいまいなもの非現実的なものとならないように守ってくれます」。テゼは当時ナチ占
領地域と非占領地域の境界近くにあって,
ナチ支配から逃れてきた難民,多くはユダ
ヤ人であったが,彼らをロジェはかくまい亡
命の手助けをした。50 年代の終わりからテ
ゼは多くの若者を迎えるようになる。またブ
ラザーたちはテゼの外に出て,ブラジル,バ
ングラディシュ,カルカッタなど,世界の貧し
い地域に移り住み祈りと奉仕に生きるように
なった。テゼの交わりの輪は世界に広がっ
ている。2005 年ロジェは不慮の死をとげた
が,その死を悼んでヨーロッパ各国の大新
聞の多くが一面でそれを報じた。教皇ヨハ
ネ・パウロ二世も彼の働きをもっとも高く評価
していた一人であった。現在ロジェの後継を
カトリックのアロイス神父がつとめており,テ
写真 1:ロジェが葬られているテゼの教会と墓
ゼはまさにエキュメニカルな希望のしるしと
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調査報告
いってよい。現在,ブルゴーニュの小さ
な村テゼにあるこの「テゼ共同体」を年
間をつうじて,夏は一週間で五千人も
の若者が世界中から訪れるというときっ
と驚くであろう。彼らはそこで賛美(テゼ
共同体の歌)と聖書朗読と沈黙とから
なる一日 3 回の礼拝に参加し,グルー
プで聖書を学び,祈り,黙想し,交流を
深めて帰って行く。今回わたしもその
写真 2:2007 年ウィルバーフォース年を示す街中の幕
一人として礼拝に参加し,生活の一部
を共にすることができた。決してきれい
な建物があるわけでもない,大きなキャンプ場のようなところだが,短いけれどもここでの生活を通
して若者たちが成長を遂げていく。祈りと他者への奉仕の結びつきというテゼの精神は彼らによっ
て受け継がれていくであろう。
今から二百年前,1807 年 3 月 25 日,イギリス国会で一つの重要法案が通った。奴隷貿易廃止
法案である。そのため長年にわたって力を尽くしてきた一人が,キリスト者政治家ウィリアム・ウィル
バーフォースである。その日圧倒的多数で法案が成立すると,議員たちはみな立ち上がり拍手を
おくり,彼はうつむき座ったまま涙を流していたと伝えられている。ハルの裕福な英国教会員の家
庭に生まれたウィルバーフォースはJ・ニュートン牧師(「アメイジング・グレイス」の作詞者)らの影響
もあり福音主義者となり,クラークスンや,クラパム・セクトの人びととともにこの問題に取り組んだ。
奴隷制廃止にはなお 20 数年かかったが,1838 年 8 月 1 日にはカリブ諸島の奴隷はみな解放さ
れた。2007 年のイギリスは「ウィルバーフォース年」として諸行事が相次いだ。ブレア前首相は前
年 11 月に「深く恥じる」との謝罪声明を出し,カンタベリー大主教も記念礼拝で過去の誤りに向き
合うように訴えた。他方しかし当のイギリスにおいて,とくにヨーロッパ域外出身の外国人労働者の
置かれている困難な状況や不法に連れてこられた女性の問題など,「現代の奴隷制」を問う声も
小さくない。この生家に置かれた記念館もたんに資料や遺品を展示しているのではなく,そうした
今 日 における解 放 運 動 の一 つの拠 点 としても貴 重 な活 動 をつづけて いる。 なおこの機 会 に
“Pamphlets on Slave Trade”(1818)も入手した。今後の研究に役立てたいと思っている。
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