「∼していいですか」と聞く 不登校中学生男子との

平成11年度
研究報告書
(第598号)
F9−01
「∼していいですか」と聞く
不登校中学生男子との面接過程の研究
―教師的自我を離れた非指示的態度の意味―
本事例の中学生男子は「∼していいですか」という言葉に象徴される。
本研究は,依存的で幼い印象の本生徒が,遊戯療法を通して変容してい
った過程を分析する。また,面接時に現れる面接担当者自身の教師的自我
に視点を当て,教師的自我への気づきと非指示的態度でかかわることの意
味について検討した。その結果,教師的自我とカウンセラー的自我の大切
さと,両者を統合していくことの必要性について確かめることができた。
福岡市教育センター
長期研修員
教育相談室
古賀清隆
目
次
Ⅰ
主題設定の理由 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 相研
1
Ⅱ
研究の目標
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 相研
1
Ⅲ
研究の内容と方法 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 相研
2
1 来談者中心の遊戯療法の実践
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 相研
2
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 相研
2
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 相研
2
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 相研
2
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 相研
2
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 相研
2
2 面接過程の記録分析
Ⅳ
研究の実際
1 事
例
2 来談までの経緯
3 面接の経過
Ⅴ
第1期
#1 ∼ 8
【 お伺いをたててからの遊び 】
‥‥‥‥ 相研
2
第2期
#9 ∼ 12
【 Tに聞かずに行動を起こす 】
‥‥‥‥ 相研
5
第3期
#13 ∼ 16
【 自由な自分を発揮し出す 】
‥‥‥‥‥ 相研
8
研究のまとめと今後の課題 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 相研11
1 A男の変容について
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 相研11
2 非指示的態度の意味
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 相研14
3 教師的自我の意味
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 相研14
4 カウンセラー的自我と教師的自我の統合に向けて
5 今後の課題について
Ⅵ
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 相研15
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 相研16
研究指導者のコメント ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 相研16
引用・参考文献 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 相研16
この報告書の内容については,プライバシー保護のため,資料の
保管・守秘には最大限の留意をお願いします。
指示的にかかわる)という点でいかに難しいか
Ⅰ
主題設定の理由
ということを実感したことに始まる。このこと
は,教師である自分が『目の前の子供に受容的
今日,子供たちを取り巻く環境は,科学技術
な態度で接している』と思っていても,無意識
の発展,国際化,情報化,環境問題や福祉の問
に指示的なかかわりなどの教師的な態度で接し
題に見られるように,めまぐるしく変化してき
ていることが多々あることに気づかされた体験
ている。平成10年度の文部省学校基本調査速報
でもある。また,それと同時に『うまく教えて
によると年間30日以上の欠席をした不登校児童
あげたい・ほめてあげたい・励ましてあげた
生徒の数は過去最高の約12万8000人となったこ
い』といった“教師的自我”が湧き出てくる。
とが報告されている。この数は,中学校一クラ
これらの思いなどは,自分自身ではなかなか自
スにおよそ一人の割合で不登校の生徒がいると
覚されにくい。それは,面接担当者であった自
いうことになる。
分が,スーパーヴァイズ(専門家による指導助
このような状況の中で,教育への期待は大き
言等)を受けてはじめて子供への指導的なかか
く,様々なところで,現在の子供たちが抱える
わりをしていたことに気がつくといった経緯か
問題についての指摘やこれからの教育に対する
ら実感されたことでもあった。
提言がなされている。その中の一つに,子供た
教師として大切な教師的自我やかかわりが,
ちの「主体性をはぐくむ体験の大切さ」があげ
遊戯室における子供の主体的な遊びにとってマ
られている。この体験は,不登校児童生徒にと
イナスに作用していることは多い。このことか
っても重要なテーマであると考える。
ら面接担当者は,遊戯療法の実践において,自
本教育相談室では,子供たちに対して主に来
談者中心の遊戯療法を行う。子供たちは「遊戯
己の教師的な自我やかかわりに気づき自覚する
ことが重要な課題となると考える。
室」という枠の中で自由と安全を保証され,そ
本事例における不登校中学生男子は,「∼し
の中で,自ら考え,自ら遊ぶことを自らの意思
ていいですか」という言葉に象徴される。主体
で決めるのである。そこでは『遊ぶ』というこ
性に乏しく幼い印象の生徒で,面接担当者の教
とも『遊ばない』という自由さえも保障されて
師的自我が刺激される。本生徒との面接過程に
いる。その意味から,ここでの体験(遊び)は
おいて,教師的自我を自覚しながら,さらにそ
まさに「主体的」であるといえる。また,ここ
こから離れた非指示的な態度がどう主体性をは
を訪れる子供たちは,様々な環境や人間関係に
ぐくむのかといった意味について考え,子供の
対して柔軟に対応できにくいことから不適応の
変容との関係についてに明らかにしていきたい。
状態にあり,悩み苦しんでいると考えられる。
彼らは,この遊戯室において,担当者と共に,
Ⅱ
自分探しの旅に向け新たな体験をするのである。
研究の目標
本研究のサブテーマを「教師的自我を離れた
非指示的態度の意味」とした。この設定は,以
○
かかわりを意識した,遊戯療法の実践を行う。
前に私自身が,学校で担任をすると同時に,別
の場所で遊戯療法による面接を継続した際の体
子供の主体性をはぐぐむ非指示的な態度や
○
面接の過程における面接担当者自身の教師
験に基づいている。本来「子供を指導すること
的自我を明らかにしながら,さらにそこから
はしない」とされる遊戯療法に徹することが,
離れた子供とのかかわりや支援のあり方を子
とりわけ自分自身を含めた教師という職業に携
供の変容と併せて考察する。
わるものにとって,指示的にかかわらない(非
相研−1
3
Ⅲ
研究の内容と方法
面接の経過
本事例は,A男と面接担当者との,初回から
16回目までの面接の過程を記録したものであ
1
来談者中心の遊戯療法の実践
る。面接の経過とその内容は,子どもの様子や
面接担当者はまず,目の前の子供といかに信
遊び,会話などを記述する。また,面接担当者
頼関係を持つことができるかということが課題
(以下Tと記す)の気づきや感じたことを□の
となる。そして,子供が自分自身の力で周りの
中に記述していく。
尚,A男の発話は「・・・」で,Tの発話は,
環境に適応していける力をはぐくむことができ
るように援助していくことが求められる。そこ
〈・・・〉で,Tの思いは《・・・》で表す。
で,子供のその時々に変化する思いや言動に寄
また,#は面接回数を表すものとする。
り添いながら,子供自身の主体的な成長を促す
第1期
ために有効である来談者中心の(非指示的な)
#1∼8
お伺いをたててからの遊び
遊戯療法による面接の実践を行う。
#1
2
面接過程の記録分析
A男は待合室でイスに座り,下を向いている。
子供が主体的に遊ぶようになるためには,面
少し色白のおどおどした少年であり,中学3年
接担当者自身の自己理解と子供理解のための技
というよりは中学1年生といった感じのやや幼
量を身に付けていくことが必要である。
い印象の男子である。
遊戯室に入ると立ち止まり,にこーと微笑ん
そこで,面接過程での子供の遊び・言動・表
情などと面接担当者のかかわり方や心の動きを
で,部屋をぐるりと見回している。
詳細に記録する。他に,待合室での子供と親の
〈ここでは,何をして遊んでもいいんだよ。〉
「たくさんありますね。」〈いろんなものがあ
様子や親面接担当者の情報も合わせて記録する。
面接担当者自身の心の動きについては“教師
るやろう。〉周囲を見ながら少し歩いてみるA
的自我と非指示的態度”という視点でとらえ分
男。
析する。また,各セッション毎に面接担当者の
・「これ,何ですか。」(サンドバッグ)《本
かかわり方と子供の行動変容についての振り返
当に知らないのかな?》と思うT。しかし,そ
りを行い気づきや感想として記録する。
んな気持ちを横に置いて,〈サンドバッグやね。
叩いても蹴ってもいいんだよ。〉するとA男は
「あ,はい。」と言い少し押しながらにこにこ
Ⅳ
している。そして,なんとも弱々しいパンチを
研究の実際
一発パチンと打ってみたのだった。
1
事
例
・「これ,何ですか。」〈(TVゲームの)ブ
(1) 相談者:A男(中学生男子)
ロック崩しやね。やってみる?〉「します。」
(2) 主
〈ひとりでする?二人でする?〉「二人でしま
訴:不登校
す。」〈じゃ,やってみようか。〉
2
来談までの経緯
ゲームなどの話しをしながら,二人用でやって
中学校の友人関係などがきっかけとなって,
みる。《なんと不器用なことだろう。》玉にか
体調不良から徐々に欠席がちとなり,神経症的
すりもしないこと度々のA男だった。
な不登校の状態となる。学校の紹介で,母親と
・「これは?」(卓球台)《いくら何でも,卓
共に来所する。
球台は知ってると思うけどなあ。いや,本当に
相研−2
知らないかもしれない。》〈卓球台やね。やっ
#2
てみる?〉「します。」《意外とハッキリ意思
・「これしていいですか。」(しばらくの不器
表示できるんだな。》〈やったことあるの?〉
用なビリヤード)「他のしていいですか。」
「いいえ。どうやってするんですか。」〈自由
〈いいよ,何をしてもいいんだよ。〉「じゃ,
に球を打っていいんだよ。〉
卓球をします。」
A男はショート
打法でこわごわと打ってみる。TはA男のペー
・「ボーリングで170を出しました。」〈へ
スに合わせて打ってみる。2・3本続いたラリ
ーすごいね。誰と行ったの。〉「お父さんと行
ーにA男は「おもしろいですね。」と言うのだ
きました。」「これ,何ですか。」(ボーリン
った。
グ)《知ってるはずだけどなあ。でも,なぜ聞
・「これは?」(1メートル大の大玉)〈大玉
くのだろう。》〈ボーリングやね。やってみ
やね。遊んでもいいけど,遊んでみる?〉《ま
る?〉「あ,はい。」との返事でオモチャのボ
さか,これでは遊ばないでしょう。》「あっ,
ーリングをするA男は,2メートル程の近距離
はい。」大玉をA男に転がしてみるT。A男も
からかなり強めのボールで投球するのだった。
転がして返す。にこっとしながら,転がしあい
ボーリングの様子をみて,Tは,不器用な
が続く。Tがボールを持ち上げて放り投げてや
感じの投球から《本当に170点も出したの
ると同じように返してくるA男。そんなやりと
かなあ。》と思ってしまう。A男の返事は
りが5・6分ほども続いたのだった。Tは《中
「あっ,はい。」「あっ,いいえ。」など
3にもなってよくやるなあ。》と思いつつも楽
と,少し間が入る。卓球をしていて小声で
しそうなA男の様子に,T自身も楽しみながら,
「よし。」と1回いう。あまりにか弱い声や
しばらくの大玉の転がしあいが続いた。
世間知らずの印象から,《母親の過保護では
・「これは?」(ソフトバレーボール)〈ソフ
ないか。》などと考えるのだった。
トバレーボールやね。〉《また例の調子で聞い
#3
てきたぞ。》〈する?〉「します。」
ソフトバレーボールを少し離れて投げ合うA
・「ダーツしてもいいですか?」
男とT。急にA男はバスケのチェストパスを繰
・「卓球してもいいですか?」卓球しながら,
り出してくる。《さっきまでの幼さや弱々しさ
A男は手を止めて「趣味は何ですか?」〈バイ
とは違った様子は,意外だ。》〈バスケットボ
クに乗ったりするね。250CCだけど。〉
ールしたことある?〉「バスケットのリングは
「??」〈原付って知ってる?〉「いいえ。」
小さいときに家にありました。」〈ほんと?〉
Tは《ホントに知らないんだなあ》と実感した。
急にパスのスピードが速くなるA男。これ
までの不器用・か弱い感じとは少し違う様子
〈君の趣味はどんなの?〉卓球する手を止め
「ボーリングと釣りとか園芸とかですかね。」
にちょっと驚いてしまう。ふと見るとA男は
Tには,A男の言う趣味が,親の趣味のよ
Tの方を見てパスを出している。このことで
うに重なって感じられてしまう。また,言動
A男が今までほとんどうつむき加減であった
からは知的な発達遅滞などではなく,「原付
ことがハッキリとTに自覚されたのだった。
を知らない。」やその他の言葉などから,体
「卓球はどうやってするんですか。」と聞
験不足であろうと感じられた。今回の面接を
いたA男に,Tは上手に教えてあげたい気持
通して,A男は,少しながら,自分で決めた
ちが湧いたが,その思いを抑えて〈自由に打
り表現したりすることが見られて,今後の成
っていいんだよ。〉と返事をしたのだった。
長が予感され楽しみに思えた。
相研−3
#4
ているのにどうして聞くの。》
・「ビリヤードしてもらえますか?」〈いい
「じゃあ,今度はビリヤードお願いします。」
よ〉「ダーツしてもらえますか?」《自分流の
A男は担当者とビリヤードをしながら,気にな
ひどい投げ方だ。》的にうまく当たらないA男
るのか,時々側にあるサッカーゲームに触る。
だが,気にならないのか自分流で楽しむ。
この回,いつもよりハッキリした口調で
ひどいダーツの投げ方に,《もっと上手に
「∼をお願いします。」という。しかし,T
投げれば当たるだろうに,教えてあげたい》
の様子を伺うようなところはいまだに感じら
との気持ちから,手本のような気持ちでそれ
れた。Tとのビリヤードの途中に,他のとこ
となくやって見せたT。それをまねするでも
ろへ気が向くようになってきており,Tへの
ないA男に,がっかりしたのとほっとしたの
気遣いが和らいできていると感じられた。
と両方の気持ちを味わったTだった。
親面接担当より
A男は先週,登校をした
親面接担当より
とのこと。教師が勉強の話ばかりしたので,
「A男は自分で(習いごとも)決めてきま
「僕は,まだ,そんな(勉強勉強という)段
した。」と母親が言う。Tは話を聞いて,な
階ではありません」と言っている。はじめて
ぜか《過干渉なのでは。》という感じがして
このようなことを言って,後で「すーっとし
しまう。学校とも積極的に話をしているよう
た」と感想を言ったとのことだった。
である。
#5
#7
・「これ(ビリヤード)してもいいですか?」
親面担当者が出張のためA男のみ面接。母親
〈やろうかね。〉しばらくのビリヤード。
は「車で待ってるから。」と言い待合室を出る。
・「他のしていいですか?」
「今日は卓球いいですか?」でA男流の卓球に
ダーツを2回する。自分流でひどい投げ方を
試しているA男。TもA男流に付き合った。
つき合うT。「どうやって握るんですか?」と
やっと聞いてきたA男に,Tは教えてあげられ
※担任より電話あり。A男のことで話しをす
るという思いで,うれしくなって〈こんなふう
る。最近は,本人が「行ける」というときに
に握ってみたら。〉などと指導したのだった。
母親が車で連れて来ている。現在,1年から
・「最近ボーリングやりますか?」〈やってな
の友人を同じ班にしている。本日は3限目の
いけど,行った?〉「あっ,はい。」
み授業を受けた。先日,母親と3人で学校で
・「バス釣りとか,いきますか?」
話をし「進路の話は,気にはなっているが,
・〈虫とりなんかしたことある?〉「前はよく,
現在は負担である。」と言われたとのことだ
セミとかバッタとかをとりに行ってました。」
った。
〈クワガタ虫とかは?〉「ヒのつくクワガタは
採ったことがあります。」〈ふーん,ヒのつく
※面接日欠席
母より電話あり
クワガタねえ。〉
「本日A男
・「本屋さんとかは行きますか?」〈たまに行
は,学校へ行っているので休みます。」
くけど,行くことある?自分で本買うの?〉
#6
「今度から,お小遣いを貰って自分で買うよう
・「今日は,卓球お願いします。」《いつもと
にしました。」「月に2000円です。」
少し違う,少しハッキリした言い方だ。》
「じゃ,これお願いします。」(ビリヤード)
「これ何ですか?」(トランポリン)《知っ
「少し,ルールを変えましょうか?」〈そうし
相研−4
ようか。〉《何と頼もしいことを!》
ードでの様子は,以前のように力んだ様子も
なく,自然に振る舞えるようになってきてい
「あ,はい。」「んー,いいえ。」などの
ると感じられた。
言葉は相変わらず出る。しかし,卓球をしな
がらの会話は今までになく弾んだ。A男は自
第2期
分の興味がある話をTに対して聞き,Tは同
#9∼12
Tに聞かずに行動を起こす
じように聞いてみることから会話が展開す
る。聞かれてからようやく自分のことを語る
#9
ことができるA男だった。「ルールを変えま
・A男は,突然ブランコにぶら下がる。《Tに
しょうか。」などと言えるようなプレイでの
聞くことや,断りもなく,元気で意外な行動
変化と時を同じくして,家庭でも小遣いを決
だ。》「これ何キロまで大丈夫ですか?」Tの
めて貰うようになるなどの変化が見られるよ
〈100キロでもOKよ。〉との返事に,安心
うになってきている。
してブランコに下がり,揺らしたり,登ろうと
(はじめての第2遊室)
したりするA男。「こっちの部屋も楽しいです
#8
ね。」〈楽しいやろう。〉《ホントに楽しそう
・「今日は卓球お願いします。」とA男が言う。
にしているなあ。》
〈夏休み中はどこかへ行く予定は?〉「んー,
・「これ何ですか?」(3DTVゲームをさし
いいえ。」〈泳ぎにいくとか,どこかの温泉に
て)《またはじまったぞ。》〈3Dのテレビゲ
行くとかは?〉「温泉か,いいですねえ。」
ームやね。〉
《自然で明るくのりのいい感じの返し方で,頼
・「これ何ですか?」(カセット)《自分から
もしく感じられる。》会話をしながら,しばし,
聞いているのに,上の空で他の遊具を見ている。
A男流の卓球に楽しむ二人だった。
ほんとは,どうしたいんだろう。》
・「これ,何ですか?」 〈サンドバッグやろ
・「これ何ですか?」(バスケゲーム)「こう
ー。〉《知ってるやろう?!》という感じでよ
するんですか。」不器用に力いっぱいたたく。
うやく,思ったことを少しだけ,やんわりと返
点が入らないA男。
すことができたTだった。
・「これ何ですか?」(ドラエモン電脳ゲー
・「次は,ビリヤードお願いします!」・「い
ム)《オモチャがちょっと動かないが,それは
つものルールでお願いします。」・「じゃあ,
どうでもいいようだ。》
ルール変えましょう。」
〈うん,どうやろう
・「これは?(オートバイゲーム)」《持ち出
か?〉「3個でしましょう。」と,A男からの
すが動かない,電池がないがこれもどうでもい
提案はスムーズでしっかりしている声だった。
いようだ。》
出だしからTの顔を見て,力強い感じで
・「これは何でしたか?」(3DTVゲーム)
「卓球お願いします。」という。会話も徐々
《はじめに聞いたんだけどなあ。》〈やってみ
に普通の感じでやりとりできるようになって
る?〉「あっ,はい。」〈自分で電源入れて。
きた。また,少しずつTを直視して話すよう
ここはセルフサービスになってるからね。〉
一人用・二人用?のメッセージが画面に出る。
になってきた。「ルールを変えましょう。」
とか「3個でしましょう。」など,いつにな
「どうしますか?」《いちいち聞かないくても
くしっかりとした口調のA男だった。しかし
いいのに,いまだに聞いてくるのは習慣のよう
ながら,「これ何ですか?」や「んー。」と
になっているみたいだ。》〈どっちでもいい
か「あっ。」とかの言葉はまだ残っており,
よ。〉「じゃ,二人用で。」ゲームは2回対戦
言葉が出るのにも少し時間がかかる。ビリヤ
して,1対1。特に攻撃的でもなく,エキサイ
相研−5
トするでもなく,淡々と進む。3回目に行くと
・「釣りしましょう。」 (ミニプールで)《お
思いきや急にやめてしまう。
ー,力強いお誘いだ。》〈よーし〉魚釣りをし
・「これ何ですか?」(エアーホッケー)〈や
ながら,ザリガニを飼っていると語るA男。
ってみる?〉「あ,はい,します。」「玉あり
〈水は,入れる?〉「入れなくていいです。」
突然Tの釣っている魚にハリをかけようとす
ますか?」〈あるよ。〉「これは?」(得点
板)「少し練習!」ぎこちなく練習をするA男。
るA男。〈おっ負けないぞー。〉〈今度は大物
「じゃあ,はじめましょうか!」《はっきりし
を釣ってみよう。〉「先に釣りあげた方が勝ち
ていて頼もしい感じだ。》〈よし,やろう。〉
にしましょう。」〈ようし。〉二人で同じ魚を
《2回パックを外へ打ち出したA男に,そんな
ねらって釣る。同時に絡まって1匹を釣り上げ,
に力を入れなくてもいいのに。》と思う。〈お,
大笑いをする二人だった。〈本物の魚が入った
調子いいねえ。〉「よし,勝った!」と淡々と
らすごいだろうね。〉「持ってくるようなこと
勝利宣言をして,ここまで,という感じでゲー
はできないでしょう。」〈入れたら楽しいよね。
ムを終わるA男だった。
きっと。〉《A男との会話で本当に魚を入れて
・「釣りに行きましたよ,ナマズを釣ったんで
みたいと思ったTだった。》
すよ。」〈へー,どこで?エサは何?〉「○○
・「最近,ボーリングで160越えたことは話
川です。」よく聞き取れなかったTに対して,
しましたかね?」〈いや聞いてないよ。〉「越
3回も丁寧に教えてくれたA男。「エサはミミ
えたんですよ。」〈スペアーとかたくさんいる
ズです。」〈ミミズはどうしたの。〉「家でと
よね。〉「6回位スペアーのあとにターキーが
りました。」
でました。」〈すごい!〉「やっぱりすごいで
〈へぇー。〉「あげる途中でば
らしたんですよ,でも40センチはありまし
すかね?」〈すごいすごい。〉《さっきもナマ
た。」〈40㎝?それは大きい。〉「やっぱり,
ズばらし事件で聞いたような応答だ。》
大きいですか?」〈 大きい,大きい。〉「網が
はじめての第2遊戯室で,A男はこれま
なかったんで最後にあげるとき暴れて,針がと
でのようにTに聞くことなく,突然自分で遊
れたみたいです」 〈惜しかったね。誰と行った
び始めた。しかし,新しい遊具に対しては,
の?〉「一人で行きました。」《へぇー,ひと
「これ何ですか?」といつものA男流の聞き
りでも行ったりするんだな。》〈他にはどんな
方で接してくる。また,自分から「釣りに行
魚がいるの?〉「フナですかね。」「釣りは好
きました。」と表明するなど,A男の積極的
きですか?」と聞いてくるA男に,《僕は釣り
なところが見られた面接だった。
が好きです,と言いたいのだろうと感じた。》
〈んー,釣りは好きやね。〉うなずくA男。
#10
・「これ何ですか?」(魚釣りゲーム)〈魚釣
待合室で漫画本を母親に見せて,にこにこし
りゲームやね。〉自分で釣り始めるA男に,主
ている。「こっちにします。」と言って,自分
体性と積極性が感じられる。「簡単につれます
から進んで第2遊戯室へ行く。中へ入るときょ
ね。何かさみしいですね。」と言い笑う二人。
ろきょろして,ミニプールの方を見ているA男。
・「これ何ですか?」(ファミコン)〈んー,
周りを見まわした後に,また『釣りをしようか
ファミコン?〉「どんなのがありますか?」
な。』という感じで,プールの方を見ているA
〈いろいろあるよ。〉「ドクターマリオはあり
男。《〈釣りをする?〉などと誘ってあげたい
ますか?」〈よく知ってるね?持ってたの?〉
思いが,Tの心に湧くが,しばらく黙って見守
「あ,はい。」《持ってるなら聞かなくてもフ
っていよう。》「このごろ,釣りに行きました
ァミコン分かるでしょう。》と思うT。
か?」〈どこかに釣りに行った?〉「あ,は
相研−6
い。」「海釣り公園って知ってますか?」
ろがたくさんあるんですよ。」にこにこして話
・二人とも黙ったまま,自然に釣りごっこに手
すA男。《なぜ,元気よく話すのだろう。》
を出したA男とT。そして,プラスチックの魚
・〈保健室へ行ったりすることある?〉
釣りをしながら「この前カレイ釣りました。」
「行ったことがないです」「行くのは良くない
「ウナギ釣ったことありますか。」などと話し
と思って,ダメになったら早退しています」
てくるA男。また,「釣り好きですか?」とい
《体調は以前から良くないのに,保健室を使っ
う例の言葉をかけるA男に,《前にも聞いたよ
たことがないというのはなぜだろう。ぜひ,必
ね。》と思いながらも,〈うん,好きやね。〉
要なスキルを一緒に練習してあげたい。》
と返したTだった。
・「僕は,何か偏っていたと思います。 これで
・釣りの途中で,A男は突然,Tが釣っている
いいのかな?などと考えるようになりまし
魚を釣ろうとして釣りバリを仕掛けてくる。そ
た。」〈どんなことを?〉「一瞬前のことを,
れに合わせて,Tも同じ魚の釣り合いをする。
ずっと考えたりすることなどです。」〈例え
糸が絡んで同じ魚を釣り上げ今回も二人で大笑
ば?〉「例えば,『傘を持たずに家を出て,雨
いをしたのだった。
が降ったらどうしよう。』とかです。気にした
自然に釣りに手を出し,ゆっくりと釣りを
ら,考え込んだりします」「他には,反発する
する二人だった。また,今回A男の突然のか
というか,僕には頑固なところがあります。」
かわりに対して,Tは自然にかかわりながら
《よし,自分の気持ちを語り出したようだ。》
楽しむことができた。二人の関係が近づいて
・「何日か前(夏休みの終わり)に,はじめて
いることを実感した。
(自分で)学校へ電話を入れました。」「先生
は,1教科受験するだけでもいいよ,と言いま
#11
した。」
臨時の面接
・ 母親からの電話。「学校へ行ったが,中へ入
・〈心の相談室は行ったことある?〉「去年一
れず,また帰れない。」と(子供が)言う。A
度行ったら閉まっていて,それからは行ってま
男は「相談室なら,行きたい。」と言うので電
せん。」「今いる人は知りません。」「今の保
話しましたとのことだった。Tは,本人と直接
健室の先生も,顔はよく知りません。」
話す。「来たい。」と言う本人の言葉を確認し
・Tは自分の気持ちを発言する。〈保健室は,
て,今回は,臨時で面接を行うことにする。
少し体調が良くない時などに利用できるといい
A男は,面接室で,少し固い感じだが,にこ
と思うよ。〉「やっぱり,そうですかね。」
っとする。Tは,いつものようにA男のペース
〈保健室の先生とも知り合いになれるしね。〉
に合わせて,黙って寄り添うことにする。A男
・「まつ風学級はどうですか?」〈まつ風学級
は,急に自分から学校のことを話し出す。「実
は,面接をしばらく続けて,元気が出てくれば
力テストが9月2・3日にありました。2日は
希望して,先生たちの会議で決まれば行けるよ
数学のみ受けると決めて登校しその後下校しま
うになっているよ。〉Tの言葉を黙って聞くA
した。3日の今日は理科を受けるつもりで出で
男だった。
きたけど,靴箱から先は行けませんでした。」
A男は,初めて学校のことなどを語った。
などと語った。
また,自分からよく話した。自分のことを
・〈(夏休みの)宿題は全部できた?〉「いい
「小さいことを気にする。」や「僕には頑固
え。」〈分からない時にはどうしてる?〉「考
なところがあります。」などと語ったことが
えこんでしまって,止まってしまいます。」
印象に残った。
「休んだりしているから,よく分からないとこ
「1時間だけ(授業を)受ける。」などと,
相研−7
はじめから決めて行動するとみられる様子に
ふふっ。」と笑って答えなかった。
は,脅迫神経症的なところも感じられた。ま
第3期 #13∼16
た,「保健室利用をしたことがない。」「心
自由な自分を発揮し出す
の教室相談員のことも知らない。」と言う。
このことを本人は,特別に何とかしたいなど
#13
と思っているようには,Tには感じられなか
〈あれから学校はどう?〉と言ってみるT。
った。Tは,A男に対して,例えば保健室利
「今日は1時間行きました。」と言うA男。
用の練習をしたり心の教室相談員の先生を紹
〈ふーん,理科(担任の教科)かな?〉と言う
介したりといった,スキルとしての対人関係
Tに「はい,そうです。」と言ったきり返事が
などを学習する必要性を感じられた。Tは,
ない。Tはしばらく待ってみる。しかし,口が
具体的な場面を想定して,柔軟に対応できる
開きそうにない雰囲気はそのままで会話は先に
ような練習を,一緒にやってみたいなどと思
続きそうにない。すると,急にA男は「卓球お
った今回の面接だった。
願いします。」と言い,卓球がはじまるのだっ
これまで,非指示的なかかわりに気を付け
た。A男の卓球は,自己流ではあるがここでは,
てきたTだった。しかし,今回は,具体的で
自分の台にワンバウンドさせた球をいきなりこ
前向きに,A男の課題にかかわろうとした。
ちら側にスマッシュを打ち込むというダイナミ
また,Tは自然に,自分自身の思い(A男へ
ックなものであり,打球した後ににこーっと微
の思い)を語ったのだった。
笑んでいる。その笑顔に《いきなりそれ(スマ
ッシュ)はないだろう。》というTの心に湧い
#12
た思いも消えていき,それからA男流の卓球
・「まつ風学級にはすぐには入れないんです
に付き合うTだった。
か?」〈面接を続けてから希望すれば入れるよ
A男の『いきなりスマッシュ』にはちょっ
うにはなっているけど。まつ風学級に,入らな
と面食らったが,A男の笑顔によって彼流の
くても学校に行くようにできたら,それはそっ
想像力を発揮した卓球に,その後もゆっくり
ちの方がいいかなあと思うよ。まつ風はいつで
とつき合うことができた。
もあるからね。〉〈すぐに希望したい?
どう
思う?〉 ∼ 間 ∼ 「んー,もう少し待ってお
#14
きます。」《家庭で話が出たのかな。》
〈あれから ,どう?〉「学校には1時間くら
・「じゃ,釣りお願いします」と言うA男と,
い行っています。」「来週から,2時間くらい
二人でいつもの釣りを楽しむTだった。
に増やそうと思っています。」〈ふーん,そう
ふと,座って釣りをするA男と自分自身の
か。〉
〈前に話してたけど,まつ風学級,一度見学
姿に意識が行き《何て幼稚な釣りで楽しむ二
人だろう。》と自分を振り返るTだった。
してみる?〉「ひとりで行くんですか?」〈見
学のときは一緒について行くよ。ひとりじゃ心
※面接日欠席
母より電話あり「本日A男は
学校へ行っているので休みます。」
細いやろう。〉《一緒だから大丈夫だよ。》
「んー,」と首をひねって考えるA男。そして,
何か決心したように「まだ,いいです。」と口
※面接日欠席
A男より電話あり
を開く。〈そう。〉《無理には誘えないな。》
「今日は用事で休みます。」と言う。Tは
と思うTだった。
〈どこかへ出かけるのかな?〉と聞くと「ふ
・A男は「卓球お願いします。」と言う。
相研−8
・「ボーリングで172点出したこと話しまし
やってみる?〉「いえ,いいです。」と返すA
たかね?」〈いや,聞いてなかったけど。ホン
男。《いつもよりも明るい感じがするA男。》
ト?〉〈172点はすごいよねえ。〉と言うと,
・〈少し寒くなってきたよね。〉とTが言うと,
A男は確かめるように「やっぱりすごいです
A男は首を傾げながら「寒いですか?」と言う。
か?」といいながら照れ笑いをした。
単純にうなずいてくれると思っていたTは,意
A男は,卓球で,自分のコートにワンバウン
外にも首を傾げるA男に,少しとまどい,〈昼
ドさせた球を直接こちら側に自己流スマッシュ
間は暖かいけど,夜は冷えるよね。〉と言葉を
をする。そしてミスが多い。そんなA男流の卓
続けた。A男は,「あ,はい」と返すのだった。
球をしながら,《ボーリングの172点ってほ
・「じゃ,ビリヤードお願いします。」と言い
んとかな?》などと考えながらA男と彼流のピ
ながら,さっとピン球を持ってラケットを片づ
ンポンに付き合うTだった。
けるA男。あまりにあっさりと,また少々自信
・「これは何ですか?」と言うA男に,しばし,
に溢れた次への行動だったが,Tも〈そうしよ
黙って待つT。「ビリヤードでしたかね?」と
うか。〉と返事をして,A男のリードでビリヤ
Tに向かって言う。〈そう,ビリヤードね。〉
ードに移動をした。A男のこの行動は,まるで,
「じゃ,お願いします。」と言うA男だった。
スケジュールを立てていたかのように移行して
自分から,「学校にいる時間を2時間くら
いくと感じられた。ビリヤードの途中で順番を
いに増やそう。」などと言うのは,学校のこ
待つA男は,周りにあるオモチャが気になるの
とを気にしているところがあるのだろう。T
か,時々手に取ったりまた自分の順番を待つ間
は,まつ風学級に以前関心を示したことで見
に近くのオモチャを覗いたりしながらその間を
学について聞いてみた。《一緒に見学に行く
過ごしている。
から安心していいよ。》との思いで話したT
・A男は,オモチャのピストルを指さして「こ
だったが,A男は考えた後に「まだ,いいで
のピストル本物ですか?」とTにたずねる。
《本物のわけないに決まってるけどなあ。》と
す。」と言った。その言葉はTに《A男を説
得してみよう。》という気を起こさせること
思っているTは,少しとまどいにこにこしなが
はなかった。また,A男がこの後すぐに卓球
ら,何と返そうかと迷ってしまう。
に話がいってしまったのは『今は,ここで,
今度は別のピストルを出して「これは?」と
この(学校やまつ風学級の)話をしたくはな
聞いてくる。Tは〈それ?〉と返しながらも,
い。』というように受け取ることができた。
これまた《オモチャよ。と言うのがいいのだろ
今回も,「これは何ですか?」と聞くA
うか。》などと,つかの間考えにこにこするT
男。《知っているのにどうして聞くのだろ
だった。さらに,別のピストルを指して「これ
う。》との思いが湧いてくる。しかしなが
は?」と聞いてくるA男。まさかの3回目の同
ら,そのような思いを横に丁寧に置いて,少
じ問いに,Tは思わず〈それは,本物やね〉と
し待つことをすると,A男は〈ビリヤードで
返してしまう。A男は,それを聞いてにやにや
したかね。〉ということができたのだった。
にやと笑ったのだった。
卓球やビリヤードをしながら,A男はTに
#15
気兼ねなく(Tを待たせて)他のオモチャを
・遊戯室を指さし,すすんで入室する。A男は
見る。また,Tの〈寒くなってきたね。〉と
すぐに「卓球お願いします。」と言う。《よし
の声かけに対して,安易に返事をせずに,自
やろう。》とその気になっているTを後目に,
分の思ったことを言えたことから,少しの成
近くのオモチャを興味深く覗いている。〈それ,
長を感じることができた。
相研−9
だろう》などと思ってしまうのだった。また,
#16
A男は待合い室でひとりで漫画の本を読んで
Tはパンチの仕方を尋ねてくれたことで思わず
いる。〈お母さんは?〉の問いかけに「今日は
うれしく感じた。しかし,その気持ちを抑えな
ひとりで来ました。」と言う。〈送ってもらっ
がら,少しだけのアドバイスを行った。Tの
たの?〉「あ,はい,あの辺で降ろしてもらい
《もっとうまく教えてあげたい。》と感じてい
ました。」と指して言う。〈帰りは?〉「バス
た思いは,A男なりのいきいきとしたボクシン
で帰ります。」〈ひとりでバスで帰るのは初め
グにどこかへいってしまったのだった。
てかな?〉(少し間を置いて)「あ,はい,そ
・A男は,突然「残りをしましょう。」という。
ういうことになります。」
Tは一瞬《何のこと?》と思ってしまう。A男
・「ビリヤードお願いします。」〈よし,やろ
の言葉でビリヤードの途中であったことを思い
う。〉(黙って待つT)すかさず「先にどう
出したのだった。ビリヤードの台の上には,玉
ぞ。」というA男。〈じゃ,先にいくね。〉ビ
がふたつ残ったままであり,それからA男の主
リヤードは,いつものように展開していくが,
導で残りわずかの時間をビリヤードで過ごした
打つ順番を待つ間は,前時のようにちらちらと
のだった。
他の遊具を見ることなどなくリラックスしてい
る。
自分からの学校の話題は,この頃学校を休
んだ,という意味に受け取れるが,今のA男
A男は,突然に「最近眠れるようになりまし
た。」と言う。〈へー,昨日は何時頃寝た?〉
からは『行こうと思っている』という言葉を
本当の気持ちと受け取ることができた。
(少し考えて)「12時過ぎですか・・・。」
S男には,ビリヤードの途中であったこと
〈ふーん,朝は何時頃起きた?〉「8時半頃で
をそのままにはしておけないところ(こだわ
す。」
り)があるのだろうと感じられた。また,サ
・「来週から学校へ行こうと思ってます。」と
ンドバッグを自分流に自由にいきいきと叩く
A男は自分から学校のことを言う。
A男の姿から感じられた『頼もしさ』とは別
に,『頑なさ』とでもいうようなものも感じ
教師的に関わるT
られた。
(ビリヤードの途中で)
・「これ(グローブ)本物ですか?」〈うん本
A男は,いつものように帰り際に「ありが
物の皮でできてるみたいよ〉「これは(大きな
とうございました。」と言う。しかし,その
遊具用を指して)?」〈これは,遊びでするや
様子は,いつもはうつむき加減の背中が伸び
つかな。〉ふーんといった感じでうなずくA男。
ている。肩に力みのないリラックスしたA男
Tは近づいて,その皮のグローブをA男に差し
に驚いたTだった。帰っていくA男が,普段
出してみる。〈ちょっと叩いてみて。〉とTは
と違うことと言えば,いつも隣にいるお母さ
自然に指示的に声をかける。A男もためらうこ
んが,今日はいないことだった。
となく自然に,グローブを手にする。少しずつ
連打をしたり,ちょっと強く打ってみるA男。
※面接日欠席
自分流で,また正面立ちで繰り返し繰り返しサ
学校へ行っているので休みます。」
母より電話あり「本日A男は
ンドバッグを叩き,ハンマーパンチをしたり,
3連打や4連打を打ってみたりするのだった。
A男との面接は,遊戯室でのやりとりを大
Tは,ボクシングをするA男に頼もしく感じ
事にすることで展開する。A男は,自分自身
ると同時に,《もう少し距離をとって,半身に
でまた別の場面で学校へ登校したりしなかっ
構えた方がどれほど自由に思い切り叩けること
たりの試行錯誤を行っているようであった。
相 研 − 10
る。面接担当者として求められる“カウンセラ
Ⅴ
研究のまとめ
ー的自我”と,教師として求められる“教師的
自我”について面接過程の振り返りを通して教
師的自我の意味について考察する。
「1 A男の変容について」では,面接過程を
通して,A男の行動変容と面接担当者がとらえ
「4 カウンセラー的自我と教師的自我の統合
たA男の内的成長に視点を当て第1期から第3
に向けて」では,A男の成長とTのかかわりを
期までに分類する。具体的には各期におけるA
整理しながら,今回明らかになってきたカウン
男の特徴的な言動や変容等についてあげ,併せ
セラー的自我と教師的自我との統合に向けての
てTのかかわりと教師的自我についても表にま
考察をする。
「5 今後の課題について」では,研究実践の
とめる。
結果から,今後の課題について整理する。
「2 非指示的態度の意味」では,面接過程に
おける,Tの非指示的な態度やかかわりが,A
1
男の行動や内面にどのような変化をもたらした
A男の変容について
下記に分類した第1期から第3期までについ
かについて考えながら,非指示的態度の意味に
て,A男の言動やその特徴的な様子,変容等に
ついて考察する。
ついて整理する。
「3 教師的自我の意味」では,面接の過程を
通して湧き起こる,Tの心の内面に視点を当て
表−1
#
第1 期 (#1∼8)
A 男 の 特 徴 ・変 容 等
・ 色白 で ,幼 く ,弱 々 しい 感 じ
・ おど お ど ・ま ば たき が 多い
・ うつ む き気 味 で視 線 が合 わ ない
# 1「 こ れ, 何 です か ?」
【 お 伺いをたててか らの遊び 】
T の か かわ り
等
・
T の 教 師 的自 我
・力 に なっ て あげ た い
・何 と かし て あげ た い
「 サン ド バッ グ だね 叩 いて も 蹴っ て も ・知 ら ない ん だ なあ
い いん だ よ」
・ 何で も 教え て あげ た い
「 どう や って す るん で すか ? 」
・ 不器 用 で弱 々 しい 卓 球
「 これ , 何で す か? 」
( 大玉 の 転が し 合い を する )
# 2「 ∼ して い いで す か? 」
○ 教 えず に ,待 っ てい よ う
「 自由 に 打っ てい い んだ よ 」
「 大玉 だ ね。 遊 ぶ? 」
・ 蹴っ た り・ 投げ た り して し まう T
・ 上手 に 教え て あげ た い
・き っ と, 自 信が つ くだ ろ う
# 3 「 ダー ツ して も いい で すか ? 」
・ A男 流 に楽 し む
・ 手本 の よう に投 げ てみ せ る
・こ ん な風 に 投げ て みた ら
・ 変 な投 げ 方 。も っ と よ い投 げ 方 を
# 4「 ダ ーツ し ても ら えま すか 」
# 5「 こ れし て もら え ます か」
# 6 「 今日 は 卓球 お 願 いし ます 」
「 これ 何 です か ?」
( トラ ン ポリ ン )
○ A 男の ペ ース に 合わ せ る
○ 「や り たい こ とや っ てい い んだ よ 」
・変 化 をつ け ると 色 々な こ とが で
き るの で はな い だろ う か
を す れば よ い のに
「 10 0 キロ でも 大 丈夫 だ よ」
・ 励 まし , 勇気 づ ける
・ 跳ん で みせ る T
・ こん な 風に 跳 んで みた ら
# 7 「 どう や って ラ ケッ ト 握る ん です か」 ・ 優し く 握り 方な ど を教 え る
# 8「 じ ゃル ー ル変 え まし ょう 」
「 これ 何 です か ?」
・ 教え る こと が でき てう れ しい
・知 って る のに 聞 い てる の ?
第1期【お伺いをたててからの遊び】
繰り返す。一度聞いた名前であっても再度聞く
A男は「これ何ですか?」とTに対して物の
ようなA男のこの行動は,相手とコミニュケー
名前や,どのようにするのかを聞くことなどを
ションをとる際の一つの手段であるとともに,
相 研 − 11
では「今日は卓球お願いします。」や,#8で
特徴的な行動様式であるように思えた。
また,A男はTに対して「∼していいです
のビリヤードの途中で「じゃあ,ルールを変え
か」と許可をもらってから遊ぶ。Tは,#1に
ましょう。」などと言うようになっている。し
〈ここでは自由に遊んでいいんだよ〉や,#4
かし,Tの様子を伺いつつ遊ぶという消極的な
にも〈やりたいことをやっていいんだよ〉とい
プレイと感じられた。
うことを何度かA男に伝えている。しかしなが
またTの問いかけに対して「あ,はい」「ん
ら,その後も続く“許可をもらってから遊ぶ”
ー,いいえ」などの返事に自信のなさが伺えた。
という行動は,第1期のA男の特徴であるとい
第1期において,A男は中学3年生だが,幼
くか弱い印象の不器用な子供として担当者の前
える。
A男のプレイの様子は,初回の印象のままに
に登場した。A男を象徴する言葉は「∼してい
弱々しい雰囲気である。大玉を転がし合うなど
いですか」と言えるだろう。その言葉は「∼し
で見られたような幼い印象も感じられる。また,
ていいですか」から「∼してもらえますか」
うつむき気味で視線を合わせることが少なく,
「∼お願いします」といった形で変化し,成長
おどおどして緊張した様子でまばたきが多いな
してきていることが理解できる。しかしながら,
どは第1期の特徴といえる。卓球やビリヤード
担当者とのかかわりにおいては,未だに用心深
やダーツなどは,A男にとって生まれて初めて
く,相手の顔色を伺った遊びが展開された時期
の経験である。そのことを考えてみても,A男
であった。
の動作や遊び方は不器用でぎこちない。
表−2
#
#6
第2 期 (#9∼12)
A 男 の 特 徴 ・変 容 等
# 9 ・ 突 然ブ ラ ンコ に ぶら 下が る
ブ ラン コ 遊び
# 10 「 こっ ち の部 屋 にし ま す」
・ Tの 邪 魔を す る, 直 接触 れ 合う
・ Tの 釣 って い る魚 を 釣り に くる
【 自分から行動を 起こす 】
T のか か わり 等
・
Tの 教 師 的自 我
○ 関心 を 寄せ な がら 見 守る
・ 今ま で と違 う行 動 に意 外 さを 感 じる
・ 知 って い るは ず だけ ど
・ 一緒 に 同じ 魚 を釣 る
・ ふた り で大 笑い
○ A 男の ペ ース で 釣り を楽 し む
・ 積極 的 な行 動 だ負 け ない ぞ
・ 何て 幼 いの だ ろう
・ 釣り に 熱中 す るふ た り
# 11
臨時 面 接
学 校へ 登 校で き ず『 相 談室 へ 来た い』 ○ 傾 聴し よ う とい う 気持 ち で聞 く
と 電話 が ある
「 学校 の 様子 聞か せ てく れ る? 」
・ 学 校の こ とを 語 り出 す
「 具合 が 悪い と きは ど うや っ てい た
「 保健 室 は使 っ たこ と あり ま せん 」
の」
・ 自 分の 思 いを 語 る
「 どん な 感じ ?」
「 僕は 偏 った と ころ が あっ たと 思 いま す 」
・ 何 とか し てあ げ たい
・ 力に な って あ げた い
・ もっ と 聞か せて ほ しい
・ 保健 室 の利 用な ど を教 え てあ げ たい
・ 一緒 に 練習 で きた ら いい
・ 積極 的 にか か わっ て みた い
# 12 「 まつ 風 学級 に は入 れ ない ん です か」 「 まつ 風 学級 に 入ら な くて も 学校 に
行 ける と いい と 思う よ 」
「 もう 少 し待 ち ます 」
・ 自分 の 気持 ち を表 明 する
・ 励ま し に似 た思 い を先 に 語っ て し
まう
・ ビリ ヤ ード を 自由 に 試み る
○ A 男流 の プレ イ につ き 合う
・ 励 まし た い
第2期【自分から行動を起こす】
ンコに自分から跳び乗ってぶら下がり,しばら
第2期,4回の面接のすべてが第2遊戯室で
くそれに親しんでいる。A男は,新しい部屋で
の面接となった。#9,A男ははじめて,Tに
の遊具に今までのように「これ何ですか」と次
お伺いを立てることなく遊ぶ。突然ロープブラ
々に聞いてくるのだった。また,ふたりはミニ
相 研 − 12
プールでのプラスチックの魚釣りに熱中するこ
どについて語り出した。A男の課題に対して,
とになる。A男はさらに,Tの釣りに邪魔をす
Tも前向きな働きかけを行い,ふたりでA男の
るという直接の働きかけを行う。プレイはT自
課題に向き合うという機会を持ったのだった。
身が感じたように幼いものである。しかし,ふ
第2期をきっかけに,A男は・自分から行動
たりで大笑いした釣りは決して付き合いでの遊
を起こす・Tに触れ合う遊びを仕掛ける・学校
びでなく,楽しみを共有することができた時間
のことを語り出す・自分の気持ちを表明する,
であったと振り返ることができた。
等の行動を起こした。これらのことから,Tと
#11は臨時に面接を行った。A男は中学校へ
の距離が近づき関係が深まってきていることを
登校できずに家にも帰りたくない,相談室へ行
実感することができた。またA男にとって現実
きたいとの申し出によるものである。この回A
課題である学校の話題や自分自身の気持ちに触
男は自分から,学校のこと・自分自身の思いな
れ,向き合うことになった時期である。
表−3
#
第3 期 (#13∼16)
A 男 の 特 徴 ・変 容 等
# 13
「 今 日は 1時 間 学校 に 行き ま した 」
・ そ の後 ,黙 っ てい る
「 卓 球お 願い し ます 」
・ 直 接ス マ ッシ ュ 打ち 込 み
【 自由な自分を発揮 し出す 】
T の か か わり 等
「 あれ か ら学 校 はど う ?」
# 14
「 あれ か らど う ?」
「 来 週か ら2 時 間く ら い学 校 へ行 こ うと
思 って い ます 」
# 15 「 卓球 お 願い し ます 」 明 るい 感じ
・ T に気 兼 ねな く 他 の オモ チャ を 見な
がら遊ぶ
○黙 っ て, 微 笑ん で 待 つ
「 この ピ スト ル 本物 で すか ? 」
# 16 「 今日 は ,ひ と りで 来 まし た 」
「 こ れ本 物で す か」 グ ロー ブ
( サン ド バッ グ 叩き )
・ い きい き と 激 し く 叩 きま く る
「 最 近眠 れる よ うに な りま し た」
・ 学校 や 登校 の 様子 が 気に な って いる
・ いき な りそ れは な いで し ょう
・ もっ と ,ど ん どん や って み て
・ 学校 や 登校 の 様子 が 気に な って いる
・ 頑 張っ て ほし い
・ビ リ ヤー ド に決 まっ て いる け どな あ
し ばら く 黙っ て いよ う
○ A男 に 合 わせ て 待 とう
・ A男 の ペー ス に合 わ せよ う
「 最近 , 寒い よ ね」
「 寒い で すか ? 」
・ 安 易に 同 意し な い
更 に 2回 別の ピ スト ル を聞 く
・ ニ コニ コと 笑 って い る
T の 教師 的 自 我
・学 校 のこ と は話 した く ない の だろ う
○ A 男の ペ ース で 卓 球し よう
「 おっ 」
「 よー し ,も う 一回 だ 」
「 こ れ何 でし た か? 」
( ビリ ヤ ード )
・
・ よそ 見 する A 男に 少 し拍 子 が抜 ける
・ 「そ う です ね」 と いう 返 事を 期 待し
て待 っ てい た
○ 黙 って ニコ ニコ , 関 心 を寄 せ つ つ
・ 偽物 に 決 まっ て いる け ど なあ
「そ れ は, 本 物や ね 」
・う わ ー, 更 に聞 くの ?
・ ひと り でも 大 丈夫 な んだ
「 叩い て みて ! 」
・ 初め て 指 示的 に かか わ るT
○ A男 の パン チに 合 わせ て 動こ う
・ 頼も し い, も っと 叩 いて
・ 自分 の こと のよ う にう れ しい
ひ とり で 帰る A 男。 リ ラッ ク ス
第3期【自由な自分を発揮し出す】
が,まだ,話したくないと感じられることもあ
#13の卓球は,直接Tのコートにスマッシュ
る。A男の心のエネルギーも揺れがあるのだろ
を打ち込んでくるダイナミックなものであった。
うと思われた。#16に,A男は初めて相談室へ
また,学校の話題には緊張せずに応答してくる
ひとりで訪れる。本人は,『たいしたことでは
相 研 − 13
ない』という感じで受け答えをしたが,初めて
互いの信頼関係が深まってきていることが確か
感じたこれまでにないリラックスした印象だっ
められた。
た。また,初めて〈叩いてみて〉と指示的に声
さらに,学校のことを自分から語ったり,自
をかけたTの働きかけで,いきいきと激しいボ
分の気持ちを表明できるようになってきている。
クシングを展開したA男だった。
また,#16では,自分の気持ちをぶつけるよう
第3期では,学校という現実が気になる担当
にサンドバッグを激しく叩くなどの変化が出て
者の心と同様にA男自身の心にも葛藤が見え隠
きている。このことからTは,A男の内面のエ
れする。しかしながら,プレイを通してA男は
ネルギーが高まってきていることを感じること
Tとの関係の中で安定した自分自身や発展的な
ができ,現実課題や将来の課題に対して向かう
自分自身などを発揮し始めた時期となっている。
力も育ってきているように感じられた。
第3期のA男は,・自由な自分を発揮し出す
・Tに気兼ねなしの遊び・自分で歩き始める試
学校において,教師のペースではうまく関係
み・いきいきとした激しい姿・リラックスした
がとりにくい子供もいる。このような子供に,
姿,などこれまでにない明るい感じを見せたり,
“関心を示しつつ待つ”ような,じっくりと非
激しくサンドバッグを叩いたり,リラックスし
指示的にかかわる態度で接することは,お互い
た様子などを見せるようになってきている。T
の関係をつなぎ,その関係を深めていくうえで
との関係とお互いの理解が深まってきていると
大切であると理解された。また,このことは教
理解することができた。
師の指示や誘導などによらず子供自身による成
長を促していくという点でも意味がある。相手
2
非指示的態度の意味
の思いやペースを大切にしていく非指示的な対
非指示的態度でかかわることは,「本来,子
応は,時間はかかるが,主体性や自主性をはぐ
供は,自分自身で成長していく力を持ってい
くむために有効で必要なかかわりであると実感
る。」ということを前提とした来談者中心の考
できた。
え方による。つまり,面接担当者の側に立つこ
一方,子供たちにとって,『自分を大切にし
とではなく,まず,子供の側に立つという視点
てもらい,自分中心のペースでことが進む』と
であり,そのことから出発するものである。
いうことは,とても居心地のよい環境となる。
今回,面接において担当者は,「教えずに待
その意味で,Tが非指示的にかかわり続けてい
つこと」「関心を寄せながら見守ること」「聴
くことは,時として,その居心地の良さに埋も
くことに努めること」「A男のペースで遊ぶこ
れ続けてしまう危険性をも持ち合わせている。
と」といった非指示的にかかわることに努めて
そこで,子供の成長に応じて,現実課題へと向
いった。
かわせるような教師的なかかわりも併せて考え
その結果,A男は,自分自身で遊びを選んだ
ていくことが必要になってくる。
り遊びの方法を考えたりルールを工夫したりで
きるなどの行動面の変化が見られた。このこと
3
教師的自我の意味
教師は,日頃教師役割を担っている。そこで
から,A男は徐々に主体性や自発性を発揮でき
は子供たちに『こうあってほしい』『こう成長
るようになってきたと考えられる。
また,対人関係の面では,Tの目を見て自分
してほしい』あるいは『健全な子供として,こ
の考えを言ったり,Tの魚釣りの邪魔をして二
うあるべきだ』など,子供たちへの思いや願い
人で大笑いしたりするといったやりとりができ
が支えとなる教師的自我を持っている。
るようになってきた。このようなことから,お
相 研 − 14
その教師という自分にとって教師役割を離れ,
非日常的空間である遊戯室での遊戯療法の実践
に和らぎ,子供自身も主体性を発揮するなどの
は得難い体験である。ここでは面接担当者とし
成長が見られるようになると考えられる。
子供の成長と二人の関係が深まるにつれ,現
てカウンセラー的なかかわりによって,A男の
成長やお互いの関係の深まりを見ることができ,
実課題へと向かわせるような教師的かかわりが
非指示的態度の意味を学ぶことができた。
求められてくる。その意味で目の前の子供が,
第2期では,A男が持ち出した学校の話題か
今ここでどのような状態にあるのかといったこ
ら,A男自身の課題に向き合う取り組みとなる。
とを感じ取る感性が求めれる。つまり,カウン
Tはここで,より現実的で問題解決的なかかわ
セラー的技量を磨く必要が,さらに求められる
りをしていく。このことは,学校へ適応してい
ことになる。
くための目標として大切なことと考える。この
カウンセラー的態度を身に付けることを目指
ときTは教師的自我をこれまでのように邪魔者
して取り組んだ面接担当者としての体験におい
というとらえ方をせず,むしろ自然な形で必要
て,教師的自我が,ときには邪魔者として湧き
なものとして考えられた。このことから,教師
出たりまた揺らいだりするということを味わっ
的なかかわりが必要な場面や状況があるという
た。このことについて氏原(1991年)は「カウ
ことを整理することができた。しかしながら,
ンセリングの勉強は2・3年に限定するのなら
このようなかかわりは,A男自身の成長とお互
確かに教師としての成長に役立つ。しかしそれ
いの関係が深まっていることを感じられるとき
以上となると最早教師としての域を超えねばな
に初めて有効であると考えられた。
らない。それだけ教師としてのアイデンティテ
ィーが揺らぐのである。」1)と述べている。
4
カウンセラー的自我と教師的自我の統合に
今回の研究では,“教師的自我”に視点を当
に向けて
て振り返りを行った。その中から,カウンセラ
面接過程を通して見られたA男の成長は,表
ー的なかかわりの中で,教師的自我とカウンセ
−4の段階から表−5の段階へ向けた成長であ
ラー的自我とのバランスを取ることや,様々な
ると考えられる。
場面でかかわり方を使い分けることができる技
量が必要になることを実感した。
表−4
面接場面で,知らぬ間に出る教師的自我やか
不適応の状態の子供
・人間不信・人に対して臆病(関係をとりに
かわりが,マイナスに作用しないようにするた
くい)・自分に自信がない・自分を発揮でき
めには,それに気づき自覚し意識できるように
ない・緊張している・心のエネルギーが低い
なることが大切であると考える。そのために教
・現実課題からの逃避
師は,まず教師的自我の存在を大切にしなけれ
ばならない。揺るぎのない教師役割を支える教
表−5
師的自我を育て自覚できるようになることは,
Tとの関係がとれやや成長した子供
・Tと関係がとれる・Tとの信頼関係・自分
様々な人や場面に応じて,教師的自我を離れた
に少し自信が出てくる・Tの前で自分を発揮
(教師的自我を大切にして横に置いた)柔軟な
する・Tとの間でリラックスできる・心のエ
かかわりができることとなり,教師にとって大
ネルギーが少し高まる・現実課題を考えられ
切にすべきことであると理解できた。
るようになってくるが行動には移せない
このような状態(表−4)の子供に対して,
5 今後の課題
Tは,子供中心の非指示的な態度で接すること
教師として,または面接担当者として,教師
が大切である。その結果,子供との緊張が徐々
的自我を離れて非指示的にかかわることや,逆
相 研 − 15
Ⅵ
にカウンセラー的自我を離れて教師的にかかわ
研究指導者のコメント
教育の葛藤から逃げない教師の教育カ
ることができるということは難しいことである。
しかし,子供の状況や場面に応じて適切なかか
「教える」ことと「育む」こととは教育の営
わりができるようになることは大切なことでも
みにおいては相容れない側面をもちつつ相補
あるということを,今回学ぶことができた。
的な機能を果たすことは周知の通りである。
自分自身を含めた教師にとって,カウンセラ
ただ,この相補性を教師個人の中で首尾よく
ー的自我が育つときに,教師的自我とカウンセ
機能させることはそう容易なことではない。
ラー的自我の統合という課題は,今後取り組ん
本事例では自律性に乏しそうなA男を前に,
でいくべき課題であると考える。また,具体的
学校教師でもある面接担当者は,教師なら自
な課題として次の3点をあげる。
然に示すであろう指示や例示,叱咤激励とい
○
った教授・指導的態度を抑えて,カウンセラ
教師的自我は,自分自身による客観的な把
握がしにくいという特性がある。そこで,子
供とのかかわりを振り返ることやセルフチェ
ックの方法などを工夫していく必要がある。
○
同じ教師であっても,さらに自分ならでは
ーらしい非指示的態度でかかわろうと努力す
るが,手応えの希薄さになかなか腹も据わら
ない。つい評価・手だてと「教師的自我」に
支配された行動原理に動かされてしまう。
のものの見方・かかわり方の特徴などを,今
後知る必要性がある。そのために,すすんで
他者との率直な意見交換をしたり助言を受け
たりすることが大切である。
○
日常場面において,相手を大切にした非指
示的な態度やかかわりなどで接する機会を意
識して設定し,日頃から感性を磨くように努
しかし,そのことの是非よりも,担当者自
身がそうした葛藤を自覚し引き受けようとし
ているところに注目したい。遊び方を知らな
い子供に遊びを教えることは,一般には妥当
な援助ではあるが,同時にそれは当人なりの
遊び方を発見する機会を奪いかねない働きか
けでもある。単純な二分法ではなく,実際的
める。
今回の研究を通して学んだことを,子供たち
への理解と指導にいかせるよう,今後も研鑽を
には,眼前の子供(の心)との関係の中で葛藤
しながら,働きかけが非指示的であろうと指
導的であろうと,その功罪両面を視野に入れ
つんでいきたい。
た行動選択ができる感性と開放性とが教師の
教育カを高め得る,ということをこの事例か
ら学ぶことができそうである。
(引 用 文献 )
1) 氏 原 寛
(1991)
“ 学校 カウ ン セリ ン グ”
氏原寛 他編
P26
ミネ ル ヴァ 書房
(参 考 文献 )
1 長野 剛
発達 と 障害 の心 理 臨床 編著
2 藤見 幸雄
九 州大 学 出版 会
(1994年 )
痛み と 身体 の心 理 学
新 潮社
(1999年 )
3 高野 清純
遊戯 療 法の 理論 と 技術
日 本文 化 科学 社
(1971年 )
4 弘中 正美
遊戯 療 法に おけ る 総合 性
現 代の エ スプ リ
(1999年 )
5 近藤 郁夫
教師 と 子ど もの 関 係づ く り
東 京大 学 出版 会
(1994年 )
研究 指 導者
林
幹 男
長期 研 修員
古 賀
第1部 2
( 筑紫 女 学園 大 学教 授)
清 隆( 博多 中 学校 )
相 研 − 16
坂 井
俊 介 (主 任指 導 主事 )