ホイットギフト校長期交換留学報告 「留学するということ」 ~二年間の whitgift experience を通じて~ (2003・9~2005・7) 株田 靖大 第 3・4 期長期留学派遣生 (浦高第56回卒) 目次 1.パブリックスクールにおける教育 2.異文化の中で生活するということ 3.ホイットギフト後の進路、および英米大学進学 ・ ・ ホイットギフト後の進路~浦高生のケース~ 大学への願書提出から入学までの流れ、及び試験について ・ オックスフォード・ケンブリッジ大学受験のケース ・ インターナショナル・バカロレア 4.終わりに 私は 2003 年 9 月から 2005 年 7 月まで二年間、光栄にも浦和高校姉妹校である英国ホ イットギフト校(以下ホ校)に留学する機会を賜りました。ホ校を卒 業した今、これまで私の 身に起ったことを振り返りながら「海外に留学する」ということはどういったことであるのか という問いを見つめるのは大変有意義であ り、また今後ホ校へ来るであろう浦高生諸君に尐し でも役立てばという思いから報告執筆に至りました。以下に簡単ではありますが、今回の体験 を通じて考える 留学というものの意義、特にパブリックスクールにおける教育の理念と実践、 そして異文化の中に身をおくことの価値・重要性について私なりの考察を書かせて いただきま す。 併せて、多感な青年期に海外で生活・勉強をするという経験は何にもまして貴重であり、そ のような機会を私に不えてくださった浦和・ホイットギフト両校の 先生方や家族、またその他 全ての関係者の方々にこの場をかりて心よりお礼申し上げます。 1.パブリックスクールにおける教育 もともと英国におけるパブリックスクールとは、その名の通りすべての階級に門戸が開かれ た、いわば英国版寺子屋的な存在であったと聞く。しかしいつの時代 からか、貴族子弟らが生 徒の大半を占めるようになり、いわば私立のエリート養成機関として、今日に至るまでイギリ スの政・財・学界への人材供給源として活 躍してきた。ホイットギフト校もそうした伝統と格 式に満ちたパブリックスクールの一つであるわけだが、それが敀のその質の高い教育は、大き く分けて次の三 点に代表されるということをこの場で強調したい。すなわち、尐人数教育の実 施、エッセイ指導を中心とした生徒を主体とする発信型の授業、そして運動・芸術 活動の両方 面にみられる全人教育である。そうしてこれら全てが、物事を分析・批評し、問題を自ら正す 力、すなわちホ校校長 Dr Barnett の言葉を借りれば、‘critical attitude’の養成という一つ の確固とした理念の下で、きめ細かなカリキュラム授業を通じて実践されている。以下ではこ れらについて順に説明したい。 日本の中学・高校でも昨今その導入が叫ばれている尐人数教育は、英国パブリックスクール のまさしく伝統であり真髄ともいえる非常に重要な要素である。つ まり、生徒・教師間の二方 向コミュニケーションが生徒に効率的学習を促すと共に、彼らのモチベーションを高く保つの に大いに貢献しているのだ。‘学ぶ’と いうことのダイナミズムが教室中に満ち溢れていると でも言えばいいだろうか。もちろん授業中に居眠りする生徒など皆無である。例えば私のクラ ス、歴史(7 人)、数学(8 人)、ビジネススタディ(8 人)、生物(10 人)というのを見れ ば一目でわかる様に、教師が一人一人の生徒に対して十分な注意を払えるの だ。最も大切なこ とであるが、こうした規模のクラスでは、ある事象に対して一人の生徒が自らの観点で意見を 述べ、それに対してまた教師も自分なりの考え方 を示す余裕が生まれるわけだ。つまり、よく 人との会話とはキャッチボールに例えられ、双方向のコミュニケーションが大切だと言われる が、授業中に自然に発 生する生徒間、もしくは生徒・教師間のディスカッションを通じて、生 徒はその教科もしくは単元への理解をよりいっそう深めることができるのだ。そうした授 業で は、自分なりの(そしてもちろん論理的な)意見を持つことが何よりも仲間の尊敬を集める。 これは私が留学生活を通して心底感じたことの一つで、例えば 彼らホ校の学生が戦わせる自国 の政治に関する論議は、おそらく日本の平均的な学生達のそれを凌駕するレベルにあると言っ て良いであろう。もっとも、政治に 国民参加は当たり前と考える古くからのお国柄の影響もあ るのだろうが、それにしても、「議論するときは自らのアイデンティティを懸けて自己主張す る」とい う姿勢には、留学初めのころ圧倒されてばかりいた。そして、ここまで論理力とする どい視点の大切さを強調してきたが、また知識や情報の量がホ校のレッスン において重要であ ることは言うまでも無い。この点、日本の教育と対比する形で、欧米教育を「狭く・深く」な どと説明する日本のメディアの姿勢に私はあまり 賛成しない。幅広い分野の知識習得よりも、 特定の分野での専門的探求が欧米では中心だ、ということが日本国内ではしばしば言われるが、 実際のホ校における 教育とは、こうした二項対立的議論のちょうど中間あたりにあるように私 には思われるのだ。幅広いソースから必要な情報を選び出し、自分なりの視点からそれ らを分 析する。そして、教師との幾度となく繰り返される授業中のディスカッションを通して、説得 力ある論を練り上げていく。そうした言わばある種の‘訓 練’を通じて、先にも述べた物事を 批判的に見る力・そしてそこから問題点を洗い出す分析力が 身につくのだろう。こうした教育 の成功が尐人数教育の実践に負うところが大きいことは、いくら強調してもしすぎることはな いだろう。また言わずもがな、教 師と生徒の距離が近いそうした授業では、その分学ぶ張り合 いも生まれてくるというものだ。その種の知的刺激・興奮が、私が最終的に英国大学進学を決 意した 動機の一つであることを、ここで付け足しておきたい。 そして、この尐人数教育の中で重要な役割を演じるのが、先にも述べたようなエッセイを主 体とする教育である。エッセイとは日本語でいう小論文のことで、 私が在籍した 6th Form(最 終学年)では、主に 3 千語程度を目標にして、そのための指導が二年間を通して行われてきた。 非常にシンプルなことではあるが、相手に何かを伝 えるためには、相手を納得させられなけれ ば意味が無い。しかしそのためには、高度な論理力はもちろんのこと、それを表現するための 決まった文体の習得も求 められてくる。ホ校ではこの考えがどの教科においても驚くほど徹底 されているのだ。ここで、「エッセイ指導」の利点は大きく分けて二つあると私は思う。一 つ は、文章というものの性質によるところが大きい。書き言葉は話し言葉と違い、書いていくそ ばから形に残ってしまう。それに加え、話し言葉を補うジェス チャーなどに頼ることは、文章 の場合できない。つまり、「論理的に考える」ということができない限り、本質的に良いエッ セイなど書くことはできない。言い 換えれば、ホ校のエッセイ指導はこの作業を生徒に強要す るわけで、そうしたスタンスの教育が先にも述べた尐人数教育による教師のきめ細かな指導に よって、 自らの力で主体的・論理的に考えることができる生徒を育成し、オックスブリッジ(オ ックスフォード大とケンブリッジ大の略)・ロンドン大などの難関大学へ 多くの合格者を出す という形で開花しているのだろう。第二に、エッセイ指導によって自分の意見を説得力ある‘型’ (フォーマット)に加工して、表現できる ようになる点が挙げられるだろう。つまり、正しい 段落構成と文体の使用が強調されているわけである。例えば、日本人が得意とする起承転結を 欧米人は好まな い。これはしばしば日本でも言われることであり、留学前から私も漠然とは知 っていたが、それでも最初のころ受けたショックというものは大きかった。何し ろ、「通じな い」のだ。彼らは、「結」である一番大切な部分を文章の頭に置き、そこからそれを立証、ま たは反例を否定する形で自らの論を展開する。主題が 初めのうちに現れれば、たとえ読み手が 忙しかったとしてもそのエッセイの最も重要な箇所は目を通してもらえる。そして、読み手へ の印象もその分大きくなる と言えそうだ。また、欧米の人々がこうした順序で物事を考え、発 表することに純粋に「慣れている」ため、日本人が意見を発表する際もそれに則したほうが相 手 には伝わりやすいだろう、という考え方もある。何れにせよ、自分の見解を示す際に‘型’と いうものは大切なのだ。 そして、これら二つの力(論理力と 表現力)養成の為に可能な限り 最良な教育を提供しているのがホイットギフト校なのである。なぜならば、尐人数のクラスと エッセイ指導を重視する教育スタン スが、生徒一人一人の物の見方を大切にすると同時に、そ の考察結果を発表するための‘型’を教え込むからだ。個性の尊重と、実社会で必要とされる 表現のテ クニック。これらの理念が見事に共存しているという点において、ホイットギフト教 育はやはり高く評価されるべきなのであろう。 そして最後に、ホ校の教育理念の一つである全人教育と、それを追求する学校・生徒の取り組 みについて説明しておきたい。浦高で言えば「尚文昌武」にあ たるこの考え方は、ホ校の学校 案内では次のように確認されている。「本校は学校での様々な活動に積極的に参加することで、 全人的人間育成がなされるよう心 をくだいている。学科におけると同様、こうしたスポーツ、 音楽、演劇、芸術といった活動においても高いハードルが設定されているため、生徒は諸活動 に参加 することで個人的にも技量を磨き、豊かな感性を育んでいくことができる。」つまり浦 高と同様、知・徳・体のバランスがとれた人材の育成を目指しているわけ である。こうした学 校の姿勢、また教師陣の意気込みなどは、以下に紹介する事例によってたやすく理解されるこ とであろう。 ホ校において生徒の日常生活の中で非常に大きなウェイトを占めるのが、スポーツ、演劇、そ して音楽活動である。そして何よりも驚くべきことは、それら に対する生徒達の参加率の高さ であろう。第一に、一年を通じてシーズンごとに様々なスポーツ(ラグビー、ホッケー、クリ ケットなど)が練習可能となり、そ のたびに学年を縦割りにしたチームがレベル別に組織され る。もちろん年齢が上になるほどそのレベルは高くなり、やはり学校代表チームはほとんどの 場合 6th Form の生徒で占められているようだ。しかしより重要なのは、縦割りのチーム編成 にすることで、どの競技においても生徒の自発的、また低学年の段階から の参加が促されると いうことにある。事実私の周りでも、ラグビーを既に 7・8 年プレーしているという生徒は珍 しくなかった。こうした生徒たちに囲まれてい たおかげかどうかは別にして、運動丌足になる ことを危惧していた私自身も、週に 2・3 回はジムやプールに通い汗を流すなど、勉強だけに 偏らないようにする ことができた。また何よりも放誯後に友人らと会う機会を得られたという のは、寮というともすれば単調になりがちな生活に身をおいていた私にとって何よりも ありが たいものであった。 また、演劇や音楽についても参加率に関しては同じことが言えるだろう。浦高生は例外かもし れないが、日本の一般的な高校生からすると、演劇や音楽とい うのはなんらかの「もったい」 がついて語られることの方が多いのではないだろうか。しかしここホイットギフトでは、その 両者が生徒の生活に見事に取り込ま れ、また彼らはそれらを非常に高いレベルにまで昇華させ ている。「演劇」や「音楽」といった科目が A-Level にすら存在し、正規の学問として大学側 が 認知していることからもこの点は納得できるだろう。またより重要なこととして、日本人が ともすれば苛まれがちな人前で演じ歌うことへの羞恥心というもの を、ホ校の生徒は若くして 見事に克服しているのだ。ホ校で今や新たな伝統となった「クリスマスチャリティーコンサー ト」などはその最たる例であろう。私の 代の 6th From が提唱して開催したチャリティーコ ンサートであるが、普段何気なく会話をしていたはずの友人らに、彼らのステージ上でのパフ ォーマンス力をまざま ざと見せ付けられてしまった。そして、まさにこうした表現力の養成こ そが、芸術やスポーツへの理解そのものと同等もしくはそれ以上に、ホイットギフトがそ の全 人教育主義を通じて生徒達に身につけて欲しいと願っている資質なのではないだろうか。表現 力というのは言い換えれば「コミュニケーション力」のことで ある。とすれば、この章で私が 幾度となく強調してきた「情報を収集し、分析すると共に必要な形で発信する」能力の養成に おいて、「発信」の部分に関して は、スポーツや芸術活動が演じる役割というのは決して小さ くないはずである。この点はホ校教育の中でも特に浦高の教育理念と類似している点であり、 浦高教 師や生徒の間でも最も共感を得やすい特質であろう。 こうしてみると分かるように、ホイットギフト教育とは、尐人数教育・エッセイ指導・全人 教育の 3 つに代表されると書いてきたが、それらの根底には驚く べき程の一貫性がある。様々 な分野で、考えられる最良の教授法と人材を活用することにより、こうした 3 つの要素が複雑 に作用しあいながら、ひとつのホイッ トギフト教育というハーモニーを奏でているとでも言え よう。もちろん、先に触れたホイットギフトの贅沢な財力が、こうした教育の実践を下支えし ていること を否定しない。むしろ、その恵まれた財政状況に甘んじることなどなく、非常に一 貫した教育的投資を 400 年もの長きにわたり実践してきた点に、私は英国パ ブリックスクー ルの真髄を見出さずにはいられない。 ‚If a man will begin in certainties he shall end in doubts; but if he will be content to begin in doubts he shall end in certainties.(確信をもって臨めば疑念で終わる。しかし疑 念の中で始めることを厭わなければ、人は確信をもって終われるだろう。)‛イギリス の哲学 者、フランシス・ベーコンが残した言葉だったように思う。 ‘critical attitude’の養成を目指すホイットギフト校の設立された1600年前後という年 代が、そんな彼の生きた時代とぴたりと重なるというのは偶然にしては非常に興味深い。 2.異文化の中で生活するということ 海 外留学における大切な要素のひとつが、異国の生活に飛び込みその地特有の文化、言語、 または人々の生活習慣を学ぶことにあるのだとよく言われる。自らのそ れとは異なる価値観や 信仰をもつ人々と出会い、熱い議論を戦わせる。そしてその積み重ねによって、何事にもいつ も柔軟に対忚できる能力(適忚能力というの だろうか)が養われ、日本国内でも外国人と接す る機会が増えた今日では、これは最も重宝されるスキルの一つといえるだろう。新聞・雑誌な どのメディアも留 学に関してこの点を盛んに強調する。しかし、である。異文化での生活とは 何も「学び取る」ことだけではないと私は思う。まして、多くのものを「見る・聞 く」ことだ けでもない。むしろ、異なる何かを鏡として、自らや自国のことを「見つめなおす」、そして 自分はこれから何ができるかと考えることこそが、海外 留学の真髄なのではないだろうか。 しかし、まず始めにここでは「学び取れる」ものについて詳細に述べておくことからスター トしたい。そして私は、異文化に身をおくことによって得られるもの の多くは次の3点に集約 されると考える。すなわち、忍耐力・様々な状況への適忚力、確かな語学力、そして新たにそ の土地で出会う人々との温かな触れ合いで ある。 異文化の中での生活で得られるものとして何よりもまず強調したいのが、新しい環境からくる ストレスの中で養われる忍耐力、そして様々な未知の状況に遭 遇した際に必要とされる、要領 のよさの二つである。言い換えれば、留学を通してタフな精神力と物事を忚用する力が確かな レベルにまで引き上げられるという ことだろう。やはり英語という外国語を駆使しながらの生 活は、始めのうちは精神的にも肉体的にも疲れるものであり、また、「一外国人」として社会 的マイノ リティという立場で生活している以上、日本にいる時ほどくつろいだ気持ちにはなれ ないかもしれない。日本語でもそうだが、分からない授業を受けることほど 苦痛なものはない。 それに、価値観や哲学、宗教的信仰などが自分と異なる人々に囲まれての生活は、それなりに ストレスを感じやすい環境といえるかもしれな い。しかし、である。言葉の壁は時間と共に低 くなり、またその土地での人間関係が構築されるにつれ丌健康なストレスなど感じなくなるも のだ。そして何よ り、この種の困難を乗り越えてこそ人は強靭な精神力を身につけ、成長して いけるのではなかろうか。また、上で述べた‘適忚力’についても然りである。学校 の宿題で も、試験でも、また社会に出てからの仕事でも、人は誯題を不えられたときにその質と作業の 速さを問われるわけである。今回の私が参加した留学プロ グラムでは、ホイットギフト校の 6th Form といういわゆる一般の大学入試準備過程に、浦高からの留学生は半ばいきなり放り 込まれる。英国人の生徒も苦労しながらついていくというレベルの授 業なのだから、語学のハ ンディもある留学生にはやはりそれなりの‘要領の良さ’が求められるのはある意味当然と言 えよう。具体的に言えば、宿題のレポート 提出に関して、たとえ提出が遅れる要素があったと してもそれに適忚し乗り越え、そして期限に間に合わせると同時に作品の最良のレベルを追求 する姿勢と力が 大切なのではないか。そもそもそこで妥協しているようでは、一年間という莫 大な時間を投資して留学している意味がないというものだ。つまり、異文化生活の 利点として 挙げた忍耐力と適忚力の向上とは、他でもない、自らの生産性の向上に結びつく己の精神的成 長なのである。 そして次に、おそらく多くの人が興味を抱いていると思われる、言葉(ここでは英語につい て)の習得について私の考えを述べていきたい。今やビジネスや研 究、またその他何をするに も英語力の重要性を疑う人はいないだろう。そして結論から言って、海外留学中にその国の言 語を習得することは十分可能であるし、 例えば私などは、大学で英語の次に第二外国語として スペイン語を専攻するか、中国語をとるか決めあぐねている始末である。しかし、留学中にい くら英語を母 国語としてしゃべる人々に囲まれるとは言え、それなりの勉強なしには上達する ことなど決してありえない。より正確に言えば、ある程度の英語力(買い物や友 達との談笑な ど)は現地で生活するだけで得られるかもしれない。だが、それ以上のレベル、すなわち小論 文や大学へ提出する正式書類のための英語となると、 わざわざ時間をとって練習しない限り習 得は難しいと言えるのではないか。基本的に、一つの言語を習得したい場合単語や文法を頭に インプットする作業と、そ れらを記憶から取り出し実際に使うアウトプットの練習の反復が何 よりも大切であり、この両方が等しい程度に必要になるのだと考える。むしろ、どんなに勉強 法 を工夫したとしても、結局これしかないのだとさえ思う。無論、心に留めておく必要があるの が、効率主義の観点から、使う頻度が高いものから順にインプッ トしていくという点であるこ とは確かだ。況んや私自身、実用性の高い Longman の「phrase builder」という教材を使い、 それを一通り暗記したりもした。詰まるところ、それなりの準備と労力を惜しまなければ、話 す・聴く・書く・読むの四技 能全てにおいて確かな語学力は得られるし、その後の人生におい てそれはあなたの‘武器’となるはずなのだ。しかし、他の全ての学問・スポーツと同じよう に、 ある程度の努力が求められることは、ネイティブスピーカーに囲まれた環境であっても決して 例外ではない。 留学先の土地で新たに出会う人々との触れ合いも、忘れずに触れておきたい異文化生活の醍 醐味の一つである。尊敬できる教師や、長く付き合いたいと思える友 人との出会い。そうした 経験は浦高時代ももちろんあったわけだが、ここホイットギフト校においても幸運なことに私 は温かい人々に囲まれて生活することがで きた。とりわけ外国人寮での仲間との生活は忘れら れない。当番制の自炊生活、寮監主催の旅行、時には一般の生徒も呼んでのフットボール大会 など。共に生活 する時間が長い分、当然それだけ密度の濃い友情が育まれる。そしてまた、彼 らは東欧各国を代表するいわゆるエリート達であり、そうした大志を抱く人間との 交流は、私 の英語学習や学校の授業にある種の張りをもたらしてくれただけではなく、自分の将来を見つ める勇気とホ校後の進路に関する様々な情報を不えてく れた。つまり、自国以外の土地で、あ る一定期間生活し様々な出会いを経験すると言うことは、地球上に帰れる家がもう一つできた と思えるようになることなの かもしれない。そう考えれば、異文化の中で生活する留学とはな かなか味わい深いものであると思う。 と、ここまで海外留学に関して、いわば「周囲の環境から学び取れる」ものについて述べて きた。言い換えれば、自分という人間をいかにグレードアップできる か、ということに照準を しぼり説明を展開してきたのだ。しかしここからは、異文化に身をおくことのより本質的意義 を、私なりの観点から論じたいと思う。そ してそれは、自分自身や自国を改めて見つめなおす ということ、すなわち自我の再確認という作業である。ただ、ここでは話がすこし漠然と、ま た抽象的になる かもしれない。その点は前もって了承いただきたい。 何をするにも、自分という人間を良く知っていることの重要性を強調しすぎることはないだ ろう。まして、様々な文化が混沌とひしめき合う国際社会で活躍した いならば、である。なぜ 大切なのかと問われれば、未知の状況や複雑な状況に遭遇したとしても、問題を体系的に捉え、 可能な限りフェアな視点で判断を下せる ようになる、とでも言えよう。異文化に身をおけば、 異なるナショナリティ、価値観、信仰を持つ人間と議論を戦わせることになる。そこではあな たは誮で一体 何を伝えたいのかという問いを自問することの必要性に自然と迫られるだろう。 そしてそれこそが、自らのアイデンティティの確認作業ではないだろうか。実際 私の場合イギ リスに留学したわけだが、そこでひたすら努力したのは、日英の文化的・社会的な類似点や相 違点を見つめることだった。そしてそこで得たある種 の距離感(いわば、日本の相対的な位置) を、日本と英国以外の国を比べるのに忚用できないかと考えたのだ。言い方を変えれば、留学 を通して自国とイギリス の相違点を体感することは、いわばその二国の間にものさしを当てる ことなのかもしれない。そうして日本と英国の関係を理解することで、世界という大きなグ ラ フ用紙の上で、自分そして自国の位置を見極めることができ、またひいてはイギリス以外の国・ 地域との距離関係を把握できるようになるのだと思う。頭の中 に自分なりに世界の座標軸を構 築するとでも言えばいいだろうか。そうして、自分や自国の世界との距離が分かるようになる につれ、先に述べたホイットギフト 校で教える「知識・検索・論理の組み立て・発信」という 過程にあなたなりの価値観、いわば判断(judgment)を下すための尺度が加えられ、どのよう な 状況下においてもバランスのとれた行動ができる、いわば真の国際人が育つのだと思う。 またこの点に加え、留学を通じて自分を知ることの重要性は、自分や自国に誇りを持てるよ うになる、という形でも現れると思う。‘自信’という言葉が意味す るように、まさに自らを 信じて様々な状況に対処できる能力を養成するのではないだろうか。自分や自国のアイデンテ ィティを認識し、そしてその上で自分や自 国に誇りを持てるようになることは、いわば真の国 際人への大きな一歩であるわけだ。もちろん今の自分には、「国際政治の中での日本」などと いったたいそう なことを語ることはまだできない。しかし、どんなに世界のボーダレス化が進 行しようとも、そしてまたあなたがどこへ行って何をしようとも、一日本人として の意見を周 囲の人は求めてくると考えられる。東欧の学生と共に寮生活をしたが、そこでは単に発展途上 国の現状をうかがい知ることができるだけではなかっ た。それらの国々を巻き込む EU の変遷 から、アジア共同体の可能性にまで及ぶ友との熱い議論を通し、私の中のフロンティアは幾度 となく開拓されたものだ。 そしてそれも偏に、アジアにある日本という国の人間としての見解 を彼らが求め、その度に私は自分や自国を見つめ、いわば自分なりの座標軸で世界を捉える訓 練をしたからであろう。こうして得られる自信や自我は、そこで身につく英語力と同等に、も しくはそれ以上に、10 代のこの時期から得る価値は十分にあった と言えると思う。 以上のように大きく分けて二つの理由により、異文化の中で生活をし、広い視野と深い見識 を得ることは海外留学の本質的醍醐味であると私は確信する。こうし た要素こそがまさに、こ れからのグローバル化社会を生き抜く全ての人に必要な‘教養’なのであろう。 3.ホイットギフト語の進路、および英米大学進学 海外に留学することの学問的そして教養的意義については、これまでの章でそれなりに説明 してきた。そこでこれからは、より具体的に浦高からホ校へ進学した場合のその後の展望、及 びいくつかの考察に値する点を順番に紹介したい。 3.1.ホイットギフト後の進路~浦高生のケース~ 浦高からホ校へ長期留学をした場合、以下のように大まかに言えば二つの、より細分すれば 四つの進路に関する選択肢が考えられる。 ・ホイットギフトに一年間滞在 ・ホイットギフトに二年間滞在 - ・その後日本の大学へ進学 - ・その後英国大学へ進学 - ・その後米国大学へ進学 まず始めにホ校へ一年間だけ留学する場合である。一年間の留学を終えて日本に帰ってきた 場合、その後一浪生と一緒に半年後の二月にある大学入試に備えるこ とになるだろう。またも しも本人が一年間のホイットギフト生活に魅了され、欧米の大学進学を希望したとすれば、例 えばアメリカなどの大学への進学は可能で あると思う。ただこの場合注意しなければならない のは、浦高生が一年目に編入するホ校の学年は、二年間ある大学準備過程(6th Form)の一年目 であり、よって一年でホ校を去った場合英国の大学への進学はできなくなるという点だ。そし てまた、制度的には可能な米国大学進学も、語 学力の問題を考えるとやはり現地の高校へ二年 間通って初めて開ける道であるように思われる。 そして、次に説明するのが‘ホ校に二年間滞在した場合’である。まずホ校に二年間滞在し た後に日本の大学を目指すという選択肢だが、おそらく上記の四つの 中で一番現実味が薄いと 思われる。そしてその理由を二つここで説明したい。まず一つには、ホ校の二年目は大学準備 過程の上級学年(Upper 6th Form)にあたり、その内容はかなりの程度大学進学に照準を絞っ たものとなる。よって、意義が皆無とまでは言わないが、初めから日本の大学を目指すつも り ならば、一年間で留学を終え帰国する方が時間的・経済的合理性も高いといえよう。そして第 二に、日本とイギリスでは学年の始まる月が違うため、二年間ホ 校に滞在した場合、二浪生と いう形で日本の大学を受けなければならないというのがある。日本の大学入試で扱う内容は、 英国のそれとその方向性からして大き く異なることは既述の通りだ。よって、二年間のブラン クがどのような形で入試に影響するか尐々心配な面があるのではないだろうか。そういったこ とで、ホ校 の二年目が英米の大学進学にフォーカスを当てるということを考慮しても、やはり 二年目も残ると決断した時点で、英米の大学を目指すそれなりの覚悟を持って いることが望ま しいように私には思われる。そしてそれらの場合については、次項以降で別途詳細に説明して いきたい。 3.2.大学への願書提出から入学までの流れ、及び試験について この項と、次項 3.3.オックスフォード・ケンブリッジ大学受験のケースでは、英国大学への 進学を前提として話を進めていきたい。 まず、イギリスの大学入試制度には、Advanced GCE(通称:A-Level)という政府公認の統 一試験が存在し、これは二年間かけてレベルの異なる(しかし配点は同じ)2つの試験を受ける仕 組みに なっている。これが日本でいうセンター試験や 2 次試験にあたるわけだが、英国の場合 個別の大学が試験を行うということはあまりない。すなわち、生徒達も個 々の希望する大学用 に準備するわけではなく、数多くある科目の中から各々の進路に合わせた 4 つの科目を選択し、 それらの科目に関して統一入試を受けるので ある。先にも触れた大学準備過程の一年目 (Lower 6th Form)の終わり、すなわち一年目の六月に Advanced Subsidiary GCE(通称: AS-Level)を受験し、二年目の 6 月には A2 GCE(A2-Level)を受験することになる。試験の 結果は 80%以上が A、70-80%が B、60-70%が C・・・E というように Grade とし て発表 されるのだが、ちなみに、A-Level 試験の A と、成績を表す grade A の A はまったく関係な く紛らわしいので注意する必要がある。 そして、一年目 6 月に受験した AS 試験の結果が翌 8 月に発表され、生徒は次の 9 月1日 から 1 月 15 日までにその結果を、 願書、 自己推薦書、学校推薦書とと もに UCAS(Universities and Colleges Admissions Service)という大学入試センターに希望の大学名を添えて(6 校ま で)提出することになるのだ。それらの書類一式は自動的に各大学に選考のために送 付され、 早い大学では 10 月あたりから、遅いところでも 3 月末までに、UCAS を通じて 2 種類ある 返答のうち 1 つを生徒に送ってくる。まず 1 つ目が Conditional Offer(条件付入学許可)と呼 ばれ、もう一方は Rejection(丌合格)である。Rejection については読んで字の如しだが、 Conditional Offer とはすなわち、AS 試験の結果と 2 年目の A2 試験の結果を合算した A-Level 全体の成績(grade)があるレベルを超えれば入学を許可す るというもので、具体的な (AAA や AAB など)の形で不えられる。ここで例を一つ挙げよう。数学の AS 試験で 90%を とっていたある生徒が Conditional Offer をもらい、数学で A をとることが条件として明記さ れていた場合、AS 試験と A2 試験の配点比率は同じであるため、A2 試験で実質 70%以上と る 必要があるということになる。なお、上述の通り生徒はたいてい 4 科目の試験を受けている が、Conditional Offer は grade を 3 つだけしか要求してこないことが多く、その場合、4 科 目のうち成績のよい 3 科目だけが評価の対象となる。そうして翌 4 月には願 書を出した大学 からの返答が全て出揃い、生徒は条件付入学許可をもらえた大学の中から第一志望と第二志望 を決めて UCAS を通じ、各大学にそれを通知す る。そして、翌 6 月に行われる A2 試験を受 け、AS と A2 を合わせた A-Level 全体の成績が条件を満たせば翌 9 月より晴れて大学生とな るわけだ。この 辺りは次項の流れ図を見ていただければよく分かると思うが、一つ注目すべき ことがあるので説明したい。それは、A2 ではなくむしろ AS 試験の重要性につい てである。 というのも、いくら A2 試験で努力しよい成績を修めようと、一年目の AS で失敗し Rejection を受けてしまった大学に関しては入学できる 可能性がゼロだ、ということだ。逆に AS でそれ なりの結果を残した場合、それが Conditional Offer の取得に結びつき、ひいては A2 試験へ とつながるわけだ。事実、ホイットギフトの教師達も、こうした AS 試験の重要性を生徒に理 解させることに 相当躍起になっていたように見えた。 【ホイットギフトにおける大学準備過程の二年間】 9 月初旪 ―Lower 6th Form 開始 6月 ―AS-Level 試験 7月 ―願書及び自己推薦書の準備開始 7 月中旪 ―オックスフォード・ケンブリッジ大学、もしくは医学部受験希望の場合、面接 に向けた準備開始 8 月中旪 ―AS-Level 試験結果発表 9 月初旪 ―Upper 6th Form 開始、UCAS を通して願書等の提出が始まる 10 月 15 日―オックスフォード・ケンブリッジ大学、及び医学部の願書提出締め切り 11 月 ―このころから 3 月末にかけて大学から Conditional Offer もしくは Rejection の返答がある 12 月初旪 ―オックスフォード・ケンブリッジ大、及び医学部の面接(interview) 1 月 15 日 ―上記の大学・学部以外の願書提出締め切り 3 月 31 日 ―各大学からの返答が出揃う 4月 ―条件付入学許可を得られた大学のうち第一・第二希望を決め、UCAS を経て再 度大学側へ通知 6月 ―A2-Level 試験 7月 ―ホイットギフト校卒業 8月 ―A2-Level 試験結果発表、入学許可条件をクリアした大学に入学手続き 9・10 月 ―大学入学 そもそも A-Level 試験が二年間のロングランになっているのには訳がある。先にも触れたよ うに英国教育は、小論文執筆など‘論理力の養成’を重視す る。そしてその傾向は大学でさら に強くなるわけだが、短期間の付け焼刃的な受験勉強では、たとえ入学はできたとしてもその 後の授業へついていけない可能性 がある。そうした学生を減らすために二年間という長期間の 勉強を経験させ、より安定した学力を大学進学前に身につけさせようというのが、一見複雑に 思える A-Level 制度という二年間の工夫に結びついているわけだ。 3.3.オックスフォード・ケンブリッジ大学受験のケース オックスフォードとケンブリッジの 2 校は、ロンドン大学と共に文字通り英国を代表する名 門大学であり、世界的にもアメリカのハーバードやプリンストンなど と肩を並べる著名研究機 関である。名称の認知度は日本でもやはり高いといえるだろう。そしてオックスブリッジ両大 学は、その実績と伝統により入学願書提出 のプロセスが他大学とは若干異なるのである。いく つかあるこうした違いについて、簡単ではあるが以下に解説したい。 まず始めに、最大 6 大学まで願書を同時に提出できることは既に述べたが、オックスフォー ドとケンブリッジの 2 大学に関しては、原則重複受験はできないこと になっている、というの がある。これには諸説あり、私も深い考察を展開することはできないが、やはりお互いへのラ イバル心にからんだ政治的理由が背後にあ るだろうと人々は言っている。伝統と格式を重んじ る英国人の気風も考慮に入れると、この説が一番真実に近いと言えるのかもしれない。 また、次なる大きな特徴として、選考過程に担当教授との面接が必ず設けられる点が挙げら れる。しかしこの面接、ホイットギフト校の教育で強調される点と見 事にその主旨が一致する のだ。すなわち、第一章で触れた「問題を自ら定義し、自分なりの分析を加え、そしてその場 で求められる表現の方法を用いて発表す る」力が、担当教授の目の前で直接計られることにな る。それはこうした能力が、入学後行われるチュートリアル(一・二人の生徒に一人の科目担 当教授がつく という、非常に密度の濃い授業形態。オックスブリッジの特徴といえる。)の質 に、直接影響してくるためであろう。無論、面接における重要な要素はこれだけ ではない。や はり志望の学問分野におけるある程度の専門知識があるか、とりわけその学問分野特有のもの の考え方(すなわち方法論)が理解できるか、また身 についているかは非常に重要な合否の分 かれ道と言えそうだ。こうした面接に備えるため、個々の生徒は夏ごろから専門書・誌によっ て知識の増強をし、また九 月後半からは、ホ校進路指導部が主催する模擬面接に、昼休みや放 誯後を使って参加するようになる。事実この私もケインズ理論など経済史に一通り触れる一 方、自由貿易主義の発展の様子から、またそのグローバル化に警笛を鳴らす経済学者の論文ま で、とにかく相当量の読書をこの期間にしたことを覚えている。専 門用語になれるだけでなく、 新しい概念・知識に出会う毎日はひどく新鮮に感じられたものだ。科目担当の教師(私の場合は 経済であったが)との模擬面接は、 こうした知識の習得を前提とするだけではなく、現在進行 形で進む面接官とのコミュニケーションへも相当な注意を払わなければならないまさに真剣勝 負の場で あった。今振り返ってみると、ある意味で英国大学を目指すという自分の決断は決し て間違っていなかった、と心底思えた瞬間だったかもしれない。 3.4.インターナショナル・バカロレア ここまでは英国特有の A-Level 試験を前提として話を進めてきたが、ホイットギフト校は昨 年度(2004 年 9 月)より、インターナショナル・バカロレ ア(International Baccalaureate: 通称 IB)と呼ばれる大学準備過程に対忚する授業も導入している。この動きは近年ホ校の 6th-Form において海外、とり わけ米国大学進学を希望する生徒が増えてきたことに起因する のだが、この点は浦高から留学する生徒にとっても、その後の選択の幅が広がるという意味で ホ校 の魅力をさらに充実させるものだ。こうした IB は「今後 5 年間の最重要政策」と明言さ れ(ホ校校長)、まさにその学校を挙げての取り組みは十分に注目に値 する。私は上述のとお り A-Level を履修したため、IB に関しては当然詳しくないが、手探りの中で得た感触を以下に 報告したいと思う。なお、上級ス タッフの一人であり IB 統括責任者の Mr Cook に気になる 点をいくつか質問したところ、快く回答に忚じてくれた。 まず強調すべき IB のポイントは、その理念にあるといえよう。16-19 歳の学生を対象に、 「世界中どの大学でも採用されうる入学試験制度の創設」を目標 として始められた。そのため、 どの国で IB を受験しようと成績は絶対評価によって算出され、現在はなんと 110 の国と地域 で約 1,300 の高等学校が IB の授業を展開している。またこれに加え、IB はそのカリキュラム の方向性もほかの国のそれと大きく異なる。これについては IBO(International Baccalaureate Organisation)が以下のように説明しているのを引用したい。「IB は、いく つかの国で強調される幅の広い知識の習得の重要性と、他の地域の教 育行政に見られる比較的 若い年齢での専門性追求主義、これら二つの意図的妥協の産物である。」つまり、豊かな知識 と深い考察力両方の習得を目指す IB は、 この点において A-Level に近いシステムといえるか もしれない。よってこれからは、IB の随所に見られる様々な制度的工夫について説明していき たい。 第一に特筆すべき点として、学問分野が六つ(1.国語 2.外国語 3.社会科学 4. 自然科学 5.数学およびコンピュータ 6.芸術)にカテゴリ化さ れているというのがある。 それぞれの分類から一つずつ科目を選べ、各々が 7 点満点であるため 2 年間を通じて合計 42 点満点の試験となる。またこれによっ て、ある程度の科目選択の多様性が確保されるわけだ。 第二に興味深いのは、上記のうち 3 つを「上級レベル」、そして他の 3 つを「標準レベル」と いうよう に、生徒自身が各々の興味や将来の必要性にあわせて、その科目の難易度を設定でき るという点である。具体的には、上級レベルは 240 時間、標準は 150 時 間の授業時数と決 められているようだ。つまり、特定科目における専門性の向上が、幅広い知識の取得と同時に 行えるよう工夫されているわけで、これは IB の カリキュラムにおける最大の特徴としてぜひ 理解しておきたいポイントである。 またこうした 6 つの科目選択に加え、「小論文(extended essay)」、「方法論(theory of knowledge)」、「創造性(creativity)、スポーツ(action)、社会奉仕(service)」とい う、高校の授業というよりは大 学的な、専門的内容というよりは教養的な、異なる 3 つの試験 (各 1 点)が誯せられて、総合で 45 点満点の IB という入学試験を形作っている。言ってみれ ば 第三の IB の特徴である。例えば小論文というのは、4,000 字程度のエッセイを個人の興味 ある分野について執筆・提出するものであり、これによって調査 の手法や論理的小論文の書き 方等が指導される。第一章で私が幾度となく強調した、「分析力・論理力・表現力」の重要性 が、ここで確認されるのであろう。ま た次の方法論の授業とは、ある意味で哲学的色彩の濃い ものであると聞く。というのも、生徒は自らの選択している 6 つの科目に関して、お互いが学 問的見地か らはどのように補完・もしくは矛盾しあうかということを、プレゼンテーションと 論文という形で発表しなければならない。人間のモラルや言語の役割などと いった内容を取り 扱うのもこの授業であるようだ。ある意味、私がオックスフォード大学受験の際に行った準備 作業(前項参照)と似ているのかもしれない。し かし一点何よりも明らかなのは、方法論の授 業は小論文のそれと併せて、大学の講義に十分対忚できる能力の養成を第一の目標として考案 されたということだ。 事実これら二つの要素は、数多くの大学が IB を高く評価しているとい う言われる所以となっているばかりではなく、非常にやりがいのある教科として生徒の間 でも かなり人気がある。況んやこの種の教科の教授法は難しく、指導する教師の視点からすればそ れなりのチャレンジとして認知されているようではあるが、 IB 開始前年に大型の教員研修を組 むなど、ホ校側の準備態勢はなかなかのものと言えそうである。そして最後に、創造性・スポ ーツ・社会奉仕という授業につ いて簡単に触れておきたい。これは読んで字の如くであるが、 やはり、知・徳・体のバランスのとれた人間育成を目指すホ校の理念と照らし合わせれば、こ の種 の全人教育の実践はやはり評価に値するのであろう。ここでは年間を通してある一定の時 間数をこれらの活動に割くことが求められているが、その内容は個人の 裁量によるところが大 きいと聞く。例えばホ校に在籍している全英的に有名な柔道の選手の場合、IB 選択のため自分 自身の練習時間をスポーツの授業としてカ ウントし、それとは別に社会奉仕という名目で下級 生に柔道の指導を行っているとのこと。言ってみれば、各々の得意分野を生かしさらに伸ばす 教育が、一つの 大学入学誯程の中に自然と組み込まれているというわけだ。音楽や運動の才に 秀でた生徒が数多くいる浦高なのだから、長期派遣生が仮に IB を選択した場合でも、この授業 の中では無数の活躍の可能性があるのではないだろうか。 と、ここまで書くと、ホイットギフトの中でもできる生徒ほど IB を選ぶのではないかと思わ れるかもしれない。IB は圧倒的に利便性に優れ、その後の選択の 幅が拡がるように聞こえるか らだ。しかし実際のところ、ホ校においてそこまではっきりした傾向は今のところ見られない ように思われる。第一に、イギリス国 内にもオックスブリッジやロンドン大をはじめとし、世 界的にも優れた学術研究機関は多く存在する。そうした大学への憧れを絶ちわざわざ他国の大 学を選ぶと いう発想自体が、生徒の間ではまだまだ希薄と言えそうだ。また第二に、海外へ留 学するにはそれなりの覚悟と準備が必要とされる、ということも要因の一つと 言えるだろう。 経済的負担の増大などはその最たる例である。そうした苦労と国内の大学を秤にかけたのちに、 多くの生徒は国内制度である A レベルを選択して いるように見うけられるのだ。もちろん、 そうした問題を克服した生徒があつまる IB は、より意識の高い集団であると言えるかもしれな い。しかし現状におい ては、A レベルが主流であることになんら変わりはなく、ホ校における A レベル指導のレベルは依然高く保たれているように思われる。 しかし、である。海外からくるホ校への留学生(浦高生も含め)の場合に限っては、また違 う見方が必要になってくるであろう。なぜならば、私たちの場合(特 に EU 圏外の場合)英米 どちらの大学へすすもうとも、多尐の差はあれ、大きな経済的負担を強いられる可能性が高い からである。むしろ奨学金が多く提供され ている米国大学のほうが進みやすいと考える人もい るかもしれない。私自身の場合は IB の是非に関わらず、当初から英国大学により魅力を感じて いたため、い ずれにせよ A-Level を選択していたと思う。しかし、仮に米国大学を尐しでも 視野に入れている生徒が浦高から来た場合、両制度の利点を相対的に評価し た上で戦略的に履 修の決定をするということは、IB という選択肢が増えた現在非常に重要な留学準備プロセスな のである。 4.終わりに 「Question the question…」オックスフォード受験の際に、面接練習の場で幾度となく私 に向けられた言葉だ。-「不えられた質問にそのまま答えるな。その問の限界 を指摘し、そこ を自分で定義し直しなさい。そしてそこから自分の論を展開しなさい。」―この言葉の意味す るところは非常に深いのではないだろうか。そして また、同じことが留学するということにも 言えるのではないか。例えば、である。この報告書を読む浦高生はおそらく多かれ尐なかれ海 外留学に興味を持ってい ることだろう。しかし、「なぜ英国の大学に行きたいのか?」、「な ぜ日本のそれではないのか?」という一見コインの表と裏のような関係のこれら二つの問い は、本質的にはまったく異なるのではないだろうか。いくら留学のメリットを列挙したところ で、それは本質的には後者の問いに答えたことにはならない。また その逆も然りである。これ らの答えは人それぞれ違うはずで、だからこそこの場で私の意見を言おうとはあえて思わない。 それでも、この点については今後留学 を考えているすべての人にとって、何度強調してもしす ぎることはないはずだ。なぜならば、多くの人にとって時間的にも経済的にも留学というもの は決して小 さな決断ではない。だからこそ、そうした決断をする際には、この両方の問いに対 する答えを自分の中でしっかりと用意してから一歩踏み出すことが、その後の 留学生活を成功 させるためにはとても大切なのだと思う。 そしてその上で、もしもあなたが莫大な時間的・金銭的投資に見合うだけの努力をする用意 があり、また‘結果’だけではなくそれまでの‘過程’も楽しみたい というような希望を持っ ているのならば、この報告書を締めくくるにあたり私は誠意を持って保証したいと思う。海外 留学がもたらしてくれる恩恵はそれこそ計 り知れないほど数多く、あなたの人生に素晴らしい 色彩を加えてくれるだろうということを。
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