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轟 里 香 - 北陸大学

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北陸大学 紀要
第28号 (2004)
pp. 247∼255
英語および日本語における結果構文−Iconicityの観点から
轟 里 香 *
A Study of English and Japanese Resultatives
Based on the Principle of Iconicity
Rika Todoroki *
Received October 29, 2004
Abstract
The purpose of this paper is to explain why the constraint on Japanese resultatives proposed
in Todoroki (2002) exists, from the perspective of iconicity. In both English and Japanese
resultatives, the verb denotes the action which brings about the resultant state of the object NP
described by the resultative predicate. According to Todoroki (2002), however, logical
resultatives are acceptable in Japanese if and only if the referent of the subject NP intends that of
the object NP to be in the resultant state described by the resultative predicate. In the English
resultative construction, the verb is followed by an object NP and a resultative predicate. This
linear order accurately reflects the order in the real world where the cause is followed by the
result. On the other hand, the resultative predicate is followed by a verb in Japanese, which
doesn’t correspond to the order in the real world. This difference produces the constraint on
Japanese resultatives.
1. 導入
本論文では,iconicityの観点から英語および日本語における結果構文を考察する。
英語の場合,結果構文としてしばしば議論されるのは,(1)のような文である。
(1)Mary painted the wall green.
(高見 1997:28)
(1)のような結果構文では,行為を表す他動詞があり,その後ろに目的語,および結果述
語((1)の場合は green )が続くというのが一般的な形になる。結果述語(resultative
*
教育能力開発センター
Center of Development for Education
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轟 里 香
predicate)とは,行為の結果状態を示す表現である。
一方,日本語においては,(2)のような文が結果構文として扱われる。
(2)花子は,その壁を赤く塗った。
日本語では,(2)のように,結果述語が動詞の前に置かれる形をとる。
本論文では,英語および日本語の結果構文を比較し,轟(2002)が提案している日本語の結
果構文に存在する制約をiconicityの観点から説明するとともに,轟(2002)での議論の一部に
修正を加える。
2. 結果構文の二つのタイプ
この節では,高見(1997)等で指摘されている,2つの種類の結果構文について説明する。
2.1
語彙的結果構文
高見(1997)によれば,結果構文は,語彙的結果構文と論理的結果構文に分けられる。語彙
的結果構文とは,結果状態を示す表現(すなわち,結果述語)の表す意味を動詞が内在的にも
っている結果構文であり,上で挙げた例文(1)
(2)や,以下の(3)
(4)のような例文が語
彙的結果構文になる。
(3)The boy broke the vase to pieces. (ibid., 28)
(4)太郎は皿を粉々に割った。
(ibid., 31)
(3)の例文に関し,動詞breakは,結果述語to piecesが示す状態を意味の一部としてもっ
ている。Jackendoff(1990)らの考え方にしたがって動詞breakの意味を分解すると,結果述
語to piecesはbreakの意味の中にすでに指定されている。
(5)break: [ ] x CAUSE [ [ ] y BECOME [ [ ] y BE AT-[SMALL PIECES] ] ]
(ibid., 30, Jackendoff 1990:121, 影山1996:216も参照)
同様に,日本語の例文(4)に関しても,動詞「割る」は結果述語「粉々に」を意味の一部
としてもっている。
(6)割る:壊して粉々にする
(『学習国語新辞典』,高見1997:32)
このように,これらの例文においては,「動作が目的語の変化を引き起こし,その結果,目
的語がある状態になる」ということを動詞が意味の一部として含んでおり,結果述語は,それ
ぞれの動詞が意味の一部としてもっているものを具体的に示したものとなっている。このよう
な結果構文を語彙的結果構文と呼ぶ。例文(1)から(4)が示すように,語彙的結果構文は
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3
英語および日本語における結果構文−Iconicityの観点から
英語・日本語の両方において可能である。
2.2 論理的結果構文
論理的結果構文とは,語彙的結果構文とは違い,動詞自体が結果述語の示す状態を意味の一
部として含んでいるわけではない。論理的結果構文においては,行為と結果が論理的因果関係
で結ばれており,社会的常識に基づいて結果状態を容易に想像できる。高見は,適格な論理的
結果構文および不適格な論理的結果構文として,次の(7)から(11)のような例を挙げてい
る。
(7)The gardener watered the tulips flat.
(ibid., 33)
(8)*庭師は,チューリップにぺちゃんこに水をかけた。
(ibid., 35)
(9)John boiled the lobster red.
(ibid., 33)
(10)??太郎はロブスターを赤くゆでた。
(ibid., 35)
(11)*ポチは,私の靴をボロボロに噛んだ。
(ibid., 35)
(7)から(11)のうち,一例として,例文(7)を見ると,waterという動詞は水をかけ
るという行為のみを表し,その結果どうなるかまでを動詞の意味の一部としてもっていない。
それで(7)は語彙的結果構文ではない。この場合,チューリップに水をかけ続けるとチュー
リップがぺちゃんこになる,という社会的常識に基づいて,行為と結果が論理的因果関係で結
び付けられる。したがって,
(7)は論理的結果構文となる。同様に(8)から(11)の文も,
行為と結果が論理的因果関係で結び付けられており,論理的結果構文である。高見(1997)
では,これらの結果構文のうち,英語の結果構文のみ適格で,日本語の結果構文は不適格であ
るとされ,論理的結果構文は日本語においては不適格になると結論されている。
上に述べた日本語の論理的結果構文に関する議論に関し,轟(2002)では次のような問題点
を指摘している。(10)の例文は,結果述語を(12b)のように変えると,適格性が上がる。
(12)
a ??太郎はロブスターを赤くゆでた。
(=(10))
b 太郎はロブスターを真っ赤にゆでた。
(12a)の結果述語「赤く」を「真っ赤に」に変えた(12b)を,筆者自身および筆者が尋
ねた多くの日本語母語話者が適格と判断した。
また,高見(1997)は,(11)を完全に不適格であるとしているが,個人差はあるものの,
多くの日本語話者は,(11)を,周辺的だが容認可能であると判断する。少なくとも,(10)
(11)と不適格な(8)とでは,適格性に差があるのは明らかなようである。
さらに,次のような例もある。
(13)豆をくたくたに煮る。
(13)において動詞「煮る」は結果述語が示す状態を意味の一部として含んでおらず,(13)
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轟 里 香
は論理的結果構文である。にもかかわらず,(13)は多くの日本語話者によって適格だと判断
される。
このように,日本語でも論理的結果構文は全く不可能なわけではないことがわかる。以下で
は,日本語の論理的結果構文が,適格性において英語とは違っている場合があるのはなぜかに
ついて述べる。
3. 日本語の結果構文に対する制約
日本語の論理的結果構文のうち,明らかに不適格な(8)と,多くの日本語話者が適格と判
断する(12b)および(13)を比較してみると,次のような相違が明らかになる。すなわち,
不適格な(8)においては,結果状態は主語の指示物の意図したものではない。これに対し,
例文(12b)
(13)では,主語の指示物が結果状態(ロブスターが真っ赤になること,豆がくた
くたになること)を意図していると考えられる。主語の指示物が結果状態を意図しておらずた
またまそうなった,というコンテクストでは,(13)のような文も不適格になる。
(14)(豆を煮ているということを忘れて,長時間煮過ぎてしまったため)
*花子は豆をくたくたに煮た。
(14)のようなコンテクストでは,結果構文の適格性はかなり低くなる。また,「豆」を他のも
のに変えても適格性が変わる場合がある。
(15)??そばをくたくたにゆでる。
(15)の適格性が(13)より低いのは,普通,そばを意図的にくたくたになるまでゆでること
はないためだと考えられる。
(15)のような文も,
(16)のようなコンテクストだと適格になる。
(16)そばグラタンの作り方:まず,そばをくたくたにゆでます。
(16)の場合,明らかに結果状態が意図されたものとなるため,この結果構文は適格になるの
だと考えられる。対照的に,結果構文ではない文は,結果状態が主語の指示物の意図したもの
ではないというコンテクストでも使える。
(17)湯を沸かして,ちょうどそばを入れたところへ,電話がかかってきた。電話が長引いて
しまい,(そばを)
a.*くたくたにゆでてしまった。
b.くたくたになるまでゆでてしまった。
(17)では,コンテクストにより,結果状態は主語の指示物の意図したものではない。この場
合,結果構文である(17a)は不適格であるが,(17b)のような結果構文ではない文は適格と
なる。
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英語および日本語における結果構文−Iconicityの観点から
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以上のことから,日本語の結果構文の場合,主語の指示物が結果状態を意図しているかどう
かが,結果構文の適格性に大きな影響を及ぼしていることが分かる。轟(2002)では,日本語
の論理的結果構文に対し,次のような制約を提案した。
(18)日本語の論理的結果構文に対する制約
日本語の論理的結果構文では,結果述語で表される結果状態が,主語の指示物によって
意図されたものでなければならない。
1
以下では,(18)の制約により,日本語の例文の適格性を説明する。
(19)*ポチは,私の靴をボロボロに噛んだ。
(=
(11))
(20)
a ??太郎はロブスターを赤くゆでた。
(=(10))
b 太郎はロブスターを真っ赤にゆでた。
(=(12b))
上に述べたように,(19)は,多くの日本語話者によって,周辺的だが容認可能であると判
断される。(19)の適格性が(20b)より低いのは,(19)では主語が人間ではないので,(18)
の制約を守るためには擬人的に解釈することが必要になるためと考えられる。
(20)で結果述語を「赤く」から「真っ赤に」にすると適格性が上がる理由は,次のように
説明できる。Napoli(1992),Goldberg(1995),高見(1997)らが指摘するように,結果構文
の結果述語は,一般に,極端な状態を表す表現でなければならない。このことを示す例として,
次の(21)のような文が挙げられる。
(21)
a She watered the tulips [{flat /*droopy}].
b We heated the coffee [{hot /*tepid}].
(Napoli 1992:79)
結果述語として, flat や hot のようなスケール上の終点を表す表現は使えるが, droopy や
tepidのような表現を結果述語に使うと,不適格になる。
(20)の場合,単に「赤く」と言うと,
赤さにスケールを仮定せず他の色との対照が想定される。「赤く塗る」(語彙的結果構文)の場
合は,他に「青く」「黒く」などの可能性があって,その中に「赤く」がある。したがって
「赤く塗る」と述べることには意味があることになる。しかし「??赤くゆでる」の場合は,
他の色になることがあり得ないので,わざわざ「赤く」と述べることに意味がなく,不適格に
なるのだと考えられる。これに対し,「真っ赤にゆでる」は赤さにスケールを仮定しその中で
の終点を表すことになるので,「結果構文の結果述語は,一般に,極端な状態を表す表現でな
ければならない」という条件にかなう。さらに,「真っ赤に」で表される結果状態は,主語の
指示物によって意図されたものとみなされるので,(18)の制約にかない,適格になると考え
られる。
また,次の文を見てみよう。
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轟 里 香
(22)The gardener watered the tulips flat.
(=
(7))
(23)
a *庭師は,チューリップにぺちゃんこに水をかけた。
(=(8))
b ?太郎は床につるつるにワックスをかけた。
英語の論理的結果構文(22)が適格なのに対し日本語の(23a)が不適格なのは,日本語の
論理的結果構文には(18)の制約が存在するためである。チューリップをぺちゃんこにするこ
とを庭師が意図して水をかけるということは普通ないため,(23a)は(18)の制約を破るこ
とになる。結果状態を主語の指示物が意図していたというコンテクストでは,(23a)のタイ
プの文も適格性が上がる。(23b)はこのようなコンテクストがあるため,(23a)よりも適格
性が上がるのだと考えられる。(23b)が完全に適格でないのは,「かけた」の直接目的語が
「ワックス」であり,
「床」ではなく,一方,「つるつる」は床の状態であるためと考えられる。
2
(高見 (1997)によれば,結果構文が表すのは,直接目的語の結果状態でなければならない。)
このように,日本語の論理的結果構文に対しては(18)の制約があるとすることにより,
様々な文の適格性を説明できる。
4. 日本語の結果構文に制約があるのはなぜか
ここまでで,日本語の論理的結果構文に対する制約として轟(2002)が提案した(18)を説
明した。この節では,日本語の論理的結果構文には,なぜ英語にはない(18)のような制約が
あるのかを考察する。
一般に,言語表現における線的順序は現実の時間的順序を反映する(iconicity)。行為と結
果に関してみると,現実の時間的順序では,行為があってその後結果が続く。結果を引き起こ
す行為が時間的に結果の後になるということはあり得ない。言語表現においても,現実の時間
的順序を反映して,「行為−結果」の語順になるのが自然であり,
「結果−行為」の語順は不自
然になると考えられる。
上のことを踏まえて,まず英語の結果構文を見てみよう。
(24)
a The gardener watered the tulips flat.
行為
結果
b John boiled the lobster red.
行為
結果
(=
(7)
(9))
影山(1996)が述べるように,英語はSVO言語であり,文は動詞で終わらないので,動詞
の後ろに比較的自由に結果述語を付けることができる。したがって,英語では,平叙文の結果
構文は現実の時間的順序を反映した「行為−結果」の語順となる。
一方,SOV言語である日本語は動詞で文が終わるので,結果述語を動詞の後ろに続けるこ
とができない。そこで,動詞の前に結果述語を付けることになるので,「結果−行為」の語順
になり,現実に生じる時間的順序とは反対になる。このままでは,これは不自然となる。しか
し,動作主がはじめから結果状態を意図している場合,結果状態はいわば行為に先立って動作
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英語および日本語における結果構文−Iconicityの観点から
7
主の認識の中に存在しているとみなすことができる。よってこの場合,「結果−行為」の語順
が許されると考えられる。このことは,図1のように表せる。
図1
行為 結果
*結果 行為
結果(意図)
行為 結果
時間の流れ
轟(2002:220)
動作主が結果状態を意図していない場合には,「結果−行為」の語順は現実の時間的順序に
合わず不自然となる。このように,日本語の論理的結果構文に対する制約(18)はiconicityか
ら生じていると言える。
行為・結果の順序関係が文の適格性に影響を及ぼすことは,次のような英語の例によっても
支持される。
(25)
a ??/*How flat did the gardener water the tulips?
結果
行為
b ??/*How red did you boil the lobster?
結果
行為
(高見 1997:34)
英語で適格な論理的結果構文を,疑問文にすることによって(25)のように「結果−行為」
3
の語順にすると,英語でも論理的結果構文が不適格になる。
一方,語彙的結果構文においては,行為と結果を結びつけているのは論理的因果関係ではな
く,行為を表す動詞自体が結果述語の示す状態を意味の一部として含んでいることである。し
たがって,論理的結果構文ほど語順は重要ではなく,結果−行為の語順になる日本語において
も,結果構文が比較的容易にできると考えられる。これは,英語の次のような文に見られる現
象と平行している。
(26)
a The gardener watered the tulips flat.
b John boiled the lobster red.
(=(7)
(9))
(27)
a ??/*How flat did the gardener water the tulips?
b ??/*How red did you boil the lobster?
(=
(25))
(28)
a John hammered the metal flat.
b Mary wiped the table clean.
(ibid., 33)
(29)
a How flat did John hammer the metal?
b How clean did Mary wipe the table clean?
(ibid., 34)
英語においても,(26)のような論理的結果構文は,(27)のように疑問文にして結果−行為
253
8
轟 里 香
の語順になると不適格になるのに対し,(28)のような語彙的結果構文の場合は,
(29)のよう
に疑問文にして結果−行為の語順になっても適格となる。したがって,語彙的結果構文では,
iconicityが文の適格性に影響を及ぼすことはあまりないと言える。
このように,日本語においては,結果状態を表す結果述語が行為を表す動詞の前にくるため,
4
特に論理的結果構文において制約が課せられることになる。
5. 結論
本論文では,日本語の論理的結果構文に対する制約(18)をiconicityの観点から説明した。
Iconicityは多くの言語現象に影響を及ぼしているが,行為と結果を凝縮した形で表す結果構
文の分析においても非常に重要であることを指摘した。
現実の世界では,行為があってその後,結果が続くという時間的順序が存在する。言語表現
においても,この時間の流れに沿った形で表現されるほうが自然である。特に,論理的結果構
文は,行為と結果状態の結びつきが語彙的結果構文ほどは強くないため,語順が非常に重要と
なる。英語では,行為を表す動詞の後ろに様々な要素を比較的容易に付け加えることができる
ため,それほど制約がなく論理的結果構文をつくることができる。これに対し,動詞の位置が
文末に固定されている日本語では,結果述語が動詞の前に来ることになるため,行為と結果の
順序が現実の時間の流れとは逆になる。よって,多くの場合,iconicityにより論理的結果構文
は不自然となる。しかし,結果状態が主語の指示物の意図したものであれば,結果状態が意図
という形で行為に先立って存在することになる。この場合には,結果述語が動詞の前に来る日
本語においても,論理的結果構文が可能となる。
註
1
例文(20)に関する以下の議論は轟(2002)に修正を加えたものである。修正するに際し,加藤鉱三
先生よりいただいたコメントを参考にさせていただいた。記して感謝したい。
2 影山(1996:246)は,日本語で「てある」構文に使える動詞は何らかの状態変化を意味しているとし
ている。動詞「かける」は,「水がかけてある」
「ワックスがかけてある」のように,どちらの場合も
「てある」構文に使える。したがって,(23a,b)において使われている動詞自体の意味は,(23a,b)の
適格性の違いにあまり影響していないことになる。
3 Kuno and Takami(1993)は,(25a,b)の適格性を次のように説明している。(24a,b)のAP述語から
WH句を取り出したものが(25 a,b)であるが,AP述語からのWH句取り出しが可能かどうかは,
V...APのパターンをどの程度容易に再構築できるかによる(Kuno and Takami 1993:178)
。
4 日本語において行為と結果を現実の時間的順序に沿った形で表す構文(日本語で動詞の後ろに結果状
態を表す要素を続けられる表現)としては,(i)のように複合動詞を使う構文がある。
(i)猟師は熊を撃ち殺した。
(影山1996:210)
影山(1996)はこのような構文を結果構文として分析している。
参考文献
Goldberg, Adele E. (1995) Constructions: A Construction Grammar Approach to Argument Structure.
Chicago : The University of Chicago Press.
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9
英語および日本語における結果構文−Iconicityの観点から
Horita, Yuko (1995) “A Cognitive Study of Resultative Constructions in English,” English Linguistics 12,
147-172.
Jackendoff, Ray (1990) Semantic Structures, Cambridge, MA: MIT Press.
影山太郎(1993)『文法と語形成』東京:ひつじ書房。
影山太郎(1996)『動詞意味論』東京:くろしお出版。
Kuno, Susumu, and Ken-ichi Takami (1993) Grammar and Discourse Principles: Functional Syntax and
GB Theory. Chicago: The University of Chicago Press.
Levin, Beth, and Malka Rappaport Hovav (1995) Unaccusativity: At the Syntax-Lexical Semantics
Interface. Cambridge, MA: MIT Press.
中村芳久(1993)「構文の認知構造ネットワーク」福岡言語学研究会編『言語学からの眺望』247-268. 福
岡:九州大学出版会。
Napoli, Donna Jo (1992) “Secondary Resultative Predicates in Italian,” Journal of Linguistics 28, 53-90.
高見健一(1997)『機能的統語論』東京:くろしお出版。
轟 里香(2002)「日英語の結果構文の相違に関する一考察」Kansai Linguistic Society Proceedings 22,
214-224.
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