表現の自由と出版規制

出版社の 100 年と私の 50 年(2014 年「日本出版学会・出版編集研究部会」報告の中から)
出版と自由=出版史の教訓から
出版メディアパル編集長 下村昭夫
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出版を志す時、表現の自由ほど尊い権利はな の行政処分で、表現の自由(思想の自由)を取
い。憲法 21 条には、
「表現の自由」が保障され り締まってきた。
もちろん、細川論文もこの厳しい検閲を通過
おり、民主主義の根幹を成すその権利が侵され
ることなど、今の日本では、起こりえないと思 した記事である。その記事に対して、9月にな
って谷萩陸軍報道部長が、「敗戦主義的文章」
っておられる方も少なくない。
本当にそうであろうか? いくつかの事例 「共産主義実現の必然性を示唆するもの」と非
を紹介しながら、今日における「表現の自由」 難、内務省は同誌を発売禁止処分にし、警視庁
特高課が、新聞紙法違反容疑で細川氏を検挙し
と出版の関連性について考えてみたい。
た。
同じころ、神奈川県警特高課は、世界経済調
1.横浜事件とフレームアップ
2009 年3月 30 日、横浜地裁 101 号法廷にお 査会の川田寿・定子夫妻をアメリカ共産党のス
いて、横浜事件・第4次再審請求に対する再審 パイ容疑で検挙、川田氏の関係者のアルバムか
公判の判決が言い渡された。主文は、
「免訴」 ら見つけ出したのが、泊町での写真である。そ
となっているが、実質「無罪」の判決である(こ の写真から細川氏の容疑は、治安維持法違反容
こでは、裁判の経過などには触れないことにす 疑へと一変し、悲劇の引金となった。
事件は横浜で起きたのではなく、特高の頭の
る)
。
横浜事件は、出版史上最大の言論弾圧事件で 中で起きていた。一葉の写真と特高の妄想が重
ある。事件の発端は、著者を囲む編集者らの一 なり、フレームアップされた事件の被害者たち
不法な判決から
葉の写真から始まった。富山県泊町(現・朝日 の名誉回復の道を開くのに、
町)の旅館の庭で撮影されたその写真には、国 年、
第一次再審請求から 年もの時間を要した。
際政治学者の細川嘉六氏を囲んで、当時の『中
その「暗黒の歴史」にメスを入れ、判決を正
央公論』や『改造』の編集者ら7名が浴衣姿で して、名誉を回復し、人権を救済するための道
写っている。
は、最高裁の「免訴」判決で一応終結すること
そのスナップ写真から、神奈川県警特高課が、 になるが、実質「無罪」が勝ち取られた事は喜
「共産党再建準備会議」とフレームアップ(で ばしい。
っち上げ)し、治安維持法違反容疑でいもづる
特高の予断と功名心が生んだ横浜事件の「悲
式に出版関係者ら 90 余名を検挙し、横浜市内 惨な言論・表現の自由への弾圧」が招いた不幸
に留置、残虐な拷問により自白を強要された結 な歴史を繰り返してはならない。
果、30 余名に有罪判決、獄死者4名、出所直後
の死亡者1名となる悲惨な事件となった。
2.表現の自由と出版規制
事件の導火線になったのは、雑誌『改造』の
2004 年前3月、出版界を揺るがす『週刊文春』
1942 年の8月号と9月号に掲載された細川嘉 (3月 25 日号)
の出版差し止め事件が起こった。
六氏の論文「世界史の動向と日本」である。明
「表現の自由と出版規制」をめぐるこの問題
治憲法下における出版規制の法的基盤として は、東京高裁が、地裁の出版差し止め命令の取
は、新聞紙法や出版法などいくつもの法律があ り消し決定を行い、瀬戸際で「表現の自由」が
った。
守られる結果で幕を閉じた。
出版の事前許可という形で「検閲」が行われ、
報道する側の「人権尊重やプライバシーの擁
「発売頒布禁止や差押え」などの内務省(警察) 護」という姿勢(編集倫理)が問われた事件と
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書店版(フランク・ドビアズ絵・光吉夏弥訳)
の「ちびくろ・さんぼ」の一部で、「サンボを
襲ったトラたちが、仲間喧嘩を始め、バターに
なる」というユーモラスなお話である。
絶版のいきさつは、88 年7月 22 日付の『ワ
シントン・ポスト』紙が、東京・有楽町のそご
うのウィンドウ・ディスプレーに展示されてい
た黒人のマネキンやサンリオのキャラクター
人形「サンド・アンド・ハンナ」が、
「人種差
別の象徴のようだ」と報道したことがきっかけ
である。その直後の自民党政調会長(当時)の
渡辺氏の失言問題とも重なり批判が相次ぎ、こ
れらの批判を受けてマネキンは撤去され、キャ
ラクター商品も製造中止となった。
その新聞報道を受け、児童図書「ちびくろサ
ンボ」が「黒人に対する偏ったイメージで作ら
れている」との立場から、大阪・堺市の市民団
体「黒人差別をなくす会」が、発行元 11 社に
対して、
「サンボが黒人を差別する用語である」
として、その回収を要望していた。
その絵本の「題名や内容が黒人への偏見をあ
おる」との批判を受けた大手三社の学習研究
社・小学館・講談社が相次いで、絶版にするこ
とになり、岩波書店版も含め、 月中旬一斉に
書店の店頭から消えていった。
「ちびくろサンボ」の原作は、インド駐在の
イギリス人、ヘレン・バナーマンさんが子ども
たちに書き送った絵物語で、1899 年にイギリ
スで出版された。日本でも、戦後、多くの読者
に愛され、120 万部を超える古典的名作として
評価の高い絵本であった。
その後、
「原作者が駐在した北インドやチベ
ットでは、サンボに黒人への蔑視感はない」。
「原作は、インドで生まれた絵物語で、アメリ
カ社会で使われている差別用語とは何の関係
もない」など、さまざまな議論が巻き起こり、
90 年には、
「
『ちびくろサンボ』絶版を考える」
(径書房編)なども刊行されてきた。
復刊を果たした瑞雲舎・代表の井上富雄さん
は、そのホームページで次のように語っている。
「子どもの頃、読んでもらって大好きだった
絵本を、自分の子どもにも読んでやりたい、与
えたいという思いは、親としてごく自然なこと
だ。私が復刊を出版事業の大きな柱にしている
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いえるが、東京地裁が「事前検閲」ともいうべ
き、出版差止め命令を出した背景にある出版規
制への意図は、出版界に重くのしかかったまま
である。
憲法が保障する「表現の自由」は、
「出版の
自由と頒布の自由」が保障されてこそ、初めて
成り立つ権利である。民主主義社会を発展させ
てゆくには、公的な機関や公人への批判は自由
に行われることが重要であり、知る権利が保障
されなければならない。その視点から、表現の
自由は、他の権利に優越して保障されるべき重
要な権利の一つとなる。
明治憲法下における出版規制の法的基盤と
しては、新聞紙法(新聞紙条例)や出版法(出
版条例)があり、治安維持法があった。出版の
事前許可制度という形で「検閲」が行われ、
「発
売頒布禁止処分と差押処分」という内務省(警
察)による行政処分で、お上の意に添わない表
現の自由(思想の自由)を取り締まってきた。
先に述べた戦前最大の言論抑圧事件となっ
た横浜事件は、著者を囲む編集者らの一枚の写
真から、フレームアップ(でっち上げ)され、
出版関係者を中心に 90 名もの人が検挙される
という悲惨な事件となった。
戦後、現行憲法下においては、それらの出版
規制法は効力を失い、憲法 21 条で「表現の自
由」が保障され、
「検閲は、これをしてはなら
ない」と明確に禁止されている。
戦後も、出版をめぐる「表現の自由」を取り
締まるさまざまな規制がなくなったわけでは
ない。刑法 175 条の「わいせつ罪」での出版物
の取締まりもその一つである。昨今では、名誉
毀損やプライバシー侵害でもさまざまな訴訟
が相次ぎ、しばしば差止め請求されたり、高額
の損害賠償が要求されたりしている。
表現の自由が保障されている中で、閉塞感を
感じる今日、
「表現の自由」を保障している憲
法 21 条の意味をかみ締めてみたい。
3.「ちびくろ・さんぼ」との再会
2005 年4月中旬、長い間、絶版になっていた
絵本「ちびくろ・さんぼ」が瑞雲舎から復刊さ
れた。この絵本が、市場から消えて 17 年にな
る。復刊されたのは、1953 年に発行された岩波
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のは、何らかの理由で絶版になった児童書を見
直し、後世の子どもたちに残す価値のあるもの
を復活させることに意義を感じるからである。
表現の自由や出版の自由が守られ、本が存在す
る状態で論議されてこそ、絵本に描かれた人間
の本質が見えてくると思う。
」
私自身、子どもたちに読み聞かせたこの絵本、
「黒人差別」問題と正対しながら、もう一度、
語り継ぎたい。
4.「マンガわいせつ裁判」と出版規制
「マンガのわいせつ性」を巡って、東京高裁
で、争われてきた「わいせつ図画頒布事件」の
最高裁判決が、2007 年6月 14 日に出され、上
告を棄却し罰金 150 万円が確定した。事件発生
から、丸7年続けれれた裁判の悲しい結末であ
る。
なぜ、この裁判が行われ、マンガを「わいせ
つ罪」で取り締まるのか、その裁判の異常性を
考えてみたい。事件の発端は、一通の投書が、
衆議院議員・平沢勝栄氏から、警視庁生活保安
部保安課へ転送されてきたのを契機に始まる。
その手紙は、息子の部屋で、松文館のマンガ
「姫盗人」を見つけた父親が、
「卑猥性」に驚き、
そのマンガの取締り(発禁処分)を一人の国会
議員に訴えた内容になっている。
家庭内で、親子で話し合われるべき問題が、
国会議員をパスして、警察権力にゆだねられ、
その結果、松文館発行のビューティ・ヘア氏(本
名・諏訪優二氏)のマンガ『蜜室』が、
「刑法
175 条のわいせつ図画頒布罪」に当ると判断さ
れ、松文館の貴志元則社長、編集局長の高田浩
一氏と、マンガ家の諏訪優二氏の3名が 02 年
10 月1日逮捕された。
その後、高田氏と諏訪氏は、略式命令により、
「罰金刑」が確定したが、貴志氏は、拘留理由
開示公判で、
「わいせつ物に当るかどうかはわ
からない」と述べたため、正式起訴されたもの。
地裁の公判で弁護側は、憲法の「表現の自由」
や「社会的通念の変化」から、刑法 175 条で、
表現の自由を取り締まるこの裁判を批判した。
04 年1月の地裁判決では、
「懲役1年、執行猶
予3年」の有罪判決。抗議の控訴審となった。
高裁判決は、05 年6月 16 日に出せれ、
「一審
判決を破棄し罰金 150 万円に減刑する」
とした。
地裁の判決が、まさかの実刑判決だったこと
を思えば、高裁判決は、実質的には勝利とも言
え、弁護側は「出版人が出版活動故に獄につな
がれる最悪の事態を確実に回避できた」と評価。
裁判闘争は、一歩前進したわけであるが、高裁
判決からも、表現の自由を保障している現行憲
法下での「表現の自由の規制」の根拠となって
いる刑法 175 条の違憲性は、退けられたままで
ある。
地裁や高裁判決の根拠になっているのが、
1950 年4月に発行された『チャタレイ夫人の恋
人』(伊藤整訳・小山書店刊)をめぐる「チャ
タレイ裁判」
。
57 年3月 13 日に、最高裁は、上告を棄却。
『チャタレイ夫人の恋人』が、刑法 175 条の「わ
いせつ文書」にあたり、
「その内容が徒に性欲
を興奮または刺激せしめ、且つ普通人の性的羞
恥心を害し、善良な性的道義観念に反する文章
である」とした。
この最高裁判決から、50 年が経過。社会通念
が変化し、裁かれたはずの『チャタレイ夫人の
恋人』も今では、完全翻訳が出ている今日、裁
判所が、再び、古い既成概念と判例を持ち出し、
出版物を取り締り、表現の自由の手足を縛るこ
とを許してはならない。
マンガの表現の自由を求めるたたかいは、再
び、出版現場にゆだねられた。
3.マンガ休載と表現の自由
2005 年 11 月、集英社の『週刊ヤングジャン
プ』に掲載されていた本宮ひろ志氏の連載マン
ガ『国が燃える』が休載された。
休載の経過は、同誌の 11 月 11 日発売号に週
刊ヤングジャンプ編集部と本宮ひろ志氏の連
名による「読者の皆様へ」という釈明が掲載さ
れたことで公になった。休載の契機になったの
が、中国での「南京虐殺」を扱った9月 16 日
と 22 日発売号のシーンに対する電話や電子メ
ールなどでの集中的な抗議行動。
「読者の皆様へ」によると、このマンガのテ
ーマは、昭和初期を生きる架空の若い官僚の主
人公の半生を描くことで、
「歴史の流れの中で
己の信念をかけて必死にいき抜く人間の姿」を
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すらなる。歴史を直視し「暗黒の歴史を二度と
繰り返すまじ」と願うものである。
示すことにある。
批判意見の主なものは、
「議論の分かれてい
る事件をあたかも真実として描いている」「一
方的に歴史を歪曲、捏造している」などするも
の。その批判に対して、
「皆様から頂いた多く
のご意見にお応えするためにも、今後は、参考
資料の選択、検証を含め作品の質を高めるべく
鋭意努めてゆく所存です」と作品をしばらく休
載する経緯と謝意を表明し、南京虐殺に関する
計 27 ページのうち、21 ページが「削除あるい
は修正」された。
この異例の事態を受けて、すぐに思い浮かべ
たのが、82 年に起きた『悪魔の飽食』をめぐる
写真誤用問題とその後の言論抑圧事件である。
旧日本軍の七三一部隊が、満州(現在の中国
東北部)で引き起こした「細菌研究のための人
体実験」を暴いた森村誠一氏の作品は、その当
時、第一部が 190 万部、第二部が 80 万部と硬
派の本としては異例のベストセラーであった。
『続・悪魔の飽食』に使用された写真の一部
が七三一部隊とは、まったく関係のない写真で
あることが判明、
「写真誤用問題」へと発展、
数十団体の右翼が、発行元の光文社の周りを囲
み、光文社版の『悪魔の飽食』は、絶版に追い
やられた。
その後、角川文庫版『新版 悪魔の飽食』で、
同書の復活を果たした森村誠一氏は、
「ある思
想なり、信念なりを発表し、それに対する暴力
的脅威から、その思想を取り下げたり、変形し
たりすることは、日本にまだ真の思想、信条、
表現の自由が確立されていない証拠です。『悪
魔の飽食』をそのような忌むべき例証の一つに
してはならないと思います。
」と、出版労連が
発行している『出版レポート 83 年版』に書簡
を寄せている。
作品に対して、批判意見を表明することは自
由である。また、作品に誤りがあれば、
「訂正」
することに異議はない。しかし、
『国が燃える』
で描かれている「歴史観」と 180 度立場を異に
する抗議に対して、作品の一部の削除や修正に
至ったことに驚きを感じている。
批判を受けての修正から、
「南京虐殺を描く
作品がタブー視される」風潮が生まれるとした
ら、言論・表現の自由にとって、重い足かせに
4.「いつか来た道」を歩まないために
表現の自由にとって、
「いま、合いに来て欲
しくない現象」が、さまざまな形で、起こり始
めている。その結果、「自主規制」という名の
表現の自由への規制が生まれてくる恐れはな
いのか?
近年、政治的ビラの配布に対して、住居侵入
罪での起訴や国家公務員法違法や威力業務妨
害罪での逮捕も起きている。国旗掲揚・国家斉
唱に同調しない教育者に対する地方自治体レ
ベルでの制裁も全国レベルで行われている。
さらには、高額の損害賠償金裁判なども、し
ばしばプライバシー侵害や名誉毀損を理由に
行われ、刑事的制裁も加味されるなど、メディ
アの活動を著しく萎縮させているといえる。
これらの一つひとつの現象には、連関性がな
いかのように見られるが、この十年の変化を見
ると、確実に「表現の自由」の危機が迫り来て
いるように思えるのは、私一人ではあるまい。
その不安感に、安倍内閣の「秘密保護法」の
制定や「解釈改憲(閣議決定)=憲法 9 条の破
壊」、教育委員会制度や教科書の検定の強化や
「児童ポルノ禁止法」改正による表現の自由へ
の規制、外国人へのヘイトスピーチ(憎悪表現)
などが重なって見える。
じわじわと迫る報道規制の強化や「青少年有
害社会環境対策法案」によるメディア規制、さ
らには、共謀罪による処罰規定の新設などが、
横浜事件の被害の悲惨さの悪夢を垣間見る思
いである。
憲法 21 条で表現の自由が保障されている現
在でさえ、さまざまな形で強化される報道規制
をこのまま見過してしまえば、戦前の「いつか
来た道」を通らざるを得なくなるであろう。
「コブラは卵のうちに踏み潰せ」は、ファシ
ズムとたたかったヨーロッパの先人たちの教
訓である。
(2014 年 9 月 26 日「日本出版学会・出版編集研
究部会報告」後半部分議事録」
文責:出版編集研究部会
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