「妊娠中絶の権利」に関する法理論の諸相 ― 日本における概念枠組の

第 4 回ジェンダー法学会学術大会(2006.12.3)
「妊娠中絶の権利」に関する法理論の諸相
―
日本における概念枠組の抽出と解体
―
早稲田大学大学院法学研究科
博士後期課程
森脇健介
Ⅰ.はじめに
1.問題意識
・人工妊娠中絶(以下中絶と略記)論争における諸論点の交錯・分断状況と、統合の必要性
・「女性の自己決定権」と「胎児の生命権」を一律に比較し「線引き」する方法への疑問
→「線引き」という思考方法そのものに付随する問題性
↓
パーソン論
生物学的生命を有する人間と、理性や自己意識などを有する「person」としての人間
を区別し(「線引き」し)、後者を人格あるいは「人」として位置付けて、前者よりも
強い尊重に値すると考える理論
〔cf.加藤・飯田〕
↓
女性の中絶の自己決定権が、胎児の生命権と功利的に比較される構図
→「線引き」がその思考方法として内在させる弊害
①抽象的な「人」一般を論じ、胎児に焦点を絞ることによる、女性という主体の消失
②胎児の一個性や女性の個別具体的環境が抽象化され、他者関係的要素が消失
③上のような問題に議論を絞り込むことで、男性の存在が欠落し、女性と胎児の恒常
的な対立として、問題がすりかえられてしまうこと
2.論点
①中絶の「自己決定権」の本来的意義
②女性の中絶の自己決定権と胎児の生命権の関係
③①、②の精査を踏まえた上での、妊娠中絶法の在り方
Ⅱ.日本における「妊娠中絶の権利」の意義
1.歴史的文脈 → 資料参照
・胎児保護規定の真の目的
〔cf. 石崎、落合〕
→胎児保護ではあっても、胎児「生命」の保護ではなく、別の目的が存在
・優生保護法を取り巻く状況(1960∼70 年代)
〔cf.荻野 2001、田間、溝口〕
①宗教団体からの生命尊重レトリックの主張による糾弾と、中絶非難の政治運動化
②「水子信仰」の隆盛における、癒しと糾弾の二重構造
③「母性崩壊」言説
∼
高度経済成長期における伝統的価値の不安定化の要因とし
て構築
④外圧
∼ 生命殺傷を合法化する国として批判され、「国の恥」として政治問題化
1
2.第二波フェミニズムにおける「中絶の権利」の主張 〔cf.加藤、河上、田中、森岡、米津〕
○「産む・産まないは女の自由」というスローガンについて
(1)要旨
①女性自身の内心における具体的な葛藤の尊重。他者からの「不当な」干渉を受けない
「個人的なこと」という枠組の中で、中絶を捉え直す
②「個人的なこと」の中にすでに流入している男性中心主義的秩序を照射する
③妊娠中絶を道徳的に肯定するのではなく、むしろ生命を「殺す」行為という実相を受
け容れた上で、その加害性を男性と共有しながら、人間の問題として、実効的に産め
る社会の創出を目指す
(2)意義
①女性自身の責任感情の尊重の要請
→胎児や周囲の他者との関係性から生起する、極限状態における女性の葛藤を尊重
②身体の統合性・完全性(bodily integrity)の保障要求
→生殖機能に基づき、女性に産む性たることを強制するような不当な規制の排除
③社会の構造改革への訴え
→生殖機能に対する抑圧的な社会的意味付けからの解放。また、実質的な援助の要請
Ⅲ.法理論の分類とその思考枠組の抽出
1.前提・憲法学における位置づけ
(1)胎児の権利主体性
・積極説 〔ex.戸波〕
・消極説 〔ex.初宿〕
・憲法上の権利主体ではないが、国家により保護される利益主体とする説〔ex.中山〕
(2)自己決定権(憲法 13 条の幸福追求権をめぐって)
・積極説
多数説(根拠に、人格的利益説、一般的自由説、自己統合希求的利益説など)
→いずれの説も、リプロダクションという大きな括りにおいて言及するもので、中
絶に関する具体的な保障の程度は明確ではない。他、24 条との関連も指摘〔辻村〕
・消極説 〔ex.松井〕
→リプロダクションの権利を求めるならば、24 条から求める方が適切とする
2.〈「中絶の権利」対「胎児の生命権」
〉枠組の描出
(1) 「線引き」積極論
①比較衡量説
→ 期間モデル
女性の自己決定(権)と胎児の生命権を一律に比較衡量する説
→「線引き」の技術を積極的に活用して、胎児の生命権の開始時期をある時期に確
定し、一方で一定期間内の中絶については女性の自己決定権かそれに類するもの
として認め、両者を比較衡量して中絶の可否を判断 〔ex.石井、石村〕
→問題
・
「線引き」が、女性の自己決定権を保障する上での極めて重要な正当化根拠の
2
一つを占めすぎている
②胎児生命優先説
〔法性〕
胎児の生命権がほぼ常に、女性の利益に優越するという説
→他者加害原理により、胎児が生命を有する存在である以上は、女性に中絶の自己
決定権は成立し得ないとし、母体の生命の危機など余程の事情がない限り、胎児
の生命権が常に優越するとする
→問題
・胎児に生命があることそれ自体が生命権を発生させることの論拠、また、
それが女性の権利に優越しなければならないことの論拠が不明確
・無条件的な「線引き」により、女性と胎児の密接な関係性が完全に捨象さ
れてしまい、分離可能な一般的自他関係として把握されている
・出産の強制という身体的侵襲を伴う効果をもたらしうる危険性への、反省
的観点の不在
③人間の尊厳説
〔上田、金澤〕
→ 制限された適応モデル
胎児の生命の尊厳を第一の原理に据えた上で、女性の決定行為を例外的に認める説
→「人間の尊厳」原理を「生命の尊厳」原理と解し、胎児に受精の時点から生命が
存在することが明らかである以上、
「生命尊重の原則」のもと、女性の中絶の自己
決定権は成立し得ず、女性に真摯な葛藤がありかつ相応の事由がある場合以外に
は、原則として妊娠中絶は認められないとする
→問題
・
「生命尊重原則」という倫理的原則をそのまま刑罰規定の根拠として持ち込
んでおり、罪刑法定主義の明確性の原則に反するのではないか〔松永〕
・胎児を宿す女性の意思が反映されない一方、受精の時点で胎児の生命権は
特権化されることのアンバランス。「女性」対「我々(含胎児)
」の構図
(2) 「線引き」消極論
④道徳的葛藤説
〔井上〕
→ 複雑な適応モデル
法技術としての「線引き」は採用し、女性の葛藤状況に応じた規制を提唱する説
→「線引き」の思考法に伴う生命の恣意的選別を回避するため、ジュディス・ジャー
ヴィス・トムソンの理論1を援用し、受精の時点から胎児の生命権は発生するとした
1
アメリカの哲学者であるトムソンは、この理論をいわゆる「バイオリニストの比喩」を用いて論じ
ている。この比喩は、ある朝女性が目覚めると、熱狂的なファンに拉致されて、さる有名なバイオリ
ニストの体に自らの体を接合されてしまっていた、という状況から始まるものである。このバイオリ
ニストは、他者の臓器を頼ってかろうじて生きられる状態にあり、女性の身体とバイオリニストの身
体の結合をといてしまうことは、バイオリニストの死を意味する。この場合、この女性はバイオリニ
ストのために自らの身体を接合されたまま、彼の生命を救う義務があるか、というのがトムソンの問
いである。結論としては、彼女にバイオリニストの生命を救う義務はない。つまり、自らの身体を過
度の危険にさらしてまで他者の生命を救う義務は、道徳的に要請されるものではあっても、法的に義
3
上で、女性の自己決定権と比較衡量する立場。この場合、妊娠中絶の可否は一律に
決定されるのではなく、女性の道徳的葛藤が重視され、具体的状況からその都度に
判断されることになるとする
→問題
・胎児の生命権が一律に発生するとし、さらにそれを比較衡量という法学的
発想で解決しようとする解釈そのものに対する疑問 〔加藤(秀)
(1996)〕
・中絶問題が女性とその他者たる胎児の分離された二者間の問題としてしか
把握されておらず、こうした自他の把握が妥当か。また、中絶問題におけ
る男性一般の存在、関与が捨象されているのではないかとの批判 〔江原〕
・適応基準を公準化する場合、女性の道徳的葛藤という内心の位相を判断す
るのはどのような基準により、また、誰によって可能なのかが不明確
⑤「良心」の自由説
〔玉國〕
女性の「良心」を第一の指標として捉え、公的基準による画一的処理に消極的な説
→胎児生命の絶対的尊厳のような主張は個々人の信念の問題に帰結すること、また、
妊娠が女性の身体に生じる事柄であり、中絶の決定は女性個人の人生の経験と価値
観を総合して導き出される問題であることを重視し、何らかの公準に基づき、胎児
の生命権を仮定し、それを女性の決定権と対置して画一的処理をすることを批判
→問題
・中絶問題を考察する基点にある倫理的要請としては重要な指摘だが、法にお
ける一般性の要請という点からみて、法解釈論としては不十分
⑥関係性説
女性と胎児の関係性を重視し、その関係性を一方的に侵害する規制を不当する説
→・キャロル・ギリガンの理論2に基づく「関係性」の視点を導入し、女性の妊娠中絶
の決定過程を重視し、胎児と女性の対立構造で妊娠中絶問題を捉えることを批判
する立場。
「女性」対「胎児」という対立枠組を批判し、不平等社会における女性
の地位の向上という要請と、胎児に対する共同体の利害という二つの観点から調
整を図るべきとする 〔高井〕
→・胎児の権利主体性について、それ自体は権利の主体とはならないが、国家により
務付けられるものではない。従って、仮に胎児に生命権があり、それが女性との接合状態(妊娠)に
おいてしか保障されえなくとも、女性はこの胎児を救済するため妊娠を継続させる義務はない、とト
ムソンはいう。トムソンのこの理論は生命倫理学における中絶の議論において、ある種の古典的地位
を獲得しており、医学的事由(生命保全、身体・精神の健康)や倫理的事由(強姦による妊娠)に基
づく中絶の正当化根拠の説明としては、ある程度成功しているとされる。
2 ギリガンはアメリカの児童発達心理学者で、フィールドワークを通じ、中絶に際しての女性の決断
までの決定過程を調査した。そしてその決定過程から、従来想定される「正義の倫理」観念―自己完
結的な自律的人間が下す合理的画一的な公平性に基づく正義を基準とする―とは異なる、新たな正義
の体系を発見した。それは、他者とつながる自己を基点に相互の必要性や責任を感知しつつ、個別具
体的な人間関係の中で、その都度の「妥当な」解決を図っていく、という正義の基準であり、これを
「ケアの倫理」と名付けた。
4
客観的に保護されるべき法益の主体であるとする一方で、高井説と同様に関係性
に基づく女性の決定過程を重視し、法は胎児と女性の関係性をあらかじめ決定し
てしまうような規定を設けてはならないとする。この場合、胎児の他者性の問題
については、女性とその周囲の関係性において決定しうる余地が残されるべきで
あるとする 〔中山〕
→問題〔秋葉〕
ⅰ女性は胎児を恣意的に殺害できることになるのか
ⅱ選択的中絶などの生命の恣意的選別を許容するのか
ⅲ法の一般性の要請との整合性において問題がある
Ⅳ.まとめと今後の課題
1.検討
○私見では⑥説が最も妥当
「自己決定権という際の自己とは、決して、諸関係を切り離され孤高に存在するので
はなく、関係性の中に存在する」〔柘植(2000)〕。「中絶の権利」の第一の意義、すなわ
ち女性の自己決定における責任感情の尊重は、このように他者関係の中で述べられるも
のである。しかしその一方で、他者による不当な干渉からも守られなければならないと
いう側面も有する。
この点、
「中絶の権利」の第二の意義である身体の統合性の確保は、他者による不正な
干渉を拒み自己を確保しながら、同時に他者へとつながっていくための足がかりとして
も重要となる。このように内心と身体とを位置付けることによって初めて、様々な社会
的意味づけが投下されていた女性の身体を、一旦女性自身の元に回収したうえで、改め
て人間存在として自己をトータルに把握する契機が生じる。そして、このような主体の
発露、承認欲求としての自己決定こそが重要な意味を有するのであり、これを確保する
ための手段として、その一つの承認されたかたちを、自己決定「権」として具体化する
ことが要請される。
→・問題ⅰについて
関係性説は、女性と胎児の関係性の在り様を女性自ら構成する可能性を一切排
除する立法について異を唱えるものであり、全ての女性の中絶行為を無制限に
許容するものではない。
・問題ⅱについて
出生前診断などにおいて、胎児はすでに生の質を客観的に意味づけられた存在
として可視化されている。ここで確認される生の質において、胎児は非常に強
い他者性を持った存在として現前しており、この場合の中絶は、少なくとも自
己を決定するという意味での自己決定権の範疇からは外れることになる〔立岩〕。
・問題ⅲについて
オルタナティブな法的規制の可能性は放棄されたわけではなく、むしろ新たな
立法枠組への要請として位置づけるべきである。
5
○⑥説の補完説としての⑤説の意義
→そのまま法的規制の根拠にはならないが、立法的討議の際の指針としての意義
・立法段階において共同体や国家と、個人との関係を考慮する際に、
「個」の重要性
を再確認する必要性
・公論形成空間におけるジェンダーバイアスへの対抗点としての「良心」
2.比較法的観点からの考察 →
(1)アメリカ ∼
(2)ドイツ ∼
資料参照
自己決定権に重点を据える
人間の尊厳(→生命の権利に直結させて解釈)に重点を据える
(3)小括
・ロナルド・ドゥオーキンによる「信教の自由としての中絶の権利」
→・しかし、中絶の権利を、ドゥオーキンの想定するような「信教の自由としての
権利」と結合させてもよいか。中絶の権利は現在、単なるプライバシーの自由
を越えて、自己決定の積極的契機を強調する能動的権利として主張されつつあ
り、または単に私事における決定なのではなく、平等権としての観点からの再
構成〔cf. Cornell, Mackinnon〕などが期待されている。しかしこの中絶の権
利が干渉を受けないという消極的権利として、信教の自由と法論上ワンセット
のものであるとすると、中絶の決定はより私事化せざるを得ないのではないか。
・また、中絶への公的助成も困難になると思われる。というのも、中絶を宗教的
な神聖価値に対するコミットメントの問題とすると、中絶への公的援助は、一
方の価値への実質的支援となってしまうため、修正第一条の国教樹立禁止条項
(Lemon v. Kurtzman, 403 U.S. 602(1971))に関する、いわゆるレモン・テス
ト
―
①法律は世俗的な立法目的を有してなければならない
②その主たる
効果が宗教を助長し、あるいは抑圧するものであってはならない
府の宗教との過度の関わりあい」を促進してはならない
―
③法律は「政
に抵触する可能
性があるためである。
○私見
日本においても、政教分離と信教の自由は、究極的には対立しあう可能性がある。確か
に胎児の生命価値と女性の権利の価値は、個々人の内面に関わるそれぞれに非常に重要な、
時にある種の神聖価値へのコミットメントの問題ともなりうる価値であることは、公共的
に認識される必要がある。しかし、それをもって上記のような問題を内包する対国家関係
における宗教的自由とのアプローチを採って、すぐさま法的規制根拠とするのはやはり妥
当ではない。そこで、こうした個々人の価値選択の問題は、
「良心の自由説」の意義におけ
るように、立法段階での斟酌要素として、ガイドラインたる位置づけに留める方が妥当と
思われる。
この上で関係性説に立てば、最終的には、胎児は国家に保護される利益主体として位置
づけられ、胎児の生命は、女性と胎児との関係性が保障される範囲内で保護するという基
準が取られることになる。具体的には、女性と胎児の強度の関係性が薄まる一つの地点で
ある、胎児の母体外独立生存可能時点をもって、規制の指標とすることになると思われる。
6
※オランダの事例(1984 年
妊娠中絶法 De Wet afbreking zwangerschap (Waz))
→・24 週以内の妊娠中絶を合法化(実務上は 21 週)
→条件
∼
指定医院の医師から中絶以外の他の手段(養子や援助など)の
紹介を受けた後、5 日間の待機要件。中絶の理由は問わない
・立法の目的
女性の困難な状況と、胎児の生命保護との葛藤状況の間でのバランスを図り、
個々人のケースに応じ、適切な配慮を考える機会を設けさせる
・堕胎罪は存続しているが、女性を罰する自己堕胎罪規定はない
・公費援助について、中絶の理由を問わず支給される
3.今後の課題
・男性の妊娠中絶に対する関わり方 〔cf. 沼崎〕
堕胎罪規定において男性は責任を問われない(堕胎幇助などに該当する場合はある)。他
方で、中絶の決定に際しては、配偶者として同意権を有することの是非
・堕胎罪規定(特に自己堕胎罪)の存否
〔cf. 気駕〕
①主な基幹をなす自己堕胎罪について女性のみが罰せられる対象になるのにもかかわらず、
その立法経緯において女性の意思が反映されるプロセスはなかった
②ジェンダーによりアンバランスな法構造の問題性
③国家による刑罰適用意思の現実における不存在
④1999 年女性差別撤廃委員会(CEDAW)
「女性と健康に関する一般勧告」パラグラフ 14
→「女性のみが必要とする医療手続を犯罪とし、これら手続を受けた女性を処罰する法
律」を「適正な保健医療への女性のアクセスに対する障害」と位置づけ
→1995 年「北京行動綱領」にも同趣旨(採択済み)
以上
関連法規
・刑法 212 条
妊娠中の女子が薬物を用い、又はその他の方法により、堕胎したときは、一年以下の懲役に処する。
→本罪は、自然の分娩期に先立って人為的に胎児を母体から分離させることによって成立し、その結果
胎児が死亡したか否かを問わない。(大審院判決明治 44 年 12 月 8 日)
以下、213 条同意堕胎罪、214 条業務上堕胎罪、215 条・216 条不同意堕胎罪
・母体保護法 2 条 2 項
この法律で人工妊娠中絶とは、胎児が、母体外において、生命を維持することのできない時期に、人工的
に、胎児及びその附属物を母体外に排出することをいう。
同第 14 条1項
都道府県の区域を単位として認定された社団法人たる医師会の指定する医師(以下「指定医師」という。)
は、次の各号の一に該当する者に対して、本人及び配偶者の同意を得て、人工妊娠中絶を行うことができる。
一
妊娠の継続又は分娩が身体的又は経済的理由により母体の健康を著しく害するおそれのあるもの
二
暴行若しくは脅迫によつて又は抵抗若しくは拒絶することができない間に姦淫されて妊娠したもの
7
主要参考文献
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森岡正博『生命学に何ができるか―脳死・フェミニズム・優生思想』(勁草書房、2001 年)
森脇健介「いわゆる『中絶の権利』に関する一考察―〈
「女性の自己決定権」対「胎児の生命権」〉枠組の転換の
ために」早稲田法学会誌(2005 年)
山根純佳『産む産まないは女の権利か―フェミニズムとリベラリズム』
(勁草書房、2004 年)
吉村良一「なぜいま『自己決定権』か―『自己決定権』の今日的意義」法の科学 28 号(1999 年)
米津知子「女のからだは女(わたし)のもの」月刊フォーラム 9 巻 6 号(1997 年)
ペーター・J・P・タック、甲斐克則 訳「講演 オランダ刑法における後期妊娠中絶(1)(2・完)
」広島法学 25 巻 3
号、25 巻 4 号(2002 年)
ジュディス・J・トムソン、星敏雄・古郡悦子・木坂貴行・新田章「人工妊娠中絶の擁護」(orig.1971)
『バイオエシックスの基礎―欧米の「生命」倫理論』加藤尚武・飯田亘之 編(1988 年)
Valerie Bryson, Feminist debates : issues of theory and political practice, Palgrave, (1999)
邦訳:江原由美子 監訳『争点・フェミニズム』(勁草書房、2004 年)
Drucilla Cornell, The imaginary domain : abortion, pornography & sexual harassment, Routledge, (1995)
邦訳:仲正昌樹 監訳『イマジナリーな領域―中絶、ポルノグラフィ、セクシュアル・ハラスメント』
(2006 年、御茶の水書房)
Ronald Dworkin, Life’s Dminion, New York : Vintage Books, (1994)
邦訳:水谷英夫、小島妙子『ライフズ・ドミニオン』(信山社、1998 年)
Carol Gilligan, In a Different Voice: Psychological Theory and Woman’s Development, Harvard University
Press, (1982) 邦訳:キャロル・ギリガン著、岩男寿美子 監訳『もうひとつの声』
(川島書店、1986 年)
Catharine A. Mackinnon, Toward a Feminist Theory of the State, Harvard University Press, (1989)
Joyce Outshoorn, “Policy-Making on Abortion: Arena's, Actors and Arguments in the Netherlands”, in:
Abortion Politics, Women's Movements, and the State, Dorothy McBride Stetson (Editor), Florida Atlantic
University, (2002)
Tom Stacy, “Reconciling Reason and Religion: On Dworkin and Religious Freedom”, The George Washington
Law Review, vol.63, no.1, George Washington University Press,(1994)
web page
Ministry of Health, Welfare and Sport(オランダ厚生・福祉・スポーツ省)
http://www.minvws.nl/en/themes/abortion/
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