ジャン・バニエからの手紙 ジャン・バニエからの手紙 2015 年 8 月 8月8日 また、毎年恒例になっている、ベルギーに あるオーバルのアビー修道院で過ごすとき がやって参りました。修道士たちの歌声は、 私に心の平安をもたらし、彼らや私の内にある天国へと引き 上げてくれるのです。アフリカから戻って来て、乱舞し、教 会の外にある池に飛び込むツバメと再会しています。神に対 する心安らかな感謝とともに、喜びに満たされた祈りの時間、 時々、少しよろめく足で森を散歩する時間、またベルギー人 司祭のジャック・ヴェルミレンによって書かれた預言者イザ ヤに関する本(ドミニコ会士のブラザー・ルクは、イザヤの 本は福音記者ヨハネの枕元に置いてあった本だと思うと私 に言っていました)を読む時間によって私は、新たにされた ような気持ちになります。 また私は、第二次世界大戦中、いろいろな強制収容所、特に アウシュヴィッツでユダヤ人の殲滅を実行していたアイヒ マンの裁判に関する、ハンナ・アレンツの本を読み返しまし た。アイヒマンは抗弁の中で、次のように主張していました。 「私は何もしておりません。上司に従っただけです」。ハン ナは、悪の浸潤について取り上げている中で、自らの判断を せずに従う人、とりわけメディアや広告業界によって推進さ れた文化に従って、他の誰もがやっているのと全く同じよう にする人のその姿勢に、疑問を投げかけています。しかし、 社会的行動規範や法則に直面させられますと、私たちを平和、 真理、正義を実現する人になるように招く、私たち全員のうち にある人としての良心は、なくなるのでしょうか。これって、 しばしば排斥され、あるいは中絶されることによって否定され ている知的障がい者を受け入れるラルシュの奥深い目的と相 通じるのではないでしょうか。 1 8 月 23 日 話し合いのフォーラムに参加しました。私はラ ルシュに関する証しを、癒しと変容の場として、 平和と一致の源として「共に生きる」というビ ジョンに関する証しをするように招かれたので す。1,000 人の若者が、ひとつのフォーラムに 参加し、そして 300 人の若者が、もうひとつの フォーラムにやって来ました。私は、アンブレ テューズにあるラルシュ・レ・トゥア・フォン ティーヌ(3つの泉)共同体の 10 人のメンバ ーに囲まれました。彼らの喜びに満ちあふれた 存在は、私の話す言葉に肉付けをしてくれまし た。大きいほうのフォーラムの終わりに、私た ちは全員いっしょにダンスをしました。真のお 祝いでした。アンブレテューズから来られたグ ループが、一週間もいてくださったことで、多 くのヨーロッパの国々から参加した若者たちは、 平和と一致の共同体としての、ラルシュの奥深 さを実感できたものと思います。 8 月 15 日頃、私は過ごしていたオーバルから 飛び出して、ブラザー・ロジェによって創設さ れた特別な共同体であるテゼへと出かけて行き ました。 ブラザー・ロジェの生誕 100 周年、テゼ共同体 の誕生 75 周年、そしてブラザー・ロジェが暗 殺されて 10 周年目でした。ブラザー・ロジェ は、スイスの改革派教会の司牧者(牧師)でし た。彼が築き上げてきたカトリック信者家族と の、とても心温まる結びつきのお陰により、彼 はキリスト教一致に、非常に熱心になりました。 このカトリック信者の家族は、ブラザー・ロジ ェ自身のプロテスタント家族と同じ愛を生きて いたのに、いったいどういうことでしょうか、 神学や祈り方、そして礼拝の仕方にも違いがあ ったのです。他のプロテスタントの司牧者(牧 師)といっしょに、ブラザー・ロジェは聖霊と イエスに導かれて、このすばらしい共同体を創 設されました。この共同体の目標は、最初から 共通の祈りと困っている人々の受け入れ、そし てキリスト者の一致を生きたいという願いでし た。このテゼ共同体は、平和とキリスト者一致 のしるしとして、急速に広がりました。それは、 刷新(新しくなること) 、祈り、単純さと福音宣 教的貧しさの生活に渇いているヨーロッパやそ れ以外のところにある、いろいろなキリスト教 教会の、多くの若者を魅了したからです。 そこに滞在している間、私はイスラム教徒のナ イラ・タバラと司祭のファディ神父に会いまし た。この二人は、いっしょにイスラム教徒とレ バノン人のキリスト教徒たちが、もっとよく知 り合えるようにと、ベイルートに異なった宗教 が出会うための養成センターを設立しました。 また、ナイラ・タバラは、バングラディッシュ やベツレヘムそして他のところでも、「信仰と 光」やラルシュの、イスラム教徒のメンバーを 支援しています。それはラルシュの霊性を深め るためであり、知的障がい者との結びつきを通 して神を発見し、変えていただくためです。ナ イラとファディ神父は、来年(2016 年)9 月に トロリーへやって来る予定です。キリスト者の 見方とイスラム教徒の見方という勉強会の中で、 「天のおもてなし」に関して指導するためです。 この共同体で過ごした 3 日間は、喜びと驚きの 日々でした。過去、何年間もかけて、徐々に、 創造的に拡張されたテゼの教会は、これらの記 念日のために、6 千人の若者や友人を受け入れ、 約 90 人のブラザーたちが共同体に集いました。 この若者たちは、熱烈な歓迎を受けて、様々な 2 現在、すべての西側諸国において、私たちの国 で引き起こされたテロ行為、そしてキリスト教 徒だけではなく、他のイスラム教徒、その他の 異宗教のグループと反目して、シリアやイラク で、アイシル(ISIL)によって引き起こされた、 ぞっとするような狂気の暴力行為から来る恐れ を私たちは感じています。アイシル(ISIL)の 支援を受けたテロリストたちは、私たちの西側 諸国において、恐怖と分裂と憎悪を造り出そう と努めています。そして祈りの宗教として、神 を拝み、愛の業を通して、貧しい人たちに心を 開くイスラム教の奥深い意味を、私たちに忘れ させようとしているのです。ラルシュは、イス ラム教の奥深さを発見し、実感できるように 人々を手助けする役割を持っています。 2 日間かけて私は、トロリーの自分の共同体へ の帰路に着きます。トロリーでの私の生活にも どり、私の共同体にもどるという喜びがありま す、特にル・ヴァルにある私の家の食事がまた できるのです。ここで起こる生活の困難や分裂 にもかかわらず、私は共同体の只中にいること ができて、とても幸せです。皆さんに感謝申し 上げます。特に、大いなる能力と一人ひとりに 対する気配りで、トロリー共同体のために責任 を担ってくださっているクリスティーン・マグ リーヴィーに感謝いたします。障がいがあるた めに若い時、辱めを受けた人々の中で生きるこ とは、私の喜びです。権力と知識に、重要性と 価値を置く人々をくじくために、神がお選びに なった弱さや愚かさのある人々と共にいられる ことは、私の喜びです。そのような彼らといっ しょに暮らすことによって、私はちょっと夢中 になったり、弱くなったりすることを、教えて もらっています。 私は、1996 年にアルジェでテロリストによって 殺害されたオーランのクラベリー司教の友人で あるアルジェリア人のイスラム教徒、オウム・ エル・ヘイール女史によって書かれた文章を引 用したいと思います。以下が彼女によって書か れたものです。 アルジェリアには 「イスラム教教会」があります。 この教会は、愛や多元的で 別の日に、電車に乗っていますと、とても気難 しそうな表情をした男性が、私の近くにいまし た。その人は、どちらかというと、心を閉ざし ているように思える方でした。しかしその時、 彼の小さいお子さんに近づきますと、彼はまっ たくおかしな仕草や顔の表情をし始め、子ども といっしょに笑っていたのです。もしそこにお 子さんがいなくて、私が彼の仕草や顔の表情を 目撃したとしたら、きっと私は、この人のこと を「ヤバい(正気じゃない) 」と思ったことでし ょう。このお子さんは私たちに、自分が自分で ある自由を、演じる自由を、生きる自由を発見 するように教えているのです。ラルシュでも私 たちは、自由になること、弱くなること、そし て時には、ある種の「変わっている」というお 恵みをいただいている人々と、おかしなことを するのを学んでいます。 もっと友愛的な社会を目指して頑張る 普遍的なメッセージと深く結びついている すべての人々によって 成り立っています。 このイスラム教「教会」は、 あなたがたが思っている以上に大きく、 アルジェリアにおいては、 私たちの血は混じり合っています。 この人類家族といった、普遍的な意味を発見す るイスラム教徒の皆さんは、世界中どこにでも いらっしゃいます。 3 これからしばらくの間、私はトロリーのラ・フ ェルム(農場)で、しばしば福音を宣べ伝える ことができるという、すごい贈物をいただいて おります。帰りましたらすぐに、レバノンから 来られる「信仰と光」の、大勢の団体のリトリ ートがあり、その次はアイルランド人司祭のグ ループ、それからノールウェイからのグループ、 その後も続いてロシアや南アフリカの「信仰と 光」のグループのリトリートがあります。また、 その他にもラ・フェルム(農場)によって企画 された、どなたでも参加できるオープン・リト リートもあります。路上生活者、離婚者、再婚 者、そして同性愛者といった、特殊なところで 蔑まれてきた人たちのためのリトリートもあり ます。私は、このようなすべての人々が、辱め を通して、真理のうちに神と出会う賜物を持っ ておられることを知りました。彼らは人間とい うものについて、多くのことを私に教えてくれ るのです。 まさかと思われるでしょうか、もうすぐ私は 87 歳になります。90 歳も目の前だと分かっていま す。昔、私はこの年齢を高齢だと思っていまし た。今、私自身がその域に到達して分かったこ とは、これは障がいの大切さと人生における弱 さという、私が長い間、宣べ伝えてきたことを 生きる時なのだということです。実際、私たち 一人ひとりは、単に弱い人々のことについて話 したり、その人たちを助けたりするのではなく、 自分自身の弱さを生きなければなりません。幸 いなことに、オディールがここにいて、私を見 守ってくれています。私が、この大いなる年齢 の豊かさを発見することによって、生きること ができるように、どうぞお祈りください。 皆さんの友情 さんの友情、 友情、皆さんからのお手紙 さんからのお手紙に 手紙に対し、 皆さんお一人 さんお一人お 一人お一人に 一人に感謝を 感謝を申し上げます。 げます。 私はすべてのラルシュと「 はすべてのラルシュと「信仰と 信仰と光」共同 体と、大いに心 いに心が通じ合っているように感 っているように感 じています。 じています。 ジャン・バニエ 4
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