3 鉄鋼材料の組織観察とその評価

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鉄鋼材料の組織観察とその評価
3.1 目的
鉄鋼材料は,強度,靱性といった力学的性質のバランスに優れ,加工性,接合性,リ
サイクル性が良好なことに加え,供給量と価格面,更には人間社会において,数千年の
利用実績を持つ信頼性と安定性という点において,圧倒的な優位性を誇る構造材料の代
表である.その利用範囲は,橋梁・建築物等の社会整備インフラ,日用品からハイテク
製品に至る極めて幅広い分野にわたっているため,産業社会発展の基盤形成に不可欠な
基礎素材である.
強度や靭性といった力学的性質は,鉄鋼材料中の微細組織に大きく影響を受ける.こ
のため,鉄鋼材料ではその相変態を利用した熱処理によって微細組織の制御が行われて
いる.
本実験では,まず,鉄鋼材料の光学顕微鏡観察用試料の作成方法を実習し,種々の熱
処理を施した鉄鋼材料の組織観察を行い,組織の変化を確認する.加えて,力学的性質
に大きく影響を与える結晶粒径の算出,第二相の体積分率算出の演習および硬さ試験の
実習を行う.以上を通じて,鉄鋼材料の熱処理・組織と結晶粒径の相関を考察すること,
組織と硬さの関係を理解することを目的とする.
3.2 平衡状態図
鉄鋼材料は様々な添加元素を加えて合金化されている.鉄鋼材料の組織に最も大きな
影響を与える添加元素は炭素である.それゆえ,Fe-C 系平衡状態図は鋼を取り扱う上
で,基本的知識として知っておかねばならない.平衡状態図とは,合金などで、液相か
ら固相への変化といった相が変化す
る境界を,圧力や温度などの状態量と
の関係として図示したものである.図
1 に Fe-C 系平衡状態図を示す. 図 1
には炭素濃度が x%の温度 T における
平衡状態のときの組織が示してある.
平衡状態なので,その温度に保持した
時の組織と考えることもできる.例を
あげると,炭素量が 1%の鉄−炭素合
金(炭素鋼)を 1000℃に保持すると
γと書かれたオーステナイトという
組織になることを示している.
図 1 Fe-C 系(Fe-Fe3C 系)平衡状態図
3.3 相変態
オーステナイト状態から除冷して,平衡状態図にほぼ従って形成した組織を標準組成
という.図 2 に標準組織の生成過程を模式図的に示す.炭素量が 0.8%の共析鋼を例に
とって説明を行う.共析鋼を Y の温度から除冷した場合を考えると,S 点に達するまで
はオーステナイト単相であるが,S 点に達すると,P 点で示される炭素濃度のフェライ
トとセメンタイトに分解する共析変態が起こり,全面パーライト組織となる.パーライ
ト組織とはフェライト相とセメンタイト相が交互に並んだ層状「組織」であって,相で
はない※.0.4%C の亜共析鋼を X の温度から除冷した場合を考えてみると,高温ではオ
ーステナイト単相であるが,これを除冷すると T1 なる温度で A3 線と交わり,ここで,
炭素濃度α1 のフェライトが析出してくる.さらに温度低下にともなって,フェライト
量が次第に増加し,その結果残りの未変態オーステナイトの炭素量は GS 線に沿って次
第に増加する.A1 点ではオーステナイトが共析変態を起こしてパーライト組織となる.
この時,既に析出していたフェライトには変化がおこらず,そのままである.
図 2 Fe-Fe3C 系状態図と標準組織構成図
※ [備考]
相とは,気体,固体,液体など明確な境界によって他の部分と熱力学的に区別でき
る物質系の均質な部分をいう.組織とは相が混ざり合い,秩序だって1つの集団とし
てみることができるものをいう.
冷却速度が非常に遅い場合は,上記のように平衡状態に従って変態する.しかし,実
際の熱処理では種々の冷却温度で冷却されるので,相変態挙動や変態組織に及ぼす冷却
速度の影響を知る必要がある.一般に,冷却速度が大きくなると変態点は平衡状態で示
された温度よりも低温側へ移行し,さらに極端な場合には別なタイプの相変態が起こる
ようになる.
パーライト変態や初析フェライトの析出などは原子の拡散を必要とする拡散型変態
である.このような変態の場合には,変態が起こりうる温度に達しても変態の開始には
ある時間の潜伏期を必要とし,また,完了するまでにある程度の時間を必要とする.拡
散型変態とは別なタイプの相変態の例として,マルテンサイト変態がある.過冷度が大
きくなって,鉄原子の拡散が十分起こりえなくなる温度まで低くなると,拡散を必要と
するパーライト変態が冷却途上の短時間に起こり得なくなり,原子の拡散を必要としな
いマルテンサイト変態が代わって起こるようになる.マルテンサイト変態の開始温度
Ms 点は冷却速度の影響を受けず,マルテンサイト変態が現れはじめる温度を上部臨界
冷却速度,マルテンサイト変態以外が起こらなくなる温度を下部臨界冷却速という.
オーステナイト域から上部臨界冷却速度以上で急冷すると Ms 点までは変態が起こら
ず,オーステナイトを低温までもちきたすことができる.このように,過冷されたオー
ステナイトは不安定であるので,その温度で保持すると,潜伏期を経過したのち,平衡
状態図の示すフェライトとセメン
タイトからなる相へと変態が開始
し,終了する.このように鋼をオ
ーステナイト安定域から種々の温
度に急冷し,その温度に保持した
まま変態させる処理を恒温変態と
いう.共析鋼をオーステナイト状
態から種々の温度に急冷し,その
温度に保持して変態の開始時間お
よび終了時間を測定し,各温度に
おけるこれらの点を結んで変態開
始線と終了線を図示すると図 3 の
ようになる.この線図を恒温変態
図 3 共析炭素鋼の恒温変態線図
線図
(Time-Temperature-Transformation Diagram:TTT 曲線)という.
鋼のオーステナイトを種々の一定速度で冷却し,変態の開始点と終了点を測定し,そ
れらを結び,温度と時間の関係を図示したものを連続冷却変態図(Continuous Cooling
Transformation Diagram:CCT 曲線)という.図 4 に例として共析鋼の CCT 曲線を示
す.図には比較のため,TTT 曲線も併せて示してある.この CCT 曲線を理解するため
の模式図が図 5 である.この図 5 で,(2)よりも遅く冷却すると Ps 線でパーライト変態
が開始し,Pf 線で終了し,最終的には全面パーライト組織となる.一方(4)より早く冷
図 5 共析炭素鋼の
図 4 共析炭素鋼の連続冷却変態線図
連続冷却変態図の説明
および恒温変態図との関係
却すると,オーステナイトは Ms 点まで過冷さ
れ,ここでマルテンサイト変態を開始し,Mf 点で終了し,全面がマルテンサイト組織
となる.(2)が下部臨界冷却速度,(4)が上部臨界冷却速度である.冷却速度が(3)のよう
な上部と下部臨界冷却速度の間で冷却した場合には,パーライト変態が開始するが,全
面パーライト組織となる前に変態が中止し,パーライトと未変態オーステナイトが混在
したまま冷却されていき,Ms 点に達して未変態オーステナイトがマルテンサイト変態
を開始し,Mf 点でマルテンサイト変態を完了し,最終的にはパーライトとマルテンサ
イトが混在した組織となる.
3.4 平衡相分離における「てこの法則」
平衡状態図より共存する相の量比について「てこの法則」というものがある.この法
則について説明する.今,図 6 のような A と B からなる2元系状態図で,組成 C の合
金が,温度 T でα相とβ相に分離している状態を考える.この時,α相の重量分率を
Wα,β相の重量分率を Wβ,α相中の B 質量%を Cα,β相中の B 質量%を Cβとした
とき,その間には以下の関係が成り立つ
(1)
この関係を「てこの法則」という.この法則により 2 相が共存している場合にその質
量比を状態図から読み取ることができる.
図 6 てこの法則
3.5 結晶粒径測定と体積分率測定
結晶粒径の測定方法,組織の体積分率測定方法として,代表的なものにそれぞれ線分
法,ポイントカウンティング法がある.ここではそれぞれの方法について説明する.
(a) 線分法による結晶粒径の測定
まず,結晶粒径を測定する手法の1つである線分法についての説明を行う.測定は以
下の手順に従って行う
1.光学顕微鏡観察を行い,観察した組織を紙面へ印刷する
2.紙面に印刷された組織の粒界をペン等で線を引き,図 7 のように粒界を顕在化さ
せる.
3.適当に線を 20 本〜30 本程度引く.線は印刷された組織の端から端までを一直線
に引く.また,引く本数が多いほど,正確な結晶粒径を測定できる.
4.線が結晶粒界と交わる回数をカウントする.
5.線の長さをスケールと比較して,実際の長さに補正する
6.補正後の線の長さを4で測定した線と粒界とのカウント数で割って平均の結晶
粒径の長さを測定する.
[平均結晶粒径]=[5 で求めた線の実際の長さ]÷[4 で求めた線と粒界が交わる数]
※ 粒径の分布状態や,結晶粒の形によってここで求める平均結晶粒径を補正するこ
ともあるが,本実験では簡便のため,補正は行わないこととする.
図 7 粒界の顕在化
(b) ポイントカウンティング法による体積分率の測定
次に,体積分率を測定する手法の一つであるポイントカウンティング法についての説
明を行う,測定は以下の手順に従って行う.
1.線分法と同様,粒界を顕在化させる.
2.線分法と同様に,適当に線を 20 本〜30 本程度,一直線に引く
3.線が交差する結晶粒の組織をチェックし,数を記録する.
4.線が交差するすべての点の数を測り,測定した結晶粒の数を割る.
[体積分率]=[結晶粒の数]÷[線が交差した点の数]×100
3.6 硬さ試験
硬さ試験にはロックウェル硬さ試験,ビッカース硬さ試験,クロムウェル硬さ試験な
ど様々な硬さ試験方法があるが,ここではその中の代表例としてビッカース硬さ試験の
方法について述べる.ビッカース硬さ試験は対面角α≒136°のダイヤモンドで作られ
たピラミッド形をしている正四角錐圧子を材料表面に押し込み,荷重を除いたあとに残
ったへこみの対角線の長さから表面積 S を算出する.圧子が押し込まれた後の光学顕
微鏡写真の一例を図 8 に示す.試験荷重 F (kgf)を算出した表面積 S(mm2) で割った値
がビッカース硬さ (HV) であり,以下の式で求められる.
(2)
図 8 ビッカース試験による圧痕の一例
3.7 観察用試料の熱処理
試料は軟鋼を用いる.軟鋼とは一般に炭素含有量が 0.08〜0.2%の鋼を言う.試料の
4 種類の熱処理を施す.熱処理の過程を模式的に表した図を図 9 に示す.それぞれの試
料の番号と熱処理条件は,①1000℃まで炉内で過熱し,50h 保持後,水冷.②1000℃
まで炉内で過熱し,50h 保持後,空冷.③850℃まで炉内で加熱後,50h 保持後,空冷.
④760℃まで炉内で加熱し,50h保持後,空冷.⑤未熱処理材.である.
図 9 それぞれの試料の熱処理条件
3.8 実験手順
材料の力学的性質は,組成や加工,熱処理の履歴によって大きく異なってくる.本実
験では,研磨,エッチング,光学顕微鏡観察を行う.
(a) 研磨
まず,種々の熱処理を施した鉄鋼を研磨する.研磨は以下の手順で研磨を行う.
1.研磨面をグラインダーやヤスリなどで平坦に粗仕上げを行う.
2.目の粗い順から耐水研磨紙を用いて研磨する.
3.琢磨盤にダイヤモンド研磨剤を滴下しながら,試料を回転盤に軽くあてて琢磨す
る.
4.研磨による傷や曇りがなくなり,金属光沢が得られるまで琢磨したら,水洗いし
た後,アルコールで水分をとってブロワーで手早く乾燥させる.
(b) エッチング
琢磨したままでは,特別の場合を除き,金属光沢面が観察されるのみで,金属を観察
するためには,次に,適当な腐食液でエッチングするか,加熱着色または電解腐食とい
った処理を施さなくてはならない.本実験では腐食によるエッチングを行う.腐食によ
るエッチングは化学作用によるものであって,組織成分によって化学作用が異なるため,
組織模様が現れる.ただし,エッチングが適当でないと,組織の明瞭さを欠くため判断
を誤ることがある.従って,材質はもちろんのこと,それが受けた加工,熱処理によっ
て,また顕微目的によって適当な腐食液と腐食時間とを選定することが顕微上重要であ
る.鉄鋼用に一般に用いられる腐食液としては,5%硝酸アルコール溶液(ナイタール)
と 5%ピクリン酸アルコール溶液(ピクラール)とがある.前者はフェライト粒界やマ
ルテンサイト境界を顕示するのによく用いられ,後者はパーライト組織を顕示する他,
炭素鋼において広く利用されている.本実験では 5%ナイタールを採用する.試料の腐
食と観察は以下の手順で行う.
1.腐食液を作る.
2.鏡面仕上げした試料に作成した腐食液を塗り,エッチングを行う.
3.十分腐食させた後,エタノールで腐食液を洗い流す.
4.エッチング後の試料を光学顕微鏡にて観察し,撮影を行う.
5.観察試料の実際の長さを測定するため,観察した倍率で,スケールの撮影を行う.
(c) 結晶粒径および体積分率の測定
以上の実験によって,得られた光学顕微鏡組織写真から結晶粒径および体積分率の測
定を行う.測定は以下の手順に従って行う.
1.撮影した金属組織を紙面に印刷する.
2.線分法によって結晶粒径を測定し,ポイントカウンティング法によって体積分率
の測定を行う.
(d) 硬さ試験
①,③,⑤の試料について,ビッカース硬さ試験を行い,硬さの測定を行う.
3.9 設問
1.1.2%C の過共析鋼をオーステナイト域から除冷していった際の相分離および組
織変化について説明せよ.
2.パーライトはフェライトとセメンタイトが層状に配列した縞状組織として知ら
れている.パーライトを構成するフェライトとセメンタイトの体積割合をてこ
の法則を使って求めよ.また,組織観察の観点から,組織の重量割合と体積割
合の違いを検討せよ.フェライト,セメンタイトの密度をそれぞれ,7.86g/cm3,
7.68g/cm3 とする.
3.Fe-C 系状態図に存在する,次の相についてその状態や力学的性質の特徴を述べ
よ.
(a) αフェライト,(b)オーステナイト,(c)セメンタイト
4.今回の実験結果を系統的にまとめよ.(熱処理の違いと,結晶粒径,体積分率)
また,観察された組織について,なぜこのような組織(結晶粒系,体積分率)
を呈したのかを考察せよ.
5.マルテンサイトについて,その力学的性質,利用方法について述べよ
6.①,③,⑤の試料のビッカース硬度についてまとめた表を作成せよ.また,そ
れぞれの試料でビッカース硬度が異なった理由について考察せよ.
[メモ]