October1 9 8 5 弘前大学経済研究第 8号 〔研究ノート〕 「オランダの覇権」をめぐって 中 沢 勝 であるの。 はじめに そこで本稿では,以下第 l節 で ウ ォ ー ラ ー ス 節において彼のオ テインの所説を要約し,第 1 ランダ史像を検討することにしたい。 近代世界経済形成の起動力となったヨーロッ バの中で,当初これを先導したオランダ共和国 I の歴史的位置づけがこんにちあらためて問題と なっている 1 。 ) こうした中で斬新なオランダ像 を 提 起 し た の が I・ウォーラーステインである。 本節においてはウォーラーステイ γ の「オラ そこで小論は,彼の『近代世界システム 1一 一 ンダの覇権」の内容を,特に経済的覇権に絞っ 重商主義とヨーロッパ世界経済の統合, 1 6 0 0 年 。 ) て重点的に紹介する 5 から 1 7 5 0 年 一 一2)』所収の第 2章 「1 7 世紀世界 彼によれば,ヨーロ γ パ経済の中枢は, 1 6 0 0 」 ) の内容を紹介 経 済 に お け る オ ラ ン ダ の 覇 権3 年までには北西ヨーロッパに位置していたが, し論評することによって, 1 7 世紀に資本主義的世界経済の最初の覇権国家 としてオランダが登場した。オランダは, 1 7 世 紀 に , お よ そ1 6 2 5年 か ら 1 6 7 5年 に か け て 覇 権 的 ヨーロッパ近代経済 史上にオランダ経済を位置づけようとするもの 1 )柴田三千雄『近代世界と民衆運動』,岩波書店, 1 9 8 3 年,第 l章の l.本書のライトモチーフは,プローデル やウォーラースティンによって与えられた。 この点 v i i 頁. 1 2 頁以下等。本稿の観点とずれるが,本書について J 思 想 』 , 次の論評を参照。山之内靖「転換期の歴史像Jr 7 1 4 号 , 1 9 8 3 年。また,『史学雑誌』. 93 編4号 , 1 9 8 4 年 9 8 3 所収の喜安朗の書評も参照。なお,西洋史研究会の 1 年度の大会共通論題でも本書は採り上げられている. 3 号 , 1 9 8 4 年.他に, F.Braudel, 『西洋史研究』新輯1 Letempsdum o n d e :C i v i l i s a t i o nm a t e r i e l l e ,e c o・ nomiee tc a ρi t a l i s m e , XV•-XVIII• s i e c l e , tome 3 ,P a r i s ,1 9 7 9の第 3章など参照。 2 )I .W a l l e r s t e i n , The Modern W o r l d S y s t e m .I I : M e 1 c a n t i l i s mandt h ec o n s o l i d a t i o noft h eE u r o Peanw o r l d e c o n o m y ,1600-1750, NewYork,1 9 8 0 . この著作は, TheModemW o r l d S y s t e m :Cゅ i t a l i s t a g r i e t t l t u r e and t h eo r i g i n s of t h e European w o r l d e c o n o m yi nt h es i x t e e n t hc e n t u r y , New York,1 9 7 4O i l北稔訳『近代世界システム一一農業資本 主義と「ヨーロッバ世界経済」の成立一一』 I• l I,岩 波書店, 1 9 8 1 年)の続篇をなすものである。 3)この章は独立して次の論文集に採録されている• M. Aymard,e d . ,D utchC a p i t a l i s mandWorldCap ι t a l i s m . Ca ρi t a l i s m eh o l l a n d a i se tc a p i t a l i s m e m o n d i a l ,Cambridge-Paris, 1 9 8 2 . 。 ) な地位を占めた6 ところでこの「覇権」(h egemony)とは,当 該国が中枢の位置にあって,同時に生産の効率 が高く,そのために他の中枢諸国に対してさえ 競争力を有する状態と定義される 7)。そしてこ - 21ー の生産の優位を保持するために覇権国は生産財 4)ウォーラースティンの所論に対する筆者の姿勢につい ては第 E節(本稿2 4 頁以下)を参照。 5 )ただし要約は紹介者の視点からなされたものである. 6)彼の新著ではオランダの覇権の時期を 1 6 2 0 年から 1 6 5 0 年,イギリスのそれを 1 8 1 5 年から 1 8 7 3 年,アメリカ 1 9 4 5 年から 1 9 6 7 年としている 0 TheP o l i t i c soft h eW o r l d - Economy. The s t a t e s ,t h e movements and t h e 9 8 4 ,p . 1 7 . c i v i l i z a t i o n s ,Cambridge-Paris, 1 7 )柴田,前掲書,またワォーラーステインの『近代世界 システム』(邦訳書)には「覇権Jの説明はみられない。 次の論考には簡略な説明がなされている.川北稔「 I・ ノJ ,(栗原彬他編『世 ウォーラースティンと近代ヨーロ yー 界社会学をめざして』(叢書『社会と社会学』 1).新評 論. 1 9 8 3 年,所収) 3 5 4 頁 . 繊維工業では毛織物工業が最も重要で, 1 5 6 0 の流れに対する政治的障壁を抑えようとしま たイデオロギー上の攻勢に立とうとする。そし 年代に南ネーデルラントから来住した職人がラ 「新毛織物工業Jを輿こした て,農業・工業における生産効率の優位が,通 イデンに定着し, 商の優位に,さらに金融上の優位へと帰結して ゆく 8 。 ) 6 6 0 年代〉。またオランダはとりわけ (絶頂期は 1 染色工程で優れた技術をもち,イギリスに対し ところでオランダの場合,この覇権は経済的 て優位を保っていた 11〕。またオランダの造船業 優位を順次獲得したことによって確立したとい 2),その発展は同時にバ は,高度に機械化され 1 う 。 ルト海地域から造船用材を調達する上でも有利 まず,〔生産の優位〕について。これは農業 な地歩を築くことになった。 このようにこの時期のオランダは, においては,農業技術の先進性(休閑地の消誠, ヨーロッ 飼料作物の栽培,干拓と排水技術の進歩等), パの他のどの国にもみられない農業と工業の複 農業の集約化,それに亜麻・大麻・染料など工 合的関係を形成した国であったが,この発展に 芸作物への専門化一一それとそれを可能にした 6世紀後半の大量の人口流入 拍車をかけたのが 1 大量の穀物輸入一ーがあげられるが,このうち 3 。 ) であった 1 4 世紀に始まり, 1 6 2 0 年から 集約化ははやくも 1 〔通商の優位〕当時オランダは世界最大の海 1 7 5 0 年項にかけて一層の進展があったという 9 。 ) また漁業は最初の生産の効率化が達成された 4 0 0 年頃操縦性と耐航性にすぐれ, 分野であり( 1 運国で,イギリスの 3倍の船舶保有高をもって 1 6 7 0 年〉が,その海運業は著しい広域性, いた ( 世界的性格を特徴としていた。 東インド交易は, 1 6 0 2年に設立された連合東 それに積荷容積の大きな損失なくスピードをも a r i n g b u i sの発明がなされ, 1 6 ったニシン船 h )を主体として営なまれ(香 インド会社(VOC 世紀に入るとこれに引き網がつけられ,甲板で 6 世紀末から 1 6 3 0年代に生じたレヴ 料交易), 1 保存加工できるよう改良された〉,同時に漁業 アントの陸上交通の杜絶とし、う状況を有利に活 自体にも飛躍的発展があった。こうして造船技 用できたが,オランダ海運の最主要な部分を構 術,さらに船舶保有上の優位がオランダにもた 成するもので、はなかった。 東インド交易以上に重要な意味をもったのは らされ,それが,ひいてはパルト海交易の基盤 0 。 ) となっていく 1 次に工業に隈を転じると,繊維と造船の 地中海交易であって,オランダは地中海への穀 2大 物輸送で,イギリス,フランス,ハンザに対し 基幹工業の発展がみられるが,これに精糖業, て優位に立った。また大西洋交易も重要であっ 武器製造,醸造業などの一群の工業がつけ加わ 6 2 1年に創設された西インド会社に た。これは 1 よって担われたが,その中心的活動はいわゆる る 。 8 )この「覇権Jは , さらに, 「中枢国家が他の中枢諸国 全てに対して,生産・通商・金融上の優位を同時に示す」 (傍点は原文イタリック体)頂点にある時期と説明しなお される。 LWallerstein, TheModernlVorld-System I I ,p .3 9 . (以下引用は本書のページ付けで行なう) 9)著者は, 1 5 9 0年から 1 6 7 0年頃の時期をロマーノ Romanoが「オランダ農業の世紀」と呼んだことを指摘 している。 I b i d . ,pp.40-41. 1 0 )著者は,「〔オランダ人の〕ニ、ンン交易は塩の取引の原 因であって,ニシンと塩の取引は,この国のバルト海の 交易をある意味できわめて大きくした原因である。とい うのはこれらは嵩荷であって彼らの船荷を厚く満たすも のであったから」という 1661年のダウニング卿の叙述を 引用して.これらの取引の絶妙な関係を指摘している。 三角貿易であった。すなわち綿花・砂糖・タバ コと並んでアフリカの奴隷が扱かわれたのであ 7世紀の第 2四半 る。ウォーラーステインは, 1 紀について,オランダの大西洋交易は,オラン ダ自身に対するよりも, I b i d . ,p .4 0 . - 22ー ヨーロ y パ世界経済全 1 1)毛織物工業においては付加価値の4 7 パーセントが染色 工程に属し,これがオランダでなされたという C・ウィ ルソンの推計が挙げられている。 I b i d . ,p.4 3 . 1 2)風力のこぎりや滑車装置,大型クレーンなどが生産性 b i d . ,p .4 3 . を高めたと指摘している。 I 1 3)とりわけアムステルダムの人口増が顕著で, 17 世紀前 半の 50年間で20万人と 4倍の増加をみせた. 「オランダの覇権」をめぐって は,オランダにとって, 般の成長に寄与するものであったことを強調し 「1 6 6 0 年代までのオラ ンダ通商のヨーロッパ世界経済における覇権の ている 1 4 。 ) オランダ海運の最後の要素として,かつてア 鍵1 7)」は,遠隔地交易ではなく,対ヨーロッパ ントワープに属していた内陸の河川交通の継承 交易であったと断言し,この通商上の優位を獲 取得があげられる。オランダがシェルト川を閉 得した要因として, 鎖したあと,アントワープの繁栄が失なわれ 効率化」があったことをあげている問。 「それ以前の農業と工業の オランダ通商の優位は,叙上の船舶の優越 て,内陸交通の中心はホラントに接木された。 しかしその後もオランダ側はシェルト川の自由 (造船技術と保有高上の〉と並んで,商業組織 航行によってアントワープ市場が復活し,すで の卓越性にも由来していた。著者はへクシャー に国際市場になっていたアムステルダムの地歩 を引用して,オランダの商業組織の「最大の特 を脅やかすと考えた。それは内陸への通過交易 徴 Jは , 他 国 と 比 較 し て 「 よ り 少 数 で よ り 単 純 c 1 { 中継商業)がオランダにとってそれほど大き な 商 業 組 織 で や り 遂 げ た そ の 能 力Jであったと 5 。 〕 な意味をもっていたからである 1 いう。具体的には,パートナーシップ制による こうしたオランダ海運の一一ひいては通商上 5 8 0年 以 降 ホ ラ ン ト を 中 心 と し の一一優位は, 1 資本の調達(小商人層の資本参加〕 1 9),緩衝在 庫制度,それに委託制度の展開であった。 て整備された都市聞の運河交通網,またそれと 〔金融の優位〕金融上の優位についてウォー 並 ん で 堅 固 で 安 価 な 船 舶 の 建 造 に よ っ て1 6 ) , ラーステインが展開する論法は,挑発的なもの 1 6 6 0年 代 に 頂 点 に 達 し た 。 ウ ォ ー ラ ー ス テ イ ン である。彼は, 1 4)オランダ人の寄与として例えば砂糖プランテーション のブラジルからカリプ海地域への拡大において,また 7• ランテーションへの人的資源の供給者(奴隷商人)とし b i d . ,p .5 2 . ての活躍があげられている。 I また 1 6 世紀初頭の世界経済の停滞期にオランダ海運が 他の国々のそれに比ベて優越した理由として,著者はサ ップルとヒントンに依拠して,安い運賃と銀の供給の優 位という 2要因をあげる。 I b i d . ,p .5 2 . イギリスより 4 0 パーセントも安い運賃は船の建造コストの低さによ -50 b i d . ,p.5 5 . また銀の確保は穀物の地中 って実現され, I 海への!中継交易によってなされ.イギリスは穀物交易に おいて園内に反対者をもっという ρ ンディ(穀価が低い ときの輸出禁止措置)を負っていた。 I b i d . ,p .5 3 . なお 運賃については一般的には次の論考を参照。石坂昭雄 7世紀のヨーロッバ経 「オランダ共和国の経済的興隆と 1 巻 4号 , 1974 年 , 35-36 頁 。 済」『経済学研究』(北大) 24 また叙上の通貨問題のオランダ,イギリスへの相異なっ た作用については次の論述を参照されたい。越智武臣 「ヨーロッバ経済の変動J『岩波・世界歴史』 1 4 .1 9 6 9 年 , 1 5 7 頁以下。川北稔『工業化の歴史的前提』,岩波書 年 , 65頁以下。 店 , 1983 1 5)なお著者によって海外交易の最重要なものとみなされ 毎交易についてはまとまった展開がなされてい たバルト i 巻で言及されている。同上書, 43 頁以下。 ないが邦訳 I またこの継承問題について筆者は少しく異なった視点 から別稿を予定している(「アントワープの陥落とアム ,永積昭・栗原宿也編『オランダ史 ステルダムの興隆J 論集(仮題)』所載予定)。 1 6 )1 6佐紀末のフライト船等の出現を指すものと恩われ , 86 頁。船舶技術の革新 る。『近代世界システム』 E巻 については.石坂,前掲稿, 3 5 頁 , R .W.Unger, The 「金融への転換は,没落の象徴 ではなく,まして衰退のしるしでさえなし訓〉」 と 説 く 。 こ の オ ラ ン ダ の 金 融 の 優 位 は , 第 1に は生産力と通商の優越がもたらした健全財政, 第 2に こ の 健 全 財 政 が 通 貨 の 不 安 定 な 当 時 の 国 際経済の環境の下でアムステルダムを一大金融 市 場 な ら し め た こ と , そ し て 第 3に オ ラ ン ダ の 資 本 輸 出 の 展 開 , 以 上 3段 階 に わ た る 発 展 の 帰 結であったと L、 う 。 1609年~こ創設されたアムステルダム為替銀行 は , 1 7世 紀 の 銀 行 の 中 で は 稀 れ に み る 安 定 を 保 6 6 0 年までにはヨ ちつつ有効な便宜を提供し, 1 ーロッパの国際的決済の中心となった(その地 7 1 0 年まで‘保持し T 斗。また 1 7 位を少なくとも 1 世紀を通してオランダの利子率が低落したこと 1 。 ) に よ っ て 投 資 活 動 が 促 が さ れ た2 nt h eMedievalEconomy6 0 0 1 6 0 0 ,LondonShか i M o n t r e a l ,1 9 8 0 ,p p .2 6 2 f f . 参照。 -23- 1 7 )W a l l e r s t e i n , TheModern World-System, I I ,p . 5 4 . 1 8 )I b i d . ,pp.54-55. 1 9)海運におけるレーデライ r e e d e r i j (「船舶共有組合」) b i d . ,p . についてのグラ 7 ン Glamannの指摘に依拠。 I 5 6 . これについて一般的には,大塚久雄『株式会社発生 9 6 9 年,初版, 1 9 3 8 年 ) 史論』(同著作集 I,岩波書店, 1 所収の補論第 1章を参照。 2 0 )W a l l e r s t e i n ,TheModernWorld-System,I I ,p .5 7 . 2 1)オランダの衰退の一因として投資を国外へ向けたこと があげられている。 I b i d . ,p .6 0 . ところで著者は以上でオランダの経済覇権論 受けることになる。 を終え,次に国家構造論,さらに宗教を含む社 I I 会構造論へと進んでいくのであるが,ここでは 著者の特徴的な把握についてのみ触れることに 以上第 I 節においてウォーラーステインのオ したい。 まずオランダ国家についてであるが,著者は ここでもオランダ国家の脆弱性という通例の把 握の仕方を逆転させて, 1 7世紀においてオラ 「 ランダ覇権論を専ら経済的覇権の観点から概観 したが,本節ではこれに他の研究成果も混じえ て検討を加えることにしたい。 ンダ国家は,重商主義的政策の必要性がほとん まずその前に指摘しておかなければならない どなかったほど国内的にも対外的にも強級さを のは,彼が専門のオランダ史家ではないという 2 」 ) 持った唯 1つのヨーロッパの国家であった 2 点である。彼が『近代世界システム』の 1章に と捉える。そしてアムステルダムを拠点として 「オランダの覇権」を当てたのは,彼が提唱す 保護主義的政策を求める動きがあったとして る「近代世界システム」像一一これを伎は純理 も,国家は保護することの他にその役割を見出 論的次元でなく歴史的具体的な姿で描こうとす したとしう。つまり私的企業の活動の諸条件を 6)一一構築の一環としてなされてし、る点に留 る2 3 。 ) つくることに役割を見出したというのである 2 7 。 ) 意しなければならなレ 2 オランダ共和国は, 7つの州の連邦制で,各 すなわち彼のオランダ覇権論は, 「近代位界 チ Mは連邦議会で 1票を有し,決定は全会一致で システム」形成の起動力となった「ヨーロッパ なされた。しかし財政的にはホラントが収入の 世界経済」の枢要な一環を歴史的に構成したか 6 0パーセントを拠出し,その半分をアムステル 7世紀オラ ぎりでのオランダ論であって,彼が 1 7世紀半頃になる ダムが負担していた。そして 1 ンダの内部構造の特質を指摘する場合も,決し とアムステルダムの指導に対する疑問はなくな てそのこと自体に意味がおかれているのではな っていた。政治の分権的構造と経済・文化活動 く,すぐれて国際的次元において,とりわけ経 のホラントへの著しい集中,こうした状、況の下 済分野での生産効率の優劣,ないしは相互の影 で , 響,もしくは反発とし、う次元で問題とされるの 「一体何故国家を集権化することを思い煩 らったであろうか24〕」と反問するのである。ま だ。著者にとってはその意味でオランダ像の構 た社会構造的には支配階層の内部分裂も社会を 築自体に意味が与えられているのではない。し 引き裂くほどのものではなく,下層階層の反抗 かしながら,専門のオランダ史家が史料の制約 も小さかった。こうして著者は, 「国家とは, (実証の問題)や基礎研究の手薄さによって提 オランダのプルジョワジーによって,彼らが当 起しにくかったダイナミックで鮮明なオランダ 初生産分野でかちとり,通商と金融へと拡大さ 像の提示に一応の所成功しているといってい 8 。 ) 、 し2 せていった経済的覇権を強化するために用いた 装置25)」であったとしめくくる。 そして以上のような過程を経て確立したオラ 2 6 )著者は,「資本主義的『世界経済』の生成史を概観し ょうとした」という。邦訳『近代世界システム』, I巻 , ンダの覇権は,とりわけ 1 6 5 1年から 1 6 7 8年にか けてイギリスとフランスによって激しい挑戦を 2 2 )I b i d . ,p .6 0 . 23)東西両インド会社の創設は,既存の国際交易を国家的 な独占の下に結合させることであったというストルス S t o l sの見解をあげている。 I b i d . ,p .6 0 . xxi i i頁。ウォーラースティンの学説の位置づけについ ても邦訳 I巻の「まえがき一一訳者解説一一」を参照。 他に川北稔,前掲稿。 2 7 )著者は,彼の『近代目そ界システム』を単に歴史学,特 に経済史学の領域の研究とみなされることに反発し,歴 こ対する彼の関心が分かちえない 史学・社会学・政治学l 一つの関心であることを別の著作で強調している。 The 2 4 )I b i d . ,p .6 3 . 2 5 )I b i d . ,p .6 5 . C a p i t a l i s tWorld-Economy. Essaysb yよ W a l l e r s t e i n ,Cambridge-Paris, 1 9 7 9 ,p p .v i i f f . ← 24一 「オランダの覇権Jをめぐって 以上のように,彼のオランダ覇権論は,歴史 握について,生産(農・組・工〉,通商(海運, 学的手法をとりつつも実証的方法(新らしい素 内陸交通〉,金融の各部門の発展過程全般に対 材を発見してその意味を問うという〕ではなく, する目配りがなされ,総合的に捉えようとして 既存の歴史学の成果を「近代世界システム」論 いる点があげられる。そして生産,通商,金融 の視点から接取し総合化するとし、う方法で組み の経済部門の比重についていえば,生産に基軸 建てられている 2 9 。 ) 的な役割がおかれている(覇権の形成過程と覇 では彼はいかなる意味で独自の 1 7世紀オラン 権確立期の構造把握の双方において〉。この生 ダ像を切り結んだといえるのであろうか。この 産重視の視点は,通商,金融部門でのオランダ 点を検討するために,まず彼の所説の特徴をい の擾位の認識においても保持される 31〕。そして くつかあげてみよう。 , 1 7 世紀のオランダを,単に「仲継商 第 lに この生産の重視においては,各経済部門内での 節の「覇権」の定 生産効率が重視される(第 i 業」国家や「貿易国家」論という形で,経済と 1頁参照〉と同時に,経済発展過程の具体 義 , 2 政治を直結した構造論で捉えるのでなく, 権国家」論としづ概念装置で,経済・政治・社 的な把握の際には,諸セクター相互間の相乗効 。 ) 果という視点も重視されている 32 会・文化の諸領域を,特に対外的優位の具体的 第 3に,著者は生産力的視点に立つとはい 「 覇 在り方の検証とし、う視点から 1点に収鮫かつ包 え,オランダが他国に対する経済的優位を獲得 括して捉えようとする新しい把握の姿勢があげ られる 30)。この点の成否は別として,ウォーラ した契機として, 1 6世紀後半から 1 7世紀にかけ ての時代状況を特に考慮してレる事実に留意し ーステインの「オランダ覇権論Jは,経済史の なければならない。 国際関係論的方法に新しい見方を提供したもの つまり他国との競合において,純粋に経済的 次元でのみオランダが優位に立ったのではな といえよう。 第 2に,第 1点と関係するが,経済領域の把 く,オランダと競合する諸国(スペイン,イギ 28 )もっとも彼のオランダ論も以下にみるように試論の域 の当時における「商業重視的J国民国家33;の統 リス,フランス, を出ないと筆者は考える。なお彼の提起したオランダ論 , 。ρ .c i t . にみられる について管見の範囲では Aymard もの以外ではクラインの書評があるだけである。 P.W. K l e i n ,i n :B i j d r a g . 倒 的 Mededelingenb e t r e 五fende 0 0 ,1 9 8 5 ,b i z . deG e s c h i e d e n i sderNederlanden,1 2 7 82 8 0 . 彼はウォーラースティンのオランダ覇権論の 内容を概ね妥当と評価しているようであるが,しかし新 らしい知見を提供していないとし,またオランダの海外 進出に当ってイベリア諸国の帝国主義的体制との対決面 について完全に無視しているとのベている。 2 9)但し専ら英語・フランス語文献を通じての接取であ る 。 30 )「覇権」論については邦文献として猪口孝『国際政治 9 8 2 年の 11 主2・3節 , 2章 2節 , 経済の構図』,有斐閣, 1 4節を参照。この著作では主に国際政治の観点から覇権 を論じている。猪口の覇権の定義については同書7 5 頁を 参照。なお,ウォーラーステインの邦訳『近代世界シス テム』,およびこれに触発された柴田前掲書では覇権論 の説明はなされていない。 なお「覇権J論という形をとらないが,「国際商業戦 の帰趨とそれにおける覇権の推移という世界史的史実」 という把握から「経済史的内容と背景」を掘り下げた古 典的著作として,大塚久雄『近代欧州経済史序説』(同 , 1 9 6 9 年,初版1 9 4 4 年)がある(引用は著 著作集第 E巻 作集版, 23 頁 ) 。 ドイツ諸邦やハンザ等〉のそ 合の脆弱さを指摘している。具体的には,経済 成長の純化した経済環境の下で,例えばイギリ - 25ー スの市民革命と L、う激動期を利用して海上覇権 を築いたと指摘してレるように 34),いわばオラ ンダ経済が他国に比べてたまたま優位な地歩を 占めることができたという状況を看過していな い点である(従ってイギリスとフランスが体制 を整えて反撃してくるとオランダの覇権的地位 3 1)通商面では,オランダは「生産効率を基盤として…… その上にその商業網を築ぃ」たという指摘(p .4 6)や, オランダ海運業についての「それ自体オランダ工業の効 率性の所産」という指摘(p .5 6 )など。金融函では,第 I節[[金融の優位〕〕の契機の第 1国としての「生産力J の位置づけ(本文23 頁)を想息されたい。 32)オランダ船の建造費の安さが安価な運賃に,そしてそ れがパルト海通商の制覇に結果し,さらにそれが安価な 木材をもたらしたというような把握の仕方。 p . 5 5 . 3 3)柴田三千雄の表現を援用した。柴田,前掲書, 5 6 頁 。 ウォーラースティンの表現ではない。 3 4 )p .4 6 . は急速に衰えると L、う把握になる〕。 の点については著者も想定しているように町, そ し て 第 4として,彼の立論は,オランダの オランダの覇権 c~ 「経済的繁栄」と L 、いかえ 経済・社会・政治の諸領域にまたがる特質を扶 てもよい〉の特質を見究めようとするときに, ろうとする構造論を基調としつつも,同時に個 オランダ史学界から最も強烈な反発を受けるの 々の歴史事象についてはきわめてクロノロジカ もこの生産力的視点の堅持・一貫性であろうと ルな(年代順に歴史的推移を辿るという意味で) 思われる明。 把握の仕方をしている点に特徴がみられる。例 この生産力的視点について,著者は工業の発 6 2 5年から えばオランダの覇権の時代として, 1 展に先行する農業と漁業の発展(そして特にバ 1 6 7 5年 の 時 期 を 設 定 し て い る の で あ る 3 5 ) ルト海通商の発展〉を指摘し,この工業の発展 0 以上ウォーラーステインの所説の特徴をみて はこれら先行の生産力の発展を受け継ぐという きたが,以下では筆者なりに問題点をいくつか 形で問題にされている。ところで工業, 指摘してみたい。 け毛織物工業と造船業を除く生産分野について とりわ まず著者の姿勢は総じてきわめて意欲的であ オランダの経済史研究はおしなべて手薄なのが って,オランダ経済史の通説的な理解をいわば 実情であって,この点に影響されてかウォーラ 根底から揺さぶるものといえるーーとりわけ生 ーステインの把握も構想は豊かであるが実証的 産の位置づけと金融の把握についてーーが,そ 次元においては生彩の乏しいものとなってい れだけに学界からの反発も強いことが予想され る3 6 。 ) る。著者の提起した歴史像の実証的検証と,そ れに裏づけられたオランダ像の「再」構築とい 〔問題点 1〕 オ ラ ン ダ 覇 権 の 確 立 過 程 の 把 握 について,基盤としての経済力の優位(生産効 率の優越〉という視点から説明することの当否 ι 覇権の絶頂期 ( 1 6 6 0 年代と想定)には経済 の各分野(生産・通商・金融)それぞれのピー う大きな課題が残されることになる 4 0 。 ) が先行すると説明する。著者の与えた次の図を参照。 覇権国家の経済的地位 農・工の優位一一千一一」 通商の優位 グが重なるという見方の妥当性についてであ 己てトー金融の優位 る。この点著者はピーグが生産→通商→金融へ ! i 覇権 i 7)。またこ と年代的にずれるとは考えていない 3 時代 3 5)この点,「1 6 世紀末J とか「 1 7 世紀前半」ないし「 1 7 世紀中葉」といった大雑抱な時点設定が通例である。こ 5 9 7 年から 98 年に措定する の点オランダの商業的優越を 1 6世紀末の 1 0年間を重視するクリステ ダ・シルヴァや 1 ンセンなどは例外である。なお,ダ・シルグァについて 「オランダの商業覇権j という訳文は,ダ・シ Jレグァの 論文に即する限りやや適切さに欠けるところがあろう。 W a l l e r s t e i n , The Modern W o r l d S y s t e m ,p .2 1 1 , ,邦訳, 日 巻 , 85頁 。 J .G -daS i l v a , ‘T r a f 1 国 n o t e2 2 4 du Nord, m a r c h l ! s du《 Mezzogiormo》, f i n a n c e s o i s e s :r e c h e r c h e se tdocumentss u rl ac o n i o n c t u r e g岳n ala fin du XVI• siecle, clans: RevueduNord, X L I ,1 9 5 9 ,p .1 4 3 . 3 6 )今までのところ管見の限りにおいて彼のオランダ論に p .c i t . も『近代 対する批判はみられない。 Aymard.,o 世界システム』 I 巻(邦訳 I• I巻)にみられる彼のオ ランダ理解の批判を含むが, E巻の「オランダの覇権」 に対する批判を載せていない。 E巻に対する E .L.Jones の書評が次のものに載っている。 EconomicH i s t o r y e r . ,v o l .3 4 ,1 9 8 1 ,p p .3 4 3 3 4 4 . R e v i e w ,2nds )但し覇権の確立過程においてはまず農・工の生産優位 3 7 -2 6ー W a l l e r s t e i n TheP o l i t i c soft h e World-Economy, p . 4 0 . 3 8 )著者は,「オランダの利点の因果的な連鎖」の第一の もの,つまり「生産的なものJについては「議論の別れ る所 c o n t r o v e r s i a l J といっている。 p . 5 7 . 3 9 )クラインは,「オランダ資本主義はその国際的つなが りでみた場合,本質的には通商約なものであり金融的な .W.K l e i n , ‘ Dutch ものであったJ といっている。 P c a p i t a l i s m and t h e European world-economy ’i n : Amarde d . ,o p .c i t . ,p p .89-90. ただオランダ史学界 ではこういう本質構造論的視点は稀薄である。 4 0 )わが国のオランダ産業史の研究は毛織物工業に集中す る傾向があれ生産力的視点からするとき,いわば工業 =毛織物工業という直結的理解が基調をなした点は否め ない。この点ウォーラーステインの総体的な目配りの仕 方から学ぶところは大きい(石坂,前掲稿は視野の拡が りを感じさせる雄編である)。なおオランダ毛織物工業 史,また広く経済史についてのわが国研究史の蓄積には かなりの厚みがあれその特徴を一括することはむつか しいが,オランダ経済の特質として,「仲継商業J的側 面を強調するものが主流といっていいであろう。参照文 献としてここでは次のものをあげるに留める。大塚久雄 「オランダの覇権」をめぐって 〔問題点 2]また著者のオランダの金融優位 の捉え方は妥当なものといえようか4 1)。著者は 題が設定出来るだろう。 第 1の論点に関して筆者は,留保を付しなが やや唐突にオランダの資本主義的強瓢さこそが らもウォーラーステインの考え方に基本線で同 金融の強さを招来したと論じるが,この点につ 6・ 1 7 世紀におい 調するものである。すなわち 1 いて,では何故そう断定できるのかという点で て「近代世界システム」と呼びうるような,西 論述の説得性に乏しく,問題が生じて来ると思 ョーロヅパを主導とした一体的な経済的構造の われる。 〔問題点 3〕ウォーラーステインの国家論は 3 〕。同時に,「近代世界システム」 形成を考える 4 どうであろうか。彼の国家構造についての実態 え,この意義を高く評価する。ただし理論的 認識については特に従来のそれと異なるように には, 論が 1つのトータルな視点を提示しえたと考 「近代世界システム」論が資本主義経済 思われないが,彼は把握の仕方でやや特異な姿 と国民国家をいわば所与のものとしている論旨 勢を示している。 すなわち著者は,オランダが当時おかれた時 展開に大きな課題があると考えている。また実 代状況,とくにイギリスとフランスに対比して 証(もしくはそこまで要求しなくとも一応の史 の幸運な状況と L、う見方を前面に出す。しかし 実的裏付け)叫が欠けている点に今後の大きな 5 。 ) 課題があると考える 4 ながら国家構造の発展については,経済分野で 証面では, 「近代世界システム」そのものの立 みられたような,経済発展に照応したオランダ 総じてわが経済史学界にあっては,この「近 国家の形成過程の再構成という視点がほとんど 代世界システム」(「世界資本主義論」と言い換 みられない。彼のオランダ国家論は余りに月並 えてもし、 L、が〉の検証の是非をめぐっては意外 みでスタティックなものである c われわれは, とその歴史的形成過程の検討が等閑に付された 経済が繁栄へと推転してし、く歴史過程を,政治, 論議がなされている。この点で,ウォーラース とくに国家や都市がどう掌握し対応していった のかどうか,その関係についての検証を行なっ テインも「近代世界システム」形成の視点を欠 くとし、う批判を受けるが4 5〕一一そして一面でこ ていく必要があろうと考える。 の批判は的をえているがーーしかし 1 6世 紀 の 〔問題点 4〕 「近代世界システム」論と「オ 「近代世界システム」を究極の所で規定してい ランダ覇権」論について。わが国の経済史学界 る「資本主義経済j の「脆弱性」, ないし過渡 7 。 ) 的性格という視点を保持しているのである 4 の認識を踏まえた場合42),「近代世界システム」 の一環として「オランダの覇権」を位置づける ことかできるのかどうかという問題が生じて来 ょうっその際第 1の問題は,前提としての「近 代世界システム」論の妥当性の問題があり,第 2に「オランダ覇権」論の意義L、かんという問 「オランダ型貿易国家の生成j (同著作集羽巻所収, 1 9 6 9 年,初出 1 9 6 0 年),栗原福也「世界市場アムステルダム の成立とオランダ経済の特質」『社会経済史学』, 3 7 巻1 号 , 1 9 7 1 年。やや異なった理解の仕方を示すものとし て,佐藤弘幸「オランダ共和国の成立と毛織物工業の展 開」『社会経済史学』, 36巻 4号 , 1970 年 。 4 1)この「金融の優位」の時期について著者は,生産・通 商と同じく絶頂期を 1660 年代に求めているが,覇権後期 以後オランダ経済の重心が金融へ移動していくと考えて いた。この点注37)の図を参照。 4 2)この点例えば『西洋史研究』新輯1 3号 で の 発 言 を 参 j 照0 1 3 6 .1 5 7 頁など. 4 3)「一体化Jについては次の研究でも論じられている。 柴田三千雄・木谷勤『世界現代史』,山川出版社, 1 9 8 5 年 , 6頁以下。 4 4)「世界経済Jの成立について,歴史事象の指摘を別と すると,地域間の価格差の縮小があげられているだけで , 1 0 5 頁 。 ある。邦訳『近代世界システム』, I巻 4 5)毛利健三の,『近代世界システム』に対する,「国民経 済J概念の稀薄という指摘はウォーラースティンの理論 構想の一面を鋭く衝いたものといえよう。政治を「国民 国家」次元で押え,この「国民国家」に包摂統轄される 固有の「国民経済j (再生産諭)が存在しないとすると, 究徳的には覇権「国家Jの経済的優位など論じられなく なるという理論上の弱点を露呈することになるからであ 巻 1号 , 1 9 8 3 る。毛利の書評参照。『社会経済史学』, 49 年。ウォーラースティンの国家論については邦訳書 I 巻 3章を参照。ほかに,浜林正夫『現代と史的唯物論』, 9 8 4 年,で展開されているウォーラースティ 大月書店, 1 ン批判も示唆に富む。同書, Bト 90 頁 。 4 6)柴田,『近代世界と民衆運動』, 18-19 頁 。 -27- ところがわが経済史学界では,「世界資本主義」 の「前提」としての「国民経済」の存在が強調 される傾向がある 48)0 この点についていえば筆 者は, 「近代世界システム Jそのものの形成と 並んで,各国の国民経済の〈不均等な〉形成 少なくとも, 1 7世紀においてオランダ経済,な いし通商の優越については今日異論のみられな い状況の下で,それを「覇権」論として鋳直す か否かは,論者の歴史認識そのものによるとこ ろが大きいといえるかもしれない。 (もしくは非形成,ないし従属化〉の歴史的過 程の視点も同様に重要であると考える。すなわ ち , 「国民経済」自体を論理的に前提されると 考えるのは,既にある意味で、出来あがった資本 主義体制の構造・理論的把握についてならばと もかくとして, 歴史的(「発展」 といってもい い〉過程そのものの理論化・構想化としては, 「近代世界システム」論の断罪の根拠とはなら ないのではなかろうか。 次に第 2の論点, .ウォーラース 以上検討してきたように, I テインの提起した 1 7 世紀オランダ像は,実証的 側面での寄与は皆無であったにしても,近代ヨ ーロ vパの歴史像の「再J構築にあたって総体 的把握の視点から学界に大きな寄与と今後の課 題を提供するものであったといっていいであろ う 。 「オランダの覇権」の意義 に移るが,筆者はこの「オランダの覇権」論を, 後代のイギリス,アメリカのそれとは同じ次元 でない意味あいにおいて(すなわち未だ産業資 本の展開の未成熟な,その意味で歴史的に発展 段階を異にするものとして〉許容したいと考え る明。著者の「オランダ覇権」論の構想は,英 米覇権論の投影という感じも持たれる(特に生 9世紀以 産力視点の強調の点で)。すなわち, 1 後のイギリス,次いでアメリカによる覇権の確 立は,一方で経済的優位に立脚しつつ,他方で 同時に世界政策についてのすぐれて政治的〈か っ文化的〉政策を要請するものであった。しか しオランダの場合,前者の経済的優位について は一応それを認めうるものの,後者の政治的政 策の側面についてはシェルト河問題(これも防 衛的なものとみなすことも可能であるが〉を除 くと,さほど積極的な姿勢がみられないのであ る。以上のような考えに立っと, 「オランダの 覇権」を英米のそれと同次元で論じられない点 が首肯されよう。従がってそのような意味では, 4 7)例えば,邦訳書 I 巻 , 1 0 2頁のプローデルからの引用 による指摘や, 1 6 4頁以下の 1 6 世紀の特徴についての論 述を参照。 48 )その典型として次の論考を参照。関口尚志「世界資本 主義の諸問題j,社会経済史学会編『社会経済史学の課 題と展望』,有斐閣, 1 9 8 4 年,所収. 49 )柴田の見解もこれに近い。『世界現代史』. 48 頁の「資 本主義的世界体制の第二期」といった表現に注意。 -28ー
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