ダウンロード

 医療小説 還暦皮膚科医プラハの旅
―お肌のセキュリティーはこうして破られた―
美白の警鐘
お肌とからだの不思議な関係
前田 学 はじめに
」の単行本作成(有限会社オカムラ発行)の延長
本書は第一作目の「皮膚と食(仮題)
線上に突然できあがった小説である。
二○十二年八月に第二十一回欧州皮膚科性病科学会がプラハで開催されたのを機に、プ
ラハでの滞在記を記念に残しておいた。
この短編に二作目予定であった膠原病Q&Aをドッキングさせて、物語風に仕立て上げ
たまでである。つまり、この本で旅行記と膠原病の解説の美味しいどころ取りを狙った形
となった。この方が堅苦しい解説書よりもよっぽど気が利いていると自負している。
小生にははじめての小説であるので、ぎこちない文章やわかりにくい個所もあるかもし
れない。ご容赦頂き、プラハの旅を堪能して頂きたい。
平成二十五年五月 著者記す
3
目次
一、旅立ち
二、沼澤の生い立ち
三、プラハの夜
四、右往左往の学会登録
五、コルベノバの蚤の市
六、出会い
七、プラハ城散策
八、世間話 (皮膚の進化、ホメオスターシス)
九、コーヒーブレイク( 皮膚のバリア障害、アトピー性皮膚炎、洗顔、石鹸・化粧品の害)
十、城外の散歩 (紫外線、陰陽、膠原病、鍼治療、帯状疱疹)
十一、食事に誘う (食文化、牛乳、カルシウム)
十二、ブルノへの旅
十三、シュピルベルグ城 (唾液分泌、糖尿病、腸内細菌、腺異常)
4
目次
十四、外公園散策 (食事回数、古代の癌、赤舌、腸の重要性、トランス脂肪酸の害)
十五、聖ペテロ聖パウロ大聖堂 (神とあの世)
十六、旧ユダヤ地区
十七、さらば、プラハ
5
一、旅立ち
岐阜の朝は暗かった。それもそのはず、朝の五時では無理もない。テキパキと身支度を
済ませ、沼澤秀生は車のエンジンを掛けた。調子は悪くない。家内の運転で新岐阜駅まで
三十分のドライブ。七時前の名鉄急行に乗る予定で、郊外から車を飛ばす。目的地はチェ
コ、まずは中部国際空港を目指す。新岐阜駅前で家内に別れを告げ、沼澤はホームに入っ
た。列車は時刻通り、六時五十三分に出た。一宮からは大きなトランクを抱えたフィリピ
ン女性が数人乗ってきた。タガログ語であろうか、現地語で話の内容がよくわからない。
これで終点まで一本道と思った途端、沼澤は急に安堵感が出た。少し眠い。無理もない。
普段は七時半起きだ。
列車は中部国際空港内まで繋がっている。八時半、沼澤は重いトランクを引っ張って目
指すカウンターを探した。フィンランド空港のカウンターはすぐに分かった。
出発時刻までまだ二時間ある。沼澤は時間潰しに免税ショップで買い物をした。息子と
娘夫妻のためである。昨年二週間違いで二人共結婚したばかりである。折り畳み式のバッ
クを二個買った。ついでに機内持込可能な日本酒の三本小瓶セットも買っておいた。いざ
6
となれば現地でお土産に変身できると考えてのことである。不思議と沼澤はこういう時に
機転が利くのだ。
出発ゲートはAである。フライトに間に合うように三十分も前にゲート前に着いた。記
念写真を撮って窓側席を確保した。いよいよ、出発だ。隣は中年のめがねを掛けた外人女
性が乗り込んできた。離陸シートベルトのサインが消えるや否や、隣の外人女性はパソコ
ンを取り出し仕事を始めた。どこかの研究所のエリートとみえ、フライト中仕事に専念し
7
ていた。沼澤はシャイな性格であまり話しかけない。ここは自分もとばかり、持参のパソ
コンで仕上げ途中の論文の校正に取りかかった。
定刻に昼食が運ばれてきた。ビールは無料だ。フィンランド産とアサヒスーパードライ
の二種という。迷わず沼澤はフィンランド産のサンデルズを選んだ。アルコール度数は四・
七%。はじめてのフィンランドの味を堪能した。暇をもてあましたこともあり、缶ビール
の横顔をスケッチした。瓶ビールであれば間違いなく紙ラベルを丁寧に剥がして記念にし
たところだ。
フィンランドの上空では、森林と湖の多さが目に付いた。民家が申し訳なさそうに点在
するのみで、予想通りだ。
一、旅立ち
午後の三時前にはフィンランドのヘルシンキ空港に着いた。ヘルシンキ空港は寒々とし
ていた。空港の窓からもいたるところに森と湖が目立ち、繁華な影は微塵もない。次のチ
ェコ行きまで数時間のトランジットがあったので、オークバレルというパブでマーフィー
ズ・ピントという黒ビールを堪能した。内部はカントリーウエスタン風のカウンターを囲
むように四角いテーブルが数個規則正しく配列されていた。一杯八・三ユーロドルで決し
て安くはなかったが、味はまずまずである。
チェコのプラハには乗り換えて一時間十分ほどで到着した。空港は意外と綺麗である。
日本の案内所でプラハはタクシーで吹っかけられることが多いと予備知識を得ていた。
荷物到着カウンターでは日本からの団体が来ていたので、ツアー・ガイドの男に確認し
てみたが、やはり同じ意見であった。
とりあえず、すぐ脇にある案内所で交渉した。三十歳台の長身のハンサムな優男で、流
暢な英語で対応してくれた。タクシーによっては値段がまちまちでお勧めはできないとい
う。そこで、知り合いのタクシーはないかと聞くと、まってましたとばかり、日本語を含
め六ヶ国語で印刷したメモを手渡しながら、七百五十コルナでこれ以上は要求しない青タ
クシーを知っているというのだ。
8
相場より二割ほど高いが、手数料として了解した。すると即座に携帯電話で連絡を取り、
空港外のC4ゲートに行くように指示された。行き先も場所のすでにメモに印刷してある。
これが彼の副業と後で気づいた。
その指定場所にはすでに青色のシトロエンが待っていた。メモを手渡して、行き先をベ
ストウエスタンホテルのメテレオプラザと告げた。三十分もかからないらしい。
十数年、ブラジルのリオデジャネイロをリウマチ国際学会参加のために訪問した時、ホ
テル到着までの時間が現地の情報収集にとっても大切だと、ボリビア出身の金持ちから教
9
わったことがある。
初めての外国では物価や給料水準がよく分からないので、乗ったタクシーの運転手に質
問して、パンやミルクや卵、果物などの値段を聞き出し、自国と比較するというのだ。
事実、ハンガリーでの国際リウマチ学会に出席しようとブタペストで、偶然相乗りした
老紳士は矢継ぎ早に運転手に質問し、短時間でその国の特徴を掴んでいた。
一、旅立ち
二、沼澤の生い立ち
沼澤秀生は四国生まれである。昭和二十五年に米屋の長男として生を受けた。本来なら
跡取りである。高校時代の同級生から勧められて最難関の医学部を目指した。しかし、全
て不合格で、一年間という約束で浪人生活に入った。翌年、京都の私立大学を滑り止めに
して、再度受験した結果、運よく国立二期校の岐阜大学に合格した。これを契機にそのま
ま郷里に帰らずに岐阜大学卒業後も岐阜に残ってすでに三十七年岐阜で過ごしている。
沼澤の出で立ちを紹介しよう。身長は百六十二センチ、ウエストは七十九センチ、体重
は五十七キログラムと小柄であるが、ミニ断食と粗食療法が効を奏し、学生時代のスリム
さを取り戻している。二十年前はウエスト八十八センチ、体重六十七キログラムもあった
とは想像出来ない。
健康志向から歩き方は、大股で背骨を中心に左右に腰部を回しながら足をだすインデア
ンスタイルを取り入れ、階段は二段飛びを心がけるほどの熱の入れようである。革靴だと
カツカツと小気味よい音を奏でるのだ。
顔は瓜実でアランミクリの色違いの眼鏡をいくつか使い分けている。頬がややこけてい
10
るので、一見、優男で神経質そうだが、図太いところと小心者の性格が混在する。普段は
おとなしいが、時に堪忍袋の緒がキレるのが玉に瑕だ。
定期健康診断では全ての項目は正常域なので、患者には「目と歯と頭が悪い」と茶化す
のが得意だ。二年前、胃カメラで慢性胃炎を指摘されたことがあるが、おそらく飲み過ぎ
のせいだ。晩酌はウイスキー、焼酎が主で、手始めに熱燗は一合と決め、夏も愛飲する。
11
ただし、ビールはカロリーが高いので倦厭している。
還暦を過ぎると同級生の何割かは神々しい頭となる。しかし、沼澤は若い頃に比べると
髪の量は半減しているが、ロマンスグレーでバランスは保たれている。
還暦をすぎて、
服装やスタイルにも拘るようになった。何にでも没頭しやすいのだ。中・
高校時代には将棋や囲碁、大学時代は卓球部で活躍、団体戦は五番手でアンカー役が多か
った。新婚旅行のパリでは切手を買いすぎて、家内と食事するお金までつぎ込み、顰蹙を
買ったほどだ。
親指ほどの太さにしか成長しないので巾が一センチメートルを越えると途端に高価になる。
背広はイタリア製の濃紺を好むが、ここ一番というときはダンヒルを着る。カフスは高
知沖数百メートルの深さで取れた血赤サンゴが光る。白や桃色のサンゴと違ってせいぜい
二、沼澤の生い立ち
しかし、色は地中海産よりも色が濃いのが気にいって愛用している。
時計は手巻きで外国旅行にはスイス・レビュートーメン社のクリケットだ。歴代の米国
大統領が好んだ時計として有名だ。かれこれ二十年以上も前に購入し、その後、手巻き時
計に嵌った。現在では数十本をその日の気分で選んでいる。迷った朝はリューズを巻けば
そのまま針を補正しないで腕につけることができるものを選ぶ。
毎朝、クリケットはジージーとコオロギのような大きな音で起こしてくれるので、寝過
ごす心配がない。もともとはバルカン社製であったが、その後レビュートーメン社に製作
権が譲渡された。その後、バルカン社が復活すると再度買い戻された。現在はクリケット
という名称は消失し、ただアラームとだけしか文字盤に書かれていない。
大学卒業後に購入したマドラス製の靴をすでに三十七年も履いている。物持ちが良いの
だ。あちこちに皹が入っているが、掃き心地がよいので捨てずにいる。普段はリーガルや
クラークスを愛用する。
財布は黒のオーストリッチと決めているが、ワニ革も愛用する。名刺入れもオーストリ
ッチで小型の手帳の表紙をはずして中にぴったりと組込み、運転免許からカードや切手な
ど盛りだくさんに入れてワイシャツの胸ポケットに収めている。左胸部が膨らむのが玉に
傷だ。
12
沼澤の家内は二歳年下だが、テキサス留学後、絵画や陶器づくりに目覚め、最近はシャ
ンソンにも忙しい。油絵から日本画に変更して十数年、蝶の蘭舞を得意とし、時折入選し
て新聞の片隅に名前が載る。
入選作のタイトルは沼澤が毛筆の腕を振るう。中学時代から万年筆党で半生を過ごした
成果が出たと自負している。ペリカン・トレドやセーラーなどを愛用している。娘と息子
は共に昨年、相次いで結婚して独立し、今は家内と二人暮らしだ。息子夫婦に男子誕生、
13
晴れて祖父の座に就いた。
家の隣は村の公民館の運動場だ。真夏にはアブラゼミやクマゼミが我が物顔に鳴き、時
にツクツクホウシが茶々を入れる。ミンミンゼミが仕切る騒がしいオーケストラだ。
晩秋の夜空は星屑が空一面を彩り、空気が澄んでいるせいで町中よりも星がくっきりと
はっきり見える。今にも落ちてきそうだ。春には庭に雉のツガイが表敬訪問する自然豊か
な土地だ。テキサス留学後、この地に移住し、郡上八幡伝統の漆喰土壁と徳島の焼き杉を
土地柄、招かれざる客も多い。ムカデ、ゲジゲジ、何でもござれだ。だが、ムカデは決
まってギロチンか熱湯の刑が下る。言わずもがな、ゴキブリは百たたきの刑だ。
一階壁に使用した和風住宅を構えた。
二、沼澤の生い立ち
三、プラハの夜
予定通り、ベスト・ウエスタンホテルに到着した。フロントはゼロ階(フロア)にあっ
た。畳一畳ほどの丸まった木製のカウンター越しに六十歳前後の肥満男性が対応した。既
にネットで支払いは済んでいた。当日のバー割引券と案内書を差し出し、明日以後のミニ
旅行セットなど値打ちコースにチェックして、今夜十二時までに申し込みすれば、案内書
の旅行は明日から可能という。
クレジットカードと同じ大きさの電子キーを手渡された。見ると真っ白で何も記載のな
い至ってシンプルなものだ。四階十二号室だ。鍵を開けよう試みたが、どこにも差し口が
ない。
故障だろうかと沼澤の頭に不安がよぎった。
数分間色々試したが、埒が空かない。
再度受付まで出向いて質問した。鍵の上にある一センチメートルほどのボタンの上にこ
のカードをかざすだけで青色ランプが自動的に点滅するので、空かさずドアノブを開ける
とよいと説明された。
14
「そんなことなら初めに言えよ」余り親切でなさそう。
木製ドアを開けると、赤い絨毯が敷き詰めた六畳程度の部屋が見えた。部屋の手前にト
イレと中央部の洗面台の次にシャワー室が設けられ、ベッドの反対側に幅九十センチメー
トルほどの木製机と椅子があった。その手前には五十センチメートルほどの丸いテーブル
と椅子があった。その上方の壁には三角の吊り棚がオーバーハングし、吊り棚上にテレビ
が置いてあった。
15
手前のクロークにトランクの荷物をしまい、必要分は棚に小分けした。一段落したとこ
ろで、日本から持ち込んだ柿の種をつまみにウイスキーの小瓶をストレートと湯割りで味
わう。朝からの強行軍で、酔いのまわりも早く、一早く出来上がってしまった。
沼澤は酔い冷ましがてら街の様子を見ておこうとホテルの外に出た。好奇心が強いのだ。
外はやや肌寒い。火薬塔の門をくぐり抜け、有名なツェレトナー通り沿いに人ごみをかき
分けるように進むと旧市街広場に出た。広場の手前にはディーン教会がそびえ立ち、巨大
プラハの春の動乱ではこの広場にソ連製戦車が乗り込んできたと後で知った。
途中、土産物屋に立ち寄ったが、沼澤にはさして欲しいものもなかった。 昨年嫁にい
なヤン・フス像がほぼ中央部に仁王立ちの状態だ。威厳がある。
三、プラハの夜
った娘にかわいいポシェットぐらいと思って物色したが、二十歳前後ならいざ知らず、既
婚者には幼稚すぎて、やめることにした。しかし、ダイヤ型のボヘミヤンガラス細工は土
産にと思い、赤系と青系の二つを買い求めた。一個九十九コルナ(五百円程)であった。
店によっては片言の日本語を話す店員がいた。小泉首相や福田首相などの名前がぽんぽ
ん飛び出す。政治好きのおじさんは恰幅からしてトルコ系であろうか。トルコにはまだ足
を踏み入れたことはないが、好日派も多いとも聞き及ぶ。折しも来年の本学会は十月初旬
にイスタンブールで開会される予定だ。今から計画を練っておこうと沼澤は思った。
酒屋ではなく、お土産屋を千鳥足ではしごをし、十二時過ぎホテルに帰った。バタン・
キューだ。
沼澤は朝方四時半過ぎに眼を覚ました。酒を飲んで外泊する翌日は不思議と目覚めが早
い。これまでのいきさつをノートに記録するうちに朝を迎えた。
七時過ぎ、一階(と言っても日本の二階に相当)の朝食レストランに出向いた。数名の
先客がいた。バイキング方式なので、まずコーヒー一杯と、トマトジュース一杯をテーブ
ルの上に置き、こじんまりした中庭を眺めながら、パンとソーセイジやマカロニをおかず
に朝食を堪能した。小豆風の豆スープが美味しかった。
16
二組の若夫婦風のカップルがみえていたので、女性に聞くと、昨日夕方、当地に到着し、
夜はドンジョバンニの劇を楽しんだ由。沼澤にはとても劇を見に行く気も余裕もなかった。
三、プラハの夜
17
四、右往左往の学会登録
ガイドブックには学会場のコンベンションセンターのことは載っていない。翌朝、ホテ
ルで場所を確認したところ、地下鉄乗り換えて数駅で着くという。さっそく、ホテル近く
で地下鉄を見つけ、二十四コルナを支払い、切符を入手した。三十分以内なら五駅まで乗
り換え可能と飛行場のタクシーの運転手に聞いていた。購入後、自分でポールに取り付け
てある弁当箱の二~三倍の大きさの専用機械に差し込んだ。自動的に片端に日付と乗車時
刻がスタンプされる仕組みだ。
黄色のBラインから一駅乗ってムステーク駅で緑色のAラインに乗り換えようと数人の
後についてエレベーターに乗った。すると急にプラハの古い町並みの歩道を歩く人達が見
えた。これは出口だと思った矢先に若い男性が反対側から乗り込んできた。乗り換えはど
うしたらよいのか聞いたところ途中まで案内してくれ、指さしてくれた。異国の地で初め
ての感激だ。沼澤は外国に旅行して親切にされるとお礼に多色ボールペンを手渡すことに
している。しかし、このときは余裕がなかった。
18
乗り換えて数駅目の指定の駅を出るとあいにくと雨が降っていた。折りたたみ傘を広げ
たが、風も強く、一時は傘の枝が反転し、あわやお釈迦になるところであった。
面白いことには、歩道から会場にいたるまでの道案内として足跡を模ったステッカーが
ちょうど歩幅と同じ大きさで貼ってある。このアイデアには、さすが欧州と舌を巻いた。
会場内はかなりな混雑で、まず登録する場所がどこなのか、まごつく。適当なブースに
並んで、ネットによる展示の申込をしてあると伝えたが、どこにも登録した形跡がないの
19
だ。まず登録受付で再確認しては、という案内を受けて、初期登録の列に並んだ。
小粋な中年女史にすでにスイスの本部あてにファックスしてある旨の説明をしたが、未
登録との由、仕方なく、ビザ・カードで約十万円の登録料を支払った。日本では同程度の
学会では数万円程度なので、割高感は否めない。
その後、指定のところで、バッグと抄録集をもらって、ボスター部を確認したところ、
なんと、姓と名前が逆になっているではないか。
前で検索しても見あたらないという。万一、二重払いの際には、本部で適当に処置しても
リントに関しては当方の感知するところではないと冷ややかな態度。しかし、どちらの名
当方の入力ミスなのか、それとも本部のミスかはわからない。が、少なくとも受け付け
ていることは確かと考え、再度、先ほどの女史にこの旨を申し出ると、少なくともミスプ
四、右往左往の学会登録
らえるはずという言葉を信じて、その場を立ち去った。
この学会は欧州の各国の皮膚科医と性病医の会員が参加者の大多数を占め、五日間に渡
る学会参加者も数千人以上と聞き及ぶ。欧州以外には米国やアフリカや韓国、インドネシ
アなど各国からも第一線の皮膚科医が参加していたが、日本人は数十人程度と比較的少な
かった。
初日には順天堂大学の藤平先生に挨拶できたが、特別講演に招待され、すでに発表を終
えていた。学会登録時のごたごたで参加できなかったのだ。日本でも著名な先生で何度か
講演を聞いていたものの、異国の地での拝聴を逃したのは残念至極であった。
学会で感じた第一印象は、ほとんどスポンサー丸抱え状態だということだ。日本では、
製薬会社や医療機器会社がスポンサーとなったランチョン・セミナー(昼の弁当付き講演
会)やモーニング・セミナー(軽食付きの早朝の講演会)が普及してきているが、それで
も学会担当の各大学は自分達の特徴を出そうとして必至で運営しているのが現状だ。
しかし、見たところ、担当大学のスタッフらしき人物も見当たらない。屈強なガードマ
ン達が指定のネームカードを胸にぶら下げているかどうか確認するのに躍起となっている。
無理もない。高い参加費を払って手にいれた参加証こそ水戸黄門の印籠と同じなのだ。
20
最近の学会も運営費用がかさむので学会員の参加費だけではまかないきれない。そのた
め参加人数を増やしつつ、各種のスポンサーに経営の一部を肩代わりしてもらっているの
が現状だ。
収入に直結するスポンサーの数をみると日本の比ではない。その証拠に提供した金額別、
金銀銅別に一覧表にした立て看板を最も目立つところに展示してあるからだ。その分、ス
ポンサーを重視しているのだ。
21
ランチョン部門では透明パック入りの日本の寿司が部屋の隅に山と積まれ、自分で適当
に飲料水とともに持って行くスタイルであった。内容は言わずもがな、スポンサーの息の
かかった発毛剤の良さをアピールして終了となった。
各種の製薬会社や医療機器メーカーのブースでは思い思いの工夫で人集めに躍起となっ
ている。コーヒーやドリンク、ドーナッツなどを無料で振る舞うところや、クイズ形式で
人を呼び込み、無料のバッグやサービス品を配布するところなど、自社製品の宣伝に力を
いれている。さしずめ日本の祭りに登場する屋台さながらだ。
四、右往左往の学会登録
五、コルベノバの蚤の市
蚤の市は毎週土曜日午前中に開催される。チェコ市民の味方となっているようだ。ガイ
ドブックを参照に朝から、直接会場に足を伸ばした。一般民衆の出る方向についていくと
自然に会場の入口に到達だ。二十コルナ銅貨を入れると、一人分、ステンレス製バーが動
いて自然に内部に吸い込まれた。
一コルナは約五円なので、百円程度でさして高くはない。会場はサッカー場ほどで結構
広い。まだ展示途中のものやすでに開店しているもの様々だ。タイヤを積み上げた店や卵
などの新鮮な食糧品店、骨董、雑貨もの、衣服、菓子類など多岐にわたる。
まず、眼に付いたのが額入りの版画でプラハの町並みを見事に表現していた。聞くと
二百コルナという。小ぶりなものは値段百三十コルナだ。しばらく考え込んでいると二個
で三百コルナまで値下げしたので、買うことにした。その数区画奥に老爺さんの骨董品が
並んでいた。天秤の上に四〜五センチメートルほどの四角い真鍮製目覚ましが置いてあっ
た。ダイヤルは白のポーセリン製で隅は欠けていたが、一九二二年と裏蓋には彫られてい
た。いかにも風格があり一目惚れしたが、ねじを巻いてもチックタックの音がしない。当
22
初は千コルナの言い値だ。
悩んでいると手を広げ八百コルナとジェスチャーした。二度も回ったが、これ以上は無
理という。しかし目覚ましの音は鳴るが、動いている形跡はない。修理できるかどうかが
問題のため見送った。
その後、チェコ製のコーヒーカップペア百コルナ、銅板画二枚百コルナ、菓子、チョコ、
お茶などを買い求め、最後は工作用精密ヤスリで買い物終了だ。このヤスリは両頭に工作
23
面が仕込まれ、長刀状にカーブしている代物だ。はじめ一種を七十コルナで買い、より小
型の二種類も各五十コルナで追加した。
十一時過ぎには会場を後に、地下鉄に乗り、学会場に立ち寄り、この学会の全展示の発
表をコンピュータで検索・閲覧できるイーネット展示を二時間ほど閲覧した。
ではない。重いトランクもさして問題ない距離だ。
あり、百番空港行きバスはもっと離れた四番であったが、百メートルほどでさしたる距離
会場の案内係で教えてもらった帰りの空港行きの百番バス乗り場を確認のために赤のC
線から黄色のB線に乗りかえ、終着駅に降り立った。階段を上がるとバス発着場が目前に
五、コルベノバの蚤の市
時間にしても地下鉄は三十分ほどで、百番バスは二十五分ほど所要とのことだ。合計一
時間もあれば十分だ。なら高いタクシー代も不要で、バス代は運転手から買っても四十コ
ルナだ。
安心して終着駅に戻り長いすで座っていると、紺系色制服を着た短髪の中年女性が切符
のチェックをしているところに遭遇した。初めてのことなので、仔細に観察し、ノートに
メモっておいた。
24
六、出会い
出会いは突然やってくる。路面バスでロープーウエイ乗り場を目指して、地図を広げて
いたとき、いきなり「どこに行きたいのですか」と一人の女性が日本語で聞いてきた。顔
を上げると五十歳位のこぎれいでスリムな女性で黄色いワンピースを着ていた。後で名前
25
は倉持富士子で、昭和三十七年寅年生まれとわかった。
「 ロ ー プ ー ウ エ イ 乗 り 場 で す 」 と い う の が や っ と で あ っ た。 不 意 打 ち を 食 ら っ
沼澤は、
た格好だ。
「今度くるトラムでいけますよ。私も同じトラムで家に帰る途中ですから、ご一緒しまし
ょうか」
「そうですか。それは好都合です。ではお言葉に甘えまして案内してください」
沼澤は富士子と共にトラムの中ほどのシートに隣り合って座った。
「いつ、このプラハに来たのですか」
「主人が貿易関係の仕事で世界のあちこちに移住しています。この前はニューヨークでそ
「そうですねえ。かれこれ半年になります」
六、出会い
の前はロンドンだったかしら」
富士子は久しぶりに日本語で話ができるのがよほど嬉しかったのか、次々と話を続けた。
「私がここへ来る一週間前に主人は単身でこのプラハにきていたの。ところが、地下鉄で
いきなり財布をすられたんですよ」
「本当ですか」
「なんでもこのプラハは観光都市のわりには観光客にはやさしくないんです。きっと、ジ
プシーの血が混じっているせいでしょうね。人のものは自分のもの、自分のものは自分の
ものというわけね。全く、いやになりますね」
沼澤は学会で数日前からこの都市にきていることや、仕事のことをはじめ、空港での出
来事など一部始終を話した。
「そうなの。空港のタクシーもぼってくるんです。だから、年頃の女の子を持っている家
庭では知り合いに迎えを頼むほどですよ。これでは天下の観光都市が泣きますよね」と富
士子は合槌を打った。
異国の地で同国人に出会った嬉しさから、世間話に話が弾み、ついお互いの身の上話に
なった。
26
「ところで、先生はどうして皮膚科を志望されたのですか」
「そうですね、当初は私も内科を志望していたのです。卒業間近は数ヶ月布団を被って悩
みぬきました。一つは死に直面する例は避けたいというのが最大の理由ですね。人は遅か
れ早かれ必ず死ぬ運命で、これは誰にも止められない。下手に細工しても所詮は同じと考
え、ならば、生前中は生活の質、つまりQOLをより高めることがより充実した人生につ
ながると考えたのです」
27
沼澤は続けた。
「もう一つは、自分の生活のことを考えたのです。臨床家になれば、朝から晩まで二十四
時間拘束されることはやむをえないのですが、他科と比べると比較的自分の時間を持てる
と考えたのです。因みに、米国では皮膚専門医になるのは狭き門で、上位数番以内の優秀
な成績の学生でないとまず不可能とも聞いています」
「皮膚科にもいろんなご専門があるのでしょう?」と富士子は聞いてきた。
「はい、その通りです。腫瘍や手術専門、膠原病やアトピー性皮膚炎など、最近では美容
外科も人気のひとつです」
すい科のひとつですよね。しかし、このことは裏返せば誤解や差別が見え隠れする原因の
「昔から皮膚病にはやけど、しろなまず、たむし、とびひなど俗名がとても多くなじみや
六、出会い
ひとつです。熊本大学の小野友道教授は、皮膚は差別と偏見の歴史を背負った『世間』を
反映していると言い切っているほどですよ」
「世間ですか」
「はい、小野教授は古来の化粧や入れ墨の歴史にも造詣の深い方ですからね」
数駅で目指す駅に到達した。思いがけず話が弾み、名残惜しくなった二人は連絡先を交
換して別れた。
指示された駅を目指して路地を縫うように歩いてようやくロープーウエイの乗り場にた
どり着いた。ここで学会が参加の記念として全員に配布してくれた期間限定の無料パスを
取り出そうとして、初めて財布のないことに気づいた。
ああ、しまった。あの時か、トラムに乗る前の地下鉄で中年女性が、切符のチェックを
している様をメモ書きしていた時だ。沼澤の脳裏をよぎった。沼澤の背後で数人の若い男
性も高みの見物していると思い込んでいたが、記録に気を取られ、ほとんど印象がなかっ
た。このとき以外、財布をすられる可能性はほとんどない。
そのことに気づいたが、後の祭りであった。しかし、幸いにもパスポートや日本円は別
の予備の財布に移してバックの奥底にしまっておいたのは、不幸中の幸いであった。
28
七、プラハ城散策
翌日、沼澤は六時過ぎに目を覚まし、朝の七時から開いているロビー奥のレストランで
バイキングスタイルの朝食を取った。
わたくし、主人が出張中ですか
29
小雨模様の中庭を眺めながらゆっくりと食後のコーヒーを啜った。
部屋に戻りホテルから昨日の倉持富士子に電話した。
「もしもし、倉持さんのお宅ですか。沼澤です。昨日は本当にありがとうございました。
お陰様で楽に目的地までいけました」
「いえいえ、どういたしまして、ロープーウエイはいかがでした?」
「それが、トラムに乗る前の地下鉄で財布をすられたことに気づいたのです。うかつでし
た。パスポートと日本円は別の財布に入れていましたので、被害は数千円ほどでその他は
図書券数枚で済みました。不幸中の幸いでした。学会が支給してくれた無料の乗車パスも
ら、一日暇ですよ。どこかご案内しましょうか」
「それではゆっくり街をご覧になれなかったでしょう?
取られちゃったので、ロープーウエイには乗ることができなかったのです」
七、プラハ城散策
「よろしいのですか? では、お言葉に甘えましてプラハ城を案内していただけると幸い
です」
「わかりました。城近くの駅で待ち合わせしましょう」
電話を切ってから、沼澤はカジュアルな綿のパンツに半袖のシャツにニットジャケット
を羽織って、ホテルを出た。
十センチ角の石畳の上を歩いて近くの地下鉄の駅の階段を降り、黄色のBラインのナメ
スティリバブスキー駅から一駅乗ってムステーク駅で緑色のAラインに乗り、マロストラ
ンスカ駅の地上にでた。近くのトラムの駅前で富士子と出会った。東洋人同士なので分か
りやすい。
「ホテルから順調に来られました?」
「ええ、地下鉄は三色に色分けされているのでありがたいですね」
「でも、プラハの地下鉄は何の予告もなく四六時中工事中のことが多いので、現地で暮ら
す私たちも困ってしまうのです」
二人はプラハ城を目指して坂道を登った。
プラハ城は小高い丘の上に荘厳な佇まいで天に向かってそびえていた。小春日和の午前、
30
太陽の光がやけに眩しかった。アランミクリのサングラスでも遮断の効果はさして期待で
きそうもない。小高い丘からプラハの街並が一望できた。さすがに欧州の古都、日本の京
都と比べても遜色ない。
沼澤は好奇心が強い。
プラハ城に続く小道を適当に散歩しているうちに、車の前部のナンバーブレートの中央
部にある二つのピンポン玉大の空白に気づいた。
「この空白は何のためですか?」
31
「さあねえ、私はあまり車には興味がないのです」
ナンバープレートは日本のものと異なり、横に細長いタイプで恰好がよい。ほどなく、
空白の正体が判明した。納税と車検の証書を貼るためのものだ。
後部のプレートを見ると黄色と緑の二種があり、丸く書かれた年月の期限の一部が欠け
ていた。有効期限と一目で分かる。
「ええ、英国の門番もすてきなので、私、大好きです」
数百メートルほど進んだところで、門番が二人直立不動で立っていた。
「いつみても凛々しいですね」
七、プラハ城散策
二人は凛々しい姿を横目に内部に入った。さすがに壮大で薄黒く一部は黒光りした像が
天に向かって突き出し、迫りくる迫力は筆舌に尽くしがたい。この荘厳で畏敬の念に駆ら
れる様を他人に説明するだけの力量がないのが残念だ。日光東照宮などの雅やかなものと
は異質である。
32
八、世間話 (皮膚の進化、ホメオスターシス)
プラハ城内を散策しながら、世間話に花が咲いた。
「そういえば、あなたの専門は皮膚科でしたよね。最近、肌がかさつくんです。アメリカ
に住んでいた頃は気にならなかったのに、こちらに来てから余計にかさついて困るの。病
院もまだ不慣れですし……」富士子は話を持ちかけた。
沼澤はここぞとばかり得意げに話し始めた。
「皮膚は表皮と真皮と皮下脂肪組織の三層からできあがっています。表皮は○・一~○・
二ミリメートルの厚みしかないのです。ちょうどセロファンテープを二~四枚重ねた程度
ですから、ひっかいただけでも傷ついて真皮にある毛細血管から出血して血がにじむこと
になるのです。この真皮まで含めると数ミリメートル程度の厚さで、ちょうどバックスキ
ンと同じ程度です」
「バックスキンって、あの表面が毛羽立った革のことですね?」
「ええ、最下層の皮下の脂肪組織を完全に取り除いた状態です。この取り除く作業を革を
33
「そうなんですか」
八、世間話(皮膚の進化、ホメオスターシス)
なめすというのですが、欧州は昔からこのなめす技術がすばらしいのです」
「よくご存じですね。だからイタリアやフランスの革は素晴らしいと好評なんですね」
富士子は男を立てるのが得意のようだ。貿易商社の妻なら、この程度の知識はあるはず
だと沼澤は見抜いていた。
しかし、おだてられると豚も木に登る。
「完全に取り除かないと脂肪は油の一種ですから、変性しやすく、品質を保てないのです。
この皮膚は心臓や肺、脳に比べて最も進化した臓器で、他の臓器に比べて、最大に重くて
二キログラム、表面積も一・六平方メートルと最も広いのです」
「二キロもあるんですか? 思ってもみませんでした」
城の広場を横切りながら、沼澤は続けた。
「皮膚は地球が四十六億年前に誕生して、その後単細胞ができ、魚類が生まれました。
魚類の鱗はカルシウムでできています。その後、両生類が出現し、皮膚はケラチンという
蛋白質に変化しましたが、わずかに一層か二層しかなかったので、皮膚が非常に弱く、陸
上のみでは皮膚が持たないので大半は水中で過ごす必要があったのです」
「だからなのね、すぐ、蛙が水の中に飛び込むのも」
34
「ちなみに人間の角層は二十層ですが、両生類は人間の十分の一の薄さしかないのです。
ですから、すぐに水の中に入らないと長くは陸上でいきていけなかったのです。その両性
類から次は爬虫類ができて、さらには恐竜の世界になったことはご存知ですよね」
「はい、ジュラシックパークの世界ですね」
「人間に近いチンパンジーと比べてもこと皮膚に関しては大きく違うんです。チンパンジ
ーは全身毛で覆われていますが、人間は逆で、全身の毛が無くなり、ごく一部にしか硬い
毛が残っていません。しかも体の各部分をみても、手足の裏と体でも厚さも構造もすでに
いう余分な層があるのです」
富士子はまじまじと自分の手の平を眺めた。
「へえ、そうなの。初耳だわ」
「外から刺激を受けやすい足の裏や手の平はその分、表皮を厚くして外からの刺激から身
を守っているということですね」
沼澤は富士子の手指を眺めて右中指の第一関節部にペンだこのあることに気づいた。
「このペンだこが分かり易い例ですよ。毎日ペンを持つと中指にタコができますよね。こ
35
違うのです。手足の裏は学問的には掌蹠といいますが、角層の下にこの部位だけ透明層と
八、世間話(皮膚の進化、ホメオスターシス)
れは外からの刺激を受け、皮膚が厚くなり、容易に皮膚が破けるのを未然に防いでいるの
です。タコを削ってもしばらくすると元の木阿弥になるでしょう。人間の体は極力、余分
なことをしないような仕組みになっているのです。常にすり足を使う剣道家では足の裏は
皮が厚くなるのもその必要性があるからです」
「人間の体ってよくできているのですね」
「そうですよ、たとえば、風邪の時に熱がでるでしょう。発熱するとウイルスは高温に弱
いので、あえて体は熱を上げてウイルスが増殖・発育しにくくしているので、薬で熱を事
前に下げすぎると、治るまでの時間が余計にかかってしまうのです。このように体はとて
も優れた仕組みになっていて、色々な反応には必ず必然性があるのです」
「私たち医療従事者は患者さんの治癒力を助けて自然治癒に導くだけが仕事なのです。最
終的には各個人の治癒力如何で病気の経過も変わるのです。長く罹っている病気ならそれ
と同じ期間を要するし、短期間で病気になったら短期間で治るというのが基本ですよね」
「おっしゃる通りね。病院に受診すればそれでこと足りるとはいかないようね。でも、治
そうとする本人の意志も大切なんでしょう」富士子は質問した。
「その通り、絶対に治らないと思い込んでいる患者さんは治りませんね。むしろ、病気で
36
あることが免罪符になって社会的にも快適に過ごせる場合もありますから」
「よくわかるわ、その気持ち、私の友達にそういう人がいますよ。彼女は家庭内不和でと
ても悩んでよく相談を持ちかけられるんです」
「変調や痛みや色々な不定愁訴は自分を見なおすきっかけとなるのです。その意味では病
気を通じて本来の自分を見なおして、以後注意を払うので、いわばホメオスターシスとも
いえるでしょうね」
「ホメオスターシスってどこかで聞いたことありますよ」
とで、生物の生存には必須といえます」
「ところで、患者さんの中には色々雑多な不定愁訴をこんこんと訴える人がいます。私は
個人的にはうだうだ型に分類しているのです。この型はこれまで数十年観察して、意外に
悪くならない人が多いですね。不定愁訴をあらいざらし訴えることで心のわだかまりを発
散してストレス解消している面も見逃せませんよね。これも一種の防御反応、つまり、ホ
メオスターシスとも考えられます」
「そうなの、先ほどの友達も全く同じ性格ね、日本ではあちこちの病院を転々と回ってい
37
「内部や外部の環境が変化しても常に一定の状態に保とうとする生物が有する恒常性のこ
八、世間話(皮膚の進化、ホメオスターシス)
るのに、さして病気は進まないようね」
「むしろ、一切、愚痴をこぼさない寡黙タイプの人は急激に悪くなることがあるので要注
意というわけです」
「そうねえ、人は時々堪忍袋の緒が切れて、すっきりするというわけよねえ」
「その通り。人は理性と感情の両方のバランスが大切で、東洋医学の陰陽の関係と同じと
いえるでしょうね」
「人はとかく、かく有るべきと初めから枠にはめたがりますが、柔軟性こそ大切ですよ。
もちろん、伝統や格式を守って子々孫々に伝えることも大切ですが、常に回り続ける必要
がありそうですね、ちょうど独楽のように、回ることで安定するのです。地球も自転し、
かつ太陽の周りを回ることで逆に安定しているようなものです」
「ちょっと話題がそれましたね――」
「お茶にしましょう」
38
九、コーヒーブレイク
(皮膚のバリア障害、アトピー性皮膚炎、洗顔、石鹸・化粧品の害)
文することにした。
城壁は夕日に照らされ、荘厳さに気品すら漂っていた。
沼澤はカフェのトイレを借りることにした。中に入ると床は白系の大理石を敷き詰め、
十センチメートル角の空色のタイルを壁一面に張り込んだこぎれいなトイレだ。洗面所に
はハンドソープが備え付けてあるが、沼澤はめったなことで使用しない。皮膚のバリアの
保護を優先する目的でだ。
沼澤がテーブルに戻るなり、富士子が聞いた。
「私は紅茶、あなたは?」
「ブラック・コーヒー」
「いつもブラック党ですか」
39
話のつきない二人は散策に疲れ、城の片隅にあるカフェにて休憩することにした。夕日
に照らされたプラハ城からブルタバ川が一望できる角のテーブルに陣取り、ドリンクを注
九、
コーヒーブレイク
(皮膚のバリア障害、
アトピー性皮膚炎、
洗顔、
石鹸・化粧品の害)
「ええ、本当は甘党で和菓子が好きですが、砂糖類は極力セーブすることにしています」
しばらくするとプラハの民族衣装を着た二十歳台のウエイトレスが注文品を運んできた。
沼澤はコーヒーをすすりながら話を続けた。
「皮膚の最大の役目は外のものを内側に侵入させないと同時に、内側のものを外に出させ
ないようにしているということです。これを専門的にはアウトサイド・インサイド・バリ
アと呼んでいます」
「たとえば火傷のことを考えれば分かりやすいでしょう。火傷で水疱やびらんができると
体液を喪失して、面積が広いと命にも関わりますよね。さらに外から細菌感染も起こりや
すくなりますから、内と外両面で大切なのです」
「まず、角層を第一のバリアと呼んでいます。この角層の直下に顆粒層と呼ばれる特殊な
層が二〜三層あります。顆粒とはツブツブのことですが、顕微鏡でみると顆粒層の一個一
個の細胞の内に青黒いツブツブの顆粒があるのが分かります。このツブツブのケラトヒア
リン顆粒からフィラグリンという特殊な蛋白が分泌されて、角層の内部に移動し、アミノ
酸に分解されて天然保湿因子として働くのです」
「角層細胞は細胞の核が無くなって、いわば死んだ細胞になります。屋根の瓦が積み重な
40
っている状態と考えるとわかり易いでしょう。この瓦にあたる角層は二十層あるのですが、
めるように角層間同士の間を埋める特殊な油があるのです。これを細胞間脂質と言います。
この脂質はセラミドが主で十三種類あることが知られています」
沼澤はテーブルに中央部にあったペーパーナプキンに簡単な図を書きながら説明した。
「アトピー性皮膚炎ではこの脂質という油が重要でセラミド・ファイブが少なくなって、
かさかさの乾燥皮膚になりやすく、最近ではフィラグリン蛋白を作る遺伝子異常のあるこ
とも分かってきているのです。しかし日本人のアトピー性皮膚炎患者ではこの蛋白異常は
二割強にしか見られませから、アトピー性皮膚炎の全ての原因を遺伝子のみに押しつける
ことはできませんよね」
「まあ、最近は随分研究も進んでいるのね。実は私の甥もアトピー性皮膚炎で治療してい
るの。甥にも遺伝子異常があるのかしら」
「残念ながら、この遺伝子検査は特殊な施設でしかできません。もう少し普及するとよい
ですね」沼澤は続けた。
「先ほどもっとも外側にある角層は二十層あると説明しましたよね。この角層のすぐ下に
41
ただ積み重ねているだけでは、ずり落ちてしまいますよね。そこで瓦と瓦の間に粘土を詰
九、
コーヒーブレイク
(皮膚のバリア障害、
アトピー性皮膚炎、
洗顔、
石鹸・化粧品の害)
二〜三層の顆粒層があり、その層の最も上の層に密着結合(密着帯)、つまりタイトジャ
ンクションがあって、蜂の巣状に分布して二番目のバリアとなって、内外から容易にもの
が出入りできない仕組みになっているのです」
沼澤はもう一枚ペーパーナプキンを取り出して、簡単な模式図を描いた。小中学時代、
図工は五を取っていただけあって、スケッチは得意なのだ。
「いいですか。くどいようですけどね。表皮は上から角層、顆粒層、有棘層と並び、最も
下に基底層があります。この基底層の細胞が分裂して次々に有棘層から顆粒層、さらに最
後は角層へと移動するので、この過程を角化と専門的には呼んでいます」
「一ヶ月から一ヶ月半で、表皮の細胞はすべて入れ変わるって、どこかで聞いたことがあ
るわ」
「よくご存じですね、意外に早く再生するのです」
「女性は肌には敏感なのよ」
「はい。ですから手荒れや皮膚炎では、綿の手袋を着用させて、完全に外からの刺激をシ
ャットアウトすると、理論的には一ヶ月から遅くとも二ヶ月で自然治癒するということに
なりますよね。ですから私は外からの刺激かどうか見極めるため、一ヶ月ほど綿の白い手
42
袋を一日中着用させることにしています」
「外からの刺激が関わっているだけなら、見違えるほど良くなるはずです。内部の因子、
つまり内因が関わっているのなら、ほとんど皮膚は良くなりませんよね」
「その通りね。よくわかりますわ」
「さきほども説明しましたが、最外層の角層は二十層あります。表皮全体の厚さはセロフ
ァンテープ二~四枚程度でも、角層はサランラップ一〜二枚程度の薄さしかありません。
そこを、タワシやナイロンタオルで擦ると、皮膚バリアが壊れて色々な抗原、つまりアレ
ルゲンがたやすく真皮に入り込んで、かぶれや皮膚炎ができるということになりますね」
「韓国式垢すりは何度か試したことがあるのよ。そのときはとても気持ちよかったのです。
でも、肌にはむしろよくないのね」
「その通り。皮膚科専門医の立場からはお勧めできませんね。バリア破壊を起こしかねな
いからです」
わが意を得たとばかり、沼澤は熱弁を振るった。大学の講義でも自己陶酔する嫌いがある。
「皮膚炎ができる仕組みはかなり複雑ですが、参考までに説明しておきます。表皮の有棘
層には骨髄から運ばれてきた樹状細胞、つまりランゲルハンス細胞が重要な役目を果たし
43
「するとどうなるの」
九、
コーヒーブレイク
(皮膚のバリア障害、
アトピー性皮膚炎、
洗顔、
石鹸・化粧品の害)
ているのです。一ミリ平方メートル中に千個ほど存在して、光が当たると数が刻々と変わ
るのです」
「とても繊細なのですね」
「この樹状細胞が触手を伸ばして表皮の上の色々な抗原、つまりアレルゲンを認識すると
真皮内に移動して所属リンパ節でT細胞を活性化させ、記憶T細胞が再び表皮に戻ってく
るのです。しばらくして同じ抗原が再び表皮にくると、その部の表皮の内部でスポンジの
ような浮腫、つまり海綿状態が作られるのが、かぶれや皮膚炎の病態というわけですね」
「あら、一口にかぶれと言っても複雑なのですね」
「しかも、この樹状細胞の触手は顆粒層のタイトジャンクションに特殊なシグナルを出し
て表皮側にすり抜けることが最近分かってきたのです」
「すると、その触手が手当たり次第にアレルギーの元を感知するってわけですね」
「ご名答です」
「もうひとつ、皮膚はシート状になってはじめてその価値が上がるのです。皮膚をゴシゴ
シと擦ると皮膚のバリアが破壊されて色々な刺激物や抗原が勝手に入り込むので困りもの
ですよね。私は皮膚をコウモリ傘にたとえ、ピン穴一つでも雨漏りするので、かさかさの
皮膚は破れコウモリ傘だとたとえて説明します」
44
「面白いたとえね」
一つない状態で初めてバリア機能としての本領を発揮するということです」
「その通りね。よくわかりますわ」
「ちょっと、失礼」富士子は席を立った。
富士子が化粧室に行っている間、沼澤は窓からブルタバ川を遊覧する船をながめていた。
夕日に照らされた船は各々の領有場所を誇示するかのように威厳に満ちている。
まもなく、富士子がハンカチで手を拭きながら戻ってきた。席に座るなり、「綺麗なト
イレでしたね」
「ハンドソープは頻繁に使用する方ですか」沼澤は確認をいれた。
「ええ、綺麗にするのは当たり前ですから」
「あなただけではありませんよ。日本人は世界でも稀なほど潔癖症が多くて、きれい好き
が多いでしょう」
「ええ、そうね」
「つい、洗いすぎて皮膚のバリアを壊してしまう患者さんが多いので、『極力洗うな』と
45
「はい、傷一つ無いシート状になって初めてコウモリ傘が商品価値をもつように皮膚も傷
九、
コーヒーブレイク
(皮膚のバリア障害、
アトピー性皮膚炎、
洗顔、
石鹸・化粧品の害)
いさめている毎日ですが、馬耳東風、馬の耳に念仏状態ですね」
「二十層の角層は自然に剥がれ落ちていきますから、自浄作用があるといえるのです」
「神社に参拝する前には柄杓で水を汲んで両手を清めて、神に参拝する禊ぎの風習の延長
上に朝の洗顔や入浴があると知ったのが、つい数年前です。それまでは私も朝は洗顔する
ものとばかり信じて疑いませんでした。この事実を知ってから、物は試しに、朝の洗顔を
完全にやめてしまったのです」
「ええ〜、そうなんですか。そういえば、女優の黒木瞳やタレントのはるな愛も洗顔しな
いと聞いたことあるわ」
「皮膚には毛や汗腺などの皮膚附属器があって、毛の付け根には油を分泌する皮脂腺が備
わり、毛根を通って皮膚の表面に皮脂という油を分泌してコーティングしているので、乾
燥に強くできているのです。ところが、毎日油や化粧品で人工的にコーティングしている
と、皮脂分泌はこれ以上必要としないので、皮脂腺が徐々に怠けるようになって退化する
のです。ある日突然、この油や化粧品の補給を止めるとどうなると思います?」
「そうね、私もよく経験するわ。カサカサになって困るのよ」
「その通り、退化した皮脂腺は急には働かないので、油の補給が滞るせいなのです」
46
「私はこれを親が子供の宿題を毎日肩代わりし、ある日突然止めることに似ていると説明
力ではないでしょう。油補給も化粧品も同じですよね。本当に子供が宿題で困った時にこ
そ手助けする程度で十分なはずでしょう。入れ込みすぎると逆効果になるのです」
「現在流行っている色々なサプリメント補給も同じことが言えるでしょうね」
「頼りすぎはだめというわけ」
「その通り、自立・独立のよさをもう一度見なおすことが必要ですね」
「最近、日本で茶のしずく石鹸が人気女優の宣伝効果もあって、爆発的に売れたのですよ。
その数、予想できます?」
「さあ、何万個という単位ですか」
「実に驚くなかれ、四千六百万個以上も売れ、日本人の十人に一人がこの石鹸を使った勘
定になるのですよ」
「その結果、何が起こったか想像できますか?」
「なんでしょう、かぶれか何か?」
「顔面のはれは当然ですが、蕁麻疹やアナフィラキシーショックが起こって救急搬送され
47
することにしています。学校では成績がよいのは、親が丸抱えのせいで、決して子供の実
九、
コーヒーブレイク
(皮膚のバリア障害、
アトピー性皮膚炎、
洗顔、
石鹸・化粧品の害)
た例があるのです。現在千八百人以上の被害者がすでに分かっています」
「よくわからないわ。どういうこと」
「そうでしょうね、順を追って分かりやすく説明ししましょう。まずこの悠香石鹸はきめ
細かい泡立ちが特徴で、もちもち感を出すため、加水分解小麦を入れたのがつまずきの初
めでした」
「加水分解小麦?」富士子は聞きただした。
「ええ、正確にはグルパール十九エスという蛋白質の一種のことです。洗顔するときにゴ
シゴシ泡立てて擦るものだから、皮膚のバリアが壊れ、しかも石鹸の界面活性作用も手伝
って直接皮膚の内部に入り込み、この小麦の蛋白質を体が覚え込んでしまったのです。こ
れを専門用語では感作されたというのです。その結果後日、パスタやパンなどの小麦製品
を食べて、散歩や買い物などの軽い運動すると、腸から小麦が吸収されて、顔の目の周り
に浮腫がでるというわけです」
「食物アレルギーって、普通は全身に蕁麻疹がでるんですよね。夫もアメリカにいる頃、
小麦のアレルギーで大変だったことがあるの」
「通常型の小麦アレルギーは全身に蕁麻疹が出るのが多いので、この加水分解小麦のアレ
ルギーの出方とは少し様子が違いますね」
48
有効成分の分子量の大きさはせいぜい数十程度とものすごく小さいので皮膚に吸収できる
のです。加水分解小麦のグルパール十九エスは分子量が五万以上と尋常では考えられない
ほど大きいのですが、バリアが破壊されて、堤防が決壊した状態ではどんどん体内に入っ
てしまうのです」
「ちょっと待って。小麦製品を食べただけならいいの」
「はい。でも腹いっぱい食べた後は寝ていれば問題ないでしょうが、動きたいのが人です
から、運動すると余計に腸の絨毛から小麦のグルテンやグリアジンが吸収されて発症する
というわけです」
「すると、顔を洗うのが悪いというわけ?」
「そうです。先ほども洗顔は汚れているから洗うのではないといいましたね。神に対して
清める禊ぎの延長が洗顔や入浴ですとね。入浴時にもナイロンタオルでゴシゴシ擦るとダ
メです。体を温めてリラックスするだけで十分なはずです」
「よくわかりました。皮膚は綺麗にするのがベストとは限らないのね」富士子は続けた。
49
「コルチコステロイド外用剤やプロトピック軟膏は顔面の皮膚炎の治療によく使いますが、
九、
コーヒーブレイク
(皮膚のバリア障害、
アトピー性皮膚炎、
洗顔、
石鹸・化粧品の害)
「綺麗になるために病気になるなんて、怖いこともあるものですね。でもこの石鹸の話だ
けで他にはないんですよね」
「いえいえ、最近、赤色色素のコチニール色素が問題になっています」
「口紅やアイシャドウーなどの赤色系の化粧品には頻繁に使われているようです。化粧す
るとそのうち、体に取り込まれてこの色素の情報が体内に取り込まれますね。先ほど説明
した感作が成立する、というわけです。赤色のカンパリソーダや人工カニかまぼこやハム
にも、このコチニール色素が使われているんですが、これらを食べて、小麦と同じように
蕁麻疹やアナフィラキシーショックが起こった例が十九例報告されているのですが、全例
女性でした。なぜだかわかりますか」
「化粧するのが女性だから?」
「その通り」
「発作を起こした場所が大勢の人がいるところでは助かる可能性がありますが、山の中や
人のいないところでは命取りになりますよ」
「命取り?」怪訝そうな富士子に沼澤は話を続けた。
「ええ、声門浮腫といって気道の入り口の声門に浮腫が及ぶと、息ができなくなって窒息
死するのです。勿論運が悪い場合のことですが――」
50
「まあ、怖い。私も気をつけなくちゃ。お化粧もおちおちしていられないなんて」
ら状に白く抜ける例が三十九件報告され、五十四品目を自主回収して、治療費も全額負担
するようですが、すでに七千件ほどの被害者が報告されています」
「それはどうしてなの?」
「いいですか。表皮の基底細胞が横並びに配列していますが、その十個に一個程度にメラ
ニンを作る細胞、つまりメラノサイトという細胞の中でアミノ酸の一種からメラニンとい
う色素を産生して皮膚を黒くするのです。日光に当たると肌が焼けて黒くなるのもこのメ
ラニン色素が増えるせいです。この色素を作る途中で何らかの障害が起こると、メラニン
色素ができませんね。実は今回のカネボウ化粧品にはロドデノールというチロシンを分解
する酵素、つまりチロシナーゼが含まれていました。メラニン色素は合成される途中でチ
ロシンという蛋白を経て最終的にメラニンに変化するのですが、この産生途中のチロシン
ができる部分でこのチロシンが分解されると最終的にメラニンができないので、肌は黒く
ならずに白いままとなるのです。最初は美白効果があると評判が高かったようです」
「二年前だったかしら? 私の友達に、この化粧品を使ったら淡いシミが薄くなったので、
51
「まだまだあります。最近、美白目的で使用したカネボウ化粧品の一部を使うと肌がまだ
九、
コーヒーブレイク
(皮膚のバリア障害、
アトピー性皮膚炎、
洗顔、
石鹸・化粧品の害)
美白効果があるのでいいよって勧めてくれたことがあったの」
「ええ、部分的に使用する分には問題ないというか、効果のあった人もいたようです」
「そこで、つい色々な製品にもこのロドデノールを入れてしまったのが、つまづきの始ま
りというわけです」
「あら、どうしてなの、いいこと尽くめに思えるけど?」
「何種類もの製品を重ね塗りすると濃度が高くなりすぎて危険濃度を超えてしまい、色が
抜けるという副作用が出たようです。ですから顔以外に手や腕、項(うなじ 首すじ ま
)
で広がったというのが現状でしょうね」
「そうなの、女性ならわかるわ、その気持ち。高価な化粧品は余るとついもったいないと
手や腕、首まで塗ってしまいますよね」
「この原因薬剤のロドデノールはカエデ科の目薬の木などに含まれる天然由来のフェノー
ル化合物の一種ですが、今回の製品は合成品といわれています。戦国時代からこの木の樹
皮を煎じて目薬にしていたといわれています」
「だから、目薬の木と呼ばれたのね。茶のしずく石鹸、コチニール色素に次いで三番目と
いうわけね。化粧品会社も大変ねえ」 富士子は納得顔で頷いた。
52
「これからも類似の例が次々に出てくるでしょうから、女の人も命を張って化粧すること
「ますます、嫌な世になったものね。かといって化粧しないで済ませられるわけないでし
ょう。化粧は女の命なのよ」
「そうでしょうね。シェークスピアの言葉通り、『するべきか、せざるべきか、それが問
題だ』に行き着くようですね。最近は皮膚表面のバリアの障害が問題になっていますね。
アトピー性皮膚炎が良い例でしょうね。中国のチベットのラサにはアトピー性皮膚炎は皆
無で発展途上国の東南アジアでもきわめて少ないのですよ」
「その原因は何だか分かりますか」
「はて、何でしょう」富士子は困惑顔をした。
「衛生仮説で説明している学者もいます。幼少時に衛生状態がよすぎる環境で過ごすと各
種の細菌や抗原に晒されることがないのです。逆に成長してから調子が悪くなるというわ
けで、綺麗好きが講じて逆に病気になるのです。確かに私たちの幼少時の終戦直後にはア
トピー性皮膚炎は存在しなかったのです」
「終戦直後は寄生虫や毛虱も多くて、小学校では髪の毛や体全体にDDTを噴霧されたと
私の母からよく聞かされてきましたわ」
53
ですね」
九、
コーヒーブレイク
(皮膚のバリア障害、
アトピー性皮膚炎、
洗顔、
石鹸・化粧品の害)
十、城外の散歩 (紫外線、陰陽、膠原病、鍼治療、帯状疱疹)
二人は外に出た。夕方とはいってもまだまだ日差しが強い。
富士子は日傘を差しながら、
「紫外線って体に悪いばっかりなんですか」唐突に聞いてきた。
「悪いばかりではないのです。確かにビタミンD合成には役立つのですが、二〜三十分も
日光を浴びるだけで十分間に合います」
「あら、そうなの。でも私は常日頃UV入りの化粧品を使って、日差しのきついときは両
腕にサンスクリーンを使いますよ」
「そうでしょうねえ。最近はオゾン層の破壊が進み、太陽の光が直接地上に降り注ぐよう
になりました。紫外線には三種あります。長波長をA、中波長をB、短波長をCとしてい
ますが、短いものほど体に悪くて、長時間浴びると将来皮膚がんを引き起こしかねないの
です。長波長のAは比較的毒性は少ないので、光線療法などの治療に応用されていますが、
総量が四百時間を越えると皮膚がんの発生率が高くなるのが問題です」
「知らなかったわ。日頃浴びている太陽光にはABCの全てが入っているのね」
54
「問題は生涯で浴びる紫外線総量の八割を十八歳までに浴びてしまうことです」
「すると、幼少児からケアが大切ってわけ?」
「その通り、本来ならサンスクリーンやサングラスが必須です。だけど、皮膚科医自身も
積極的に勧めていないのが現状です。指導不足感は否めませんね」
「子供の頃、家でごろごろしていると、母親から『子供は風の子、光の子』といって、外
んですね」
「一般常識とは真逆です。日進月歩の医療界では十年、いや五年もたつと完全にひっくり
返ることもしばしばです。もっと厚生労働省や文部科学省が本腰を入れてしかるべきと思
っています」
「私みたいにこの年になってから一生懸命ケアしても、
時すでに遅しというわけですね?」
「老化は止めることはできません。だけど、日光に曝露されると、基底細胞にあるメラノ
サイトというメラニン産生細胞が活発になりメラニン色素を作って、紫外線を吸収してく
れるのです」
「だからなのね。海水浴で日焼けを起こすと黒くなるのは」
「ええ、このメラニン色素が率先して自己犠牲になって、紫外線が真皮まで侵入しないよ
55
で遊ぶようによく言われました。だから、私は本当によく外で遊びました。実は逆だった
十、城外の散歩(紫外線、陰陽、膠原病、鍼治療、帯状疱疹)
うに防いでいるのです。いわば、メラニンは最前線の兵隊ともいえるでしょうね」
「アフリカ人の肌が黒いのも直射日光から身を守るためね。わかるわ。だけど、美白はそ
の逆よね」
「ええ、美容と健康増進は必ずしも一致しないのです」
「そうね。顔はむきだしよりもお猿さんのようにもっと毛で覆われていた方が化粧もしな
くてよかったというわけね」富士子はくすっと笑った。
「真皮にまで紫外線が入ると、膠原線維や弾性線維がやられて、皮膚の弾力が無くなり、
皺ができやすくなるのです」
「だからなのね。
農夫や漁夫の人の首筋の皺が深いのは。
だけど、
普通の光は大丈夫なの?」
「可視光線は大丈夫といわれています。最近の研究ではLEDという発光ダイオード電球
は蛍光灯よりも体に優しく、逆に人の健康増進に役立つことも判りかけているのです。も
うすでにLED電球を使用すると食物の発育を促すことがわかってきていて、植物増産に
有効に利用していますから」
「そういえば、ビルの中で野菜を育てるってニュース見ました」
二人はプラハ城から坂を下る内に大通りにでた。その時、赤信号から青信号に変わるの
56
をみて、沼澤は言った。
「信号の青と赤のように紫外線と可視光線は悪玉と善玉、つまりプラスとマイナスの関係
ともいえます。この世の中は実に巧妙な仕組みで、プラスとマイナスがうまく調和してい
るといえるのです。東洋医学では陰陽で説明することが多いのですが、まさしく陰陽の世
界で、バランスを保っているのです」
「そうです。中国数千年の歴史の重さともいえますね」
「陰きわまれば陽となり、陽きわまれば陰となるという有名な言葉がありますね」
「よくわからないわ。もう少し分かりやすく説明してくださる?」
「陰が行き過ぎると、途中から反転して陽に変化し、逆に陽が行き過ぎても同様に途中か
ら陰に変わるということです」
「たとえば風邪などで発熱するでしょう。発熱を陽とすると、発熱が一定以上続くと、途
中から解熱、つまり陰に変わると考えると分かりやすいでしょう。西洋医学では行き過ぎ
は常に抑えこむのが鉄則で、たとえばテロには一方的に力でねじ伏せてしまうようなもの
で、対話や和解、協調はありえないのですね。しかし、東洋医学では陽が行き過ぎている
57
「昔の中国の考えが現代も通用するというわけね」
十、城外の散歩(紫外線、陰陽、膠原病、鍼治療、帯状疱疹)
ときは対極にある陰の力を高めるか、あるいは陽の力を弱めて、陰陽の両者が均等になる
ようにもっていくのです。両者のバランスを保つことを最優先にしているのです」
「あら、たいしたものね」
「分かりやすい例は自律神経のバランスですね。昼間の緊張状態により働く交感神経と夜
リラックスしたときに働く副交感神経の両者の強弱でバランスが取れているときに、一方
的にどちらかが強まったり弱まったりすると調和を崩しますよね。これが病気につながり
かねないのです。昼間の緊張状態では濃厚な汗をかきますが、家でリラックスするとどっ
と大量の汗をかいたり、咳が出たり、かゆみが増えたりしますよね。副交感神経が優勢に
なった証拠です」
「ですから東洋医学の漢方も同様な考えで、押さえ込むばっかりではなく、虚実を見極め
て、足りないものを補い、逆にあまっている場合には不要なものや余分なものを減らす、
これを東洋医学的には〝瀉(しゃ)する〟というのですが、瀉(しゃ)は音読みで訓読み
ではそそぐ、つまり流れ注ぐとか体の外に流し出すという意味です。この考え方は大切で
すね。つまり、病気そのものではなく、総合的に病人を全体的に治すのが特徴です」
「西洋とは随分考え方が違っているのですね」
58
「そうです。日本の医療は西洋医学が基本ですが、私は東洋医学的な考えを織り交ぜた中
西合作医療を目指して試行錯誤してきました。気づくと還暦を過ぎ、定年間近になってし
まったのです」
「日本は中国や韓国に比べて、医師免許をもつ人ならだれでも東洋医学の漢方や鍼灸も同
「すると、本場の中国は違うのね」
「そうです。西洋医と中医は別物で、両者を一人で扱えないように法律で決まっているの
です。隣の韓国も同じですね」
「日本では鍼灸も免許なしで大丈夫ですか?」
「はい、その通りです。私は田中角栄首相が日中国交正常化した数ヶ月後に日中友好協会
推薦で学生訪中団として訪中したこともあって、学生時代から興味を持っていました。折
しも中国では、昭和四十年代から毛沢東の温故知新運動の一環として鍼灸が見なおされ、
鍼麻酔が導入されていました」
「そういえば、新聞で読んだ記憶があるわ」
「ええ、当時、朝日新聞でも岐阜大学では鍼麻酔で抜歯成功と大々的に報じられたことが
59
時に行えるのが最大の利点です」
十、城外の散歩(紫外線、陰陽、膠原病、鍼治療、帯状疱疹)
あります。その影響で、鍼灸の勉強を希望して、当時の早稲田大瀬下君が岐阜大学を受験
し、見事合格して医学部に入学したこともありました。卒業してから、皮膚科領域で鍼治
療を応用して、全身性強皮症患者の難治性潰瘍の治療に応用してとても良い成績を残した
のです。レイノー症状ってご存じでしょうか」
「はい、知っていますよ。手が白くなるやつでしょう。実は私の友達が膠原病でこの症状
があるというのよ」
「よくご存じですね。昔、チェーン・ソーを使う林業従事者に見られるので有名でした。
別名、はくろう病とも言います」
「はくろう病、昔、聞いたことありますよ。同じものですよね」富士子は確認した。
「白いろうそくのことで、色がこのろうそくに似ているからです。冷水や寒冷刺激で両手
の血管が一過性に収縮して、末端に血が通わなくなるので、真っ白に見えるのです。でも
数分からせいぜい数十分で血管の攣縮が取れるので一時的に血がよどんで紫色に変わり、
しばらくして血流が良くなると赤くなって、最後には元通りの色になるのです」
「この時、よくあることは、早く白い色を取ろうと焦って、湯に両手を漬けたり、急激に
温めることが多いのですが、これが逆効果となるので注意が必要です」
60
「ええ、どういうこと」
「血管が収縮している時に急激な温度変化が加わると、逆に血管の細胞が壊されてしまう
のです。血液は一分間に一回心臓に帰っていますから、この血流に乗って破壊された細胞
から各種の因子が全身に運ばれ、色々な臓器に障害がでてくる可能性もあるからです」
「色々な臓器って?」
クリーゼといって急激に腎臓の機能が低下することがあります。肺が障害を受けると心臓
に負担になりますから、血圧が上がることもありえますね」
「そうなんですか。全身に関係するのですね」
「私は分かりやすく説明するため、目の前の産業廃棄物を裏山にこっそり捨てて目の前が
すっきりして一安心するのと同じと説明しています。当時、岐阜の裏山で産業廃棄物を不
法投棄して新聞沙汰になった事件をヒントにしたまでです。全身の血管の総延長は八万キ
ロ、地球二〜三周ほどあるので、末梢に血液が流れにくい状態が続くと手や足の指先に潰
一度できると色々治療しても頑固でなかなか治らないことも多いのです」
瘍を作りやすく、
「治療も大変そうね」
「私が卒業して入局した皮膚科では、当時赴任直後の森下教授がこの病気の大家でしたか
61
「主に肺と腎臓が多いのですが、肺では肺線維症、腎臓は日本人には極めて稀ですが、腎
十、城外の散歩(紫外線、陰陽、膠原病、鍼治療、帯状疱疹)
ら、鍼治療を応用して治してみなさいと仰せつかったことが、きっかけです」
「きっかけって、とても大事ね」
「そういえば、私はこの年になって、去年から手足にしもやけができるんです。どうして
かしら」
「しもやけのことは随分私も調べました。患者さんに聞いてみると、数百例の患者さんの
約半数の人に手や足に幼少時にしもやけがあったというのです。医学的にはしもやけは凍
瘡といいますが、この凍瘡は年齢と共に自然に消失するはずです。しかし、成人後も消え
ずに続く場合や、成人以後、特に中年以後に初発ないし再燃するときには、検査する必要
があります。その背景に膠原病が潜んでいる例も時に見られるからです」
「あら、どうしましょう」富士子は狼狽えた。
「冷え性はありますか」
「ええ、冬は冷えがひどくて、大変なの」
「ビタミンEを飲んでみるのもありですが、ショウガの入った漢方がお勧めですね。体を
温める作用がありますから」
「漢方もお医者さんでも処方してくださるんですか?」
62
「日本では大丈夫です。しかし、このチェコはどうだか」
「しもやけの人は指先容積脈派という検査をします。手の末端の血流の悪い人は波高が低
く、冷水に両手を浸すとさらに波高が低くなってほとんど平坦になる例が多いのです。で
すが、長期にこの漢方を内服するとこの波高が保たれ、冷水に浸しても波高が低くならな
いので、血流が改善したことが分かるのです」
沼澤はメモ用紙に「当帰四逆加呉茱萸生姜湯」と書いて手渡した。
「読み方が難しくて読めませんね」
「はい、
『とうきしぎゃくかごしゅゆしょうきょうとう』と呼ぶのです」
二人は大通りの横断歩道を渡った。歩道は帯状になっていたので、沼澤は帯から帯状疱
疹を連想した。
「ところで、帯状疱疹っていう病気ご存じですか」
「雅子妃が罹ったこともある病気ですね?」
「よくご存じですね。帯のように水疱がびっしりと出てくるから帯状と表現するのです。
疱疹は小さな水疱という意味です」
63
「じゃあ、私も機会があれば試してみますわ。漢方の名前をメモして頂けませんか」
十、城外の散歩(紫外線、陰陽、膠原病、鍼治療、帯状疱疹)
「私の親戚が以前、帯状疱疹になって、その後痛みが残って大変でしたのよ」
「そうでしょう。神経痛を残しやすいのが特徴のひとつです。特に高齢になるほどその率
が高くなるのです」
「その率ってどの程度です?」
「年齢の数値が神経痛を残す率とされています。六十歳なら六十パーセント、七十歳台な
ら七十パーセントと言われています。勿論、一ヶ月を越えても痛みがあるときを後遺症と
いうのですが……」
「四谷怪談ってありますよね。この四谷怪談の元がこの帯状疱疹だといわれています。お
岩さんの目の上のただれの額の部分は三叉神経が走っているところですから、この領域に
疱疹が出て、重症になって水疱がつぶれてびらんになって、じくじくになったと考えてよ
いでしょう」
沼澤が額に手をやりながら話す姿に、お岩を想像したのか、富士子は怖いものをみたよ
うな顔になった。
「私が入局して最初に赴任した病院で、鍼治療で痛みを止める治療を始めたのです。中国
鍼を使って、水疱のできている部分を取り囲むように四か所鍼をさして、鍼同士に鍼麻酔
64
で使用している電麻器で電気を二十分から三十分ほど流すのです」
「電麻器って」
「説明不足でしたね、鍼麻酔ではプラスとマイナスの両方に電気が流れるタイプの通電器
を使用するのです。同じこの通電器を使って痛みの治療に応用するというわけですね」
「電気を流して、しびれないのかしら?」
り返すのですが、その痛みの程度は少しずつ軽くなって、何回か繰り返すうちに痛みが軽
くなるのです」
「沼澤さんは鍼治療までお出来になるんですね。どこかで修業なさったんですか?」
「訪中前の夏休みに、伊豆の強羅で開業している佐田先生宅で実習をさせて頂いていた時、
リウマチ患者さんの手指のツボに鍼を打って電気を流して治療していましたから、私も教
えてもらって体得していました。このやり方と同じ方法を大学に戻ってリウマチと同じ膠
原病の仲間の全身性強皮症患者さんのレイノー症状の治療に応用してみました」
「しもやけの一種なので、電気を流すと血の流れが良くなるとみたわけですね。結果はど
うでした?」
「当初はレイノー症状に効くだろうと大いに期待したのですが、さっぱりでした。でも皮
65
「電気を流すと数時間はほとんど痛みを感じないで過ごせます。しかしその後は痛みがぶ
十、城外の散歩(紫外線、陰陽、膠原病、鍼治療、帯状疱疹)
膚の潰瘍にはとてもよく効いたのです。皮膚の表面温度を測ると、通電といって電気を流
し始めると、十分後には皮膚温度が一度以上上がるのが分かりました。その影響は数時間
続き、片方の手のみに刺激してもその反対の手の温度もそれなりに上がることも実証しま
した」
「手の温度が上がると体も良くなるのですか?」
「全身性強皮症は皮膚が硬くなる病気ですが、血管を収縮させるエンドセリンという物質
も血液中で増加しているのです。このエンドセリンの値も鍼通電する前と三十分刺激後で
調べたことがあります」
「エンドセリンが増えると病気が重くなるんですよね」
「数年以上、鍼治療を週一回続けている患者さんはエンドセリンの値が全例下がりました。
しかし、治療開始間もない患者さんでは下がる人と上がる人半々で、初めて鍼治療した学
生達は全例上がってしまったのです」
「それはどういうこと」
「つまり、この鍼治療が効いていると患者さんが実感しているから、何年も真面目に週一
回通院していたといえます。見事にエンドセリン値が下がった人は鍼治療が体質にあって
66
いることを裏付けているのです。しかし、元々エンドセリン値の高くない学生には、鍼を
刺すという刺激で逆に血管が収縮してエンドセリン値が高くなったと思います」
「まあ、面白いですね」
「東洋医学では証(しょう)といって体質を見極めることが大切で、この証が合わないと
いるのですよ。考えてもみてください。治療の必要な人にはその効果がはっきり出るのに、
治療の必要としない人には効果がないか、逆に悪くなるということですから」
「そうよね。その説明はわかりやすいわ」
「漢方薬はどうなの。煎じるのは手間がかかって大変でしょう」
「忙しい現代人には毎朝煎じる時間がないので、煎じたものをフリーズ・ドライにして顆
粒状にした製剤が持ち運びにも便利です。粉薬のように飲めて便利ですが、本当は、その
まま飲むより、インスタントコーヒーを湯で溶かすようにコップ半分程度のお湯で溶かし
て飲むのがよいのです。香りがする分、鼻粘膜からも吸収されますので、一種のアロマ・
テラピーとしても望ましいのです」
「色々と教えてくださってありがとうございました。知らないことばかりで、とても勉強
67
漢方の効果も出にくいのですが、鍼治療でこの証の存在を説明したようなものと自負して
十、城外の散歩(紫外線、陰陽、膠原病、鍼治療、帯状疱疹)
になりましたわ」
「こうした製剤のもう一つの利点は、均質になっているので、各施設間でのばらつきがな
く、効果を比較検討したり、追試したりするのも便利というわけです」
「すると、外国でも日本と同じように使用できるというわけですね」
富士子は話をまとめるのが上手だ。沼澤も満足げであった。
68
十一、食事に誘う (食文化、牛乳、カルシウム)
二人はトラムに乗り、宿泊のホテルから一ブロック隣の数百メートルほど離れたトラム
線沿いに二百もの店舗がひしめき合った大きなパラディウムというショッピングモールの
前で下車した。正確にはマーキュリー・アトランティック・プラハ・センターだ。夕方の
六時を過ぎていた。
「そうねえ、週末は決まってここに買い物に出向くんですよ。何でもそろっているので便
利なの」
入り口付近のエスカレーターを登ると、自然に四階まで行き着く。
フロアの数十メートル奥に回転寿司が目に入った。
回転寿司は日本語の〝豪〟の字とセットで『running sushi』と書かれて
いた。きっちりした透明ガラスケースの中を、ベルトコンベア方式で流れる仕組みになっ
ている。中の食物は寿司だけでなく、総菜やプリンなどのスイーツも流れていた。沼澤は
思った。日本食が恋しくなったらここに来ればよい。
69
「よくここにくるのですか」
十一、食事に誘う(食文化、牛乳、カルシウム)
さらにその奥にアジア料理のチェーン店があった。通路側にテーブルと椅子が並べられ、
現地の人たちが思い思いに家族で食事を楽しんでいた。沼澤は小腹の空いたことも手伝っ
てか、ビーフンがとても美味しそうに見えた。沼澤は富士子を誘った。
「お腹がすきましたね、ここで何か軽く食べましょう」
「いいですよ」と富士子は二つ返事で了解した。
このフロアの中央部は吹き抜けの作りになっていた。吹き抜け側には鉄の柵が設けてあ
る。柵寄りの一角に陣取った。まもなく、ベトナム系の学生風女史が注文を取りに来た。
英語は堪能で分かりやすい。壁に九十九コルナと貼ってあるビーフンを注文した。
料理が運ばれるまで二人はピルスナー・ビールで乾杯し、喉を潤した。
「今日はお疲れさん。お陰様でとても楽しいプラハ城の散策ができました」
「いえいえ、こちらこそ、思いがけなく、暇つぶしができて幸せですわ。途中、色々お話
ができて耳学問にもなりました。ありがとうございます」
からからに喉が渇いていた沼澤は、我慢できず一気に飲み干した。
「さすがに、美味いですね。チェコがピルスナー・ビール発祥の地と言われるのも分かり
ますね」
70
「そうね。私もこのプラハに来て初めて知ったのよ」
沼澤は小瓶をあっと言う間に飲み干してしまったので、別のものを注文することにした。
五百ミリリットルの黒ビールがあるというので、それではとばかり、味比べをした。両者
とも五十五コルナと安い。二百五十円程度である。
ビーフンを平らげたが、今度はピリ辛のものがほしくなった。メニュー表をみた。
トムヤンクンが目にとまったが、エビの代わりに鳥肉を使用したトムカルガイが五十九
コルナと値打ちだ。こちらを試してみた。ピリ辛が鶏肉の淡泊な味とマッチして美味しく、
沼澤は富士子と同じ寅の干支で一回り若かったが、沼澤の戦後の貧しい時代とは違って、
高度成長期の最中で成長してきた。沼澤は話を切り出した、
「そういえば、私の学校の給食はコッペパンと脱脂粉乳でしたが、あなたの時はどうでし
た?」
「現代とあまりかわりませんよ。あなたは激動の時代を生き抜いてきたのですね。当時の
パンと牛乳はアメリカの援助でしたよね」
「その通り、はじめはお膳立てしてくれたアメリカに偉く感謝していたのですが、良く考
えると、したたかなアメリカの穀物戦略に乗せられたというのが実情でしょう」
71
完食となった。
十一、食事に誘う(食文化、牛乳、カルシウム)
「それはどういうこと?」富士子は怪訝そうに聞いた。
「いいですか、アメリカは日本人に米の代わりに学童時代からパンと牛乳を食べさせてお
けば、将来の有望な市場になることを見越していたのですよ。三つ子の魂百までのことわ
ざ通りですね」
「幼少時の味は一生残りますから、ハンバーガーショップが子供向けにおまけやシールを
無料でプレゼントして子供に媚びる戦略と同じですね。その後一生顧客でいてくれますか
らね」
「食料問題は根が深いのね。まったくいやになっちゃいますね」
「ところで、この牛乳ですが、最近では牛乳にはカルシウムが豊富という歌い文句につら
れ、高齢者の方の中には鼻をつまんで無理やり飲んでいる患者さんも多いので困りもので
すね。日本人をはじめ東南アジアは稲作の文化で、かたや欧米人は酪農の文化圏なので小
麦のパンと牛乳が主ですよね」
「食文化が違うと言うわけですね」
「小麦は米ほどの栄養価がないので、足りない分を牛乳で補っている面もあるのです。こ
の牛乳一本にはカルシウムは二百ミリグラムしか含まれていません。チキンラーメンの
72
三百十二ミリグラムと比べると明らかに少ないのです。これでは骨粗鬆症の予防には役立
ちません。しかも牛乳消費量の多い北欧や米国では骨粗鬆症や骨折の率も高いと言われて
います」
「そういえば、私最近、骨粗鬆症の気があると言われたんです。いろいろやっているんで
すけど、治るかしら」
「まず、骨粗鬆症がどんなものか考えてみましょう。骨粗鬆症は、即カルシウム不足と短
絡的にみられていますが、実は骨密度が低下しスポンジのようにすかすかになって骨折し
当たるのがミネラル、つまり骨密度と考えると分かりやすいでしょう。カルシウムだけと
っても建造物は頑丈にはなりません。運動して体を動かさないとカルシウムは有効利用さ
れないのです」
「でもカルシウムは取らないといけないんでしょう?」
「その通りです。煮干しや小魚を丸ごと食べると効果があります。さきほどもいいました
よね。実は日本人は元々農耕民族であまり牛乳をとらないので、カルシウムが多いという
キャッチフレーズで収益を伸ばしてきたのです。しかし、私は極力、乳製品は取らないよ
うにしています」
73
やすいのが問題です。建造物にたとえると鉄筋に当たるのが膠原線維で、コンクリートに
十一、食事に誘う(食文化、牛乳、カルシウム)
「あら、どうして?」
「日本人は稲作文化で育った民族ですから、欧州や米国の酪農文化のまねをする必要がな
いからです。むしろ、最近は逆に日本食がヘルシーと人気上昇中ですしね。さらに、乳糖
を分解するラクターゼという酵素の少ない人が多くて、下痢しやすいことにも注意が必要
です」
沼澤は続けた。
「私が小学生の頃、終戦後数年を経過しているとはいえ、まだまだ裕福ではありませんで
した。家業は米屋ですから、米は不自由しませんでしたが、母は庄屋の娘だったためもあ
って、麦飯を倦厭していました。しかし、私は麦飯が大好きで、母にせがんで混ぜてもら
ったものです。そんな時代ですから、昭和三十二年当時、豆腐一丁と卵一個が同じ十円で
した。現在、豆腐は五倍以上しますが、卵は当時と同じです。まさに卵は物価の優等生で
すね」
「そうですか、それほど卵は高かったのですか」
「その通り、当時バナナも高くて、一本三十円、いや五十円だったかなあ、あまりにも高
くて半切にして買ったこともありますよ。だから、卵とバナナは高嶺の華でした。いまの
子供達は想像すらできないでしょうね。遠足や特別な日以外は口にはいらなかったのです。
74
姉か弟かが風邪で寝込むと卵焼き、バナナ、リンゴ汁などが枕元に用意されるのが、うら
やましくて、仕方がなかったですよ」
「あら、そうなんですか?」
「ええ、自分も早く風邪を引いて、バナナや卵焼きをたらふく食べたいという思いで一杯
でした」
「終戦後とはいえ、まだまだ貧しかった時代で、今でこそ徳島は連絡橋で阪神地方とつな
がっていますが、当時は瀬戸内海で隔てられ、阪神は富裕と聞いていたので子供心にも、
確かに、現代のような贅沢な暮らしができるとは、当時夢にも思わ
いと何度も夢見ましたね」
「あら、そこまで!
なかったんですね」
「当時は日頃から粗食でひもじい思いをした分、祭りや正月はご馳走尽くめでマンネリ化
を避け、気分転換や心機一転を図ったのです」
「祭りや正月は晴れの日という訳ですね」
「そうそう、今は毎日が晴れ、飽食三昧ですね、最近では飽食から崩食に変わりつつある
75
はやく大人になって裕福になり、貴重なバナナを房一杯、もう嫌というほど腹一杯食べた
十一、食事に誘う(食文化、牛乳、カルシウム)
のが問題ですね。当時は食べるものが無くて、姉と餓鬼大将仲間であぜ道をほっつき歩き、
塩を入れた小鉢を片手にスイスイやスイバを手でちぎっては、塩を付けてむしゃむしゃ食
べたものです。すると畦で農作業していたおばあさんから、あんたらそんなもんばかり食
べとると牛になるぞという脅しも一向に気にせず、
意気揚々と家に凱旋する毎日でしたね」
「随分、自然豊かなところでお育ちになったのですね。私はスイバとか食べたことありま
せんわ」
「スイバって噛むと酸っぱいので、酸っぱい葉という意味でしょうね。タデ科の多年草で
似たような物にイタドリやスカンポがありますね。茎を折るとポキンといういい音がしま
すよ。私は幼少時、徳島の片田舎で育ったのです。昭和二十九年に、私の弟が生まれたの
で、特に印象深かったのでしょう。そのころの思い出はすべて五歳の頃のものとして脳裏
に集約されました」
「年を取ると最近のことはすぐ忘れるのに、不思議に幼少時のことはしっかり覚えている
わね」
富士子は相づちを打った。
「不思議ですね、幼少時の出来事は年を取るにつれてよりありありと思い出すことができ
ますね。脳裏の奥の引き出しに大切にしまいこまれていた出来事が、ふとしたことでお宝
76
が発見されるようなものですね。それだけ老いぼれの仲間になったということなんでしょ
うね」
「ところで、このプラハでは食料には困ったことはないですか」
「ええ、お金さえ出せば日本のものもいろいろ手にはいりますよ」
「そうでしょうね。先日学会場で日本の海苔巻き寿司の詰め合わせパックが配られ、箸の
77
包装も日本のものでしたから。空輸物とみましたがね」
は宿泊の最後の夜であった。
沼澤は大いに満足し、センター前で富士子に別れを告げて、千鳥足で歩いてホテルに帰
った。部屋に入ると夜の九時を回っていた。近道をするとものの数分で着くと分かったの
は心強い。 遙か欧州のチェコで、日頃食べていないものを食べることができた。旅は人
情と味を知る良い機会だ。
このセンターではトイレは無料なのがありがたかった。小銭を持ち合わせていない時に
十一、食事に誘う(食文化、牛乳、カルシウム)
十二、ブルノへの旅
ホテルに帰った沼澤は翌日の日程を考えた。半日程度で観光できる場所はないかと思い
ながら、案内書をみた。するとプラハに次ぐ国内第二の都市、ブルノが目に付いた。モラ
ヴィア地方の中心に位置し、人口は三十八万人程度だ。
ブルノは遺伝学の創始者ともいうべきメンデルの故郷である。教科書にも載っている有
名な修道院の教師で、空豆を掛け合わせて遺伝の基本を作った人だ。
翌日、多少あつかましいとも思ったが、せっかくの機会だしと富士子に連絡を入れてみ
た。富士子もブルノには行ったことがない。住んでいてもチャンスがないと行かずじまい
になるからと、心良く同行を承諾してくれた。
富士子と約束を取り付けた沼澤は一人プラハ中央駅を目指し、ホテル近くの広場からト
ラムに乗った。富士子とはプラハ駅で待ち合わせることになっていた。プラハの町はトラ
ムで縦横に繋がっているので、地図片手に目的地に行くことはたやすい。
プラハ本駅の二階の吹き抜けは天井も高く、壁には彫刻も展示され、堂々とした風情で、
78
圧倒される。ゼロ階のフロアで食料品売り場を覗いた。奥のかごには寿司のパック詰め寿
司が並べられていた。学会場のランチョン・セミナーで配布された日本製とよく似ていた。
稲荷と海苔巻き寿司のセットで、千円ほどだ。日本語のみで書かれていたので空輸ものと
みた。高い印象を受けたが、やむを得まい。
二人は駅の予約・切符販売コーナーの前で待ち合わせた。コの字状にカウンターが配置
されていたが、左端の誰もいない窓口を覗いた。若い男性が座っていたので、購入を希望
79
したところ、ここは高額なので、反対側で購入するように勧められた。おそらく一等車か
特急など特殊なものしか取り扱ってないのであろう。往復で四百二十コルナ、二千円ほど
で日本より安い感じだ。帰りの便は別の窓口で印刷して手渡してくれた。
ブルノ経由のドイツ行きが十一時四十二分に出発するという。見ると後十分ほどだ。二
人はホームに急いだ。
「ブルノは初めてですよね」沼澤が質問した。
した非日常的な刹那に強く引かれるのです。だから、一人旅はやめられない。その証拠に
「旅は思いつきが楽しいのです。自由な発想で好き勝手にプランを組み立てる。ゾクゾク
「ええ、一人だとつい億劫で。でもよくブルノに行こうという気持ちになりましたね」
十二、ブルノへの旅
今日もこうして一期一会の出会いがあるじゃあないですか」
「それもそうですね」
ドイツ行きの列車と後発の十一時五十二分発のブルノ行きがホームの両側にすでに配備
されていた。ドイツ行きの列車でも後発のものでもブルノ経由するのを確認して、先発の
列車に乗り込んだ。いよいよボヘミアンの田園風景が楽しめる。日本と異なり、定刻にア
ナウンスも発射の合図もなく列車はプラハを出た。日本の発車合図に慣れていると、多少
の違和感は拭えない。どちらのスタイルが良いかは個人次第だ。それはそれでその土地に
なじんでいるのかもしれない。
列車は郊外に出た。欧州では日本と違って、オレンジ色の屋根に白い壁の家が特徴だ。
野原やこじんまりした林の中に家々が点在している。田園風景を横目に見ながら、列車の
旅を楽しんだ。列車は緑の中を通り過ぎていく。二時間余りで到着予定だ。
座った席の反対側には若いカップルがいた。通路をはさんでの四人席も二組のカップル
であった。通路側のカップルは熱々で人目を憚らずにキスを繰り返し、ついには女性が男
性の膝上に乗りかかって抱擁を繰り返し始めた。窓側の若いカップルは嫌気がさしたとみ
え、早々と女性が別の席に移動したので、男性もやむなくあとに従った。
80
当方のカップルはその点、模範生で大人しかった。
途中、沼澤は座席下でうごめくものに気づいた。猿ぐつわされた大型の飼い犬だ。読書
に熱中する飼い主の女性に頭をもたげてキョロキョロし始めた。男性に諌められることも
しばしばだ。長旅で飼い主に目をかけてもらいたいのであろう。反対側通路側の熱々カッ
プルには羨望のまなざしを投げていたが、犬も人と同類だ。
途中、トイレを使用しようとドアを開けようとしたが、開かない。隣の車両も調べたが、
同様に開かないので、有料で先払いする必要があるのかと思い車掌を呼んだ。しかし、両
81
方とも偶然に使用中だっただけで、しばらく待つと中から人が出てきた。公衆トイレは有
料と思い込んでいたが、チェコでは案外無料のトイレも多いようだ。
小用をたして手洗いをしようとしたら、水がでない。よくみると足踏み式だ。拭いた紙
タオルをごみ箱に入れたとたん、入口の壁に固定されているはずの筒状の楕円形アルミ製
ごみ箱が反転した。使用後の紙が床にまき散らされた。さすがに沼澤は拾って戻す気には
なれず、片足で隅に集めるに留めた。次の使用者には気の毒であるが、そこまで献身的に
午後二時十五分過ぎブルノ駅に着いた。正味、二時間半だ。ブルノは人口三十八万人、
はなれない。
十二、ブルノへの旅
プラハに次ぐ国内第二の都市だ。モラヴィア地方の中心に位置する。旧市街自体はこじん
まりとまとまり、半日あれば観光には十分とみた。
駅を出るとトラムの線が目の前を横切る。緩やかな上り坂の石畳をゆっくりと北に向か
って登ると旧市庁舎前の青果市場に出た。広場では数百人程度が屋台に集まっていた。ワ
インのコップ売りが主体の出店が多く、その他は雑貨もの、ホットドッグなど十数軒とい
ったところだ。
広場でたわむろしている多くはワイン片手にソーセイジやB級グルメを堪能中だ。
「小腹がすきましたね。何かつまんでみますか」
「そうねえ、何がいいかしらね」
沼澤は目ざとく、ハムのサイコロ状角切りの入ったジャガイモのペースト風のものを見
つけ、二皿注文した。やや塩辛いが結構うまい。チェコ地元のピルスナー・ビールとの相
性も抜群だ。チェコはピルスナー・ビール発祥の地、米国のバドワイザー工場もチェコ国
内にあり、世界中の四割を作るという。
二人は紙コップ片手に、広場周辺を散策した。
ブルノ駅から左手の丘には世界的に有名な聖ペテロ聖パウロ大聖堂があると知って、最
82
後に訪れることにした。聖ヤコブ教会、聖トーマッシュ教会を経て、コメンスキー教教会
で結婚式途中の若い男女が遠くに見えた。花嫁はウエディング・ドレスを着ている。
「ダスティン・ホフマン扮するベンジャミンとエレーンの『卒業』という映画を思い出し
ませんか」
「そうそう、あの映画のラストシーンは感動的ね」
83
「日々、日常的なものに埋もれすぎて、逆に非日常的なものに惹かれるのでしょうね。そ
の後の二人の行く末が問題ですね。一時の情熱だけでは一生過ごせませんからね」
十二、ブルノへの旅
十三、シュピルベルグ城 (唾液分泌、糖尿病、腸内細菌、腺異常)
数十分も散歩するうちに自然と丘のふもとに着いた。緩い勾配の坂になった公園を十分
ほど歩くとブルノ市の博物館となっているシュピルベルグ城の入口につくはずだ。
見上げると階段は緩やかだが、距離がありそうだ。しかし、沼澤は脚力には自信があっ
た。週一回は二時間ほど卓球をしているので、足腰は鍛えてある。
城の入り口では坂を下る二十人小学生一行に出会った。先生がしきりに注意勧告するが、
全く意に介せず、三々五々、キャッキャッと坂を一挙に下ってしまった。
「どこの国の子供も元気はつらつね」
珍しく富士子から言葉がでた。
「そうですね。
戦後間もない私たちの世代は野原を駆け回って遊ぶことが仕事でしたから」
「最近の子供はかわいそうですねえ、砂場で遊べば汚いとかバッチイとばかり母親が眼の
色変えますから。勢いテレビゲームや漫画にどっぷりとなるのでしょうね」
「昨日も少しお話しましたよね。アトピー性皮膚炎のこと」
84
「ええ、覚えていますわ、衛生仮説でしょう」
「さすがに記憶力がいいですね。アトピー性皮膚炎には腸炎が多いのもご存知ですか」
「いいえ」富士子は首を振った。
「皮膚は口の粘膜から胃、さらにはその下の腸に連続し、最後は肛門を通って元の皮膚に
道を通って出生するときに母親の常在菌を口から飲み込み、腸内細菌を形成するらしいの
ですよ」
「すると、母親の健康状態にも左右されるというわけね」
「その通り、現在のこの食事は発色剤や防腐剤、乳化剤などありとあらゆる添加物が使わ
れていますから、腸内で有益な菌叢が破壊されて健康を害すると私は考えているのです」
「あら、皮膚科の先生とばかり思っていましたけど、腸内のことも研究するのですか」
「ええ、大学時代には恩師の森下教授に仕えて膠原病の一つ、全身性強皮症の厚労省研究
班の事務局長をしていました。十数年前、現在の病院に赴任してから、シェーグレン症候
群の研究に力を入れるようになったのです」
「シェーグレン症候群って聞いたことがあるような気がします。年配に多い病気でしたっ
け?」
85
戻りますから、腸内も外に通じているのです。胎児の腸内部には菌はないはずですが、産
十三、シュピルベルグ城(唾液分泌、糖尿病、腸内細菌、腺異常)
「老人になると口渇が目立ちますね。ですが、若い女性でもドライアイの人も多いし、皮
膚では乾燥してかさかさになってかゆがる患者も多いのですよ。この人たちを私は団子三
兄弟をもじってドライトリアスと呼んでいます。ついでに女性なら膣も渇きますから、ド
ライトリアス症候群という研究者もいます」
「私も時々目が乾くので、予防に目薬をさしていますよ」
「では、口はどうです。長く電話でしゃべっていると、呂律が回りにくいことはありませ
んか」
「ビスケットなどたくさん食べると、すぐ水や紅茶をほしがる方ね」
「すると多少、唾液分泌が減っているかもしれませんね。唾液は毎日一升瓶一本程度分泌
されて、腸内の消化を助けているのです。唾液量が減ると、虫歯や歯槽膿漏などの原因に
もつながり、重症になると味覚まで低下します。家の人から最近味付けが変わったといわ
れないですか」
「幸い、今のところありません」
「では大丈夫ですね。心配なら唾液量をチェックしてみるとよいですよ」
「唾液の量って簡単に測れるものなの?」
「ええ、計量カップがあれば簡単ですよ。十分間一枚のガムを嚊みながら、口の中にたま
86
った唾液をその中に吐き出して、量を確認するだけで分かります。十ミリリットル以下な
ら低下とみるのです」
「へえ、便利ね。早速、家でやってみましょう」
「この方法の欠点はごく初期には正常と出てしまうことですね。もう一つは安静時の唾液
ている人はいませんから、三度の食事以外はあまり口を動かしていないはずです。十五分
の安静時の唾液が三ミリリットル以下なら要注意というわけです。一日は二十四時間あり
ますから、百倍すると大凡の一日量がわかるのです。安静時が五ミリリットルなら一日
五百ミリリットルで小さなペットボトル一本程度です」
門をくぐるとレンガと石つくりの城の内部に入った。シュピルベルグ城内は市の博物館
となっている。十三世紀に建設され、十七世紀には一部監獄として使用されたようだ。
映画監督のスピルバーグが加わった発掘調査の写真と一部がガラス床下に展示してあっ
たのが印象的だ。別の部屋では拷問の道具やその当時の拷問の様子を展示してあり、ナチ
スドイツの展示品もあった。残念なことにはすべてチェコ語で解説され、英語とドイツ語
と仏語のみ冊子が壁にかけてあった。さして観光には力を入れていない風であった。
87
量がとても大事です。ガムテストとは食事に見立てた検査方法のひとつで、一日中食事し
十三、シュピルベルグ城(唾液分泌、糖尿病、腸内細菌、腺異常)
金曜日の午後というのに、見学人は私たち以外には誰もみえず、二人だけの貸切状態で
あった。
「人はなぜこうも残忍になれるのかしらね」
「狩猟時代の遺伝子の名残ですかね。特に狩猟民族の血を多く引く西洋人に目立つようで
す。東南アジアは稲作文化圏でより温厚といわれています。私たち日本人は、聖徳太子の
『和を持って尊しとなし』の精神が連綿と続いて、調和を好む民族ですからね」
「その通り。同感ですわ」
二人は三階に上った。日本の浮世絵展が特別に開催されているという案内をみたからだ。
ふきぬけのらせん階段を登ると天井から巨大な英語の垂れ幕がかかり、写楽の浮世絵が眼
に飛び込んできた。
「いつみても感動しますね、この絵は」
沼澤は見上げながら話しかけた。
「そうね、外国で日本の絵をみるとなにかほっとしますね」
「東海道五十三次の安藤広重の絵は、ゴッホにも影響を与えたほどですから、日本の絵画
もまんざらではないですね」
88
二人は特別展をじっくりと見て回った。見返り美人やビードロを吹く女など切手にも取
り入れられた原図も展示されていた。
一通り見て回った二人はコーナーの喫茶室で一休みすることにした。富士子は紅茶とケ
ーキを注文したが、沼澤はブラック・コーヒーのみとした。
で、糖尿病患者は日本では何人かご存知ですか」
唐突に沼澤は切り出した。解説が大好きなのだ。
「さあ、見当もつきません。数十万人?」
「ところがどっこい、予備軍含めると二千二百十万人です」
「ええ、そんなに」富士子は目を丸くし、仰天した。
「はい、事実です。世界でも国連のホームページによると十秒に二人糖尿病患者が発生し、
うち一人が死亡しているので、常に新規に一人が発病しているようです」
「戦時中の食うや食わずのときは十万人単位でしたが、その後、昭和三十五年を契機にメ
やはり食べ過ぎが原因ですか?」
タボ時代に突入してから急増中というわけです」
「どうしてなの?
89
「甘いものを見るとつい、糖尿病と結びつくのですが、これも職業柄でしょうか。ところ
十三、シュピルベルグ城(唾液分泌、糖尿病、腸内細菌、腺異常)
「原因は色々いわれています。甘い物を食べ過ぎたとか、カロリーの取りすぎだとか、遺
伝や環境、運動不足など数え切れないほどです」
「まず、カロリー消費のことから考えてみましょう。日本人の一日平均のカロリー消費量
は二千四百カロリーほどで、米国の三千カロリーより少ないのです。しかし、米国は肥満
大国の割に糖尿病患者は日本より少ないので、単にカロリーだけの問題ではないとわかる
でしょう」
「あら、体質が違うと言うこと」
「東洋人は稲作文化で育っているので、粗食に強い民族です。一方、欧米人は酪農文化が
基本ですよね。パンと牛乳がその代表で、小麦は米ほど栄養価がないので、牛乳で補って
ちょうど間に合っている」
「稲作中心の日本人は主食の米にあうように数千年の間に、西洋人より数メートル腸が長
くなったのですよ」
「胴長短足ってことかしらね」富士子は苦笑した。
「次は甘い物の番ですね。砂糖の消費量はどこが断トツに多いと思いますか」
「アメリカ人は甘い物が大好きそう」
90
「そう思うでしょう。ところが、ブラジルや南米が断トツに多いのですよ。ところが、そ
れに見合うだけの糖尿病患者がいないのです。一方、日本はスイーツに消費する金額は一
人当たりでは世界一です。年間二万七千円ほどで隣の中国の十倍以上といいますから驚き
ですよね。最近はスイーツ流行りで、どのテレビ局でも盛んに取り上げ、不景気にてこ入
「私も大好きですよ。日本に帰れば美味しいものが一杯ですもの」
「しかし、くれぐれも取りすぎには注意ですね。スイーツは砂糖も大量に使いますが、香
料や着色料、乳化剤、酸化防止剤その他色々なものも混ぜないと美味しくできないでしょ
う。これらの人工の添加物が体に悪さをしているとは考えられませんか?」
「気をつけてはいますけど、まったく入っていないものを探すのも難しいですよね。お医
者さんの立場でもそんなに危険と思われるのかしら?」
「腸には絨毛といってヒダヒダの毛羽だった部分があり、消化や吸収を行っているのです。
その絨毛は粘膜で保護され、さらにその下にはタイトジャンクション、つまり密着帯が蜂
の巣のように張り巡らされて、粘膜の直下に二番目のバリア、つまり防御壁がある複雑な
構造になっています。こうした複雑なバリアが各種の添加物で変化するのではないかとい
91
れするのに躍起ですよね」
十三、シュピルベルグ城(唾液分泌、糖尿病、腸内細菌、腺異常)
う仮説を打ち立てたのです。私も最初は半信半疑でしたが、最近は確診しています」
沼澤は続けた。
「さきほどの繰り返しになりますが、腸内の絨毛から各種の栄養分が吸収されるのですが、
同時に有害物質も吸収されてしまうのです。その証拠に膠原病患者さんの二~三割りの人
の血液中の亜鉛濃度が低いことがわかりました」
「亜鉛って大切な元素なんでしょう」
「ええ、赤血球膜の鉄に次いで二番目に多い元素です。創傷治癒を促進させたり、味覚に
も関係するのです」 「どんな食品に多くふくまれているのですか?」
「牡蠣などの貝類や雑魚、胡麻、レバーや高野豆腐に多いとされています」
沼澤は話に吸い込まれるように、身を乗り出した。
「この亜鉛値の低い三十名の人に協力をお願いして毛髪の重金属汚染を調べたところ、実
に二十六名の方の毛髪内にカドニウムや砒素などの重金属が検出されました。つまり、こ
のことから、必要な亜鉛は腸管から吸収が悪いのに、体内に入ってきて欲しくない重金属
は腸管から体内の血液中を巡って、最終的に毛髪に沈着したために検出されたと判断した
92
のです」
「つまり、吸収されたものはどこかに溜まるか、あるいは分解されて排出されるかのどち
らかというわけですね?」
「その通りです。いいですか、体は腺が無数にあります。皮膚では汗腺という汗の腺、口
甲状腺も肝臓もすい臓も全て腺臓器の仲間なのです」
「確かに体は腺だらけですね」
「そうです。脳や心臓などは誰もが注目しますが、それに比べると腺は日陰もので誰も注
目しません」
「腸のバリア機能が悪いのは添加物が影響しているというわけですね」
「そこが私の最も強調したい部分なのです。本来の腸の絨毛のバリア機能が壊されて、各
種の腺組織までその影響が出ているという壮大な仮説を立てているのです。このことを単
行本にして現在、校正中です。出来上がりましたら、一冊お送りいたしますよ」
「そうなんですか。ありがとうございます。今から楽しみにいたしますわ」
「ついでながら、添加物以外にも鎮痛剤やスイーツなども、腸のバリアを壊して腸炎を引
93
の中は唾液腺といって耳下腺や顎下腺、眼には涙腺があるのはわかりますよね。内臓では
十三、シュピルベルグ城(唾液分泌、糖尿病、腸内細菌、腺異常)
き起こすことも分かっています。実のところ、腸は第二の脳といわれるほど免疫にも関係
するのです」
沼澤は畳みかけるように話を続けた。
「腺は分泌もするのですが、同時に排泄もしますから、いわば下水にあたるわけです。上
水道には注意を払いますが、下水はさしてありがたがらないのがこの世です」
「特に中国では下水の概念が薄いので、残飯も何もかも河に流して終りにしているので問
題山積ですね」
「人が合成した化学物質は微生物が分解できないものが多いので垂れ流し状態です。です
から、米国の五大湖や琵琶湖が汚染され、背骨の曲がった魚やメス化した鯉が増えるなど、
被害山積しているのが現状です。一九六〇年代にレイチェル・カーソン女史が『サイレン
ト・スプリング』
、つまり『沈黙の春』という本を出版して物議を醸し出しましたよね」
「私も学生時代に読んだことがあります。カーソン女史の洞察力に感服いたしましたわ」
「当時の農薬製造業界は必死で反論していましたが、今となっては誰も反論する人はいな
いでしょう。この農薬被害のひとつがベーチェット病という病気といわれています」
「口や陰部に潰瘍ができる病気ですね? 親戚の姪がこの病気と疑われた時があったんで
す」
94
富士子は病気に精通していた。
「私が卒業したての頃は患者数も多かった記憶がありますが、最近、典型例は目立って少
ない気がしますね」
「北里大の西山茂夫名誉教授は蝶の収集家としても有名ですが、あるとき興味深い話をお
沼澤は旅行ノートを取り出しながら、話を続けた。
「蝶の幼虫をスーパーマーケットで購入したキャベツで飼育すると、ことごとく死滅する
というのです。調べると、キャベツの葉についた農薬で青虫が死んでしまうことが分かっ
たのです」
「そういえば、虫食いの葉っぱのキャベツは最近みたことがないですよね」
富士子は相槌を打った。
「そろそろ、外にでてブルノの町を上から眺めてみましょうか」
沼澤は富士子を外に誘った。
95
聞きした覚えがあります」
十三、シュピルベルグ城(唾液分泌、糖尿病、腸内細菌、腺異常)
十四、城外公園散策 (食事回数、古代の癌、赤舌、腸の重要性、トランス脂肪酸の害)
二人は城外の広場にでた。午後の日差しはまだまだ強い。
「そういえば、
私はコレステロール値が高くてコレステロールを下げる薬を飲んでいるの」
富士子は沼澤に相談を持ちかけた。
「でしょうね。中年以後には特に女性は多いですね。同情しますね。女性は男性に比べて
筋肉量が少ないでしょう。脳以外では、この筋肉が大部分のエネルギーを消費するのです
よ。つまり女性は元々消費カロリーが少なくて済むようにできているのです。ですが、女
性は総じて甘いもの好きときて、ケーキや甘い物は別腹と割り切って余計に平らげるので、
益々、メタボになりやすいというわけです」
「余分に贅肉がついてしまうということね」
しかし、
富士子の体型は着やせするタイプなのかスリムである。
富士子はため息をついた。
「ところで、あなたは三度三度きちんとご飯を食べる主義ですか」
沼澤は真顔で質問を続けた。
「はい。朝はパンとサラダ、牛乳くらいですけどね」
96
「和食はどうですか」
「私みたいに還暦を迎える年齢になると、三度三度は不要ですね。昔は朝、夕の二度で、
三度になったのは江戸時代の元禄時代からといわれています。いまでもスリランカでは二
食ですね。中近東のラマダンの時期はどうですか。一ヶ月間、日中、日のある間は全面禁
止です」
「そうねえ、深く考えずに、そういうものだと思っていましたわ」
「ところで、先生はどうされているの」
「普段、朝はブラック・コーヒーだけで、昼は軽くすませ、夜は納豆や豆腐、雑魚を肴に
日本酒やウイスキーを嗜む程度です」
「それでお腹が空きませんか?」
「大丈夫ですよ、もう慣れましたから。その代わり、週末や宴会のときはしっかり食べま
すから。腹一杯食べた分は翌日から減らして一週間から数日単位で調整しているのです」
「それで、調子は?」
「極めて快調ですね。不思議なくらい体が軽いので驚いています」
97
「海外暮らしが長いと、なかなか難しくて」
十四、城外公園散策(食事回数、古代の癌、赤舌、腸の重要性、トランス脂肪酸の害)
「お腹一杯食べて健康になろうというのは、幻想なんでしょうか?」
「ライオンを見てください。お腹の空いたときしか猟をしないでしょう。人間も動物です
から、必要最低限で生存できるような仕組みになっているのです。その原理原則を無視し
た結果、病気だらけの現代人ができあがったのでしょうね」沼澤は続けた。
「いいですか、物を食べると消費するためのエネルギーが必要で、逆に体力を消耗するの
です。もう一つは活性酸素を増やすので、老化を早めてしまうのです。ですから、私たち
は命と引き換えに食べているといっても間違いではないのです。昔から腹八分目という諺
がありますよ」
「養生訓で貝原益軒が唱えた有名な言葉ね」
「食べ過ぎの害については、かまどの火にたとえて患者さんに説明しています。このかま
どの火を絶やさないためには薪や燃料が必要で、この薪が食べ物というわけです。しかし、
どうですか、一度に多量に薪を入れすぎると逆に火が回りにくく、しばらくすると今度は
火力が強すぎてかまどを傷めてしまいますよね。このかまどが私たちの体というわけです。
ですから食べれば食べるほど、腸内細菌に余分な負担をかけて、消化不良やメタボを引き
起こし、短命になると言うわけです。因みに、一日一食で十分とする単行本も数多く出版
されていますよ」
98
「私の女友達が時々日本からテレビの録画番組を送ってくれるんです。確かこの前、何の
「私も高校時代からほとんど朝は食べていません。しかし、中年時代にはいつもシンデレ
ラ帰宅していました」
「シンデレラ帰宅?」
富士子は怪訝そうな顔をした。
「十二時門限というわけです」
「 帰 宅 し て か ら ビ ー ル を 飲 ん で 豪 華 な 夕 食 を 食 べ て い ま し た か ら、 当 時 の 体 重 は 最 高
六十八キロ、腹囲は八十八センチメートルで、すんでのところでメタボでしたね。その後、
夕食を極力とらずに、酒とつまみ程度に抑えて、現在は学生時代に戻りました。因みに体
重五十七キロ、腹囲は八十前後です」
「あら、すると検診では何も引っかからないの」
「ええ、そうです。頭と歯と目以外はどこも悪くないと豪語しています。還暦すぎてから
どこも異常のない率は私の病院では二パーセント程度です。もちろん私もこの二パーセン
99
番組だったかしら? 有名な日野原重明院長先生が百歳を越えても一日一食で若さを保っ
ているというのを見た覚えがあります。本当なんですね」
十四、城外公園散策(食事回数、古代の癌、赤舌、腸の重要性、トランス脂肪酸の害)
トに入っていますがね」沼澤は得意げであった。
「あら、さすがですわ」富士子が持ち上げた。
「いえいえ、長年の研究結果ですね。患者さんから教えられることが多いのです」
途端に謙遜顔で沼澤は続けた。
「数百人に一ヶ月間、日常の食事内容を記載してもらいましたが、私より少ない人は皆無
でしたね。採血した八割以上の人が高脂血症で、四六時中、『余り食べるな』と口すっぱ
く説明している毎日ですよ」
「外来が忙しいと夜まで水分以外取る暇がないときがありますが、その時は帰宅後の酒を
楽しみにしているのですよ。先ほどもいいましたが、ラマダンと同じです」
「じゃあ、先生は不定期に断食をなさっているってわけね。でも夜遅く食べると体に悪い
といいません?」
「夜遅く食べるとメタボになりやすいのですが、これはビーマルワン遺伝子が働いて余分
にエネルギーを体内に蓄積します。食料のない時代には大変合理的な方法でしたが、飽食
時代にはこれが裏目にでるというわけですね。私は常日頃、患者さんには『オールウエイ
ズ三丁目の夕日』の時代を手本にしてくださいと説明しています。昭和三十五年がメタボ
100
発祥の時代といわれていますのでね」
ったかしら? 大阪万博をクラスの全員で見学に行きました。そのころはすでにメタボ時
代の真最中というわけね」
富士子はしきりに頷いた。
「人類は誕生してから一万年前の氷河期までは極度の飢餓にさらされてきたのです。この
数十年以来急に飽食時代に入って、病気も急増したといっていいでしょう。過去の日本の
食文化の変遷を考えてみてください。狩猟が中心の縄文時代から稲作中心の弥生時代に移
行しましたね。そのころから、塩以外にはさしたる調味料は使っていなかったのです」
「味噌や醤油は遣唐使が中国から持ち込んだの。砂糖が使われるようになったのは江戸時
代なんですってね。私は歴史小説のファンなのですよ」
「その通り、その後、現代の人工添加物多用時代に突入して、病気だらけの人が目立って
きたのです」
二人は砂利道を散策するうちに、城壁の角にたどり着いた。
沼澤はブルノの街全体を見下ろそうと、階段を上りながら話を続けた。
101
「あら、そう、高度成長時代にメタボも幕開けというわけね。小学生の時、昭和四十年だ
十四、城外公園散策(食事回数、古代の癌、赤舌、腸の重要性、トランス脂肪酸の害)
「エジプトのミイラ数百体を英国の有名な大学が調査してわずか一体しか癌が発見されな
かったという報告があります。その当時は早死したのでガンができる暇がなかったと反論
する学者もいますが、私は違うと思います。その当時でも長生きする人は数多くいたはず
です。短命なのは乳児死亡率が高くて全体の平均値を引き下げていたためです。興味ある
ことに、その論文では食事や環境などが発ガンに関与していると結論付けているのです」
「四千年前のことね」富士子は階段を上りながらいった。
「その証拠を模索しているうちに、食品添加物の問題に行き着いたというわけです」
「もう少し詳しく話して」
富士子は見晴らし台の上で、沼澤の横に並んで立った。
「私は東洋医学にも興味をもっています。舌診といって舌の状態をみることも常日頃行っ
ているのです。すると、舌の表面上にブツブツと見える尖った角化物が完全に無くなって
つるつるの表面をした人がいることに気づいたのです。赤くつるつるした舌を赤舌と呼ん
でいます。きちんと調べると約四割の人がシェーグレン症候群と診断できたのです。どう
してつるつるの赤い舌になるのか原因がわかりませんが、三種のケラチンという蛋白質で
できている糸状乳頭が消失することは確かです」
102
「糸状乳頭?」怪訝顔の富士子に、
「ああ、ごめんなさい。トゲトゲの尖った乳頭で、ほ
「赤い舌の状態では口腔内の常在菌のひとつのカンジダにも異変を来たしているのではと
考えて、舌の表面を綿棒で擦って寒天培地で培養したのです。すると、唾液の少ない人は
カンジダの弱毒株が増えて、かつ通常最も多いはずのカンジダ・アルビカンスの菌量も少
ないとわかったのです。つまり免疫力が落ちて、通常、最も量が多くて毒力も最強のはず
のカンジダ・アルビカンスの菌量が減少していたことから、口内だけでなく食道から胃と
腸に続く腸管の腸内細菌にも影響するのではないかと思って腸内細菌叢を調査したのです。
つまり、腸管は口から肛門まで連続した管ですから」
「何か面白い結果がでましたの?」
富士子は質問した。
「通常は大腸菌が主で最も多いのです。しかし、シェーグレン症候群の人では菌種の種類
も少なく、大腸菌の量も減っているのです。唾液分泌の低下は腸内細菌の種類や量まで影
響すると分かったのです」
「体内はつながっているんですね。食べものによっても腸内細菌は変化するんですか?」
103
らこのブツブツした部分です」沼澤は自分の舌をベローと出しながら指差した。
十四、城外公園散策(食事回数、古代の癌、赤舌、腸の重要性、トランス脂肪酸の害)
「いい質問ですね。その通りです。この前、血液中の亜鉛値が低いドライ症候群の患者さ
んが受診しました。亜鉛値が低いので腸内細菌叢を調べて、すでに大腸菌が少ないことが
分かっていました。その後、半年後に二回目の検査をしましたら、菌種や量に随分差があ
りました。そこで患者さんに問いただしたところ、黒ニンニクが体によいと友達に勧めら
れ、数ヶ月間毎日食べ続けていたと分かったのです。もちろん訳をいって黒ニンニクを食
べるのを控えてもらい、半年後に確認しましたら、元に戻っていました。最近はサプリメ
ントが大流行で、こっそり何種類も摂取している人も多いのです。今まで見たことも無い
変わった発疹を見たときにはサプリメントを摂っているかどうかを最初に聞くようにして
います」
沼澤は二人が歩いてきたブルノの町並みを目で辿りならら、話を続けた。
「かれこれ十数年前、私が現在の病院に赴任してまもなく、全身真っ赤になった患者さん
が入院しました。最初から薬疹、つまり薬の副作用で赤くなったと疑っていたのです。入
院してから毎日こまめに全身の赤いところに外用していたのですが、一向に皮膚の赤みが
治る気配がないのです。そこで、何回も質問したのですが、『全く薬は飲んでいない』の
一点張りでした。半ば諦めて、
『そういえば、まさか補助食品やサプリメントは摂ってい
104
ないでしょうね』と質問すると、
『 摂 っ て い ま す よ 』 と、 平 然 と ベ ッ ド の 下 か ら バ ケ ツ 二
「まあ、すごい。飲むのも大変でしたでしょう」
「これには私もびっくり仰天しました。十三種類、合計百万円以上もするのです。どうし
てこんなに飲んでいるのと質問すると、これは友達の誰々が推薦、これはネット推薦、な
どなど人が勧めるものは全て購入したというのです。バケツ二杯分をすべて預かって中止
したところ、ものの数日で完治して、退院していきました。しかし、後日、もったいない
と思ったのか、全て引き取りに来ました」
「お返しになったのですか?」
「預かっておく必要も無かったので、すんなり返しました」
「その時、写真を撮っておくべきでした。後の祭りで、今でも悔やんでいます」
「撮っておけばさぞ壮観な写真になったでしょうね」
「こうした経験から、第一声は『何かサプリメントは飲んでいませんか?』ですが、これ
が当たるのです。
『え〜、どうして一発で分かるのですか。どこに行っても分からないと
いわれたのに』と逆に患者から感謝されたこともしばしばですね。ですから、最近は『余
分なものは極力控えよ』と口すっぱく説明するようにしています」
105
杯分のサプリメントを持ってきたのです」
十四、城外公園散策(食事回数、古代の癌、赤舌、腸の重要性、トランス脂肪酸の害)
「サプリメントみたいな錠剤を常用するのが問題なんですね」
「いえいえ、錠剤やドリンク剤以外にも、体に良いとされる青汁でも、飲みすぎると日光
過敏症になって皮膚炎を引き起こします」
「青汁は飲んだことはありますけど、苦くてあまり好きになれないのですよね。でも野菜
は体に必要だし、悪いものではないのでは?」
富士子は不安げに聞いた。
「葉緑素は英語ではクロロフィルというのです。この部は植物の中枢で光の光合成を行う
ところですから、光に過敏になって当然ですよね」
「何事も過ぎたるは及ばざるが如しなんですね」
「そもそも、生命維持に絶対に必用なサプリメントなど、ないはずです。その証拠に私た
ちは幼少時には摂取していなかったはずで、摂取しなくとも私もあなたもこの年まで生き
長らえたのです。ですから、現にこうして診察室に座っているのではないですかと反論す
るようにしています」
「そうですよね。私も小さい頃はサプリメントや健康食品なんかみたこともありませんで
したもの」富士子は昔を思い出すような表情になった。
106
く皮膚がかぶれますよね。
しかし、
漆職人がかぶれを起こしては仕事にならないでしょう」
「ええ、何か秘訣があるのですね?」
「彼らは仕事初めに、必ず漆を一筆なめてから仕事に取り掛かるというのです」
「なぜ、そんなものを口に? 口は大丈夫なんでしょうか?」
「これを二重抗原暴露仮説といっています。なめた一口はすぐに食道を通って腸管に移動
します。皮膚ではリンパ球のTヘルパー一細胞が働いて皮膚炎を引き起こすのですが、か
たや、腸管内ではヘルパー二型のTリンパ球が働いて免疫寛容に向かうという説です」
「免疫寛容って免疫が起こらないから大丈夫ってことかしら?」
「そうです。免疫が成立しないので炎症が起こらないので腸管は大丈夫ということですね。
食品で代表的なのはピーナッツアレルギーです。最近、ピーナッツを全く食べたことのな
い赤ちゃんにピーナッツアレルギーが起こるという不思議なことがわかってきました」
「これも二重抗原暴露仮説で説明できるのですか?」
「家族にピーナッツ製品の好きな人がいて、家具や床などに付着していると、はいはいし
た赤ちゃんの皮膚から侵入してアレルギーを起こすというのが、その説明です」
107
「反対に皮膚炎を起こすものでも、食べて大丈夫なケースがあります。たとえば、漆はよ
十四、城外公園散策(食事回数、古代の癌、赤舌、腸の重要性、トランス脂肪酸の害)
沼澤は話を続けた。
「ピーナッツ自体の消費量は米国より中国の方が多いのですが、この手のアレルギーは中
国の方がむしろ少ないのです」
「製品の方が影響が強いということね?」
「ピーナッツそのものより、ピーナッツバターなどの製品の量と相関するからです。つま
り、製品化すると逆にバリアから侵入しやすいということでしょう」
二人は城を出て坂をゆっくりと下った。公園の途中で子供づれの家族がとうもろこしを
焼いていた。トウモロコシとバターの香りが解け合い、食欲をそそる。
「とろろで、バターといえば、最近は落花生の皮をむいて表面にバターを塗ったバターピ
ーナッツが主流ですね。バターとは名ばかりで実際はマーガリンを使用しています。一昔
前、バターより体によいとされて、もてはやされましたよね」
「ええ、私も覚えていますわ。小学生の頃は何にでも塗りました」
「ところが、最近は逆でマーガリンは脂肪酸が直線状のトランス型とされ、曲がった形の
シス型の脂肪より体に悪いと分かってきたのです。油で揚げたはずのポテトチップスやド
ーナッツがべたつかないのもこの手の油を使っているからです」
108
「嘘か本当かゴキブリもこの油を使った製品を食べないという話ですよ」
「何なら一度試してみては」
沼澤はにやりと笑った。
「欧州では極力控えることを国が奨励するためにチップス税を掛けたり、トランス型脂肪
の添加率を規制したりしていますよ」
「日本でも遅まきながら、自主規制の兆しがありますね」
「なら安心ですね」
「私のモットーは原料が一目みて分からないものには手を出さないこと。人工添加物を極
力抑えるため、原材料の項目が十種類以上のものは極力避ける。油類の多いファースト
フードや清涼飲料水やスポーツ系ドリンクも避ける。宴会がある時は朝から小食にして、
万一食べ過ぎた翌日はお腹がすくまで食べないことです」
「あら、それで体が持つの」
「大丈夫です。慣れの問題ですから、中近東のラマダンと同じミニ断食です。一ヶ月間は
日没後に食べるだけでしょう。それで餓死した人はいないはずです」
109
「あら、本当ですか?」
十四、城外公園散策(食事回数、古代の癌、赤舌、腸の重要性、トランス脂肪酸の害)
「食べ物は大部分が生き物ですから、食べられると命を失うのです。食べられることで次
の生物にその命を繋いで、その最終点に人間が君臨しているのです。このままの生活を続
けると近い将来人口問題や食料問題などの難題が表面化して、絶滅危惧種を心配している
人間が実は近い将来絶滅してしまう可能性もあるのです」
「そうねえ、考え直す時期かもしれないわね」
二人は城の公園から古い町並みのトラム線に沿って歩き始めた。どこからともなく、ピ
ザの臭いがした。イタリア系のピザ店だ。八分の一の大きさのもの二つを注文して、食べ
ながら聖堂を目指した。
「そういえば、最近は匂いを嗅ぐ機会がめっきり減りましたね」
「昔は、冷蔵庫も普及していなかったので、食べ物は翌日には腐ることも多かったのです。
ですから四六時中、警察犬のようにクンクン嗅ぎまわっていましたよね」
「私は鼻がきくほうね。でも、味覚と嗅覚とも衰えて困っている友達もいます」富士子は
同意した。
「世界一食中毒の少ない日本では当たり前のことかもしれませんが、まだまだ米国では食
中毒で数百から数千人単位の年間死亡率があるようですから、比較にならないのが現実で
110
すよ。要は必要なくなったというのが現状でしょうか」
て腐らなくなっているのです。日本は火葬が主で土葬はなくなりましたが、米国では土葬
が主です。普通土葬するのは土に帰すためですが、白骨体状になっても、なかなか腐らな
いので、困っている面もあるようです」
「次の死体を埋葬できないってことかしら?」
「私たちの体の中に防腐剤が多量に含まれているせいでしょうね、昔のエジプトなら、ミ
イラづくりに重宝されるでしょうが、唯一の利点は犯罪を暴くのに役立つことでしょうか。
証拠隠滅されない状態ですから」
「悪いことばかりではないので、よしとしましょう」
111
「防腐剤や酸化防止剤の良い面でしょうが、その代償に私たちの体まで防腐剤漬けになっ
十四、城外公園散策(食事回数、古代の癌、赤舌、腸の重要性、トランス脂肪酸の害)
十五、聖ペテロ聖パウロ大聖堂 (神とあの世)
小春日和の日であった。
シュピルベルグ城から歩いて十数分坂を下り、トラム線沿いに駅方向に歩くうち、小高
い丘に二本の尖塔が天高く突き上げた教会が目に飛び込んできた。目指す聖ペテロ聖パウ
ロ大聖堂だ。徒歩でも十分歩ける距離だ。遠くからでもその天を突き刺す二本の塔が嫌で
も目に付く。
案内書ではロマネスク様式から十四世紀にはゴシック様式になり、ネオゴシック様式の
塔が加わって現在の状態になったようだ。内部は荘厳で威圧感に満ち、キリスト教徒でな
くとも神への畏敬の念に駆られる。
「さすがに圧巻ですね」
「そうね。神を間近に感じる瞬間ね」
二人は内部をゆっくりと歩いた。ステンドクラスがまばゆい。
「昨日、今日といろいろお話を伺ってきましたけど、沼澤先生ってちょっと変った人生観
112
をお持ちな気がします」富士子は質問した。
「ええ、私はこの世はあの世からの旅と捉えています。この旅先での感動や体験を元の古
巣であるあの世に土産話として持ち帰ることが私の本望です」
「なかなか哲学的ですね」
「あの世の存在を信じるかどうかで人生は全く別物になります。私はあの世が本来の居場
所と考えていますから、通常の人の逆転の発想といえるでしょうね」
「肉体は消滅しても、霊魂は不滅というわけよね」
「高校時代にはなぜ人は死ぬのか、悩みぬきました。その契機は叔母が子宮がんで幼子二
人を残してこの世を去ったことです。夫の叔父もC型肝炎後の肝硬変から肝臓癌をわずら
い数年前にこの世を去りました」
沼澤は礼拝堂に向かって拝む姿勢を取りつつ、話を続けた。
「沼澤家では数年に一回程度親戚中が集まって沼澤会を開催しているのです。祖母も祖父
も懐かしく、あの世で沼澤会での再会を今から楽しみにしているのです。ですからいつこ
の世からあの世に移っても、私自身にはなんら悔いはないのです。むしろ、あの世で好き
なときに再会できることが楽しみで、今からわくわくしている状態です」
113
「そういうことです。私はこのことが人生論の最大の争点と思っているのですよ」
十五、聖ペテロ聖パウロ大聖堂(神とあの世)
「卓越してらっしゃるのね」
「人から何でそんなにいつも楽しそうにしているのですかと聞かれることも多いですね。
この世が一次的であの世が永遠とすると、今回の旅行が一次的でこの世と考えるのです。
だからいつかは終わりがあり、古巣の故郷、つまりあの世に帰るのであれば、肉体のある
なしは問題ではなくなるのです」
「キリスト教に近い死後思想なんですのね」
「いかに気、つまり精神的に高めることができるかが、この世の最終目標と考えているの
です」
沼澤は得意げだった。
「もうすでに悟りの心境ですね」
「ええ、還暦を超えたころから、朝目が覚めると、ああ今日も神様から生かしてもらって
一日得したなと考えることにしています。今日の一日は余禄の人生ですから、もうけもの
と考えることにしています」
教会を出て駅まで戻ると、毎時四十分発のプラハ行きの時間が迫っていた。がんばれば
郊外のメンデル博物館も回ることは可能であった。しかし、沼澤は歩きすぎで左足背の靭
114
帯を痛めて、昨夜もホテルで、自分で鍼を打って痛みを軽減させていたのだ。ここは、断
念せざるを得ない。
列車はどの席も指定ではく、自由に選べた。六人掛で、ガラス戸で囲われた指定席のド
ア側に若い男性の後に続いて座った。見ると中央部に対面して若い女性カップルがすでに
占拠していた。一人は女優かモデルかと思うほどの美女だ。もう一人はお世辞にも美人と
は言いがたい。しかもかなり肥満体である。ゆうに百キロは越えているだろう。
115
そういえば、米国では肥満の中でもさらに肥満をオビューズ(でっぷり肥えたという意
味、超肥満)として区別していることが沼澤の心をよぎった。米国テキサス留学中、スク
途中で若い男性も下車し、まもなく、二人の若い女性も下車した。
取り込み、一枚一枚、二人でキャッキャッと見直している。大の仲良しだ。
肥満女史は相変わらずニコンの最新式一眼レフを手にし、しきりに友達のスナップをパ
シャパシャ取っている。途中大型の富士通ノートパソコンを取り出し、これまでの写真を
メリカ留学の懐かしい思い出として走馬灯のように浮かんだ。
トにポテトチップとコーラやファンタなどの清涼飲料水を山積みした黒人の肥満女性もア
つ肩に担ぎ上げて押し込むように乗せている風景や、近所のスーパーで大型の買い物カー
ール・バスに乗り込むオビューズの女学生を若いイケメン男子学生が彼女のお尻を片方ず
十五、聖ペテロ聖パウロ大聖堂(神とあの世)
コンパートメントは二人の貸し切りとなったのを幸いに互いに窓側に陣取り、夕日を眺
めた。
「綺麗ねえ。すてき」
「本当だ。いつ見ても夕日はいいよ」
高層雲が夕日に染まり、雲が炎のように躍動する光景は日本では見たことがなかった。
この瞬間、死んでも悔いがないというのがその時の偽わざる心境であった。それほど心惹
かれた夕焼けだったのだ。
プラハ駅には夜七時過ぎに到着した。
沼澤は富士子と別れを告げた。
名残惜しい気持ちはあったが、旅は一期一会、会者定離が基本だ。
116
十六、旧ユダヤ地区
この数日あちこち歩き回ったため、足を痛めた沼澤はプラハ本駅でカジュアルな靴を購
入した。赤系の革で履き心地のよいものを念入りに品定めした。カジュアル系の紅色のス
タイリッシュなものに決めた。履きやすい。一三八〇コルナ、五十二ユーロ(六千円程)
だ。ビザカードで支払う予定であったが、暗証番号を忘れてしまった。手書のサインでは
117
受けつけないというので、やむなく現地のお金で支払った。帰国前のお土産代に少しでも
残しておきたい気持ちがあったからだ。
プラハ本駅から一ブロック歩くとプラハ・マサリク駅に出た。
付近を散策する内に、骨董品店のショーウインドーが目にとまった。
一九三〇年代のスイス製クロノグラフが何本も展示されていた。機械はバルジュー製で
横二目(注)が主だ。状態も抜群だが値段も高い。トリプル・カレンダーのものも混じっ
観察がてら、グランドセイコー初代の話をしてみた。昭和三十六年代から二〜三年の間
よい男性が対応してくれた。五十歳代台とみた。
ていた。沼澤は時間の余裕があったので、立ち寄ってみた。やや頭髪の薄くなった恰幅の
十六、旧ユダヤ地区
に一万個前後が、販売された。当時二万六千円もした。大学初任給が一万円の時代だから
高値の花だ。文字盤の違いで三種と裏蓋のライオンの形の違いで二種に分類される。反応
がいまいちのところを見ると、マニアには垂涎の的の日本の名機もプラハではさして知ら
れていないのだろう。
共和国広場を横切ってパラジウム四階のモンゴル店に行き、先日の富士子女史と同じメ
ニューを注文した。そこそこに美味であったが、話の相手がいるのといないのでは胃酸の
分泌にも影響すること必至だ。
沼澤は思った。電話するのは止めておこう。日本に帰国したら、経過報告の絵はがきで
も送ろう。しばらくはプラハの郷愁に浸っておきたいというのが、その時の沼澤のいつわ
ざる気持ちだった。
(注)横二目―クロノグラフの計測器の付いた時計の文字盤に横二列に秒針と分針の計測
用カウンターが付いたもの、縦に配列したものを縦二目という。
118
十七、さらば、プラハ
帰国を前に荷作りに専念した。昨晩から蚤の市の戦利品が机の前に所狭しと並べられ、
十分に堪能した。プラハの街並のスケッチを収めた額縁大小二つとアザミを写生した中程
度のもの一個、合計三つを大きさ順に並べると、バランスがよい。部屋で眺めて一人悦に
119
入るのも旅の楽しみの一つだ。
朝方三時頃目をさまし、一時間かけて蚤の市の「戦利品」を衣服や下着で挟み込んだ。
板チョコや靴、カップなどと上手く組み合わせて隙間なくしっかりと梱包し、完了する。
完璧だ。あとはセカンドバッグに貴重品を入れ、準備万端となった。
朝方五時半頃、近くのバス発着場を確認に出かけた。ホテルを出て火薬塔の方向から右
折し、パラディウム・センターの前から路地にはいると、バンタイプの警察車が一台駐車
おいとまだ。
だが片道百三十コルナもいる。この時期に交換はばからしい。意地でも残り八十コルナで
た付近にバス発着のポールがあった。時刻表をみた。朝六時から三十分毎の発着だ。便利
し、窓越しに数人の若者と論議中であった。取り締まり中か。その横をさりげなく通過し
十七、さらば、プラハ
ホテルまで数百メートルと目算し、一度ホテルに帰った。その途中、深夜まで開店して
いた雑貨屋の手前に門があり、門から広場が見えたので、確認のために門を潜って、当た
りを見渡すとなんと先ほどのバス停が見えた。そうかこれが近道か、なんと馬鹿なことを
してきたのだ。最後の最後で見つけた近道は最後の花道か。
フロントに戻りバス料金の件で確認した。ユーロが使えるかどうか不明、必要なら当ホ
テルでも交換可能という。千円も交換すれば十分だが、またしても半端が出るのがいやだ。
結局、地下鉄で乗り継ぐ安上がりの方を選んだ。七時過ぎ最後の食事を取った。食事前に、
残りのボールペン数本とこけしのストラップを食堂の若い女の子に手渡し、これが最後の
朝食と説明した。数日を過ごしたホテルであったが、愛想は良くなかった。
食後、早めにホテルを出ることにした。フロントで精算時、初日に借りたコンセント交
換器がないという。部屋の壁に付けたままと説明すると、強い口調で「I need i
t」といわれたのには仰天した。日本では、
「 い い で す よ 」 で 片 付 く が、 よ ほ ど 人 を 信 用
していないか、取りに行くのが面倒なのか。
仕方なく、重いトランクをフロント前に残し、四階の部屋に戻り、返却した。外の石畳
はキャスターが食い込み、引きにくい。駅の地下鉄からBラインに乗りフロレンス駅から
120
赤のCラインに乗り継いだ。終着駅から百番バスに乗るだけで自然に空港に行ける。この
ときは自分が間違った線に乗っていることに気づく余地がなかった。
気づいたのは終点から三駅手前だ。すでに三十分以上経過し、出発点まで戻るとさらに
三十分、合計一時間以上も無駄にした勘定だ。九時半には空港につきたい。引き返したの
は八時三十分頃、頑張ればぎりぎりでセーフか。少なくとも九時二十分の空港行きバスに
乗る必要があるのだ。何のことはない。最初の駅から反対方向の列車に乗れば事足りたの
だ。しかし悔やんでも遅い。焦る気持ちを抑え、平静を装った。
九時十五分過ぎにようやく終駅に到着。重いトランクを強引に引き上げ、階段を一気に
駆け上る。バス停まで後一分、走れ。バスはまだだ。バス停前につくやいなやバスが来た。
即、運転手に切符購入を依頼、四十コルナを支払い、自分で日付記録を入れた。
第二ターミナルには九時三十五分に到着、出発は十一時三十五分なので間一髪間に合っ
た。二階の出発ゲートに上がると日本人の一行が見えたので七十歳前後の白髪の老人に声
を掛けた。
聞くと岐阜から合唱団として三個所を回っての帰路という。団体は東海近隣から集合し
ているので、セントレアからは三々五々帰る由。ラッキー、旅は道連れ、死ぬときも道連
れ、これで心おきなく死ねる。
出国時、検査でポーランド製ウオッカの飲みかけが引っかかった。この場で飲むか、廃
棄するかと迫ったので、もったいないとばかり、一気飲みに出た。五百ミリリットルの小
瓶であるが、五分の一は残っている。さすがに朝からではほろ酔い気分だ。あから顔で飛
行機に乗り込むことになった。
残りの小銭は四十コルナ、何かないかと探すと、ピルスナー・ビールが三十九コルナだ。
一缶買うと、レジのおじさんが名古屋までかと聞くので、そうだというと、直接持ってい
けるようにとレジで書類を同封し封印してくれた。これでは飲むに飲めない。まあいいか。
お土産にして、現地のピルスナー・ビールの味を堪能してもらおう。
最後の一コルナをズボンのポケットにしまい、長い帰路についた。
122
あとがき
いかがでしたか。小生の型破り小説、処女作。
プラハを訪れた方には懐かしい場所や記憶もあったかと思います。小生の珍道中と中年
女性との丁々発止、いささか無理な掛け合わせかなと内心思いつつも強引にねじ込んで仕
123
立てた嫌いもあります。
しかしながら、少しでも読者の皆様に皮膚の重要性・大切さに気づいて、これまで軽ん
じられてきた肌(皮膚)を見なおすきっかけと食養の重要性を再認識していただければ、
筆者にとってこの上ない本望です。
高雄にて:仮題)ですので、ご期待く
第二、第三の類似の小説を企画中(皮膚の旅人 —
ださい。
最後に、本書にご尽力いただきました有限会社オカムラ(岡村静夫氏)並びにeブック
ランド社(横山三四郎社長)と懇切丁寧に御指導頂きました担当の藤宮弥生氏に深謝いた
します。
あとがき
著者プロフィール
前田 学(まえだ まなぶ)
【略歴】
昭和50年(1975) 岐阜大学医学部卒業・同皮膚科学助手
昭和51年(1976) 大垣市民病院皮膚科勤務
昭和52年(1977) 岐阜大学医学部助手
昭和57年(1982) 県立下呂温泉病院皮膚科医長
昭和58年(1983) テキサス大学植物学科留学 ( Postdoctral fellow
)
昭和61年(1986) 岐阜大学医学部附属病院皮膚科講師
平成 6年(1994) 岐阜大学医学部皮膚科学助教授
平成10年(1998) 県立岐阜病院皮膚科部長
平成17年(2005) 岐阜県総合医療センター(名称変更)
著書:皮膚疾患と瘀血―レーダーグラフを用いた検討―、緑書房、1995年、
膠原病診療の最前線、現代における難病の病態と治療、たにぐち書店、1998年
ア行
お肌とからだの関係 アカサタナ順索引
十三、シュピルベルグ城
十四、城外公園散策
九、コーヒーブレイク
十、城外の散歩
赤舌 十三、シュピルベルグ城
アトピー性皮膚炎
亜鉛 十五、聖ペテロ聖パウロ大聖堂
八、世間話
十三、シュピルベルグ城
十一、食事に誘う
十、城外の散歩
十、城外の散歩
陰陽 稲作文化 LED エンドセリン カ行
カルシウム カロリー消費 角層 神とあの世 126
化粧品 ケラチン 牛乳 十四、城外公園散策
十一、食事に誘う
十、城外の散歩
八、世間話、十四、城外公園散策
九、コーヒーブレイク
十一、食事に誘う
膠原病 十、城外の散歩
骨粗鬆症 古代の癌 サンスクリーン 十四、城外公園散策
十四、城外公園散策
十三、シュピルベルグ城
十一、食事に誘う
細胞間脂質・セラミド 九
、コーヒーブレイク
十、城外の散歩
紫外線 十
シェーグレン症候群
三、シュピルベルグ城
十三、シュピルベルグ城
人工添加物 糸状乳頭 食事回数 食文化 重金属毛髪汚染
127
サ行
さくいん
洗顔 九、コーヒーブレイク
九、コーヒーブレイク
十、城外の散歩
十三、シュピルベルグ城
石鹸 腺異常 全身性強皮症 タ行
十、城外の散歩
タイトジャンクション 九、コーヒーブレイク
十三、シュピルベルグ城
唾液分泌 十三、シュピルベルグ城
十三、シュピルベルグ城
十三、シュピルベルグ城
十四、城外公園散策
腸の重要性 帯状疱疹 腸バリア障害 腸内細菌 糖尿病 九、コーヒーブレイク
トランス脂肪酸の害 十
四、城外公園散策
ドライトリアス症候群 十三、シュピルベルグ城
十、城外の散歩
電麻器 天然保湿因子
128
東洋医学 ナ行
二重抗原暴露仮説
ハ行
十、城外の散歩
十四、城外公園散策
九、コーヒーブレイク
九、コーヒーブレイク
十、城外の散歩
鍼治療 十
はくろう(白蠟)病
、城外の散歩
八、世間話
129
皮膚の進化 皮膚のバリア障害 フィラグリン ピーナッツアレルギー 十四、城外公園散策
十三、シュピルベルグ城
ベーチェット病 ホメオスターシス 八、世間話
マ行
メタボリック症候群 十
三、シュピルベルグ城
十四、城外公園散策 免疫寛容 ラ行
さくいん
ラマダン 十三、シュピルベルグ城
十四、城外公園散策
十、城外の散歩
十三、シュピルベルグ城
十四、城外公園散策
酪農文化 リンパ球 レイチェル・カーソン女史 レイノー症状 130
美白の警鐘
医療小説 還暦皮膚科医プラハの旅
前田 学
発 行 2013 年 8 月 25 日
発行者 横山三四郎
出版社 e ブックランド社
東京都杉並区久我山 4-3-2 〒 168-0082
電話番号 03-5930-5663 ファクス 03-3333-1384
http://www.e-bookland.net/
本電子書籍は、購入者個人の閲覧の目的のためのみ、ファ
イルのダウンロードが許諾されています。複製・転送・譲
渡は、禁止します。