2 型糖尿病患者のメンタルヘルスとその関連要因に関する社会心理学的

2 型糖尿病患者のメンタルヘルスとその関連要因に関する社会心理学的研究
キーワード:2 型糖尿病,抑うつ,SOC,経済的満足,ソーシャルサポート
行動システム専攻
小堀
1.
はじめに
真衣
フルな出来事の健康へのダメージを受けにくいだけでな
本邦において,全糖尿病患者の約 9 割を占める 2 型糖
く,死亡や心疾患等の障害に陥る確率が低いことも示さ
尿病患者数は年々増加している¹⁾²⁾.2 型糖尿病の治療
れている⁸⁾⁹⁾.さらに,SOC の強弱は社会経済的状況や
においては,糖尿病性の合併症の発症・進展の阻止のた
生活習慣と関連することが示されている.これらのこと
めに,生活習慣の改善による血糖の良好なコントロール
から,SOC の強弱や社会経済的状況,生活習慣が,2 型糖
状態の維持が治療の目的となる³⁾.しかしながら,2 型
尿病患者における抑うつに関連する要因であるとの仮説
糖尿病患者には,血糖コントロールを不良へと導くメン
を立てた.
タルヘルスの問題が生じやすく,その中でも特に抑うつ
やうつ病が合併しやすい⁴⁾⁵⁾.第 1 章での文献的考察に
おいて,抑うつを生じている者の 10%から 25%が,1 年か
ら 3 年の間にうつ病に移行し,2 型糖尿病患者で抑うつ
を合併している者では,合併していない患者と比較して,
2.
2 型糖尿病患者の抑うつの実態とその関連要因に
関する研究
1) 目的
糖尿病型やインスリンの使用,重度の糖尿病性合併症
合併症が進展しやすく⁶⁾,死亡率が 1.67 倍(P=0.003)
による抑うつへの影響を考慮した 2 型糖尿病患者を対象
である⁷⁾ことが明らかとなった.したがって,2 型糖尿
に,前述の仮説を検討すること.
病患者における抑うつの合併を予防・改善することは良
好な血糖コントロールの実現と合併症予防による死亡リ
スクの低下に重要である.抑うつを予防するためには,
まず 2 型糖尿病患者において抑うつを合併している者の
特性を明らかとすることが必要であるが,本邦における
報告はなされていない.2 型糖尿病患者において抑うつ
を合併している者は,①2 型糖尿病を発症した後に抑う
つを生じた者と,②抑うつを生じた後に 2 型糖尿病を発
症した者の両者が含まれており,①の場合には,糖尿病
治療によるストレスが抑うつの発生に関与し,②の場合
には,抑うつによる生活習慣や神経内分泌系の変化が 2
型糖尿病の発症に関与している.また,抑うつがすべて
の 2 型糖尿病患者に合併していないことも考慮すると,2
型糖尿病で抑うつを合併している者と合併していない者
では何らかの特性の差異が存在し,その特性の差異とは,
糖尿病治療によるストレスや生活習慣などの変化に対す
る応答ではないかと考えられる.このようなストレスへ
の対処や生活習慣に関連する要因として,ストレス対処
能力と言われる首尾一貫感覚(Sense of Coherence: SOC)
が関与している可能性がある.SOC が強い者はストレス
2) 研究方法
①研究デザイン
本研究は横断的研究である.
②対象者
久留米大学付属病院内分泌代謝内科に通院している 2
型糖尿病患者男女 102 名(28~86 歳)で,以下の除外基
準に該当しない者を対象者とした.
対象者除外基準:
a) 従来よりインスリン治療をしている
b) 血糖コントロールが著しく不良である
c) 調査項目に影響を与える可能性のある慢性合併
症を有する
③調査方法
平成 21 年 2 月から同年 4 月に,外来受診時に調査協
力を依頼し,調査に同意の得られた患者を対象にアンケ
ート調査を実施した.
④調査項目
■身体的項目
性,年齢,身長,体重,調査当日の収縮期血圧,拡張
期血圧を調査し,Body Mass Index(BMI)
(kg/m²)を算
乗検定を用い検討した.さらに,抑うつ傾向と SOC,SOC
出した.
と社会経済的状況・生活習慣がどの程度関連しているの
■糖尿病に関する項目
かを検討するために,ロジスティック回帰分析を行った.
糖尿病家族歴,糖尿病と診断された時の年齢,現在の
全てにおいて有意水準を 5%として統計的に有意とみな
治療方法,最近のヘモグロビン A1c 値,糖尿病に関する
した.なお,解析ソフトは SPSS14.0 版を用いた.
教育を受けた経験の有無,糖尿病以外の治療の有無を調
⑥倫理的配慮
査し,糖尿病と診断されてからの期間を算出した.
本調査は久留米大学倫理委員会にて承認を得た.
■抑うつ
CES-D(Center for Epidemiologic Studies Depression
3) 結果
Scale)の日本語版を用い,CES-D 得点が 16 点以上の者
有効回答数は 91 人(90.1%)で,対象者の平均年齢は
ならびにうつ病の治療を受けていると回答した者を「抑
65.2±11.5 歳であった.対象者の 17.6%に抑うつ傾向が
うつ傾向あり」と評価した.
認められ,抑うつ傾向の有無と年齢,糖尿病と診断され
■首尾一貫感覚(Sense of Coherence: SOC)
てからの期間,経済的満足感,バランスの良い食事をし
短縮版の SOC 尺度(13 項目)を用い,男女それぞれにつ
ていること,喫煙,運動習慣の有無に有意な関連を認め
いて中央値より高得点である場合に SOC 高値群,中央値
た.すなわち,抑うつ傾向を持つ群では,抑うつ傾向が
以下である場合に SOC 低値群とし,男女の高値群をあわ
ない群と比較し,平均年齢が低く,糖尿病と診断されて
せて全体の高値群,男女の低値群をあわせて全体の低値
からの期間が 10 年以下の者の割合と喫煙している者の
群とした.
割合が高く,経済状況に満足している者の割合とバラン
■生活習慣に関する項目
スの良い食事をしている者の割合,運動習慣がある者の
食事習慣(摂取エネルギー,食事のバランス,食事の時
割合が低くなっていた.CES-D 得点と SOC 得点との間に
間,飲酒量),喫煙の有無 ,運動習慣(Japan Arterioscle
は有意な負の相関関係が認められた (相関係数r=
-rosis Longitudinal Study Physical Activity Question
-0.523,P<0.05)
.SOC 高値群で抑うつ傾向を持つ者の割
-naire),睡眠障害(Pittsburgh Sleep Quality Index
合は有意に低く,SOC 低値群を参照群とした場合,SOC
日本語版:PSQI-J)について調査し,睡眠障害については
高値群では抑うつ傾向有りのオッズ比が 0.22(95%信頼
PSQI-J の総合得点が 5.5 点以上を「睡眠障害あり」とし
区間 0.06-0.85)であった(モデル1).SOC 得点の平均
た.
値は 66.2 ±12.9 点であり,SOC 低値群を参照群とした
■社会経済的状況に関する項目
場合,SOC 高値群では,運動習慣有りのオッズ比が 3.04
教育歴(教育年数),婚姻状況,収入のある仕事の有無,
(95%CI1.01-9.12)
,手段的側面のソーシャルサポートを
経済的満足感,ソーシャルサポート(他者から受けるサポ
他 者 に 提 供 す る オ ッ ズ 比 が 0.09 ( 95% 信 頼 区 間
ートと他者へ提供するサポートのそれぞれについて,情
0.01-0.88)
,経済状態に満足であるオッズ比が 3.81(95%
緒的な側面と手段的な側面のサポートに関する 4 項目)
信頼区間 1.00-14.51)であった. SOC と抑うつ傾向の有
を調査した.経済的満足感については,現在の経済状
無との関連,また SOC と社会経済的状況および生活習慣
態について,
「満足している」,
「やや満足している」
,
「ど
との関連が見られたため,各要因がどの程度関連してい
ちらともいえない」
,「やや不満足である」,
「不満足であ
るかに関して検討を加えた結果,前述のモデル 1 に,SOC
る」の 5 つのうちから 1 つ回答を得,
「満足している,や
の高低と関連のあった運動習慣と社会経済的状況(誰か
や満足している」を「満足」とし,
「やや不満足である,
が寝込んだときに看病や世話をしてあげようという人が
不満足である」を「不満足」と評価した.
いる,配偶者がいる,経済状態に満足している)を投入
⑤分析方法
してもなお,SOC 高値群では抑うつ傾向有りのオッズ比
CES-D と SOC をスコア化し 2 群化した後に,連続変数
との関連には t 検定を用い,名義変数との関連にはχ2
が有意に低値のままであった.
4) 考察
は不明である.抑うつ傾向と生活習慣の関連については,
本研究の全対象者のうち 17.6%に抑うつ傾向が認めら
抑うつ傾向がないことと,血糖コントロールに好ましい
れた.朱宮ら¹⁰⁾の本邦での糖尿病患者を対象に CES-D
と考えられる生活習慣(食事,喫煙,運動)が関連して
を用いて抑うつを調査した研究では,その割合は
いたことから,2 型糖尿病患者において抑うつ傾向がな
21.3%(n=75,平均 66 歳)と報告されており,先行研究
いことは,治療に好ましい生活習慣を介して良好な血糖
から判断して,本研究の対象者における抑うつ傾向の割
コントロールに関連している可能性が示唆された.しか
合は先行研究と同程度であろうと判定された.また,SOC
し,本研究においては抑うつ傾向の有無によって区分さ
得点の平均値は 66.2±12.9 点(得点率 72.8%)
であった.
れた群間において,血糖コントロールの指標となる
20 歳以上の男女を対象とした桝本ら¹¹⁾の研究(n=
HbA1c 値や血圧等の臨床的成績に違いは観察されなかっ
165)では,平均 64.2±11.5 点,65 歳以上を対象とした
た.このように違いが観察されなかったことについては,
吉井ら¹²⁾の研究では平均 63.2±12.5 点と報告され,本
対象の除外条件を設定したことによって,慢性の糖尿病
研究の 2 型糖尿病患者における SOC 得点は,健常者とほ
性合併症をもつ者など著しく血糖コントロールが不良で
ぼ同程度であった.CES-D 得点と SOC 得点との間には有
ある者が対象に含まれなかったこと,また HbA1c 値や血
意な負の相関関係が認められ,SOC 高値群で抑うつ傾向
圧等はアンケート調査による数値であり,実測していな
がある者の割合は有意に低くなっていた.これらの成績
いことによる数値の精度の問題が影響していると考えら
は横断研究ではあるが,2 型糖尿病患者における抑うつ
れた.よって,今後の調査においては,2 型糖尿病患者
傾向の合併に SOC の強弱が関与しているとの仮説を支持
でインスリンによる治療をしている者や合併症を持つ者
する結果であった.このことから,糖尿病治療によるス
など,より多様な患者を対象とし,HbA1c 値等を実測に
トレスや,抑うつによる生活習慣や神経内分泌系の変化
よって調査し検討することが必要であると考えられた.
へ対処することに SOC の強弱が関連し,SOC 得点が高か
抑うつ傾向と経済状況との関連については,抑うつ傾向
った者では 2 型糖尿病を発症した後に抑うつを生じにく
がない群において,経済状況に満足している者の割合が
いか,または抑うつを生じた後に 2 型糖尿病を発症しに
高かった.このことは,2 型糖尿病患者においても,こ
くいという 2 つの可能性が示唆された.
れまでに一般健常者を対象として報告された研究成績が
しかしながら,本研究は横断的調査であるため,これ
らの因果関係は不明であった.
支持されるものであったが,経済状況に満足しているこ
とが抑うつ傾向の発生を抑制したのか,あるいは抑うつ
抑うつ傾向の有無による諸特性の比較においては,抑
傾向がないことが経済状況の満足度に影響を及ぼしたか
うつ傾向を持つ群では,抑うつ傾向がない群と比較し,
については不明であり,今後は 2 型糖尿病の発症と抑う
平均年齢が低い,糖尿病と診断されてからの期間が 10
つ傾向の発生の時間的順序性も含めた長期の前向き調査
年以下の者の割合と喫煙している者の割合が高い,経済
が必要であると考えられた.
状況に満足している者の割合とバランスの良い食事をし
ロジスティック回帰分析によって算出された 2 型糖尿
ている者の割合,運動習慣がある者の割合が低いという
病患者における SOC 得点の高低に対する抑うつ傾向の有
特性が認められた.抑うつ傾向と糖尿病罹患期間との関
無のオッズ比は,SOC 低値群を参照とした場合に,SOC
連については,抑うつ傾向があることが,血糖コントロ
高値群では抑うつ傾向の発生が約 5 分の 1 と有意に低く,
ールの不良を通して罹患期間が長くなること,もしくは
このモデルに,SOC 得点の高低と関連のあった運動習慣
罹患期間が長いことが,長期の糖尿病治療によるストレ
や社会経済的状況を投入した場合でも,この有意な関連
スを通して抑うつ傾向の発生に関連があるという可能性
は変わらず,また,手段的側面のソーシャルサポートを
が予想された.しかしながら,本研究においてはこの予
他者に提供するオッズ比は約 10 分の 1,経済状態に満足
想とは異なり,抑うつ傾向がある群と比較し,抑うつ傾
であるオッズ比は約 4 倍と有意であった.これらの成績
向がない群においては,罹患期間が長い(10 年以上)者
から,2 型糖尿病患者の抑うつ傾向の有無には,首尾一
の割合が大きいという結果であった.この背景について
貫感覚(SOC)の強弱が関連し,その SOC の強弱と関連す
る要因として手段的側面のソーシャルサポートの提供と
and mortality in men and women in the EPIC-Norfolk
経済的満足感という社会経済的特性が影響しうることが
United Kingdom Prospective Cohort Study: Am J
示された.
Epidemiol 18: 1202-1209, 2003
本研究の結果より,2 型糖尿病患者における抑うつの
10)朱宮 哲明, 国政 陽子, ら: 糖尿病患者教育におけ
合併に関連する特性として,社会心理的要因が明らかと
る 心 理調査の有用性
なった.この成績から,今後の 2 型糖尿病患者の抑うつ
726-732, 2003
の改善や予防に,患者の社会心理的特性を考慮した介入
が有効である可能性が示唆された.しかしながら,本研
究は横断的研究であるため,今後は本研究では不明であ
: 日 本農村医学会雑誌
52:
11)桝本 妙子: 健康生成論に基づく地域住民の健康事
態: 立命館産業社会論集 36: 4: 53-73, 2001
12)吉井 清子, 近藤 克則, ら: ストレス対処能力 SOC
った SOC の強弱と 2 型糖尿病患者における抑うつの合併,
(Sense of coherence)と社会経済的地位と心身健康:
社会経済的状況,さらに生活習慣との因果関係について
公衆衛生 69: 10: 825-829, 2005
の前向き研究が必要であると考えられた.
5.
3. 結論
本研究では,2 型糖尿病患者の抑うつ傾向の有無には,
首尾一貫感覚(SOC)の強弱が関連し,その SOC の強弱に
影響しうる要因として社会経済的特性が存在することが
示された.
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