日本語形容詞の意味拡張をもたらす認知機構について

日本語形容詞の意味拡張をもたらす認知機構について
明星大学
情報学部
大石 亨
情報学科
1.はじめに
本稿の目的は,日本語の形容詞の意味拡張をもたらす認知的な機構を明らかにすることである.形容
詞に限らず,語の意味が拡張,あるいは変化して定着し,元の意味と共存すると,多義語となる.した
がって,語の意味拡張を探求するということは,共時的に見れば,多義語を分析するということになる
(籾山 2002).
多義語分析には辞書の意味記述が用いられることが多いが,国広が指摘しているように,辞書の記述
スタイルはさまざまであり,複数の辞書の間で意味の区別が一致しない場合も多い(国広 1997,2006).
そこで,われわれは,辞書の意味記述の元となる言語データを分析することから始めて,従来とは異な
る多義語分析のあり方と意味拡張の機構を提案する.これによって,多くの形容詞に共通する多義のパ
ターンに新たな光を当て,全体の見通しをよくすることができるようになる.
本稿の構成は以下のとおりである.次節では,多義語分析の課題と現在主流となっている分析手法を
概観し,その問題点を明らかにする.3 節では,われわれが分析対象とする言語データの作成方法と内
容について説明する.4 節では,
「明るい」という形容詞を例に,現在多くの研究で行われている,メタ
ファー・メトニミー・シネクドキという 3 種類の比喩に基づく多義語分析を批判的に検討する.一見も
っともらしい分析が,他の形容詞には全く適用できないこと,説明は後付けであり多義の原因を明らか
にするものではないことなどを指摘する.
5 節では尾上によって提唱され,われわれの分析の前提となる形容詞のタイプ分類という考え方(尾
上 1997)を紹介し,続く 6 節で,この分類を「明るい」に対して適用する.これによって,新しい語義
の分類とその間の関係が浮かび上がってくる.この関係には,大きく3つの認知機構が関与している.
すなわち,「感覚と気分の同時体験」
・「心の理論」・「尺度融合」である.
1 つめの「感覚と気分の同時体験」は,大脳皮質感覚野と古皮質および大脳基底核が同時に活性化す
ることであり,脳内メトニミーとでも言うべきものである.これは,感覚のモダリティを超える共感覚
比喩の前提となるものでもある.2つめの「心の理論」とは,相手の行動を見て,それを自分の心的な
状態と対応させることにより,相手の心的状態を推測するために必要なものであり,人間同士の共感や
双方向理解の基盤となるものである.3つめの「尺度融合」とは,本来は無関係の2つのスケールを重
ね合わせることにより,客観的事実に評価的意味を付与することである.これは,不確定性に対処する
ために必要な機構である.これらは,いずれも人間の生存に不可欠な認知的プロセスであり,進化の過
程で身につけてきたものであると考えられる(茂木 2001,2004).
7節では,同様の意味拡張が,他の多くの形容詞にも見られることを,豊富な例を挙げて示す.形容
詞の意味拡張に,上で述べたような認知機構を想定することで,従来は個別的な説明しか与えられてこ
なかった多くの多義語に対して,一貫した見方を与えることができるようになるだけでなく,他の学問
分野との連携への道を開くことにもなると考える.
2.多義語分析の課題
籾山は,多義語分析の課題として,以下の3つを挙げている(籾山 2001,2002).
(1) 複数の意味の認定
(2) プロトタイプ的意味の認定
(3) 複数の意味の相互関係の明示
(1)の複数の意味の認定は,多義語分析の前提となる課題である.多義語であるということは,複数の
意味を持つということであるから,その存在を示すことは当然必要である.また,(2)のプロトタイプ的
意味の認定は,多義語の複数の意味全体を一つのカテゴリーと考え,そのカテゴリーを構成する個々の
要素,すなわち個々の意味のうちで,最も基本的なものを,プロトタイプ的意味として認定することで
ある.この課題は,多義語の個々の意味の間には,慣習化の程度や想起のしやすさに関して優劣がある
ということを前提としている.
これまで,(1)の複数の意味の認定には関連語(反義語,類義語,上位語など)の存在が,(2)のプロ
トタイプ的意味の認定には,用法上の制約(修飾語句,本動詞と補助動詞,名詞化など)が用いられて
きている(籾山 2002).しかし,意味というものは,定義されてから使用されるのではなく,多様な言
語使用の中でゆらぎを持って存在するものである以上,必ずしも明確な境界があるとは限らない.むし
ろ,意味の分類は任意のレベルで可能であり,目的によって使い分ければよいのではなかろうか.分析
の結果を翻訳に使用するのであれば,同一言語内の関連語よりは複数言語の間の異なりを重視して多義
を決定すべきであろうし,日本語教育に利用する場合にも,学習者の母語との違いを考慮すべきであろ
う.すなわち,多義語の語義の認定の良し悪しは,使用目的によって評価されるべきである.
また,純粋に言語学的な興味に基づいて分析するとしても,語彙の構造は,個別言語の歴史的・文化
的な要因が複雑に絡み合った結果として存在しているのであるから,分析のあり方も,個別的・特殊的
なものとならざるをえないという憾みがある.
課題(2)の,個々の意味の集合を一つのカテゴリーと考え,プロトタイプを認定するということは,意
味の集合体に「中心-周辺」や「リンク」などのイメージスキーマを適用して見るということでもある.
このことは,無意識のうちに他の見方を隠蔽してしまうことになりかねない.
たとえば,日本語の「あかし」という古語は,「明るい」という意味と「赤い」という二つの意味を
併せ持っていたとされている.
(「明るい」が用いられるのは近世以降である.同様に,
「くらし」は「暗
い」と「黒い」,
「しろし」は「白い」と「著しい」,
「あはし」は「青い」と「淡い」という二つの意味
を持っていた.)この場合,意味の分化の結果を分析的に見れば,夜が明ける際の明るさと朝焼けの赤
さとの同時体験に基づくメトニミーと考えることもできようが,実際には,どちらかの意味が始めにあ
って,そこからもう一つの意味が派生したものではない.また,もとの意味は,二つの意味の共通部分
を取り出したスキーマでもない(したがってシネクドキーでもない).「あかし」の意味は,「明るい」
という意味と「赤い」という意味の両方を漠然と含みながら区別をしない状態であったと考えられる.
このように未分化な状態から分化が起こって二つの意味が発生するという動的な見方は,プロトタイプ
的なカテゴリーの静的な見方や,一方から他方が派生するといった見方とは別のものである.つまり,
意味の分析方法には唯一の正解があるのではなく,複数の見方が可能であるということである.
同じことは,(3)の課題に対しても言える.(3)の課題は,多義語の複数の意味の間にある関連の実態
を明らかにすることである.従来の研究では,意味の転用・拡張を生じさせる比喩の下位類として,メ
タファー,シネクドキー,メトニミーという 3 種があり,これらの比喩によって生じた新しい意味が定
着した場合に多義語が生じるとされ,したがって,この 3 種の比喩が多義語の複数の意味を関連づける
重要なメカニズムとされてきた.しかし,「メタファー」や「メトニミー」というラベルを付けること
によって,かえって本質的な認知機構が覆い隠されるという可能性も考えられる.もちろんメタファ
ー・シネクドキー・メトニミーには,それぞれ,
「比較する」能力,
「同一の対象を異なる精密さで捉え
る」能力,「参照点」能力という認知機構が想定されているのであるが,これらの能力は,多義をもた
らす認知機構というよりはむしろ,人間が関連性を認識するときのパターンを分類したものである.類
似性や近接性の認識は,関連性の認識の下位区分であり,多義性をもたらす原因そのものではなく,可
能な多義を制約するものにすぎないというのが本稿の主張である.3 種の比喩以外に,「主体化」「文法
化」という見方がなされることもある(Shindo 2003)が,これらも同じようなラベルである.以下で
は,そのようなラベルのもとに覆い隠されてきた別の見方を提示する.
3.分析用データの作成
本節では,多義語分析のためにわれわれが作成したデータベースの内容について述べる.われわれが
元データとして用いたのは,EDR 日本語共起辞書(EDR 1995)である.この辞書は,EDR 日本語コ
ーパスに格納された約 20 万文の実例文の解析結果から,係り受けを構成している部分,すなわち共起
句を抽出し,句の表記の五十音順に並べたものである.このデータから,形容詞に関するデータを抽出
し,共起名詞を分類したものが,分析対象のデータベースとなる.以下に,作業手順を示す.
STEP1: EDR 共起辞書から「形容詞-φ-名詞」
「名詞-が-形容詞」という形式のデータをすべて
抽出する
STEP2: 「大小」
「長短」等の対立概念にあるものを中心に 295 語の形容詞を抽出・分類し,形
容詞ごとに共起名詞を登録
STEP3: STEP2 で登録した名詞を類義語群に分類
STEP4: 可能であれば,類義語群にカテゴリー名を付与
STEP1 では,
「赤い鼻」のような「形容詞+名詞」の形,いわゆる限定用法(装定)の例が 15,061 個,
「鼻が赤い」のように,
「名詞+が+形容詞」という叙述用法(述定)の例が 7,336 個得られた.前者
には 771 種類,後者には 287 種類の形容詞が存在したが,このうち,
「大小」
「長短」等の対立概念にあ
るものを中心に 295 語の形容詞を抽出し,分析対象とした(STEP2)
.次に,それぞれの形容詞と共起
する名詞を類義語群に分類し(STEP3),カテゴリー名を付与した(STEP4).このようにして作成した
データベースの一部を表1に示す.実際のデータベースでは,各カラムが意味カテゴリーごとに色分け
されており,視覚的に意味カテゴリーが把握できるようになっているが,印刷の都合で,ここでは省略
している.この表は,「明るい」と「暗い」という形容詞が共起する名詞を分類したものであり,第 2
列が限定用法,第 3 列が叙述用法で共起する名詞群である.
表 1 をみれば,特に限定用法で,非常に多様な名詞が共起していることがわかる.また,「明るい未
来」に対して「暗い過去」のように,共起する語そのものは異なるが,2つの形容詞がほぼ同じカテゴ
リーの名詞群と共起していることも見て取れよう.前節で述べたように,これらの名詞群をどのように
まとめて,複数の意味として認定するかということについて,複数の可能性が考えられる.当然のこと
ながら,その複数の意味の認定の仕方によって,個々の意味の間の相互関係のあり方もまったく異なっ
た様相をみせることになる.
表 1
形容詞
明るい
暗い
「明るい」「暗い」と共起する名詞の分類
限定用法
叙述用法
壁,空間,室,島,視野,ステージ,空,店舗,通 あたり,室内,空,中,背景
り,所,浜辺,場所,部分,部屋,方向,町,窓,
店,水底,面,山々,夕空
材料,もの
うち,春,昼,白夜
光線,照明,太陽,天体,灯,光,日差し
陽ざし
赤絵,色,色彩,茶色,花柄
彼女,クラスメート,国会議員,親友,青年,人,
者,優等生,少年,人
笑顔,顔,表情
笑顔,顔
家庭,環境,状況,雰囲気
将来,人生,展望,見通し,未来
見通し
感じ,性格,人柄
性格
声,調べ,笑い声
声
作品,冗談,ニュース,話,理由,話題,規則,命
題
穴ぐら,家,海,駅,改札口,河,コックピット, あたり,家,奥,外,空
室内,外,空,棚,地域,ところ,所,場所,場面,
部屋,面,森,ヤブ,山道,夜道,路地,舞台
雲,針葉樹,水脈,斑点,物質,部分,目,模様
影像,それ
冬,夜
かげ,陰,影,光,燈
明かり
青,色,寒色,色調
中堅,両親
人物
顔
世相,雰囲気,イメージ,時代,現象,政治
事態,状況
過去,時代,日々,見通し,予兆,歴史
見通し
詠嘆,気持ち,疑惑,心,心境,情感,信念
感じ,性格
ニュース,話,結末
運命,勢い,一面
4.従来の多義構造分析
本節では,これまでの研究で主流となっている,3 種類の比喩に基づく多義語分析を,前節の表1に
掲げた「明るい」
「暗い」を例にして示す.語義の認定には,
『大辞林 第2版』
(三省堂)の記述を用い
ることにする.
『大辞林』によると,
「明るい」
「暗い」はそれぞれ「明(あか)る」
「暮る」という動詞から派生した(あ
るいは同根の)語であるとされ,
「明るい」には 6 個,
「暗い」には 8 個の語義が記載されている(図 1,
2).しかし,用例からわかるように,
「暗い」の語義(7)(8)は,現在は用いられない古い用法であるから,
これらを除くと,ちょうど「明るい」と対応する 6 個の語義が現在用いられているということになる.
また,われわれのデータには「に」格で共起する名詞は登録されていないので,(6)の「精通」に関する
意味が捉えられていないこともわかる.分析に当たっては,辞書とコーパスを相補的に利用すべきであ
ろう.
(1)光が十分にある状態である。また、そのように感じられる状態である。
「―・い照明」「―・い部屋」「月が―・い」「―・いうちに帰る」「ライトが顔を―・く照らし出す」
「―・いレンズ」
(2)色が澄んでいる。黒や灰色などがまじらず鮮やかである。彩度が高い。
「―・い色」
「―・い紺」
(3)人の性格や表情、またかもし出す雰囲気などが、かたわらにいる人に楽しく、朗らかな感じを与え
る。晴れやかだ。楽しそうだ。
「気持ちが―・い」「―・い家庭」「―・くたくましく生きる」「―・い人柄」「―・い雰囲気」「―・
い小説」
(4)物事の行われ方に、不正や後ろ暗いところがない。公正だ。公明だ。
「―・い選挙」「―・い政治」
(5)未来のことに対して、希望をもつことができる状態である。
「前途が―・くなった」
「―・い見通し」
(6)(「…にあかるい」の形で)その物事についてよく知っている。精通している。くわしい。
「法律に―・い人」「数字に―・い」
図 1 『大辞林 第 2 版』における「明るい」の記述
(1)光の量が少なく、物がよく見えない状態である。明るさが足りない。
「日が暮れて―・くなる」「―・い夜道」
(2)色がくすんでいる。黒ずんでいる。
「―・い紫色」
(3)(性格や気分が)陰気で晴れやかでない。明朗でない。
「―・い性格」「気持ちが―・くなる」
(4)犯罪・不幸・悲惨の存在を感じさせる。
「―・い過去」「―・い世相」
(5)希望がもてない状態だ。
「見通しは―・い」
(6)事情をよく知らない。精通していない。
「法律に―・い」「この辺の地理に―・い」
(7)愚かだ。暗愚だ。
「―・き人の、人をはかりてその智を知れりと思はん/徒然 193」
(8)不十分である。不足している。
「我が韃靼(だつたん)は大国にて七珍万宝―・からずと申せども/浄瑠璃・国性爺合戦」
図 2
『大辞林 第 2 版』における「暗い」の記述
さて,このような語義の認定が行われたとすると,次にプロトタイプ的意味の認定が行われる.厳密
には様々な用法上の制約を検討すべきであろうが,ここでは便宜的に(1)の「光が十分にある(ない)」
という意味を「明るい(暗い)」のプロトタイプ的意味であるとする.すると,(2)の色の彩度に関する
意味は光が十分にある(ない)時の色の見え方を表しており,(3)の楽しく朗らかな(陰気で明朗でない)
感じは光が十分にある(ない)ときの人間の気分をあらわしており,いずれもメトニミーであると考え
ることができる.さらに,(4)(5)(6)の意味は,光が十分にあれば物事がよく見え,なければ見えないと
いう,これもメトニミーに基づく意味から派生したものと考えられる.物事がよく見えるところでは不
正は行われにくく,犯罪は物陰で人に見られずに行われることから(4)の公明正大さに関する意味が発生
する.
(5)の将来の希望に関する意味は,
「見通し」という語と同様,
「人生は旅である」というメタファ
ーに基づいており,明るく見通しのよい道は安心であり希望に満ちた将来を,暗い道は危険で不安な人
生を象徴するということから派生する.また,(6)の「精通している(いない)」という意味は,
「見るこ
とはわかることである」というメタファーに基づいており,よく見えればよく知ることができ,見えな
ければ知ることができないという含意によってもたらされたものである.以上の分析を表したのが図 3
である.図3は「明るい」の多義構造であるが,「暗い」にもまったく同じ構造を適用することができ
る.
(1)光が十
分にある
(基本義)
光があるところでは色が
明るく見える(メトニミー)
(2)色の
彩度
(3)雰囲気
の晴れや
かさ
光があると物事がよく見える
(メトニミー)
光があると気分も
晴れやかになる(メ
トニミー)
物事がよく
見えること
(4)公正さ・
公明さ
(5)見通し・
希望
よく見えるところでは不
正はできない(含意)
人生は旅である
(メタファー)
図 3
(6)精通
見ることはわかること
⇒よく知っている(メタ
ファー)
従来の比喩に基づくネットワーク分析
さて,図 3 のような多義構造の説明は,妥当なものかもしれないが,ひとつの見方にすぎない.関係
の説明は後付けであり,アドホックなものである.人間の通常の行動は光のあるところで行われるので
あるから,あらゆる事態がメトニミーの候補となるはずである.同様に,「物事がよくみえること」か
らは,
「確かさ」
「行動のしやすさ」など無数の推論が可能であるし,他にも多くのメタファーが存在す
るにもかかわらず,なぜ上の3つの意味だけが使われているのかを,説明することができない.また,
ここで用いられている個々の理由付けは,「明るい」と「暗い」にだけ通用するものである.個別の語
に対するこのような分析の積み重ねも必要ではあろうが,語彙横断的に共通の傾向を探る必要もあるだ
ろう.そのためには,まず語義の認定からやり直す必要がある.次節では,その前提となる形容詞のタ
イプ分類について説明する.
5.形容詞のタイプ分類(尾上1997)
尾上(1997)は,日本語の形容詞文を,以下のように分類している.従来,対象の属性を描写する情態
形容詞と、人の感情を表す情意形容詞という二種類に分類されていた日本語の形容詞を,主語の立ち現
れ方によってさらに細分化したものであり,それぞれの形容詞文が取りうる主語の意味的な役割と形容
詞の意味が,例文とともに示されている.(以下の例は篠原(2002)に引用されているものである.)
A. 情態形容詞文
属性の持ち主―属性
属性の位置する領域―属性
A’.評価の形容詞文
属性の持ち主―属性(評価込み)
部分・側面―評価(属性込み)
B.情意形容詞文
情意の対象(機縁)―情意
情意の主者―情意
B’.欲求の形容詞文
欲求の対象―欲求
欲求の主者―欲求
C.温度・痛覚の形容詞文
感覚の機縁―感覚
感覚の主者―感覚
感覚の場所(身体の部分)―感覚
D.存在に関わる形容詞文
存在するもの―存在量
花が赤い./部屋が暗い.
(この花瓶は)色が青い./(この棒は)長さが短い.
この部屋はきたない./この娘はかわいい.
(この部屋は)壁がきたない./(あの娘は)目がわいい.
父の死が悲しい./故郷がなつかしい.
わたしは悲しい./わたしは懐かしい.
水が飲みたい./時間が欲しい.
私は飲みたい./私は欲しい.
バラのとげが痛い./氷が冷たい.
わたしは痛い./わたしは冷たい.
足の裏が痛い./指の先が冷たい。
水溜りが多い./間違いが少ない.
尾上の分類は,「情態」「情意」という用語からもわかるように,国語学の伝統に則ったものである.
したがって,A(A’)の「情態形容詞」と B(B’)の「情意形容詞」という二分法を踏襲している.C の温度・
痛覚の形容詞文が情意形容詞とは別に立てられているのは,これが感覚の機縁(感覚をもたらす原因と
なる物事),感覚の主者(感覚を感じる人間)の他に,感覚の場所も「が」格に現れるからである.D
の存在の形容詞文は最後に挙げられているが,外部の存在について述べるという点では,情態形容詞と
連続性を持つだろう.そのような意味的な連続性に注目して並べなおし,意味地図として表したのが図
4 である.縦軸は主観性を表しており,上から順に,外部世界の状態から内面的世界の描写に移り変わ
っている.それにともなって,助詞「は」,「が」とともに現れる名詞の性格も変化している.
OBJECTIVE: 存在
TOPIC(は)
FOCUS(が)
場所(に)
存在物
情態
対象
部分・
側面
評価
体性感覚
情意
SUBJECTIVE: 欲求
図 4
機縁
主者
欲求の対象
日本語形容詞の主語の分布による意味地図
次節では,この分類を参考にして,「明るい」という形容詞の多義に対する新たな見方を提出し,そ
の多義をもたらした認知プロセスを考察する.
6. 「明るい」の意味拡張の別の見方
前節の形容詞のタイプ分類を参考にして,われわれは「明るい」という形容詞の意味を,次のように
分類した.それぞれの意味には,共起する名詞をカテゴリー名とともに記載している.
①視覚的属性
光源「太陽」
「月」 光「日光」「日差し」 色「色」「色彩」 空間・場所「壁」「部屋」
時間「昼」
②主観的状況(評価込み)
状況「家庭」
「雰囲気」 機縁「話題」「ニュース」 未来「見通し」「将来」
③対人的評価(属性込み)
性格「性格」
「人柄」 持ち主「クラスメート」
「青年」
表出「声」「笑顔」 才能「数学(に)」
④出来事に対する評価
公正「政治」
「選挙」
4 節で取り上げた『大辞林』の6つの意味のうち,(1)と(2)をまとめて①視覚的属性とした.「光源」
「光」「色」「空間」「時間」などを表す名詞群と共起したときの意味である.対象の物理的な属性を述
べていることから,前節の分類では「情態形容詞」ということになろう.
また,(3)の意味のうち,主観的な気分を伴う「状況」,あるいはそのような状況をもたらす「機縁」
を,(5)の「未来」の希望を表す意味とともに,②主観的状況とした.これは,自分の気分を投影した状
況やそれをもたらす機縁をあらわすことから,一見「情意形容詞」のように思えるかもしれないが,
「*
私は明るい」
「*ニュースが明るい」などとは言えないことから,話者が主観的にとらえた自分や周りの
状況について,評価をともなって述べる「評価形容詞」であると考えておく.
一方,(3)の意味のうち,対人的な評価を表す「性格」やそのような性格の「持ち主」,またそれが「表
出」された声や顔などは,(6)の精通を表す意味とまとめて③対人的評価とした.最後に,(4)の公正さ
を表す意味を④出来事に対する評価として別に分類した.この二つは,②と同じく「評価形容詞」であ
るが,評価対象にしたがって分類したものであり,想定されるメタファーの違いによる分類ではないと
ころが,4節の分類との違いである.
次に,これらの意味の間の関係について考える.①の視覚的属性は,物理的な光の存在を前提にした
ものである.視覚的な明るさは 1 次的には物理的な光強度に依存するが,心理的経験としての明るさの
知覚は,その光が生じる文脈,つまり,同時に存在する別の光(周辺光)や眼の順応といったものにも
影響を受ける(リンゼイ,ノーマン 1983).同時に,色,動き,テクスチャーといった他の視覚性特徴
も抽出され,さまざまな脳の領野で複雑な分析を受けるのであるが,その前提として光が存在するとい
う点が共通している.
②の「明るい雰囲気」
「明るい気分」などのように,主観的な気分や状況を表す「明るい」の意味は,
①の視覚的明るさを知覚したときの人間の気分を反映している.これは,光刺激が間脳の縫線核に伝わ
ってセロトニンの放出が始まると同時に交感神経が優位になり、意識が覚醒することによってもたらさ
れる.セロトニンの欠乏はうつ病を発症させるのであるが,明るいところに出ることによって,脳内の
必須アミノ酸トリプトファンをセロトニンに変える酵素作用が促進されるからである(Penev ら 1997).
①と②の意味はこのような脳内での時間的隣接性または同時性という生理現象に基づいている.
②のような状態にいる人間は,よく笑い大きな声を出すといった特定の行動を示すが,③に見られる
人の性格や人柄を表す「明るい」の意味は,他人のこのような行為を見て,その人の内面を推定すると
いう心の理論(theory of mind)に動機付けられたものである.ここでいう心の理論とは,他者の心の状
態について,自分の脳の中で仮説を持つ能力のことをさす(茂木 2001,2004).
「他人の行動」の感覚情
報(「明るい笑顔」)と「自分の行動」の前提となる心的状態(「明るい気分」)を結びつけるという,非
常に高度な統合的認知プロセスが働いているが,従来の類義語(「明朗な」など)を用いた分析ではこ
の点がまったく見落とされてしまう.
「数学に明るい」という表現も,
「N に A」という構文的意味に支
えられてはいるが,他人の行為を見てその人の才能を推測するという同じ機構が働いている.
④の公正さを表す「明るい選挙」などの意味は,「明るいところでは不正ができない」という論理的
含意であろうが,③とは異なり,①の視覚的属性や②の主観的状態との関連が自明ではない.このつな
がりを支えているのは,「明るい」という言葉の持つ評価的な意味であり,ここには,尺度融合という
心的なメカニズムが働いている.「明暗」の尺度と,「善悪」の尺度が融合されているわけである.
このメカニズムは,非常に広範に見られるものであり,われわれが日常生活を送る上で欠かせないも
のである.なぜなら,われわれは,現実を認識するだけではなく,認識した現実の中で適切に行動して
生き抜いていかなければならない存在だからであり,すばやい行動を起こすためには,毎回認識結果を
評価し,行動を計算していては間に合わない.したがって,特定の属性尺度に対して一定の評価尺度を
あらかじめ割り当てておけば,すばやい判断と行動が可能になる.これは,単細胞生物の走性(刺激の
種類によって走光性,走地性,走流性,走電性などがある)に起源を持つものであろうが,人間の場合
にはもちろんそのような単純なものではなく,非常に多様な尺度の組み合わせが見られる.
どちらも正規分布をする「血圧」と「成績」に対して,全く異なる評価がなされる(蓮實・養老 2002,
養老 2004)というのも,血圧が縦軸(人数)と良し悪しを重ね合わせる(多いほど良い)のに対し,
成績には横軸(点数)を重ね合わせる(高いほど良い)からである.他にも,「黒-灰色-白」という
グレースケールを「有罪-無罪」と対応させたり,
「松竹梅」
「金銀銅」を「上中下」と同じくランク付
けに用いたり,「右-左」によって「保守-革新」を表したりと,さまざまな動機によって,ある尺度
を別の尺度と結びつけることは,広く行われている.それぞれの対応には個別的・歴史的な理由がある
のであるが,その共通の基盤として「尺度融合」という認知機構が存在していると考える.
7. 形容詞の意味拡張に見られる一貫性
本節では,前節の「明るい」という形容詞に関して提示した3つ認知機構が,他の多くの形容詞の意
味拡張にも見られることを示す.
一つ目の,感覚と気分の同時体験は,
「明るい気分」
「暗い気持ち」などという言い回しに現れる気分
を表す意味が,光の感覚を知覚するときの気分に基づいているというものであった.同じタイプの認知
機構に基づく例として,以下のようなものがある.
「苦い経験」「気が重い」「心が軽い」「暖かい気持ち」「心が寒い」「涼しい気分」「きつい仕事」
形容詞以外の表現としては,
「お先真っ暗」「苦渋」
「辛酸」「家族のぬくもり」「閉塞感」「塞ぐ」「開放感」「重圧」「圧迫感」
などがある.いずれも,人間がある状態にあるときに知覚した感覚を表す形容詞を,心理的状態の描写
に用いている.これらには,従来「共感覚比喩」と呼ばれてきたものも含まれている.
また,ここで「感覚と気分の同時体験」と呼んでいるものは,楠見が「情緒・感覚的意味」と呼んで
いるものの一部であるとも考えられる(楠見 1995).「情緒・感覚的意味」について,楠見は以下のよ
うに述べている.
情緒・感覚的意味は,主体が対象によって喚起された感覚・感情に依拠した意味であり,連想
的意味ということができる.情緒・感覚的意味は,直喩・隠喩や共感覚的比喩だけでなく,色
彩象徴,相貌的知覚,擬音語・擬態語の処理過程も支えている.情緒・感覚的意味の構造は,
[快―不快][強―弱]の次元で表現できた.(楠見 1995,p.151)
その名前からもわかるように,楠見は「情緒」と「感覚」を明確に区別していない.また,感覚形容
語の意味構造に関して,次のように述べている(楠見 2004).
感覚形容語が他のモダリティを示す名詞を修飾した共感覚表現を理解できるのは,感覚形容語
の意味構造が感覚モダリティを越えて共通しているためと考える.(中略)いずれも「快―不
快」と「強―弱」の基本次元によって,意味空間を表現でき,感覚形容語の布置は同型の構造
を持っていた.(中略)したがって,感覚形容語は他のモダリティに転用が可能であり,新奇
な修飾の仕方であっても意味の推測は可能であると考える.(楠見 2004,p.12-13)
さらに,共感覚比喩に見られる方向性については,以下のように述べている(同上).
それでは,なぜ修飾の方向性が存在するのか.第 1 に,近感覚(触覚や味覚)は対象に密着し
ているため,身体的で具体的なイメージの喚起力が高い.したがって,イメージ喚起力の強い
感覚形容語を用いて,遠感覚(聴覚や視覚)や心理的内容(気分,記憶,性格)を表現するこ
とになる.(楠見 2004,p.13)
ここで,楠見が「意味空間」と呼んでいる「快―不快」と「強―弱」の基本次元こそが,「情緒的意
味」すなわち,上で言うところの「気分」であると考えられる.楠見は,「近感覚(触覚や味覚)は対
象に密着しているため,身体的で具体的なイメージの喚起力が高い」と述べているが,近感覚は,対象
に近いからイメージを喚起するのではなく,それが進化的に古い感覚であり,情緒的な気分をもたらす
辺縁系や旧脳と直結しているから,心理的内容(気分)を表すのであり,この「気分」の同一性を通し
て遠感覚にも用いられるのである.また,心理的内容のうち,
「記憶」
「性格」は気分をもたらす機縁で
あり,分けて考える必要があろう.一方,瀬戸(2003)や酒井(2003)が指摘する逆方向の用例も,
気分を経由して他の感覚モダリティに転用されると考えれば説明できる.このように,共感覚比喩は,
感覚モダリティ間のメタファーではなく,情緒的気分をピボットとした(脳内での)同時体験によるも
のであると考えることができる.
二つ目の心の理論は,「明るい」に関する 4 節の分類では多義と認識されなかったように,自動的で
無意識のものである.視覚で認識する他人の動作と,筋肉運動である自分の動作に同じ動詞を用いるこ
とに,それが現れているのであるが,多義と認識されることはないであろう.
一般に,他人の感情を話者が感じるわけにはいかないから,情意形容詞を 3 人称で使用するには,
「彼
は悲しそうだ」と言わなければならず,「そうだ」が,なんらかの振る舞いを見て相手の感情を推論し
たということを表している.しかし,
「悲しい顔」のように,表情として感情が表出された場合には,
「そ
う(な)」が省略される場合がある.意識的な推論を行わずに,備え付けの心の理論を用いて,表情から
相手の感情を推定する機構が人間では特に発達しているからである.情意形容詞以外では,
「渋い顔」
「苦
い顔」のような味覚表現がある.これらは,表情から心の理論によって推測した感覚を感じたときの不
機嫌な気分を表現している.「心の理論」と「感覚と気分の同時体験」という二つの機構が働いた結果と
いえる.
「明るい」「暗い」の場合には,光の刺激と気分の関係が無意識であり,出来事によって一時的にも
たらされる意識的な感情や味覚体験とは異なる.このために,
「明るい(暗い)
」振る舞いは,相手の性
格や人柄によるものと判断され,評価的な意味を帯びることになる.これは,
「陽気な」
「陰気な」とい
う表現とも共通する.
この対人的評価における評価的な意味は,3 つ目の機構である尺度融合によってもたらされたもので
ある.楠見の言う「快―不快」という基本次元も,感覚に元々備わったものではなく,評価的な尺度が
融合された結果であると考えることができる.
尺度融合の結果,対人的な評価を表す形容詞として,表 2 に掲げたようなものがある.表 2 の第 3 列
に示したように,それぞれの感覚的尺度にどのような評価的尺度が融合するかという動機付けを与える
個別的なメタファーを考えることができる.しかし,これらのメタファーがもともとあって,ここに挙
げたような意味拡張を引き起こしたと考えるよりも,感覚の尺度と評価の尺度を重ねあわせるという認
知的な機構がまず存在し,メタファーはその組み合わせを制約していると考えたほうが,一貫した見方
を与えるのではないだろうか.
もともとは大脳新皮質感覚野で行われていた分析的,客観的な知覚を表す多様な言語表現を,古い脳
が関わる情動や評価の表現として用いることにより,表現の不足を補うために新奇な語彙を発明する必
要がなくなるだけでなく,主観的であるがゆえに伝わりにくい評価を,正確に他人に伝えることが可能
となるのである.
表 2
形容詞
青い
明るい・暗い
浅い・深い
荒い・細かい
硬い・柔らかい
鋭い・鈍い
広い・狭い
長い・短い
粘り強い
しつこい・あっさり
甘い・辛い
甘い・きつい
対人的評価に用いられる感覚形容詞
評価的意味
未熟さ
明朗さ・公正さ
思慮・意味
気性・金遣い
頑固・柔軟(物腰)
能力・感受性
度量(心)
精神的持久力(気)
根気
執着
評価
考え・ツメ・性格
動機付けるメタファーの元領域
果実の色調の変化
光(本文中で詳述)
表層は見せかけ(皮相)
・真実は奥底(深遠)
気性は波風・消費は技
付き合いは接触(人当たり)
刃物・神経
容器
時間は空間
粘着性
味覚?
味覚
締め付け、ゆとり
8. おわりに
本稿では,日本語の形容詞の意味拡張をもたらす認知機構として,
「感覚と気分の同時体験」
「心の理
論」「尺度融合」という三つのメカニズムを提案した.これらの機構は,われわれの知性が単に周りの
状況を認識するためだけではなく,多様な状況の中で他人とコミュニケーションをし,適切に行動して
いくために発生してきたということを物語るものである.
感覚情報は脳内に蓄えるためだけに取得されるのではなく,行動を出力するために利用されるもので
ある.しかし,現実の世界では,十分な情報が得られず,最適な行動を算出することができない場合も
多い.このとき,発生学的には古い脳に属する情動や価値判断の中枢が決定的に重要な役割を果たす.
必要な情報が完全には得られないような状況での判断,行動決定は,ドーパミン細胞を中心とする情動
系の働きである(茂木 2004)が,情動系の情報処理は,一部の感情を除いて,ほとんど無意識のプロ
セスとして進行する.しかし,言語は基本的に,意識に上ったものについてしか語れないという性質を
持っている.本稿で取り上げた三つの認知機構は,自分が置かれている状況に内在している価値や,そ
れに対する自らの快や不快という反応のように,本来は無意識に進行する情動系の情報処理を,感覚系
の情報処理のような意識に上る他の認知要素との関わりの中で統合して行うために発達してきたもの
と考えられる.
このように,外部世界から情報を取り入れ,それに基づいて価値判断や行動決定を行うという一連の
脳内メカニズムに沿うように,形容詞の意味も拡張しているのである.この意味拡張は,感覚情報の分
析という受動的な情報処理が,価値判断や行動という出力系の機構と統合され,意識に上ることによっ
てもたらされたものであり,メタファーやメトニミーはこの統合の仕方を制約するものにすぎないとい
うのが本稿の主張である.このような見方をすることで,心理学や脳科学といった他の学問分野との連
携も一層充実したものとなるのではないかと期待する.
参考文献
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