中国の中間層をどのように捉えるか

Draft 2014.115
日本総合研究所
調査部 三浦有史
中国の中間層をどのように捉えるか-開発経済学の視点から
はじめに
“BRICS”に象徴される新興国・地域は著しい経済成長を遂げ、世界経済に占める比重を高
めつつある。13 億を超える人口を擁し、世界第 2 位の経済大国となった中国はそのなかで
もひときわ際立った存在といる。しかし、それは規模に限ったことではなく、経済発展パ
ターンと「中間層」(middle class)の形成についてもいえる。本稿は、共通論題「中間層とは
誰か―先進国と新興国の比較」をもとに、中国における中間層をどのように捉えるべきか
について検討する。
中間層は、発言者によってそのイメージにかなりのかい離が生じうる非常に曖昧な概念
であり、論点が発散しやすい。このため、本稿では、まず、生活水準をベースに中間層を
定義し、中国の中間層は開発途上国全体のなかでどのような位置を占めるのかを明らかに
する。そして、中国は(「共通論題」で示されたように)中間層の購買力に依存する内需主
導の経済成長を遂げてきたのか、さらに、中国では何をもって中間層とされているのか、
について考察する。
1. 開発途上国における中間層
先行研究をレビューし、開発途上国における中間層の捉え方が一様ではないことを指摘
する。そのうえで、国際労働機関(ILO)の定義に従い、開発途上国における中間層の台頭に
おいて中国が非常に大きな役割を果たしてきたことを確認する。
(1)開発途上国における「中間層」の捉え方
「中間層」は家計調査に基づく 1 人当たりの所得水準、つまり、5 分位統計における第 3
五分位の所得階層に属す人を示すのか、あるいは、わが国の「国民生活に関する世論調査」
(内閣府)のように自己申告に基づく所得階層意識を示すのか。前者はデータによる定義
づけが行われているため経済学の伝統的な研究対象領域であるが、後者は主に実験社会学
や社会心理学などの社会学の研究領域である。興味深いのは、双方の調査で明らかにされ
る中間層のボリュームは必ずしも一致しないことである1。このため、自己申告に基づく主
観的な中間層と所得などの基準に基づく客観的な中間層は明確に区別する必要がある。
1
例えば、メディアでは経済開発機構(OECD)の調査からわが国の相対的貧困は先進国のな
かでは多いことや格差の拡大が盛んに指摘されるが、格差の拡大は高齢者世帯の増加を受
けたもので、必ずしも現実を反映したものではない(大竹・富山,2006)。また、内閣府の「国
民生活に関する世論調査」では、依然として、自らを「中の中」と位置づける人の割合が
最も多い。
1
Draft 2014.115
中間層の研究として最も認知されているのはおしらく政治学であろう。ハンチントンの
『第三の波-20 世紀後半の民主化』(三嶺書房)やリプセットの『政治のなかの人間』(東京
創元新社)はその代表的研究といえよう。いずれも中間層の台頭が民主化を促すというもの
であるが、中間層の定義は曖昧で、一定の所得と教育水準を満たす人々としかされていな
い。中間層は主観的なものか、客観的なものか。客観的なものであれば、中間とそれ以外
の所得と教育の線引きをどこで行うのか。中間層を定量的に把握し、民主化との因果関係
を実証することは極めて難しい。
近年は、購買意欲に溢れた新興国の消費者を中間層とする研究も目立つようになってき
た。ボストンコンサルティンググループによる『世界を動かす消費者たち―新たな経済大
国・中国をインドの消費者マインド』(ダイヤモンド社)はその代表であろう。同書は、
Euromonitor 社のデータから両国における 2010 年と 2020 年の所得階層を図 1 のように想定
し、2009 年生まれの中国人は祖父母世代の 39 倍、インド人は同 13 倍の消費をする可能性
がある2としている。新興国の中間層の需要をいかに取り込むかは主要先進国政府および企
業の浮沈を左右する問題であり、この種の中間層論は今後も増えていくであろう。
中間層をどのように捉え
るかについてはこのほかに
も研究者によって様々なも
のがあろう。しかし、所得水
準による定義は最も明確で
あり、それをベースに中間層
図1 中国とインドにおける所得分布
所得水準(05年購買力平価、ドル)
世帯数(100万世帯、構成比)
国名
所得階層
2010年
2020年
2010年
%
2020年
%
上位
7,300未満
9,900未満
24
6
91
21
中国
中位
7,300~23,200
9,900~31,300
109
28
202
47
下位
23,200以上
31,300以上
260
66
138
32
上位
6,700未満
11,200未満
9
4
32
12
インド
中位
6,700~20,000
11,200~33,500
63
28
117
45
下位
20,000以上
33,500以上
152
68
110
43
(資料)マイケル・J・シルバースタイン他『『世界を動かす消費者たち―新たな経済大国・中国をインドの消
費者マインド』、ダイヤモンド社、2014年、12頁より作成
とはどのような人を示すのかについて明らかにすることが中間層にかかわる議論を進める
にあたっての「最良の出発点」であるように思われる。以下では、開発経済学の視点から
中国における中間層をどのように捉えることができるかについて明らかにする。
とはいえ、実のところ開発経済学において中間層という言葉はあまり目にしない。開発
経済学のターゲットが貧困削減(poverty reduction)にあるためである。開発途上国における貧
困は、2000 年 9 月の国連ミレニアムサミットで採択された MDGs(Millennium Development
Goals)に象徴されるように、生存に必要なカロリー摂取量の不足や医療・教育サービスの欠
如という絶対的貧困を意味する。これは先進国で話題となっている相対的貧困とは全く異
なる概念である。
世界銀行を中心とするドナーコミュニティーにおいて、絶対的貧困の目安は 2005 年購買
力平価ベース(以下、特に断りのない限り全て 2005 年購買力平価)で 1 日当たり 1.25(年 450
ドル)以下の生活を余儀なくされている人を指す。また、1.25 ドル以下を「極度の貧困」
(extreme poverty)、2 ドル(同 720 ドル)以下を「通常の貧困」
(moderate poverty)とすること
2
マイケル・J・シルバースタイン、アビーク・シンイ、キャロル・リャオ、デビット・マイ
ケル『世界を動かす消費者たち―新たな経済大国・中国をインドの消費者マインド』ダイ
ヤモンド社、2014 年、12 頁および 8 頁
2
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もある3。アジア開発銀行(ADB)は、貧困から脱却した人を中間層、つまり1日当たり 2
~20 ドル(年 720~7,200 ドル)と定義し、アジアが開発途上国における中間層の台頭を牽
引するとした(Chun,2010)。
一方、世銀グループの IFC(International Financial Cooperation)は、BOP(base of pyramid)を年
3,260~21,731 ドルとしている4。ADB が中間層を 720~7,200 ドルとする一方、IFC が BOP
を 3,260~21,731 ドルとしているため、貧困層と中間層はかなり重複している。これは、BOP
ビジネスを貧困削減の新たなアプローチとして提示したい IFC と貧困削減を最大のレーゾ
ンデートルとする ADB の立場の違いを投影したものであり、ドナーコミュニティーや開発
経済学において、中間層をどのように定義するかについてのコンセンサスが存在しないこ
とを示す好例といえる。
(2)世界からみた中国の中間層の位置づけ
所得水準から中間層をどのように定義するかについて万人の了解を取り付けることは難
しい。このため、中間層の定義においては、先行研究の成果を十分に踏まえた合理的な枠
組みを構築し、それをベースに議論を進めるのが望ましい。国際機関として、この問題に
踏 み 込 み 、 中 間 層 の 定 義 づ け を 行 っ た の が 国 際 労 働 機 関 (ILO) で あ る ( Kapsos and
Buourmpola,2013)。
以下では、ILO による定義をベースに、開発途上国全体からみた場合、中国の中間層がど
のように位置づけられるかについて明らかにする。ILO は生活水準の点から開発途上国の
人々を 5 段階-①極度の貧困層(1日当たり 1.25 ドル以下)、②通常の貧困層(同 1.25~2
ドル)、③脱貧困層(同 2~4ドル)、④新興中間層(同 4~13 ドル)、⑤上位中間層(同 13
ドル以上)-に分け、2011 年に開発途上国における労働者の 41.6%が中間層に属し、その
割合は 1991 年から 2 倍以上に上昇したとした。
この階層に従い 1981 年と 2010 年の開発途上国全体における貧困および中間層のボリュ
ームを地域別に表したのが図表 2 である。目盛はすべて同じにしてあるので、各図を横に
比較すれば各地域および世界における所得階層の分布を、また、縦に比較すれば約 30 年間
で各所得階層における人口がどのように変化してきたかをみることができる。中国は東ア
ジア・太平洋地域から抜き出し、別建てとした。
図 2 から分かることは、共通論題で指摘された BRICS はもちろん、開発途上国全体を見
渡しても、中間層の台頭において中国が果たしてきた役割が非常に大きいということであ
る。1981 年時点で、極度の貧困層あるいは通常の貧困層は中国に集中していたが、2010 年
時点で政府はこれらの貧困層を大幅に削減し、脱貧困層5、新興中間層、上位中間層に押し
3
これは 2 ドルを超えると「経済的勾配」(economic gradient)が顕在化するためである
(Ravallion, Chen and Sangrauka,2008)。
4
Allen L. Hammond, William J. Kramer, Robert S, Katz, Julia Tran and Courtland Walker
, The Next 4 Billion Market Size and Business Strategy at the Base of Pyramid,2007,IFC,p.1
5脱貧困層とは、貧困を漸く脱した状態で、マクロ経済動向によっては再び貧困層に逆戻り
3
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上げることに成功した。これは、近代経済史において例を見ない奇跡といえる。
図2 開発途上国における所得階層別分布
1981年年(100万⼈人)
<極度貧困層>
(1.25ドル以下)
サブサハラアフリカ
<通常貧困>
(1.25~2ドル)>
204.9 82.6 南アジア
568.4 70.2 242.2 99.9 中東・北アフリカ
16.5 35.3 64.3 ラテンアメリカ・カリブ
43.3 43.2 8.2 27.5 91.3 122.
2 54.6 欧州・中央アジア
東アジア・太平洋(中国除く)
261.4 中国
79.2 835.1 0
500
137.1 1,000 0
<新興中間層>
(4~13ドル)
<脱貧困層>
(2~4ドル)
35.0 5.6 18.9 0.3 7.6 48.8 53.4 133.2 56.6 215.1 3.8 27.7 21.4 500
<上位中間層>
(13ドル以上)
0.0 0.4 1,000 0
500
1,000
0
500
0
1,000
500
1,000
2010年年(中国は2009年年、100万⼈人)
<極度貧困層>
(1.25ドル以下)
サブサハラアフリカ
<通常貧困>
(1.25~2ドル)>
413.7 南アジア
中東・北アフリカ
ラテンアメリカ・カリブ
東アジア・太平洋(中国除く)
中国
500
1,000
0
500
500
28.6 65.8 502.4 411.4 1,000 0
149.6 173.5 231.3 203.2 155.5 0
149.2 270.1 46.3 143.2 95.4 19.2 274.1 100.1 28.2 8.0 3.2 7.2 146.1 126.2 31.8 32.3 欧州・中央アジア
12.7 103.9 433.3 582.1 8.0 74.7 169.9 182.5 506.8 <上位中間層>
(13ドル以上)>
<新興中間層>
(4~13ドル)>
<脱貧困層>
(2~4ドル)
1,000 0
500
1,000
0
500
1,000
(資料)World Bnak, Povcal Netより作成
2. 多様な新興国経済の発展経路-中国の経済発展パターンと中間層の形成
中国は、共通論題で指摘されたように、
「中間層の購買力に多くを依存する内需主導の(中
略)成長がけん引力となってきた」のかについて、GDP の需要項目別寄与の点から検証す
る。また、所得格差の是正の喫緊の課題とされており、消費主導型経済への転換を模索中
であることを指摘する。
(1)投資主導型の経済成長
中国が個人消費ではなく、投資に依存した経済成長を遂げてきたことは、国際通貨基金
(IMF)や世界銀行のみならず、中国の共産党および政府の指導部内でも広く認識されてい
る。需要面からみた GDP の構成がどのように変化してきたかについて、周辺アジア諸国と
比較したものが図 3 である。中国の「高投資・低消費」体質は、1997 年のアジア通貨危機
を契機に顕在化した。直近の GDP に占める総資本形成の割合は 5 割近くまで上昇している。
これは、わが国や韓国の経験からみても異常な水準といえる。
一方、GDP に占める個人消費の割合は、1980 年代央から趨勢的に低下し、近年は 4 割を
切る水準まで低下した。他のアジア所得が発展段階にかかわりなく、5~6 割の水準に収斂
する傾向にあるのと比較すると、中国は極めて特異な存在といえる。この背景には、労働
する可能性が排除できない階層である。しかし、中国の潜在成長率は低下が著しいものの
引き続き 6~7%台が見込めること、また、習近平体制が社会保障制度改革や所得再分配政
策に取り組んでいることから、彼らは新興中間層予備軍と位置づけるが妥当であろう。
4
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分配利率の低下と貯蓄率の上昇がある。労働分配率の低下は、1970 年代から先進国と新興
国の双方でみられる現象であるが、中国はもともと分配率の水準が低いうえ、2000 年年代、
つまり、胡錦濤政権下で分配率が大幅に低下した6。先進国の平均分配率が 6 割強、新興国
が 5 割強とされるなか、中国だけが 5 割を割り込んでいる。
図3 総固定資本形成、個人消費、輸出がGDPに占める割合
(年)
(注)1995年価格
(資料)UN,National Accounts Main Aggregates Databaseより作成
1970
1974
1978
1982
1986
1990
1994
1998
2002
2006
2010
2006
2010
1998
2002
2010
2006
2002
1998
1994
1990
1986
1982
1978
1974
1970
0
中国
日本
タイ
1994
10
90
80
70
60
50
40
30
インド
20
韓国
10
インドネシア
0
1986
1990
20
1974
30
1970
40
<輸出/GDP>
<個人消費/GDP>
(%)
90
80
70
60
50
40
30
20
10
0
1978
1982
(%) <総資本形成/GDPの推移>
60
アジア通貨危機
50
( 年)
(年)
GDP に占める個人消費の割合が低下するもうひとつの理由として家計の高い貯蓄率をあ
げることができる(三浦,2014a)。国民経済計算をベースにみると、中国の貯蓄率は 2000 年を
境に上昇に転じ、GDP 比 50%を超える世界屈指の高貯蓄国となった。一方、家計調査をベ
ースにした場合、都市の貯蓄率は 33.1%、農村は 25%に達する。中国の貯蓄率は 1970 年半
ば頃のわが国のそれと比べても概ね 10 ポイント高い。家計の貯蓄残高は 41 兆元と GDP の
79.3%に相当するが、その 8 割は都市家計によるものである。
貯蓄は家計だけでなく、企業や政府によってもなされる。2011 年の家計、企業、政府の
金融資産残高は 154 兆元(GDP 比 324.3%)と 2007 年から倍増した。これを押し上げたの
は企業である。しかし、企業は負債を拡大させており、純資産を積み上げているのは家計
だけである。家計の消費ではなく、企業が家計の貯蓄を「食いつぶす」ことで成長を維持
しているというのが中国経済の現状である。
(2)拡大する所得格差と高まる階層意識
中国の経済発展にみられるもう一つの特徴は所得格差の拡大である。中国では、都市と農
村で別々に家計調査が行われているため、国全体としてのジニ係数の算出が難しいこと、
また、国家統計局に毎年ジニ係数を発表するわけではないことから、ジニ係数は内外の専
門家による推計値でしか得ることができない。図 4 ではその中から信頼性が高いと思われ
6
ILO, Global Wage Report 2012/13, Wages and equitable growth,2013,pp.42-45。あるいは、梶谷
懐、
「『過剰資本蓄積』の罠と和階社会」、
『中国経済研究』中国経済学会 2012 年 9 月号 38-39
頁。
5
Draft 2014.115
るものを抽出した。いずれをみてもアジア通貨危機が起こった 1997 年にやや低下したもの
の、ジニ係数は 1980 年代中頃から 2010 年頃まで上昇の一途にある。
中国は他国では見られないスピードで格差
図4 都市と農村を含む全国ベースのジニ係数
が拡大し、現在は世界で最も格差が大きいグ
0.50
ループに属す。この背景に何があるのか。真
0.45
っ先に指摘できるのは市場経済化である.市
0.40
場経済は能力のある人に高い報酬を支払い、
0.35
インフラなどの条件に恵まれた地域の発展
0.30
を促すメカニズムである。しかし、市場経済
Ravalion & Chen
徐・張
尹・劉
国家統計局
0.25
化だけで所得格差拡大を説明しきることは
Chen & Hou
2012
2010
2008
2006
2004
2002
2000
1998
1996
1994
1992
1990
1988
1986
1984
1982
1978
ピードはロシア・東欧を遥かに上回るからで
1980
0.20
できない。中国におけるジニ係数の上昇のス
(年)
(注)Pavalion & Chenは都市と農村の生活費を調整したもの。
(資料)
Chen and Hou(2008),Ravalion and Chen(2004).徐・
張(2011),尹・
劉
(2011),国家統計局 Web(
「
馬建堂就2012年国民経済運行情況答記者
問」
2013年1月18日、ほかより作成。
ある。
中国の所得格差を考えるにあたっては、社
会主義工業化政策にもとづいて制度化され
た農村の過剰負担という中国特有の事情を考慮しないわけにはいかない。社会主義工業化
とは農村の余剰を都市に集中的に投下し,短期間のうちに西側先進諸国にキャッチアップ
しようとする政策である。社会主義工業化は改革開放政策によって事実上放棄されたが、
それにかかわる制度の多くはその後も残された。戸籍制度はそのなかでも最も重要な制度
といえよう。中国の戸籍制度の特徴は農村戸籍と都市戸籍という二種類の戸籍を設け、農
村戸籍保有者の都市への流入を厳しく制限したことにある。これにより農村は長い間狭小
な農地に過剰な労働力を抱える状態を余儀なくされた。
都市と農村の所得格差は 3 倍を超える状態が続いており、消費支出で比較してもほぼ同
様の格差が存在する。3 倍という格差をどのように評価すべきであろうか。世界銀行(World
Bank, 2008)は,クロスカントリーデータから 1 人当たり GDP、つまり、発展段階の上昇に
伴い都市-農村間の消費支出格差は縮小し,2 倍程度に収斂することを明らかにしている。
しかも、この収斂のプロセスは 1 人当たり GDP が 2,000 ドルに上昇する間で生じる。中国
の 1 人当たり GDP は 5,431 ドル(2011 年)であり、3 倍を超える格差はいかにも大きい。
格差は所得だけでなく、資産においても顕在化している。2014年7月、北京大学は、「中
国民生発展報告2014」7において、家計の資産格差が急速に拡大しており、1995年に0.45で
あったジニ係数が2012年に0.73まで上昇したことを明らかにした。これは、上位1%の家計
が全家計資産の3割以上を保有する一方、下位25%はわずか1%しか保有していないことを
意味しており、資産における格差は所得よりも深刻であることを示す。
前出の図 2 では、中間層の台頭において中国が非常に大きい役割を果たしたことを指摘
7
「北大社会調査中心発布《中国民生発展報告 2014》」中国社会科学網 2014 年 7 月 28 日
(http://www.cssn.cn/zx/zx_gx/news/201407/t20140728_1270511.shtml)
6
Draft 2014.115
したが、所得および資産における格差の拡大は、中国が開発途上国のなかで最も中間層の
薄い国であることを示す。この問題は、前述した個人消費の成長寄与度の低下という経済
的問題だけでなく、階層意識の顕在化という社会的問題を表面化させることとなった。そ
れを象徴するのが、近年、メディアに頻出するようになった「仇富心理」という言葉であ
る。仇富心理とは富裕層に対する嫌悪感である。
中国では、富裕層を見る目はこれまで賞賛や憧憬といった感情が主流であった。社会科
学院の『社会青書 2007』
(社会科学文献出版社)では、貧困層が考える「富裕層が富裕であ
る理由」として、「高い教育水準」、「自助努力」、「能力」という肯定的な回答が、「不当な
手段による金儲け」、「重要人物とのコネ」という否定的な回答を大きく上回っていた(図表
5-1)。また、別の調査では、個人の成功に与える要因として、ビジネスマインド、努力、才
能、教育などの「個人的要因」がコネなどの「社会的要因」よりも重視されており(図表 5-1)、
格差に対する寛容性を備えていたといえる。
図5-­‐2 個人の成功に与える要因(
2006年)
図5-­‐1 貧困層が考える富裕者が富裕である理由
0
20
40
高い教育水準
60.8 不当な手段による金儲け
49.8 能力
4.0
個人的要因
4.01
家庭的要因
3.59
36.9 重要人物とのコネ
36.7 運命
社会的要因
33.6 家庭背景
3.35
24.7 先駆者からのアドバイス
富裕層への過少課税
2.0
51.2 自助努力
汚職・横領
0.0
(%)
60
22.7 先天的要因
2.86
10.5 5.0 (注)5段階評価、数値が高いほど影響大(
N=10,151)。
(資料)中国人民大学中国調査与数据中心中国総合
社会調査[CGSS]項目『
中国総合社会調査報告[2003-­‐
2008]』より作成
(注)面接調査(
N=7,061人)。複数回答。
(資料)『中国社会青書2007』より作成
しかし、拡大する一方の格差と汚職・腐敗問題に対する意識の高まりを受け、富裕層の
所得や資産は地位や職権によって得られたものという認識が広まり、富裕層を見る目に軽
蔑あるいは嫌悪といった感情が入り込むよ
図6 過去10年で最も利益を得たのは誰か
うになった。これが先述した「仇富心理」で
0
ある。所得格差に対する認識の変化は社会調
査でも明らかになっている。社会科学院の
『中国社会青書 2009』
(社会科学文献出版社)
で「この 10 年間で最大の受益者は誰か」と
いう質問に対し、「国家幹部」という回答が
68.8%と最も多く、次いで「国有/集団企業経
営者」
(60.4%)、
「私営企業オーナー」
(52.3%)
であった (図 6)。
7
20
国家幹部
国有/集団企業経営者
私営企業オーナー
専門技術者
自営業者
農民
ワーカー
出稼ぎ労働者
その他
不明
〈注)複数回答(N=7,139)
(資料)『中国社会青書2009年』より作成
40
60
(%)
Draft 2014.115
(3)経済発展モデルの転換-習近平体制の取り組み
投資主導型経済から消費主導型経済へ。経済発展方式の転換は胡錦濤前体制の下でもそ
の重要性が指摘されてきたが、みるべき成果はほとんどなかった。習近平総書記は、前体
制とは異なる覚悟をもってこの問題への取り組みを始めようとしているようにみえる。習
近平体制は中国が改革開放政策を採用して以来、どの指導者も経験しなかった資本効率と
潜在成長率の著しい低下という難題に直面しており、改革をスローガンに終わらせること
は許されない状況に置かれている。
資本効率はどの程度低下しているのか。この問題を評価するため、資本効率を表す限界
資本係数を周辺アジア諸国と比較する。限界資本係数は、一般的に限界資本係数は資本(K)
の追加分(⊿K)と国民純所得 (Y)の追加分(⊿Y)の比率で表される。これは一単位の成長を
遂げるのに必要な投資単位を表し、数値が高
いほど効率が低下していることを意味する。
図 7 からは、アジア諸国の高度成長期と比較
すると、中国の限界投資係数が 2000 年以降
急速に上昇、つまり、投資効率が低下しいて
いることがわかる。
中国はこうした投資が対外債務ではなく、
家計部門の貯蓄によって賄われる構造にあ
るため、投資の抑制や効率化に向けたインセ
ンティブが働きにくい。中国企業(非金融法
図7 限界資本係数
実質G D P
投資/G D P
高度成長期 成長率
限界資本係数
(いずれも名目
(年)
(年平
値、%)
A
B
B'
B /A
B '/A
韓国
1986-90
9.65
30.09
3.12
インドネシア
1989-93
8.30
26.79
3.23
マレーシア
1992-96
9.56
40.37
4.22
フィリピン
1986-90
4.74
19.01
4.01
タイ
1987-91
10.94
34.99
3.20
日本
1966-70
11.56
33.50
2.90
1981-89
10.50
35.91
26.80
3.42
2.69
1990-99
10.66
37.82
31.66
3.55
3.17
中国
2000-05
9.76
39.74
40.56
4.07
4.16
2006-11
10.54
45.75
62.99
4.34
5.98
(注)中国を除く各国の期間は5年平均で実質G D P成長率が最も高い期間。中国は
期間中の年平均成長率。投資(B)は国民経済計算における総固定資本形成、
(B ')は「全社会固定資産投資」で求め、2011年値は集計基準の変更を考慮し、前
年実質伸び率から求めた値(34.4兆元)で代替した。
(資料)中国以外は『通商白書 2 007年』より引用、中国は『中国統計年鑑』(2012
年)より作成
人)のレバレッジ水準は他の新興国に比べ非
図8 新興国の企業のレバレッジ水準(GDP比)
常に高く(図 8)、シャドー・バンキングを
(2013年末の対銀行借り入れ残高、%)
含む社会融資規模の残高は、2014 年 6 月末
160
中国
140
時点で 132 兆元、GDP 比 210.1%に達した。
120
100
レバレッジの拡大は地方政府債務の増加と
シンガポール
80
金融システムの不安定化を誘発し、中国経済
タイ 60
ポーランド
40
の脆弱性を高めている。 南アフリカ
潜在成長率の低下も著しい。人口労働経済
インド
ブラジル
インドネシア
メキシコ
20
0
▲ 10
研究所の蔡昉所長は、2014 年 4 月に発表さ
トルコ
ロシア
0
10
20
30
40
(
資料)IMF,2014より作成
れた『中国経済増長与発展新模式』(社会科
学出版社)において、第 13 次 5 カ年計画(2016~2020 年)中を 6.1%とした。2013 年末の
全国人民代表大会(全人代、国会に相当)で決定された一人っ子政策の緩和はほとんど効
果を発揮せず、人口高齢化によって労働参加率と貯蓄率が低下する一方、農村の余剰労働
力の枯渇により労働力移動に伴う生産性の飛躍的な向上も期待できなくなる、つまり、「人
口ボーナス」の消失と「ルイス転換点」の到来というふたつの人口構造上の変化が中国に
8
50
(2013年銀行融資残高GDP比-2008年同比、%ポイント)
Draft 2014.115
重くのしかかるというのが同氏の見立てである。改革開放政策採用して以来、年平均 10%
近い成長を経験してきた中国にとって 7%成長はかなりの減速に感じられるであろう。
これらの問題に対する危機感から打ち出されたのが 2013 年 11 月に開催された中国共産
党第 18 期中央委員会第 3 回全体会議(以下、「三中全会」とする)で示された改革方針で
ある(三浦,2014b)。その内容は多岐にわたるが、経済成長モデル転換の起爆剤になると期
待されているのが「新型城鎮化」と称される都市化政策である。それは、東部(沿海部)
の大都市を技術革新により中国経済をけん引する洗練された都市空間に変える一方、農村
からの出稼ぎ労働者である「農民工」に都市戸籍を与える、つまり、彼らに都市戸籍保有
者と同じ公的サービスや公的社会保険を提供することで、中西部(内陸部) の中小都市を
中心に生活の質が均質化された都市空間を作るというものである。
李克強首相は、2012 年 9 月、都市化率は 5 割を超えたものの都市戸籍保有者は 35%に過
ぎないことから、中国の都市化は実質的には非常に遅れており、それが消費主導型経済へ
の転換を阻む要因であるとした8。共産党と政府は「新型城鎮化」によって中間所得階層が
厚みを増し、その結果、投資主導型経済から消費主導型経済への転換と格差是正による社
会の安定化が進み、最終的に、経済成長の持続性、ひいては共産党および政府に対する信
認が高まるというシナリオを描く。彼らが目指しているのは、まさしく「共通論題」で指
摘された中間層の創出およびそれによる内需主導型経済への転換なのである。
3. 中間層再考-中国を事例に
中国において中間層はどのように論じされてきたのかについて、政治および国民意識の両
面から整理する。そして、中間層が共産党による一党支配体制を脅かす存在になるのかに
ついて考察する。
(1)「全面的小康社会」の実現
中国国内で階層や階級の問題を提起したのは、2001 年に刊行された陸学芸編『当代中国
社会流動』
(社会科学文献出版、後に発行禁止となる)とされる。同書は、公有が非公有か、
あるいは、職業や職階などを材料に、社会階層および社会・経済等級の分類を行い、中国
における「階層」および「階級」を巡る議論の火付け役となった。しかし、「中間所得層」
(中国語で「中等収入階層」)の定義が収斂する気配がない。
その理由のひとつとして所得格差の問題をあげることができよう。中国では都市-農村
間および沿海-内陸間の所得格差は非常に大きく、国民全体が納得できる中間という概念
が成立しにくい。都市-農村間の格差については前章で指摘したので、以下では、沿海-
内陸間の格差をみてみよう。2012 年時点で 1 人当たり可処分所得9が最も高いのは上海市の
「李克強強調:協調推進工業化城鎮化農業現代化」2012 年 9 月 19 日 中国政府網
(http://www.gov.cn/ldhd/2012-09/19/content_2228808.htm)
9 中国では都市と農村で別々に家計調査が実施されており、市・省・自治区別の 1 人当たり
8
9
Draft 2014.115
3 万 7,799 元で、以下、北京(3 万 715 元)、広東省(2 万 3,809 元)と続く。一方、1 人当
たり可処分所得が最も低いのは、チベット自治区の 8,517 元で、以下、甘粛省(9,4099 元)、
貴州省(9,833 元)となり、最高と最低の格差は 4.4 倍に達する(図 9)。
1 人当たり可処分所得は年によって最高と最低に若干の入れ替わりがあるうえ、近年は
「西高東低」と称されるように中西部(内陸)の成長率が西部(沿海)に比べ高いことこ
ろから、沿海-内陸の格差は 2001 年の
5.1 倍をピークに縮小傾向にある。わが
国の家計調査と厳密な比較は難しいも
図9 省別1人当たり可処分所得の比較
5.2
のの、総務省の「家計調査年報」におけ
5.0
る県庁所在地別の 2 人以上の勤労世帯の
4.8
実収入(税込み収入で、世帯員全員の現
金収入を合計したもの)格差が最高の東
京と最低の那覇市で 1.5 倍前後しかない
10
40,000
最高(右目盛)
35,000
最低(右目盛)
30,000
倍
25,000
4.6
20,000
15,000
4.4
10,000
4.2
5,000
4.0
0
2005
。これを踏まえれば、4 倍を超える格差
は依然として大きいといえる。
(元)
(倍)
2006
2007
2008
2009
2010
2011
2012
(年)
(資料)国家統計局Web資料より作成
もうひとつの理由は、家計調査に「灰色収入」が反映されていないことがある。「灰色収
入」とは、合法的な収入と非合法的な収入の中間に位置づけられる所得、例えば官僚が子
供の結婚式に利害関係者からもらう過剰な祝い金などを指す。この問題を明らかにしたの
が中国経済改革基金会国民経済研究所副所長の王小魯氏である。同氏が 2010 年に発表した
「灰色収入与国民収入分配」では、実際の所得格差は国家統計局が発表した水準を遥かに
上回ることが明らかにされた。
図 10 は 1 人当たり収入について両者
の値を比較したものである。国家統計
局の発表では、所得下位 10%の最低収
入戸と上位 10%の最高収入戸の格差は
9.2 倍であるが、王氏は収入が高い階層
ほど灰色収入が多いため、実際の格差
はそれを遥かに上回る 28.9 倍に達する
図10 都市の所得格差(2008年)
〈単位:元、倍、%)
国家統計局
王論文
収入
格差
シェア
収入
格差
シェア
最低収入戸
(10%)
4,754
1.0
3.8
5,685
1.0
2.0
中低収入戸
(10%)
7,363
1.5
5.9
8,646
1.5
3.0
中低収入戸
(20%) 10,196
2.1
8.1
13,392
2.4
4.6
中等收入戸
(20%) 13,984
2.9
11.2
20,941
3.7
7.2
中高収入戸
(20%) 19,254
4.1
15.4
29,910
5.3
10.3
高收入戸
(10%) 26,250
5.5
20.9
47,772
8.4
16.5
最高收入戸
(10%) 43,614
9.2
34.8 164,034
28.9
56.5
〈資料)王小魯「灰色収入与国民収入分配」『比較』第48輯、2010年第3期、p7お
よび中国統計年鑑2009年より作成
所得階層
としている。所得格差の拡大は競争の
結果ではなく、地位や職位を利用した不当な収入によるものであるというのが同氏の主張
である。
所得格差の拡大や「灰色収入」の問題は往々にして共産党と政府に対する批判に直結す
可処分所得の公式データはない。ここでは、市・省・自治区毎の都市の 1 人当たり可処分
所得と農村の純所得(都市の可処分所得に相当するもの)を都市と農村の常住人口で加重
平均し、それぞれの 1 人当たり可処分所得を算出した。
10 総務省統計局資料「家計調査年報」
(http://www.stat.go.jp/data/chouki/20.htm)より算
出。
10
Draft 2014.115
る問題である。では、彼らは「中間所得層」を広げることに無関心であったわけではない。
それを象徴するのが「小康」という概念である。
「小康」とは、
「飢寒」
(衣食に事欠く状態)、
「温飽」
(ほぼ衣食が足りた状態)の次の発展段階に当たり、ややゆとりのある状態を示す。
「小康」は全国民を「中間所得層」に引き上げることと言い換えることができる。
「小康」を共産党と政府が達成すべき目標に据えたのは鄧小平であり、1980 年を基準に
10 年で GDP を倍増させ、2000 年に「小康」を達成することを目指した。1981 ~ 1990 年
の実質 GDP 成長率は年平均 9.7%、1991 ~ 2000 年は同 10.6%となった。年平均 7.2%の成
長率で 10 年後に GDP は倍増することから、目標は現実のものとなった。
しかし、2002 年の第 16 回党大会で江沢民総書記(当時)は、中国が「小康」に達したと
は評価しなかった。沿海部や都市は既に「小康」にある、つまり「全体的小康」は達成さ
れたものの、内陸部や農村は「小康」に達しておらず、これらの地域を 2020 年までに「小
康」に導く「全面的小康」を新たな目標に据えた。これは胡錦濤および習近平両総書記に
引き継がれ、党および政府の重要文書の冒頭には必ず「全面的小康」が登場する。「全面的
小康」は党および政府のレーゾンデートルなのである。
(2) 「富国窮民」の台頭
胡錦濤前総書記の下では、全国ベースでみた「全面的小康」の達成度について、①経済
発展、②和諧社会、③生活質量、④民主法制、⑤文化教育、⑥資源環境という 6 つの側面
から定量的な評価がなされてきた(図 11)11。2000 年からの 10 年間で達成度は 59.6%から
80.1%に上昇したことから、その達成は間近とされてきた。ところが、地方政府は達成度に
ついての評価を続けているものの、国家統計局は 2011 年以降この評価を更新していない。
図11 全面的小康社会の達成度
N o.
分野
2000年 2001年 2002年 2003年 2004年 2005年 2006年 2007年 2008年 2009年 2010年
1 経済発展
50.3
52.2
54.4
56.3
58.2
60.6
63.4
66.6
69.1
73.1
76.1
2 和階社会
57.5
59.6
57.1
56.3
59.9
62.8
67.6
72.1
76.0
77.7
82.5
3 生活質量
58.3
60.7
62.9
65.5
67.7
71.5
75.0
78.4
80.0
83.7
86.4
4 民主法制
84.8
82.6
82.5
82.4
83.7
85.6
88.4
89.9
91.1
93.1
93.6
5 文化教育
58.3
59.1
60.9
61.8
62.2
63.0
64.1
65.3
64.6
66.1
68.0
6 資源環境
65.4
64.6
66.3
67.2
67.7
69.5
70.6
72.6
75.2
76.8
78.2
全面建設小康社会
59.6
60.7
61.8
63.0
64.8
67.2
69.9
72.8
74.7
77.5
80.1
(注)評価は100点満点。
(資料)国家統計局局「中国全面建設小康社会進程統計監測報告(2011)」(http://w w w .stats.gov.cn/tjfx/fxbg/
t20111219_402773172.htm )より作成
この背景には、階層意識の高まりに伴い「全面的小康」の持つ意味合いが薄れてきたこ
とがある。「全面的小康」の評価のなかで 2 割と最も高いウエイトを占めるのが農村の 1 人
当たり所得を 2020 年までに 6,000 元(年)に引き上げることである。最も低い甘粛省でも
11
各分野の具体的内容や評価項目のウエイト付けについては、三浦有史「胡錦濤政権の理
想と現実―第 11 次 5 カ年計画の達成度を評価する」日本総合研究所『環太平洋ビジネス情
報 RIM』 2010 年 Vol.10 No.37 の 49 頁を参照されたい。
11
Draft 2014.115
同所得は 2013 年時点で 5,109 元に達しており、所得に限れば達成はほぼ間違いない。にも
かかわらず、共産党と政府が「全面的小康」の達成度を積極的に宣伝しないのは、10 年で
GDP や所得を倍増するという時間軸でみた量的増加に国民が以前ほど反応しなくなったた
めと考えられる。
こうした国民の心理を反映するのが「富国窮民」である。「富国窮民」とは、国は豊にな
ったものの、国民の生活は貧窮しているという意味である。教育費や医療費の高騰、住宅
価格の上昇によって、国民の生活は所得が増えたほどには改善しなかった。この問題の根
底には中国特有の戸籍制度-都市と農村で戸籍を区別し、農民の都市への移動を制限する
とともに、戸籍によって医療や年金などの公的保険や教育など、享受できる公的サービス
の質量に大きな格差が生じる制度-がある。同制度は実質的な身分制度として作用し、中
国における格差問題を先鋭化させることとなった。
中国における公的サービスは都市と農村でその質と量の両面において圧倒的な格差があ
る。年金はその代表例であり、前者は「高負担・高給付」、後者は「低負担・低給付」を特
徴とする。問題は前者に対しては膨大な財政資金の投入によって運営されているのに対し、
後者に対する投入は限定的であること、そして、
都市の公的サービスは実質的に都市戸籍保有者の
「クラブ財」となっているため、農村戸籍保有者
が都市で就労・納税しても都市の公的サービスを
図12 外出農民工の都市公的社会保険制度の加入率
(%)
30
27.3
25
20
16.9
受けることが難しい点にある(図 12)。
10
この問題は農村から都市への人的移動がなけれ
ば顕在化しない。しかし、2000 年に 7,849 万に過
ぎなかった外出農民工(本来の戸籍地を離れ、都
市で就業する農民)は、2013 年には 1.6 億人に増
中部
16.4
17.0 15
東部
19.6
9.28.3 10.9
11.3 5
西部
10
5.34.9 7.3
3.63.2 0
養老
労災
医療
失業
育成
(資料)「2012年全国農民工監測調査報告」
2013年5月27日国家統
計局(http://www.stats.gov.cn/tjfx/jdfx/t20130527_
402899251.htm)より作成
えた。この移動量の増加と移動主体の若年化によ
って、農民工の格差に対する意識は大きく変化した。それを象徴するのが 2010 年に実施さ
れた「新生代農民工調査」である。「新生代」とは 1980 年代以降に生まれた世代を意味す
る。
同調査では、「新世代」は都市戸籍取得に対する欲求が高い一方、その半分は収入に満足
していないとされている。しかし、この調査の最も興味深い点は、自らの生活状況の良し
悪しを判断する際に選んだ比較対象を調査している点である。それによれば、「新生代農民
工」が比較対象とするのは多い順に①同一市内の農民工(23.6%)、②都市戸籍保有者(23.4%),
③故郷の農村の人(19.3%)で、国家統計局は、「新生代農民工」は前世代に比べ都市戸籍
保有者を選ぶ割合が高いとしている12。中国では、都市化や情報化の進展に伴い自分の地位
や階層を認識する比較対象が時間軸から空間軸に変わりつつある。
12
「新生代農民工的数量,結構和特点」(http://www.stats.gov.cn/tjfx/fxbg/t20110310 _402710032.htm)『国家統計局』2011 年 3 月 11 日
12
Draft 2014.115
(3). 中間層とはだれか-中国における論点整理
「中間層」に該当する中国語は「中産階級」ないし「中産階層」である(以下、「中産階
層」に統一する)。中国では、誰がこの「中産階層」に属するのか、つまり、「中産階級」
の定義が定まらない。所得はもちろん重要な構成要素のひとつであるが、それに影響を及
ぼす要因が多岐に亘り、そのなかに戸籍に象徴されるように自助努力では如何ともしがた
いものが多く含まれているためである。このため、中国では職業、職位、企業規模、技術
などによって社会階層を規定することが多い。
本章の冒頭で紹介した『当代中国社会流動』では、中国には 10 の社会階層があり、それ
らは 5 の社会経済等級に分類されるとしている(図 13)。ここで注目すべきは、社会階層を
職業とそれに付随する 3 つの資源-①組織資源、②文化資源、③経済資源-によって分類
していることである。組織資源とは共産党との関係性、文化資源とは教育、経済資源は資
本を象徴するものと考えることができる。この資源の保有量の多寡が社会階層、そして、
社会経済等級を決定するとみなされていることが中国の特徴である。また、この問題を突
き詰めると政治体制問題へ議論が発展しかねないないという点で、中国の社会階層論は卓
国にはない限界を抱えているともいえる。
図13 10大社会階層と5大社会経済等級
5⼤大社会経済等級
10⼤大社会階層
1.国家・社会管理者階層(組織資源:保有)
上層:党・政府高級幹部、大企業管理職、高級専
門技術者、大規模私営企業経営者
2.管理職階層(組織/文化資源:保有)
中上層:党・政府中低級幹部、大企業中間管理職、
中小企業管理職、中級専門技術者、中企業企業
経営者
4.専門技術人員階層(文化資源:保有)
5.事務員階層(文化/組織資源:少量保有)
中中層:初級専門技術者、小規模企業経営者、
事務員、自営業者、中高級技術工、大規模農業
経営者
7.サービス業就業者階層(経済/文化/経済資源:少量保有)
3.私営企業主階層(経済資源:保有)
6.工商業自営業者(経済資源:少量保有)
8.ワーカー(未熟練労働)階層(7.に同じ)
中下層:零細企業就業者、一般サービス業就業
者、ワーカー、農民
9.農業就業者階層(未熟練労働)階層(7.に同じ)
低層:農民、生活保護者、失業者
10.無業者、失業者階層(資源:無)
(資料)陸学芸編『当代中国社会流動』、2001、社会科学文献出版、9頁より作成
図 13 の「中中層」には 3.私営企業主階層から 9.農業就業者階層までが該当し、かなりの
人がここに含まれるはずである。しかし、中国は所得水準や職業・職位から客観的に「中
中層」に入るにもかかわらず、自らはそれを下回る階層に分類する人が多い。2008 年に社
会科学院が実施した「中国総合社会調査(CGSS)」を基にした実証研究(張,2011)では、
「上層」、「中上層」、「中層」、「中下層」、「下層」の 5 層に自らを位置づけさせたところ、
中国は 2002~2008 年の 9 回の調査で中層に入るとした回答者の割合が 5 割を超えたことが
13
Draft 2014.115
一度もない13。
中国において「中中層」に該当するにもかかわらず、自らを「中下層」、「下層」と位置
づける人の割合が高い。これは、主要先進国はもちろんインドでも見られない現象である。
上の実証研究では、「下層」との相対的所得差、直近の生活環境の変化、将来の生活水準が
プラスの影響を与える一方、党員ではないこと、農村戸籍であることがマイナスの影響を
与えるためとしている。共産党員は 2013 年時点で 8668.6 万人(2013 年)と人口の 6%を占
めるに過ぎないが、農村戸籍保有者は 8.6 億人(2012 年)で同 63%を占める。この構造が
主観的「中中層」を減らす要因である。貧困削減に成功した中国は、世界的にみればもっ
とも中間層の厚い国であるが、国民の多くは自らを中間層と位置づけない特異な階層意識
に覆われた国といえる。
おわりに-中間層の台頭は民主化を推進するか
習近平総書記は、
「新型城鎮化」などを通じた再分配政策を強化する方針を明示しており、
中間層の厚みが増す可能性がある。しかし、中間層が同じ価値を共有しうるか否かは定か
ではない。アジアの中間層は欧米でイメージされるそれとは異なり(服部・船津・鳥居
編,2002)、中国についても中間層は国家に対し自律的な存在であり続けようとして民主主義
を支援するという姿からかけ離れ、国家と癒着した存在(園田,2007)という指摘がある。
中国では、何故、ハンチントンが想定するような中間層が台頭しないのか。これを理解
するには、中国特有の「職工」あるいは「単位」の社会的位置づけについて知る必要があ
る。「職工」、「単位」はいずれも国有企業の正規就業者や公務員など公的部門に属し、都市
戸籍を保有する人々である。国有セクターの就業者は 2013 年で 6,355 万人と、都市就業者
の 17%を占める。彼らは「職工」、「単位」の中核をなす存在である。近年は、ここに有限
責任企業の就業者(6,069 万人、同 16%)も加わるようになった。有限責任会社は法的には
民間企業であるが、過剰な不動産投資を行っている「地方融資平台」のほとんどが有限責
任会社であることからもわかるように、有限責任会社には半官半民的企業が少なくない。
もちろん、民間部門の就業者も増えている。私営企業の就業者は 8,243 万人と、都市就業
者の 21%と最大のシェアを占める。また、自営業も 6,142 万人(同 16%)と、有限責任会
社と並ぶ規模に達している。しかし、「国進民退」に象徴されるように、公的部門と民間部
門は企業競争という面だけでなく、公的サービスの分配という面でも利益相反の関係にあ
り、両者の間で価値観が共有される見込みはない。「三中全会」では、「小さい政府」と民
間企業の奨励を打ち出したものの、それと矛盾する「公有制経済の主体的地位の確保」も
盛り込まれた。共産党内の意見集約をはかるための苦肉の策と思われるが、ここに中国の
中間層が民主化の促進役を担う可能性が低いことを見出すことができる。
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Draft 2014.115
注
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